永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件   作:名無し野ハゲ豚

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2回目の大きな決意

「ただいまー」

 

「おかえりー、優子早かったね。どうしたの?」

 

 母さんが出迎えてくれる。

 天文部を早めに切り上げたことはまだ伝わってない。

 もしかして蓬莱教授の話はまだ来てない?

 

「母さん、あの、あたしの大学のことで話があって――」

 

「ああ、うちにも永原先生から電話があったわ。蓬莱教授がどうしてもあなたを佐和山大学に入れたいって」

 

 どうやら連絡は入っていたようだわ。

 

「あたし、どうすればいいのかなって思って。あたしの選択で、下手すれば世界の人々の運命まで決まっちゃうんじゃないかって……」

 

 それに、多くの資産家が大金をはたいて蓬莱教授を援助しているのも事実。

 

「そうね、それはそうだと思うわ。蓬莱教授の不老研究、昔はただの与太話だったわよ。でも今は違うわ。もし、研究所に常に優子がいるとすれば、効率も違いすぎるわ」

 

 母さんに拠れば、不老を多くの人が待ち望んでいることは想像に難くないという。

 浩介くんが不老になれば、ずっと一緒に居られるという。

 

「確かに、今の優子は全世界70億人の将来さえ決めかねない選択を迫られていることは事実よ。でも、そんな実感は湧く?」

 

「あんまり沸かないわ」

 

 あたしが正直に答える。そもそも、あたしの中では世界中どころか日本中、いや関東中のスケールでさえ想像がつかない。

 

「仮に優子が佐和山大学に入らなかったために蓬莱教授の研究が失敗したとして、世間は優子を恨むかしら?」

 

「多分、恨まない……何故ってあたしのせいで失敗したなんて知られないから」

 

 あたしが恐る恐る答える。

 

「そうよ、その通り。だから優子、気負う必要はないわ」

 

「う、うん……」

 

 浩介くんはどうだろう?

 多分あたし次第だけどもしあたしが蓬莱教授の研究に協力するとしたら、きっと承諾してくれる。

 

 すると障害になるのは永原先生や浩介くんの両親だろう。

 あるいは確率はとても低いけど、宗教団体とかだろうか?

 

「あの……母さん、電話、貸してくれる?」

 

「ええ」

 

 あたしは小谷学園に電話する。

 

「はい、小谷学園です」

 

 事務役の先生さんの声がする。

 

「すみません、あたし小谷学園2年2組の石山優子ですけど永原先生はいらっしゃいますか?」

 

「えっと……永原先生なら先程日本性転換症候群協会への出張に行きましたよ」

 

 しめた! あたしにとってはこっちのほうが都合がいい。

 協会にはテレビ電話もあるから、面と向かって話せるし、会話の内容が漏れるのも協会の会員だけ。

 

「……分かりました、失礼します」

 

 あたしは電話を切り、次いでテレビ電話の方を操作する。

 日本性転換症候群協会本部にかけてみる。

 

「……反応がないわね」

 

「まだ来てないんじゃない?」

 

 そう思っているとついた。

 

「もしもし、あら石山さん」

 

 応対したのは比良さんだった。

 

「すみません、永原会長いらっしゃいませんか?」

 

「今はまだ来てないけど……私で良ければ取り次いでおきましょうか?」

 

 比良さんへの取り次ぎ、いや、この問題はそれではダメだ。

 

「あー、すみません。それは出来ないんです」

 

「どうして?」

 

 比良さんが当然の疑問。

 

「永原マキノさんとあたしとでしか話せないことです。日本性転換症候群協会の会長としての永原会長と、小谷学園の担任の先生である永原先生の両方と相談しなきゃいけないことなんです」

 

「……石山さんがそう言うということは……おそらく、蓬莱教授のことでしょう?」

 

「ええ」

 

 やはり連絡は回っていたようだ。

 確かに、あれだけのことだもの。連絡が来ないはずはない。

 

「分かりました。では、永原会長が来ましたら折り返し連絡でいいですか?」

 

「はい、それでお願いします」

 

 そういうと、テレビ電話が切れる。

 

「永原先生はまだ来てないみたいね」

 

「うん、ちょっと休む」

 

「そうしなさい」

 

 母さんと簡単なやり取りをして、あたしが考える。

 と言っても、以前と同じようなことを繰り返して考えるだけ。結論なんて出るわけないから永原先生を頼っているのに。何をやっているんだろう?

 とにかく、永原先生は何と言うだろう?

 

 永原先生はこの前の会合で賛成票を投じてくれた。

 だから、あたしが佐和山大学に入ること、蓬莱教授のもとで研究に参加することに異議は唱えないだろうし、この前の会合でも、あくまで会として誰かを出すのに反対しただけで、他のTS病患者が自主的に蓬莱教授の所に行くことを拒絶するものではない。

 

 ただ、教師としての永原先生は、どう出るか? もしかしたら反対するんじゃないか?

 それがまだ、分からなかった。

 

  プルルル、プルルル……

 

 しばらくすると、当然のようにテレビ電話が鳴った。かかってきたのは予想通りの場所。

 

「はい」

 

 そして映し出されたのは、永原先生だった。

 

「あ、永原先生。あたしです」

 

「うん、石山さん、比良さんから聞いたわ。蓬莱先生のことで相談があるって」

 

「はい、その……あたしの選択が、大きなことになるんじゃないかと思うと――」

 

 永原先生が一瞬何かを考えるような素振りを見せる。

 

「石山さん、私の考えだけどね」

 

「うん」

 

 永原先生が何時になく真面目な表情で言う。

 テレビ電話越しだけど、じっと見つめられてしまう。

 

「日本性転換症候群協会の会長としては、正会員であるあなたが蓬莱先生のもと、佐和山大学に進学することに、何の異議はないわ。協会としても、『高校生のTS病の女の子が大学に進学する』訳だから、何も不自然はない」

 

「……」

 

 これは、予想通りの回答だった。

 

「しかもそれで私達と蓬莱先生との友好関係が深まるし、蓬莱先生の配慮に報いることもできる。TS病患者たちの生涯の男性の伴侶を得られる可能性も広まる。むしろ石山さんの佐和山大学への進学は歓迎と言ってもいいかもしれないわ」

 

 永原先生はまさに全面賛成という意見を述べる。

 

「ええ、私も、副会長として、蓬莱教授のあの会議の議案には反対しましたが、石山さんが自分の意志で蓬莱教授と研究するというのなら、当然歓迎です。我々協会にとっても、その利益は計り知れないと思います」

 

 永原先生の同意に対し、比良さんが、付け加えてくれる。

 

「蓬莱先生としても、私達との友好関係を崩すのを嫌がっています。決して悪い扱いは受けないでしょう」

 

 でも、永原先生の言い方には、ところどころちょっと引っかかる部分がある。

 

「……だけど、教師としての私は絶対に反対するわよ。あなたの学力なら、佐和山大学なんかよりももっと上を目指せるもの」

 

「……そうですか」

 

 予想通りの回答と言えばその通り。

 だけど、永原先生の意思を確認できただけでも、大きな収穫になる。

 

「では、永原先生は、永原会長は自分の中でどちらを優先させるべきだと思うんですか?」

 

「……分からないわ」

 

 それは一番可能性が高く、そして最悪の回答だった。

 

「もしかして、永原先生も……」

 

「ええ、ずっと悩んでいるわ。もちろんここの人はみんな協会の人だから石山さんを佐和山大学に進学させることに誰も異論はないわよ。でも……小谷学園の先生たちは猛反対するわよ。特に教頭先生はね」

 

「教頭先生、ですか?」

 

「ええ、教頭先生は蓬莱先生に恨みがあるみたいなんです」

 

 あの時のせいかな?

 

「もしかして、あの時のことですか? 教頭先生が蓬莱教授に恨みを持つようになったっていうのは?」

 

 それは林間学校でのこと。

 あたしと蓬莱教授が初めて会った時のことでもある。

 

「ええ、私からすれば逆恨みもいいところよ」

 

「じゃあどうして?」

 

「蓬莱先生が提示したのは、AO入試でしょ? つまり成績が十分高いにもかかわらず、偏差値の低い大学を受けさせることになる。しかも、それは蓬莱先生の個人的な研究の都合で、学生を青田買いしていることになるわけ。他の受験生からすれば大変な迷惑行為だわ」

 

 そうか、AO入試だと他の大学は受けられなくなるんだ。

 

「でも、これはあたしたちだけの問題じゃないと思うんです。下手をすれば、全人類の問題でさえあると思うんです」

 

「ええ、分かっているわ。でも、あまりにもスケールが大きいことですもの」

 

「確かに実感はまだ湧きません」

 

「ええ、小谷学園の先生たちも同じよ。石山さんの選択で……蓬莱先生の研究成果で、あなたの人生どころか、人類史さえも左右しかねない状況だという実感が沸かないのよ」

 

 それはあたしだって沸かない。

 

「じゃあ、永原先生が――」

 

「ううん、私も、教師としての永原マキノとしては……例え全世界の歴史に関わることでも、生徒個人のことを考えなきゃいけないのよ」

 

 永原先生が悲痛な表情をして言う。

 むしろ、永原先生の方が「板挟みから助けて欲しい」と叫んでいるような気さえする。

 

「永原会長、蓬莱教授から連絡を受け取ってから、ずっと思い詰めていたのよ」

 

 比良さんが努めて冷静に言う。

 当事者でもないのに、永原先生はあたし以上に苦しんでいた。

 蓬莱教授のもとだと、大学院まで行ける可能性も高いということもあるけど、そこまで今から考えるのはさすがに楽観的すぎる。

 

 以前にも、永原先生が教師と協会の会長としての2つの顔の板挟みになって、苦しんでいる姿を何度か見てきた。

 

 あたしもまた、協会の正会員になって、幸子さんの教育と、学生としての自分の勉強という2つのことをする難しさを学んでいた。

 でもそれは、何でもない。未成年の17歳の子供らしく、子供っぽい大変さでしかなかった。

 

 永原先生のその苦しみに比べれば、何てことはなかった。

 人類史の運命を握って、苦しんでいたのは、何もあたしだけではなかった。

 

「もちろん、教師として反対すると言っても、石山さんの意志が固いなら、最終的には送り出す必要があるわ……でも迷っているから、テレビ電話をかけたんでしょ?」

 

「う、うん……」

 

「それじゃあ、今はまだ、私は力になれないわ。私だけじゃなくて、比良さんや余呉さん、他の会員の仲間達も、ね」

 

「……こんなことになるなら、あの時いっそ賛成して、石山さんを送り出してしまった方が良かったかもしれません」

 

 永原先生の言葉に、比良さんが、後悔するように言う。

 

「覆水盆に返らず。ね。でも、ある意味で比良さんの気持ちもわかるわ」

 

「え? どうしてですか?」

 

 テレビ電話の向こうで、2人があたしそっちのけで話し始める。

 

「多分、反対したTS病の会員の人や、あるいは賛成した人も一部はそうだけど、『不老』に対して、ある種の『特権』を感じている人がいるわ」

 

「……否定、できません」

 

 比良さんも思うところがあったのか、あっさり同意してしまう。

 

「私だって、持ってないとは言い切れないもの。この協会を立ち上げるまでは、私にも確かにそんな意識が頭の片隅に……片隅にだけどはっきりあったわ」

 

「……500歳になった私が……ここ100年で400年の間に染み付いた意識を簡単に変えれるとは思えませんし」

 

 100年、あたしたちTS病患者にとっても、決して短くない時間。

 それは永原先生にとっても同じこと。

 それでも、400年はその4倍の時間。人生を80年とすれば60歳までに身についたことを残りの20年で直そうとするようなもの。

 

「他の正会員たちも、江戸や明治初期の生まれが多いからこそ、その特権意識があってあの時に反対票を投じたのよ。だけど、冷静に考えれば蓬莱先生の申し出は協会としてもメリットが大きいものだったわ」

 

 確かに、支援金が2倍になるというだけでも極めて魅力的だった。

 蓬莱教授自身にも問題があるとは言え、一つの偏見が冷静な判断力を奪ってしまった。100歳を優に超えていても、人間である以上そういうミスをしてしまうのだ。

 

「……」

 

「でも比良さん、仮に蓬莱先生が死ぬまでこの研究を達成できなかったとしても、助手の瀬田さんを始め多くの人が彼を信望しているわ」

 

 確かにそういう話を聞いたことがある。

 

「だから、いつか不老は人類共有となるわ」

 

「その、永原会長に永原先生」

 

「はい」

 

 あたしはあえて、同一人物を別の肩書きで2回呼ぶ。

 

「あなた『達』の考えはわかりました。もう少し、浩介くんの方も気になりますから、考えてみます」

 

「ええ、それがいいと思うわ。先生としても、会長としても」

 

「では、失礼します」

 

 あたしはテレビ電話を切り考える。

 最後に言っていた永原先生の言葉。

 「いつか人類共有になる」、つまり遅いか早いかの違い。

 

 でも、遅いか早いかというのは、あたしたちTS病患者にとっての話。

 浩介くんにとっては、遅いとダメ。

 もし遅ければ、浩介くんは「手遅れ」になってしまう。

 

 うん、あたし、浩介くん以外、考えられない。

 浩介くんと、別れたくない。新年も、ずっと一緒にいたいって願っていた。

 

 あたしはもう一度思考を整理する。

 蓬莱教授に、協力したい。あたしも知識をつけて、遺伝学の道に進んで、浩介くんを助けたい。

 あたしはいつも浩介くんに助けられていた。

 でもそれは、女の子じゃどうしようもない身体能力のせいだった。

 でも、研究なら、浩介くんを助けられるとお思う。

 

 ……うん、決心がついた。そのことを、浩介くんに話そう。

 あたしはそう思い、浩介くんの家にテレビ電話をかける。

 

「はい、篠原です……あら、優子ちゃん」

 

 浩介くんのお母さんが出てくれる。

 

「あの、浩介くんは?」

 

「ごめんなさい、今お風呂で……」

 

 随分と早めの風呂よね。

 

「あ、そうですか……」

 

「急ぎなら折り返しにしますけど」

 

「えっと――」

 

 一瞬急ぎの用事だと思ったけど、明日も浩介くんに会えることを思い出す。

 

「あ、いいです。明日話します」

 

「じゃあ話さなくても大丈夫ですか?」

 

「はい」

 

 あたしはテレビ電話を切り、くつろぐ。

 

「優子、夕食できたわよ」

 

「あ、うん」

 

 母さんの声とともに、あたしの意識は急速に日常へと引き戻されていった。

 

 

 翌日、あたしは学校へいつもの通り登校する。

 あんな重大な選択をしたと言うのに、あたしの心は不思議と冷静だった。

 もしかしたら、浩介くんと同じ大学に行けることへの、喜びの方が強いのかもしれない。

 

  ガラガラ

 

「おはよー浩介くん」

 

「優子ちゃんおはよう」

 

 今日は浩介くんが先に教室にいた。

 

「浩介くん、ちょっといい?」

 

「うん、いいぞ。昨日の蓬莱さんの話だろ?」

 

「う、うん……」

 

 あたしは荷物を下ろすと、浩介くんと2人で廊下に出る。

 

「それで、優子ちゃんはどうするんだ?」

 

「あたしね、佐和山大学に行くことにしたわ。蓬莱教授を、信用してみたいの」

 

「そう……か、俺は特に両親に反対されなかった。元々偏差値的にも妥当だったし、蓬莱さんが融通してくれるなら、蹴るなんて考えられないって言われた」

 

「うん……」

 

 まだ高校3年生になっていなかったけど、あたしたちは安堵した。

 ともあれ浩介くんとの大学問題は解決された。寿命問題はまだ分からないけど、今は2月のスキー合宿のことに集中しよう。

 そんなことを思いながら、時間は過ぎていった。

 

 

「あの、永原先生」

 

「あら、石山さん。昨日のこと?」

 

「うん、色々考え抜いたんだけど、やっぱりあたし……浩介くんがいなくなるのが怖いの」

 

「そう……あなたの人生よ。私は、これ以上は言わないわ」

 

 永原先生は、どこか安堵した表情で、何処か残念そうな表情で、あたしの選択を受け入れてくれた。


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