永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
翌日の昼休み、大学の掲示板に、「次の者は4コマ目に事務室に来てください」と、ご丁寧に俺の学籍番号が掲載されていた。
今日はサークルが休みで、講義も4コマ目がちょうど空きコマなので、おそらく余呉さんの呼び出しだろうということがすぐに分かった。
ちょうどいい機会だと思い、俺は早速事務室に入ることにした。
「こんにちは塩津さん」
中に入ると、既に余呉さんが座っていて、ご丁寧に挨拶をしてくれた。
「あ、えっと、お久しぶりです」
最後に余呉さんと会ったのが、昔のことに感じられる。
といっても、数日会ってないだけで、大昔に感じてしまうのはここ数日色々と「濃い」からだろう。
「大学の方にいくらか事情は聞きました。サッカーサークルはどうですか?」
余呉さんは、最近の俺のことから聞き始めた。
「えっと、その──」
どこから話すべきか、俺は迷う。
「躊躇しなくていいわ。私はあなたの担当カウンセラーよ。もちろん、返答次第では厳しい言葉もあるわ」
「は、はい……」
ともあれ、沈黙していても始まらない。
そう思い、俺は昨日起きたことを全て話した。
ついでに、家族とのことも、ただ、話を聞く余呉さんの表情は険しいものだった。
「塩津さん、結論から言いますね」
「はい」
余呉さんの表情は、幼い顔からは想像がつかないほどに険しい。
「あなたの置かれている状況は、悪化してます」
「な!?」
ど真ん中直球を、放ってきた。
無論、予想はついていたが。
「本来なら、あなたはサークルの人に、『女性として扱ってほしい』というべきです。それに、服装も、できればスカートを穿きなさいとまでは言わないけど、せめてサイズの合った服を身に付けてください」
無理やりサイズ合わせしているのも、すぐに見抜かれてしまった。
しかも、スカートに付いて言及してきた。
男に生まれたからには必ず興味があると言ってもいい「スカートの穿き心地」、余呉さんはそれに巧妙に訴えてくる。
「うぐっ」
「もしかしたら、ホルモン注射や整形手術を模索しているかもしれませんが、それはTS病患者にとって重大なタブーなのよ」
余呉さんは、容赦がない。
俺が思っていた希望的な事案を、「重大なタブー」とまで言って切り捨てた。
1つ1つ、外堀を埋めてくるのが余呉さんのやり方だった。
「いい? 塩津さん、あなたもTS病になったから、理屈ではわかっているはずよ。女の子になっちゃった以上、今後は女の子らしく、おしゃれしてかわいく振る舞うべきだって」
「っ……!!」
図星だった。
ここ数日間だけでも、どうして男は男らしく、女は女らしくという考えができたのか痛いほど分かった。
だから、余呉さんの言っていることは非の打ち所がないほどに正論で、俺には反論が思い付かなかった。
「塩津さん、女の子を拒否した患者さんは、みんな悲惨な末路を辿ってきたの。私だって、女の子になったばかりの頃は大変だったわ」
「……」
もう何も、言い返すことが出来なかった。
「サッカーのことは、もうどうしようもないわ。女子サッカーに混ざるなら、もちろんありだけど、そうなったらなったで、やっぱり女子の作法や感性を学ばないといじめられるわよ。つまり、どっちにしても性別からは逃げられないの」
余呉さんのカウンセリングは、異例だ。
逃げ道が、塞がれている。いや、逃げ道と思われている場所は全て断崖絶壁で、踏み外すと転落してしまうのだろう。
だけど、それでも、それでもこんな、こんな何もかも諦めたような考えには、賛同ができなかった。
「俺は……俺は抵抗します」
「ダメよ!」
俺の言葉は即座に、否定された。
「自殺するから? ですか?」
「そうよ。本来なら、何百年何千年と生きていけるのに、すぐに死ぬだなんて悲惨すぎるわ」
女の子として生きる道しか、彼女たちには見えないのだろう。
余呉さんからは、「男の面影」がなにも見えない。
「俺は、俺は変えて見せる」
「自分だけが例外だと、そう思って自殺した患者は、もう飽きるほど見てきたわ。塩津さん、TS病患者が5年間生存する確率って、5割を切っているのよ」
「半分が?」
もちろん、そのほぼ全員が自殺だろう。
こんな若いまま、老けないのだから。
「そう、半分以上の患者が、今のあなたみたいに振る舞って、そして自殺していったの。あなたに、ありふれた悲劇を演じてほしくないの。5年以上生存した患者さんはね、みんな紆余曲折と、色々なものを捨てながらも、現実を受け入れて女の子として生きていったのよ」
俺のような人は、ありふれているとまで言ってきた。
もう、何をどうしていいのかさえ、分からない。
「でも俺は、俺には──」
「サッカーがあるんでしょ? でもそれって、命よりも大切なことなのかしら?」
余呉さんは、今度は優しく諭すように言う。
飴と鞭が分かってしまうと、俺も途端に白けてしまう。
俺もそこまで、バカではない。でもそこまでバカだと思われてしまっていたのだ。
「俺には……俺には今まで生きてきて、築き上げてきた19年がある。それらを捨てるなんて──」
「生きてきた19年間の男の人生は決して無駄にはならないわよ」
余呉さんが、遮った風に言う。
「……何故だ?」
余呉さんは、にっこりと微笑んだ。
これだけ見れば、幼くあどけなさが色濃い美少女にしか見えない。
でも心の中で考えていることは、幼さとは正反対だ。
「男としての人生の経験が、女としての人生に活きるからよ。男の気持ちが分かれば、とてもいい恋愛を送れるし、そうでなくても19年間学んだ一般教養は役に立つわ」
「んっ……」
結局、今までの男の人生でさえ、女として、女らしく生きることを前提としたものだった。
「俺は、『男としての』19年があるんだ」
「男なら、確かに『男として』は大事よ。でも、何も知らない人があなたを見て、『男として』何て受け入れられるかしら?」
余呉さんの反論は、まるでマニュアルに書かれているかのようなものだった。
そして、余呉さんが言っていることは、やはり正論だった。
男として生きていくことはもはや不可能だということは、どうしても動かすことは出来なかった。
「それは、その時に説明すればい。現にサークルの仲間は──」
「それは特別親しいからよ。これから例えば社会人になった時に、『俺は男です。なのでトイレもお風呂も男性用使います』何て通じるかしら?」
余呉さんが、また非の打ち所がないほどに清々しい正論を述べる。
明らかに、間違っているのは俺だった。
それなのに、認めたくなかった。
「うっ、俺にだって、プライドが──」
「面子のために命を投げ捨てるの? 戦国時代じゃあるまいし」
また、まるでマニュアルで決まっているかのような即答だった。
相手は、明治以前の生まれで、しかも知り尽くしたプロ、論戦で勝てるはずもなかった。
「俺は……俺には……」
感情がどんどんと、もつれていくのを感じた。
頭の中でも、これじゃダメだと言われた気がしたが、すぐに頭の中から消えていった。
「女性としての人生は決して悲観的なことばかりじゃないわ。それに、今のあなたを見てみれば分かるわ。すっごくかわいくて美人で、きちんと女の子らしく振る舞えば、サークルのみんなにも好かれるわよ」
「うっ……!!!」
余呉さんの言葉で、手原と大谷に迫られる自分を、一瞬想像してしまった。
はっきり言って物凄く気持ち悪かった。
「俺は、同性愛の趣味なんて無い!」
思わず、反射的にそう言った。
「……性癖は人それぞれだけど、少なくとも今のあなたが男と恋愛するのは、同性愛とは言わないわよ」
余呉さんは、あくまでも俺は女だという前提を絶対に崩さない。
「だって俺は、俺は男で──」
「いいえ、あなたは女の子よ。これからはずっとずっと、もう男に戻る道はないわ。そしてこれだけは言えるわ。現実逃避を続けていると、そのうち必ず、この世からも逃避することになるってね」
余呉さんの話し方はそれまでとは変わらなかった。
とても幼く見えるけど、どこか聡明な雰囲気で、俺を必死に救おうとしている様子が見て取れた。
なのに、俺にはものすごい挑発的に聞こえた。
理性の中では、余呉さんの言っていることは全く正しくて、俺の考えは何もかも間違いで、このまま突き進めば生命の危険にもなりかねないことは分かっていた。
「う、うるさい……!」
それは、さりげなく出た言葉だった。
しかしそれと同時に、余呉さんの目が哀れみの色に染まっていた。
「……」
ついに、超えてはいけない一線を越えてしまった。
そんな感じだった。
「俺は、俺なんだ。俺は塩津悟、19歳男性なんだ!」
挑戦的に、俺はそう宣言する。
余呉さんは、何も言い返してこない。
嫌な沈黙が、続いた。
「……残念だわ。ええ、私は自分が無力だってまた思い知ったわ」
長い間の沈黙が続いた後、はじめに口を開いたのは余呉さんだった。
それはまるで、俺に向けてというより、自分に言い聞かせているような感じだった。
「どう言うことだ?」
あまりに以外な言葉に、つい聞き返した。
「あなたのような考えに陥って、不適切な方法を選び、女を捨てて、かわいらしい美少女が台無しになって、それでも男に戻れないことを知って絶望して、悲惨な死体になって、嘆き悲しんだ果てに、感情のままに私たちを無責任に糾弾する遺族……塩津家もまた、その方向に向かいつつあるということよ」
「っ……俺は……俺は……!」
「いい? これはあなたの命のためよ」
余呉さんの優しい声が響く。
命がかかっているんだから選択肢はない。
俺は、何て言い返せばいい?
命よりも意地やサッカーの方が大事かと言えばそれは明確にノーだ。
サッカーだって、死んじゃえばできねえことくらい分かる。
それでも、それでも、選択肢が一切無いということを受け入れることができなかった。
「俺は、受け入れることができねえ!」
どうしても、平行線だった。
「……ふう、困りましたわね……いいわ、ともあれ、今日はこのへんにしましょう。ですが、あなたもいつか、きちんと女性としての振る舞いを覚えてくださいね」
余呉さんは、それだけ言うと、この場から立ち去った。
余呉さんがいなくなると共に、彼女の忠告が、耳から抜けていくのを感じた。
「今更、無理だ……」
俺は空しくそう呟いた。