MSV. 弾劾のハンニバル《完結》   作:suz.

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006 家族の肖像

 メリディアニの道は今もガタついている。

 かつて〈ガンダム・フラウロス〉のキャノンが突き崩したティウ峡谷を左手に見つつ、ヤマギ・ギルマトンはクリュセへの帰路を走っていた。

 開け放った窓を吹き抜けていくかわいた風が、肩口まで伸びたブロンドをなぶる。

 裸足でアクセルペダルを踏むなんて、同乗者がいたら遠慮したところだが、さいわい車内にはヤマギひとりである。

 

 クリュセから南へ約二時間半、隣都市ノアキスとの中間ほどにあるメリディアニ採掘場からの帰り道だ。作業用MW(モビルワーカー)の定期メンテナンスのため、カッサパファクトリーから技術者五名と営業マン一名が派遣されていた。

 日帰り出張ということで、往路はこのジープめいた()()の小型トラックに全員で乗り合わせたのだが……、道中は舗装が行き届いておらず、時おり飛び跳ねるような揺れが突き上げてくる。

 帰りは飛行機がいい! とザックが言い出し、俺も俺もと乗っかって、ヤマギひとりになったのだ。

 社用車もコンテナに積んでしまえば――という提案に、ヤマギは迷わず首を横に振った。

 

 あのころシムド峡谷、ティウ峡谷、アレス峡谷が連なっていたここは、七年前にMA(モビルアーマー)ハシュマルが侵攻した地である。

 ヤマギが愛した四代目〈流星号〉が初陣を飾った場所だ。

 今は亡きノルバ・シノを偲んでひとりで走るのも悪くないと思い、ザックたちとは一旦別れてごついタイヤのトラックを駆っている。

 車高が高いせいか揺れもなかなか派手で、二人乗りしたコクピットを思い出す。

 

 淡い、初恋の記憶だった。

 生還したらふたりで飲みにいくという約束が果たされることはなかったが、うつくしい思い出が今のヤマギを支えている。

 彼を吹っ切るのは諦めて、生涯独り身を貫こうと決めてからは存外すんなりと今の生活に馴染むことができた。

 いつまでも引きずっていられない。仕事に熱中していたほうが自分らしく生きられる気がした。

 

(……あ、昼飯)

 

 時計を見れば十三時半をまわっている。

 すっかり忘れていたが、もともと昼近くまでかかる予定で、あちらでランチを食べてくるよう言いつけられていたのだった。

 ザックたち一行は空港でどこかの店に入っただろう。

 それじゃあ俺はどうしようかと思考する。健康管理を怠ると、我らがカッサパファクトリーのCEOメリビット・ステープルトン女史からお小言を食らってしまうのだ。

 

(まずったな……このあたりで領収書切ってくれそうな飲食店っていったら、)

 

 助手席に放置していたタブレットを拾い、地図を確認するが、まだしばらく走らないとクリュセの影すら見えてこない。

 

「ハロ、ナビ出してくれる?」

 

『ヨッシャマカセロ! ヨッシャマカセロ!』

 

 ダッシュボードでボール状のAIがぴょこんと飛び跳ね、カーナビゲーションシステムが起動する。

 モニタに拡大された地図によれば、ここから北東へいくばくの距離に燃料(バイオエタノール)補給スタンドと小さな商店街があるという。

 

「サイドニア・ショッピングセンター……ここから二十分ちょいか」

 

 クリュセ到着には遠回りでも、なかなか悪くない距離だ。

 名前だけご立派な平屋の商店街だが、(タントテンポ)傘下のファストフード店も入っているという。大型チェーンなら経理に提出しても大丈夫そうな領収書が手に入るだろう。

 経路を表示させると、ヤマギは踏み固められただけの獣道へとハンドルを切った。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 落書きだらけのシャッター商店街の中、目当ての店はすぐに見つかった。

 ショッピングセンターというよりはバラック小屋の集合体で、営業している店自体がわずかだったのだ。

 がらがらの駐車場はまるで難民キャンプで、都市部から流れてきたのだろう浮浪者がそこかしこでブランケットにくるまっている。

 クリュセから徒歩でここまで来たのなら、早くて一昼夜はかかっただろう。みな砂まみれの頭をしている。

 

 ヤマギは念のため窓をロックしてから駐車し、車上警備をハロに任せて車を降りた。

 テイクアウトにしよう、と誓う。

 このようすでは治安も衛生状態もあまりよくなさそうだ。目当ては『昼食抜いていません』と上司に申請するためのデジタルスタンプひとつなので、食べられそうになければ捨ててしまったっていい。

 

 入店したファストフード・チェーンは、地球圏から圏外圏のさまざまなコロニーに出店するだけあって、さすがにまともな雰囲気だった。

 奥から店員のシュプレヒコールが「いらっしゃいませ」と響いてくる。

 しかし、ヤマギの視線はひとつのテーブルに釘付けになって動かない。

 青年がひとりでホットドッグをかじっているそばには、ナゲットの箱がふたつ。

 

「……ナゲットが好きだったなんて初めて知った」

 

 歩み寄れば、じろりと鮮やかなグリーンのひとみが見上げる。

 ライド。呼びたい名前は喉で錆びついて閊えてしまった。

 鉤爪のような赤いまつげが無感動にまたたいて、ヤマギの呼吸をぎりぎりひっかく。

 

「いや、別に好きじゃねえけど」

 

「二年も連絡寄越さないで、何してたのさ……」

 

「さあね」

 

 ライドは表情を変えないまま、残ったホットドッグを口に押し込むとボトルの水で流し込んでしまう。

 ナゲットの箱は袋に詰めて立ち上がった。

 ここから去るつもりなのだと即座に察して、ヤマギはとっさにライドの袖をつかんだ。

 

「待って!」

 

 いつの間にかずいぶん高くなった目線に見下ろされても、ヤマギにとってライドは弟のようなものだ。

 両の目で見据える。我知らず脅すような声が出た。

 

「今何してるのか、洗いざらい聞かせて。この二年間のこと全部だ」

 

 俺たちが一体どれだけ探しまわったと思っているんだ――と、言外に圧力をかけたが、ライドは冷めたひとみで動じない。

 持ち上がった親指が出口を指し示す。

 

「……歩きながらでよければ?」

 

 ファストフード店にいたのは、逃走経路を確保しておくためだったのだろう。

 先に会計を済ませておけば、いつでも店を出て行ける。

 

「わかった」とヤマギは諦めて、ライドに続いて店を出た。

 

 

 

 

 ふたり、連れ立ってシャッター商店街を歩く。

 バラック小屋にも、駐車場や公衆トイレにまで人が住みついているようだった。

 ヤマギが淡いピンクのつなぎ姿だからか下世話な視線も集まったが、男二人組だとわかれば過半数が興味を失っていった。

 車中のハロを連れてきていればライドが見つかったと密告もできたろうに、何を血迷ったか今のヤマギは通信端末すら持っていない。

 

 ライドは無言のまま角を曲がると、路地にいた物乞い風の少年に手にしていた袋を渡してしまった。

 ナゲットはそのために購入していたのかと腑に落ちる。昔からライドは、年下の子供たちのためにお菓子をとっておいていた。

 変わってないんだなと懐かしさが押し寄せるが、今は昔の火星ではない。

 

「よくないよ、そうゆうの」と、口先だけだがたしなめる。

 

 その場しのぎの施しは、彼らが福祉の恩恵を受けにくくなるだけだ。

 小規模な商店、飲食店がつらつら並ぶばかりのサイドニアで子供が就ける仕事はないだろうし、ここには学校もない。

 もとより峡谷と砂漠の合間、燃料の補給にのみ立ち寄るような寂れたエリアである。採掘場のあるメリディアニまで行けば小学校がある――が、さっき見てきたあそこは労働者の子供たちが時間をつぶす学童保育所のような雰囲気だった。

 ちゃんと勉強するなら親許を離れてノアキスにある寄宿学校へ入るのが主流らしい。

 

 ノアキスといえば〈革命の乙女〉クーデリア・藍那・バーンスタインが演説した〈ノアキスの七月会議〉が行なわれた伝説の都市でもあり、連合議長ゆかりの地だ。

 クリュセと同様に社会福祉が行き届いている。

 

 ここ、サイドニアまで来ればノアキスよりクリュセのほうが近いだろう。近年では実家から通わせる家庭が増えているクリュセでも、小学校から高校まで学生寮が完備されている。

 公立校なら制服、給食、宿舎はすべて税金で賄われるし、学費も無料だ。卒業後も就労支援も受けられる。

 

「それじゃ、ヤマギがクリュセまで連れてってやれば?」

 

「え―― 」

 

「食い物やるのがよくないってんなら、相応の場所まで連れてきゃいいじゃん。どうせ車で来てんだろ?」

 

 こんな辺鄙な場所で路上生活を送るストリートチルドレンにまで行政の保護が行き届くのは明日か、明後日か。それまで生きているためには食糧が必要だろう。

 飢えないための窃盗や略奪に手を染めさせないために、食べ物を渡してやって何が悪い?

 

 緑色の眼光に見据えられて、ヤマギは口をつぐんだ。

 ……確かに正論だ。やらない善より、やる偽善のほうがその場をしのげるだけマシだろう。

 自分で救わないなら、救済の手を見咎めるのは筋が通らない。

 

「それもそうだな……。でも、俺はライドを連れて帰りたいんだ」

 

 立ち止まる。鋭くとがったライドのひとみをまっすぐ見返し、ヤマギは拳を握った。

 

「いい加減こたえてよ。この二年間、ライドは何をしてたの?」

 

「フツーに仕事してたよ」

 

「どんな仕事?」

 

「守秘義務がある仕事だ。それ以上は言わない」

 

 沈黙が降りる。重たい空気を砂混じりのつむじ風がかき乱し、ライドの赤毛を揺らした。

 ヤマギは舞い上がる自身のブロンドをかきあげてひとつに束ねた。視界が開ける。

 

 

「もしかしてユージンのこと、怒ってるの」

 

 

 何故そんなことを聞いてしまったのかはヤマギ自身にもわからない。

 だが過去、ライドとユージンがひどい喧嘩をしたことは変えようもない事実なのだ。

 鉄華団がなくなり、残党はクーデリアのもとで平穏に暮らすユージン・セブンスタークら『穏健派』、そしてライドを筆頭にオルガ・イツカを信奉する『強硬派』に分裂した。

 なぜそうなったのかは、……誰にもわからない。

 ヤマギの中では『就職組』と『学校組』という枠組みのほうがわかりやすかったし、そのうちの誰がユージンにつき、誰がライドについていたのかも把握していない。

 カッサパファクトリーの面々はどちらの味方でもなかったし、できればみんな前向きに生きてほしいと思っていた。

 それでも穏健派と強硬派の亀裂は胸にわだかまり、ずっと影を落としていた。

 

 そんなときだ、ライドたちが忽然と消えてしまったのは。

 おそらくノブリス・ゴルドンが火星を訪れるという情報が入ってきたことが引き金だった。強硬派(ライド)側だった年少組が神隠しのように失踪、ノブリスの銃殺死体が見つかったときにはもう足取りひとつつかめなかった。

 

 何故そうなる前に言葉を交わしておかなかったのかとヤマギはひどく後悔した。

 ライドとユージンだって膝をつき合わせて話し合えば、何か他の道を模索できたろうにと。

 先月だったか、ユージンが街中でトドを発見し、モンターク商会のオフィスを訪れてライドについて尋ねたと噂に聞いた。きっとライドたちを探し続けていたのだろう。副団長としてよりも、家族として。

 弟分たちの身をずっと案じていた。

 

「ユージンを責めないでやってよ。団長に代わって手本を示さなきゃ、みんなが安心してしあわせになれないんだからさ」

 

「誰も責めちゃいねえよ。あの人はそういう役回りなんだろ」

 

 むしろ諦めている。ライドのため息は重く、双眸が鋭さを増す。「けど、」とつないだ声は、獣が唸るように低い。

 

「しあわせになんかもうなれねぇやつらだっている。失いすぎて、もう何も残ってなくて苦しんでるやつらがいる。そいつらにだって味方が必要だ。誰かが居場所になってやらなくちゃいけねえんだ」

 

 独白のように、慟哭のように、ライドの言葉が突き刺さる。第二のオルガ・イツカになろうとするような力強さに、ヤマギは懐かしく目を細めた。

 

「そうだね」と肯定する。「……まだ難しいのかもしれないけど。いつかはみんな、前を向いて生きていけたらいいよね」

 

 こぼれたのは、笑うに笑えないような、曖昧な嘆息だけだった。

 だって、目的を持って動いているならヤマギが何を言ったってライドは聞かない。

 

「ヤマギには、俺が前を向いてないように見えるのか?」

 

「俺にはそう見えるよ。あのころから変われずに、立ち止まってるように見える。……でも、いつかは一緒に前に進めるはずだから。俺たちはずっと信じて待ってる。帰ってもいいと思えるようになったらでいいからさ」

 

 帰っておいでよ。――差し伸べた手は、パンとかわいた音をたてて弾かれた。

 

 

「お断りだ!」

 

 

 手ひどく振り払われた手が跳ね返ってきて、ヤマギはアイスブルーのひとみを大きく見開いた。

 ひゅっと喉が勝手に息を呑む。

 

「なんだよ変われてないって、進んでないって!! あんたらだって()なんか向いてねえじゃねえか。済んだ過去だったって諦めて、失ったものから目を背けて、()を向いて生きるなんて俺はごめんだ!」

 

「ライド、 」

 

「いっぺん死ななきゃまともな仕事にも就けなかった、学校にも行けなかった。だけど別人になったから働ける、学校に行ける? しあわせになれる? それのどこが前向きなんだよ……!!」

 

 泣き出しそうに歪んで揺らぐ双眸が、迷子のようにさまよう。グリーンの眼光に突き放され、足許が揺らぐ感覚がヤマギを襲った。

 どこを見ているのか、指摘されてわからなくなる。

『前』はどっちで、『下』はどっちで、そこが『過去』の先にある『未来』かどうか、――敢えて考えないようにしていた。

 だって。過去にはシノがいて、鉄華団があった。でも未来にシノはいない。鉄華団もなくなった。IDを改竄して名前が変わり、苗字も変わり、ヤマギもギルマトンもノルバもシノもない人生に放り出された。

 

 カッサパファクトリーのチーフメカニックで、ブロンドなのにどうして『ヤマギ』と東洋風のあだ名で呼ばれているのかと、出張先では意外そうな顔をされることもある。

 ライドだってそうだ。ライド・マッスは死んで、仲間内で『ライド』と呼称されるだけの別人に生まれ変わった。

 

「死にきれなかったやつらだって大勢いる。別人になんかなれない連中が行き場を失って苦しんでる。だから俺はそいつらの側につく。……オルガ団長なら、きっとそうする」

 

「わかった。でも、ライド、もっと俺たちを頼ってよ。何の相談もなしに突然いなくなって、みんなほんとに心配してる。俺たちは、家族だろ」

 

「相談すれば復讐は何も生まない、終わったことは忘れろって諭された。帰れる場所も、逃げる場所も、生きる場所もどこにもなかった!」

 

 学習しただけだ。無駄だったから、見切りをつけた。

 

「……ヤマギは副団長の側なんだろ? 俺らが何言ったって『大人の都合に合わせろ』って説教されるんじゃやってられねーって伝えといてくれよ」

 

 おどけたふうに肩をすくめたライドは、そのまま歩を早めた。

 

「待てよライド!」と路地に消えそうになる背中を呼び止め、ヤマギは絞り出すように問う。「……それじゃあ、復讐は何か生みだせると思う?」

 

 ライドの返答はシンプルだ。

 

 

「雇用を生んでるよ」

 

 

 皮肉げに笑んで、復讐者はひらりと手を振る。

 

「シノさんの仇も俺らでとってくるからさ。そっちはそっちでしあわせになってなよ」

 

「ライド!! 待っ――」

 

 追いかけて駆け込もうとした路地に、しかし、ライドの姿はもうなかった。

 まぼろしのように消えた弟分は、きっと土地勘があったのだろう。もう二度と会えないような予感とともに、喪失感が押し寄せてくる。

 

 ああ、と嘆きが重たくこぼれた。

 

「……領収書、もらって帰らないと」

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 黄昏のころ、モンターク邸に灯りがともる。

 館の女主人から「夕食はみんなで」と言い含められていたので、ライドも薄暗くなるころにはロータリーまで帰り着いていた。

 駐車場のトドに煙草をせびってとりあえず一本吸ってから、豪奢な正面玄関をくぐる。

 

 カズマのメールによれば、アルフレッド——〈グリムゲルデ・ヴァンプ〉1号機は夕方着の貨物便で降下するとあった。もちろんエンビも一緒だ。地上へ降下する貨物ブロックは必ずしも気密エリアとは限らないので、基本的にパイロットスーツのまま、コクピットを閉じてモンターク邸までじっとしているのが常である。

 この時間ならトロウとヒルメも暗殺任務を終えて戻ってきているだろう。

 

 大型貨物が発着する搬入口までてくてく歩けば、MS(モビルスーツ)用コンテナの入り口で立ち尽くしているアルミリアの背中を見つけた。

 

「……お姫さん?」

 

 おろおろと不安げなようすで、内部をうかがっては何事か迷っている。

「どうしました」と声をかけ、ひょいとアルミリアの肩ごしにコンテナをのぞき込むと、――機体の膝許で団子状になって眠っている三人組の姿があった。

 

「ライドさん!」とアルミリアがほっとした声を出す。「おかえりなさい」と帰還を歓迎してから、両手の指先をくみあわせた。

 

 床にごっちゃりと折り重なって眠っているエンビたちの姿に、驚いたのだろう。

 

「ベッドルームを用意しておいたはずなのだけど……わたし、何か間違えたかしら」

 

「いや、エンビが生きて帰ってきたからじゃないっすかね」

 

 今朝QCCSで届いたエンビのメールに『眠い』とあったから、寝落ちただけだろう。

 MSのそばは年中あたたかいので、格納庫といえば昔から絶好の昼寝スポットだった。

 さすがにモンターク邸は空調設備が整っているし、まさか三人まとめてコンテナの床で寝こけるとは思わなかったにしても、警戒心や責任感の強さゆえ不眠症がちのエンビが再会と同時に眠ってしまったのなら、それはそれでいいことだ。

 

〈ハーティ小隊〉を率いるエンビは頭が回るが、そのぶん精神的に追い詰められることも多い。諜報は気を遣うし、単独任務ではおちおち眠ってもいられなかったに違いない。

 身を寄せ合う姿は、子供のころから何も変わっていない。十七になってもまだまだガキだ。

 せめて安心して眠れる場所があってよかったと、ライドは目を細めた。

 

「……すいませんね、男同士でベタベタと。気持ち悪いでしょう」

 

「どうして? あなたたちは家族なのでしょう?」

 

「は――?」

 

 きょとんと目をまたたかせたアルミリアに、ライドのほうが面喰らった。

 齢一桁の子供ならまだしも、図体のでかい男同士で肩を寄せ合って眠るのは『普通じゃない』にあたるはずではなかったか。

 

 しかしアルミリアの生きてきた世界もまた、火星とも地球とも異なる独自の文化でできていたらしい。

 

「眠るときには、お父様とお母様から『おやすみ』のキスをいただくの。もちろんお兄様からも。お父様やお兄様が任務から帰っていらしたときにも『おかえりなさい』のハグをさしあげるわ。家族同士ならとても自然なことよ」

 

 祈るように記憶を手繰るアルミリアのまなうらには、あたたかな家族の抱擁がある。

 母から子へ、父から子へ。兄弟同士でも姉妹同士でも、親愛の情を示すスキンシップは何も珍しいことではない。

 アルミリアにはガエリオ以外の兄はいないし、弟もいないが、兄弟姉妹が何人いても同じようにハグをしたし、同じようにキスをしただろう。

 

 父ガルスは軍人であったし、兄ガエリオもまた軍人だった。どんな任務でも在宅の家族が出迎え、無事の帰還を喜んだ。兄の友人であったマクギリスには誰もハグしないから、アルミリアが率先して家族のぬくもりを分けようとした。

 お仕事から帰宅した家族を笑顔で出迎え、再会を喜び合うのは当たり前の日常のはず。それなら、なぜ誰もマクギリスに『無事で帰ってきてくれてうれしい』と伝えないのだろうと、幼心に疑問に思ったのだ。

 それが政略結婚の引き金になったのだとしても、それでよかった。

 

「感謝します、神様。彼らをふたたび会わせてくれて」

 

 しあわせだったころのボードウィン家の記憶は、あたたかな疼痛となってアルミリアの胸を締めつける。

〈ハーティ小隊〉の束の間の休息は、たったの三日。四日後には月へ向かうアルミリアの護衛のため、MSに乗り込むだろう。

 隊長のエンビは諜報任務をこなすためにアーブラウの訛りを覚え、言葉の響きを変えて、自分自身を変質させていく。ただ諜報向きの人種であっただけなのに、単独で遠方に送り出す仕事を任せ続けた。

 

 どんな家族ももう二度とばらばらにしたくないと心から願うのに、肌の色の異なる三人組は、一緒にいるだけで誰かの記憶に残ってしまう。ライドの赤毛もそうだ。物珍しさはおのずと人の目を集めてしまう。

 彼らを引き離した世界は、何度でも彼らをずたずたにして今ある平和を保とうとする。

 

「カミサマ――ね」

 

 ライドが独り言ちるそばで、アルミリアは祈る。

 どうか夢見る今だけでも、彼らがしあわせであるように。

 

 格納庫の床に、影が長く伸びている。アルミリアはみずからの影を踏んで、彼らの領域に踏み込むことはできないだろう。あたたかな眠りから彼らを呼び覚ましてしまう。

 フロアは硬く冷たいだろうに、狼の群れは静かに寝息をたてる。

 家族の肖像の瓦礫のように、ただ安らかに。




【NGシーン】

「ここへブランケットを持ってきたらいいのかしら?」
「いや、近づいたら3人同時にカッ! って開眼するんでやめたほうがいいですよ」


軽くホラー。

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