違和感
ロンドンにあるヒースロー基地の格納庫は、年中無休で稼働している。
イギリス最大の空港であり、ヨーロッパの中でも上位に入る飛行場は、その重要さに反して防空設備が薄い。理由は単純で、ロンドン上空で撃破してしまえば民間人に多大な被害が出るからだ。
そんなヒースロー空港を守護するべく、地球連邦空軍の防空隊はひっきりなしに出撃し、出撃していく機体を整備する為に、整備班は班長から檄を飛ばされている。
年中無休で整備を行う彼らは、地球連邦軍全体で見ても凄腕と呼ばれているが、そんな彼らも今日はざわついていた。
「聞いたか、エアーズ市の事件」
「あぁ、またジオン残党が暴れたんだろ」
ヒースロー基地の第三格納庫。ティターンズ用の格納庫として遣われている建物の片隅で、サムソン・トレーラーに乗せられたガルバルディβは出撃前の最終点検を受けていた。
ガルバルディは、今年に入って正式採用されたばかりの新型モビルスーツだ。どんなトラブルが起きてもおかしくはない。その上これから向かうが北極圏であることを考慮して、ガルバルディは耐寒仕様になっている。
大仕事をお願いしている上に、前回の出撃で水中型ガンダムと水中型ザクをダメにしてしまったので、クラノとレイエスは整備班に頭が上がらなくなっていた。
二人は第三格納庫の片隅で、コーヒーを飲みながら点検が終わるのを待っていた。
「こんな事件を起こせる余力が、まだジオンに残ってるなんて」
「シルバー・ランス事件か……」
事の発端は、中堅企業であるバンカー工業の労使交渉から発展した騒乱事件だ。
騒乱に乗じてジオン残党はザク三機を持ち出して人質を取り、立てこもり事件を起こしたが、近辺で戦闘演習を行っていたティターンズによって鎮圧された。
珍しくもないジオン残党の暴動だったが、事件はこれだけに止まらない。
アフリカの連邦軍基地から移送中だった気化弾頭をジオン残党軍が奪取し、宇宙へ打ち上げていた。
残党達の狙いはサイド3。
自らの故郷であるコロニーを破壊しようという暴挙は、ティターンズの活躍によって無事に阻止されたと大々的に報道されている。
シルバー・ランス事件以外でも、細かな事件が起きてはその殆どがティターンズの手で鎮圧されているらしい。デラーズ紛争以降、ジオン残党は勢いを落とすどころか、より活発になっていると感じられるほどだ。
「ジオンの隠し軍港を潰したとは言え、ユーコンには逃げられっぱなしですからね。今度こそ叩いてやりましょう」
「気合い入ってるな、レイエス」
「クラノ少尉も、しっかり気合い入れてくださいよ」
「結局ガルバルには慣れる時間もなかったけどな」
「うぐ……。あんなに癖の強いジオンのMSになんて、慣れる必要ないんですよ」
レイエスは恨めしそうな顔で点検中のガルバルディを睨みつける。
「そんなにジオンのモビルスーツが嫌いか?」
「えぇ、嫌いですね。ジオンのモビルスーツを作った連中は単眼フェチの変態に違いありませんよ」
子供のようにむくれた表情を見て、クラノは思わず吹き出してしまった。
「単眼フェチって……」
「知ってますか、少尉。ジオンの中にはザク・レディとか言って、美人なビキニ姿の女性がザクのコスプレをしたエンブレムを張ってたそうですよ」
「へ、へぇ……」
ザクのコスプレと言われて思い浮かんだのは、なんともシュールな光景だった。
「変態宇宙人の作ったモビルスーツに乗るために、僕はティターンズに入ったわけじゃないんですけど、仕事ですからね」
グチグチと文句を言う割りには何だかんだで割り切って、彼なりにガルバルディに慣れようと努力しているのだから、とやかく言う気は起きない。
「でも、どうせなら隊長の乗ってたクゥエルに乗りたいですよ」
「そういえばオーガスタ基地の士官学校から来たんだったか」
ひと言でジムと言えど、その仕様は生産された基地や時期で多少の差異が生まれている。
例えば広く一般的に知られているRGM-79ジムは、生産された時期によって前期生産型であるAタイプと後期生産型であるBタイプに分けられる。ここまでならまだ分かりやすいが、後期生産型とは別にRGM-79Cと呼ばれる後期型ジムが存在し、更には同じ型式番号を持つRGM-79Cジム改が存在している。
なので、下手にジムの後期型なんて言おう物なら後期生産型なのか、後期型なのか、はたまたジム改なのかと非常にややこしいことになるのだ。
同じ型式番号を持つ機体といえば、RGM-79Fも似たような物で、アフリカや中東方面に配備された装甲強化型ジムとヨーロッパ方面に配備された陸戦用ジムが同じ型式番号をもってしまっている。
この辺りが複雑化してしまった背景には、やはりミノフスキー粒子の影響が大きかったのだろう。
クラノは日課として毎晩寝る前に連邦軍のデータベースを閲覧していた。そのおかげで、モビルスーツに関する知識も自然と増えていた。
そんなバリエーションの多いジムの中でも、ティターンズに採用されたジム・クゥエルは所謂オーガスタ系の機体だ。
「オーガスタと言えばエリート量産施設らしいが、どうなんだ?」
「そうですねぇ。プライドの高い奴は多かったですけど、いい所でしたよ。保養施設に広い室内プールとかありましたし」
「軍隊の基地に訓練用じゃないプールか……」
クラノが今まで見てきた基地は、良くも悪くも軍隊の基地だった。
「俺がいたハミルトン基地は……」
自分が元々所属していた基地の話をしようとして、不気味な気持ち悪さが込み上げてきた。
「クラノ少尉?」
レイエスが不思議そうに首を傾げているが、それどころじゃない。
「……思い、だせない」
記憶を辿ろうとするが、ハミルトン基地の光景が思い出せない。
確か、ハミルトン基地でティターンズに転属するよう辞令を受けて、それからシミュレーターで必死にモビルスーツの基本操縦から戦闘まで一連の技術を身につけた。
だけど、何故そんなにも必死になってシミュレーターを利用していたのかが思い出せない。ハミルトン基地の光景も、辞令を渡してきた司令官の顔も名前も、ぽっかりと抜け落ちてしまったかのように思い出せない。
どれだけ記憶を遡っても、ロンドンに来るまでのミデアでガンダムを相手に戦った記憶までしか鮮明に思い出せなかった。
「どうしたんですか。顔、真っ青ですよ……?」
心配そうな顔でレイエスが覗き込んできた。
「あ、あぁ。大丈夫……。っと、何の話だったか」
「オーガスタの話ですよ」
「そうだった。それで――」
なんとか普段通りに振る舞って取り繕い、話を続けようとした所で格納庫内のスピーカーからラダー小隊のモビルスーツの整備が終わったことを、整備班の爺さんが伝えてきた。
「っと、終わったなら行くか」
「……クラノ少尉、本当に大丈夫なんですか?」
「もちろん。仕事なんだから、休んでもいられないしな」
クラノは残っていたコーヒーを一気に飲み干し、床に置いていたヘルメットを拾い上げる。
普段通りに振る舞って見せてはいるが、自分でも自分の顔色が分かる程度には気分が悪い。だけど、仕事を休むほどではない。大げさに見積もっても、目標地点に着くまでのコクピット内で休んでいれば、十分に治るはずだと判断した。
「無茶はしないでくださいよ」
「俺よりもレイエス少尉の方が無茶しそうだけどな」
軽口を叩きながら、二人はそれぞれのガルバルディへと歩いて向かった。
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