永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
「優子ちゃん、いよいよ今日だよね」
「ああ、そうよね」
今日は永原先生が鑑定番組に出る。
しかも、あまりにも宝物が多かったためか、3時間スペシャルを全て割くという。
インターネットでも大変な噂になっていて、どんな宝物が出てくるか皆ワクワクしているわね。
「何が出てくるのかな?」
「吉良の着物と、一代記は出て来るとして」
多分だけど、「歴史学者が喉から手が出るほど欲しい」というのは永原先生の江戸城での日記かな?
「まあ、何が出てくるかはお楽しみだぜ」
「ともあれ、後5分ね」
あたしはテレビを付けて、浩介くんたちと一家総出で見る。
「さて、本日は3時間スペシャルなんですけれども、なんと1人の依頼人が様々な依頼品を持って来たとのことです。それでは早速、本日の依頼人の登場です!」
番組のプロローグの後、3時間スペシャルにして1人の依頼人が来る。
その姿はというと……
「本日はよろしくお願いいたします」
現れたのは和服姿の永原先生だった。入場に際して、会場に向けて一礼している。
もちろん、吉良殿の着物というわけではない。
「本日の依頼人は、永原マキノさんです」
永原先生が改めてもう一度一礼する。
「さて、本日の依頼人は、少々特殊な方でして。まずは依頼人さん、生まれは何と戦国時代と」
「ええ」
「その、失礼ですが生まれ年というのが、永正15年……西暦ですと1518年で、記録が正確なら501歳ということになるわけですが、ちょっと依頼人さんご説明願えますでしょうか?」
「ええ、私は数えで21の時に完全性転換症候群、いわゆるTS病という病気になりまして、この病気は老化しないために穏やかに過ごしていればずっと生きていけるんですね。時代が時代ですからいくつか命の危機もあったんですが、今日まで生きながらえております」
まずは永原先生の自己紹介から入る。アナウンサーから永原先生の半生について再現VTRが流れる。
「依頼人は今から501年前の永正15年、西暦1518年生まれ。現在の長野県上田市出身で、真田幸隆に農作業をして年貢を納めつつ伝令役の半農の足軽として仕えていた。TS病発病後、名を変え、一時村を離れたものの数年後に復帰し、以来、真田家の村に住んでいたが、女の独り身となり、帰参は叶わなかった」
ちなみに、永原先生くらいの美少女がいなかったのか、再現VTRの女優さんよりも明らかに今の永原先生のほうが美人になっていて、永原先生役の女優さんは気の毒に思う。
「しかし、天正10年、1582年の本能寺の変頃には老けないことを周囲の村人に訝しまれ、命の危機を感じて諸国を流浪する。1600年にはあの、関ヶ原の戦いを公家とともに見物したこともあるという。この戦いの後、金銭を蓄財し江戸在住を決意し、大坂の陣後念願かなって江戸に住む。ここに、依頼人の33年に渡る放浪生活に終止符が打たれた。しかし彼女に安寧は訪れなかった」
アナウンサーの話していることは、既にあたしたちにとっては知り尽くしたことだったけど、知らない人が多いスタジオの驚きの声や「本当かなー!?」という声もある。
「江戸の街でも不老を疑われ始め、彼女は再逃亡を考え始める。しかし、江戸に住んで38年目の1653年、思わぬ使者が彼女の元へ来る」
するともう一度再現VTRが流れる。
「柳ヶ瀬まつ殿(当時の依頼人の名乗り)に相違ないか?」
「はい、確かに柳ヶ瀬まつと申しまする」
「上様がお呼びにございまする。荷物をまとめられ、至急江戸城へ参上いたせ」
「何と時の将軍徳川家綱の呼び出しだったのである。この時彼女は既に130歳を超えていたが、主君の孫に当たる真田信之がこの時90歳近いながらも存命で、家綱と信之に拝謁が叶うことになった」
右上に永原先生の顔が映る。表情がかなりぎょっとしている。
おそらく諱を遠慮なく言うアナウンサーに対して思うところがあるのかもしれないわね。
「実は、不老の女の噂は信之の耳にも入っており、そしてそれがはるか昔に逃亡して行方不明になっていた足軽と同一人物と確信し、彼女を労い罪を許した。その後、依頼人は真田家への再士官を希望するが、時の将軍家綱の命により、江戸城への常駐を命じられた。その後の生活では、江戸の街は比較的自由に歩けたが、江戸の街からは出ることなく、明治維新まで江戸城に住むこととなった」
おそらく、今回はこの時に買った依頼品が多く出てくるわね。
「明治維新後は、一時期再び諸国流浪の旅に出るが、やがて教師の仕事を初めて現在も教職についている。これが彼女の500年に渡る人生である」
「いやもう、永原さん自身が歴史資料ですよねー」
「あはは……」
会場の司会者さんの話に永原先生は苦笑いしている。
でもそう言う一面があるのは否定できない。
「教師の担当科目は古典ということですけど、やっぱり古典の言葉の方が今よりしっくり来るんですか?」
「いえそうではありません。学校の古典で行うのは主に平安時代の中古日本語でして、私の時代とは大分違います。私の生きていた時代は係り結びもないですし、江戸時代ならラ行変格活用とかナ行変格活用も四段活用で、上下二段活用も多くが一段活用になっていましたから」
永原先生がそっけなく答える。
「へえ、どういうことですか!? もう少し詳しくお聞かせ願えないでしょうか?」
「日本語は奈良時代から上代、中古、中世、近世、現代に分かれていまして、私の母語は後期中世日本語、あるいは近世日本語なんですね。実は中古と中世にはかなり大きな変化がありまして……要するに現代人が私の生まれた時代に行っても話すだけならそこまで困りませんよ。逆に戦国時代生まれの私でも知識なしに上代は無論のこと平安時代の人も院政期より前の人とは頑張っても会話できる自信はありませんね」
「何かよく分かりませんけど、とりあえず、今日はこの人の依頼品が盛り沢山ということで、早速最初の依頼品に入りましょう」
やはり、難しい話は受けないらしいわね。
「では、最初の依頼品の登場です!」
扉が再び開かれ、煙とともに入ってきたのは灰色の古いお椀と箸の食器だった。
「これは何ですか?」
「私が戦乱の時代から使っていた食器です。特に有名な人の作品というわけではありませんが、まあ私の父母から受け継いだもので唯一残っているものでして、私が生まれる前からあったそうです」
「ええじゃあまさかこれは?」
「ええ、16世紀の食器です。本物ではありますが価値を知ることが重要なんですよ」
「はあ……」
正直に言って、粗末な作りでただ単に古いと言うだけの代物だった。
「では鑑定に移ります」
無名作者ということで、特にVTRなどもなくいきなりこれである。
そして、鑑定士たちがおなじみのBGMとともに鑑定を続ける。
「では本人評価額お願いします」
「200円で」
「え!?」
司会者さんの声が裏返る。
「これは単に古くからあるってだけですから」
「まあいいでしょう200円で!」
そして、鑑定額が出る。
鑑定結果は1000円だった。
「あー、やっぱりねえ」
「そんなものだろう。特に名のある人の作品というわけではないんだから」
永原先生はあっけらかんな表情をしている。
「確かに、考古学的価値は高いですが、やはり状態も悪いですし、遺跡からたくさん出てきますから。まあ、とは言えお金では買えない価値があるでしょうから、これからも大切にしてください」
鑑定人がそう答える。
とはいえ、それでも本人評価額よりは高いわね。
「じゃあ次の依頼品は?」
「私が所蔵している浮世絵を幾つか出していきます」
「分かりました。早速続いての依頼品をお願いします」
そしてさっきと同じ演出でもう一つ依頼品が出てくる。
出てきたのは大きめの武士の絵で、カラーではなく白黒で書かれていた。
「これは?」
「享保10年……私が200歳を過ぎた頃に地本問屋で買った浮世絵です。確か作者は奥村文角と聞き及んでおります」
よく分からないけど、永原先生が作者名を答える。
「これ、いくらだったんですか?」
「ちょうど20文でした……今の価値ですとそうですねえ……300円から400円くらいですか?」
「え!? そんな安いんですかそれ?」
司会者さんがとても驚いている。
「ええ。浮世絵というのは当時のお店には同じものが何枚も在庫にありましたから、特段珍しいものではなかったですよ。江戸の庶民も下級武士もみんな手軽に買ってましたし」
どうやら、永原先生の価値観ではありふれたものでしかないらしい。
その後、番組VTRが流れ作者の紹介がある。奥村文角こと奥村政信は比較的初期に活躍した浮世絵師で、当時は白黒の墨摺絵って……結構すごい作者じゃないのよ!
そんな人の絵が400円って……何か色々と凄まじいわね。
「では本人評価額お願いします」
「うーん、買った時の値段を現代の価値に直して400円で」
「ちょ、ちょちょっと……!」
またも超低評価に司会者さんも慌てている。
何だか、凄まじいことになっているわね。
「いやそうは言っても、私にとってはそんなものなんですよこれ」
「まあいいです、分かりました」
そして鑑定額が出る。
桁が物凄い勢いで上がっていき、400万と出た。
「300年も経ってないのに1万倍とはすごいですねえ……」
永原先生は、この値段が出ることを予想していなかったらしくかなり驚いた顔をしている。
「こんなの前代未聞ですよ」
司会者さんも呆れ気味に言う。
「400円って……確かに当時としてはその程度の価値だったんでしょうけど……とんでもないですよ。はい、真物で間違いありません。しかもこの作品は大変貴重です」
「もうね、依頼人さん、これを400円って……失礼ながら神を畏れぬ所業としか思えないですよ。現代に作られた偽物でももっとしますって!」
「あはは、すみません。私のコレクションは他にもありますので、見てってもらえませんか?」
永原先生が鑑定士から総攻撃を受けている。
まあ、当然よね。
次に出てきたのも浮世絵だった。
しかも、5×11で55枚もの大量品だった。
「これは?」
「ええ、見て通り私が江戸の保永堂で買った東海道五十三次です」
あたしも名前は聞いたことがある。歌川広重の代表作よね。
「ほえ!? これ、すごい保存状態いいじゃないですか!」
「明治の頃から殆ど出してなかったですから」
「というか、これも江戸の本屋さんで買ったんですか?」
「ええ、あの頃はとにかくこの絵は大ブームでしたから。当時は今の価値に直しますと1枚300円位でしたけど、55枚揃えたら16500円ですから、金1分以上しましたね」
「では本人評価額は?」
「先程ちょうど1万倍になりましたので、1億6500万円でお願いします」
今度は凄まじく強気に出たわね永原先生。
「うおお、この評価額は凄まじいですよ」
そして評価額、スタジオが「おー! おー!」という掛け声がある。「千万」という声も聞こえる。
「うおー! 1億1000万円!」
「恐ろしい、全て初版ですよこれ。しかも保存状態が最高に近い。1枚200万円としてこの値段です。もはや言葉を失いますよ。そりゃあ依頼人さんは当時から今までを生きていたから簡単に全部集まって保存できたとは思うんですけども。普通今の人が集めようとしたら挫折するのが当然です。全世界の浮世絵愛好家がうらやましがる一品です」
「じゃあ次のも価値がありそうだわ」
「永原さん、次は何を用意しているんでしょうか?」
「まあ見てください」
そして出てきたのは富士山の絵、6枚×6枚で36枚だ。
「これもまた、『富嶽三十六景』ですよね?」
「はい、葛飾殿の『富嶽三十六景』の初版本です。個人的に好きだったので葛飾殿の新作ということで何の気なしに街の本屋で買いました。葛飾殿の作品は他にもあったんですけど、いくつかは江戸城を出る時に捨てちゃいました」
「な、なんですかそのさらりとそんな……」
永原先生、葛飾北斎の浮世絵を躊躇なく捨てる。
「依頼人さん、葛飾北斎の絵を捨てるって罰当たりにもほどがありますよ」
永原先生は鑑定士の人に怒られてしまっている。
「いやそうは言っても、江戸の人にとっては浮世絵って包装紙代わりになるようなものでしたから」
永原先生のとんでもない爆弾発言、そして鑑定結果は1枚150万円で5400万円だった。
その後も、鈴木春信や歌川貞秀、菱川師宣などの名だたる浮世絵師たちの作品が次々と出てきてそれらの全部が本物ということで数百万円を連発していく。
「はい、間違いなく本物です。それにしてもあなた本当に何者なんですか?」
鑑定士も眼福という表情で言う。
「うーん、ここまでは前座のつもりだったんですが……」
「え!? これが前座なんですか?」
「私がもっと大事にしてる浮世絵があるんですよ。これだけは絶対に価値があると思っています。多分当時でも100文……2000円はしたと思います」
「じゃあ、その依頼品をお願いします!」
そして出てきたのは、巨大な絵で、錦絵と言われるものらしい。
「これは誰の作品なんです?」
「先ほども出てきましたが広重殿が私にと書いてくださった錦絵です」
「え? もしかして依頼人さん、歌川広重と会ったことがあるんですか!?」
「はい、不老の娘の噂を聞きつけて『是非俺の作品を後世に伝えて欲しい』と広重殿に言われまして、私のために書いて下さった浮世絵でして、いわゆる肉筆画です」
そしてまたVTRが流れる。
永原先生役の女優さんは同じ人で歌川広重の紹介もある。
「依頼人によれば、歌川広重本人の自宅に招かれ、そこで譲り受けたという」
アナウンサーの音声が流れる。
「なんかねえ、さっきから聞いていると、TS病って羨ましい病気ですよね」
鑑定士さんが羨ましそうに言う。
「いやいや、私は私で苦労しているんですよ」
永原先生は波乱に満ちた人生だけど、江戸城にいたときは比較的平穏だったのは確かだった。
ちなみに、テレビも既に本物前提で話している。
問題は、本物だとしていくらかという所なのよね。
「では、本人評価額は?」
「1枚ですが2000万ですね」
そして評価額も、2000万円、初めてぴったりになった。
「おお、ピタリ。慧眼ですね」
「これはね、国宝か重要文化財でもおかしくないですよ。これは世界に2つとない浮世絵です。歌川広重の技量の全てを集めたものでして……さっきの五十三次といい三十六景といい、依頼人さん今すぐ美術館を開いてください!」
ついに、「美術館を開け」というお達しまで受けてしまう。
でも、永原先生のコレクションはこんなもんじゃない。
「でですね浮世絵のコレクションはこれだけではないんですけど、他にもあるんですね。そっちにも写っていいですか?」
「はい、何が出てくるんでしょうか……」
永原先生の次なる鑑定依頼品は書物だった。
以前永原先生は「東海道中膝栗毛」を持っていたと言うしおそらくその手の本も大量にあるんだろう。
「では、書物シリーズ最初の依頼品をお願いします」
「はい」
すると、最初に出てきたのは5冊の古本だった。
「これは一体?」
「曲亭馬琴殿の『椿説弓張月』です、後の時代に出来た『南総里見八犬伝』よりも当時は人気でした。この本には葛飾殿の挿絵も入ってます」
「うわっ、本当だ」
いつの間にか手袋をはめた永原先生が本をめくって挿絵を見せてくれる。
「暇な時はこういう小説を読んで潰したものです。江戸城の生活は意外と時間があったんですよ」
「ほう、そういうものですか?」
「ええ」
そして、出た鑑定額はやはり凄まじい高額だった。
「初版本、間違いないです。いやはや、全部揃っているというのは、毎度のことながら素晴らしいです」
そして次に出てきたのは東海道中膝栗毛だった。
「正直、これを鑑定に出すのはちょっと躊躇したんですけど。知名度は高いですが内容がひどいですから」
「え!? そうなんですかこれ」
「とにかく女の尻を触って隙きあらば手を出すエロオヤジの物語ですから。はまぐりのところなんかは傑作ですよ」
「そ、そうなんですか!?」
永原先生の言葉に司会者さんは驚いている。
「はい、とにかくあの時代は痴漢だらけでしたから、この手のいかがわしい小説や絵は大変盛り上がってまして、私は江戸城住みですから春画や露骨な小説は持ってなかったんですが」
「はへー、知りたくなかった」
「はっきり言いますと、今より江戸時代のほうがそういうのは盛んでしたね。銭湯に入った時はもう、何度も何度も私の胸やお尻に手が伸びてきましたから」
永原先生の話にスタジオが騒然となる。
「えー!? そんなことあるんですか!?」
「それはもう、当時は混浴で電気もない時代ですから、やり放題でしたよ。私としても『やられるのは魅力的だから』ということで、『女を試す』感覚で、触られるのを楽しみにしながら銭湯に入ったのよ」
以前話してくれた、江戸時代の痴漢の話をぶちまける永原先生。
「あーなんか江戸時代行きたいわ」
鑑定士の一人が暴言を吐く。
スタジオも思わず笑いに包まれる。
「ええ、当時は『触られて自信がつく』ですからね。でも、やりすぎたら嫌われますよ」
「ですよねー」
「と、とりあえず鑑定行きましょう本人評価額は?」
「そうですねえ――」
その後も、様々な書物が鑑定されていき、やはりその全てが初版本ということもあり、数百万から1000万単位の値段を連発していく。
また、茶器の鑑定依頼もあって、時の将軍徳川吉宗より譲り受けた茶器には葵の御紋だけではなく作者と吉宗の署名まで入っていて、2500万円という結果になった。
他にも途中、明治の鉄道の切符まで鑑定に出されていて、こちらも10万単位の値段がついていたけど、これまでのインパクトを考えると控えめではある。
放送でも「鉄道の開業から社会から身を隠すのをやめた」ことが紹介されていて、永原先生の鉄道グッズはどれも鉄道マニアにとっては喉から手が出るほど欲しいものばかりらしい。
放送時間が次々と過ぎていく。まだ吉良の着物などは出てきてない。
鑑定額は適当ですのであしからず