永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
コンコン
「はーい」
パソコンでインターネットを巡回していたら、突然扉がノックされた。
「失礼しまーす」
ガチャッ
「あ、安土先生」
入ってきたのは、安土先生だった。
どうやら、随分と時間が経っていたわね。
「えっと、篠原さん、入院生活についてですけれども。いくつか注意点を述べさせていただきますね」
「はい」
本来、まだこの時期は多くの妊婦さんは入院していない。
場合によっては、破水などによって病院に駆け混んで、その場で産む場合も多く、運が悪い人は病院で産むことができないケースもある。
もちろん、それそのものがリスクの高い行動であるため、あたしはこうして大分早い時期から入院することになっている。
「まだそこまで急ぐこともないですから、しばらく食事等も自由に取ってもらいます。もちろん、希望されれば病院食も提供いたします」
「はい」
病院食の味は、あまりにも薄すぎたのを思い出す。11年前の食事の味を覚えているというのだからよっぽどよね。
あたしにとっては、女の子になってから入院するのは11年ぶりのことだった。つまり、あの「始まりの時」以来の出来事だから分からないことや忘れていることも多い。
健康診断と病院食の印象が強いだけかもしれないけど。
しかもあの時は、朝起きて午後には退院してしまったので、1泊2日というけど意識を失ってた時間が大半なので実質は半日程度でしかない。
でも今回は、よほど早く産まれない限りはかなりの長期に渡る入院生活の予定になっている。
もちろん、浩介くんや家族の人、協会の人もお見舞いに来てくれるし、産まれそうということになれば、もちろん浩介くんたちも駆けつけてくれる。
「出産当日ですが、注意点と致しまして、まず予兆についてですが──」
安土先生の口から、出産時の兆候についての説明と、その後の出産時のリスクのお話や、また分娩台の使用などについても注意点が述べられる。
もちろん、あたしもとっくの昔に承知した内容がほとんどだったけど、中には知らなかったこともあって驚いた。
「TS病の方ということもありまして、篠原さんはとても母性の強い人です」
あたしの母性の強さは、主治医の安土先生も認めるところだった。
「ええ」
「ですから、出産後には少し神経過敏になると思いますので、どうか頭の片隅にお入れください」
あたしも、出産後にはいわゆる「ガルガル期」というのがあるのは知っていて、あたしの場合特にそれが強烈になることが予想されている。
今ではすっかり慣れちゃったばかりか、ちょっと痛すぎるという印象さえ受ける「胎動」だけど、それ以前にも赤ちゃんのことで度々泣き出すことが多くなった。
「──以上により、出産してすぐに退院できる訳ではありませんのでご了承ください」
「はい」
最後に、産後の入院生活について安土先生より注意を受ける。
出産後も母体の健康確認の他、母子同室の場合は育児もしないといけない。
安土先生から、入院中に関する説明はすべて終わった。
そして今日は病院食を希望するか聞いてきたので、あたしは遠慮することにした。
ちなみに、ここは特別室なので、自己負担で出前を頼むことができるとのことだった。
安土先生が退室すると、ちょうど時間的にも昼食の時間になっていた。
あたしは早速、昼食のために、この前永原先生と食べたお寿司屋さんに繰り出すことにした。
病院服は明日からの予定でまだ着ていないので、そのまま病室を出る。
明日以降は外食する時は着替えなきゃいけない。妊娠も末期になるとお腹が大きくなった妊婦用の服を着る必要があって、初めて見た時は「やっぱり随分とお腹大きいわね」と思った。
でもこうして着て見ると、結構ギリギリなのがわかった。特にあたしは規格外の巨乳なので、ブラジャーを探すのだけでも一苦労で、渋谷中を探しても見つからず、未だにあの区役所のデパートにあったのが謎だった。
ましてや、妊婦用の服ともなるとなおさらのことで、結局呉服メーカーに特注してもらうハメになった。
まあ、財産的には一般庶民には痛いけど、今のあたしはお世辞にも一般庶民を名乗れる身分じゃないものね。
あたしはゆっくりと元来た道を戻るように病院を出て、そのまま永原先生との記憶を頼りにお寿司屋さんへと向かった。
ガララララ
「いらっしゃい! おや、篠原さんですかな!?」
寿司屋さんの大将が、出迎えてくれる。
「ええ、あたしを覚えていたのですね」
いくら芸能人でも政治家でもないといっても、やはりこれだけ世間に注目されちゃえば、嫌でも有名税を納めなきゃいけなくなるわね。
まあ、有名税の税務署が来ても、蓬莱カンパニーの重役という立場なので、周囲は勝手に配慮してくれるけどね。
「もちろんだとも! にしても、ずいぶんとお腹が大きくなったもんだなー。こう言っちゃ何だが、もうすぐなのかい?」
今日は、まだ店内には誰もいない。
昼食の時間とは、少しずれているものね。
「はい、9月に産まれる予定です。今日からあそこの総合病院に入院するんです」
お寿司屋さんの大将さんは、とても親しみやすそうな人なのも相変わらずだった。
親しげな人なので、あたしはすぐに打ち解けてしまう。
ふふ、浩介くんがいなくてよかったわ。
「おう、そうか。で、どうする?」
「日本橋の特上セットで」
あたしは、このお店にある江戸湾セットと同額の高いメニューを注文した。
どうやら、新しく出来たメニューと言うよりは、旬に合わせて食材を変えているらしいわね。
「あいよ。昨日の夜は永原先生もこれを頼んでたぜ。夏が旬の魚を、今朝築地で取り寄せたんだぜ。ふう、景気が良すぎて怖いくらいだな」
永原先生の話をしながら、寿司屋の大将さんが、お寿司を作り始めた。
お客さんが少なくても、このお店は利益が出ている。
いやむしろ、お客さんが少ないことが売りになっているのかもしれないわね。
「あい、できたよ」
「はい」
あたしは、美味しいお寿司を食べる。
最近は妊娠した時以来の癖で、少しご飯を多めに食べる癖がついている。
もちろん、今は赤ちゃんの分も食べなきゃいけないけど、出産後には食べ過ぎに注意しないといけないわね。
後、マグロ類ってあまり良くないみたいなのでその辺も気をつけないといけない。
妊娠生活は我慢の連続だけど、少しも辛いとは思わなかった。
「はむはむ……うん、美味しいわ」
あたしは成り上がりの超富裕層だからいいけど、あんまり高級品ばかり食べさせすぎちゃうと、赤ちゃんがグルメになっちゃうかしら?
うーん、赤ちゃんの栄養はへその緒を伝っていくわけだし、そこまで考えなくてもいいかしら?
産まれた後は、もちろん食育も大事だけれども。そのあたりは安土先生と産後に相談しながら決めたいわね。
「出産、頑張ってくれよ。俺は応援しかできねえが、食べたくなったらまたいつでも来てくれ」
お寿司屋さんの大将さんは、仕事柄病院関係の人ともお付き合いがあるのかもしれないわね。
「はい」
あたしは、食べ終わるとお寿司屋さんの大将さんに現金を支払う。
お寿司屋さんを出ると、あたしはすぐに病院へ戻る。
安定期の感覚は、もう通用しない。
出産に耐え得るように少しの運動メニューは用意されているけど、それでも赤ちゃんに負担がかかるような運動は避けるように指導されている。
「ふう」
あたしは、病院に戻る前にこの辺りを散策することにした。
病院はともかく、こうした飲食店は移り変わりが激しい。
小谷学園在学中にはよく食べていて、あたしが女の子になって初めて取った外食でもあった思い出のハンバーガー店はなくなっているし、逆に今みたいなお寿司屋さんや、ステーキ屋さん、更には洋食店といった新しいお店もできている。
「今夜は何を食べようかしら?」
病院食は、なるべく使いたくない。出産当日とか、出産翌日とかは仕方無いにしても、やはりなるべく飽きないように外食や出前のローテーションを考えないといけない。
お腹いっぱい食べた後だと言うのに、もう今夜のご飯を考えているのだから、よっぽど病院食が嫌なんだなと我ながら思ってしまった。
最近は、若い時代が続く蓬莱の薬のお陰で、「健康食」という概念は衰退しつつあった。
それでも、妊娠中の母親や、蓬莱の薬を服用する前の子供にとっては、食生活に気を使わないといけないのは確かだった。
今は赤ちゃんだから大丈夫だけど、赤ちゃんとして産まれた後は、「食育」にも気を遣わないといけないのよね。
「本当に、母さんたちがいてくれてよかったわ」
これが核家族になっていたら、手探りの子育てになっていた。
そしたら、子育てについても相談する相手もおらず、失敗に気付くことさえ困難になっていた。
本当に、いいことないわよね。
あたしはそんなことを思いながら病室に戻る。
病室には、新しくパンフレットが置かれていて、病室の位置や非常口、更に出前の提携店も紹介されていた。
「あら、お寿司屋さんの出前もあるのね」
あのお店は、出前のサービスもしていた。
最も、届けるのはアルバイトの人だと思うけど。
ともあれ、あたしは食生活には支障はなさそうでよかったわ。
コンコン
「はい」
ガチャ
「篠原さん、検診のお時間です」
安土先生とは違う、別の看護婦さんが入ってきた。
おそらく助産師の人で、あたしもこれからお世話になりそうだわ。
「はい」
ともあれ、あたしはまず入院に際して身体検査と健康診断を受ける必要がある。
健康診断の中には、もちろん赤ちゃんの検査がある。
あたしは入院患者のいる棟から、検査棟に移動し、そこでいつも以上に念入りな健康診断を受けた。
内容は、あたしが女の子になったばかりの頃に受けた健康診断と同じくらいの厳重さで、会社や学校でやっているそれとは大きく違うわね。
特に、赤ちゃんに対する健康診断はエコー写真でだけではなく、今回は機材を差し入れて赤ちゃんの鮮明な写真と映像を撮るという。
「はーいこちらが赤ちゃんです。かわいいでちゅねー」
「うあっ……」
雷に打たれたような衝撃だった。
赤ちゃんは、目を閉じて眠っていた。鮮明な、カラーの写真が、あたしの中の赤ちゃんをより近しくしてくれる。
もうほとんど、産まれた赤ちゃんと変わらない状態になっている。
愛らしい顔と小さな手と足、この足が、あたしのお腹をずっと蹴ってたのね。
「うっ……」
溢れる涙を、抑えることはできなかった。
あたしのお腹の中に宿る命が、もっともっと近くなっていく。
大きくなっていくお腹と共に、この赤ちゃんも成長していく。
この鮮明な映像のお陰で、この子が男の子だということも、はっきり分かった。
男の子だって分かると、あたしの中でもっと母性が強くなる、赤ちゃんのことが、もっと知りたくなる。
もう何度目かも分からないくらい、赤ちゃんを思って涙を流す。
あまりの愛おしさに、生来泣き虫だったあたしの性分も加わって、涙がどんどん止まらなくなってしまう。
かわいくてかわいくて、泣き止むのに、とても時間がかかった。
「ふふ、赤ちゃんを見て泣いてしまう母親は多いですけど、篠原さんほどの人は初めてよ」
「あら? じゃああたしが母性優勝ね」
ちょっとだけ、誇らしくなる。
母性が強いと、女の子らしいって、そんな気がしたから。
女の子らしさを褒めてもらえて、嬉しく思うのも久しぶりの感覚だった。
始まりの場所に来たことで、あたし自身も、ある種昔に戻ったのかもしれないわね。
「ええ、ですが母性の強すぎもリスクがありますよ。赤ちゃんに依存してしまう人も多いですから」
看護婦さんが、あたしに忠告するように話す。
「そ、そう……」
あたしは少しだけ、意外だった。
今までは母性の強さを誉められてばかりだったから。
でも、少し考えれば、そうしたリスクもあることは分かる話だった。
「ええ、子離れできない親の多くが、強い母性によるものって話もあるわ」
「うん、気を付けておくわ」
あたしは、母性のリスクについても考える。
もちろん、どうしてそんな母親がいるのか理解できないけど、母性のない親は最悪だと思う。
妊娠中の経験を通じて、この世でもし「人でなし」がいるとすれば、赤ちゃんを省みない母親、母性を感じず、赤ちゃんよりも自分を優先するような母親だと思うようになった。
でも逆に、母性が強すぎるための弊害もあるとすれば、あたしは特に注意しないといけないわね。
あたしにとっては、赤ちゃんのためなら母親は無限に自己犠牲するのが当然だとさえ思ってしまうもの。
いくら何でも、それは行き過ぎなのかもしれないわね。
「では、次の検査に参りますね」
「はい分かりました」
といっても、本格的な健康診断は明日で、明日は朝ご飯抜きになる。
今日は主に赤ちゃんの健康診断で、明日が母体への健康診断という風に別れている。
赤ちゃんの方は特に何の問題もなく、「今のところは健康に生まれてくる」とのことだった。
でも、「今のところは」というのがみそで、要するにこれから先はまだ分からないことが多い。
例えば聴力であったり視力であったり、あるいは普通に生まれてきても赤ちゃんの成長や発育に問題があったりもする場合もあるし、出生時の時に何らかの事故があって障害が出たりしてしまうこともある。
あるいは一旦妊娠しても致命的な遺伝子異常ですぐに流産してしまったりして、場合によっては本人が流産に気付かない状態で、赤ちゃんが死んでしまうこともある。
これだけ聞くと、健常児として産まれるのって難しいと思っちゃうけど、一つ一つの確率が低いため、全体的にも健常児として生まれてくる可能性は高くなる。
特にあたしの場合は、実質的には10代後半としての妊娠なので、ダウン症をはじめとする障害児への妊娠リスクが30代後半の妊婦と比べて格段に低い。
実は、蓬莱の薬による不老の効果としてボディーブローのように効いてくるのが、この「実質的な10代20代での妊娠」だという。
つまり、実年齢は高齢でも、不老となったことでそうした障害児を妊娠するリスクが小さくなる。
昔は10代での妊娠出産がとても多かったが、それは生物学的な面がとても強い。
それだけ、健康な赤ちゃんを産むことは重要になってくる。
初期には、蓬莱の薬は「優生学の台頭に繋がる」と批判した人もいたが、結局結果が出てしまえば、それはそれが正しかったことにしかならないし、そもそも蓬莱の薬と優生学は何の関係もない。
「ふう」
ともあれ、あたしの赤ちゃんは、今も健康だということが分かっただけでも大きな一歩だわ。