永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件   作:名無し野ハゲ豚

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修学旅行2日目 永原先生の意外な趣味

 本館の方に入ってすぐ、あたしたちの目に小さなSLが飛び込んできた。

 

「これ、さっきのC62に比べると、随分小さいですよね!」

 

 龍香ちゃんが言う。確かにかなり小さい。

 

「そりゃあそうよ、C62は大型機関車よ。こっちは、日本で初めて国産化された蒸気機関車なのよ」

 

 つまり、この機関車はC62よりもさらに古い列車ということ。

 壁の展示には、鉄道のあゆみや車両の仕組みも書いてあって、永原先生も補足説明してくれる。

 そのまま曲がって正面に行くと、更に多くの展示列車が目に入る。

 一番左側は青くかなり尖った新幹線、何か子供の頃、ビデオで見たような気がするわね。

 

「うおお、かっけえな」

 

「これは飛行機と対決するために開発された新幹線500系電車よ。作るのは難しかったわ。そうね、博物館に展示されてるけど、山陽新幹線なら今でも各駅停車として走っているわ。さすがに作られた時期を考えるとそろそろ寿命ですから、早めに乗ったほうがいいと思うけどね」

 

 永原先生曰く、この電車は当時日本の新幹線としては350キロ運転を目指していたものの、90年代当時の技術では300キロがコストパフォーマンスで優れると判断された。300キロを超えると、コストパフォマンスが大きく下がり、東北新幹線が320キロになったのも、そのためだとか。

 車内もやや狭めで、また東海道新幹線側より座席の仕様統一を要請されたので、色々無理な設計だったらしい。

 

「騒音基準をクリアするためのパンタグラフは、特殊な翼型パンタグラフになったわ。これはフクロウの翼を参考にしたのは有名だけど、これがまた保守費用がかさんだのよ。でも、この500系の高速化の技術は、昨日私達が乗ったN700系にも活かされているのよ」

 

 N700系は500系の次次世代の車両だ。

 

「で、こっちは何だ? 展示には581系ってあるけど――」

 

 恵美ちゃんが、500系の右に止められていた「月光」と書かれている車両を指差す。

 

「ふふっ、これも500系以上に革新的な列車よ。581系と583系は最近まで東日本で使われていた由緒ある電車で、世界初の本格寝台電車なのよ」

 

「え!? 寝台電車? でも、寝台車はたくさん――」

 

「あーうん、今までの寝台列車は、全て『客車列車』で運転されていたのよ。つまりさっきのC62とかDD54とかに引っ張られて、自分は動力を持たなかったのよ」

 

 永原先生によれば、新幹線などを含め、私達が普段乗っているのは「電車」と呼ばれていて、各車両に動力がついていて、「動力分散方式」と呼ばれていた。

 

「この方式は、各車両にモーターがついているわけだから、機関車が引っ張るタイプよりも振動が激しくなりやすい……つまり中距離・長距離列車や寝台列車には不向きだって言われていたのよ。ところが、新幹線が……正確には中距離列車はさっきの80系が、長距離は151系の『こだま』がその常識を覆したんだけどね。これは寝台列車の常識を覆す画期的な車両だったのよ」

 

 永原先生曰く、この電車は昼は寝台を上に収納し、座席昼行特急として使い、夜は寝台を取り出して夜行列車にと大車輪の活躍をしたという。

 朝ラッシュ時間帯に通勤電車がフル稼働している間にこの作業をしてしまうことで、とにかく費用を削減できたという。

 最も、それが長距離運用を増やし、結果的に老朽化を早めた一因とも言われている。新幹線の寿命が短いように、長距離を運行するというのは、それだけ車両が痛みやすいのだ。

 

「更に、山陽・東北新幹線が出来るようになって、やがて活躍の場は減ってしまったわ。そんな時に、余っている583系を何とか活用しようと、普通列車に改造されたタイプまで出たわよ……さすがに、改造費の予算を極端にケチったために色々と問題が起きたけどね」

 

 その電車は、「食パン」とも呼ばれているらしい。

 

「先生は、この電車には?」

 

「ええ、一度だけ乗ったことがあるわよ。もう一個右の489系もね」

 

 永原先生は、もう一つ右に展示されていた「489系」に振り向きながら言う。

 永原先生曰く、この489系は北陸特急で活躍した「雷鳥」を模しているという。

 ちなみに、今の愛称は「サンダーバード」、両者が混在していた時代も長かったとか。

 

 そして右側奥にはもう一つ蒸気機関車が、更に右側には展示物があり、そこでも永原先生が色々と説明してくれた。

 あたしたちには記憶にもないものでも、永原先生にとっては全てが「懐かしい思い出」なのだという。

 そして最も右側にはまた一つ、茶色い列車が止まっていた。

 

 永原先生によれば、これはEF52という列車で、当時輸入の電気機関車ばかりだった日本において、初めて試作的に国産電気機関車を作ることになったという。

 

「この形式自体には色々問題点はあったけど、後の開発で改善されるようになったわよ」

 

「ふむふむ、そうなんですね」

 

 龍香ちゃんが感心したように言う。

 

「日本の鉄道は世界的に見てもとても特殊な環境だったので、早期の国産化が急がれたのよ。例えばこれは、イギリスから輸入された蒸気機関車よ。おそらく、この博物館の中では一番古いんじゃないかしら?」

 

 永原先生曰く、これは明治時代のものだという。

 永原先生は、これとよく似た機関車が走っていたのを、記憶しているという。

 

「確かに、さっきのC62とかと比べても、小型で力強さもないですよね」

 

「うんうん」

 

 あたしや龍香ちゃんも、そんなことを話して鉄道で盛り上がる。

 鉄道というと、どうしても男性の趣味という性格が強くて、館内でも男の人やあるいは子供を含めた家族連れが多い中であたしたちはかなり浮いている。

 

 さて、更に奥にはさっきの0系に似ていて先頭が尖っている新幹線と、これまた489形に少し似ている「くろしお」という列車、横向きに2両、よく分からない変な形の車両、更に凸の形をしたオレンジの列車、更に先頭だけ切り分けられた列車に青い色をしたDD54にやや似た形の機関車もある。

 

「うわーたくさんありますね。この奇妙な2両はなんですか?」

 

 まず、横向きの2両に龍香ちゃんが着目する。

 

「これは貨車よ。貨物を運ぶの。で、こっちは車掌車と言って、昔は貨物列車にも車掌さんがいたから、これに乗っていたのよ。最も、程なくして用済みになっちゃったんだけどね」

 

 貨物列車の車掌って、一体何をしてたんだろう?

 あたしも恵美ちゃんも、龍香ちゃんも疑問に思う。

 

「それで、こっちの青と白のは何なんだ? さっきの0系の親戚か?」

 

「これは100系よ。0系の後継車両として1985年に登場したわ。東北新幹線の200系の方が先に登場していてここから東北系統が百の位偶数、東海道系統が百の位奇数になったのよ」

 

「うん? そう言えば、新幹線の寿命って15年だっけ? でもこれ開業から21年目の登場だから――」

 

 恵美ちゃんが何やら鋭いことに気付いている。

 

「ふふっ、初代の0系は13年で廃車になったわ。古くなった0系は新しく作った0系で置き換えていたのよ」

 

「ふへー、そんなことがあんのかよ……」

 

「もちろん、マイナーチェンジで改良はしてたわよ。飛行機なんかでもボーイング737とか今走ってるN700系だって、このまま行けばN700でN700が置き換えられるんじゃないかって言われているわよ」

 

 永原先生がそんなことを言う。それだけ、この列車の完成度が高かったということや、国鉄の労使問題や財政悪化もあって、新規開発が難しかったことも理由だという。

 そんな中で国鉄末期に登場したのがこの100系で、「グランドひかり」などをはじめ、様々な編成に使われ、最終的にはこだまとして運用されて生涯を閉じたという。

 

「ふむふむ、すごいですねえ」

 

「ええ、様々な改良が加えられているわ。そしてこっちはキハ81ね。キハ80系の仲間よ」

 

「キハ?」

 

「ディーゼルで走る気動車のことよ。ほら、電車って上に架線がついてるでしょ? それがなかったら非電化になるのよ。その場合、自走できる車両が必要ってことになるの。さっきの蒸気機関車も同じよ」

 

「ふむふむ、電車とは違うんですね」

 

「ええそうよ。これはこの顔だけじゃなくて他の顔もあるわよ。東北では『はつかり』にも使われていて、客車列車を気動車に置き換える動力近代化にも貢献したわ」

 

「へえ、やっぱり名車なんですねえ」

 

「ええ、最初こそ初期故障も多くて『はつかりがっかり事故ばっかり』何て言われてましたけど、従来の客車列車に比べれば遥かに快適で所要時間も短かったから、トラブルを克服した後は大好評になったわ。ちなみに、さっきの80系湘南電車も、当初は『遭難電車』って揶揄されていたわ」

 

「なんかセンスすげえなあ……」

 

「うんうん、皮肉効いてるわよね」

 

 あたしと恵美ちゃんが、頷く。

 そう言えば、「湘南新宿ライン」のことを「遭難顰蹙ライン」って揶揄する人がいたけど、「湘南」を「遭難」って揶揄するのはそこが最初なのかな?

 

「他にも、急行は急いで行かない、特急は特に急がない、とか、1駅ごとに通過しては停車する急行列車のことを『隔駅停車』、各の字は各々ではなくて隔離の隔で揶揄する人もいたわよ」

 

「ふむふむ」

 

「他にも、151系の『こだま』が設備に劣る急行車両で運転されたら『かえだま』とか、『ひかり』中心ダイヤの時は後続の列車に抜かれるひかりのことを『ひだま』と言ったり、抜かれなければ『ひぞみ』何て言ったケースもあったわ」

 

「色々あるんですねえ……」

 

「ねえ永原先生、揶揄表現多いけど逆はないの?」

 

 あたしが聞いてみる。

 

「うーん、ここ関西で走っている新快速は、私鉄と比べてもかなり速いから、よく絶賛の対象にはなるわよ。新快速の新は新しいだけど、それを神に書き換えるとかね」

 

 なるほど、「神快速」というわけね。

 

「このくろしおは、西日本の和歌山の方よ。この後継列車は振り子車両もあったんだけど、初期の国鉄車両はとにかく酔うために『くろしお』は『げろしお』とか同じような車両を使った『やくも』も『はくも』何て揶揄されていたわ」

 

「うえっ……ひでえ」

 

「もう、永原先生!」

 

 永原先生の下品な言動に、あたしは思わず抗議する。

 

「ご、ごめんなさい、女の子がそういうこと言っちゃいけないのはわかってるけど、そう言う風に言われてたんだから仕方ないわよ」

 

 永原先生も、少し申し訳なさそうに言う。

 この手の揶揄はやはり直接的なのだ。

 

「国鉄は動力近代化計画を推進したわ。蒸気機関車を置き換えるわけだけど、旅客列車に関しては、諸外国で行われていたディーゼル機関車ではなく、動力分散方式の気動車で置き換えることになったのよ」

 

 永原先生の説明、つまり、ディーゼルや電気にも、機関車式と分散式があるということ。

 

「そしてこの凸型のディーゼル機関車、これがさっきも出てきたDD51よ」

 

 永原先生が、凸型の機関車を指差して言う。

 欠陥機のDD54とは違って、各地で蒸気機関車を置き換え、無煙化に貢献した名機だという。

 

「このDD51はとても優れた機関車よ。軸重も軽くて色々な路線に乗り入れられるし、この機関車のエンジンを使って新幹線の救援機関車も作られたわ。世界最速の0系新幹線という影に隠れがちだけど、このDD51のエンジンを使った新幹線ディーゼル機関車は、世界最速のディーゼル機関車になったのよ」

 

 他にも、7年前に起きた東日本大震災でも、燃料輸送列車として、貨物用に活躍していて、現在でもJR貨物で老体にムチを打ちながら運用がなされているという。

 一方で、「新幹線ディーゼル機関車」は幸いにも救援用途には使われず、現在の「ドクターイエロー」と同じように、軌道検測車を牽引する役目が与えられたという。

 このDD51は液体式ディーゼル機関車として、大成功を収めたという。

 現在は、JR貨物が新規に開発したDF200などによって、徐々に活動の場を減らしつつあるという。また、最近ではDD51の直接の置き換えではないものの、「DD200」という新しい機関車も登場しているとか。

 その隣はなんか先頭だけ取り出したモデル。更にその隣はEF66という電気機関車だという。

 

「寝台列車に貨物列車に、多く使われたわ。1970年台の設計だけど、バブル景気で貨物輸送が伸びた時に、JR貨物がわざわざ古い設計で新造したくらい、洗練された機関車だったのよ」

 

 DD51と同様、この機関車は国鉄を代表する機関車になったという。

 すでに古いタイプのものは殆ど残っていないが、JR貨物が新しく作ったタイプのは、もう少し使えるという。

 

「さて、じゃあこっちへ行こうかしら」

 

 永原先生が、更に奥へと目指す。

 そこは、車両工場を模したような展示風景になっていた。

 その中に3両の車両が展示されている。2両は緑色、もう1両が茶色だ。

 

「ここは展示引き込み線があって、季節ごとに展示列車を入れ替えているみたいね」

 

 あたしが、それに気付く。

 今は通常の展示らしい。

 

「懐かしいわね。トワイライトエクスプレスの車両よ。私は、ついに乗らずじまいだったわね」

 

 永原先生が言う。トワイライトエクスプレス、数年前まで走っていた列車で、関西と北海道で運転されていた寝台列車だったという。

 そしてその横、茶色い車両も客車だという。

 

「これは、急行列車を軽量化、改造したもので、頑丈さもあって実は今でも細々と活動しているわよ」

 

「へえ、そうなんだ。それにしてもこの博物館。現役の車両も結構あるんだな!」

 

 恵美ちゃんが感心したように言う。

 

「あはは、もちろん博物館に展示されているくらいだから、どれもこれももう老体よ。引退は時間の問題だわ」

 

 永原先生が笑いながら言う。

 あるいは、動態保存と言う形になるかもしれないとのこと。

 

「ところで、この奥にあるのは?」

 

 あたしは、奥にある緑色の車両に目をやる。

 中を見てみると、何だかよく分からない機材がたくさん入っている。

 

「これはトワイライトエクスプレスの荷物車兼電源車よ。ほら、『カニ』って書いてあるでしょ? 24系客車も、寝台列車がほぼなくなって、活躍の場がなくなってしまったわね」

 

 永原先生によれば、乗客の荷物を預けたり、あるいは客車の電源供給に使われていたという。

 こうした設備が必要で、機関車分と合わせても編成が余計に取られてしまうのはかなり不利な設計だという。

 

「さ、屋外に行く前に、まずは2階へ上がりましょう」

 

 永原先生も、これらの車両にはあまり思い入れがないらしい。

 トワイライトエクスプレスも、乗ったことがないのだから、思い出は語れないだろう。

 ちなみに、さっき出てきたDD51もまた、北海道区間ではトワイライトエクスプレスの牽引を担当していたらしく、末期は機関車客車ともに相当な老朽化の上で「豪華寝台列車」として走っていたらしい。

 

 ともあれ、あたしたちはここから一旦エスカレーターを使用して2階へと上がることになった。




なろう版では実在の会社名を永原先生が喋っていましたが、こちらの方ではうまく一般名詞や路線名にしてごまかしています(笑)

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