永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
ゴールデンウィークの束の間の休息も終わり、特に大きな新しいニュースもなく、世間もいわゆる「なぎ」の状態に入ったので、いよいよデザイン検討も終了したマーケティング部の広告が世に送り出されることになった。
その広告を見て、人々は、いよいよ蓬莱の薬が販売されることになることを知ることになる。
ネット予約も始まるわけで、そうしたシステムを構築するチームの人達も、大忙しになってきた。
当初の値段はとても高いが、借金してでも買う人も多いだろうというのが予想だった。
当初は3億円で段階的に2000万円まで下がると言っても、やはりその間に事故に巻き込まれたり不治の病になったりしないかという不安がある。
そう言う層が無理に借金するのではないかという不安はあるけれども、それは顧客の自己責任であたしたちの知ったことではない。
さて、比良さんが広告を世間に出した後の反応は、おそらく「いよいよか」と言った所になると思う。
「さて、後は天命に任せるわね」
そう最後に言い残した比良さんの言葉が、あたしの中ではとても印象的だった。
さて、そんなあたしたちの中で最後に残った懸念点は、3億円という販売価格を「どうせ既成事実にする」という空気を作り出そうとする人々だろう。
要するに、何かと理由をつけて値段を据え置きにしたまま、結局は富裕層しか買えないものになるのではないのかという懸念の声だった。
これについては払拭が難しいし、蓬莱教授の宣伝部の方で無理に世論操作をしようとするとかえって懸念が増大する恐れもあるので、放置することにした。
こうしたネガティブ意見は、消極的賛成派や、声の大きい残りの3%の人がよく唱えているとあたしたちは考えている。
この期に及んでこうした考えを持つ人は、仮にそれを否定したとしても別のことをこじつけて何が何でもネガティブ意見に持っていこうとする強力バイアス者なので、直接見つけ出して洗脳させる以外の方法では改善が難しいことが理由の1点目。
そして2点目としては、値下げは記者会見でも話したように決定事項でもあるので、実際に値段を下げてしまえばこんな空気はすぐに吹き飛ぶと読んでいる。
それに、実は今の段階でも蓬莱の薬の原価は1本10万円もしない。
1人5本で50万円以下ということを考えれば、実は1000年分割払いの2400万円相当だってかなりのボッタクリだったりする。
なので、蓬莱教授やあたしを含めて取締役たちの気が変わりさえしなければ問題ないし、蓬莱教授の心変わりがまず考えられない以上、あたしたちの中では既に値下げをする前提で動いている。
まあ、それを知っているのは会長の蓬莱教授、社長の浩介くん、専務の比良さん、常務のあたし、取締役の余呉さんと和邇先輩、そして相談役の永原先生だけで、他の従業員たちには原価を知られないように厳重な機密情報を敷いているけれどね。
最も、今の原価は安めだけど、これから機密保持や流通面などでも巨額のコストをかけるため、最終的には原価はもっと上がることにはなるだろうとは予想されてはいるけど、それでも暴利と言えば暴利には違いないのは確かだった。
とはいえ、どちらにしてもあたしたちが莫大な利益を得るのは、その資金源で反対する勢力を抑える必要性もあるから。
広告には、老いによる様々な恐怖が止まることをアピールしている。
今の日本は、あたしが物心付く前から少子高齢化社会が大きな問題になっているが、TS病の人がそうであるように、蓬莱の薬を飲んだ人間なら何歳になっても生産年齢人口でいられることになる。あたしが女の子になったばかりの頃は「人生100年時代」何て言われていたけど、もはやそんな言葉でさえ、陳腐になっていた。
……といっても、永原先生の場合、江戸城ではほとんど悠々自適の生活だったらしいから、人生の半分近くは無産だったのかもしれないけど。
いやまあ、ご意見番として江戸城で色々働いていたから、そういうわけではないかな?
「広告についてはインターネットで宣伝します。更なる予算があればテレビCMを打つことも可能ですが」
初めて広告をインターネットの自社ホームページで公開し、今日は会議室で取締役全員と相談役の永原先生を集めて今後について協議している。
比良さんは、更なる周知活動のため、テレビCMを計画しているらしいわね。
「あたしはコストパフォーマンスが悪いと思うわ。この2020年台も後半になった時代にインターネットをしないレベルの高齢者は、もはや手遅れの年齢でしょう」
あたしは、テレビCMはコストパフォーマンスが悪いとして反対した。
その理由として、テレビ自体が、あたしが物心ついた頃から影響力を著しく落としていること。
更に言えば、まだ正式発売はしていないのに、既に蓬莱カンパニーの知名度と影響力は絶大で、あたしたちがCMを打つまでもなく、マスコミやテレビ番組が勝手にニュースにしてくれるという可能性が大きく、改めてテレビで周知する理由も薄かったことを理由に上げた。
「……そうですか、社長はどう思われます?」
「うーむ、俺も優子ちゃん……常務に賛成だな。今はまだ、会長の資金力を食いつないでいるに過ぎない。確かにこれまでの寄付金で蓬莱会長の資産は膨大とは言え、会社経営ともなれば個人の資金では限界があるからな」
「うむ、まだ余裕はあるとは言え、そう湯水の如く使うわけにもいかん。俺には研究だってあるわけだからな」
蓬莱教授は、今後は蓬莱の薬でも治らない不治の病や、大きな怪我をした時に早く直せるような治療法などを研究していきたいと言っていた。
蓬莱カンパニーについては、自身の名を冠し、会長には就任したものの、今のような黎明期を除いて、経営面の口出しはしない予定になっている。
今はそう、蓬莱教授の資金に頼り切りだものね。
もちろん、ある程度金融機関から借り受けも出来るし、無借金経営なんて逆に難しいのは分かっているけど、蓬莱教授としても余剰の資金が削れていくのは心臓に悪いと思うし。
「分かりました、ではテレビCMは使わない方向で行きましょう」
もちろん、テレビ局のスポンサーになるというのも、その会社に対して影響力を保つ意味では重要になる。
だけど、それはあくまで何もカードがない組織だからこそスポンサーになるわけで、あたしたちの場合「蓬莱の薬」という強力なカードがある。
そう言う意味でも、やはり今更スポンサーに頼るという意味は薄いのが実態だった。
「広告なんですが、私達も出るということでいいですか?」
「ええ、中高年向けだけではなく、若い女性、特に独身女性にも顧客を増やしたいですからね」
比良さんと余呉さんは、出る気満々らしいわね。
もう何年も前だけど、海に行った時にも比良さんと余呉さんは写真撮影会してたっけ?
……懐かしいわ、浩介くんとは結婚していたのに、もう7年も前になるのよね。
「行き遅れることはない。これだけでも、余裕は持てるでしょうね」
余呉さんの言葉に、女性陣が全員うんうんと頷く。
独身女性は結婚を焦っている人も多い。
今のままでは年齢と共にどんどんと競争力が落ちてしまうが、蓬莱の薬があれば、TS病患者と同じように、年齢という概念を超越できる。
例えば、人類最高齢の永原先生は独身だし、恋愛については本人にもトラウマがあるので難しいけれど、その気になれば相手に困るなんてことは絶対にない。
比良さんには子孫がいるけど、それでもあれだけの美人なら結婚したいなんて思う男性はいくらでもいるだろうし、いわんやTS病患者ならみんな同じだと思う。
そうでなくても、蓬莱の薬で不老になれば、これまでよりも遥かに腰を落ち着かせ、ゆっくりと結婚相手を探すことだって可能になる。
蓬莱の薬は、女性の心にゆとりをもたせることが可能だと宣伝することで、かなり優位に立てる。
蓬莱の薬に対する反対運動がまだ根強かった頃に、「蓬莱の薬を飲めば100歳でも婚活できる」というこちらの発言が、相手に打撃を与える決定打になったこともあったし、今こそこれを使わない手はないわね。
「そうだよなー、若くありたいというのは人間の本能だし、特に女性なんてそういうものだろう?」
「あーうん、私たち、若いままだからそのへんはよく分からないわ」
浩介くんの言葉に、永原先生はあっけないような口調で言う。
そう、あたしたちはTS病で、他の女性と何も変わらないけど、そうは言っても元々男性だった人が後天的に女性になった故の違い、そして不老のために若いままの容姿を保ったままという特徴故に、完全に生まれつきの女の子と同じ感性を持つことは出来ない。
それがいい方向にも、悪い方向にもなる。
例えば――
「うーん、優子ちゃんだって、不老だけど若く見せようとしてるけどなあー」
そう、浩介くんにこんなことを言われてしまう。
「あの、あなた。それはちょっと違ってて――」
あたしが幼く振る舞いたがり、小さな女の子向けのおもちゃや遊びが好きなのは、いわゆる年齢の行った女性の若作りとは全く性質が異なること。
あたしの場合は、他の女の子たちが持っている当たり前を持てなかったから。
結局女の子になって9年の月日が経っても小学校低学年向けのものから逃れることはできなかった。
不老でも人間の精神は成長するが、正気のまま幼児退行するのは難しいというわけよね。
「分かってるよ、でも、俺には優子ちゃんが持ってる女性としての本能も関係していると思っているんだ」
でもそうは言っても、「若く見せたくある」という浩介くんの指摘も、全く間違ったものではなかった。
実際あたしだって女の子になってこれだけの月日が流れて思う。
もしかしたら、あたしが幼いものに目がないのも、単にコンプレックスの解消というだけではないのかもしれないわね。
「まあどちらにしても、むしろ男性よりも女性の方が潜在的な需要は遥かに高いでしょうね」
永原先生が話を戻す。
それについては、あたしたちにも異論がない。
男性ならば、少し老けてても大丈夫なこともある。
極端な例だと60代70代の大富豪が20代の若い女性を連れていたりもする。
でも女性の場合、出産の年齢が男性よりも許容範囲が狭い。
高齢出産と言えば、リスクの高い行いでもあるし、染色体異常の確率も高い。
TS病の女の子の場合、ずっと若いままなので、常に10代の容姿と、そして10代の出産力を持ったままになっている。
「そうですね、何歳でも赤ちゃんを産めますという広告も、効果的でしょう」
余呉さんは分からないけど、彼女を除けばこの中では唯一出産の経験がある比良さんが重い言葉を言う。
そう、何歳でも産めるというのもまた大きい。
あたしがそうであるように、女の子は本能的に赤ちゃんを産みたくなることが何度もある。
今もそう、本当は浩介くんの赤ちゃんが欲しくてたまらない。
多分その願いが叶う日はそう遠くないと思う。
だけど、当然今のままではTS病の女の子でもない限り、赤ちゃんを産む年齢にはどうしても限界があるし、子供を産めないとは言わずとも、「産みにくい身体」というのもあって、その場合でも焦りというものを女性は覚える。
「ええ、賛成だわ」
あたしも自然に笑みがこぼれながら言う。
男性陣が少し議論から置いてかれているけど、話の流れ上仕方ないわね。
コンコン
話の最中、扉がノックされた。
どうやら、反応の暫定的なまとめが来たわね。
「失礼します」
「どうぞ」
マーケティング部の部長さんが入ってくる。
フリーランス経験も長く、様々な企業を渡り歩いてきたベテランの人だけど、取締役が集まった会議の中に入るということで、さすがに緊張の色が見えるわね。
「えっと、広告に対するインターネット上の反応をまとめておきました。何かこちらでしておくべきことありますか?」
部長さんが、机の席、浩介くんの席の前にプリントを置いてくれる。
ふう、貴重な情報源になるわね。
「ああ、女性、特に若い女性に向けた広告を作ってください。女性社員を使うといいだろう。こちらの方では、何歳でも婚活できるとか、何歳でも出産できるということを全面に押し出すべきではないかと、女性の役員の方から意見が出ていますので参考にしてください」
「……分かりました社長」
浩介くんよりも1周りどころか2周り近く年上に見える部長さんだけど、浩介くん自身が歩留まり改善の立役者とあってか、「年上の部下」になっていても、あまり気にしてない様子だわ。
……最も、あたしのほうが生まれるのが少し早いから、実は取締役で一番年下なの浩介くんなんだけどね。
部長さんが出ていき、あたしたちは早速プリントを回し読みすることにした。
そこには、やはりあたしたちが事前に予想した通り、「いよいよ来たか」とか「これで日本は良くなる」とか「待った甲斐があった」といったものだった。
「うん、概ね良好ね」
将来を楽観視する声も多く、「値下げと分割払いで俺達の手にすぐ届くんだろう?」とか「今買うのはアホ」と言った声もある。
……正直それにはあたしたちも同意せざるを得ないのが痛いわね。
「とは言え、やはり悲観論も根強いな」
一方で、やはりというかなんというか、何が何でも「どうせ一部しか恩恵を受けられない」という声が多い。
今になって思うのは、こうした声を発しているのは貧困層や中間層でも、あるいは富裕層の手前の中途半端に豊かな層でもなく、当の富裕層なのではないかとさえ思えてくる。
もちろん、富裕層から見ても庶民にまで万遍無く蓬莱の薬が広まったほうが特をする訳だけど、どうしても「優越感に浸りたい」という感情は捨てられないらしい。
むしろ「一部だけの不老」はかえって海外の反対派を勢い付かせかねないから、こちらとしてもそんな状況は阻止しないといけないのよね。
「悲観論については捨て置け。あら捜しして強引に悲観論呟いて悦に浸っているような人間のクズどもだ」
「俺も、会長に賛成です。完璧なことは重要ですが、これを治そうとするとかえってヒビが入りかねません」
蓬莱教授が吐き捨てるように言うと、和邇先輩がすぐさま同調した。
もちろん、こうした悲観論がでないくらい完璧にしたいのは山々だけど、お金を集めなければ規模の拡大ができないし、こうした数少ない傷を塞ごうとすれば、間違いなく別の場所に傷が入るというのも事実だった。
「私も、蓬莱先生に賛成です。私達があれ程の強力な権威を振りかざして潰したはずのフェミニズムが未だにゾンビのように現れるように、どうしても潰せない愚かな思想というものはあるのです……共産主義がそうであるように、あるいはカルト宗教がそうであるように」
相談役の永原先生も同調した。
永原先生の今の言葉は何気に重いわね。
永原先生も普段は小柄な女の子という感じだけど、こうした時折自らの人生を背景とした発言をすることがある。
そうした言葉は、いつだってあたしたちの糧になってきた。
「永原先生の言葉、深いな」
蓬莱教授が、永原先生の言葉を「深い」という。
誰よりも研究者として深淵を覗いてきたであろう蓬莱教授がそのように言うことで、永原先生の言葉を深く、そして重くしていく。
やっぱり、この2人が組んだらとんでもないことになるわね。
結局、あたしたちは今後蓬莱カンパニーに対する悲観意見は、よほどのことがない限りはインターネットで各自個人で工作するにとどめ、組織としてはなるべく無視するということに決まった。
全てが終わったらもう一度比良さんがマーケティング部の部長さんと話し、今後の方針を連絡するという。
あたしたちも、会議が長引いていて、いい加減もう遅い時間なので、そのまま家に帰宅することになった。