翌日、ダンゾウ様に提示された時刻5分前に火影の執務室のドアをノックすると、中からくぐもった声で『入れ』との声がした。
「失礼します。」
ドアを開け、執務室の中に入る。
執務室の中は三代目が居た頃となんら変わりは無かった。机の上にはいつものように水晶玉が置かれ、この部屋のすべてをその身の中に写していた。水晶玉の中に黒い服を着た者が三人。
「なんか黒々してますね。空模様も悪いし、なんだか嫌ぁーな気分になってきちゃうな、ボク。」
マフィアに囲まれているみたいで怖いし、小雨が降っているし、大蛇丸様が『雨の日は化粧のノリが悪いわ』なんて言っていたことを思い出しちまうし、せめて雰囲気を明るくしようと黒づくめの三人に明るく話しかけたら、かなりキツク睨まれた。
「この服か?…昼からヒルゼンの葬儀を執り行うのでな。」
目を線のように細めて俺を睨んでくるこのお婆ちゃん。名前をうたたねコハルという。木ノ葉のご意見番の一人だ。彼女が続けようとしたのを遮り、男が話を始める。
「前置きはよい。条約の件については、ダンゾウから聞いておる。そして、木ノ葉の決定は音と不可侵条約を結ぶことを決めた。これが、その文書だ。お前の名で調印しろ。」
この冷静に事を進めるのが
「ヨロイ、こちらに来い。」
そう言って、ダンゾウ様が水晶玉の置いてある横に長い机の横に置いてある小さな机に俺を案内する。三代目がいなくなったとはいえ、元々は火影しか使わない机。それを無碍に使うことは、この合理的な三人でもしたくはないのだろう。素直に席に着き、ホムラ様から渡された文書に目を通していく。ここで、碌に確認しないでさっさとサインすると、足元を掬われかねない。『不可侵条約っていったけど、実は可侵条約でしたー』なんてこともあったりするわけで…。いや、それはないけど。
少し大げさに言ったが、確認を怠るとこちらにとって不利な条件が抜け穴となって盛り込まれている条約かもしれないって話だ。しっかり目を通し、抜け穴がないことを確認してペンを取る。サインをしていきながら、上層部の三人に話しかける。
「三代目の葬儀は雨の中ですることになりそうですね。」
「…。」
文書にサインを記入し、椅子から立ち上がる。
「三代目は空も泣くほどいい人だったってことですかね。」
「…。」
何も話してくれない。寂しい。
「では、条約締結ということで…。お忙しそうなので、俺はここで失礼致します。」
火影の執務室を出て歩き出す。俺にかかる声は何もなかった。
+++
黒々した集団の中の最後尾に着く。条約締結が終わった後、すぐに三代目の葬儀が始まった。整列した忍は、暗部から下忍まで集められている。三代目の葬儀とはいえ、その人数は多くはない。他の木ノ葉の忍たちは任務で里外に出ており、里の安定の為に体を張っている。
この葬儀は三代目を主としているが、その実、木ノ葉崩しで犠牲になった忍たちをも同時に弔っている。三代目の遺影に向かって手を合わせ、冥福を祈る。三代目は死神に喰われているから、冥福を祈ろうにも無駄であることは分かっているが、つい、手を合わさずにはいられなかった。なんだかんだで、世話になったのは確かだし。
顔を上げ、三代目の顔岩を見る。
「雨が…止んだな。」
雲の切れ間から光が射す。綺麗だな。
久しぶりにそう思えた。無言で空を見つめる。
「あの…大丈夫ですか?」
長い時間、空を見ていて不振がられたのか、正面から声を掛けられる。慌てて顔を戻す。
「ええ…。ご心配頂きありがとうございます。」
鼻の上を真一文字に横切る傷痕。こいつとは前々から知り合いだが、今の姿では初対面だ。ハゴロモの爺さんの姿、角なし輪廻眼なしバージョンではあるが、を借りている俺は60から70の年寄りに見える。
「ええと…。」
「あ、うみのイルカと言います。体が冷えますよ。よろしければ、下まで…。」
「お気遣い、ありがとうございます。」
「いえ、お気になさらずに。」
イルカに促され、火影邸の屋上から下へと降りる。
イルカと歩きながら、里の様子を見る。そこら中に音の侵攻によりできた傷痕が見て取れる。簡単な修復は済んではいるが、それでも猶、痛ましい建物の様子が見て取れる。隣のイルカの心中はいかがなものだろうか。俺は静かに口を開く。
「イルカさん。」
「はい。」
「少し、お話よろしいですかな?」
「ええ、もちろんです。」
ある雑貨屋の軒下で立ち止まる。スタンド灰皿の横に立ち、ここに来る途中に買って置いた煙草を取り出して、その箱をイルカに向ける。
「如何ですかな?」
「いえ、私はタバコを吸わないので。」
「それは失礼。」
「私にはお気になさらずに吸われてください。」
「では、お言葉に甘えて…。」
煙草を咥え、火を付ける。瞬間、眩暈がした。
「グエッホ、ゲホゥ、ゴッホ!」
「だ、大丈夫ですか?」
「フー。大丈夫です。なんせ、久しぶりに
少し咽た。久しぶりだと、結構キツイものがある。最近は煙草を喫む時間すら無かったことに気づき、少しだけ涙が出た。息を整え、イルカに話しかける。
「今回は大変でしたね。」
「ええ。まさか中忍試験を利用して攻撃してくるとは…。」
「それに、三代目が亡くなるとは誰も予想していなかった。四代目は既に居らず、五代目は座に就いていない。これからが木ノ葉にとって一番大変な時期になるのでしょうな。」
「ええ、その通りです。だから、俺たちが頑張らないと。」
「そうですな。それに、頼もしい人材が育っているようで。ナルトくんの話を聞かれましたか?なんでも、砂の人柱力から里を守ったとか…。」
「ハハ。あいつも随分成長したもので。」
我が事のように笑うイルカ。その仕草でイルカがナルトをどれだけ想っているのか推し量れる。きっと、弟のように…そして、息子のように想っているのだろう。親の愛を覚える事ができなかったナルトにとって、彼もまた第七班と同じように大事な存在なのだろう。
と、イルカに話しかけられた。
「失礼ながら、アナタのお名前をお伺いしていませんでした。教えて貰ってもよろしいですか?」
「ああ、失礼しました。ワシはハゴロモと申します。今は引退した唯の爺です。」
「そんなに卑下なされなくても…。」
「いやいや、今回の件で思い知らされましてな。現役とは違うということは気づきたくはなかったものです。」
煙草を吹かし、煙を吐き出す。
「のう、イルカさん。」
「何でしょう?」
「アナタにとって“火の意志”とは何でしょうか?」
イルカは少し呆け、一転し真面目な顔になる。
「“火の意志”ですか…。そうですね、私は“思い遣り”ではないかと考えます。」
「と、いいますと?」
「私は
イルカは過去に思いを馳せ、言葉を紡ぎ出した。
「『大切な人を守る事だけはどんな道を生きるとも忘れてはいけない』と。その大切な人たちは三代目にとって、里の全ての人ということでした。今となってはお聴きすることはできませんが、おそらく、三代目にとっての“火の意志”だったのでしょう。そして、私が常々考えてきたことも三代目の言葉と同じです。」
イルカの言葉は心に響いた。
「この里を守ろうとする強い意志のこと。大切な人たちを大切にすること。それが私にとっての“火の意志”です。」
「…アナタは仁徳者ですな。」
「まだまだ若輩者です。これからも精進していかないと教え子たちに笑われちゃいますから。おや?」
「お連れ様ですか?では、私はこれで…。」
後ろからイルカを呼ぶ声がした。あの特徴的な声は、おそらく木ノ葉丸だろう。イルカに一言残し、その場を後にする。
見納めだ。
これからしばらくこの里には戻って来ることができない。最後に里を回ることにしよう。当てもなくフラフラと彷徨うようにして思い出の場所を見て回る。
演習場。
様々な記憶が蘇ってくる。気が付くと、夜になっていた。最後に向かうのは、木ノ葉に来て今まで住んでいたマンションだ。入居当時は新築だったここも、あれからもう20年。意外と早かったな。鍵を取り出し、階段を上がる。4階にある自室の扉に鍵を差し込み回そうとすると違和感に気づいた。音がしない。鍵が開いている証拠だ。
木ノ葉崩しの日の朝は間違いなく鍵を閉めた。それなのに、開いているということは…。
印を組み、部屋の内部の感知を始める。その中にある安定したチャクラは知り合いのものだった。扉を開き、中へと進む。
玄関で靴を脱ぎ、ついでに変化を解いてリビングの方に目を向けると、ガラスが嵌め込まれたリビングの扉から光が射しているのが目に写る。玄関の鍵を閉めた後、その扉を開けてリビングへと進む。
家のリビングは簡素だ。三人掛けのソファとテレビ台の上に乗っているテレビ、そして、俺たちがウッキーくんと呼んでいる観葉植物、胡蝶蘭しかない。
真っ直ぐにソファに向かう。そこには、ソファで眠るアンコが居た。大方、渡した合鍵で部屋に入ったのだろう。
「ソファで眠るのは止めろって言ってんのに聞かねェんだから。」
印を組み上げ、アンコの額に指を当て幻術を掛ける。これでアンコが明日の昼までぐっすりと眠る事は確実だ。アンコを抱き上げ、隣の寝室に運ぶ。ベッドに乗せ、服を脱がしていく。一応言っておくが、邪な気持ちはない。ないったらない。いつもの忍装束じゃ寝苦しいだろうという親切心からだ。尤も、エノキが居たら実力行使で止められていると思うが。
俺も服を着替え、アンコの隣に潜り込む。髪留めを外したアンコの髪を左手で梳くように撫でる。
「ホント、ごめんなぁ。」
アンコに聞こえることがないと分かっていても言葉が漏れていく。どうしても止めることができなかった。
「愛している。」
俺の言葉は誰にも聞かれることなく、夜の闇が飲み込んでいった。
+++
翌朝、アンコに何も残さずに部屋を出る。一瞬、鍵をどうしようかと考えたが、ここに残していくのもなぜか躊躇われ、結局、鍵は懐にしまったままとなった。
爺さんの姿に変化して里に出ると、昼前ということもあり、里の中はそこそこ賑わっている様子が見て取れた。その喧騒を通り抜け、温泉街から木ノ葉の里を流れる川へと赴く。
「ほっ!」
川へ向かってジャンプする。チャクラを使い、川の上に立ち印を組み手を川に付けると、足元の水が前方へと勝手に流れ出した。水遁 大爆流の術を応用して川の流れを作り出し、それに乗ることで楽をしようという訳だ。気分はまさにセグウェイ。ウェイウェーイって大学生みたいに乗ろうかと思ったけど、歳が歳なので自重しておく。
と、前の方から何やらピリピリした空気が漂ってきた。目を凝らすと、前方に四人組の姿が見えた。木ノ葉の忍装束であるベストを着込んだ男、体格から判断したが男と女を間違えることはないだろう、とお洒落な服を着た女。そして、その奥にはお洒落なコートを着た二人組。
ああ、あのコート、前世で買ったわ。で、サソリのコスプレしてた。懐かしいなぁ。
彼らに近づいて行きながら、4本のクナイに起爆札を巻き付けつつ、ポーチから煙玉を出す。奥の方の二人組のガタイがいい男が背中に背負った大刀を地面に振り下ろす。
それを見て、川の水面を蹴り、空へと跳ぶ。
『!』
今頃、俺の影に気づいてももう遅い。後方に4本のクナイを投げ、四人のちょうど中央に煙玉を投げつけ、そこに降り立つ。
「Oli,Oli,OliOh!」
木ノ葉の二人を庇うようにして、コートの男たちの前に立つ。
後ろの方で爆発が起こった。まるで戦隊モノのような俺の完璧な登場シーンに呆気に取られているその中で、一人だけ冷静な声で俺に話しかける奴がいた。
「お久しぶりです。…ヨロイさん。」
立ち込める煙の中で無言で変化を解き、俺の姿に戻る。
相変わらず可愛くねェな。…イタチ。