MSV. 弾劾のハンニバル《完結》   作:suz.

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005 回帰

「なあ、エンビが帰ってくるってよ!」

 

 後部座席でトロウが声をはずませる。

 手許のタブレットをかざし、運転席のヒルメに見えるように受信画面をうつしてみせた。

 

 ルームミラーにちらりと意識を投げ遣って、ヒルメも「ようやくか」と表情を和やかにした。

 SAUでの〈ゲイレール・シャルフリヒター〉排除作戦を終えたあとエンビは単身〈ハーティ小隊〉から離れ、諜報のためアーブラウへ渡っていたから、約二週間越しの再会だ。

 任務は無事成功し、今日の夕方にはモンターク邸まで降りてくるという。

 

 火星を離れている間は連絡がとれないので、メッセージは共同宇宙港〈方舟〉の格納庫に常駐するカズマがQCCSで届けてくれたものである。

 今ごろエンビの搭乗機〈グリムゲルデ・ヴァンプ〉1号機がカズマのメンテナンスを受けているはずだ。

 

「メールには何て?」

 

「『めっちゃ眠い。がっつり寝たい三時間くらい』」

 

「仮眠下手クソかよ……。明日から〈ハーティ小隊〉は休暇だ、朝まで寝かせてやるって返信しとけ」

 

「りょーかい」と応じて、肩を揺らして笑う。

 メールを送信すれば、仕事中毒のカズマから不眠症気味のエンビへのバトンタッチはあっという間だろう。

 

 今日の夕方、エンビがコンテナごと地上に戻ってきたら、〈ハーティ小隊〉は三日間の休暇をとる。

 メンバーの多くは時間を持て余すだろうが、小隊長であるエンビの体力回復を見込んでライドが休みをねじ込んだのだ。

 同じ白人系でもライドのような赤毛は印象に残りやすいし、黒人系のヒルメや東洋人のトロウは混血でもありコミュニティに紛れ込むには適さない。

 異人種の面影というのは、人を疑心暗鬼にするようなのだ。

〈マーナガルム隊〉から諜報に出せる人材は、当たり障りのない白人(ホワイト・アングロサクソン)で外ヅラもいいエンビしか残らなかった。

 

 もともと頭の回るタイプだったし、他者から望まれる姿を演じるのが得意だ。要領がよく、暗記力もいい。鉄華団団長を思わせる力強いスピーチもたちどころに習得してみせた。

 花街に繰り出しても可愛がられるのはいつもエンビで、「あいつばっかモテんだよなぁ」と愚痴るトロウもなかなかどうして満更でもない。

 

「負けねーように、俺らも仕事頑張らねえとな!」

 

 意気込むトロウにああと相槌をうって、ヒルメは後部座席で大人しくしている少年を各部バックミラーで確認した。

 今回の任務へ向かう車内にはもうひとり乗っているのだが、隣のトロウとは対照的に静かすぎて、停車のたび姿を見ないと落としてきたかと不安になるのだ。

 

「……『リタ』だっけか。いい名前だな」

 

 何かしゃべらせて存在確認しようと適当な話題を振る。

 すると、ぱっちりと大きなライト・グリーンが鏡ごしにヒルメをとらえた。

 まばゆいばかりのプラチナブロンド、同じ色の睫毛は朝焼けに差し込む光のようだ。二重まぶたがまたたけば、バサバサと音がしそうなほどまつげが長い。控えめな鼻、血色のいいくちびるの配置は精巧な人形のように完璧で、……なんというか、直視するのがためらわれる。

 ここまで文句のつけようもない美少年は人生でふたりとお目にかかれないだろう。ダブルジャケットのボタン並びから男なのだろうと察するものの、性別も判然としない。

 

 無頓着なトロウは短くて呼びやすいと同調し、他意なく笑んだ。

 

「ここらじゃあんまし聞かねえ名前だよな」

 

「そうでもないだろ。俺だって似たようなもんだ」

 

「『ヒルメ』?」

 

 トロウが首を傾げ、リタも無言のままことんと右に倣った。

 ああと首肯する。自嘲が混じって、「似てるっつってもだいぶ違うけど」と補足する。

 

「どっかじゃ婆さんの名前なんだってよ」

 

 木星圏の文字で『日女(ヒルメ)』。

 IDが書き換えられるとき、ヒルメははじめて自身に女の名前がつけられていた事実を知った。

 

 改竄後のIDは性別相応、人種相応、なるべく印象に残らないようにと年代も考慮して再命名されたもので、黒人男性らしくないという理由でヒルメは本名を引き継ぐことができなかった。

 花街で働く女が子供に一律女の名前をつけるのは案外よくあることのようで、Embi(エンビ)にしても男の名前として一般的ではない。Elgar(エルガー)と男性名風のアクセントをつけて呼んでいた片割れだって、エンビが手ずから墓碑に刻んだ本当の名前はEluga(エルーガ)。やはり男につける名前ではない。

 

 娼婦が我が子に女性名をつける理由は愛情であったり、損得勘定であったり、背景はそれぞれだろう。

 手許に置くため、女児と偽って売り払うため。あるいは仕事中よその男の名を呼んだあばずれと値切られないため。五歳まで生き延びる確率だって五分なのだ、幼いうちは女の格好で育てたって傍目に違いはわからない。

 

 ヒルメ自身、今でも『ヒルメ』が男の名前で何が悪いのかわからない。

 ただ一般的ではないから、そのままでは都合が悪かった。

 

 由来と照らせばRita(リタ)も同じ境遇だとわかる。

 今はすわ美少女と見紛う姿でも、いつかは変声期が訪れ、身長も伸びる。そう遠くない将来、少年はマクギリス・ファリドのような美男子に成長するだろう。

 そのときがくるまでに、一回でも多く『いい名前だ』と言ってやりたかった。

 普通の人生と引き換えに名前を奪われることがあっても、過去を呪わないでいられるように。

 

 

 

 ヒルメの運転するセダンはほどなく目的地であった高級ホテルに到着し、ロータリーに横付けした。

 現れたドアマンには窓だけを開けて応じ、バレーパーキングサービスを断ると地下駐車場につながるゲートへすべりこむ。

 滞りなく停車した黒いセダンから降り立ったのは、無個性なダークスーツ姿のヒルメ、対照的にラフな格好のトロウ。

 それからトロウの手をとってしゃなりと車を降りるリタだ。

 差し伸べられた手にエスコートされるさまは淑女(レディ)のようで、はにかみ笑顔が何とも愛くるしい。

 

 駐車場の最奥には、厳重なセキュリティチェックのついた扉がある。一見すると倉庫の入り口のようだが、それはカムフラージュだ。黒服のヒルメは念のためサングラスをかけてからカードキーをかざすと、ひとつめのゲートが重々しく道を開けた。

 開かれた扉を抜け、さらに奥へ、もうひとつの扉をくぐる。

 すると姿を現したのは鏡のように磨かれた大理石(マーブル)の床と、プライベート・エレベーターへといざなうきらびやかなロビーだった。

 上層のスイート・ルーム直通のエレベーターだけあって、監視カメラの類いは一切存在しない。

 

 ヒルメがパネルを操作し、インターフォンを呼び出すとリタがぴょこんと飛び跳ねた。

 来客用のカメラがリタの顔の高さまでスライドする。

 背伸びをしたリタがぎこちなく、どこかこわばった笑顔をつくってみせた。

 

「あの、ご指名、ありがとうございますっ。リタ・モンタークです……」

 

 頑張ってカメラに近づこうとふらつくリタの顔がモニタに映し出され、背後に控えるヒルメは黒服の腰あたりしか映らない。

 先ほどまでの落ち着いた振る舞いとは打って変わって視線をさまよわせるリタ。まばたきのたび、長いまつげがホールの光をきらきら散らす。

 

 インターフォンの向こう側で中年の男がおお、と低く唸った。

 

『――入りたまえ』

 

 当該フロアにしか止まらないエレベーターが両腕を広げる。どうやら受け入れられたようだった。

 トロウが目配せをして、ヒルメが静かに首肯する。

 リタの金髪をポンポンと撫でたトロウは、兄貴ぶってにかりと笑んだ。

 

「お疲れさん、お前はここで撤退だ。あとは俺に任せときな」

 

「えっ、おれ……まだなにも」

 

「車で待ってろ。すぐ戻る」

 

 運転手のヒルメにひとつうなずいてみせ、パーカーのフードをかぶる。カーキは返り血が目立ちにくい色だ。ラフなワークパンツの内側にはナイフや弾倉が仕込んである。

 懐に銃を呑んだトロウがひとりで乗り込むと、エレベーターはつつがなく上昇をはじめた。

 

 

 

 モンターク商会には少年傭兵だけでなく、高級男娼も匿われている。

 今のクリュセでは十六歳未満の売春は禁止されており、リタのような少年を買うことは赦されない。

 しかし、たとえ法が禁じようとも需要は根強く、クリュセ市警やホテル従業員をチップで抱き込んでは少年少女を買いたがる男は減らない。

 違法性というリスクがスパイスになるようなのだ。法の網をすり抜けてやったという達成感が犯罪者を増長させる。未成年の売買が以前よりぐっと慎重になったせいでレアリティが増し、最も希有な『金髪碧眼の美少年』を買うことは金持ちのステータスになってしまった。

 

 そこでモンターク商会がはじめたのが、指名された高級男娼の派遣をよそおって暗殺者をお届けするという私刑の執行である。

 絹糸のようなブロンドも透明度の高いグリーンのひとみも、またとない高級品だ。思惑通りリタへの指名は殺到し、今日だけで四件も回らなければならない。

 エグゼクティブクラスを減らしすぎないようにと予約の一時停止がかからなければ、一体何人始末することになったのやら。

 

 選ばれた者のみが足を踏み入れることができるスイート・ルームのドアの前に降り立つと、トロウは子供の高さに身を屈めて銃を構える。スライドを引く。

 コンコンと控えめなノックを鳴らせばドアはすんなり解錠され、トロフィーを出迎えようとした好色な代議士がひとり、銃殺死体で転がるのだ。

 

 白いバスローブに鮮血が染みていく。大理石のフロアを汚す蜂の巣を見下ろしても、トロウは何の同情も覚えない。

 

「……ざまあみろ」

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 車に戻る黒服に手を引かれ、リタはしきりにエレベーターホールを振り返っては名残惜しそうにヒルメを見上げた。

 

「ねえ、もうおしまい? ボクのお仕事は?」

 

 つないだ手をぐいぐいひっぱられてはしょうがない。ヒルメは開いた手でサングラスを取り払った。

 

「お前は囮役だ。ガキを買おうとする犯罪者をうまくおびき出してくれたろ?」

 

「まだなにもしてない……」

 

「いいんだよ。九つのガキに売春させたら犯罪だ」

 

「でも、人殺しだってそうでしょ? それなら、ぼくがしたって……」

 

 うつむくリタの言葉は、殺人か売春かどっちつかずのまま途切れてしまう。

 自分で殺すと言いたいのか、体を売っても構わないと言いたいのか。ヒルメは返答に窮して眉根を寄せた。

 

 押し黙るヒルメに、リタはさっきまでの静けさが噓のように言い募る。

 

「俺だってお仕事、できるのに。どうしてだめなの? ねぇ、ボク、役に立てない?」

 

 甘えるように足にまとわりつかれて思わずよろめく。密着されてはさすがに邪魔だ。蹴つまずいて共倒れよりはと、仕方なく抱き上げた。

 すんなりと目線が同じになって、リタの両腕がまきついてくる。

 ぎゅうとしがみつかれ、――ああ、こいつは()()()のプロだったと腑に落ちた。

 

(……そーゆうアレか……)

 

 内心でため息をつく。

 ヒューマンデブリたちと違って決して痩せてはいないのに、抱き心地は羽のように軽い。

 重心の位置を熟知し、抱かれ方を心得ているのだろう。九歳の子供と侮っていたが、さすが高級男娼だけあって熟練の業だ。

 

 車から降りるとき、気の利かないはずのトロウが自然にエスコートしていたのも、おそらくリタがそうさせていた。エレベーターホールでの緊張した面持ちも、不安定な一人称でヒルメに抱き上げさせたのも。

 知らず手玉に取られていたのかと頭が痛くなってくる。

 

「お前は充分すぎるほど仕事してるし、役に立ってるよ。売りがやりたきゃ十六になってからな」

 

 十六歳の誕生日さえ迎えればひとまず合法だ。クリュセでは取り締まり対象を外れる。

 できれば違う職業を選んでほしいが、本人がやりたいと言うならヒルメに止める権利はない。アルミリアに志願すればやらせてくれるだろう。傭兵はよくて男娼はだめ、というのは筋が通らない。

 

「じゅうろく……」とリタがつぶやく。

 

「七年後か。過ぎてみれば案外すぐかもな」

 

「……そんなに経ったら、きっともうかわいくない……」

 

「リタ、」

 

 薄い肩がふるえて、ぎゅうと強くしがみついてくる。

 

「いやだ」と繊細(かぼそ)い嘆きとともに、体重がかかってきた。

 

 いきなり重くなったように感じるのは取り繕うのをやめたからか、それともこれも同情を誘うための演技なのか。支えてやるだけのヒルメにはわからない。

 ただ子供特有の体温はあたたかく、九歳の少年の重みがそこにあった。

 

 静かすぎる地下駐車場の片隅で、ヒルメはただコンクリートの天井を見上げて、時間が過ぎるのを待つことしかできない。

 

 七年先の未来は果たして、十六歳になったリタが円満に売春できる世の中だろうか。

 過去七年間の激動を思えば、ヒルメには何とも言えない。リタ自身もあどけない美少年ではなくなっているだろう。背も伸びて、声は低くなって、引く手数多のクールビューティに育っているに違いない。

 二十代に達するころには、あのマクギリス・ファリドのような絶世の美男子が再臨する。

 

 ヒルメが記憶するマクギリスはMS(モビルスーツ)乗りであったし、火星出身とはいえセブンスターズに拾われた知識階級だった。

 きっと、リタとは似ても似つかぬ幼少期を過ごしたのだろう。

 養父とやらが彼をどう扱ったかペラペラと自慢げに暴露していたが、語られた過去はパイロットとしてのマクギリスとはまるで重ならない。

 阿頼耶識システムの恩恵なしに〈ガンダム・バルバトス〉と肩を並べた鮮紅色の〈グリムゲルデ〉、その腕前はあの三日月にも劣らなかった。

 

 鉄華団は民間警備会社だったから、ヒルメも例外なく強いパイロットに憧れた。三日月・オーガスのような。昭弘・アルトランドのような。

 子供時代は早く大きくなりたかった。オルガ・イツカのように。ノルバ・シノのように。だって、手足が短いとハンドルやペダルに届かないし、体重が軽ければ撃てる銃も限られる。体が小さいぶん一度に運べる荷物も少ない。

 もっと仕事を任せてほしい年少組はみんな、一日もはやく長い手足と強靭な筋肉がほしくて成長期を待ち遠しく思ったものだ。

 大人になりたいと考えたことこそなくても、子供のままいたいと願ったことはなかったから、ヒルメはうまく言葉を返せない。

 しがみついてくる指先が背中のヒゲをさぐるので「おい」と咎める。

 

「どうしてアルミリア様は俺もアラヤシキにしてくれないの?」

 

「そりゃあ、危険だからだろ。火星でできる適合手術は生存率が低いんだ」

 

「客もとらせてくれない」

 

「違法だからな。売春させたら捕まっちまう」

 

「…………っ」

 

 泣き出しそうな一拍の間があって、抱きつく手から力が抜ける。

 

「仕事がしたい、」と心細く揺らいだ声は、まるで帰り道をさがす迷子だ。

 

 なんだお前、母ちゃんが恋しいのかよ――と言いかけて、ヒルメは口をつぐんだ。

 

 母親に会いたい気持ちは、なんとなく不名誉なことだと思ったからだ。

 何がどう不名誉なのかはヒルメにもうまく説明できない。だが幼いころからヒルメはそういう空気の中で生きてきたし、顔も知らないよその女が何かしてくれるとも思えない。

 

 CGSの参番組は親と死に別れたり、捨てられたり売られたりした孤児の集まりだったが、幼年組の中には母親を探して泣くやつもいた。

 寂しがる姿を見て、同情を覚えることもあった。指差して笑うやつもいた。

一 緒になって笑ったことこそなかったが、ヒルメもそれが『格好悪い』ことだという認識は共有している。

 生きているかもわからない女に何を願うのかわからなかったから、ただ無駄な寂しさだと傍観していた。

 

 だが今なら、鉄華団が壊滅してすべて失った今だから、二度と戻れないあたたかな居場所を懐かしむ郷愁がわかる。

 

「お前にはお前の仕事があるんだ、リタ。客に指名されて、囮になってここまで来たろ? これ以上をやらせたら俺らが捕まっちまうから、十六になるまでは言うこと聞いててくれよ」

 

 な、とあやすように抱き直す。リタは頷かない。当然だろう、よくわかる。ヒルメだって、ユージンたち穏健派に反発してここにいるのだ。

 忌まわしい過去は捨てて前向きに生きろと諭されたとき、腹の底から湧き上がるような嫌悪感があった。戦闘職になんか就くな、家族のためにならない――と再三説教されるのが、死にたいくらい苦痛だった。

 あんたたちにとって、これまで生きてきた人生は『終わったこと』なのかと。鉄華団の栄光も忘れたい過去なのかと。オルガ・イツカが目指した『本当の居場所』にたどり着くより、打ちのめされた昨日を捨て、強権の家畜に成り下がって生きる明日が幸福だなんて思えない。

 居場所を守って全滅したってよかった。一度死んだことにして、普遍的なIDに偽装してやっと生存を赦免される世界に残されるより、ずっと満足に死ねただろう。

 CGSのころから、まともな死に方ができるなんて誰も思っていなかったはずだ。

 

『本当の居場所』にたどり着けば、家族みんなが飢えることのない食事があるはずだった。みんな交代でゆっくり眠れるはずだった。

 寝ている間に死ぬことも、殺されることもない。夜が明ければ全員が生きて朝を迎えられるような、平穏な日々があると信じていた。

 威張り散らした大人に殴られたりしない、海賊やギャラルホルンの営業妨害もない。

 そんなあたたかい場所が世界のどこかにあるのだと、夢を見て、夢敗れた。

 

 生まれ変わって手に入れた新しいIDなら命の危険はともなわないし、学校にも通える。

 少年兵とは生まれてくる前に殺されておくべき悪なのだと認めて、思考を捨て、魂を売り払って傭兵業などやめてしまえばよかったのだろう。

 それがしあわせだと『大人』は言うのだろう。

 

 受け入れろ、お前のために言ってるんだと気遣いの顔をされる不条理を身にしみているヒルメは、ただ、リタに不自由を強いているのは俺たちのせいだと責任を背負ってみせることしかできない。

 俺たちのために過去を捨ててくれと言っているのだ。

 単なるエゴの押し付けだ。

 だって、自信を持ってやり遂げられる仕事を奪われたら、自分自身の価値が揺らぐ。無価値になる。何ひとつ成し遂げられないような、無力感という悪夢が迫ってくる。

 

 何もしなくても生存してていいだなんて、そんな理不尽なルールは知らない。

 

 働いて、よくやったと褒めてもらうのなら納得できる。だが、何の見返りもなしに衣食住を保証されるのは座りが悪い。

 下心のない愛情なんて注がれたことがないから、上手に飲み込むことができない。

 

〈マーナガルム隊〉の少年兵たちはだから、みなアルミリアの愛情にひどく懐疑的だ。

 アルミリアを慕っているリタでさえ、無償の愛ではなく、仕事を成功させた対価としてアルミリアに認めてほしいと思っている。

 

 だが思慮深いお姫様は、多感な年ごろの少年を抱きしめるような不用意な真似はしないのだろう。

 母親か父親か、誰か大人の腕に抱きしめてほしいという欲求を売春で満たしてきたリタを、アルミリアでは救ってやれない。

 ペド野郎の性欲のほうがその場しのぎの救済になるだけマシだという現状は何とも胸糞悪いが、この世界でリタは『稀少な金髪碧眼の美少年』という商品でしかない。長らくモノ扱いされてきたせいで、使えなくなったら捨てられてしまうと怯えている。

 

 人間扱いされて育つ()()()()()()だったら、こんなふうに泣かずに済んだのだろうか。

 

 ヒルメだって誰かに抱きしめてもらった記憶はないし、それが必要だとも思わない。

 だが、いつか、もしも父親になるようなことがあったなら、寂しくないように抱きしめてやりたい。

 そう考えたとき、リタの体温が腕に馴染んだ気がした。

 

「おやすみ、リタ」

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

「そうしてると親子みたいだな」

 

 吞気にのたまいやがったのは、ひと仕事終えて戻ってきたトロウである。

 泣き疲れたのかヒルメの腕の中で寝入ってしまったリタは、起きているときよりよほど子供らしく見えた。

 人形めいた美貌より、こっちのほうがよほど少年らしい、が。

 

「せめて『兄弟』だろ……」

 

 さすがに親子はない。

 東洋人のトロウに比べればヒルメは長身で体格もよく、年長に見える。にしてもまだ十七だ。九歳のガキをこさえる甲斐性はない。(エンビを加えてもヒルメが一番長身でフケ顔、トロウが一番小柄で童顔なのは事実である)

 

 悪態をさっくりスルーし、運転を代わってやると申し出たトロウは、後部座席のドアを開け放ってから運転席に乗り込んだ。

 返り血を浴びたパーカーは丸めて助手席の足許へ放り込む。

 

「やっぱ緊張してたんだよな。あのクソペド野郎、もう一発ぶちこんどきゃよかったぜ」

 

「……いや、」

 

 そうじゃない、と否定しかけた言葉が途切れる。

 上手く説明できないが、トロウの義憤は的を外れている。

 

 

(リタは、こいつは俺らと同類だ)

 

 

 無償の愛より『対価』がほしい、〈マーナガルム隊〉の少年兵と同種の子供だ。

 自分自身にできることを熟知し、仕事を必要としている。ヒューマンデブリの少年兵たちと同じだ。

 

 戦闘技術があるから、戦って役に立ちたい。役に立てば、報酬として食事は与えられる。役に立つから睡眠をとってもいいし、服を着替えてもいい。

 だって、役立たずは始末されるものだから。

 役に立っていない以上、殺されたってしょうがないから。

 新しい仕事を覚えることに消極的なのも()()を恐れているせいだ。失敗は殺される正当な理由になる。間違えることは、自業自得の死を意味する。

 戦う力があるのだから、戦って役に立ちたい。――ヒューマンデブリたちに共通する闘志は、ヒルメにも共感できるものだった。

 

 少年兵にとっての戦いが、リタにとっては売りなのだろう。

 仕事内容に対して一定の矜持を持ち、嫌だなんて思っちゃいない。

 

 たとえ痛みをともなっても、役立つ技能を手放せない。

 阿頼耶識と同じだ。体に異物を埋め込む行為は危険で、死亡リスクも高い。手荒にされて失敗されて死ぬかもしれない。生ゴミとして捨てられても、何の保証もしてもらえない。絶対安全圏からふるわれる暴力から生還できる確率は高くない。

 それでも、それで働ける。生きていく糧を得られる。

 必要とされていると実感できる。

 

 阿頼耶識の適合手術がなくなればいいと思う一方で、生きる術を失うのはおそろしかった。

 背中のヒゲのせいで『宇宙ネズミ』と蔑まれても、心身に根を張った恩恵なしに生きる方法がもうわからない。

 MS(モビルスーツ)を自在に駆って戦える力のためなら、過去の激痛もリスクも恐怖も、もはや瑣末ごとなのだ。

 死んだっていい。未来ではなく『今』を戦い抜くための自信が欲しい。

 

 リタも、同じ思いなのだろう。

 

 黒塗りのセダンは次なる目的地へと走り出し、予定時刻になればリタを起こさなくてはならない。

 そのとき何を言うべきか、ヒルメは考えあぐねていた。

 トロウは汚い大人の支配から弟分を庇護したいが、リタは変態野郎だろうが何だろうが抱きしめてくれるなら何でもいいのだ。

 大人など信じていない少年兵と、愛情を求める無力な子供。帰れる場所を持たないという共通点だけで行動をともにしているものの、埋めようもない溝がそこにはある。

 

(俺は、……俺はただ)

 

 自分自身を見失いそうな家族をほうっておけなかった。鉄華団という居場所を失い、戦う生き方を全否定され、未来を奪われた同胞が心配だっただけだ。

 何を言えばいいのだろうと自問する。誰に話せば救えるのだろう。

 窓の外にも鏡の中にも、正しい答えは見当たらない。




【オリキャラ設定】

□リタ(9)
 モンターク商会に買い取られた金髪碧眼の美少年。外見は幼少期のマクギリスそっくりだが、中身は似ても似つかない。

(慰霊碑の『ELUGA』を回収したかった話)

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