永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
「お待たせー!」
「あ、石山さん、おかえりなさい。ストッキングにしたんだ?」
「うん、寒くなってきたからね」
あたしがにっこりする。
幸子さんの服も、すでにパジャマとか晴れ着を買う段階になっている。
この時にはもう、幸子さんも無抵抗で受け入れてくれている。やっぱり昔を思い出す。ってまだ半年前だけど。
更に次は靴。これもぶかぶかで危険なので、すぐに女の子用にサイズを変えなおす。
ちなみに、男時代の服もどさくさに紛れてお母さんが隠したらしく、幸子さんは緊張した表情で、足元を気にしながらロングスカートを穿いている。
そして、あたしが白いリボンを付けているように、リボンやカチューシャ、髪飾りと言ったおしゃれな小物類も買っていく。
女の子らしくおめかし出来る日が来てくれれば、あたしの役目もほぼ終わる。
後は徐々に女の子らしさを身に着けて、男の子を好きになれる。
そしていつの日か、協会の会員になってくれる……今でも普通会員にはなれるけど。ともあれ、それを信じたい。
「さ、こんなものかしら?」
お母さんが言う。
「うん、これだけあれば今のところは大丈夫よ」
あたしの時と同じくらいの買い物だし。
「そうだね。じゃあみんなで手分けして運ぼうか?」
「「「はーい!」」」
永原先生の掛け声と共に4台の台車が一列になって進んでいく。
これだけ多いと車に詰め込むのも大変だ。
帰り道を終え、もう一度塩津さんの家に戻る。
なんだかんだで長時間になってしまった。
もちろん帰りの新幹線にはまだ余裕だけど。
「ただいまー!」
お母さんが勢いよく言う。
「お、お姉ちゃんスカートか!」
徹さんが開口一番そういう。
「あ、ああ……ちょっと、不本意だ」
幸子さんはぶっきらぼうに言う。あたしはそんなこと言った記憶ないんだけどなあ。
「でも見違えたな。今の幸子、どこからどう見ても女の子だ」
「うんうん、お姉ちゃん結構かわいいじゃん!」
「か、かわっ……!」
幸子さんが動揺している。
「あら、女の子にかわいいって、最高の褒め言葉じゃない」
あたしがすかさずフォローする。
「むむむ……」
「ま、ともかくこれを部屋に運んでくれるかな?」
「おう!」
永原先生の言葉に男衆が気合を入れる。
買った服を一通り部屋に運び、空になった箪笥に服を入れる。
「な、なあ……さっきまでの服はどこに行ったんだ?」
箪笥が空になっているのを見て、幸子さんが当然の疑問を口にする。
「ふふっ、あれはもう、服としては使わないわよ」
カリキュラムの時に捨てさせるという役目がある。
「なっ……勝手に捨てないでよ!」
「『服としては』、よ。もう女の子なんだから男物の服なんていらないのよ。これからは早く女の子になるためにも、常日頃から女の子の服を着なさい。いいね!?」
あたしがちょっとだけ威圧感を持って言う。
「は、はい……」
「じゃあ私たちはそろそろ出ます。もし何かありましたら支給のテレビ電話でお呼びください。ただし各々の都合もありますから、出られない場合は別の人が代理になります」
服を仕舞い終わったら、あたしが事前の打ち合わせ通りのセリフを言う。
「ええ、分かりました」
「塩津幸子さん、あなたはまだまだ予断を許しません。でも今日のことを思い出して、未練を断ち切って、一人の女の子として、私たちの仲間になってくれることを祈っています」
永原先生が言う。
「失礼します」
浩介くんがそう言って家を出る。
「ふぅー!」
あたしは一仕事終えたという感じで息をつく。
「そう言えば、優子ちゃん足のイメージ変わったよね? さっきまで生足だったような……」
「ああうん、ちょっと寒いからあたしも買ったのよ」
というか、全然気付かれないとは、いや、それともあえて言わなかっただけかな?
深く考えないことにしよう。
「そ、そうか……確かに、冬場は寒そうだもんな」
浩介くんは、専門外という顔をする。
まあ、あたしだって寒い季節のスカートはまだまだ未経験。
うーん、やっぱりさっきのストッキングもだけど女の子としてはやっぱり最低1年は過ごさないと何もかも経験というのは難しそうだ。
ともあれ、あたしたちは家に帰るために駅を目指す。
「石山さん、お疲れ様。早速だけどフィードバックするわよ」
「う、うん……」
その駅に向かう途中で、早速フィードバックが開始された。
「結論から言うと期待以上だったわ。発病直後に医者からも止められるはずの性別適合手術をすると口走っちゃったら……今までのデータから言うと、もうそこからの挽回はほぼ絶望的だからね」
ともあれ、初仕事で好評をもらえたのはよかった。
「うん、あたしの発病直後と全然違ってて驚いたわよ」
あたしの場合、優一時代に自分が嫌いだったっていうのもあるけど。
「あはは、石山さんは特別だよ。普通はああやって自分の今までの性別と大きく葛藤するものなんだよ。あそこまで男に傾いちゃうと、復元は難しいけどね」
「ところで、俺思ったんだけど、優子ちゃんが他人を引っぱたいて叱ってたの初めて見たよ」
浩介くんが言う。確かにあたしに似つかわしくない行動だった。
「うん、自殺を止めるためとはいえ、ちょっとひっぱたいちゃったのはまずかったわね」
「すみません……」
「確かに、ああするしかないのは分かるんだけど、言ったように会のイメージもあるのよ。いくら統計的に中途半端な手段だったら自殺確定だとしてもね」
反省点ではあるが、しかし他に代案も乏しいのも事実ではある。
「あはは、でも何だろう? 幸子さんのために叱ってあげなきゃいけない気がして。信じられないくらい心を鬼にできたわね」
あたしも自分でも不思議だった。
「うん、それ、石山さんに『母性』が生まれ始めた証拠だよ」
母性……あたしにはまだよく分からない。
多分、桂子ちゃんを始めうちのクラスの女子たちだって同じ。
「母性? あたし、まだよく分からないのよ」
「塩津さんをひっぱたいたのもそれよ。その子のためになると思ったのよ。それも、十分に吟味して、他の方法が無理とわかって考え抜いてからしたのよ。歪んだ善意で行う悪事とはそこが違うわ」
「つまり、優子ちゃんがまだ男だった頃の乱暴とは?」
「ええ、全く性質の異なるものよ」
あたしも、浩介くんも安堵の表情を浮かべる。ともあれ、優一とは性質の違うものだということが確認できてよかった。
そうこうしているうちに駅に到着し、そして1駅乗って新幹線を目指す。その間は少しフィードバック以外の話題になる。
帰りも、自由席の安さのために、行きと同じタイプの列車に乗る。
本当は速達列車の方が早いんだけど、そっちは自由席がないので仕方ない。しかもご丁寧に上野駅で降りるおまけ付きだ。
「さて、さっきの話の続きをしようか?」
新幹線の放送が終わってから永原先生が話を再開する。
「えっとどこまで行ったんだけ?」
「母性の話だよ浩介くん」
「あ、うん。それにしても母性かあ……」
「あたしもまだ全然わからないわよ」
どう説明すればいいのかわからない。
「うん、具体的に言葉で説明できるものじゃないわよ。でも、石山さんはもうそこまで来たってことよ。指導しているうちに身に着けてくれるかなあと思ってたんだけど、本当に早いわ」
永原先生が関心しながら言う。また褒められてしまった。
「う、うん!」
やっぱり女になっているって褒められると嬉しい。
「石山さん、幸せそうよね。本当に私の憧れよ」
永原先生が感傷的に言う。
以前にも同じことを言っていたことを思い出す。
「え!? 先生、優子ちゃんが羨ましいって……」
そう言えば、浩介くんは知らないんだよね。
「私だけじゃないわ、比良さんも、余呉さんも、他の正会員の人もあの後、同じことを言っていたわ。ともあれ、今日のことはレポートにしておくわ。石山さんにも書いてもらいますよ」
「う、うん……」
そうだよね、担当カウンセラーになったんだから。
「でも勉強がおろそかにならないかなあ?」
「勉強のこと? 大丈夫よ、忙しいのはカリキュラム終了からしばらくしての時くらいよ」
「うん」
今後の両立生活は大変になる。ただでさえこの体、体力がないのだ。
とはいえ、永原先生曰くテレビ電話という手もあるそうで、ともかくそこまで大きく困ることは無さそうだ。
また、最後に言ったように、いざとなったら余呉さんも代理でカウンセラーになってくれるようではある。
「うーんとにかく、家族の影響が幸子さんの課題かなあ……」
「石山さんはそう考えているの?」
あたしはTS病の自殺率の高さについて考える。
今まで生きてきた価値観を変えること、あたしくらいの「優等生」でもこんなに大変だったんだ。
きっと他の人達はもっと大変だったに違いない。
「やっぱり、外堀から埋めてくしか無いのかなあって思うのよ」
「つまりそれが家族のこと、石山さんはそう言いたいのね?」
「うん、あたしみたいな人なら大丈夫だと思うけど、そうじゃないなら家族の理解と支援が必要なのよ」
そしてその支援方法もどちらかと言うと厳し目の教育にせざるを得ない。あたしがそうであったように。
「……分かりました。今までは結構本人のケアに忙殺されていたので、家族ですか……」
永原先生は何か熟考している。
「そうよね、家族が……傾きかけていた船を直してくれるのかなあって」
「船? 先生一体どういうことですか?」
ここで浩介くんが質問する。
「ああうん、二人とも、長くなるけど聞いてくれる?」
「うん」
永原先生は、発病したてのTS病患者というのは、急な傾きで転覆しかけている船に例えられるのではないかと最近考えているという。つまり、TS病で肉体の変わったショックで船のバランスが崩れているということだ。
例えば右舷側に傾きすぎた船の場合、男が強くなるのは右舷側に更に傾く行為で、最悪の場合復元不能になって沈没に至る。沈没というのはつまり死ということだ。沈没する前でも、例えば林間学校の時にみた客船映画のように、早い段階で沈没が決定的になると、乗員は船から逃げ出す。つまり自殺というわけだ。
そうならないためには左舷側、つまり女の子側に傾き直すようにしなければならないという。
そして、TS病の場合、常に右舷に傾くように圧力がかかっているのだという。
しかし、極めて珍しい、というよりも今まで一例しか存在しないが、夏休みのあたしを見て分かるように、それがあんまりに強すぎると、もしかしたらそちらでも沈みかねないとも言えるのだ。ただしこちらは仮説の域を出ていない、もしかしたら中央まで復元し、更に左舷側に傾けようとしても、別の力が働いてそれ以上は傾かないかもしれない。
ともあれ、船が元通りになり、右舷へと押し出す圧力がなくなるのは、早くて生理の課題を乗り越えられた時、遅くても最終試験の時ではないかという。
ただし、安定航行に入っても船は航海を続ける以上時折揺れることがある。これが「男が出る」ということだという。
TS病の船は燃料と食料、乗員の体力に制限がないからどこまでもどこまでも大海を航海し続けられるのが最大の特徴。
他の船は、燃料も食料も、乗員の体力も有限だから、最終的にはあちこちが故障し、燃料が切れ、漂流し、最後には傾いて沈んでしまうのだという。
「石山さんの船は、とても復元力が高かったのよ。でも、左舷に傾けすぎて、ちょっと危なかった時もあったわよ」
「あはは……でも今は安定しているようでよかった」
「うんうん」
「そうすると、さっきの例えだと、家族も左舷に戻すためにするべきというのがあたしの持論。本人の意志を尊重するという善意が、最悪の結末を招きかけないわ」
「うん、私達も今までは家族の支援もしてきたんだけどねえ……足りなかったのかもしれないわね」
永原先生が言う。うん、確かにそんな感じだ。
あたしの例を取ってみても、母さんはともかく、父さんとはあまり話もしていないし、復学後も家族ではなくあたしのケアに忙殺されていた。
あたしの場合は、すんなりとカリキュラムを受ける決意があったから良かったけど、いつもうまくいくとは限らない。
「なあ、思ったんだが」
浩介くんが言う。
「ん?」
「TS病って飛行機にも例えられるなあって」
「篠原君、どういうこと?」
「ああ、話すと長くなるけど聞いてくれ」
浩介くんによると、TS病患者は上空で失速した飛行機に例えられるという。
操縦桿を引くというのが「男側」に傾く行動、逆に揚力を回復しようと操縦桿を倒すのが「女の子になる」というのだ。
そして、その飛行機も、機首が上がる圧力がかかっているため、操縦桿を思いっきり倒す必要がある、しかしあまりに倒しすぎると今度はオーバースピードになって、空中分解の危険性もあるという。
失速し、高度が落ちるに連れて徐々に挽回が難しくなっていく。
そして操縦桿を引き続けていれば最後は自らの手で墜落、つまり自殺するというわけだ。
TS病の飛行機は燃料を自分の手で作ることが出来、機長も副操縦士も無限の体力を持つから、地球を何週でも出来るが他の人の飛行機は最終的には燃料が切れて墜落してしまうのだという。
「昔大西洋に墜落した飛行機があって、35000フィートも高度があったのに副操縦士が操縦桿を引き続けて墜落した事故があったんだ」
知っている。あたしもたまたま林間学校で見た。
「その時、操縦桿を引き続けている副操縦士の腕を引き剥がす役目、それが他のクルー……つまり家族というわけだ」
「もちろん、本人のケアも必要だ。その事故では、混乱していた副操縦士に代わり、別の人が機長席で操縦桿を倒したんだが、そいつが操縦桿を引き続けていたために、相殺されただけになっちゃったんだ」
船と飛行機の2つの例え話、TS病患者についての見識が、また一つ深まった。
これまでは、TS病患者というと、あたし自身と永原先生だけの世界だった、たまたま会に誘われて、他のTS病患者とも接することが出来たけど、それだっていわばある程度「成績優秀」な人の集まりだ。
今回始めて「成績不良者」と呼ばれる患者がどんな人なのか、改めて知ることが出来た。
あたしの中で、世界が広くなるのを感じた一日だった。
帰り際、「また明日」という声と、「体罰はもうやめてね」と改めて釘を差されて、あたしはまず本部に寄るという永原先生と分かれ、そしてあたしの最寄り駅で浩介くんとも別れた。
「ただいまー」
「おかえりー、疲れたでしょ? 晩御飯は手伝わなくていいわよ」
母さんのいつもの出迎え。
「ありがとう」
「それでどうだった?」
「うん――」
あたしは、今日起きたことと永原先生の評価を話す。
「そう、うまく行ってよかったわね。でも、ひっぱたいちゃったのはちょっとまずかったと思うわよ」
「うん、ちょっと反省点ではあるけど、あの状況だとあれ以外ないかなって思って――」
「そうねえ、ま。お母さんは家族会員だし、優子のやりたいようにやっていいわよ」
「う、うん。ありがとう」
あたしの母さんは、おそらく自分の欲求を優先させて、ノリノリであたしを「息子」から「娘」にしようとした。
でも、塩津さんのところは、心理的動揺もあって、多分幸子さん、いや悟さんのことを想って自由に生きていきたいと見守るような構えを見せた。
結果的に、我欲のままに生きたあたしの母さんは、あたしが女の子になるための手助けになった。
あたしは女の子になって、うんざりしていた乱暴な生活にも終止符が打たれ、クラスのグループの女子も一つになって、心から大好きな男の子も出来て、何もかもが幸せな生活になった。
だけど塩津さんのお母さんは、子供のためと言いながら、幸子さんの性自認を男のまま放置し、自殺の後押しをしてしまっていた。あたしが無理矢理止めなければ……いや、実際まだ予断を許さない状況には変わりはない。
ああそうか、これも「善意の罠」、小野先生や教頭先生と同じ状況だったんだ。
もし、塩津さんのお母さんが、女の子らしさを身につけるのを嫌がる幸子さんに、同情心を抱いてしまったら?
そう思うと、あたしはやっぱりまだまだ怖くて眠れなかった。