レベルアッパー編終わったあと
上条当麻が目覚めて早数日。アパートへと戻った彼は元気そのものと言うよりも、むしろ有り余っている様子だった。財布や携帯を失くして不幸だと叫ぶなどはなんのその。稀にスキルアウト共を振りきれず、繁華街を振り切れるまで走っていることもある。
そうして帰りが遅れれば、隣の部屋からシスターが食事を求めてやって来るのだ。これは上条が話を通していたというわけでもなく、知り合いの部屋から食事の香りが漂ってきたので――何より空腹であるし――お世話になる。そうインデックスは言っていた。
今更一人増えたところで問題は特に無いのだが、アレックスとしては"たかられてる"というのが癪に障る。というわけで、"台所を使わせる"ということにしたのだ。
「ふふーん。今日はちゃんと料理本を暗記してきたんだよ!」
早朝にアレックスは実験より帰宅したが、隣室の気配は一つであった。どうせ大方、また厄介事に首でも突っ込んでいるのだろう。
そういう朝は台所に二人が並ぶ。インデックスと結標だ。
食事を取らないアレックスがそこに立つ道理は全く無い。つい先程も40キロほどの肉を取り込んだばかりなのだ。マンハッタンにいた頃に比べれば運動もしていないので、常に胃もたれしているようなものだ。
「あ、あれ、うまく……」
「ほらね。言わんこっちゃないわ」
「あわきは黙ってて!」
朝食を作るだけでも騒がしい。この部屋はこの学生だらけの街で比較的静かであった気がするが、今となっては忘却の彼方だ。
掛け布団を顔にまで引っ張りあげ、目を閉じると共にしばしの現実逃避を試みる。
結標は子供が嫌いで、インデックスに冷たいのではないかと思っていたが会ってみればこの様子。そしてインデックスもアレックスの部屋に結標がいることにはあまり疑問を抱かず、和気藹々とするのだから始末が悪い。
そして。
「アレックス。料理できるんだったら手伝いなさいよ!」
「そうだよ一緒にやろうよ!!」
考えることは違うが、よっぽどでもない限りこの二人のテンションは朝から高い。それを改めて実感しつつ、アレックスは渋々と数時間も居座れなかった寝床から抜け出るのだ。
久々に続くそれなりに騒がしい日々。インデックスの一件以来、精神を休ませるために通常の睡眠を取るようになった。
思えばノンレム睡眠を取れば怨嗟の声も聞こえなくなるというのは当然ではないか。それから逃れるために記憶を処理し続ける必要など、思えばあまりなかったのかもしれない。
そう思っていると、近くに来たインデックスが自身を見下ろしていた。信じられないものを見るような、驚いた顔で。
「何だ?」
本人にそのつもりはない冷たい語気。それを気にすることなくインデックスはにっこりと笑って言った。
「ううん。やっぱり笑顔が一番だよ!」
そう一言残し、淡希のところへと去る彼女。
淡希の持ち込んだ姿見に目をやれども、そこに映るのはいつも通りの無表情だった。
現状として、アレックスがやるべきことは少ない。
一つ。『レベル6シフト計画』における実地実験の手伝い。二つ。出来る限りの平穏の維持。これぐらいである。学生として夏季休暇の宿題などはあるがそれらは置いておこう。
前者は関係者外に情報が漏れないことと、アレイスターの自身を関わらせた意図――明らかな陰謀の影――がある以外には簡単なものだ。決まった時間に決まった場所に行き、死体や痕跡を処理するだけでいい。
後者は大きな問題だ。どんな姿形にも成れるからこその自己の定義。そのために若きころとはいえアレックス・マーサーの姿と名前を使っている。
そして、一番危惧すべきことであるのが、学園都市側でBlackLightの研究をされていることだ。
一般的に外の三十年先を行くという、この壁の中の科学力。だいたい三十年あれば初めての有人飛行からジェット機の発明まで科学は進むのだ。医学研究などというのは専門分野として携わっている者ですら追いかけるのが難しい。
BlackLightへのワクチン。感染とその後の完全な制御。それが成される可能性は非常に高い。アレックスの知らぬうちに集合意識から外れた感染体やウィルス株が研究者の手に渡っている可能性もだ。
「ああ……。」
憂鬱だ。心配事が絶えない。
煩い自室――監視として送られたのだろう淡希のいる――から逃れ、静かに気分転換にと小洒落たカフェに入ったのだがあまり良くなかったようだ。一人になりやることがなくなり、考えるべきことを考えると悪い想定、想像ばかりが脳裏に浮かぶ。
少しばかり、ほんの少しだけ、大嫌いなアルコールが飲みたくなった。だが、当然のように学園都市に酒類などマトモに置いてあるわけがない。とりあえずということで幾つかの料理を注文した。
「お客様――――」
混み始めた店内。ウェイトレスがテーブルに来、相席は大丈夫かと聞いてきた。一人でテーブルに居座っているせいだろう。見れば周りは団体様ばかりだ。
断る理由はあまりない。先ほど自分が注文したものも来たところであるし、テーブルは一卓に六脚の椅子だ。窮屈な思いはしないだろう
「問題ない」
アレックスは了承した。僅かに、気分転換にもなるので、あの風紀委員の連中あたりが来ないだろうかと思いながら。
すると間も空けずに通されてきたのは、四人の高校生だろう女子。知らない顔だ。
「だからアレはフレンダが――」
ウェーブがかったロングの茶髪。170cmほどとそれなりに高い身長。自信に満ちた瞳と顔。そして堂々とした仕草に、キツい語気もあって威圧的かつ大人びて見える。
このグループの中で一人大学生なのか、そう見えるだけなのか。服装の色選びも相まって判断がつかない。
「そういう麦野だって――」
同じくウェーブがかったロングだが、ナチュラルらしき金髪。細く小柄な体格。欧米人のような顔立ちをしている。日本語がやけに達者であるが、留学生か日系人だろうか。
騒がしいこの二人とは対照的に、無言で椅子を引いて座るのがもう二人。大人しげだがジャージ姿の黒髪と、どこかの電撃娘のように茶色がかった髪のパーカー女子。座るなり二人してメニューを手にとった。
「あの時は――」
席についても、未だに口論じみた言い合いをする二人。そこまででは無いが、高い声で繰り出される口論にイライラと不満が溜まってきた。
それが例え仲間内ではいつものことであろうとも、本人にとっては大事なことであろうとも、迷惑であるものに変わりないのだ。
「少し静かにしてくれ」
呼びかけも無しの唐突な言葉。
それにスイッチを押されたように二人は会話を止め、アレックスを凝視した。
数瞬の、ほんの少しの間。麦野と呼ばれた女がジッと彼の顔を見た。ガンを付けるようで、何かを見定めるような視線だった。
しかし。
「相席だっていうのにゴメンナサイ。ついヒートアップしちゃって」
と、それを感じさせぬ笑顔を一転して見せた。
対照的に唖然とする三人が気になりはした。この女の反応も気になった。
だが、大きな問題には成り得ないだろう。そう見たアレックスは箸を進めた。
大きめの二口。三口。二分ほどのその間、麦野の細められた目からの視線はアレックスの顔に刺さり続けていた。
「何だ?」
箸を置いて聞いてみれば。
「いや、箸使うの上手いなあって」
ニコニコと笑っている彼女。
どんな訳かは知らない。だが、自分を見て何かを受けたのは気のせいではないだろう。
口論していた時の態度が何時ものソレだとするのなら、これは何の企みがあってのものだ。――――どのようなものか、くだらないものか重要なものかは麦野の雰囲気からは検討もつかないが。
「話してて分かるだろう。長いんだ日本は」
「へえ。高校生?」
探るような話しかけ方。
人の良い者ならば、それなりに付き合いながら躱すのだろう。
だが、アレックスは良くも悪くも人を信じぬ男であり、仕事に関わりもない他者の機嫌を取るなどということは生前でもしなかった。とはいえ、戦車を片手で壊せるようになったといえど荒事を好むわけでないとすれば。
「ああ」
適当を、でたらめ言っていると思われない程度の態度で、いい加減な気分をもって応じる。それに限る。
「名前は? 」
「クロスだ」
「高校生?」
「見ての通り」
「第七学区なんだ」
「同郷人で固まったところで日本にいる意味がない」
短く、明確な肯定をしない返答をすれば、追い込むような矢継ぎ早な質問。
ならばと、合間に質問を差し込んだ。
「そっちの名前は?」
「私は麦野沈利。この金髪がフレンダ。フードが絹旗でジャージが滝壺」
「同級生には見えないな」
「バラバラね。まあ、そこは親しくなったら」
嘘を言った様子はなく、踏み込ませる気もないといった様子ではない。
だが、サイコメトラーのような能力が無い自分と違って、この四人の誰か。もしくはこの店内の誰かがそうかもしれない。能力とは厄介なものだ。
「そうか。そんな機会があったらな」
本人は当たり障りのない対応をしているつもりなのだ。アレックスとしては。
だが、それは信用出来ない、警戒すべきというのが前提にあって当たり障りがありありなのである。
「……この後用事でもあるのか?」
ピシリ、とどこか亀裂が入ったような笑顔で笑う。
少し怒った、とアレックスは敏感に察して考えた後。
「ああ。大事な用事がある」
と、正直に応えた。
何かといえば、今のところほぼ毎日ある一方通行の実験である。
「なら、仕方ないってことにしてやるよ」
ヒクつく頬を吊り上げて笑っているが、口調が完全に先ほどのものであった。
「麦野、超玉砕って訳?」
「あぁ?」
また口論が始まった。
先程のは杞憂だったのか。どうやらナンパのようなものであったようだ。
「まーた麦野は」
「大丈夫だよ麦野。次がある」
席を立ち、集団を一瞥する。
人混みで見つけるだけの声を含めた身体情報は記憶したのでいいだろう。怪しい組み合わせではあるが、そんなことを言えば学園都市は怪しい者だらけだ。なんせトップがアレなのだから。
「じゃあな」
伝票を手に、アレックスはスタスタと去って行ってしまった。店の外に出ると、すぐに外の路地の中へと消えて。
不機嫌そうな外人が去ったテーブルは、先ほど始まったであろう新たな口論の面影を感じさせないほど静まり返っていた。
「どうだったフレンダ」
「やっぱり若いけど――――」
話題はアレックス。そして。
「あの『マンハッタンを廃墟にした男』に間違いないってわけよ」
ひどく冷たい声でそう断言するフレンダ=セイヴェルンがいた。
一年と四ヶ月ぶり……アレさん熱は冷めてなかったのに何でだろうね