戦車道の世界に魔王降臨 作:そばもんMK-Ⅱ
ちなみに作中の大尉は四四八との最終決戦後です。万歳した後です。
プロローグ
「理解しろ甘粕――現実にない
「世の行く末を憂うなら、自分の力でどうにかしてみろォォッ!」
裂帛の喝破とともに放たれた一撃をまともに受けながら、しかし男の胸中に湧き上がるのは静かな感激だった。
なぜならこれこそが前人未踏。
至極単純な二つの道理の上に成り立ったそれは、しかし男が終生見たことのない勇気の表れだった。
一つ目の理由は、彼が
他ならぬ彼がそう断じているのだ。その境地に達する葛藤が、決断が、恐怖が、男には……否、男だからこそ理解できるのだ。
ゆえに二つ目。男は、そんな決断に憧れてしまった。
そんなことが出来るのか、否。いや、しかしもしも本当に出来るのならばどうか見せてくれと、焦がれるように希った。ならばこそ、男――甘粕正彦は
そうして、真の勇気を見た。
「おまえの存在こそが俺の
ならばこそ信じさせてくれ、おまえの勇気を。
「夢ではない。そうなのだろう。柊四四八。大義を成すのは現実の意志……夢から持ち帰るのが許されるのは、そのための誇りだけ。俺の理解に、間違いはないのだな……?」
恐怖も、忌避感も、総じて不要。理不尽が、試練が、超常の力がなくとも、人は希望を、そして勇気を抱いて立ち上がることが出来るのだと。
そんな真の勇気の体現者が、今目の前にいる。
「ああ……ようやく理解したか劣等生。おまえほど理解の悪い奴が、今後は現れないことを祈ってるよ」
なるほど、己は弱者であったか。ああそういえば、この戦いが始まって以来、柊四四八にそんなことを指摘されたな。耳が痛い。
では、潔く去るとしよう。なぜなら――
「ならばよし。悔いもなし!認めよう、俺の負けだ!」
己は敗けたのだ。しかし不思議と――いや、
悔しさ、無念さ。そんな感情は一切ない。むしろ、嬉しくて嬉しくて仕方がない。
「俺の宝と、未来をどうか守ってくれ。おまえにならすべてを託せる。万歳、万歳、おおおぉぉォッ、万歳ァィ!」
俺の愛したものは、この天下に確と存在すると証明された。これ以上の祝福は存在しないだろう。
そうして――
豪笑とともに、甘粕正彦は黄昏の中へと消えてゆく。魂すら粉砕する神威の嵐も、彼とともに消えてゆく。
消えてゆく、消えてゆく。なぜなら、全てはユメなのだから。
ゆえに、これは夢の続き。主演は勿論、かつて魔王と呼ばれたこの男ーーではない。
「ふふふふ、ははははははははははははは――――!
ああ、なんと素晴らしい。なんと眩しいのだろう。素晴らしいものを見せてもらった!」
戦車道全国高校生大会、決勝戦。その様子を会場に設営された一室から眺めていた長髪の男ーー甘粕正彦が呵々大笑しながらそう叫ぶ。
だがそんな甘粕の様子とは異なり、部屋は極度の緊張と不安に満ちていた。
「少し静かになさい、貴方」
その原因こそが部屋の最前列に座り、今しがたなおも大笑している甘粕に氷のような視線と言葉を投げかけたこの女性にあることは、この場の誰もが理解していた。
西住しほ。
高校戦車道連盟の理事長にして、戦車道の世界においてその名を轟かす西住流の師範を務める女性。
そんな彼女が明らかに尋常ではない様子でいるのだから、それも仕方がないことなのかもしれない。だが、甘粕はそれでもなおその表情から笑みを消すことをしなかった。
「ああすまないな西住殿。なるほど確かに、先の俺の行動はこの場には相応しくない。騒ぐならば応援席ですべきだったかな、これは失敬。いやはや全く、自罰してはいるのだがな、それでも時折”つい”やってしまうのだ。だがそれほどまでに彼女の――西住みほの決断は素晴らしかった」
「……副隊長がフラッグ車を捨て、試合を放棄した。あの子の行いは西住流として、またチームを預かる副隊長という立場であることも鑑みれば、叱責されてしかるべきものです」
「……」
しほの冷徹な言葉にも甘粕は動じない。表情から笑みは消えず、その双眸がまっすぐしほを射抜いていた。しほはそれがなぜか、とても恐ろしいものに思えて仕方がない。
「……っ。皆さまも、今回はお恥ずかしいものを見せてしまい申し訳ありません。ではこれで――」
「何を謝罪する必要がある。先も言っただろう、今回の彼女の決断は素晴らしいものであったと」
またしても口を挟む甘粕に、ついにしほも我慢の限界を迎えてしまう。
「ですからっ、あの子の行動は西住流として――」
「撃てば必中、守りは固く、進む姿は乱れ無し。鉄の掟、鋼の心。勝利をこそ渇望し、一切の妥協は許さない。ああ確かに、その教えから考えれば彼女の行いは紛れもなく邪道だろう。そうでなくとも、彼女の立場上搭乗車両を放棄することは事実上の白旗だ。それは戦車乗りとしてしてはならぬ行為であり、ゆえに間違っている、という西住師範の言葉は紛れもなく真実だろうさ。選択としては救助隊に一任するというものもあったわけであるしな」
「だが、俺が言っているのはそう言った正誤の問題ではない。そうではないのだよ西住師範。そんなことは問題ではない。そもそも先ほど貴女が話していた心構えなど、彼女が知らぬわけはない」
「……貴方、何が言いたいの」
「つまるところ俺が素晴らしいと言っているのは彼女の行動そのものではない。正誤の判断など価値観や状況によっていくらでもその結果が二転三転する程度のものでしかない」
例えば、仮に今回の出来事が全国大会の決勝ではなく同部隊内の紅白戦程度のものであったならば?
例えば、救助隊を待つ猶予すら彼女らにはなかったとしたら?
同じ行動をしたとしても、訪れる結果はおそらく異なってくるだろう。甘粕が着目しているのはそこではない。
「先ほどから言っているだろう。彼女の”決断”は素晴らしいと」
言葉に熱が、魂が宿る。決して大きくはない甘粕の声は、しかし確かに部屋中に響いていた。
「自らが所属する集団が掲げる理念。背負っている期待と責任。それら全てを理解したうえで、彼女は、西住みほはなお仲間を一刻も早く救うことを選んだ」
その葛藤を、苦悩を、そして恐怖を。全て承知したうえで為された決断。
「ともすれば、いやおそらくは、彼女にそこまでの考えはあの瞬間にはなかったろうさ。だからこそ彼女の行動は半ば反射的なもので――」
深く考えた結果ではないだろう。そもそもそんな時間すら、あの瞬間の彼女には無かっただろうから。
「水没した車両の安全は絶対ではない。そして、水の中に閉じ込められた乗員が抱くであろう恐怖と絶望。仲間をそんな状況に放置するなど、考えもつかなかったのだろうさ。彼女が何より大切にしているのは勝利ではない。共に戦い、共に笑いあえる仲間だ。ならばそれが全てであり、俺はその決断と意志をこそ尊敬する」
ふと、甘粕の脳裏にかつて目にした勇気ある若者らの姿が思い浮かぶ。
誰一人欠けることなく、朝へ帰ることを目指した彼らは、各々素晴らしい
見せつけられた、魅せられた。あれとは方向性はまた異なるが、それでも思わず想起した。
「つまりは勇気、覚悟だよ。それがたとえ何であれ、願う
本当に肝要なのは意志の方向性ではなくその絶対値。己が信ずる
それこそが甘粕正彦の愛する勇気。
「何故なら誰でも、諦めなければ夢は必ず叶うと信じているから」
「ならばこそ、俺は彼女に確と胸を張ってほしいと願う。そして無論、西住師範――否、西住しほ。おまえにもだ」
しほに対する呼び方が変わる。無礼だなどと騒ぎ立てる者はこの場にいない。誰もが甘粕の言葉に呑まれ、そしてただ聴き入っていた。
そしてまた、しほはその意味を理解していた。ああ、つまり――
「……私の言葉に嘘がある。つまりこう言いたいのでしょう」
「否。だがそれに近いな。西住しほよ、おまえの言葉に嘘はない。西住流師範として、あれらは紛れもなく本心であろう」
だが、と甘粕は指を立てる。その先を聞けば、おそらく自分は苦悩することになるだろうと理解しながら、しかししほは甘粕の言葉を待った。
「――だがそれは、
「……」
「社会的組織や集団の中において、そしてまた社会的な立場を得ることによって、人はどうしても己を見失い、また己を殺してしまう。我とは組織の崩壊につながる要素の一つだからな。おまえもまた、己自身どうすればよいか分からぬのだろう」
「だがそれで構わんのだよ。悩み、悩み、悩んだ末に人は答えを出すのだ。本当に自分が為したい道とは何なのか、本当にこれでよいのか、何か過ちを犯していないか、とな」
その逡巡こそが人なのだ。だからおまえは何も間違っていない、と。
そう、だから――
「好きにするがいい。どのような選択であれ、それが真実おまえの信ずる
そこで初めて、甘粕は深く息を吐き、そして深く頭を下げた。
「非礼を詫びよう、西住師範。差し出がましい真似をした。では、失礼する」
顔を上げた甘粕が部屋から出ていっても、しほはしばらく動けなかった。
「甘粕、正彦――」
戦車道とは無縁の家に生まれながら、若くして日本戦車道連盟のナンバー2にまで上りつめた男。ここまで長く、また密度の濃い会話をしたのは初めてだった。
「少し、疲れたわねーー」
ふと自分が何時の間にか立ち上がっていたことに気付いた。席に座りなおすと、周囲にいた他の役員たちが色々と話しかけてきたが、一切合切聞こえない。
(――私が本当にしたいことは、何?)
視線の先、表彰式を控えて整列しようとしている黒森峰のメンバーーーいや、みほに話しかけている甘粕の姿を見ながら、しほは深く椅子に体を預けた。
そう、主演は甘粕正彦ではない。戦車道とは乙女の嗜み。あくまでもこれは彼女たちの物語だ。
だが――そう、だが。
甘粕正彦の存在は、きっと大なり小なり様々な波紋を齎すだろう。
「見守ることもまた、勇気。そうなのだろう、柊四四八」
それがどんなものか、甘粕ですら想像することは出来ない。
「ならば俺は見守ろう。彼女らの夢を、その道のりを」
それでも、柊四四八が示したように。
人は希望を、誇りを、理想を抱いて立ち上がることが出来るのだと信じているから。
不安などない。彼女たちは必ずや、素晴らしい勇気を見せてくれると確信しているのだ。
「俺はいつもおまえたちの傍に在るのだ。胸を張れい、少女たちよ」
おまえたちの未来にどうか幸あれ。
俺はそれを、心から願っているぞ。
続かない。