八月一日。
第一高校が九校戦の会場へ出発する日となった。会場は富士演習場南東エリアであり、一高から行けばかなり近い。なので、ギリギリで出発しても充分なのだ。
ちなみに、九校戦自体は八月三日から始まるのだが、今日の夕方から懇親会があるので、それに間に合うように前々日から会場入りするのだ。
だが、第一高校のバスは出発時間が大いに遅れていた。
「バスの中で待っていても良かったんだぞ司波?」
「いえ、これも仕事ですので」
「真面目な奴だ」
遅れている理由は真由美にある。
彼女はこれでも日本を代表する魔法の大家、七草であり、政治的にも大きな力を持つ。そしてその魔法力と美貌から縁談を持ち込まれることも少なくないのだ。今回も、急遽入れられたお見合いのせいで遅れていたのである。
そして達也は人数が揃っているかの確認が仕事だ。まだ到着していない真由美のために、バスの外で待っていた。既に八月になっているので、外は汗が滲むほど暑い。
事実、摩利も同じく待っていたのだが、日傘をさしているにもかかわらず薄っすらと汗をかいていた。
「渡辺先輩は先に中へどうぞ。自分が待っておきますので」
「そうか。なら任せる。熱中症で倒れないようにだけしてくれ」
「了解です」
摩利は日傘を折り畳んでバスの中に入っていった。選手として出場する以上、最良のコンディションを保たなければならない。明後日からの試合とは言え、無闇に体調が悪くなる行為をするわけにはいかない。
勿論それは達也も同じだったが、この程度で調子が悪くなる達也ではなかった。
それからおよそ二十分後、ようやく真由美が到着する。
「ごめんなさ~い!」
つばの大きな帽子を被り、サマードレスを纏った真由美を見るに、相当急いだのだろう。ヒールのサンダルで器用に走り寄ってくる。
時間にして一時間三十分の大遅刻だったが。
「会長で最後ですね。バスへどうぞ」
若干、息を切らせながら真由美はバスに乗り込もうとする。
そこへ、ひょっこりと顔を出した摩利が真由美に注意した。
「おい真由美。ちゃんと司波に礼を言っておけ。この炎天下でずっと待ち続けていたんだからな」
「え? そうだったの? ほんとにごめんなさい」
「大したことではありません」
達也はそう言って選手
つまり、これで全員が揃ったことになるのだ。
選手の中で、ただ一人ここにいない四葉紫音を除いて……
◆◆◆
紫音が一高バスに乗っていなかった理由だが、それは別件で先に九校戦会場へと赴いていたからだった。真由美や摩利には連絡済みなので、紫音がいないこと自体には理解を貰っている。
紫音としては後ろめたい気持ちになったが。
真っ黒な車を降りた紫音は使用人に案内させて高級ホテルの一室を目指す。
最上級のスイートルームの前でチャイムを鳴らすと、扉が開けられた。
「お待ちしておりました紫音様」
「お久しぶりです葉山さん」
「真夜様がお待ちです。どうぞこちらへ」
出迎えたのは四葉家筆頭執事の葉山。
そして奥で待つのは極東の魔王こと四葉真夜である。クッション性の高いソファに腰を下ろした真夜は、いつも通り歳不相応の美貌を放っていた。
「良く来ました紫音さん」
「お呼びとあらば当然です」
「あまり硬くならなくても良いわ。腰を下ろして寛ぎなさい。葉山さんも紅茶の用意を」
「かしこまりました」
紫音が真夜の正面に腰を下ろし、その間に葉山は紅茶の用意をする。
正直、こうやって呼び出された理由は紫音も分かっていない。だからこそ、早く用件を聞きたかった。しかし、真夜が紅茶の用意を指示したということは、ゆっくりと話し合いをするということを意味している。
ここで話を切り出すほど無粋でもないので、紫音は紅茶の用意が出来るまで待つことにした。
「紫音様はお砂糖を三つ、そしてミルクでございますね?」
「ええ、それでお願いします」
「あら、相変わらず甘いのがお好きなのね」
「普段から考え事が多いもので」
流石は筆頭執事というべきか、以前に言った紫音の好みを覚えていた。主人である真夜の好みは聞くまでもないのだろう。あっという間に用意を終えた。
湯気が立ち昇り、心地よい香りが鼻を抜ける。
そして真夜は一口だけ紅茶を頂いた後、話を切り出した。
「さて、紫音さんをここに呼び出した理由を言いましょう」
「はい」
「私は今年の九校戦を会場で見ることにしました。四葉家当主である私が九校戦の会場に来ること自体は不思議なことではありません。見どころのある学生を見つけ、招致するのも一つの仕事だからです」
「心得ています」
九校戦は日本全国にある魔法科高校が一挙に揃い、魔法の腕を見せつけ合う親善大会だ。しかし、同時に自身の魔法力をアピールする場でもある。
高い能力を見せつければ、十師族お抱えの魔法師になれることもある。また、軍の施設を利用するということもあって、当然のように軍関係者も見に来る。高校生でありながら優秀な者は、各所から引っ張りだこになるほどだ。
これは選手だけでなく技術スタッフも同じであり、高い技術力を見せつければ、企業から勧誘を受けることすらある。
故に真夜が観戦することは何ら不自然ではない。
(いや、不自然じゃないのは分かるけど、いきなり原作乖離って……)
紫音が九校戦関連で覚えている知識は、国際犯罪シンジケート
他にも被害者がいた気がするのだが、それは紫音も覚えていなかった。
ともかく、原作基準で言えば九校戦に真夜は来ない。
それが変わっているのも、やはり紫音というイレギュラーのせいだろう。
「真夜様が来られた……ということは、何か意図があってのことですよね? 今更、九校戦を見て人を見繕ったりなどしないでしょうし」
「ええ、その通り。本来の目的は別にあります」
「もしや
紫音は違うだろうなと思いつつも聞いてみた。
既に無頭龍は紫音が対処を始めているので、真夜が出てくる必要はない。真夜の方も紫音が動いていることぐらい把握しているだろう。
案の定、真夜は紫音の問いに否定で返した。
「違うわ。それについては紫音さんが既に手をまわしているでしょう?」
「……よくご存じで」
「それぐらいは当主として当然です。
さて、本題へと行きましょう。今回、私が九校戦へと赴いた真の目的は貴方です、紫音さん」
「はい? 私ですか?」
「私の
「…………は? 今何と?」
流石の紫音も耳を疑った。
「ですから私の息子として、貴方は九校戦に出るということです」
「……え?」
「聞こえませんでしたか?」
「いや、聞こえましたよ!?」
聞き間違いでなかったと知り、紫音は慌てふためく。
第一高校に四葉として入学するとき、プロフィール上では親不詳となるはずだった。四葉の権力で無理やり隠したのも知っている。
だからこそ、今更そんな公表をする意味が分からなかった。
「……そもそも、私は次期当主が決定した時点で黒羽に戻るのでは? 四葉を名乗るのもそれまでだったはずですよ。ここで真夜様の息子だという風に公表した場合、黒羽には戻れなくなります」
「そうね。でも構わないわ。黒羽は文弥さんに継いでもらうことになるでしょうから」
「どういうことですか?」
「簡単よ」
真夜はそこで一旦言葉を切り、紫音に向かって微笑みかけてから続けた。
「紫音さんの能力は、既に黒羽に収まる領域ではない。そう判断されただけのこと。これは
「では父も?」
「ええ、貢さんも賛成でしたね。感情面では納得していないようでしたが」
少なくとも、紫音はそう認識している。
そんな中で、次期当主に近づくかもしれない真夜の子という地位へと紫音を置くことに賛成するとは考えにくい。貢にしても、流石に自分の子を真夜の養子に出すことに葛藤はあっただろう。あれでも貢は子供に甘い。優秀な紫音は特に手放したくないはずである。
「どういった経緯でそんなことに?」
「単純に紫音さんが優秀過ぎたということです。第一高校に入学してから捕らえたスパイの数は三十六名。その中には大亜連合、USNA、ソビエトのスパイもいました。更に『調律』を利用した記憶の読み取りで、彼らの拠点も発見しています。
これらの働きによって四葉は非常に有利となりました。
正直に言いましょう。紫音さん一人で他の分家を上回る功績を叩きだしています。この点から言えば、筆頭当主候補は深雪さんから紫音さんに変更されてもおかしくありません」
「しかし私はサイオン量に欠点があります。だからこそ、当主筆頭を避けていたのでは?」
「自覚がないようですが、紫音さんが集めた情報はその欠点を打ち消すほどのもの。特に反魔法師団体が利用していた取引ルートの入手は素晴らしい功績です。そのお蔭で逆に四葉から間者を送り込むことが出来ましたから」
四葉が一人暮らしをしているというのは、他国のスパイからすると狙い目となる。最恐一族と呼ばれる四葉は、確かに
大漢が四葉一族によって滅ぼされたのは、大漢という国が弱小だったからだ。
このような考えが大国にはある。それゆえ、四葉の恐怖は通じにくい。
紫音は帰宅中や就寝中に襲撃を受けることが多々あり、その度に返り討ちにしてきた。そして情報を抜き取ってスパイたちの拠点を探り出し、黒羽の部隊を使って襲撃することで逆に情報を奪う。また、スパイが調べていた他の十師族に関する情報も四葉が独占することになった。
各分家当主が思わず認めてしまうほどの偉業なのである。
「紫音さんの力を見れば次期当主は確実。ほぼ決定といっても良いでしょう。しかし、そこだけをみて当主を決定する訳にはいきません。そこで戦略級魔法すら有する紫音さんは、力を振るえる立場でなければならないのです」
「基本的に十師族当主は戦略級魔法師でないことが望ましい。だからですね?」
「その通りです。これまで通り、筆頭当主候補は深雪さんです。そして紫音さんは四葉の保有する強力な魔法師という立場。これが最も望ましいでしょう」
「……」
真夜の言葉を紫音は否定できなかった。
十師族というのは大きな力を持つだけあって、その当主は無暗に力を振るうことが許されない。また、戦略級魔法師は軍の要請によって動くため、仮に当主が戦略級魔法師だったならば、不用意に本家を空けることになりかねない。
だからこそ、望ましい地位は四葉家の魔法師の一人であるという立場。
強すぎるが故に、また使い勝手がよすぎる故に、そのような判断となった。
「つまり、私が真夜様の養子となり、真に四葉を名乗るのは戦略級魔法師として公表するからですね? しかし私の戦略級魔法は……」
「勿論、貴方は戦略級魔法『
「……そうですね。『
もはや紫音は諦めることにした。
自分でも意外だったが、紫音は黒羽であることを気に入っているし誇りに思っている。四葉紫音になってからもやっていることは変わらないとは言え、黒羽紫音であることはアイデンティティの一つとして認識している。
しかし、当主様の言葉は絶対。
更に言えば、分家筋の各当主まで賛同しているとのこと。
逆らえるわけがない。
「承知しました。謹んで承ります」
「そう、なら書類にサインしてくれるかしら?」
真夜が合図を出すと、控えていた葉山が数枚の書類を差し出す。
どうやら養子縁組に関するものらしい。
紫音は躊躇いなく直筆サインを入れた。
「完了しました
「嬉しいわ紫音さん」
これから先は真夜が母親である。これは今回の九校戦を境に対外的にも公表される。
思いのほか嬉しそうにする真夜は意外だったが、何とも実感の湧かない現実だ。取りあえず後で黒羽貢とお話が必要だと考える。
「ところで真夜様」
「母上でいいのに」
「では母上。戦略級魔法師としての公表はどのタイミングでするのですか?」
「恐らく、近いうちに披露する機会があるでしょう。紫音さんの集めてくれた情報を元にこちらの間者を広げ、とある事実を突きとめましたから」
それを聞いた紫音は横浜騒乱編だと理解する。
横浜に大亜連合が攻め入る大事件だったはずだ。
確かに、捕らえたスパイの中には大亜連合の者もいたし、抑えた取引ルートには大亜連合と通じるものもあった。そこから情報網を広げ、そこに辿り着いたのだろう。
原作では達也が戦略級魔法『
(九校戦前なのに疲れた……)
紫音は甘味たっぷりの紅茶を口に含むのだった。
というわけで原作微乖離の予告。
加えて質問にあった疑問にもお答えしました。
紫音は当主にはなりません。強すぎて。
果たして主人公は黒羽に戻れるのか!? というのがこの小説のコンセプトですね。すっごい今さらですけど。
あと、主人公の持つ戦略級魔法も名前だけ公開。
二つ持っている理由はいずれ