普段から、人通りの少ないパプニカの城下町の表通りから少し外れた場所にある裏路地。
そんな場所を、上から下まできれいに着飾った女性が二人、まるで何かを探すように歩いていた。
その雰囲気を見ていれば、彼女達が他所の国から来た観光客だとすぐに判る。
なにせ、彼女達の手には一冊の本が握られているのだ。
まず、観光客で間違いないだろう。
どうやら、パプニカの事を紹介するガイドマップらしい本を何度も見直しながら、その本に載っている場所を探しているようだ。
しばらく歩き回ったところで、彼女たちは目的の場所を見つけたらしい。
彼女達が見つけた場所は、それこそ一軒のこじんまりとしたカフェレストラン。
店の名は「Green Foresut」。
パプニカの中でも、少し洒落た雰囲気の店構えに見えるカフェレストランに、彼女達の表情は少し緩んだのだが、すぐ眉間に皺が寄った。
その理由は、実に簡単だ。
既に昼に近い時間であるにも関わらず、店先に「closs」の札が下がっていたからである。
「何よ、定休日なんて書いてなかったのに、休みなんて無いわ!」
今まで散々探してやっと見付けた分、店が休みなのは許せないような気がしたのだろう。
特に、こんな余り人が来なさそうな裏路地など、どう見ても貴族令嬢風の彼女達が普段足を運ぶ様な場所ではない事もあって、余計に癇に障ったのだ。
思いきり不満そうに言う女性の横で、もう一人の女性は行儀が悪い事も気にせずに、ヒールの先で店のドアを蹴り付ける。
「どうせ、こんな裏通りにある店ですもの。
客が少なくて潰れてしまったのかもしれなくてよ。
大体、このガイドブック通りにおいしい店なのかも疑問が残るわ。
本当においしいなら、こんな所に隠れるように店を出す訳ないもの。」
小馬鹿にした事を言いながら、うっかり観光用のガイドブックなどに乗せられてしまった自分達に腹を立てている様に見える彼女たちの背後に、銀髪の背の高い青年が姿を見せた。
ゆっくりと近付く足音に気付き、場所が場所だけに警戒するように振り返った彼女たちは、思わず息を飲む。
誰もが振り返りそうな、戦士系と思しきその人物に彼女たちが見惚れていると、その青年は先程まで自分達が悪態を付いていた店に視線を向けて、がっくりとしたように肩を落としながら小さく溜息を漏らす。
「・・・今日も店を開けていないのか・・・」
この様子から察するに、どうやらこの青年は地元の人間でこの店の事も良く知っている雰囲気だった。
しかも、青年の顔をよく見ているうちに、彼女たちはある事に気が付く。
もしかしなくても、この青年はあの世界を大魔王から救った勇者のパーティ「アバンの使徒」の一人、「戦士ヒュンケル 」ではないだろうか。
一応、彼女たちは隣国のベンガーナ出身の下級貴族だったので、戦争後に行われた世界的な式典に出ている彼を、遠目で見たことがあったのである。
今や、世の多くの女性にとってあこがれの存在とも言うべき、「アバンの使徒」の中でもいい男であるヒュンケルを、他国の下級貴族である彼女たちがこれ程間近で見られる機会など、殆ど皆無に等しいだろう。
少なくとも、現在のヒュンケルはパプニカで兵士達相手に剣術指南をしているのだから、他国を訪れている時間などはない。
元々、このパプニカは大きな大陸の中にあるベンガーナから来るには少しばかり離れていて、魔法使いでもない限り船を使わなければ来る事が出来ないのだから、彼が自分たちの母国を尋ねてくることは殆どないだろう。
こんな裏通りにある、小さく怪しげな店をお土産話の種にと探して来て本当に良かったと彼女たちは思いつつ、ヒュンケルに声を掛けた。
「・・・あの・・・ヒュンケルさんですよね?
この店に何か用があったんですか?
私達は、観光用のガイドブックを見てきたんですけど閉まってて、どうしようかと話したんです。」
そう言いながら、彼女たちはさっとヒュンケルの事を間に挟み込む様に取り囲んだ。
ここで、彼の事を逃がすつもりはないからこその行動である。
そんな二人の女性の行動に、ヒュンケルはどうしたものかと困惑しつつ、店の方へと視線を向けていた。
******
ヒュンケルはその日、昼休みに城下町の中でも一本裏路地に入った場所にある、ある人物の開いているカフェレストランへ、昼食を取るために足を向けた。
店を目指して歩きつつ、「もしかしたら今日も店を開けていないかもしれない」と思ったのだが、それでも一度食べたいと思ったら実際に赴いて確認するまでは諦める事は出来なくて、黙々と進んで行く。
何せ、店を経営しているコック兼店主は、周囲の予想以上に食材に対する拘り持つ頑固さを見せ、良い材料が手に入った時にしか店を開けない。
だから、明確な定休日が決められないのだ。
普通、客商売でそんな事をしていたら客を逃すだけなのだが、そんなことを一向に気にも留めないのもまた、この店の店主だった。
「・・・味は、文句なしの一級品なんだがなぁ。」
店の店主は、もう一ついい性格をしているのだ。
ヒュンケルだけでなく、店主が作った料理を食べたことのある者は皆、彼の料理の腕を超一流だと認めている。
だが、一つ困った問題があった。
それは、料理の作り手である店主が食べさせる相手を選ぶのである。
裏を返せば、店主が自分の料理を食べるに相応しい客として認めなければ、食事をするどころか入店してもすぐに店から追い出されてしまう。
しかし、一度彼に自分の店の客だと認められれば、店主の作る様々な極上の料理を、客の体調と好みに合わせて出してくれるのである。
しかも、その時に最高に美味い食材をふんだんに使って、最高の一品に仕上げた物を出されるのだから、文句の付け様はない。
ただ、一つだけ難があるとすれば、客の側からの料理のリクエストが出来ないくらいだろうか。
その分、その時の客の体調や精神状態まで考えておいしく食べれる物を提供してくれているので、何だかんだ言っても文句を言う者は居ない。
そんな事をつらつらと考えつつ、裏路地を進んでかの店主が開いている店の側まで来ると、二人の女性が何か文句を言っているのが聞こえた。
一人は、思い余って店のドアに蹴りを入れている。
呆れて物が言えないとはこの事だと、ヒュンケルはその醜態に対してそんな感想を抱きつつ、彼女たちの後ろから店のドアを覗いた。
すると、そこには彼の予想通り「closs」の文字が書かれた札が下がっている。
目の前にいる二人の女性の態度から、何となくそんな気はしていたものの、やはり今回も無駄足になってしまったことに、思わず溜息を吐くしかない。
「・・・今日も店を開けていないのか・・・」
溜息と共に漏らした言葉に、目の前にいた女性達の視線が自分に集中する。
その視線の中に、何となくではあるが自分を値踏みするものを感じ、思わず不快に感じてしまった。
しかし、それを顔に出す事なくこれからどうするか考える為に黙っていると、彼女達が恐る恐ると言った態で声を掛けてくる。
「・・・あの・・・ヒュンケルさんですよね?
この店に何か用があったんですか?
私達はガイドブックを見てきたんですけど閉まってて、どうしようかと話してたんです。」
そう言いながら、それこそさりげない振りを装って自分の周りを取り囲む彼女達に、ヒュンケルは何とも言えない不快なものを感じて、更に憮然とした顔になってしまう。
こういうタイプの女性は、元々苦手だった事も余計にそう感じてしまう理由なのだろうと予想を付けつつ、どうしたものかと思案を巡らせた。
服装を見る限り、この国の住人ではない上にそれなりに裕福そうな……そう、貴族と思しき女性が相手だ。
下手な行動は、このパプニカの国に迷惑を掛けてしまう可能性もある。
そんな風に、面倒な女性たちに絡まれて困っていたヒュンケルを救ったのは、件の店の主だった。
今まで、「closs」の札が掛かった扉がゆっくりと開いたと思うと、中から店の主が顔を出す。
キョロキョロと視線を巡らせ、すぐ側の道に立つヒュンケルの姿を捕らえたかと思うと、二っと嬉しそうに笑みを浮かべたのだ。
「なんだ、外が騒がしいと思ったらヒュンケルじゃないか。
丁度良いところに来たな。
今、新しいメニューを試作中なんだけど、試食する奴が居なくてさ。
兄弟弟子って事も考慮して、これから出す料理の料金は全部ただでいいから、出来立てほやほやの新作メニューを試食していかないか?」
にっこり笑って、ヒュンケルに向けてそう言ったのは、そう、みなさんもお気付きの通り大魔道士と名高いポップだった。
この会話によって、ヒュンケルの両サイドを囲むようにその場にいた女性達は、この店の店主が誰なのか悟る。
そして、自分達が店の前で取った横柄な態度を、店の中から見られていた事も。
そんな彼女たちの心の中での葛藤など、彼女たちの存在ごと無視すると、ポップは人垣の中にいるヒュンケルを自分の方に招き寄せる。
彼が、こういう女性達の扱いを尤も苦手にしているのを、ポップは良く知っていたからだ。
「・・・何だ、店の前に「closs」の札が掛かっていたから、店に来ていないのかと思ったぞ?」
ポップの機転に感謝しつつ、ついヒュンケルが店の前に来た時の感想を告げると、ポップはばつの悪い顔をした。
どうやら、彼自身も頻繁に店を開けられない事に関して、それなりに思う部分はあるらしい。
と言っても、やはり自分の拘りの方を優先させる為、営業方針を変えるつもりはないのだろうが。
「・・・仕方ないだろ。
そろそろ新作メニューを出したいと考えてたんだけど、いきなり店を開けた状態で客に対して試作品を出す訳にも行かないしさ。
それで、今日のランチは休みにして、試作品を何種類か作ることにしたんだ。」
そう言いながら、ヒュンケルを店の中に招き入れる。
彼が店の中に入ると、ポップはその場に残されている女性達に対してにっこりと笑い掛け、そのままきっぱりと一言言い切った。
「・・・悪いけど、うちの店にはあんた達は相応しくない客みたいだね。
だから、店の主として、あんた達の入店を拒否させて貰うよ。
幾ら時間を変えたり、一緒に来る相手を変えたとしても、あんた達二人の顔を俺は覚えたから、店には入れないと思ってくれよ。
ま、そう言う訳だからさ、さっさと帰ってくれ。」
笑顔のまま、さっくりとそれだけ言うと、ポップはそのまま店の扉を閉めてしまう。
残された彼女たちは、余りの出来事に声も出ずに立ちつくしていた。
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余りの出来事に、呆然と立ち尽くす彼女たちの様子を見ていた街の人たちは、苦笑しながら次々にこの店の事を教えてやる。
この店が、大魔道士ポップが自分の趣味で出した店であり、立ち入る客を店側が選ぶ事でも有名なこと。
また、この店には決まった定休日は無いものの、店の店主であるポップの都合(主に食材の仕入れ具合)で休みが決まること。
そして、その事はこの国の女王であるレオナを持ってしても絶対に覆すことが出来ないことを。
その話を聞いた彼女たちは、自分達の自尊心を酷く傷つけられつつも、自分が店の前で取った態度にも非があるために文句も言えず、大人しく店を後にしたのだった。
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唐突に、他のジャンルを書きたくなったので。
この話は、十年近く前に出したコピー誌の改訂版になります。