アレックスは、女と取引をした翌日。つまり、七月二十一日に当麻とインデックス両名に事情を全て説明し、協力を得ることができた。
その際には、当麻が魔術師の心変わりに腹を立てる一方、インデックスが聖職者らしい文句を使ってそれを咎めていた。そして、見知らぬ二人を含めた数人によって部屋の隅に追いやられてお茶を啜っていた小萌えが目じりに涙を浮かべたため、当麻が大慌てしたのは小話である。
「――――まあ、現状はそういうわけだ。さっさと原因の魔術の消し方を教えろ。
どんな物か察しは付いてるんだろ?」
「教えてやってもいいが、タダというわけにはいかないな」
アレックスが話しているのは、胡散臭さならオカルト記事にも負けない学園都市の統括理事長である。
もちろん、理事長はビーカーの中に引きこもっているので不法侵入していた淡希を電話で叩き起こし、ビーカーのある窓の無いビルに案内させた。
彼女はそれで機嫌を損ねたようで、アレックスはコルク抜きを数本ほど体内に埋め込まれたが。
「何と交換だ?金っていう訳じゃ無いんだろ?」
アレックスは、理事長は金に固執するようなタイプではないと思っている。なので、先ほどの言葉は、労働力を寄越せということだと解釈した。
理事長が自分が魔術について詳しいということを隠そうともしないのには、こちらが予測を立てているのも見通されているという裏があるだろう。アレックスが彼を欺こうとしても、その実現はかなり困難となりそうだ。
「これからは先の仕事と併用し、とある実験の後処理をしてもらう」
「…………何?」
理事長から話された意外な仕事内容に、アレックスは思わず声を漏らした。
そんなアレックスに構わず、理事長は説明を続ける。
「後処理と言っても、やるのは死体の処理だけでいい。実験は"成果が出たら"終了する。何か質問は?」
終わりの見えない仕事内容にアレックスは研究室にいた頃を思い出した。つまり、休みはどこかに飛び去ったようだ。
「分かったよ。で、解決方法は?」
「簡単だ。脳に大きく影響している魔術の発動元の大抵は額か延髄、もしくは口の中だ。上条当麻の右手でそれに触れれば、後は簡単だ」
理事長はさも当然のように言うと、付け足すように言う。
「実験場所と日時はその都度連絡させる。今からの実験にはこちらから案内人を出す。いいな?
それと、死人の出る実験ということは了承してもらおう」
アレックスはそれを聞くと、もう用はないと言わんばかりに早足で出口から出て行ってしまった。
ガラスの中で液体の中にいる理事長が息をしているかは分からないが、同じ空気を吸いたくないとアレックスは真摯に感じたからの行動である。
「…………まだ被験者にはこの事は伝えてないと言おうとしたのだが」
その場には、かなり重要な事を意図的に最後に回したように思える理事長が残された。
「あなたが処理係ですか、とミサカは質問します」
淡希にビルから外に出してもらい、実験場への案内人へ取り次いでもらうと、その相手はいつかの戦闘マニアだった。
ただし、感情の抜けた瞳とSFチックなゴーグルを額に掛けているという違いはあるが。
「じゃあ、後は任せたわよ。見たいテレビがあるから」
何者か思案するアレックスに淡希は一声かけると、他人事だから知らないといった様子で立ち去ってしまう。
「お前、何だ?」
「私は実験のためのクローンです、とミサカは答えます」
一瞬、アレックスは彼女の頭はどうかしてるのかと思うが、学園都市でそう思える人間にはよく会うので、ここでは普通なんだと納得する。
アレックスの行動は常識に沿っているとは言い難いが、常識を知らないわけではない。
「…………時間の無駄だ、案内してくれ」
「自己紹介も無しですか、とミサカは常識を疑います」
驚いた様子は無いため冗談か何かなのだろうが、本当の真顔で言われればどちらか分からない。
だが、同様に
「アレックス・マーサーだ」
「ミサカ9812号。好きなものは特にありません、とミサカは簡素な自己紹介をします」
そして、9812という数字から、学園都市では人体実験は当たり前だと彼は改めて感じた。
おそらく、クローンの類いだろう。御坂美琴に9812人以上の姉妹がいるとは思えない。大方、人工的にレベル5を生み出す実験だろうか。それは、9812人作っても達成されていないのだろうか。
「そうか。さっさと案内してくれ、俺にも予定がある」
アレックスとしては、他人がいくら自分に関与しない理由で死のうと、知ったことではない。
ましてや、まさに実験材料といった雰囲気の、全ての感情を落としてそうなクローンだ。気にする事が異常だとアレックスは思った。
「分かりました。こちらとしても、実験の開始まで時間がありませんから。と、ミサカは賛成します」
9812号はそう言うと、付いてこいと言わんばかりに歩き出す。
アレックスは当麻に解決方法を携帯で伝えつつ、その小さな歩幅を大きな歩幅で追いかけた。
アレックスは死人の出る実験と聞いたため、目的地は閉鎖的な研究所と想像していた。しかし、9812号に導かれて到着したのは、第七学区の裏路地にある開いたスペースだった。
しかし、その死体の処理に困るような場所で行われる実験であるからこそ、自分が呼ばれた理由なのだとアレックスは解釈する。
「三分七秒後に実験を開始しますのであなたは現在位置で待機していてください、とミサカは警告します」
ミサカは更に奥へと続く通路に向くと、その奥には何かがいるように言う。
「ああ、分かった。ここにいればいいんだな」
アレックスは了承したように言うが、彼としては実験内容がいったい何か気になっている。なんせ、レベル5のクローンを使う実験だ。彼女に誰かを殺させるのか、はたまたその逆か。
見込まれる実験結果がどんなものかだけでも、知りたいという欲求が出てきた。
「本日の実験は後六回ありますが、詳しくは被験者に聞いてください。座標を暗号で伝えるとなると、貴方はそれを解読できないでしょうから。
ではさようなら、とミサカは今生の別れを述べます」
9812号は機械的に路地の奥へ歩き出す。
彼女をを見送ると、押さえきれない好奇心からアレックスは実験の観戦のために跳躍した。
何せ、先ほどの言葉から実験に"使われる"のは彼女だと分かったからだ。レベル5のクローンを使う実験を、見逃すのはもったいない。
「こっちだったな」
その先の屋上を伝って9812号の後を追うと、彼女は用意されていたように広がる路地裏の一角に出た。そこにいるのは、枯れ木に黒いシャツとジーパンを着せたような細さの白い髪の少年。9812号に見えるのはその背中。アレックスに見えるのはその横顔。
彼を誰かで観た気がしたので、アレックスは研究職の人物の記憶を探る。そして、該当した人物にアレックスは驚いた。
「一方通行│《アクセラレーター》…………か」
レベル5第一位。本名不明、能力名は『一方通行』。これはレベル5全てに当てはまるが、群を抜いて残忍な行動を中心としたその他諸々がイカれている人格破綻者だ。
その背後に9812号はたどり着くと、右に手にしていたアーミーナイフを筋肉の欠片も付いてない一方通行の肩甲骨目掛けて凄まじい速さで突き刺す。
「────あァ?」
一方通行は、何が起こったのか分からないというような声を発した。当然だ、いきなり背を刺されれば呆気にとられるのが普通だろう。
しかし、その切っ先はその薄い胸板の先から飛び出す事はなく、その軌跡をなぞるように同じ速度で弾かれた。
「ぐ!?」
9812号の腕はナイフをしっかり握っていたために大きく弾かれ、肘と肩から骨がずれて外れたような音が響く。
振り返った一方通行は、喜ぶようにその口元を大きく歪ませた。
「ンですかァその様は。不意打ちして自滅かァ?」
一方通行は、醜い獣のように笑っている。その姿は、楽しすぎて堪らなく、悶えてるように見える。
体勢を立て直すつもりなのか、9812号は駆け足で路地の更に奥へ逃げる。
「はっ! 逃げられると思ってンのかよォ!」
しかし、一方通行は短距離の陸上選手にも勝る瞬発力で、9812号の背中目掛けて突撃する。
本来ならば、お互いに複雑骨折や粉砕骨折をし、脳震盪も避けられない衝突だろう。しかし、一方通行は『本来ならば』の中には入らないようだ。
「────あ」
背中からタックルとも呼べない突撃を受けた9812号は、自動車事故にあったかのように体組織や体の一部を辺りに撒き散らしながら真上に吹き飛ぶ。
しかし、一方通行はピタリと止まったものの、傷一つどころかぶつかった際の返り血一つ付いていない。一方通行の完勝だ。
「ただの跳ね返す能力…………って訳でも無さそうだな。運動エネルギーの操作か?」
個人的な解釈を呟くと、アレックスは一方通行の背後に降りるように飛び降りた。
重く鈍い音と共に草の生えていない地面が二センチほどへこみ、アレックスの着地を音とともに一方通行に伝える。
「あァ?誰なンですかァお前は?」
一方通行は音に反応して振り替えると、アレックスをまじまじと見つめる。
彼としては一方通行には会いたくないが、いきなりの戦闘を避けるためには仕方がないと自身に言い聞かせた。
「気にするな、ただの死体処理だ」
一方通行に実験場の事を聞けと9812号は言っていたが、そんな事をしなくてもアレックスは知る方法がある。
アレックスは一方通行の横を通り抜けて地面に転がる仰向けの死体に歩み寄ると、しゃがみこんでその曲がった首に手を置く。そして、一方通行に見られないようにその掌から触手を出すと内部から死体を食わせ、いつかの人形の爆発前のように内部から吸い込まれるように消えた。
ざっと観た彼女の記憶からは、実験の目的、手段、近日に行われる実験の日時が読み取れた。おまけに、彼女は欠陥電気│《レディオノイズ》と呼ばれる電気能力を保有することが分かった。しかし、ゴーグルを使わないと楽譜がよめずに楽器をひくようにマトモに使えない、まさに欠陥のある能力なのであまり得したと思えなかった。
次の場所まで待機しに行こうとアレックスが立ち上がった瞬間、一方通行に声をかけられた。
「なンだァ? えらく変わった能力だなァおィ」
死体がアレックスの掌に取り込まれたのに異常を感じたのだろう、妙な関心をアレックスに抱いてしまった。
「教える必要はない。黙って実験を受けてろ」
しかし、アレックスは能力が強いとはいえたかだか十四、五歳の反抗期真っ盛りの少年とは話す気にならず、9812号の落とした刃先の折れたアーミーナイフを懐に入れる。何かに使えるだろう。
「────じゃあ、ご教授してもらおうかァ!!」
その瞬間、アレックスは背後から殺気が吹き出すのを感じた。
アレックスは反射的に背後の一方通行を殴りそうになるが、アーミーナイフが弾かれたのを思い出して離脱のために数メートル上に跳ぶ。
「てめえが売った喧嘩だ! 責任取れよォ!!」
そのままアレックスが壁面に張り付くと、明らかに彼を敵と見ている一方通行が笑っている。
「まったくこれだから…………」
その姿を見てアレックスは思わずため息を漏らし、一方通行から数メートル離れた場所へ着地する。
こうなれば、レベル5の能力を手に入れる足がかりできるかもしれない。ならば、能力の解析だけでもしようと考えた。
「試させてもらうぞ」
アレックスはそのまま一瞬で一方通行に近付くと、反応できない一方通行の顔面に拳を叩き込む。
しかし、それは先ほどと同じく彼に当たった瞬間に巻き戻しように弾かれ、アレックスの腕が、その骨と肉が軋む。ムリに押し込もうにも、押し込もうとすればするほど拳が戻ってくる感触。
運動エネルギーのベクトルを反転された、とアレックスは解釈した。
「えらく馬鹿力だなァ、オイ!」
一方通行は何もなかったかのようにアレックスに向き直ると、お返しと言わんばかりに鳩尾を殴りつける。
しかし、その拳はアレックスが十数センチほどの身長差から狙われることを予期し、予め作っておいた堅い装甲に阻まれる。だがそれも、一方通行の体型からは考えられないような威力を持ち、鉄パイプで壁を殴ったような音が立つ。
エネルギーの異様な増大。アクセラレーターの名の通り、加速させて増加させているのだろうか。
「ァ?」
殴ったアレックスが健在なことに驚いたのか、一方通行の動きが止まる。
そして、体重を増やすことによって微動だもしないアレックスは、一方通行の右目目掛けて人差し指を突き立てる。眼ならばどうか。
が、やはり弾かれ、今度はアレックスの指があらぬ方向にねじ曲がる。
これもまた、ベクトルの操作。また、一方通行は完全に気を抜いていた。つまり、この能力の行使は無意識に行われたものと推測する。
「ワリィな、反射はオートなンだよ!」
アレックスは眼球は防御できないと思ったのだが、その予想を裏切って一方通行は難無く弾く。
だが、自分から能力を喋ってくれたのは好都合だ。
そして、今度は蹴りを放たれ、アレックスは大きく吹き飛ばされる。が、空中で体勢を立て直し、反対側の壁面をへこませながら着地する。
対する一方通行は、力の向きを操る。反射かと最初は思ったが、それでは横にねじまがった指の説明に無理がある。
「身体能力を上げてンのかァ!?」
アレックスの異様な身体能力から当たりを付けたのか、見抜いているように言う。
「さあな。当ててみろよ」
アレックスは一方通行の能力を半ば見抜いたとはいえ、その対処法はまだ分からない。そこで、色々と試すことにした。
まず、小さなコンクリートの塊をいくつか拾い、それを人間並みの速度で投げ付ける。
「オイオイ、どうしたンだ?」
明らかに遅いのに気づいた一方通行は、能力の使用限界と勘違いしてあきれたように言う。
当たり前のように投石は弾かれ、それと同時にアレックスに向かって倍の速度で返ってくる。
アレックスは子供に嘗められるのに不快感を覚えるが、頭のいいやつに勘違いをさせるというのも面白いと感じて当たってみる事にした。わざとらしく、うめき声を上げながら転がる。
「限界かァ、三下ァ?」
ゆっくりと一方通行はうずくまるアレックスに近づく。わざとらしくゆっくり歩くのを足音で察した彼は、一方通行を滑稽だと内心笑った。
そして、苦しそうに息をはくアレックスの腹に一方通行が触れる。
「ミイラ取りがミイラってなァ」
途端、アレックスの体が内外問わず十数ヶ所破裂。そして、穴という穴から血が噴き出した。
アレックスは、一瞬何が起こったのか分からなかった。一方通行は自分に触れただけなのだ。
だが、自身の血管壁が逆流した組織液によって潰され、または広げられているのが彼には分かる。つまり、相手は自分の血液を逆流させたという線が最も有力だと考えた。
一方通行は触れた際に相手の体の異常さに気付き、子どもが作った粘土細工のようになったアレックスを見下ろす。
「統括理事会ってのは、こんな訳のわかンねえのも手駒に入れてんのか。全く、気持ち悪ィな」
呆れたように一方通行が呟いた時、彼の携帯が鳴りだした。
「ん?」
懐からが雑に携帯を取りだし、急かすように鳴るコールを止めようと出る。
「あァ? なンだ、芳川」
その相手はどうやら一方通行の知り合いの、芳川というようだ。
『そっちに行った死体処理係、理事長から送られたらしいわよ。彼と一度こっちに来てくれる?
彼、生物学に精通してるらしいから少し意見が欲しいのよね。特異な能力があるらしいから、それも気になるし』
その言葉を聞き、一方通行は足元に転がる死体処理係を見る。
「ああ、ソイツなら俺の足元で愉快なオブジェになってるぜ」
『…………何ですって?』
電話の向こうで、芳川が絶句したのを一方通行は感じ取る。
「何なンですかァ? 確かにコイツは異常な奴だったが、そこまで強いって訳じゃなかったぜ。それに、こんな仕事をさせられるなんてのは、どうせ捨て駒だ」
一方通行はアレックスから視線を放すと、乱暴に通話を切った携帯をポケットに押し込みながら背を向けて歩き出した。
その時、一方通行は背筋に獣のような視線を感じ、反射的に振り返った。
「どうした、研究所に行くんだろ?」
そして、何事も無かったかのように話し掛けてくる死体だった男に、一方通行は言い知れぬ何かを感じた。脳がズタズタになる傷を負ったのに再生したのだ。ありえないとしか言い表せないだろう。
アレックスは、一方通行能力への対処も不完全ながら理論としては組み上がっているため、一方通行を直ぐ様殴り飛ばしたかった。しかし、それをしてもメリットは新しい能力が手に入る以外は無く、むしろデメリットだらけのために自重した。
一方通行も、アレックスを殺す手段は考え始めているだろう。演算能力が桁外れの学園都市第一位となれば、その構築も速いはずだ。
「お前…………」
一方通行はアレックスがなぜ動いているのか気になったようだが、それを聞いても答えないと判断し、舌打ちをした。
「仕方ねェな」
一方通行は、諦めたように研究所へと歩き出す。
その言葉に従い、アレックスは芳川がどんな人物か想像しながら追いかけた。