魔銃使いは迷宮を駆ける 作:魔法少女()
カタカタ、と小さな物音を認識して目を開ける。
壁に凭れて寝ていた積りが、いつの間にやら子供達の傍に寝かされていたのに気付いて身を起こす。
「あ、ミリア姉ちゃんが起きた」
「おはよー」
すると、既に目覚めていたらしいライ少年やフィナ少女が小声で声をかけてきた。
「ええ、おはよう」
まだ数人は夢の中に居るらしいため、起こさない様に立ち上がり、子供達から距離をとる。
いつも寝ているベッドに比べ、木製の床に毛布を敷いただけだった為か体の節々が若干痛むが、それを除いても久々に倦怠感の伴わない爽快な目覚めだ。
理由は、この孤児院の雰囲気だろうか。等と益体も無い事を考えていると子供達は次々に目を覚ましては直ぐに元気一杯に動き回り始めた。
「子供は元気ねぇ」
「ミリア姉ちゃんの方が子供みたいじゃんか」
背丈が自身より低いのもあってか、完全に舐めてる。というよりは此方の実力がわからない様子のライ少年の言葉に肩を竦めていると、下の階に向かった子供達の沸き立つ声が響いてくるのが聞こえてきた。
二階を降りると、教会入口でベルとシルさんの二人が子供達に囲まれているのが見える。
筆頭は犬人のフィナであり、しきりに「二人でどこ行ってたのー!?」と詰め寄っていた。詰め寄られた二人の内、シルさんは恥ずかし気に頬に手を添えてちらちらとベルを伺い、ベルは若干焦った様子で誤魔化そうとしているのが伺えた。
いくら子供相手とは言え、いやむしろ子供相手だからこそ誤魔化すのは悪手にも程がある。誤魔化そうとするのを見透かした子供達がより強く追及しはじめ、ベルはたじたじになっていた。
一瞬だけ視線をこちらに向けて助けを求めてくるが、肩を竦めておいた。流石に助け舟を出すのはどうかと思うしね。
そんな風に苦笑していると、奥からマリアさんが出てきた。
「おかえりなさい。クラネルさん、シルさん。ノースリスさんはおはようございます。よく眠れましたか」
「ええ、とても良く眠れたわ。ありがとう」
本当に久々によく眠れた気がする。
休日に孤児院を訪れて子供達と目一杯遊んで、昼寝をして帰る。なんとも贅沢な休日の使い方だったじゃないか。魔力も十分に回復してるし、そろそろ帰ろうか、とベルに視線をやると、マリアさんが微笑みながら提案を口にした。
「よければ、今日は晩御飯も召し上がっていきませんか」
「え……でも……」
急な提案にベルが困った様に頬を掻く。
俺としては居心地は良いしもう少し居てもいいかな、と思っている。ローブの内ポケットの中に入れっぱなしだったクリスの方は未だに眠りこけている様子で反応が無い。というか、クリスは本当に良く眠るな。
ベルがどうするか次第ではあるが、子供達の方を見やればベルが迷うのもわかる。
「もう帰っちゃうのかよ」
「晩御飯一緒に食べようよ~」
「……まだ、一緒がいい」
子供達からの熱望にベルが悩みはじめ、そこに止めを刺す様にシルさんが手を掴んだ。
「私からもお願いします……」
ベルの手を両手で包み込み、顔を近づけて「駄目ですか?」と可愛らしく小首をかしげる。全てが完璧に計算し尽くされたシルさんの一撃に、ベルは遂に陥落した。
ただし、これ以上遅くなるとヘスティア様達を心配させる可能性もあるので、少し早めに頂かせて貰って、ホームに急いで帰らせてもらう事にする。
ベルの承諾を聞いた子供達がわっ、と歓声を上げて喜び始める。そんな子供達の様子に苦笑しつつも、夕食が出来上がるまで少し待っていて欲しいと言われてベルと共に待つ事になった。
マリアさんと女の子達が中心となって調理場に向かい、残された男の子達が掃除をしている。そして俺とベルはお客さんという事で、手持無沙汰にそんな彼らの様子を眺めている事となった。
「ねぇ……」
「ん?」
「ベル、どうしたの?」
何かに気付いた様に振り返ったベルにつられて後ろを見やると、ハーフエルフのルゥがぼーっとした表情でベルの服の裾を引っ張っていた。
「どうしたの?」
「これ……」
屈んで視線を合わせたあげたベルに対し、ルゥは握っていた物を差し出した。
金色の円形の金属。若干擦り減った様子の見られる金属の塊────金貨だった。
「お、おいっ。ルゥ……」
「本当にお願いするのっ?」
「二人も気になるって言ってた」
ルゥとベルのやり取りを見ていたらしいライ少年とフィナ少女が慌てた様に駆け寄ってきた。
平坦な声色でヒューマンの男の子と犬人の女の子を閉口させている様子を見つつも、俺は肩を竦めた。
「小さな
「え?」
「受けてくれますか?」
小さな金貨三枚、三ヴァリスを差し出して俺とベルを見やるルゥの姿に、ベルが驚きの声を上げた。
そんなベルに苦笑しつつも、俺は真面目腐った態度をあえて作って子供達に告げる。
「依頼内容を聞かせて貰っても良いかしら。内容も聞かずに安請け合いはできないもの」
小さな小さな
依頼書として正式に手配されたものではない、個人間の契約の下に交わされた
報酬は達成報酬として小金貨三枚。
達成条件は特定の場所で聞こえてくる『謎の声』の正体を解き明かす事。
備考として、
小さな
至極真面目に依頼として取り扱ってあげて、子供達のごっこ遊びに付き合ってあげる積りで受けた『お願い』を達成すべく、俺とベルは小さな依頼者三人に案内されて夕暮れの色に染まる外を歩いていた。
「それで、場所はどのあたりかしら?」
「もうすぐそこ」
先導してずんずんと進んでいくルゥと、僅かに警戒しながら歩みを進めているライ少年とフィナ少女。
進んだ先は教会の裏手。
孤児院で世話しているらしい小規模の畑と井戸の傍を抜け、そのまま迷宮街の幅広の通りに出る。
相も変わらずに猥雑さは健在の道を迷わず進む子供の背中を追って行く。途中、廃墟然とした崩れた建物の横も通り抜け、更に先へ。
暫く進んだ後、ルゥは足を止めた。
「えっと、ここ?」
「うん……この辺り」
「この辺りで、う~っ、う~っ、って唸り声が聞こえてくるの!?」
「最初は犬かと思ったんだけどさ……どこにも居ないし」
最近、肝試しに夜な夜なこの通りを歩んでいたら聞こえてきたのだとライ少年とフィナ少女が告げる。夜に出歩くのは危ないんだが。
そして、その肝試し以降にここを通りかかる度にその唸り声が聞こえてくるのだという。
その気味の悪さに気になって今回の依頼を出してきたとの事。
彼らの話を聞き終えると、茜色に染まった廃墟をベルと共に見回してみる。見渡す限り続く瓦礫や木材の周辺からは、動物の姿はない。更に言えば気配すらも無い。
特におかしなところは無い様に見えるが、とそれでも真面目に耳を澄ましてみると────。
『…………ゥ…………ゥ』
────聞こえた。
思わずベルと顔を見合わせると、ベルがナイフを引き抜き、俺も子供達を庇う様に護身用の短剣を鞘から抜き放った。
「ベル、場所はわかる?」
「……調べてみる」
「全員、私から離れないでね」
ベルが先行して廃墟の海に登り、【ステイタス】で強化された聴覚を頼りに音の出処を探し始める。
崩れかけの廃墟を子供達を引き連れたまま通る事は出来ないので、俺は三人を連れて遠回りしつつもベルを追おうとすると、ローブの中でもぞもぞと何かが動き始めた。
「っと、どうしたのよクリス」
連れてきていたクリスが珍しく起きてきたらしい。案内を終えてからは死んだように眠っていた様子だったのだが、今のクリスはローブの首元から強引に顔を出してきてきょろきょろと周囲を頻りに見回している。
「わっ、なんだそれ!?」
「綺麗なドラゴン!」
「……見た事も、聞いた事もないドラゴンだ」
いきなり俺の服の中から顔を出したクリスに子供達が驚愕しているのを宥めつつ、クリスに声をかける。
「この子は私の……えっと、秘蔵の竜よ。皆には内緒でね? で、クリス、どうしたの?」
《────痛いって、言ってる》
何処かぼんやりとした声色でクリスが答えた。
痛いと言っている。と彼女は言った。誰がだ?
「痛い? 誰が言ってるの?」
《────同胞。仲間、痛い、助けてって言ってる!!》
ぼんやりと、寝惚けた様子から一変し、クリスは頻りに周囲を見回しはじめた。
同胞、仲間……助けを求めている? この周辺にクリスの同胞が居る? ドラゴン、じゃない?
「ミリアー、こっちだよ!」
ベルが俺を呼ぶ声が聞こえる。
クリスが言う『助けを求める同胞』が誰なのかわからない。だが、今離脱するのは得策じゃないし、ベルに不審がられる。クリスの言う同胞とは
今まで気にもしてこなかった。というよりは想定していなかった事態に頭の中が真っ白になった。
まさか、地上で、子供達から受けた『
「ミリア姉ちゃん?」
「どうしたの、震えてるけど……」
「顔色、悪いよ……」
急に足を止めたまま動かなくなった俺を見てライ少年は訝し気な表情を浮かべ、フィナ少女は俺の手が震えているのに気付いたらしく、ルゥはぼんやりとした顔で俺の顔色の悪さに気付いたらしい。
茜色に染まっている今、顔色にまで目が行くルゥはかなり洞察力に優れているとは思うが、今はそれどころではない。
「何でも無いわ。少し、少しだけこの『謎の声』に警戒してるのよ」
「でも、ベル兄ちゃんもミリア姉ちゃんも冒険者だろ?」
「モンスターだったらやっつけちゃえばいいんだよ!」
「うん」
子供達三人の至極真っ当な意見に表情を引き締め、直ぐにベルの居る所へと向かう。
三人の言っている事は間違いではない。むしろ当然の事だ。
俺もベルも冒険者で、モンスターが居れば倒すのは当たり前だ。誰だってそうするし、むしろモンスターが居るのに討伐しようとしないなんてありえないし、有り得てはいけない。
────たとえ、そのモンスターが人と同じだけの知性と心を持ってしまった
少なくとも、子供達とベルが居る時点で出来ない。
だからクリス、この『謎の声』を調べ終わるまで、『助けを求める声』の事はおいておいてくれ。
「行きましょう」
助けなきゃ、助けてあげてよ、と騒ぐクリスを服の中に押し込んで子供達と共にベルの下へ向かう。
ベルが立っていたのは瓦礫の密集地帯だった。一見すればただの倒壊跡にしか見えないが、確かに聞こえる。
この倒壊跡の下から、唸り声は響いていた。まるで
「ちょっと下がってて」
声をかけると同時に、ベルが両手で瓦礫をどかし始める。
ライ少年達が瓦礫を軽々どかしていくベルをみて驚きの声を上げているのが聞こえる。次々に瓦礫をどかしてくベルに子供達が頑張れー、と気楽そうな声援を送る横で、俺はサァーッ、と血の気が引く感覚に襲われていた。
待ってくれよ、子供達から依頼を受けた。確かに受けた、ちょっとしたごっこ遊びに付き合う感覚で、ちょっとした簡単なお願いを聞いてあげるだけのはずだった。その筈なのに────何でこうなってる。
「……クリス、助けを求めてるのって、この下から?」
《そう! 助けてあげて! お願い、私の時みたいに!》
自分を助けてくれた俺だから、きっと今助けを求めている同胞も助けてくれる。そんな風に一切疑いも無く俺を信じ切っているクリスの言葉に、嫌になる程味わった気持ち悪さがぶり返してきた。
ベルが瓦礫を掘り返す数分間、俺はひたすらにベル達をこの場から離れさせるための言い訳を考える事に費やし────結局、良い言い訳なんか思い付かない。
今までの、前世の俺だったらベル達を煙に巻いてここから強制的に離れさせることだってできただろうに、それができない。
そんな風に頭の中でぐるぐると思考が回っている間にも、ベルは瓦礫を退けきってその下にある通りと同じ石造りの石畳を露出させてしまった。
ああ、一目見た瞬間に察した。地下道がある。
周囲の石畳と同化する様に隠された『石板』。それはフリュネや春姫が密かに利用していた地下道に通じる隠し扉だ。しかも、下から強引に抉じ開けようとしたのかほんの少しだけズレて浮いている。
その隙間から、例の唸り声────クリス曰く『同胞の助けを求める声』が響いていた。
ベルはほんの少し迷った後、その石板を強引に抉じ開けてしまった。
「うわぁ、すっげぇ……!?」
「こ、これ、地下通路?」
「お兄ちゃん、すごい……」
俺の後ろに居た筈の子供達が、舞い上がる土埃とその奥に見えた地下通路を見て駆け出していく。
興奮と動揺と感嘆、三つの言葉を聞きながら良い言い訳を探し続ける。
最良の一手は俺一人でこの地下通路に入り、
次点として俺もベルもこの地下通路には入らずに帰還する事。だが、どちらも不可能だろう。
俺一人で行くには、理由が足りない。この先にモンスターが居る可能性があると説明した上で、子供達を帰す事は出来るだろう。だが、ベルを帰す理由には足りない。そもそも魔術師である俺一人で行くより、前衛であるベルが一人で行く方がまだ説得力はある。
そして後者も無い。既に子供達は好奇心に火をつけられ、俺達が帰った後にこっそりこの地下通路の探索を行ってしまう可能性がある。地下に居る助けを求めるモンスターが彼等に見つかった時、どんな反応をするかわからない以上、それはできない。
どうすればいいのかわからずにベルの表情を伺うと、既に表情は冒険者のモノに切り替わっていた。既に、引くといった選択肢はベルの中から失われている。
「みんなっ、それにベルさんとミリアさん! もう、こんな所まで来て、何をしているんですか?」
運良く、いや運悪くか。シルさんが俺達が居ない事に気付いて孤児院の方から駆け足で追ってきた。
茜色から蒼然とした闇に移り変わりつつある空の下、シルさんの手には携行用の魔石灯が握られている。
裏手から何も告げずに出て行った俺達を怒るシルさんは、俺達が見下ろしていた地下通路へ続く穴の存在に気付いて、目を丸くした。
「あの、これって……」
「地下への、入り口みたいです。シルさん、すいません、僕ちょっと行ってきます」
ここを訪れた経緯をベルが説明している間、俺はクリスを密かに穴の中に放った。
この先で助けを求める
そうしていると、後ろで懇願する声が響いていた。
「俺も行く!」「ボクも……」「わ、私もっ、恐いけどっ」
どうやら子供達が同行を申し出てきている様子だった。思わず額に手を当ててしまう。
ベルが困った様な表情でシルさんに助けを求めてしまった────求める相手を間違え過ぎてるだろうに。
「こんなもの見せられて待っているなんて、難しいですよね? 私も行きます」
笑顔でそう言い切ったシルさんの姿に、思わず舌打ちを零してしまう。
「ミ、ミリア?」
「シルさん、それから貴方達三人。同行は認めないわ」
「えー!?」「どうして……」「な、なんで?」
「ミリアさん、ベルさんを独り占めする気ですか?」
子供達からの
「駄目、モンスターが居る」
「モンスターなら兄ちゃんと姉ちゃんの二人で倒せばいいじゃんか!」
「モンスター……」「ね、ねえ、ライ止めようよ」
断言してもなお、ライ少年は行く気満々らしい。ルゥはぼーっとした平坦な声ながらも僅かに戸惑った様子を見せ、フィナに関しては俺の言葉を聞いて完全に怯えた様子で引き留めようとし始める。
シルさんの方は真っ直ぐ俺を見て何かを探ろうとしてきていた。
「……モンスターが居る、というのは本当ですか?」
「嘘じゃないわ。クリスを先行させてるけれど、相手の強さがわからない以上、非戦闘員……それも恩恵も何も無いシルさんも、ましてや子供なんて連れて行けない」
少なくとも今の俺が言っている言葉に嘘は混じっていない。そして正論だ。
恩恵も何も無い非戦闘員のシルさん、そして子供を連れて行くなんて冗談では済まない。彼等には悪いが、ここで引いてもらう。
「そう、ですか……でも、モンスターが居るなら行かない方が良いんじゃ……」
「いえ、それは出来ません」
シルさんがベルを引き留めようとし始めるが、ベルはきっぱりと断った。
「モンスターが居るのがわかってるのに、何もせずに帰る事なんてできませんよ。ましてや、孤児院のすぐ裏手です。何かあってからでは遅いですし」
────ド正論過ぎて反論の余地がない。
シルさんもベルの言葉を聞くと確かにその通りだ、と納得して表情を引き締めた。
「では、私達はここでベルさん達の帰りを待ちます」
「……わかりました。僕とミリアの二人で調べてきます」
拒否する理由がない。ベルを同行させない理由がない。調べない理由がない。詰んでる。
どうする事も出来ず、ベルがシルさんから魔石灯を受け取るのを見て、思わず天を仰いだ。憎らしい事に、今夜は爽快な晴れらしい。気分はこんなにどんより沈んでるのに、夜空に瞬く星々は美しかった。
地下通路に揺蕩う暗闇を、ベルが手にしているランプ型の魔石灯から放たれる光が切り裂いていく。
石材の階段、石材の壁、石材の床……整然とした設計の下に作られた通路は、フリュネが密かに使っていた通路とよく似ていた。というよりはほぼ同じものとみて間違いないだろう。
「ミリア、モンスターの種類、わかる?」
「……ごめん、クリスが言うにはそれなりの大きさとしか」
既に相手の
その特徴からして、『深層』のモンスターである『バーバリアン』の可能性が高い。
そして、その相手の状態は相当に酷いらしい。全身に裂傷を負っており、会話する事もままならないぐらいに意識が朦朧としているとの事。ただうわごとの様に助けて、と呻き声を零すので精一杯の状態な様子でクリスの事を上手く認識できていないらしい。その所為で隠れる様に指示する事も出来ず、広間の中央で座り込んでいるらしい。
「ベル、多分、相手は大型種よ。一度引いて装備を整えてくるってのは……」
「それをしている間に孤児院に被害が出たら、僕は僕を許せなくなると思う」
「……わかったわ」
やはり、引き留める事は出来ないか。
「ミリア、なんでこんなところにモンスターが居るんだろうね」
「え? ああ……さ、さぁ?」
慎重に階段を下りているとベルに声をかけら、思わず声がどもってしまう。
俺の様子にベルは小さく首を傾げつつも足を踏み出そうとして、止まった。
「ベル?」
「……何か、ある」
ベルが見つけたのは壁に埋め込まれた何らかの装置だった。
一瞬だけ視線を交わし、ベルが慎重に装置に触れる。すると、ヒィン、と細い音を鳴らして装置が軌道した。等間隔で設置されていた魔石灯が光を放ち始め、完全な暗闇から、視界の利く薄闇に変化した。
なんて中途半端な明るさだろうか。通路を煌々と照らすのではなく、薄らと視界を確保する程度にしか放たれない光に眉を顰める。
これじゃあまるっきりダンジョンの中じゃないか。
「やっぱり、春姫さんと通ったあの地下通路と同じだ……だとすると、なんでモンスターが?」
「
空々しくも惚けると、ベルはうーんと悩まし気に声を漏らし────通路の奥から聞こえた唸り声に警戒心を高めた。
そして、クリスから悲鳴の様な声が届く。
装置を起動させた事で件のモンスターは興奮状態に陥ったらしい。来るな、止めろ、死にたくない、とぼやきながら酷く怯えた様子で警戒し始めてしまったらしい。ズンズン、と動き回る音が通路の先から聞こえてくる。
なんとか宥めようとしている様子だが、話が通じる状態ではないのか、クリスの声に反応してくれないらしい。
「ミリア……」
「わかってる……」
クリスは助けてあげて、お願い。と何度も懇願してきている。だが、ベルと共に居る状況でそれは難しい。
このまま進めば戦闘は避けられない可能性が高く。それでいてここで引く理由が一切ない。モンスターが居るのが分かっていて撤退し、市民から被害が出たら洒落にならないからだ。
「行こう」
「……えぇ」
慎重に足を進めるベルの後ろ姿に思わず歯噛みした。
戦闘になった場合、クリスの不評を覚悟の上で……件の『バーバリアン』には死んでもらうしかない。端から、選択肢なんてあるわけがない。
当たり前だ、ベルか、見知らぬ
心の中で助けてあげてと懇願するクリスに謝罪しつつ、件の怪物が錯乱状態で待ち構えているらしい広間の入口に辿り着く。
魔石灯の明かりが余りにも弱々しいせいで、未だに暗闇が揺蕩っている広間が見えた。
『ゥゥ……ゥ……ウゥウ』
《大丈夫だよ! 助けが来たからもう大丈夫だから!?》
警戒心を露わにし、見えない敵を探して唸り声を響かせるモンスターと、それを宥めようとするクリスの声が奥から響いてきていた。
「【ピストル・マジック】【リロード】」
「ミリア」
「いつでも良いわ」
俺の言葉を聞くと同時に、体の影に隠していた魔石灯をベルが掲げる。
恐怖に怯え震え、狂乱している声の主の姿を、暗闇の中から浮き彫りにした。
「────ミリアッ!」
「わかってるわ!」
全身の至る所に傷を負ったモンスターだ。足元にはしたたり落ちた血が乾き、黒ずんでいる様子が伺える。
どんな理由で此処にいたのかはわからない。嘆き、悲しみ、助けを求めていた事を理解しつつも、俺は
「クリス、
《ミリアッ、どうして!?》
悲鳴の様な悲痛な絶叫を上げるクリスを命令にて下がらせるのと同時、此方を視認して『
瞬間、ベルが駆け出し、魔石灯を投げ出しながら魔法を詠唱。
「【ファイアボルト】!!」
初っ端の
直ぐに反撃する様に剛腕を振るってベルを狙い、ベルは大きく回避した。流石のベルでも第二級冒険者に匹敵、または超える様な膂力をもって暴れるモンスターには容易に近づけない。
そして、俺はバーバリアンのを妨害する様に発砲を繰り返す。
「【ファイア】【ファイア】!!」
《止めて、死んじゃう!?》
クリスの悲痛な叫びが地下の広間に木霊する中、俺が放った
『───────ッ!!』
血飛沫と共にモンスターの絶叫が弾ける。クリスの悲鳴染みた懇願はその絶叫に掻き消されて消えない。
「良い調子よベル、そのまま────ベル!?」
攻撃を放ち、バーバリアンに傷を負わせたベルは、何故か唖然と立ち尽くしていた。
其処に、かっと眼を見開いたバーバリアンの反撃が放たれる。その大顎から長い舌が射出され、ベルに直撃しかけ────。
「【ファイア】!!」
「ぐっっ!?」
俺が放った
衝撃に吹き飛ぶベルに視線を奪われている間に、連続した舌撃が俺の『マジックシールド』をへしゃげさせ、砕いた。
危うく顔面を穿たれ掛けて慌てて身を投げ出す様に回避し────聞こえてはいけない声が響いた。
「このっ、止めろー!」
勝手についてきてしまっていたのか、入り口からライ少年が飛び出して石ころをモンスターに投げつけたのだ。
倒れた俺とベルを案じての行動なのかもしれないが、ただの蛮勇だ。
背中に命中した石片に、バーバリアンは俺とベルから視線を外して少年を見た。怪物の眼光に身を強張らせる、愚かなヒューマンの少年に────敵意に反応したバーバリアンは、ライ少年を睨み付け、突撃する。
「待っ────!!」
「【ライフル・マジック】」
ベルが驚愕と共に追うが間に合わない。
俺が途切れていた魔法を再度発動させようとするが、間に合わない。
怯えるライ少年が動けずにいて、そのままでは死体は原型も留めないだろう。と頭の片隅で理性的な部分が囁く。それでも止めようと詠唱を重ね────ライ少年を庇う様に飛び出してきたシルさんの姿を見てベルと共に息を呑んだ。
勝手についてきてしまったライ少年を追ってきたのだろうか。どちらにせよ、恩恵も持たないただの少女であるシル・フローヴァがその身を挺して庇おうとした所で結果は変わらない。
犠牲者が一人増えるだけ。
ベルの速度も、俺の詠唱も間に合うはずがない。だから足手纏いになりかねない非戦闘員を置いてきたというのに。
最悪の想像が現実の物になる、その寸前。
『────ガッ!?』
右手を突き出した姿勢のベルと、装填詠唱を唱えようとしていた俺が唖然とする目の前。
彗星の様に放たれた一本の
『────ァ』
断末魔の悲鳴すら上げる事叶わず、胸部の中に納まっていた魔石を綺麗に穿ち抜かれたモンスターは、瞬時に灰の山と化した。
つい先ほどまでの戦闘が嘘の様に、灰塊が崩れる音を残して全ての音が消え去った。静寂に満ちる広間の中で、発生したドロップアイテムである『バーバリアンの体毛』が未だに燃えていた。
ライ少年を庇う様に抱き締めていたシルさんが恐る恐るといった様子で顔を上げる中、俺とベルは彗星の一撃を放った人物を見ていた。
黒と灰の毛並みを持つ、猫人の男性。
【フレイヤ・ファミリア】所属の第一級冒険者。
【
「あ、あのっ……」
シルさん達の頭上を飛び越え、灰山に突き刺さったままだった投擲槍を回収する彼にベルが声をかけようとするが。
「女子供も禄に守れねえのか、クソ兎」
「ごっ、ごめんなさい……」
鋭すぎる瞳と、静かな罵倒の言葉に遮られて止められていた。
何故ここに【フレイヤ・ファミリア】の冒険者が居るのかはわからない。それに、身勝手にも俺達の後を追って死に掛けたライ少年には言いたい事が山ほどある。
だが、それ以上に俺は謝らなければならない相手がいた。
《──────》
同胞の成れの果て、灰山の傍らで結晶の
何か居るかもしれない所に非戦闘員で恩恵のない女子供連れで行くとか余裕過ぎでは……?
まあ、地上でいきなりモンスターと出会うだなんて想像しろって方が無理なんですが。