永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件   作:名無し野ハゲ豚

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最後のシグナル

「ふう……」

 

 目を開けて、意識が戻る。ずきずきとお腹が痛い。うー、もしかしたら痛みで目が覚めちゃったのかもしれないわ。まだ眠気がかなり残っている。

 2度寝したいあたしの意識を、また痛みが遮ってきた。

 

「ん……あっ……」

 

 そんな一進一退の攻防を続けていると、やがて意識もはっきりし、あたしの視界にはすっかり慣れ親しんだ病室の天井が入ってきた。

 病室は太陽光が降り注いでいて、今が日の出後の時刻であることを示していた。

 真っ白な病院服も、随分と着慣れたものだった。

 あたしは、いつものように洗面台で顔を洗って歯磨きをする。

 

 髪を整えてから、あたしのトレードマークになっている頭の白リボンをつける。

 この白いリボンと、優輝がいる大きなお腹が無ければ、あたしの姿格好は女の子として最初に目覚めた時と同じものになっていた。

 あの時に姿見で見たその姿と、重なって見えた。

 

 次に、冷蔵庫を開けて朝御飯を物色する。

 病院が妊婦用に作ったオリジナル弁当で、病院食より高いけど、味が美味しいのであたしはいつもこれを食べている。

 電子レンジでチンをすれば完成で、家にあった強力レンジが使えないのが不便に思った。

 

「うっ……」

 

 痛みは徐々に強く、心なしか規則的になってきている。優輝は、今にも出たくて仕方無さそうだった。

 昨日はそうした痛みが続いたために、安土先生たちも臨戦態勢だったけど、結局赤ちゃんは産まれてこなかった。

 もちろん、そうした痛みが続くということは、出産が近い証拠で、今日のあたしも、臨戦態勢ということになる。

 痛みのために、夜も眠るのは大変だけど、どうやら陣痛といえども眠気には勝てないらしいわね。

 

「はぁ……はぁ……普通のレンジでよかったわ」

 

 痛みが引いてから、電子レンジの食べ物を出す。

 人間とは贅沢なもので、あの豪邸に住むまでは、電子レンジはこれくらい時間がかかるのが普通だったのに、もう普通のレンジと強力レンジの2台体制が当たり前に染み付いてしまっていた。

 でも、今回とばかりは、その所要時間の間で、痛みを引かせることが出来たので良かったわ。

 

「ふう、いただきます」

 

 出産間際になると、胃の圧迫もなくなって、あたしは食事量はいつもの通りになった。

 出産後も、母乳を優輝にあげなければいけないので、引き続き食事制限が必要になる。

 今日は9月3日日曜日で、いわゆる予定日を1日過ぎた日だった。

 昨日は「おしるし」と呼ばれる粘膜と血液が混じった分泌液が出て、いよいよ出産になると思って、かなり緊張しながら準備した1日だったけど、実際予定日通りに出産できる妊婦は少ないとのことだった。

 そして──

 

  コンコン

 

「はい」

 

  ガララララ……

 

「優子ちゃん、来たよ」

 

 あたしがご飯を食べ終わって、痛みに耐えながらお弁当箱を洗い終わり、また痛み出したのでベッドに横になっていると、浩介くんに義両親、実両親がお見舞いに来てくれた。

 

「うん、ありがとう……いたた……」

 

 優輝が、あたしのお腹をグイグイと圧迫してくる。

 あたしも、すぐに解放させてあげたい気分もあった。

 

「優子ちゃん、大丈夫?」

 

 痛みを堪えていると、浩介くんも心配そうに声をかけてくれる。

 女の子になって、もしかしたら少し痛みに強くなったかもしれないわね。

 

「うん、さっきになってから急に痛みが出てきて」

 

 もちろん昨日も痛かったけど、今日のほうがより大きい痛みになったと思う。

 9月になったとはいえ、今日はまだ残暑も厳しく、あたしは布団をかけずにそのまま横になった。

 

「規則的かしら?」

 

「うん」

 

 次の痛みがいつ来るか、だいたい事前に予想できるようになってきたわ。

 

「それならお産も近いと思うわ」

 

「今日産まれるといいな。明日は月曜日だし」

 

 そう、明日は月曜日で、浩介くんは世界最大の時価総額を持つ「蓬莱カンパニー」の社長ということで、ただでさえ常務のあたしが長期的に抜ける状況で、そうそう会社を休むのは難しい。

 昨日産まれなかったことで、今日の出産の確率は上がっている。

 

「うん、そうね」

 

 あたしは、痛みが引いたので、そのまま安静になる。

 妊娠中の運動は、もう完全になくなり、こうして安静にして一日を過ごすおとが多い。

 

「優子も、色々あったわよね」

 

「だなあ」

 

 母さんと父さんが、感慨深く話す。

 視線の先には小谷学園の制服と、ノーベル賞のメダルがあった。

 女の子になって最大のイベントは色々あれども、ノーベル賞を取ったのがやはり大きなきっかけだと思う。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 また、少しだけ気分が悪いわ。

 昨日は、優輝の頭が、下腹部を圧迫しているためか、トイレも近くなった。

 体が思うように動かず、漏らしそうになったこともあったので、トイレは早め早めを心がけてきた。

 

「優子ちゃん、辛そうだな」

 

 あたしの様子を見て、浩介くんが心配そうに話しかけてくる。

 

「あなた、あのね」

 

 あたしは、勇気を出してまだ言うに言えないことを言うことにした。

 昨日言えずじまいだったことを。

 

「ん?」

 

「あたしが優輝を産むところ、見られたくないの」

 

「えっ!? どうして?」

 

 あたしが、立ち会って欲しくないと言うと、浩介くんがとても驚いていた。

 無理もないと思う。出産に立ち会う旦那さんは多いし、旦那さんに立ち会って欲しいというママは多いけど、どうしてもあたしは恥ずかしくて見て欲しくないという気持ちが先行してしまっていた。

 

「あたしも気持ちの整理はできてないの。ただ、浩介くんには、愛しているからこそ、特に見られたくないのよ」

 

 正直、この気持ちは言葉ではっきりと言い表せないわ。

 本当はきちんと分かりやすく説明したほうがいいんだけど、そうも行かないのよね。

 

「優子の気持ち、よく分かるわ。お母さんに生き写しよ」

 

 浩介くんが固まっていると、突然母さんから援護射撃が入った。

 

「母さん。それってもしかして?」

 

「お母さんもね。優一を産むとき、お父さんには見せたくないって。何故かは分からないんだけどね、愛していて、好きな人には、自分の出産って見られたくないのよ」

 

「あー、でも確かに、苦しい訳だし、分からなくもないな」

 

 浩介くんも、顎に手を当ててうんうんと唸る。

 どうやら、浩介くんにも思うところがあるらしい。

 

 古事記や日本書紀にある日本神話にも、似たような話があるみたいだし。

 

「そういうことよ。ふふ、浩介も成長したわね。好きで愛してるからこそ、恥ずかしいっていう女心を分かるなんて」

 

 お義母さんが、浩介くんを誉めている。

 とはいえ、あたしがそういう場面を何度も見せたからだと思うけど。

 

「で、優子ちゃん」

 

「うん」

 

 浩介くんがあたしの方に向き直る。

 

「今日の予定だけど、ずっと安静って感じ?」

 

「うんそうよ……きゃあ!」

 

 突如、下半身が急激に濡れたのを感じた。

 力も何も入れず、ただあっけない感覚だけがあった。

 

 

「うっ……冷た……な……に……え?」

 

 体を起こし、その場所を見ると、白い病院服を大量の無色透明の液体が濡らしていて、小さな小さな水溜まりさえ作られていた。

 あまりの出来事に呆然とし、何が起こったかわからない。

 

「こらっ!!! 男子禁制!!! 見ちゃダメ!!! 3人とも早く出てく!!! ほらっ!!!」

 

 母さんが、大きな声をあげ、お義母さんが浩介くんの背中を押すと、浩介くんたちがあわてて病室の外に出ていった。

 母さんが、有無も言わさずナースコールを押す。

 

「優子、いよいよ始まったわ。あなたの女性として、もっとも大事なことをこれからするのよ」

 

 ここまで言われて、ようやくあたしにも今の状況が分かった。

 これは、破水なんだって。優輝が、いよいよ意を決してあたしの外に出ていくことを決めた瞬間でもある。

 

「うん、分かってる。赤ちゃんが欲しいって思ってから、心に決めているわ」

 

「私たちもできる限りのことはするわ。でも優子ちゃん、絶対に負けないでね」

 

「うん」

 

 突然、これまでのお腹の痛みとは比較にならないような痛みが、あたしを襲って来た。

 あたしは、あの倒れた日の痛みのことを、強く思い出した。

 

 母さんが、あたしの下半身に新鮮なタオルをかけてくれる。

 

「まず、羊水か検査が来るわ」

 

「うん」

 

  タッタッタッタッ、コンコン

 

「はーい」

 

 誰かが走る音が徐々に大きくなり、止まったかと思えば、すぐに扉がノックされる音が聞こえた。

 

「失礼します」

 

 中に入ってきたのが安土先生だった。

 

「どうされまし……あら? 分かりました。今から検査の機材を持って参りますね」

 

 一瞬で、破水だと安土先生は悟っていた。

 安土先生はすぐに元来た道を引き返し、走る音が聞こえてきた。

 

「優子、これから何時間かすると陣痛が始まるわ」

 

 母さんの話は、あたしも安土先生から聞いている。

 

「ええ分かっているわ」

 

 

「おまたせしました。今からすぐに検査いたします」

 

 安土先生と、助産師の先生が駆けつけ、母さんとお義母さんが横に退いて場を譲る。

 そして、破水した場所で、安土先生が本当に羊水かどうかの検査をしてくれた。

 

「どうやら羊水で間違いないようです。破水から陣痛までは個人差がありますから。基本安静にしてください。ただし、出産に向けて先にトイレは済まされた方がいいでしょう」

 

 ここからのあたしは、安静に突入する。

 

「はい」

 

 安土先生と助産師さんに身体を担がれて、一旦分娩台の所に寝かされ、羊水で濡れたベッドの布団の交換が行われる。

 そして、病院服のズボンも交換され、あたしはそうした着替えも、助産師さんや安土先生、あるいは母さんとお義母さんからしてもらう。

 全ては、あたしと優輝のためだった。

 

「ふう……」

 

 何とかもう一度、ベッドで寝ることが出来た。

 ここから、いつとも分からない長い戦いが始まることになる。

 

「それでは、陣痛が始まったら教えてください」

 

「分かりました」

 

 母さんとお義母さんがいて、またナースステーションには常に24時間体勢で誰かが居るので、特に問題はない。

 破水から陣痛までの時間、あるいは破水と陣痛の順番は個人差があり、あんまりに陣痛が来ない場合は、細菌感染を防ぐためにも陣痛促進剤を打たれることになる。

 それから、母さんに今のうちに徹底的にトイレを済ますように、おしりとビデを使って全部出しなさいと言われたので念入りに行うことにした。

 もちろん、悪いことにならないようにするのが理想的だけど、優輝の状態にもよるから、まだ分からないのよね。

 場合によっては、食事の直後に陣痛というケースもあるもの。

 

「浩介くんたち、呼んでもいいかしら?」

 

「う、うん……」

 

 母さんは、外で待っている浩介くんを呼んでもいいかと訪ねてきたので、あたしもうんとOKする。

 そして、母さんは外に控えていた浩介くんたちを呼び戻した。

 

  ガララララ……

 

「お、優子ちゃん大丈夫か?」

 

 先頭を歩き、開口一番に口を発したのも、やっぱり浩介くんだった。

 

「う、うん。これから何時間かしたらいよいよ本陣痛だって」

 

「そうか、ついに始まるんだな」

 

 父さんが意味深そうに考え込んでいる。

 あたしが女性として、真の旅立ちの時も近いということでもある。

 

「でも、個人差があるから。もしかしたら明日にもつれ込むかもしれないわよ」

 

 そうなったら、多分陣痛促進剤を打たれると思うけど。

 

「分かってるって。今日は休日だから1日中いられるぜ」

 

「ありがとう」

 

 あたしは、天井をじーっと見つめる。

 長いようで短いようで、長い時間が始まる。

 あたしの中で不安と期待とが、激しく心の中で交錯している。

 

「ふう……ふう……」

 

 お腹の痛みは、まだ続いている。

 でも、本当に痛くなるのはこれからだという。

 

「優子ちゃん、頑張ってよ」

 

「うん」

 

 あたしは、ずっと応援されてきた。

 数時間安静にしていると、昼食が配られた。

 陣痛は相変わらず、規則的な変化を遂げていた。

 でも、優輝のことを思えば、何のことはなかった。

 破水は、優輝を包み込んでいた羊水の膜が破れたこと、お腹の中はゆりかごであると同時に、出口のない海でもある。

 そこから抜けるのも、優輝にとっては最初の自立ということなのかもしれないわね。

 

 病院からは、長期戦もあり得るため、食事も通常通り取るという。

 あたしは、ここに入院してからは主に外食や出前で済ませてきたが、今回とばかりはきちんとした病院食を食べるように言われた。

 最も、味には一応配慮するとのことだった。

 

 

  コンコン

 

 そして、病院食が到着した。これだけの期間入院しておいて、病院食を初めて食べたというのも珍しいかもしれないわね。

 ちなみに、心配性の浩介くんが食べさせようとしてくれたんだけど、さすがに恥ずかしいので拒否して自分で食べることにした。

 お義母さんが、「浩介、いくら何でも過保護すぎよ」と浩介くんをたしなめていた。

 食品の見た目を見ても、11年前の記憶と比べても、変な薄味にはなってないことが分かった。

 もしもの時に取っておいた醤油は、どうやら使う必要がないことがわかった。

 もしかしたら、あの時異常な薄味だったのも、女の子になったばかりで大事を取ったのかもしれないわね。

 

「ふう、ごちそうさまでした」

 

「お椀は俺が運んどくよ」

 

 浩介くんが優しい声で、トレイを持ってくれる。

 

「うん、ありがとうあなた」

 

 刻一刻と、その時は近付いている。

 あたしは、ふとまたノートパソコンの写真を見ることにした。

 

 そこに詰まった思い出を見ながら、優輝を待つことにした。

 

「無事に、産まれてきてね優輝」

 

 お腹を擦りながら、あたしはまた、これまでの11年間の思い出に浸ることにした。

 

「優子ちゃん、本当に色々なことがあったよな」

 

 いつの間にか、隣に浩介くんが立っていた。

 そう、この思い出は浩介くんとの思い出でもあるものね。

 

「結婚式、今ではもう、遠い昔みたいだわ」

 

「そうだなあ」

 

 壁に掲げられている、あたしが着ていた小谷学園の制服と、そしてノーベル賞のメダルに、2位と3位に浩介くんとあたしの名前が書いてある世界長者番付のコピー。

 今に思えば、小谷学園の制服は原点を、ノーベル賞のメダルと世界長者番付は1つの到達点を表していた。

 浩介くんと併せてながらも、世界一の資産か伴って、これからのあたしは、ややもすれば燃え尽き症候群になりかねなかったが、今はもう新しい目標が出来たわ。

 

「優子ちゃんはどれだけ変わっても、変わらねえんだって。俺は言いたかったんだ」

 

 浩介くんが壁を見ながら、これを掲示した意図を説明してくれる。

 

「ふふ、そうよね」

 

 このパソコンにある最初の写真、あたしが優子になってはじめての記録。

 生徒手帳にあるあたしの写真と、今のあたし、お腹が大きくなっていたりしたりはいるけど、顔は何も変わってなかった。

 

「んっ……」

 

「優子ちゃん!?」

 

 まただわ、このちょっとした痛みが、短時間ごとに30秒くらい続く。

 

「ん……大丈夫……まだ、本陣痛じゃないみたい」

 

 破水から陣痛まで、時間はかなりある。

 母さんが、少女漫画をあたしに渡してくれた。

 それは、あたしがカリキュラムの時に初めて読んだ少女漫画だった。

 

 庶民的な女の子の主人公と、主人公をいじめる許嫁の悪役のお嬢様、そしてヒーローのおぼっちゃまの短い物語だった。

 

「ふふっ」

 

 またあたしは、原点に戻る。まるでそれは、ママのゆりかごに戻るかのように、時計の針が戻っていくということでもあった。

 新しい命を産む間際の女性は、もしかしたらそう言う心境なのかもしれない。

 でも、あたしはTS病だから、11年よりも前を振り返ることが出来ない。

 それより前は、優一の人生だったから。

 幼い日々を追体験して、振り返ることが出来ないのは悲しいけど、そのことを思ったら、きっと優輝も悲しむから。

 だからあたしは、出来る限りの範囲で、原点への回帰を楽しむことにした。




いよいよ物語最終日になります。次の話で本編最終話、最後にエピローグで完結し、後は蛇足を投稿していこうと思います。

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