永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件   作:名無し野ハゲ豚

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兆候

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 目が霞ながら、あたしは天井を見つめる。

 ひ孫の顔を見たい100歳を越えたおばあさんのために、あたしたちは全力を尽くしていた。

 おばあさんはさすがに老衰が激しくなってきて、数年前のような元気さもなくなっていた。

 生活も一段落していて、また家も現状広すぎるくらいに広いので、そろそろ本格的にあたしたちも考えることにした。

 

「うー」

 

 浩介くんも、理性が完全に吹き飛んでしまっている。

 あの時からそうだったけど、やっぱり理性をつなぎとめる要素がなくなると、簡単にこうなっちゃうのね。

 

「あなた、また明日ね」

 

「ああ」

 

 あたしたちは、何とかパジャマを着て、それぞれの部屋に戻った。

 とにかくよく寝て、明日以降の仕事に差し支えないようにしないといけないわね。

 

「うーん……」

 

 12月もクリスマスが終わって末の末になると、ようやくあたしたちのノーベル賞フィーバーも下火になった。

 職場での扱いも、最初こそ物凄い歓迎ムードだったけど、1週間もすれば、あたしたちがノーベル賞に決まる前と同じになった。

 これからは、年末調整にオフィスの大掃除など、様々なイベントが待っている。

 話題が収まりかけた最初こそ、相変わらず熱しやすく冷めやすい、いわば飽きっぽい大衆に辟易したけど、今思えばそれも大事なことだと思えてくる。

 

「優子ちゃん、最近気分が乗らないね」

 

 浩介くんがポロッとこぼすように言う。

 

「うん、どうもなんか違和感があるのよ」

 

 浩介くんにはまだ言っていないけど、実は1週間前に生理の予定日だったのがまだ来ていない。

 もちろん、これまでにもこうしたちょっとの生理不順はあったけど、それでも数日程度の誤差で、1週間となるとちょっと記憶にない。

 あたしの中で、何とも複雑な、言葉に言い表せない気分が沸き起こる。

 でも、今持っている感情の殆どが、「不安」に属するものだと思う。

 

「無理はするなよ。どうせいつか産休に入るんだから」

 

 浩介くんが、あたしの体調を気遣って優しくしてくれる。

 もう、夜とは大違いだわ。

 最も、そういう所が、あたしの心を捉えて離さないんだけどね。

 

「ええ」

 

 あたしも、妊娠中の過程はよく知っている。

 確か妊娠初期って、「つわり」とかがあるのよね。

 

「うー」

 

 仕事に戻る。

 あたしも蓬莱カンパニーの常務取締役という大役を担っている。

 もちろん、あたしの出産や産休に備えて、余呉さんという代役はもちろん存在している。

 また、あたしの家には幸い「祖父母」が両方ともいるので、あたしが仮にすぐに会社に戻ったとしても、もちろん「保育園」何てものは必要ない。

 というより、今でさえ部屋が余り気味なのに、保育園なんかに預けたらそれこそ究極の近所迷惑というものよね。

 蓬莱カンパニーという名前の前には、無下に落選もさせられないだろうし。

 

 もちろん、あたしたちはそんな理性の無いことはしない。

 幼稚園に入るまでは、あたしたちや両両親のもとで、すくすくと育ててあげたいわね。

 って、まず妊娠したかも分からないのに。変なあたし。

 

 

「うーん」

 

 どうにも今日は仕事が捗らないわね。

 生理中以外で、ここまで体がだるくなっちゃったのってあったかしら? とはいえ、仕事をサボるわけにもいかないしきちんとやらなきゃいけないわね。

 あたしは、自分の体をごまかしつつ、仕事を続けた。

 今は蓬莱カンパニーも落ち着いていて、全国への支店展開がどんどん進んでいる。

 スペースは大半が倉庫なので、セキュリティ系のことをしっかりすれば問題ない。

 

 あたしたちのノーベル賞効果も、そろそろ薄れてきたお陰で、マスコミ対策に経営リソースを割かなくて良くなった。

 思ったよりも他の経費が小さくて済みそうなので、蓬莱カンパニーの支店展開が思ったより早く進んでいる。

 一方で、工場での薬の生産も、予定通り順調に進んでいる。

 あたしの体調とは裏腹に、会社の経営はなおも順調だった。

 あたしたち蓬莱カンパニーの株価は現在は落ち着いていて、日経平均株価やTOPIXとよく連動している、安定性のある株として、投資家の魅力を集めている。

 

「ふう」

 

 ダメだわ、全然仕事が捗らないわね。

 あたしは、仕事を早めに切り替えて、家で安静にすることにした。

 

「お疲れさまでーす」

 

「常務、最近元気がないですよ」

 

 女性社員の一人から、心配そうな顔で声をかけられた。

 えっと確か、この人は去年の忘年会であたしからアドバイス受けた子だっけ?

 あれから彼氏できたのかしら?

 

「あーうん、少し、ね」

 

 周囲には何も言っていないけど、やっぱりこうして違和感はみんな感じているみたいね。

 

「お体、気を付けてくださいね」

 

「うん、ありがとう」

 

 ともあれ浩介くんにも、「体調が悪いので」と告げてから、今日は先に上がらせてもらうことにした。

 うー、何だか少し、吐き気もするわね。生理不順、もしかしたら生理停止かもしれないけど、それと何か関係あるのかしら?

 

 あたしは、息をやや切らせながら帰宅する。

 うー、生理でもないのに体が重いわ。

 

「ただいまー」

 

 あたしは家に帰り、自室に入る。

 もちろん、あたしにもこの軽い体調不良に思い当たる節はある。

 あたしは重いからだを引きずりながら、妊娠と出産に関する文献をインターネットで調べることにした。

 

「えっと、つわり、かしら?」

 

 今恐らく、あたしがなっているのはこれ。

 もしくは、それ以前の妊娠超初期段階で起こる体調不良だった。

 ……そうだわ。確か、母さんに妊娠検査器を貰ったんだっけ?

 

「えっと、確かこっちに」

 

 あたしは、引っ越した時の記憶を便りに、妊娠検査の機器を取り出す。

 うー、頭痛の腰痛が大分ひどくなってきたわね。

 何とか寝れば我慢できるかしら?

 

「あったわ……ふー」

 

 うー、ダメだわ。少し寝ないと。

 あたしはそう思い、ベッドの上にレディーススーツのまま横になった。

 とにかく今は、休まないと。

 

 

  ピピピピッ………ピピピピッ……ピピピピピピピピピピピ──

 

「ん……」

 

 少しだけいい気分で寝ていると、ピピピピッという小刻みな音の次に、連続的な高音が、あたしを起こしてきた。

 誰かの呼び出しかしら?

 

「うー」

 

 あたしは、ベッドの近くにあるボタンを押して音の発生源を止めると、壁のモニターにお義母さんがいた。

 うー、気分悪いわね。

 

「優子ちゃん、ご飯よ。どうしたの?」

 

 お義母さんが、かなり心配そうな表情であたしを見つめていた。

 まあ、お義母さんからだと、あたしの顔が横に見えるはずだものね。

 

「うー、気分悪いから寝てたわ」

 

 多分、顔色も良くないと思う。

 

「そう? 大丈夫?」

 

「ちょっと大丈夫じゃないかも」

 

「そう? リビングまで行けそう?」

 

「無理」

 

「じゃあ、冷蔵庫に入れておくわね。何かあったら、きちんと相談するのよ」

 

「う、うん……」

 

 そう言うと、モニター画面から映像が消えて、再び静寂が部屋を支配した。

 あたしは再びベッドに倒れ込み、睡眠を再開した。

 

 

「はぁ……はぁ…」

 

 翌朝、今年ももう後僅か数日という年末も迫る時期になって、あれから更に体調が悪化したあたしは、会社に行って仕事するどころか、ベッドからも起きられないでいた。

 そしてベッドの隣には、お義母さんと浩介くんが看病をしてくれていた。

 

「じゃあ、私はお掃除してくるわ。浩介も、社長なんだから会社に遅れちゃダメよ」

 

「分かってるって」

 

 資産家になっても、息子は息子らしく、お義母さんからは世話を焼かれる立場らしい。

 あたしは、お義母さんが持ってきてくれた野菜たっぷりの食事を食べる。

 多分、日にちからいっても、あたしはまだ妊娠初期段階、安定期にはまだほど遠い。

 

「いい? 妊娠初期は特に赤ちゃんにとっては大切な時期よ。お野菜、特にほうれん草に多く含まれる葉酸をたくさんとらなきゃダメよ」

 

 お義母さんは、もう妊娠が決まったような顔をする。

 そういえば、昨日妊娠検査をしようとしたんだっけ?

 

「うん、で、でもまだ決まった訳じゃ……」

 

 まだ、妊娠検査薬を使った訳じゃない。

 ただ、これまでにないくらいに予定日を過ぎても生理が来ていないと言うだけのこと。

 

「そうね。でも優子ちゃん、顔に出てるわよ」

 

 お義母さんが意外なことを言う。

 あたしの妊娠疑惑について思い当たる節があると言う。

 

「え!? に、妊娠が顔に出てるって──」

 

「優子ちゃん、思い詰めてたもの。落ち着いてないっていうか、それにスウェーデンから帰ってきてから、優子ちゃんよくお腹を気にしてたし」

 

 お義母さんに、あたし自身でも気付いていなかったことを指摘される。

 どうやら、あれ以来、ずっと無意識に子宮を気にしていたらしいわね。

 

  コンコン

 

「はーい」

 

 突然、ドアがノックされた。

 

  ガチャッ

 

「あれ? 母さん」

 

 扉が開けられ、中に入ってきたのは母さんだった。

 

「優子、具合大丈夫?」

 

「えっと、ちょっとだけ頭が痛くて、肩こりもいつもより激しくて、気分も悪いわ」

 

 母さんの心配そうな表情に、あたしは素直に現況を説明することにした。

 今は吐き気も、ほんの少しだけある。

 

「そう……ねえ優子、会社、しばらく休んだ方がいいわ」

 

 母さんも、やっぱり考えていることは同じみたいだわ。

 

「うん、でもまだ決まった訳じゃないから」

 

「そうね。今日は体調不良でいいけど、きちんと妊娠検査薬で調べるのよ。恐らく来年になったら、妊娠初期の症状がもっと強まるわ」

 

 母さんもまた、あたしが妊娠をしているという前提で話す。

 どちらにしても、あたし自身も、浩介くんとの赤ちゃんが欲しかったのは事実だった。

 ここ数週間の夫婦生活をあたしは思い出した。

 

 浩介くんは、今までの責任感の強さも、あたしを思いやる優しさも、あの時は全て吹き飛んでいた。

 今までも浩介くんは時折そうした顔を見せていたことはあったけど、あの日あたしが「赤ちゃんが欲しい」と告げてから、露骨になっていた。

 ひたすらに、あたしを征服すると言う願望、性欲というものの最も本能的な部分が、むき出しになっていた。

 あたしもあたしで、浩介くんにレイプされたいと思ったことは何度もあった。

 でも、ここ数日の行動は、そうした今までの「お遊び」とは一線を画したものだった。

 多分、あたしは浩介くんにレイプされて、赤ちゃんを妊娠させられたんだと思う。

 もちろん世間一般の人は「そんなわけない」と言うと思う。でもそう、これは気持ちの持ちようだから。

 

「優子、ともあれ私たちも赤ちゃんを産んだことがあるから、もっと頼っていいのよ」

 

 そう、あたしと浩介くんの産みの親、だものね。

 本当、親と一緒に住んでいればこうして頼れることが出来るもの。

 一人暮らしで生活費を詰めている人からすれば、あたしは恵まれに過ぎているわね。

 ……まあ、世界一の金持ち一家だし、それくらいなきゃ逆に夢も希望もないって世間から言われそうだけど。

 

「うん、ありがとう……」

 

「ふふ、孫が楽しみだわ。男の子かしら? 女の子かしら?」

 

 お義母さんが微笑みを浮かべながら話す。

 

「そうねえ、優子は何となく男の子を産みそうだわ」

 

 気の早いママ世代に、あたしは苦笑いを浮かべる。

 ともあれ、少しずつ体調を良くしていかないといけないわね。

 

 しばらく休むと体調がよくなった。

 つわりの吐き気などは、もう少し経ってから起きることらしい。

 ともあれ、この時間ならラッシュも終わっているので、あたしはベッドから立ち上がり、会社に行くことにした。

 

「優子、大丈夫?」

 

 あたしが立ち上がったのを見て、母さんが心配そうに声をかけてきた。

 

「うん、もし妊娠してて産休に入るなら少しでもお仕事を片付けないと」

 

 ひとまず、もしあたしが妊娠しているとすれば、今はいわゆる「妊娠超初期」から「妊娠初期」と呼ばれる段階に来ているらしい。

 症状がないママもいるらしいけど、あたしみたく女性ホルモンが大量に出たのに伴って頭痛や腰痛、肩こりや気分の悪化といった症状を訴える人もいる。

 

「でも優子、来年以降の妊娠初期は特に無理をしないように気を付けてね。今とは比べ物にならないくらい辛い時間が来るわよ」

 

「ええ、分かってるわ」

 

 もちろん、つわりに対する恐怖感はある。

 でも、何故かあたしは少しだけワクワクもしていた。

 自分の中で、新しい命が作られているんだと思うと、これまで以上に嬉しい気持ちにもなれた。

 空いた電車で通勤中に、あたしは以前の永原先生の言葉を思い出す。

 10年前の夏、永原先生は「妊娠と出産を経験したTS病患者の母性本能は、とても強い」と言っていた。

 あたしには、まだよく分からないけど、今後どうなっていくかは知っておいた方が良さそうね。

 

  コンコン

 

「あなたー、書類持ってきたわよ」

 

「あれ? 優子ちゃん、体大丈夫なの?」

 

 社長室に入って、書類を浩介くんに提出する。

 浩介くんは、あたしを心配そうに見つめている。

 まあ、無理もないわよね。

 でも、顔色はよくなっているはずだけど。

 

「うん、今は年末だし、もし本当なら来年から本格的にきつくなってくるから、今のうちにっていう感じ」

 

「そうか、無理するなよ。風邪とかも流行ってるからな」

 

 浩介くんが、心配そうに言う。

 ノーベル賞を取っても、体調管理ができない人はいるものね。

 

「大丈夫よ。分かってるわ」

 

 あたしは、体のだるさを感じることはあったけど、何とか仕事を続けられた。

 浩介くんも、社長の仕事は忙しい。

 少しでも、あたしも助けないといけない。そのためには、今のうちにやれるだけのことをやってから余呉さんに引き継いで、産休に入らないと。

 そのためにも、今のうちにできる仕事をなるべく多くこなす必要があった。

 

「えっと、これよね」

 

 業務がキリの良いところで一段落し、あたしは鞄の中に隠してあった妊娠検査器を、服のポケットにし舞い込む。

 女子トイレは空いていたのであたしは悠々と個室の中に入る。

 えっと、これに尿を当てればいいのね。

 

 あたしは、いつもと違う体制なのを考慮して、スカートと下着を脱ぐ形でトイレに腰かけて、検査器を取り出す。

 

「ふう……」

 

 あたしは、一通り終わった後に、検査器を見てみた。

 

「あ……」

 

 検査器は、陽性だった。

 

「んっ……」

 

 それを見た瞬間に、あたしの目が急激に熱くなり、止めどなく涙が流れてきた。

 

「うっ……ひぐっ……ふええ……」

 

 今までにない嬉し涙で、トイレから出ることができない

 愛する浩介くんとの間の我が子が、あたしの体の中で、あたしが新しい命を育てているんだって。

 そんな思いが続いていた。

 あたしの中でも、どこか「本当に女の子としてふさわしいんだろうか?」っていう不安があったのかもしれない。

 ノーベル賞の時にも、無理解な海外メディアが、TS病のあたしを「本当に女性と断言していいのか? トランスジェンダー、あるいはそれとも違う第3の性として扱うべきだ」と書いたこともあった。

 この検査器の結果は、あたしにとってみれば、そうした声を完全に否定してくれるものでもあった。

 今になって、またあたしの中で「女性」という自覚が芽生えた瞬間でもあった。

 あたしの中で「男性」が完全に消えたのは、浩介くんとの結婚式の夜でのことだったけど、あたしの中で「中性」が完全に消え、ほぼ全て「女性」に染まったのは、多分この瞬間だと思う。

 

 体調は安定していたのに、午後の方が仕事に集中できなかった。幸い、みんなあたしが本調子でないことは知っていたため、誰も何も言わなかった。


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