宇宙世紀0089.8.28 もう夏も終わろうという時期、俺は久々に一人で街を散歩することにした。
家にはリナがいるから、一緒にのんびりしようと思ったのだが、お誘いは断られてしまった。
仕方がない、アウロラが出来てから二人っきりの時間というのが取りづらくなってきているのだから。
分かってはいても、少しだけ寂しく感じた。
既にあの事件から随分と時間が経ったような気がする。俺も前よりは前向きに進めていると実感している。
昔誰かが言っていた、『時間が解決してくれることもある』。そんな言葉を、今になって理解することが出来た。
悔しいけれど、彼らの死を俺は受け入れてしまっている。彼らを救えなかったことも、傷ついた記憶でさえ、きっと時間が消して行くのだろう。
けれど、忘れはしない。俺が今この場所にいられるのは、彼らが俺を救ってくれたから。
それを語り継いでいかなければいけない。軍人として、一人の人間として。
暑い、出た瞬間に発せられた言葉。
散歩するにしても、気温があまりにも高い。これではすぐ熱中症で倒れてしまいそうだ。
そういえば、前にアジアで街を散歩したときも、こんな感じだったのを思い出す。
あの日も暑くて、どこか日陰になりそうな場所を求めて歩いていた。
その時、出会ったんだ、エヴァに。
まだ記憶に残る面影、肩までかかる程度の水色の髪。瞳はガーネットのように紅い。
優しい垂れ目が、彼女の性格の良さをよく表していた。
喜ぶたびに揺れる髪が、見ていてこちらまで気分が良くなったのを今でも覚えている。
彼女は別れ際、『今度はとびっきり可愛い子になって皆に会いに行けたらいいな!!』そう言っていた。
きっと、本当に会えるのなら、カイルが飛び跳ねるほど喜びそうだな……。
彼らの別れも、戦争が起こした産物だ。しかし、そもそもエヴァは人間ではなくAIだった。
だから、戦争が無ければ、彼女は産まれてはいなかった。
……戦争は繰り返してはいけない。だが、戦争が無ければ産まれなかったモノだってある。
果たして……どちらが正しいのだろう。
過ぎたことを考えても仕方がないとは思うが、思い返せば思い返すほど、また悪循環のように入り込んでしまう。
「……っと…」
気づけば市民街から離れたスラムへと辿り着いていた。
確か、エミリーの家もスラム街の近くだったような。
時間もあるので、俺はエミリーの住む家へと向かった。
しばらく歩くと、小さな家が見えてくる。家の前に柵があって、ちんまりとした庭がある、おしゃれな家だ。
庭では、エミリーが両手を合わせ、目を瞑っている。
「………エミリー?」
恐る恐る声を掛けたら、エミリーの肩はビクりと驚き、若干硬直したままこちらを向く。
俺の顔を見ると、少しだけ安心した表情で言葉を返した。
「あ……ムゲンさん。…どうしたんですか?」
「驚かせてしまったかな?……何をしてるのかと思ってさ」
エミリーは首を横に振り言葉を続けた。
「す、少しだけ驚きましたけど、大丈夫です」
すると彼女は手を合わせていた方向へ向き直り
「彼と、話をしていたんですよ」
「彼……?」
彼女の視線の先を見ると、小さな墓が立っている。
おそらくは彼女が自分の手で作ったのだろう。木に書かれた擦り切れた文字とは裏腹にしっかりと掃除されている。
「その墓には……」
エミリーは少しだけ悲しそうな顔を見せた後
「私の英雄が眠っているんですよ」
「英雄?」
「はい。私を命がけで助けてくれた、小さな英雄です」
庭に一つ立つ墓には、【私が愛した小さき英雄ここに眠る】と、書いてあった。
俺は静かに手を合わせ、目を瞑る。
すると、彼女は横で手を合わせながら小さく笑った。
「な、何がおかしいんだい……?」
彼女は微笑みながら言葉を返してくる。
「前に、あなたと同じように手を合わせてくれた人が居たんですよ」
「そうか、だから笑ったのか」
「ええ。……あの人、元気にしてるかな」
懐かしそうに空を見上げるエミリー。彼女の気持ち、なんとなく理解できる気がした。
「えっと……それで、今日はどうしたんですか?」
エミリーは首を傾げながら言った。
「…あ、いや、俺も用事ってわけじゃないんだ。久々に散歩でもしようと思ってね」
「そうですか。私も…って思ったんですけど、今日は用事があったので、また今度一緒に散歩しましょうね」
俺は頷いて、彼女の家を後にした。
スラム街では、目付きの悪い人や、ゴミを漁る人が沢山いて、普通の人ならばまず立ち寄ろうとは思わない場所。
きっと、その心があるから人から差別が消えないのだろう。
……俺も偉そうに人の事を言えるわけじゃない。人の命を奪っているから。
それでも、ここにいる人たちも、今日を必死に生きている。生きるのを止めることは簡単なはずなのに。
生きようと必死にあがいて、戦っている。それはきっと軍人なんかよりよっぽどカッコいいのかもしれない。
俺はそう思う。
歩いていると、他人からの視線が集中したりもした、気にせず進んでいると
前から走ってくる少年を見かける。
すれ違う瞬間、少年とぶつかった。少年はぶつかった反動で地面に尻もちをついた。
「あ………」
少年からの言葉。驚きで言葉が出ていないように見える。
額から流れる汗、ボサボサの黒の短髪、このスラムでは珍しい優しい目、口元は慌てているのか半開き。眉は凛々しくキリっとしている。
歳はおおよそ13くらいだ。
少年が走ってきた道は、店や食堂などが立ち並ぶ場所。
彼を追ってきたのか、40を超えているであろう人が少年を見つけるとこちらへ寄ってきて少年を掴み上げた。
小太りな彼の前掛けに、ベーカリーと書かれていてなんとなく察しがついた。
「おいガキ!!さっさとうちのパンを返しやがれ!!」
少年は小太りな壮年を睨みつけながら
「うるせぇ!!店の外に置いてあるのが悪いんだろ!!!それじゃあ盗ってくれって言ってるようなもんじゃないか!!」
「なんだとお!?てめぇ!調子に乗りやがって!!!」
たまらず手を上げようとする壮年を、俺は思わず彼の手を掴んだ。
「な、なんだお前!?」
「………子供に手を出すのは良くない。どれくらいの品なんだ」
「え……」
呆気にとられた壮年は、少しだけ考えた後
「ウチの店で一番高いヤツだ。……あんたが代わりに払おうっていうのか?」
俺は軽く笑った後
「ああ。アンタが今ここでこの子を殴らないならな」
すると彼は、ふうっと大きくため息を吐いた後、少年を解放した。案外物分かりが良くて良かった。
……子供が暴力を振るわれていられるところは他人から見ても気持ちがいいものではないから。
俺が彼にお代を支払い終えているころには、少年はどこかへと消えていた。
「あのガキに会いたいなら、さっき、あんたが支払ってる途中にそこにある路地裏に逃げてったぞ」
案外優しい対応をしてくれる。彼が指さす先には、子供が一人入れるかどうかくらいの小さい路地があった。
……さすがに俺は入れないだろう。
いや、でも試してみるか?
俺は路地の前まで来て、小さい路地へ体を入れてみる。
かなり狭いが、通れないことはなさそうだ。
なんとか路地を通り抜けたころには、俺の服は埃やら壁の汚れで汚くなっていた。これはさすがにリナに叱られそうだ。
だが、幼いころにした探検ごっこを思い出して、少しだけワクワクが込み上げてくるのが自分でも理解できる。
この探検の目的は、あの少年と会うこと。と、頭の中で目標を立てて、前を向く。
路地の先には通路があり、道が分かれていたりする。どことなく、街の材質と、路地の先の材質が違うように感じるのは気のせいではないようだ。
侵入者を入れないように迷路状にしているのだろうか。
冒険心をくすぐられた俺は、素直にその迷路に挑戦することを選んだ。
最初の分かれ道を左へと進むと、その先には大きく【〇】と書いてあった。
……流石に分かりやすいような気がする。
余裕で先に進もうとした瞬間、俺の足は宙に浮いていた。
「え……」
思わず自分でも声が出た。そして、次の瞬間、俺は足元にあるであろう落とし穴に見事にはまってしまった。
しかも落とし穴の中は水が張ってあって、おかげでびしょ濡れだ。これでリナに叱られることは確定事項となってしまったな。
【〇】と書いていたのに引っ掛けられた悔しさから、引き返すことなんか頭から消え去った。
落とし穴から抜け出し、さっきとはまた逆の道を進む。
そこには先ほどと同じく大きく【×】と書いてある。
「なるほどな、〇が正解と見せかけて、×が正解だったと、考えたやつは中々―」
口に出して称賛しながら先に進むと、再び俺の足が宙を歩いた。
そして、先ほどと同じく落とし穴へとはまってしまった。
「………」
今度も同じ水の落とし穴。……体が重い。
落とし穴から抜け出し、今度は〇と書いてあるほうへ進み、落とし穴を飛び越え先に進む。
次も同じく2択の分かれ道。今度は右側の通路を先に進んだ。
奥は先ほどとは打って変わり、何も書かれていない。さらに道はここで行き止まり。こちらはハズレだったのだろうか。
俺は引き返して左側へ進む。しかし、左側も同じく何も書かれておらず、行き止まりだった。
壁を調べてみるが、特に何があるわけでもなく、反対側も調べてみたが、同じく何もない。
完全に行き詰った。昔遊んだゲームでもこんなことがあったとか思い出しながら、次の手を考える。
とりあえず分かれ道の前まで戻り、考えるが、さすがにいい案が思いつかない。
はあ、とため息を吐いて、分かれ道の中央の壁へ背を預けると―
そのままの勢いで視点が青い空へ向けられた。……うん?
起き上がって見てみると、背もたれにした壁が倒れ、先には道があった。
「わかるかよ……」
流石に言葉が漏れ出した。
少しだけ呆れながらも先へと進むと、今度は4方向に分かれた道。
そろそろ一発で通り抜けたいところではあるが、何かヒントがあるわけでもないし―
足元を見ると、地面に埋め込まれた板に、雑な字で何かが書かれている。
【足元に気を付けて】
……最初から書いておいてくれ。
俺はまず左の道を進んだ。
左の道は随分と葉っぱが多い道で、足元に何か隠してあるんじゃないかと疑い、慎重に進む。
一番奥へと辿り着くと、壁があった。どうやらここで行き止まりみたいだ。
戻ろうと振り返り、一歩踏み出した瞬間、空を覆う何か。しかも俺の上だけ―
見上げる前にその何かが頭に直撃。
カーンと高い音を上げながら、何かは俺の頭から落ちた。
その痛みから俺は頭を押さえながら地面にしゃがみこんだ。
片目を開き何があったのかを確認すると、地面には金ダライが転がっている。
仕掛けられたタライに気づかずに戻ったために、テレビでしか見る事のないタライ脳天直撃を受けてしまった。
それよりも―
「ってぇ………」
普通に痛い。
この迷路を進んでいて思ったことがある。
これは、大人じゃ考えつかないような発想の罠が多い。なんというか、子供が作りそうな仕掛けばかりなのだ。
発想の良さや、それを実行に移す行動力は子供でしか可能ではないだろう。
それから、俺は金ダライ2つ、落とし穴1つにはまりながらもなんとか奥へ進んだ。リナから引っぱたかれても仕方がないくらい服が汚れたのは言うまでもない。
しばらく通路が続いて、大きなスクラップ場へと辿り着く。どうやらここがこの迷路のゴールのようだ。
「………」
大量のスクラップの山が形成されている中、その中心の山には人が住んでいる形跡が見て取れた。
外はもう夕暮れで、スクラップ場に夕日が差し込んでいる。
「おい」
ひょっこりと山の頂上から姿を現す少年。遠目からだが、さっき逃げていた少年だろう。
「お前、どこから来たんだ」
俺は彼に警戒されないように両手を上げながら返す。
「迷路を通って来たんだ。君に会いたくてね」
すると少年はこちらへと滑り降りてきて、俺の前に立った。
「何の用だ」
「いいや、少し話がしたかっただけなんだ。信じてくれ」
不穏な雰囲気が支配していたが、少し考えた後少年は
「何の話?金?」
そっぽを向きながら言った。
俺は首を横に振り、言葉を返す。
「違う。どうして盗みなんかをした?」
「そうじゃないと生きていけないからだ」
もっともな回答だ。確かに、生活が苦しくないなら盗みなんてしないだろう。
「ここにいるのは君だけかい?」
「それ聞いて何かある?」
「あ、いや聞いてみただけだよ」
少年は怪訝そうな顔をした後
「話はそれだけ?」
「あ、いや……もう少し話をしたい」
「……」
彼は実に面倒くさそうに俺を見た後、溜息を吐いて頷いた。
「家族は…いるのかい?」
「いるよ」
「そっか」
最初はそんな短い会話ばかりだったが、時間が経つにつれ、彼は少しずつ口を開き始めた。
「君は、一番上のお兄さんなんだな」
「そうさ、皆を養うには、俺がしっかりしないといけないから。けれど、スラム育ちなんかが働ける場所なんかなくてさ」
「だから盗んだりしてたのか」
「…そうしなきゃ、俺たちは明日も生きていけない。将来なんか二の次さ」
俺たちはボロボロの椅子に腰かけながら話をした。ここでの生活や、将来の夢、子供の話をしっかりと聞くいい機会だった。
こんなにも頑張っている子供がいて、それを見て見ぬ振りなんて俺にはできない。
俺は、少年にこんな提案をしてみる。
「なあ、君がもしよければ、皆を連れて孤児院に来ないか?」
「え……」
「寝る場所も、遊ぶ場所も、食事もある。どうだろう?」
少年は俺を怪しむような目で見て
「なんで」
一言だけ返した。…切り出し方が悪かったかな。
「なんで……か。昔の自分を見ているような気がしたのさ」
「……昔の?」
「ああ」
頷いた後、言葉を続ける。
「戦争で親を亡くした俺も、形は違えど君と同じように家族と必死に頑張ってきたんだ」
「だから、なんか、思い出しちゃってね」
「へえ……。俺には分からないけど……」
俺は小さく笑った後
「いつか、君が俺みたいに言う日が来るかもしれないね」
「いつかって……俺は今が大変なのに」
「そうだね。だから、君たちを支えてあげたいだけだよ」
「……そこまでする必要があるの?」
俺は頷いた後、彼に微笑みながら言った。
「ああ。…一人は、寂しいだろ?」
「……」
昔、ヘンリーさんに言われたその言葉を聞いた時の顔は、きっと今の彼のような顔をしていたのだろう。分かるような、分からないような、そんな顔。
「変な人だな」
「……よく言われるよ。でも、世の中もっと変な人がいるのさ」
「へえ」
「君が知らない事も沢山ある。それを、俺が教えてあげるから」
「…」
俺は少年を抱きしめ、頭を撫でた。
「な、なんだよ!?」
「……よく頑張ったな。一人でずーっと戦ったな。偉いぞ」
この子はたった一人で戦ってきた。俺には支えてくれる仲間がいた。けれど、この子にはいなかった。
だから、きっと苦しい時もあったはずなのに、それでも生きようと頑張った。そう思うと、勝手に体が動いていた。
「……暖かい」
少年は小さく呟いた。
「暖かいな。これが人の温もりだよ。君が感じていい感情だ」
「………」
すると、少年も俺の背に手をまわし、抱きしめてくる。
「……どうした?」
「…アンタも……頑張ったな」
「え……」
思わず返答に困った。どう返していいのか分からない。
「アンタも……一人で戦ったんだろ。だから、悲しそうに見えるんだ。癒してもらっていても、消えないような、そんな傷が」
「……どう、だろうな」
「俺にはアンタが悲しんでいるように見えた。…何があったかは知らないけど、頑張ったと思うよ」
俺はまだ……悩んでいたのか。……でも、もう大丈夫な気がする。この少年の言葉で、やっと救われた気がするんだ。
「……ありがとう」
「これが、人の温もりなんだろ。……俺……アンタの孤児院に行きたい。この感情を……色んな事を知れる気がするから」
「…ああ。帰ろう、家に」
家路につく頃には既に夜を迎えていた。あれだけ賑わっていた街も、今では穏やかな雰囲気に変わり、天に昇る月はそんな景色を見守ってくれている。
こうやって手を取り合って生きていくことだけで人間は十分なんだろう。
俺も、やっと前を向いて歩いていける。
子供からも学ぶことが沢山あるなんて思いもよらなかった。
大人になってからわかる気持ちって奴なのかもしれない。
そして、明日も日は昇っていく。
55 完