P.D.329----------------
常春の〈ヴィーンゴールヴ〉は、いつも緑にあふれている。
地下祭壇には英雄たちのガンダムフレームが眠り、下層階にはエイハブ・リアクターの製造施設があるのだ。過不足ない熱を発生させる装置が周辺一帯を適温に保っている。外海に浮かぶギャラルホルン地球本部、メガフロート〈ヴィーンゴールヴ〉は夏の暑さを知らず、冬の寒さも知らない。
とはいえ遠洋のただなかだけあって潮風とは切っても切れない関係にある。髪を乱す強風は嫌われもので、外を出歩く人影は稀であった。太陽光を独占する表層階にはセブンスターズ各家の邸宅があるため、不用意に出歩くのは不敬にあたるという説もあるにはある。
セブンスターズの子女で温室の外を好んだのは、イシュー家最後の娘カルタくらいのものだろう。
カルタ・イシュー嬢は、幼少のころよりたいそうお転婆で、自由に外を駆け回るのが大好きだった。
父上イシュー公は困り果てた顔をしながらも、庭木を枝の太い樹木に植え替えさせた。執事や庭師が気を利かせて薔薇という薔薇から棘を削ぎ、芝生は厚くやわらかに整えた。イシュー家の大切な跡取りは女の子、お怪我をされてはたいへんだと、みなでお転婆娘を見守ったのだ。
その芝生は、今はふたたび短く刈りそろえられ、スプリンクラーの惜しみない恩恵をきらきらと注がれている。
もう誰も踏むことのなくなった青さが、イシュー家の滅亡を物語るようだった。
合議制が廃止されたことで、セブンスターズが集まる会議室につながるこの庭園もまた、惰性で維持される飾りものにすぎない。
露に濡れる緑の中に、今日は珍しく一対の溝が刻まれていた。肩幅ほどの轍である。目線で追いかければ、たどり着いたその先には幾何学的なモニュメント。一体何を象ったのかもわからない無機質な鉄塊に腰掛けて、ドレスの裾を重たく濡らしたアルミリア・ボードウィンがひとりで紅茶を楽しんでいる。
緑を踏みにじってワゴンを押したのだろう。スプリンクラーに構わず庭園に分け入る彼女の姿は、〈マクギリス・ファリド事件〉収束後からときおり見かけるようになった。
あるときは各家のメイドを募り、あるときはたったひとりで、アルミリアは孤独なティータイムを謳歌する。あるときは格納庫で、またあるときは滑走路で。
神出鬼没のティーパーティは
ギャラルホルン
必然に招かれ、鷹揚な声が降る。
「これは酔狂なお嬢さんだ」
「ようこそ、ラスタル様。お待ちしていましたわ」
お茶会には絶好のお日和でしょう? ――アルミリアはにっこり微笑して、砂時計を手に取った。そっと寝かせてからティーセットを並べる。
「方々も、どうかゆっくりしていらして。今お茶をお淹れしますから」
カップとソーサー、ティースプーンを部下のぶんもあわせて三つ。ワゴン下部ではヒーターがポットをあたためながら、廃棄熱で芝生までも痛めつけている。
マクギリスとの結婚生活のために、アルミリアはお茶を淹れる練習を重ねた。おいしいと褒めてくれる彼の気遣いだって嬉しかったけれど、ふたりでおいしいと笑い合えるくらい上手になりたかったのだ。
朝起きて楽しみたい紅茶の香り。朝食に合う風味。十時のお茶にはミルク・ファーストのやさしい甘みを。きっと帰ってくるマクギリスを待つ間も、不安を消し去れるように練習を続けた。
しかし夢見た生活は戻らず、おいしいよと喜んでくれるはずだった夫は戦場で亡くなった。
もしも生きて帰ってきてくれたなら、ともに罪を償う覚悟があったのに。いつかふたりでティータイムを楽しめる日がくるまで寄り添うつもりで待っていたのに。
逆賊にお茶を振る舞うことなどできるはずもない。
ミトンでポットをつかみ、赤々と夕焼けを溶かしたような
温室で楽しめばいいものを、もったいないことをするものだ――と集まった憐れみの視線は、アルミリアにも紅茶にも向けられていた。
「紅茶だけとは、ずいぶん質素な茶会だな。何か持ってこさせよう。
その言葉を境に、柔和に笑んでいたアルミリアの中から人形のような無表情が顔をだした。
三つのまるい水面が完成してから、無感動な青いひとみが仇敵を見上げる。
「バエルを」
「……失礼。聞き違いがあったようだ」
「〈ガンダム・バエル〉と〈ヴァナルガンド〉をお返しいただきたいのです」
尖れない双眸でラスタルを見つめて、アルミリアは両手を胸の前で組み合わせた。祈りではなく強がりだ。
ギャラルホルンの創設者アグニカ・カイエルの搭乗機であったガンダムフレーム一号機〈ガンダム・バエル〉を。それからファリド家のハーフビーク級戦艦〈ヴァナルガンド〉を返してほしい。
いとけない乙女の面差しにマクギリス・ファリドの影を見出し、ラスタルの背後では部下ふたりが息を呑む。
幼妻は強く強い意志を秘めてラスタルを見つめ、逸らさない。
「アルミリア嬢。申し訳ないが、あれらはギャラルホルンのものだ」
「〈ガンダム・アウナス〉は競売にかけられたではないですか」
「あれは『取り潰し』の伝統に則ったまで。今後そのような風習はなくしていきたいものだがな」
「では、わたくしが買い取ることは?」
「買う?」
ラスタルが片眉をつりあげる。臆することなくアルミリアは、白くなる指先をほどいてみせた。いっそう落ち着いた声音で微笑する。
「我々〈革命軍〉の内部偵察によれば、ガラン・モッサなる傭兵が永らくラスタル様をお支えしていたのだとか。彼は士官学校時代から御家ぐるみの親交のあった、あなたの旧友なのでしょう? 大切なご友人を亡くされたこと、後れ馳せながらお悔やみ申し上げますわ」
「これはよくご存じだ」
「メイドたちはおしゃべりですもの」
セブンスターズの家々のメイドたちとも紅茶を囲んだ。ファリド家のメイドとも、もちろんエリオン家のメイドとも。整備士や研究者もティー・パーティに巻き込んだ。
みなアルミリアには同情的で、逆賊マクギリス・ファリドに振り回された被害者だと思っていた。十八歳も年上の、しかもファリド家の血筋でもない元男娼に嫁がされた哀れな少女として接してきた。生まれの卑しい男に嫁いだせいで頭がおかしくなってしまったのだと思い込んで、誰も彼も実にあっさり口をすべらせてくれた。
本当に、本当におかしくなりそうだった。
マクギリスのせいではなく、
〈マクギリス・ファリド事件〉と名付けられたクーデターのあと、結婚はなかったことにされ、離婚もしないままアルミリアはボードウィン姓に出戻った。とりまく環境は大きくは変わらない。アルミリアに仕えるメイドは、ずっとともにあるからだ。
兄ガエリオが生還し、ファリド家に嫁ぐ以前の生活が戻ってきた。
大好きだった兄が生きていたころの生活に戻ったというのに、ちっとも嬉しくなかった。
お役目を果たし、生きて帰ってきた兄を、父はもう抱きしめなかった。
いつもなら『おかえりなさい』のハグをするのに、それができなかった。ガエリオのうなじに、忌避すべきインプラントが埋め込まれていたせいだ。
ガエリオは〈疑似阿頼耶識〉というマン・マシーン・インターフェースで、ボードウィン家に代々伝わるガンダムフレームにつながっていたという。〈ガンダム・キマリス〉はエドモントンの戦いでコクピットブロックを貫かれて機能停止していたはずで、回収されて地下祭壇に戻されていた。
というのに、本物のキマリスは月外縁軌道統合艦隊に接収され、エリオン公のもとで火星人の脳を搭載されていたというのである。
あまりの冒涜に、ガルス・ボードウィンはおののいた。
圏外圏に生まれたスペースノイドが地球の大地を踏みしめるだけでも罪深いというのに、その臓器が英雄の搭乗機であった〈ガンダム・キマリス〉のシステムを侵していたのだ。
アイン・ダルトン三尉といえば、
息子が生きて帰ってきてくれて喜ばしいと心から思うのに、埋め込まれた異物への生理的嫌悪感がこみあげ、愛しい我が子を抱きしめたい手はふるえてしまう。迫り上がる嘔吐感を抑えきれない。
家族の抱擁は消え、父と兄は目を合わせることさえ躊躇する。
あたたかかったボードウィン家は壊れてしまった。
家族の復讐を決意したアルミリアにとって、ラスタルこそが憎い仇だ。ガエリオと親しくしていようと、兄との婚約も噂されるジュリエッタ・ジュリス准将の養父であろうと、ラスタル・エリオン初代代表による歴史の上書きは黙過しがたい。
このギャラルホルンは英雄アグニカ・カイエルが創設したものであるはず。しかし現状はアグニカが作ろうとした誰もが等しく競いあい、望むべきものを手に入れられる世界とはほど遠い。
「要求はなにかな、アルミリア嬢」
「ご友人の身代わりとなる密偵をわたくしがご用意します。モンターク商会には、ゴルドン氏に成り代わる力がありますの」
「なるほど」とラスタルはあご髭を撫でた。口角をつりあげ、笑う。「――やってみたまえ」
「ありがとうございます。戦果を期待していてくださいませ」
アルミリアは曇りなくほほえみ返して、淑女らしくスカートをつまんでお辞儀をした。慎ましやかなしぐさはまさに貞淑な妻のそれだ。
「失礼するとしよう」と踵を返したラスタルの背中をにらみつけるような不躾な真似もしない。
時の支配者を見送るドレスの裾は、しかしスプリンクラーが撒き散らす水滴に濡れそぼり、緞帳のように重く垂れ下がる。控えめなヒールは芝生の緑を踏みにじる。
いつか必ず〈ガンダム・バエル〉とファリド家のハーフビーク級〈ヴァナルガンド〉を取り戻し、愛した人を殺した組織の〈法〉と〈秩序〉を全否定してみせると、アルミリアは過去と心に誓ったのだ。
圧倒的軍事力で世界を恐怖させ、屈服させて支配するエリオン公のやり方は悲しみの連鎖を生み続けるだけだと。世界に向けて叫んでみせる。
子供だから、純血ではないから、地球人ではないから――何かしらの理由をつけて蔑んで、
しあわせになんてもうなれない。
だから残された選択肢はただひとつ。
(わたしは復讐の道を往きます)
▼
「……よろしいのですか、ラスタル様」と部下がそっと耳打ちする。
背にした少女は十四歳と幼く、気が触れてしまったのだともっぱらの噂だが、腐ってもボードウィン家の令嬢だ。セブンスターズによる合議制が廃止された今なお、行動を起こすだけの財力と権力は持っているはず。
ラスタルは歯牙にもかけず、剛胆な彼らしく笑んだ。
「彼女は『我々』と言ったな。立派な革命の徒ということだ」
兄には似なかったらしい妹は、マクギリスの影響を強く受けたのだろう。純朴ながら不思議なカリスマ性を持ち、思想や理想といった明確なビジョンも持っているらしい。
実に将来有望だ。成長すればふたたび革命軍を率いるだけの人望も勝ち得るに違いない。いまだ清廉な彼女がこれから外の世界を見、一体どんな味方を連れて決起するのか。
組織の膿として排除するのはアルミリア・ボードウィンの行く末を見届けてからでも遅くない。
角笛とは異なる神を信じる乙女の未来は、はてさて。
「
【次回予告】
誰かに『間違ってない』って言ってほしいんだ、俺たちみんな。誰かの正義にすがりたいんだ、悩むことは苦しいから。責任を負うのが怖いから。
……それにしても、あの青年、ほんとに誰だったんだろう? 火星のエンビたちも、大きくなってるんだろうな。ライド、元気かな。
次回、弾劾のハンニバル!
第4章『ディープ・スロート』。
内通者は、どこにでも潜んでる。