糸守の命運は、セイバーの手に委ねられます。
果たして、セイバーは糸守を救えるか?
一方で士郎は、頭に引っ掛かっていた懸念事項を思い出し……
いよいよ、最終回……ではありません。
彗星再接近の日の、朝が来た。
「おはようございます、三葉。」
いつものように、セイバーは横で正座している。いよいよ今夜だ。私は、セイバーと向き合って座り、セイバーの手を握る。
「頼むに、セイバー!絶対、勝ってね!」
「はい、必ず!」
セイバーは、自信に満ちた顔で、心強い返事を返してくれた。
ここまで来たら、もう開き直れたのか?前日までの不安は無かった。普通に朝食を食べ、普通に登校した。
「三葉、今日は元気やね?」
ここのところ、毎日私の心配をしていたサヤちんも、今日の私を見て安心したようだ。
「そら、お祭りやからな?1200年に一度の、天体ショーもあるでな。」
テッシーが言う。別に、お祭りで舞い上がってる訳じゃ無いんだけど、まあそういう事にしておこう。
何故か、今朝は登校中にクロエさんと会わなかった。
昨夜の結果は、お婆ちゃんに連絡があった。クロエさんは、残念ながら間桐くんに負けてしまったようだ。
学校に来ると、松本が今日は欠席だと知らされた。昨日の負けが、相当ショックだったのだろう。これでしばらく、大人しくなってくれるとあり難いが。
クロエさんも、来ていなかった。彼女も、ショックで欠席なのだろうか?等と考えていると、始業間際に教室に入って来た。しかし、何も言わずに席に着いてしまった。いつもなら、陽気に挨拶して来るのに。
「おはよう、クロエさん。」
私の方から、挨拶してみた。
「オハヨウゴザイマス。」
にこりともせずに、無表情で返事が帰って来た。そして、そのまま前を向いてしまった。
やはり、昨日の事が相当ショックなのだろうと思い、その場はそっとしておいた。
決勝戦があるので、その日は学校を早退した。サヤちんとテッシーには、“神社で本祭の準備があるから”と言って誤魔化した。こういう時には、神社の巫女という立場は便利だ。
家に戻り、セイバー、お婆ちゃんと一緒にまた御神体に向かう。御神体に到着する頃には、もう日はかなり暮れてきていた。
間桐くんと、間桐家の長老は既に来ていた。私達が到着すると、間桐くんの使い魔、陰陽師の英霊が姿を現した。平安の貴族のような狩衣を着て、頭に烏帽子を被っている。顔立ちは良く美男子系だが、その異様に濃い黒い瞳からは、妖しい雰囲気を感じてしまう。
お婆ちゃんと間桐の長老は、御神体の巨木の根元に椅子を置いて、そこに腰掛けて見ている。私と間桐くんは、邪魔にならないようにできるだけ後ろに下る。セイバーと陰陽師は中央で対峙し、いよいよ戦いが始まる。
「サーヴァント、セイバー、行くぞ!」
「陰陽師、安倍晴明……参る!」
俺は、朝から気が気では無かった。
今日が、糸守に彗星の破片が落下する日だ。あの御神体に行った日以降、三葉との入れ替わりは無い。入れ替わりの目的が糸守を救うためなら、もうこれで、二度と入れ替わりは無くなるという事だ。
入れ替らない限り、3年前の三葉に連絡する術は無い。ただじっと、ここで歴史が変わるのを待つしか無い。そもそも、戦いは昨日も行われている。それに勝っていなければ、元も子も無い。
「少しは、落ち着いたらどうなの?いくら心配したって、3年前の糸守に行ける訳じゃ無いんだから。」
居間で、熊のようにうろうろする俺に、遠坂が言う。
「そう言うけどな、もし、セイバーが負けたら……」
「大丈夫よ!アーサー王に敵う英雄なんて、そうそう居ないわ。あのギルガメッシュみたいなのが居れば別だけど、日本の英雄にそんな奴いないし。」
「まあ……そうだけど……」
「とにかく、まず座ったら?」
言われて、俺は腰を降ろす。
良く考えたら、元々俺は、聖杯に願う事自体に懸念を感じていた。何で、そんな気持ちになったのか?
糸守で、聖杯戦争が行われるのは、今回が二度目。最初に行われたのは、1200年前。
古文書の類は、200年前の火事で消失した。残っている記録は、間桐の分家が持ち出した、大昔の古文書の写しだけ。でも、それですら、1200年前の儀式の詳しい記録は……
その時、俺はようやく思い出した。頭の隅に引っ掛かっていた、懸念事項を……
「そうだ……1200年前の、聖杯戦争は失敗しているんだ!」
「え?」
「何故、失敗したんだ?今迄、それを考えようとしなかった。」
「そんな事、考えたって分かる訳無いじゃない?」
「いや……糸守湖のあの形……あれは、彗星の破片が墜ちてできた湖じゃ無いのか?」
「はあ?」
「1200年前にも、糸守に彗星の破片が墜ちた……聖杯戦争が失敗したのは、そのためだ。」
「それが……何だって言うの?」
「聖杯で、彗星の破片落下は、止められないんじゃ無いのか?」
「何言ってるの!聖杯は、どんな願いでも叶う万能の器よ!その時は……事前に彗星の破片落下を知らなかったから……」
「儀式は、当日の夜に行われているんだ!目の前に危機が迫っていれば、誰だろうと、それを何とかしたいって思わないか?」
「気付く前に、もう願いを言っちゃったとか?」
「二度もか?3年前にも、同じ事が起こってるんだぞ?」
「それは……」
「いや、もしかしたら、聖杯が彗星を引き寄せているんじゃないか?そうでないと、最接近の度に、同じ場所に破片が墜ちるなんて考えられない!」
「考え過ぎよ!」
「いえ!」
そこに、セイバーが入って来る。
「士郎の言う通りです。」
糸守は、もう完全に日が落ちて、夜になっていた。空には彗星が長い尾を引いて、空に紐のような模様を描いている。その下で、セイバーと晴明の戦いが繰り広げられていた。
晴明は、式神や呪符を使って、セイバーに遠隔攻撃を繰り返す。セイバーは、カモフラージュを施したままの剣で、それらを撃退する。その合間を縫って、セイバーは接近を試みるが、その度に晴明は強力な呪符でそれを阻む。お互いに有効打が出ないまま、膠着状態が続く。
「どうした、セイバー?それでは、いつまでも私を倒せんぞ。」
「あなたこそ、そんな程度の攻撃では、私は倒せない。」
「ふふふ……別に、勝負を急ぐ必要も無いのでな……」
何か、こちらの考えを見透かされているようだ。遅くなればなる程、彗星の破片落下への対応が遅れてしまう。それを知ってるセイバーは、無意識に勝負を急いでいた。
「ならば……」
セイバーは、剣のカモフラージュを解いた。黄金に輝く剣が、その姿を現す。
「ほう?」
それを見た晴明は、不気味な笑みを浮かべる。
「行くぞ!」
セイバーは、晴明に突進して行く。
「させぬ!」
晴明は、強力な呪符を放つ。
「はあっ!」
しかし、力を開放された剣の前では、そんな物は紙切れに等しかった。一気に間合いを詰めたセイバーは、晴明を一刀両断する。
「ぐはあっ!」
晴明は、血を吐いてその場に跪く。切り裂かれた胸からは大量の血が流れ出し、体からは、大量の魔力が放出されていく。そしてそれは、御神体の中へと吸い込まれて行く。
「み……見事だ……」
「やった!」
セイバーの勝利に、私は歓喜する……しかし、断末魔の晴明にセイバーが問い掛ける。
「何故だ?」
「……ん?」
「あなたは、全力で戦っていなかったのではないか?」
「ふっ……気付いていたか?」
「あなたには、まだ余力があるように感じた。最後の私の一撃も、その気になれば防げたのではなかったか?」
「ふん……ここまで来れば、別に勝つ必要も無かったのでな……」
「どういう事だ?」
「要は、あの御神体とやらに……英霊三人分の魔力を、注ぎ込んでやればよかったのだ……」
「あなたは自身は、聖杯はいらないと言うのか?」
「聖杯?……ふふふ……はははははは……」
「何がおかしい?!」
「お前達は、本当にあれを聖杯と信じて疑わなかったのだな?……おめでたい話だ……」
「何っ?!」
その時、御神体が大きく輝き出した。そして、御神体から一陣の光が天に昇って行く。それは、天空に輝くほうき星に、吸い込まれるように消えて行った。
「ふん……これで、もうしまいよ……」
「何だ?何が起こった?」
「彗星を……良く見るがよい……」
言われて、セイバーは彗星を凝視する。私達も。
「あれは?」
すると、彗星が二つに分かれ、片方は違う軌道に逸れて行く。そして、少しずつ赤い塊となって大きくなっていく。
「彗星の一部が、分離したの?」
それを見た、私が言う。
「あれが……ここに、墜ちて来るのだ……」
「何だと?そ……それを防ぐための、聖杯では無かったのか?」
「ふふ……まだ分からんのか?あれは聖杯などでは無い……」
「何?」
「古文書を見た者が、勝手に勘違いしたのだ……あれは、1200年前に、私が敵を滅ぼすために造り上げた兵器だ……英霊三人の魔力を溜め込んで、彗星の一部を引き寄せ、その落下で都ごと滅ぼすためのな……」
「ば……馬鹿な……」
「待って、それは変やないの?」
私が口を挟む。
「1200年前じゃ、あなたもまだ生まれて無いやろ!」
「それは、お前が見て来た歴史か?……」
「え?」
「お前達が知る歴史など、所詮残された書物による物……そんな物は、当時の権力者の都合で脚色された物が殆どよ……私は、1200年前に既に居た……その時の、儀式を謀ったのも私だ……この地に、強大な敵が居ったのでな……歴史に残る私は、式神か、私の子孫に過ぎない……」
「な……」
「それが、あなたの望みか?戦国の世ならともかく、今の糸守に、あなたの敵などいないであろう!」
「……ふふ……ただの余興よ……」
「何っ?!」
「せっかく、英霊として召喚されたのだ……つい昔のように、命を弄んでみたくなってな……」
「こ……この、外道が……」
「滅びの時まで、あとわずか……諦めて座して死を待つか、最後まで足掻くか……後は、好きにするがよい……」
そこまで言って、晴明の体は消滅していった。
私達は、どうする事もできなかった。今から山を降りて、皆に警告してもとても間に合わない。彗星の破片の赤い光は、どんどん大きくなっている。
「そ……そんな……」
お婆ちゃんは、腰を抜かして茫然としている。私も、その場に崩れ落ちた。膝を付き、両手をついて、下を向く。目からが、涙が溢れ出て来る。
「も……もう、皆助からんの?皆……死んじゃうの?」
セイバーは、黙って私を見詰めている。
「聖杯なんかに……聖杯なんて、不確かなものに縋ったのが、間違いやった……難しくても……皆を説得して……逃げてれば……こんな……こんなことには……」
涙が止まらない。滝のように涙が、頬をつたって地面に水溜りを作る。
「諦めるのは……まだ、早いです。」
「えっ?」
私が顔を上げると、意を決したような、セイバーの顔がそこにあった。
「はっ!」
セイバーは、窪地の縁に向かって走り出した。そして、ひとっ跳びで、縁の高台の上まで上がり、糸守に迫る赤い塊と正対する。
続いて、剣を両手に持ち、大きく天に翳す。すると、黄金の剣が更なる輝きを放つ。その光は、柱のように天に向かって伸びて行く。
こ……この光は……これが、セイバーの聖剣?
「エクス……カリバアアアアアアアアアッ!!」
セイバーは光の柱を、彗星の破片に向かって放つ。黄金の光の束が、赤い塊を飲み込んでいく。
「うっ!」
凄まじい閃光が、辺り一帯を包み込む。まるで昼間のように、糸守全体が照らされる。
「な……何や?」
「き……綺麗……」
糸守の人々は、まるで花火を見るかのように、空を見詰めていた。
とてつもなく、巨大な花火のような閃光が去った後、糸守は、再び夜の静寂さを取り戻す。
既に、彗星の破片は消滅し、空には彗星の本体が、綺麗な紐のように伸びていくだけだった。
セイバーの聖剣の力によって、糸守は救われたのだ。
「セイバアアアアアッ!」
私は、縁を駆け登って、セイバーに近づく。
「せ……?!」
セイバーの体は、既に透けてきていた。今の一撃で、魔力を使い切ったのだ。
「三葉……そろそろ、お別れです。」
「あ……ありがとう……セイバー……皆を……糸守を、救ってくれて……」
私は、また泣いている。
「聖杯は手にできませんでしたが、あなたを……マスターを護り切れた事は、満足しています。」
「うん……ほんまにありがとう……何度も、助けてくれて……」
「何度も?……私があなたを助けたのは、今回が初めてですが?」
「え?……そうか……まだ、知らないんやね?」
そうしている内に、更に、セイバーの姿は霞んでいく。
「もう時間のようです……お元気で、三葉。」
「うん……またね!」
最後まで首を傾げて、セイバーは消えて行った。
今のセイバーは、まだ知らないだろうけど……私は、既に3年後に、何度もあなたに助けられているんだよ……本当にありがとう、セイバー!
3年後の冬木市、言峰教会の中で……
「がはっ!」
大量の血を吐いて、蹲るランサー
「ば……ばかな……」
ランサーの心臓を、一本の槍が貫いている。だが、その槍は、ランサー自身の槍であった。
「くくくくく……」
ランサーの前には、ひとりの女が立っている。しかし、その女が発する声は、女の声では無かった。
ランサーは、その場に倒れ込む。そして、塵のように消滅していく。
その後ろで、言峰綺礼は、言葉を発する事もできず、茫然と佇んでいた。
「どうだ?言峰綺礼よ……私の力は、これで分かっただろう?貴様の持つ令呪で、私と契約せぬか?」
しばしの沈黙の後、綺礼は答える。
「ふ……ふふふ……面白い、9番目のサーヴァントとして、お前の、この聖杯戦争への参加を認めよう。」
こうして、糸守は救われました。
この話を始めた時から、最後はエクスカリバーで彗星の破片を破壊すると、皆さんも予想されていたと思います。
私も、“君の名は。”のクロスを書き始めた時から、一度、彗星の破片自体を破壊する話を書きたいと思ってました。やっと、念願が叶いました。
今迄のクロスなら、ここで完結なんですが、この話はまだ続きます。
冬木の聖杯戦争は、まだ終わっていませんから。
本編の中で語らなかったので、この話に出てくる、クロエスフィールの設定を説明します。
アイリスフィールと同時期に造られたホムンクルスで、結局は失敗作として廃棄される筈でした。ただ、何らかの手違いで廃棄されずに残っていたのを、糸守の聖杯戦争の事を知ったアインツベルンが、冬木の聖杯戦争の“保険”として再利用したのです。アイリスフィールはともかく、娘のイリヤは、当然そんな事は知りません。