永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
職員室の向かいにある相談室に永原先生が入る。
それに続けて自分が入る。体の怠さは食事もあってかなり緩和されたが、それでもかなり残っている。足取りは重たいし、生理に伴う極度の体調不良とはいえ、午前をすっぽかしてしまったからクラスメイトに会いたくない気持ちもあった。
ドアを閉めると、永原先生が着席を促してきたので、座らせてもらう。
「さ、石山さん。ここには私とあなたしかいないから、単刀直入に聞くわね……生理が来て、気分はどう?」
「さ、最悪です」
「うん、正直だね。で、もう一度聞くわ。石山さん、こんな辛い痛みを経験しなきゃいけないと知って、男に戻りたいと思った?」
ぶんぶんっと首を思いっきり横に振った。偽ざる思いだ。
「そう、それでいいのよ。でも、もう一つ聞きたいわ。石山さん、あなたは『どうして』生理に直面してなお男に戻りたくないと思ったの」
「少し、考えてもいい?」
「ええ。即答できる話じゃないもの」
永原先生の出した難題について考える。
……生理、確かにとても辛い。股から血が出るし、ナプキンを付けなきゃいけないし、気分も悪く、お腹が痛くて保健室で寝込んでしまった。
でもそれは、女の子の役目である妊娠と出産に欠かせないこと。そして自分の身体の中で、赤ちゃんを作り、産むことが出来るという意味でもある。
赤ちゃんを産む。まだそのことに関して考えたことはないが、少なくとも、卵子が私の中にある事はわかる。
女の子として、子供を産む。とても大切なことだ。子孫を残さなければ、人類は滅びてしまう。
だから、生理も含めて、毎月の痛み、辛い痛みも含めて女の子だと、私は思う。
そう考えると、何故だろうか……しばらく言葉で言い表せない思考が頭をぐるぐる駆け巡った。
……どうしてそう言う考えになったのか、もう混乱して自分でもわからない。だけど、今はなぜか、この痛みが嬉しかった。
ともあれ決心がついた、永原先生に話そう。
「先生」
「はい」
「あの、私……この痛みと向き合いたいの。これが来るってことは、赤ちゃんが産めるってことだから。一人前の女の子になるのに、これは、絶対に避けられないから……だから……」
「この痛みも受け入れて、辛いけど……でも、本当に女の子なんだって実感できることだから……どうしてそう思ったのかはまだよく分からないけど、今は痛みが嬉しいの」
「……私は女の子として、痛みを感じながら、生きていきたい! 痛みから逃げたら、女の子じゃない! この痛みは、私が女の子だという証だから!」
「石山さん、あなた……」
永原先生は言葉に詰まる。
返答を待っていると、永原先生はおもむろにポケットからハンカチを取り出して顔を拭っていた。
泣いているの? そう聞く勇気はなく、自分はただ返答を待っている。
「……ご、ごめんなさい。私はTS病の子を……130年以上見てきたわ……でも、あなたみたいな子は……初めてなのよ」
永原先生は、またハンカチで顔を拭う。明らかに泣いている。
「こんなに……こんなに一生懸命に向き合って……最初の生理の時に……痛みも受け入れなきゃいけないって……健気になる子なんて居なかったわよ。ましてや、それを女の子になれて嬉しいって……」
永原先生は涙声になりながら、そう話す。ふと永原先生の目の下を見ると、一筋の涙が流れていた。
「石山さん、他の子は、ね。成績がいい子でも『どう頑張っても戻れないから仕方ない』とか『男は辛いから、生理痛を差し引いても女がいい』とか、そう言う答え方をするのよ」
「もう一つ聞いてもいい? 石山さんは『どうして』他に例がないくらいにそんなにも一生懸命なの? やる気は感じていたわ。でもその理由が知りたいの」
「……私、以前自分が嫌いでした。すぐに怒って、乱暴する。両親がせっかく『一番優しい』って願って『優一』って名前をつけたのにって。でも結局やめられずに、ずっと両親の想いを踏みにじりながら生きていたんです」
「でも、あの日、私は神様にもう一回チャンスをもらえたんです。今度は『優しい子』になれるようにって……多分、この痛みを覚えないと、私は本当の意味で『優しい子』にはなれないから。だから、受け入れたいんです」
「うん……うん……ごめんなさい、少し、感慨に浸らせてくれるかしら?」
永原先生も、教育者として、カウンセラーとして、思うところはあったんだろう。こちらに背を向け小さく泣いている。
でも、しばらくするとそれを抑えて、再びこちらに向き直った。
「多分これから、石山さんの永い人生において、何度も男女の違いで困難は来ると思う。でも、今の心を忘れなければ、きっと最後に、あなたは救われるわ」
「先生、そのことでもう一つあるんです」
「何?」
「実は、あのあと私の想いを伝えたんですが……クラスの男子が、私のことをまだ……いえ、ますます激しく『優一』って呼ぶんです……高月が私の事……性転換手術したんじゃないかって疑い始めて、他の男子まで……」
「それに桂子ちゃ……木ノ本さんのグループは理解してくれたんですが、田村さんはまだ判断を決めかねてるようで……」
「うーん、そうなの。でも、男子の説得は難しいわよ」
「やっぱりですか」
「男子にはこの痛み、苦しみは分かりませんから」
「……そうなんですか?」
「ええ、文章や口頭で説明しても、結局体験しないとわからないこともあるんですよ」
確かにそうだ。辛い、痛い、気分が悪くなる。
男の頃より、生理に関するそういった話を言葉では知っていたが、こうして実際に体験するとその辛さは格別だった。
「しかも、これは毎月やってくる。一旦は女になる決意をした患者でも、この生理を超えられずに、結局また戻りたいと思ってしまって、悲惨な末路をたどることになってしまった人もいるのよ」
「それでも、石山さんは乗り越えられると思ってたわ。でも、こんな答えが返ってくるとは思わなかったわ……」
「……石山さん、なぜあなたが嬉しいと思ったか。教えてあげますよ」
「わ、分かるんですか?」
「もちろん推測だけど……多分、クラスの男子から男扱いされて、石山さんはアイデンティティが揺れた。でも、この痛みを体験したことで、改めて、完全な女の子なのだと知ることが出来たからよ」
そうだった。生理が来たということは、自分は決して「皮だけの女」ではないことを証明するものでもあるんだ。
「それじゃあ、そろそろ私の話は終わるわね。午後も辛いでしょうけど、頑張ってね……男子は無理でも、木ノ本さんと田村さんにはあなたのことを伝えておきます。必ず良い結果になりますよ」
「は、はい」
とりあえず、あまり戻りたくないけど教室に戻る。荷物を椅子の下に置きっぱなしだ。
また少し重くなった体を引きずりながら、教室の扉を開ける。
「はぁ……はぁ……」
休み時間、それも多くが学食などで食事を取ってるだろう時間とあって人もまばらだ。
「おい、どこ行ってたんだよ?」
男子の一人、篠原浩介が声をかける。
「保健室で、休んでたわ」
「嘘つけ、昼休みはいなかったぞ」
「昼休み前に、永原先生に呼ばれたのよ」
嘘はついてない。
「けっ、何の用だよ!」
「私の病気のことで、相談に乗ってくれるのよ」
永原先生は、私に感激していた。
「はっ、贔屓かよ。どうせ仮病のくせに……」
でも、この男に、それはわからない。通じない。
「ちょっと! 男子!」
違う、と言おうとしたところで、一人の女の子が声を上げた。
その間に、椅子に座りぐったりする。
「な、なんだよ! 木ノ本、お前には関係ねえだろ」
「あんた、デリカシー無いの!?」
「だ、だからこいつは仮病だろ……」
「私も女の子だから、優子ちゃんの苦しみが嘘じゃないことくらいわかるわよ!」
「ふんっ、大方、こいつがお前の唯一の男の話し相手だった石山優一だから肩を持つんだろ?」
「……あんたに、何を言っても無駄みたいね。こんなに辛そうにしてるのに、優子ちゃんが可愛そうよ」
「うるせえ、これは男の喧嘩だ。女はすっこんでろ」
「きゃっ!!!」
「ちょっと篠原!」
うつぶせになっててよく見えないが、大方篠原が木ノ本を押したんだろう。
さすがに、他の女子も非難の声を上げる。河瀬龍香が間に立って守っているようだ。
あくまで男として接しようとする男子と、そうはさせまいとする木ノ本グループの女子たち。
騒ぎも大きくなり始めたため、篠原浩介がいったん引いた。
数分後、高月章三郎が教室に帰ってきた。
「篠原、何かあったのか?」
「あ、ああ。木ノ本が優一をかばうから。でもほかの女子にも阻止された」
「頭悪いなあ、こういうのは誰もいないところでやるんだよ」
「あいつ、生理の演技までしてるぜ。なのに女子のやつは――」
「篠原、もう本当かウソかなんてどうでもいいんだ」
「どういうことだ?」
「今こそ、あいつに仕返しするチャンスじゃねえか。実際どうかは知らないが、あいつは自分を女の子だと思ってる。それをとにかく否定し続けて、男の土俵に引きずり込むんだよ」
「なるほど、そうすれば女子も近寄れねえってか、頭いいな高月は!」
ああ、そうか、それじゃあもう、どうにもならないじゃないの。
もう私に、力はない。怒鳴って力ずくはもう通じないし、したくもない。
私は弱い存在になった。私はこのまま、男子にいじめられて過ごすんだ……
篠原浩介は、本当は気弱で怖がりな性格だったはず。だから、私は男の時一番よく怒鳴ってた。今は豹変している。それがあの忌まわしい時代の記憶を思い起こす。
因果応報と言われればそうかもしれない。これも含めて私への罰。だとしても、耐えることができるかな? とても不安だ。
チャイムが鳴る。重い身体を起こしながら、3時間目の授業が始まった。
今日のホームルームが終了する。木ノ本桂子が永原先生に呼ばれていた。何を話しているのかはよく聞こえないが、おそらく昼休みに言っていたことだろう。木ノ本が何かを感情的に訴えているようだった。
私のことかどうかはわからないが、ともあれ、重い身体で下駄箱に移動する。
ローファーに履き替え、いつもよりゆっくりした速度で、何人もの生徒に抜かれながら駅へと向かった。
学校から帰ると、制服からすぐにパジャマになった。
「優子ー! 入るわよー!」
「はーい」
普段より元気なく返事をする。
「優子、今日、来たでしょ? アレ」
「う、うん」
いつぞやの痴漢された日のように、今日はこの話題で持ちきりだ。
「そうそう、寝る時もナプキンを付けるのよ。つけないと寝てる間に下着が血で汚れるわよ」
「う、うん」
「で、ナプキンには夜用と昼用とかもあるから、ちゃんと用途によって使い分けなさい」
「はーい」
「使い方は変わらないわよ。ナプキンはちゃんとそれ用のごみ箱に捨てなさい。学校とかにもあるからね」
「はい」
「それじゃご飯になったら呼ぶからね、辛くても食べないとだめよ」
「わ、分かってる」
むしろ、私の場合生理中には食欲が出てしまうタイプだ。
結局この日は、食事とお風呂以外の時間を、ベッドに横になって過ごした。
翌日、相変わらずだるく、下腹部は痛い。
でも昨日よりは遥かにましだ。単純にちょっとうざいくらいで普通に動くことができる。
とはいえ、今日も念のためナプキンを付けて登校することにした。
また男子のことを思い出す。木ノ本に慰めてもらうかなあ……
そんなことを考えながら通学路を歩く。最近では私の存在も慣れてきたのか、誰も話題にしていない。
しかし、クラスは違う。
教室の扉を開けるとまた別の男子の一人が言った。
「よお、優一、今日は仮病はやめたのか?!」
「……なんだこいつ、またしかとしてやがるよ!」
本当は態度に表せずに我慢しきれるだけで、ちょっと苦しいのに。
そう思いつつ、いったん荷物を椅子に落とし、ロッカーへ向かう。
1時間目の教科書とノートを出す。よし、これでいい。
「はーい、ホームルーム始めるわよ!」
永原先生の号令とともに、ホームルームが始まった。
「そうだ、見学の旨を話さないと……」
ホームルームが終わり、職員室に戻ろうとした永原先生を呼び止める。
「せ、先生。すみません」
「はい、石山さんどうしました?」
「今日の体育なんですけど……」
「ええ、昨日の今日でまだ痛いでしょ? 見学のことは私の方で体育の先生に行っておきます」
「ありがとうございます」
何とか連絡は終了した。
とにかく気分もまだ悪いので、休み時間はずっと座って体力を温存する。
身体を机に引っ付ければ体力も温存できる。
「なあ、あいつのことなんだけど」
田村がグループの女子と何か話している。
「昨日の様子だけど……」
「ああ、あたいも見たよ」
「あれは、どう考えたって性転換手術なんかじゃないよ」
「ああ、性転換手術ならアレは来ないはずだ。わざわざ希望するバカもいねえだろうよ」
「ねえ、恵美。私、いくら考えてもあいつは中身も女にしか見えないよ」
「ああ、あたいも、もしかしたらとんでもない間違いをしてるんじゃねえかって思い始めてる。でも、まだ決心がつかないぜ」
田村のグループが、私の扱いで動揺している様子が聞き取れる。
彼女たちもまた、昨日私に何が起きたのかは理解していた。
「どうして?」
「そりゃあ、あいつを女と認めるとすると、先に女扱いした木ノ本に負けを認めるってことになる……だけど、今はあたいの面目を潰してでも、あいつに謝るべきなんじゃないかって考え始めてる」
「なるほど……それは嫌ね」
「でもよ、いきなり倒れて……女にされて……男子からいじめられてる今のあいつの辛さから比べれば、小さいんじゃねえかって……」
「わ、私は反対です。あいつの軍門に下るなんて」
「じゃあ、男子と一緒になってあいつを男扱いすんのか?」
「そ、それは……」
キーンコーンカーンコーン
「あ、予鈴だ。悪い、もう少し、考えさせてくれねえか」
「ああ、うん」
結局、彼女たちの議論は予鈴によってかき消されてしまった。
体育の授業、実は高校に入ってから見学になったのは男時代を含めて初めてだ。
でも、男女から引き離された場所で着替えなくていいのは、楽だった。もっとも、生理とは全く釣り合ってないけど。
「はーい、今日は石山さんが体調不良で見学です。では、いつものように準備運動を始めます」
今日で走り幅跳びは終わりだ。みんな先生の指導で少しだけ記録が伸びている。
自分の記録は、高校生女子と言ってもかなり低い方だ。先週金曜日に受けた体育の授業でも、終始自分のひ弱さを見せつけられるだけだった。
体育の授業中、私への視線はそこまで感じない。みんな授業に集中している感じか。
体育の先生は男の先生だが、それでも私の事情は察してくれたようだ。
体育の授業が終わり、着替え終わる。6時間目になると、だるさもだいぶ緩和されてきた。久しぶりに授業に集中できた気がする。
帰りのホームルームが終わる。
この日、今度は田村恵美が永原先生に呼び出されていた。田村は何か、激しく後悔するような素振りを見せていた。
詳しいことはよくわからないけど、とにかく自分の体調もまだ万全とは言えない。
家に帰って、ゆっくり休まねば。