最近、ヒルゼンの様子が変な気がする、というか絶対変だ。
以前のあいつの相手を心から信じ、その為に甘い対応をしてしまうような性格が少し変わったのだ。
その変化は間違いなく九尾襲来後、危篤状態から急に回復した時だった。
最初はいつも通りのヒルゼンかと思えば、少し口調が変になる時があった。しかし、それは本質的な変化ではない。その証拠にここ1,2年は以前と同じ口調で変わらないのだ。
儂が驚いたのは、四代目の巻物が発見された時だった。
あいつは儂が根を遣るよりもずっと早く直属の暗部を調査に送るなどいつもより迅速な対応をしていた。火影を引退しほぼ隠居状態となっていた者が急にこんな風になるだろうか。
ただ儂が更に驚いたのは、この事件を受けてヒルゼンが富国強兵策を唱えたことだった。
確かにあいつはこの木の葉を愛し、人々を本当の家族として扱い、彼らを守ることを最も重要視する人間だ。
しかし、仮初めの平和の下で平和ボケしており、あまり自里の戦力の如何を気にしている様子ではなかった。他里との勢力均衡を考え、周辺国に刺激を与えるような強硬策を取ることも決してない。むしろそのような汚れ役は儂が引き受ける形であったのだ。
その中でアカデミーのカリキュラムを再検討し、儂の意見も取り入れて新たな教育方針を確立した。アカデミー講師を信頼し、積極的な発言をしなかったあいつにしては随分と啓蒙的な活動ではなかったかと思う。無論、儂も富国強兵には同意するため、これは良い傾向だと言える。
他にもうちはとの連携強化、雲の忍頭の画策の事前察知など、将来の我が木の葉を見据えた、洞察力に富んだ積極的な行動。平和ボケしたジジイがすることではない。
確かに、うちはは木の葉に更に尽くすようになり、特に警戒すべき点は今の所見つからない。強いていうなら、うちはイタチといったところか。まだ下忍だが、あいつの才能は計り知れない。しかし任務完遂に従事し、木の葉への忠誠心も高いとの評価を得ている。やはりあいつも特別不安視する点は思いつかん。寧ろそれ程に優秀過ぎるのが少し気になるくらいだ。
もしかしたら、儂はうちはに偏見的な態度で接していたのかもしれん。ヒルゼンとうちはの行動を見ていると、最近そう感じるようになった。
これまで儂はどこか心の底で、あの時に二代目様が儂ではなくヒルゼンを火影に指名したことを羨ましく思い、そして、その後平和ボケして甘くなり、火影として積極的な行動を取らない火影としてのあいつに不満を感じていた。儂が火影であればもっと里を良くすることができる、そう信じて疑っていなかった。儂の組織した根によって、木の葉は支えられている。儂は尊い犠牲の元に平和を支えている、影の立役者なのだと。
しかし、最近は火影としてのあいつの行動に憤りを覚えることは無くなった。勿論具体的な決定で異議を唱えることはあるが、あいつなら必ず将来を見据えた選択でこの里を導くことができるのではないかとは思っている。
その中で、儂が火影になりたいという思いも徐々に小さくなってきている。不思議なことに、儂が最も里に貢献するには、三代目火影ヒルゼンを支え、あいつが冷静に判断を下せるようにしてやることが必要なのだとさえも感じている。
もしかしたら、舌の呪印で縛り付けられ、絶対的忠誠を誓う根という枠組みをあいつならより高い次元へ導き、明るみの下で木の葉の平和を支える新たな組織に作り変えることもできるかもしれない。その判断が正しいかどうかは別としてだ。
そして、儂自体も年長者としてヒルゼンと同じように若いのを育て、導くような存在となるべきなのかもしれない。
全ては木の葉の恒久的平和のためだ。現在の仮初めの平和で胡座をかいている老害にはなりたくないものだな。
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三代目から、四代目の巻物を見せられた時、俺フガクは今までに無い衝撃を覚えた。
うちはと道を違え、木の葉と道を違え、独りとなったマダラはその後初代火影様との戦いに敗れ、死んだと伝えられていた。
しかし、事実は異なるものだった。奴はまだ生きており、九尾を復活させ木の葉を襲わせ、その原因をうちはになすりつける事で自身を裏切った両者に対する復讐を図ったのだ。
四代目の決死の封印術により九尾は封印されたが、里には多大な被害が及んだ。その原因が写輪眼により九尾をコントロールできるとするうちはではないかと考える上層部の者も少なくなかっただろう。
こちらもそう勘繰られると想定し、謂れなき罪を着せられた際にどう出るかも考えていた。
しかし全てマダラの思惑通りという訳にはいかず、四代目の遺した巻物によりうちはが咎められることとはならなかった。
それどころか三代目は、うちはの政治的な発言力を強めることができるよう上層部に提言してくださったのだ。
皮肉にも、今回の事件が我々うちはと木の葉隠れの里を近づけさせる結果となったのだった。
この三代目の対応はうちは内部でも衝撃的なものと捉えられ、中には木の葉上層部の思惑を探らんとする者も少なくなかった。
しかし実際はどうであろうか。うちは代表として上層部の会議に呼ばれる回数が格段に増え、我々の意見を少なからず汲んでくれるような場面も出てきたのだ。木の葉上層部を疑心暗鬼に見ていた者も次第に任務に真摯に従事するようになり、うちはと木の葉の繋がりは厚みを増した。
我が子イタチが中忍選抜試験に単独で受験することを、木の葉上層部から薦められた時は驚いたが、イタチがそれに応え、合格したことで我々としても里への誠意を見せることができたと思う。
マダラの生存による恐怖は今もまだ去ってはくれぬが、木の葉が一体となれば必ずや奴にも打ち克つことはできるだろう。
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俺は小さい頃三代目を初めて見た時は、とても優しく、木の葉の人々を本当の家族のように慕う好々爺といった印象を抱いた。
暗部に任ぜられ、三代目の下で働くことが増えた今もその認識は変わらない。しかし、また新たな印象を抱いた。
俺は周りより物事の飲み込みが早かったからか、小さい頃から忍となり任務に従事し、周りからの期待も高かった。
その分、「あいつは天才だから」「できて当たり前だろう」というように「イタチは優秀だから出来て当然だ」という色眼鏡をかけて見られていた。
特にそれを嬉しいとも不快だとも感じたことはない。俺はただ里の平和の為にできることをやっているだけだからだ。
しかし中忍になって初めて三代目とお会いした時、この人からは自分が「一人の子供」として、時には「小さい弟を持つ兄貴」として見られてるような心地がした。
そんな風に見られたことは今までなかったからとても不思議な感じだった。
正直シスイにも「年相応」には見られていない自負はあったのだ。
三代目は俺にうずまきナルトの家庭教師を依頼し、暗部としての仕事はその分軽く与えているようだった。
あまり下忍の時と働く時間は変わらず、里にいる時間はむしろ増えたためサスケの相手をする時間が増えたのはとてもありがたかった。
しかし、俺だけがこんなに恵まれた環境にいて良いのだろうか?他の忍の方々は一日中里の為に働いているのだ。俺は今贅沢をし過ぎている。
そう思い三代目に任務の追加を打診したが、その返答は驚くようなものだった。
「イタチ、お前は何でも自分一人で抱え込んでしまう癖があるようじゃな。木の葉の人々は互いが互いを助け合い、繋がりを深めている。その中で火の意志が芽生えるのじゃ。お前ももう少し他人を頼れるようになれ。相手を信じることができない限り、相手から信じてもらえることはないぞ」
他人を頼る?俺は冷や水を浴びせられたような心地だった。そんなこと今まで考えたことすら無かった。そのようなことはせずともここまでやってこられたからかもしれない。
…考えてみると、そんなのはあまりにも傲慢だな。
俺は「人間は皆思い込みの中で生きている。それを現実という名で呼んで」という俺自身の哲学的思想を信じていたが、その「人間」に俺自身を含むことをすっかり怠っていたのか…
相手を信じる…か。
この世界が真の平和を得るには、それが必要なのかもしれないな。
暗部の部隊長から学ぶ事も大変多いが、三代目はまるで俺のことを俺以上に知り尽くしてるかの如く、俺に適切な助言をかけてくださる。あの人には木の葉の里、そしてこの虚構の上に築かれた平和の世界がどう見えているのだろう?
俺もまだまだだな。
サスケももうすぐ5歳になる。やや内向的な性格だが、俺は彼を信じてみよう。きっと、ナルト君とは仲良くなれるはずだ。
「サスケ、今日の昼は暇か?」
「うん、空いてるけど兄さんは任務でしょ?」
「ああ。ある子供の家庭教師をやっているんだ。きっとサスケも友達になれると思うぞ。一緒に行ってみないか?」
「え、兄さん家庭教師やってるの!?ズルいぞ、俺との時間はあんまり取ってくれないくせに!わかった、俺がそいつに色々教えてやるよ!兄さんの凄さをな!」