MSV. 弾劾のハンニバル《完結》   作:suz.

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【前回までのあらすじ】
 すべての子供たちに教育を与えたかった〈革命の乙女〉の思想は利用され、洗脳を目論む移民教師、就学率をあげたい学校、薬物取り引きで潤う商人、航路を維持する海賊――鎖状のディストピアに、誰も彼もがなすすべもなく取り込まれていく。
 力なき子供たちが搾取される世の中は、いまだ続く――。


第三章 猿でもできる聖者の行進
004 レプリゼンタティブ


No More Soldiers!(軍備撤廃)

 

 プラカードを掲げた人々が寄り集まり、声を上げている。拡声器から主張が響く。

 そして、エドモントン市街を埋め尽くすほどの民衆が賛同する。

 

Get Rid of the Defence Forces!(防衛軍を撤廃せよ)

 

 行進する人々は口々に叫ぶ。

 アーブラウには軍事力など不要であると。

 

『守るための軍隊など欺瞞です! 防衛軍さえ発足しなければ、八年前の悲劇はなかった!!』

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 ひきたてのコーヒー豆はとてもいい香りがする。

 コーヒーミルで渦を巻く芳香を「果物みたい」と評したタカキに、その豆は果実を加工したものなのだと教えてくれたのは蒔苗前代表だった。

 もう五年ほど昔の話だ。

 

 任期を円満に終えた蒔苗・東護ノ介前アーブラウ代表は、その晩年、ヒューマンデブリ問題の周知につとめた。

 地球経済圏には、遠く離れた異星についての情報に乏しい。テイワズの鉄道が走り、火星ハーフメタルの輸入が当たり前になった今でさえ、圏外圏では好戦的な野蛮人たちが旧石器時代のような暮らしをしている――といった偏見は根強いままだ。人身売買や奴隷制度もさもありなんと思われている。

 市民には、植民地として支配していた自覚もない。

 

 宇宙の広さ、それによる情報伝達の遅さを憂い、蒔苗氏は残された人生を諸国漫遊に宛てた。

 こんなことはドサ回り以来だと笑いながらタカキを同伴し、ブロンドとは違った風合いの金髪、柔和な風貌の彼は火星人であり元少年兵なのだと語ってまわった。

 いまだ無学だけれど人当たりのいいこの少年が、アーブラウ防衛軍とともに戦ったひとりだと。

 火星からやって来た少年たちがアーブラウのため最前線で体を張り、命をかけて国境紛争の尖兵となったこと。

 発足式典では身を呈して守ってくれた恩人、チャド・チャダーンは〈マクギリス・ファリド事件〉に巻き込まれ、十代という若さで亡くなったこと。

 タカキもまた紛争の中で家族同然だった戦友を両手では数えられないほど失ってきたのだとも。

 

 情報の断たれたあの戦場では脱走を図った正規兵も少なくなかった。

 終わりの見えない戦火から逃げたかった彼らの弱さを責めることはできずとも、アーブラウのため献身的に戦い続けた少年兵の勇気は称えられてしかるべきものだろう。

 最前線を守り続けた軍事顧問、鉄華団地球支部の奮闘の甲斐あって、後衛に詰めていた整備士や技術者、給養員から死傷者は出ていない。

 その事実が、今日(こんにち)の火星連合との友好につながっている。

 

 鉄華団の少年兵たちはみな快活で、地元のマーケットでは孫のように可愛がられていたが、アーブラウは広い。北アメリカ大陸北部からユーラシア北部へと伸びる雪国は東西に長く、SAUとの国境紛争すらシベリアの冷たい海を渡れば他人事だ。

 アフリカンユニオンともオセアニア連邦ともボーダーラインを共有する西側にとってみれば、SAUでさえ野蛮な田舎者でしかない。

 

 八年前の紛争以来、南米を産地とするコーヒーは主に東アーブラウでしか消費されなくなった。

 蒔苗老の影響力もそこまでだったということなのだろう。

 

 

「アレジさん、コーヒーが入りましたよ」

 

「ええ、ありがとうタカキ。とてもいい香りです」

 

 首都エドモントン、アーブラウ代表執務室である。

 本棚には書籍がずらりと並び、シンプルながら上質の木製インテリアでまとめられている。

 コーヒーメーカーのたぐいが置いてあるのは、応接室を兼ねているためだ。隠すものは何もないというアピールでもある。

 

 ラスカー・アレジ現アーブラウ代表はこの二年でさらに広くなった額をハンカチでぬぐうと、プレジデントチェアを立った。

 

「そろそろ、一息いれるとしましょうか」

 

 穏やかな呼びかけに、他の秘書たちも振り返る。タカキもトレーを抱いてはにかんだ。

 

 地元アラスカから選出され、六年前に蒔苗前代表の支持母体を引き継いだアレジ代表は、国境紛争後の復興に長く尽力した。

 支援は八年近く経過した今も続いている。火星ハーフメタルの積極的輸入による医療機器の保護、市街地にMS(モビルスーツ)が現れたときの対策マニュアルの周知。エイハブ・ウェーブの干渉に起因する事故の犠牲者、遺族に歩み寄った社会福祉の構築。義肢や車いすの開発促進、流通支援など、これまでなら未来を奪われたままだった人々の未来に希望を点すため奔走し、退役兵や戦災遺族からは特に厚い支持を得ている。

 

 むろん中には、火星連合やテイワズとの友好的関係による事態の平和的解決は『日和見だ』と責める声もある。

 傷ついた人々を慮る戦後処理も『戦災被害者を食い物にして選挙を有利にした』と批判された。

 蒔苗が火をつけ、アレジが消すマッチポンプではないかという陰謀論も絶えない。

 

 第一秘書のタカキ・ウノの来歴にも、賛否の両論がある。

 実際のところ、タカキの存在は火星への偏見、インプラントへの忌避感といった障害を緩和するためのアイコンにすぎない。アーブラウのために戦った少年兵の一員であり、国境紛争の生き証人として、大人しく微笑んでいればいいだけの人形だ。

 そのことはタカキ本人も承知の上で、みずから世界じゅうの子供たちが安心して暮らせる環境作りを訴えている。

 通信教育でもうすぐ準学士課程を終え、AA(リベラルアーツ)修了後に学士課程へ、修士課程まで修めて政治家としての立候補も考えてはいるが――、そのときには『火星人の侵略』とでも非難されるのだろう。

 インプラントへの差別撤廃も、火星との関係性も、火星ハーフメタルの普及もすべてタカキ・ウノにアーブラウを乗っ取らせるための謀略だったとでも。

 

 今のタカキはコーヒーを上手に淹れるくらいしか役に立たない使い走りで、だからこそ明るく朗らかな人柄がエドモントンの預かり息子として愛されている。

 職員たちに分け隔てなくコーヒーを差し出す手付きには彼の気遣わしい人となりが表れており、同時に、タカキの身分がこの中の誰より低いのだと物語る。

 前代表も本意ではないだろうが、火星人への積極的な差別がなくなった今も、対等であるとは思われていないのだ。

 タカキはあくまでも火星からの『お客さん』にすぎない。仕事内容も掃除や書類整理、演説の同伴が中心で、見かけによらず力が強いから荷物持ちに重宝される。

 むしろ番犬として有能だ。外科的に埋め込んだ阿頼耶識――いわゆる()()――による空間認識能力か、それとも少年兵としての経験則か。警戒心が強そうには見えないのにSP顔負けに鼻が利く。

 

 すべて承知でいるタカキと、その手からコーヒーを受け取る職員たち。

 アーブラウ代表として火星と地球の距離を眺めて、複雑な面持ちで目を細める。

 

「今日は、外がやけににぎやかですね」と独り言ちれば、すぐさまタカキが振り向いた。

 

「テレビをつけますか?」と気を利かせる。「今日はエドモントンで集会があるそうですよ! 市街地のあちこちで民放各社のカメラがスタンバイしていました」

 

「ええ……では、お願いします」

 

「はい、すぐに!」

 

 快諾したタカキがマホガニーのチェストを開けば、液晶スクリーンが隠されている。

 黒い画面を明るくすれば、チャンネルは東アーブラウの民放に合わせられていた。

 

 中継されるエドモントン市街、石畳の街並みを埋め尽くさんばかりの人、人、人。

 

「わ、ずいぶん大規模なデモですね……!」

 

 日ごろそれなりの交通量があるはずの表通りが行進するデモ隊に乗っ取られ、信号機の点滅もどこか困惑げに見える。立ち往生する乗用車が迷惑そうにクラクションを鳴らす。

 軍備撤廃。我らの地球に戦争は不要。――掲げられたプラカード、バナーの中には『アーブラウ防衛軍は解体すべし』と太い文字で書かれている。

 びっくり顔だったタカキは、そして物憂げに目を伏せた。

 

「多いですね、最近…………」

 

 先週SAU郊外で傭兵の集団死事件があったというニュースを受けて、反戦デモはその規模を拡大し続けている。行動も過激になる一方だ。地元市民はみな扉を閉ざし、雨戸を閉じて、生卵の飛来を自衛するようになった。

 物々しい空気は、東アーブラウ全土へと広がりつつある。

〈ゲイレール・シャルフリヒター〉の残骸が発見されたのは、アーブラウとSAUの国境線を抱く広大な草原地帯。バルフォー平原だ。

 八年前の爪痕が今なお残る戦場跡地である。

 

 ガラン・モッサが率いていた傭兵団の機体だと、タカキは一目で思い出した。

 

 当時の国境紛争には〈フレック・グレイズ〉のほかに鉄華団地球支部の〈ランドマン・ロディ〉、外人傭兵部隊の〈ゲイレール〉などが参加したが、名簿にあったはずの〈ゲイレール・シャルフリヒター〉とそのパイロット八名が行方不明のままになっていた。

 

 失踪していたMSの数と、先日見つかった〈ゲイレール・シャルフリヒター〉の数は完全に一致。

 アーブラウが秘密裏にMSを動員し、密偵としてSAUに送っていたのではと疑う声が出てくるのもしょうがない。

 組織である以上、下っ端が勝手にやりましたというわけにはいかないのだ。

 

 ガラン・モッサの存在だって、一握りの生存者の不確かな記憶の中にのみ残された集団幻覚の後遺症のようなものである。まぼろしのように消えた男が確かに実在し、前線で指揮をとった証拠は何もない。

 アーブラウ政府によるでっちあげ説のほうが有力視される始末だ。

 

 事件現場となったSAUの前線補給拠点跡地からは、現場から二〇〇キロばかり離れた街の高校・大学に通う女子生徒らの遺体も見つかっているという。

 体内に残されていた体液などから暴行後に死亡したものとみられ、誘拐殺人事件としても捜査を進めていくと発表があった。

 

 陰惨な事件が引き金になり、デモは激化。

 アーブラウは軍を捨てよ、八年前に奪われた平和を取り戻せ――という市井の演説もそこかしこで聞かれるようになった。

 テレビの中で行進するデモ隊の中にも、拡声器を肩に掛けた青年が流暢な演説を行なっている。

 

 ……いや、演説ではなく煽動か。

 物言いが理知的だとそれだけで説得力があるが、アーブラウ防衛軍など不必要とただただ繰り返しているにすぎない。

 アカデミックな言葉選び、落ち着いた声音に秘めた豊かな情緒。実によく訓練された演説家だ。口許はマイクに隠されているが、ずいぶん若い。デモ隊は学生スピーチコンテストの受賞者でも味方につけたのだろうか。

 

「あ、れ ――?」

 

「どうかしましたか?」

 

「あの青年が、古い知り合いにとてもよく似てるって……」と、独り言のようにこぼれおちたが、そんなわけがないとタカキは頭を振った。

 タカキの知人で大学生になったのなんてクッキーとクラッカくらいだ。鉄華団壊滅後の仲間たちはみな一日でも早く就職したがっていたし、技術はともかく文化的教養とは縁遠い。

 大学教授(プロフェッサー)に提出する論文で使うようなタームを自在に使いこなす知識階級(インテリ)とは、住む世界が違うのだ。

 

「――思っただけです。地球(ここ)にいるわけがないってこと、忘れてて」

 

「世の中には、同じ顔が三人いるといいますからね」

 

「そうなんですか? なら、きっと彼は三人目なんです」

 

「は……?」

 

 困ったように苦笑したタカキは頓珍漢な言葉でその場をかき回したが、そうとは気付かずにテレビ画面を見つめた。演説に聴き入る。

 こんな反戦スピーチができる青年は、タカキの知り合いにはいない。

 

(……でも、どうしてだろう。聞き覚えがある気がする……)

 

 内容は似ても似つかないのに。力強い声の張り方には、不思議な既視感があった。

 淡く褪せたウォルナット色の短髪、双眸は青みのグレー。白人で、十八歳くらいだろうか。

 灰色の目は一等鋭くて、腕利きのスナイパーのひとみはみなグレーなのだと何かの本に書いてあったな――と、曖昧な記憶がよぎる。

 

 

『武器を持ちたがる人間を、どうして信用できますか。凶器を持った隣人と、ともに暮らせと言うのですか! この世界に必要な力は角笛(ギャラルホルン)ひとつと、人類は三百年も昔に誓ったはずだ!!』

 

 

 賛同の歓声に後押しされながら、演説は続く。

 彼が『アーブラウが軍事力を持つことに対する他の三経済圏の反応』について語っているのか、それとも『市民が個々に武器を携えることに対する隣人の反応』について述べているのか、タカキには図りかねた。

 

 アーブラウ防衛軍は、あくまでもギャラルホルンの言いなりにはならないとアピールするための切り札だ。抑止力として存在し続けることに意義がある。

 イズナリオ・ファリド公によるアンリ・フリュウ議員擁立、ラスタル・エリオン公による紛争幇助、広域な情報封鎖、植民地への〈ダインスレイヴ〉猛射など、アーブラウは看過しかねる実害をこうむってきた。

 それらの凶行に対し、抵抗し、弾劾する用意があるという覚悟を示すためにも自衛的軍事力は今後とも維持せねばならない。

 

 この八年間、アーブラウもギャラルホルンの監視のもとで安心して暮らすべきだ――と代表交代を呼びかける対立候補が絶えず現れた。

 だが議会はギャラルホルンの干渉を固辞する方針を曲げず、政権はいまだ旧蒔苗派にある。

 支配と自由とを天秤にかけ、民衆の過半数はラスカー・アレジ代表を支持し続けているはず。

 

(なのにどうして、アーブラウの人たちが防衛軍の撤廃なんか……)

 

 確かに、軍備を持つことは経済圏同士の関係をより緊迫したものに変えるだろう。

 お互い丸腰でないとわかっていれば、交渉を有利に進めるために軍備の増強を重ね、力を誇示する過当競争(ゼロサムゲーム)にも発展しかねない。

 

「タカキ。今、わたしたちが軍の有用性を議論して、最も得をするのは誰だと思いますか?」

 

「え……?」と飴色の目がぱちくりまたたく。防衛軍の撤廃ではなく、「有用性についての()()()、ですか」と首をひねった。

 

「そうです。アーブラウをどうしたい勢力が、それを望むと思いますか?」

 

「どうしたい……」とタカキは復唱する。

 

 厄祭戦後三百年、この世界で軍事力を保有する勢力はギャラルホルンのみだった。四大経済圏は軍事力を持たず、小競り合いは主に民間で勃発した。

 どんな諍いも直接戦闘を行なうのはPMC同士だ。傭兵は雇用主次第で殺し合うし、共同戦線を張る場合もある。

 信用が第一なので雇用主を裏切ることは原則としてありえない。契約満了を待たず払いのいいほうへ乗り換えるようでは、そのうち仕事をなくして路頭に迷う。

 一度貼り付いた『裏切り者』のイメージを剥がしきることは難しく、それゆえ、スパイじみた依頼を請け負う傭兵はまずいない。(密偵ガラン・モッサが非実在と断定されてしまったのは、そうした背景あってのことだ)

 

 経済圏が正規の軍事力を持っても、民兵の仕事はこれといって減らない。

 

 常に訓練された兵士と整備された兵器を有するPMCは、正規軍よりよほど実戦的、かつ身軽な戦闘集団だ。

 圏外圏においては海賊をはじめとする略奪者から自身や財産を守るための警備員として一般に普及している職種・業種でもある……が、いかんせん軍備には莫大な維持費がかかる。

 エイハブ・リアクターの製造技術はギャラルホルンが独占しており、新兵器の開発も民間では難しい。海賊などの襲撃が危惧され、非戦闘員でさえ安全は保証されないのでは、医師も研究者も寄り付かないのである。

 結果、兵隊のほうが戦闘以外の仕事――たとえば整備、ハッキング、営業、果ては外科手術など――を身につけ、副業をはじめるケースは案外多い。

 売り物にできるのが戦闘力ただひとつでは出撃可能な戦闘員を常備しておくだけの資産が賄えないのだから、それもひとつのサバイバルスキルだろう。

 民間警備会社である鉄華団が農業の手伝いをやっていたように、またタービンズが運送業であったように、自前のMSを運用する民兵にとっては戦闘以外で得られる安定した収入源が生命線となる。

 

 専業である正規軍は、兼業を前提とする民間軍事会社と競合しない。

 

 アーブラウ防衛軍は確かにギャラルホルンの有用性をいくらか損なうかもしれないが、火星連合だってギャラルホルンに頼らない治安維持のために各市警を組織した。

 

 地元に治安維持部隊を配備しても、世界を守護するギャラルホルンとは競合しない。

 

 ギャラルホルンは地球上、いや、この宇宙で唯一にして最大の軍閥なのだ。

 三百年前、地球という惑星を取り巻く環境そのものを壊し尽くした未曾有の惑星間戦争が〈ヴィーンゴールヴ宣言〉によって終結を迎えてから、ずっと。

 

〈厄祭戦〉。

 詳細は語り継がれることなく、当時のMS(モビルスーツ)がぽつぽつと断片的な記憶を今に残すのみだが、歴史の教科書には『人工知能の暴走が発端』と記されている。

 誰が、何のために、何を求めて行なったのかはわからない。

 確かなのは、独立思考型大量破壊兵器MA(モビルアーマー)が地球上の人口を二十五%も失わせた、とんでもなく大きな戦争だったことだけだ。

 

 そして戦後、ギャラルホルンの支援によって地球圏は四つの経済圏に分割。人類は瓦礫の中から立ち上がった。

 アフリカンユニオン、オセアニア連邦、SAU、そしてアーブラウとして新たに国境線が引かれたのが、PD(ポスト・ディザスター)元年のことだという。

 翌PD〇〇二年、四大経済圏は〈マルタ会談〉にて火星の分割統治条約をまとめあげた。経済圏からの要請を受けたギャラルホルンは、火星に大軍を派遣。まったく新たな火星政府を再建した。

 さらに翌年、ギャラルホルンは火星の国境線を定め、各都市を四大経済圏の支配下においた。火星の植民地支配は、このPD〇〇三年からはじまった。

 

 とんでPD二〇五年。いち早く火星植民地域の暫定自治権を与えたのがこのアーブラウである。

 のちのPD三一四年に弱冠六歳の才媛クーデリア・藍那・バーンスタインが〈ノアキスの七月会議〉で演説し、独立の機運は火星全土から、やがてコロニーへと広まった。

 PD三二三年のドルトコロニー事変、翌年明けのアーブラウ代表指名選挙での演説を経て〈革命の乙女〉の名声はついに全宇宙へと轟いた。

 

 ところが彼女は、故郷の貧困を改善し、経済的独立へ導くための一歩を政治家ではなく慈善活動家として踏み出すと決めた。

 鉄華団やテイワズといった、戦闘と切り離せない組織との提携を残して自身は非武装という、何とも危うい船出だった。

 

 非暴力を選んだ〈革命の乙女〉クーデリア・藍那・バーンスタイン。

 対照的に、戦力増強に邁進する新進気鋭のPMC鉄華団はPD三二四年、軍事顧問団を構成してアーブラウへ派遣。地球支部が設立された。

 

 PD三二五年、アーブラウ防衛軍が正式に発足。

 

 そして一ヶ月と待たずに全滅。

 

 自衛的軍事力など保有したせいで戦争になったのだと責める声もある。戦力があったから戦えてしまったのだと。

 確かに、正規兵がいなければ民間から徴兵してまで前線へ送ることはしなかったろうが、志願した兵士だって『死んでいい人間』などではない。

 ひとりでも多く、叶う限り全員が無事に家族のもとへ帰れるように戦っていた。

 

 しかし善戦むなしく、散発的な戦闘が繰り返されるうちに兵士は疲弊し、兵站もやがて底をつき、アーブラウ防衛軍は約四千名もの犠牲者を数えた。

 地球外縁軌道統制統合艦隊の斡旋で買い入れたはずの〈フレック・グレイズ〉六十機も、うち四十機が大破。修繕不能と判定されてギャラルホルンに接収されてしまった。

 発足式典中の爆発による被害を含めれば、死傷者は軍民あわせて五万人あまり。

 当時、蒔苗氏の第一秘書をつとめていた青年も、あの爆発に巻き込まれて亡くなった。

 蒔苗氏をかばって重傷を負ったチャド・チャダーンは見事回復を遂げたが、それも彼自身の反射神経と打たれ強さあっての奇跡だ。

 適切に床に伏せた少年兵と、爆風の衝撃をもろに受けた政治家秘書。生き残れたのはチャドだけだった。

 

 あの日、あのとき、館内にいたのは蒔苗氏だけではない。議員、警備兵、清掃員、お茶を淹れた職員、弁当を仕分ける給養員もいた。建物の外には見物客もいた。遠巻きでも初めて垣間見るMSの姿に目を輝かせた子供の姿もあった。割れたガラスは飛散し、民間人の犠牲者も――。

 

 ところが当時、MSのそばでも稼働しうる医療ポッドの配備数はわずか。

 エイハブ・リアクターの影響下でも動作する、いわゆる〈宇宙式メディカルナノマシン〉は短期的な治療しか行なえない『簡易型』といった扱いだ。宇宙船や宇宙港の医務室には当たり前に備え付けられているそれも、地上配備数には限りがあった。

〈地球式メディカルナノマシン〉ならば、時間こそかかるが身体機能を元通り回復させることが可能である。吹っ飛んだ四肢や眼球、臓器も、心肺停止前にすべてかき集めればナノマシンによる自己回復機能の活性化で、文字通り()()()()ことができる。

 配備数が多いのは後者だ。

 だがMSの居並ぶ会場付近では機能しない。地球の建造物ではエイハブ・ウェーブを遮断できず、微細なナノマシンを無線で稼働させる医療機器は動かないのだ。

 

 初期対応の遅れは、被害者たちの多くに後遺症を抱えさせた。

 高精度な地球式治療は義手や義足に対して『まだ欠損させたままでいる』という生理的嫌悪感を催させる原因の一端でもある。

 救助が間に合わなかった人々は絶望の底へたたき落とされた。

 

 アレジ政権は戦争の爪痕に苦しむ人々のため、火星ハーフメタルを政策によって普及させ、エイハブ・ウェーブ影響下でも地球式メディカルナノマシンの稼働を可能にするよう対策を推し進めた。

 市民を医療事故の不安から解き放ち、より多くの命を守るために必要不可欠な対応だ。

 というのに、市街地で戦争をするつもりだろう、民間人の被害を軽視している――と揚げ足をとるような非難が絶えずあがってくる。

 四肢を失った人々への能動的支援にも、自業自得だ、救済の余地はないというネガティブな標榜がつきまとう。

 

 アーブラウ・SAU間の通信一切が遮断されていた弊害についてもそうだ。

 開戦の影響で国境を渡ることができなくなり、旅行、出張、留学中の帰宅難民は敵国のただ中でふるえていた。

 家族や友人、恋人との連絡がつかない。交通規制がかかり、いつ家に帰れるのか、本当に帰れるのかもわからない。

 飛ばなくなった飛行機や動けないバスのチケットは無駄になり、返金もない。ホテルは交戦国の市民をいつまでも宿泊させてはくれないのに、アーブラウの夜は凍えるように寒いのだ。

 否応なく戦時下に置かれ、心身に傷を負った人々にも補償が必要だろう。

 

 紛争がもたらした民間への被害ははかりしれない。

 ひと月近く続いた大規模な断絶によって流通は滞り、経済までも錆びついた。

 

 当時タカキは兄妹ふたりが楚々と生きていけるだけの額を給料としてもらっていたが、物価が高騰すればその限りではない。銀行が機能しなくなっては意味がない。フウカが思慮深い倹約家でなかったらどうなっていたかと、あとになってぞっとした。

 よく考えずに買い物をしてしまって……なんて、まとまった給料を手に入れはじめた鉄華団では頻出した失敗談だからだ。

 

「タカキ。どうか、これだけは覚えておいてください。わたしたちは、戦争がしたくて防衛軍を発足させたわけではないと……たとえ詭弁だと言われようとも」

 

「はい、アレジさん」

 

「背中に銃を突きつけられれば、人は『従って生きる』ことと『抗って殺される』ことを両天秤にかけなければならなくなります。一方的に銃を突きつけられ、生殺与奪を握られては、まともな交渉などかないません。我々に必要だったのは『対話を行う』という第三の選択肢です」

 

 問題はいざというとき戦争というカードを切れるかどうかであって、戦争そのものではない。

 民衆の生活を守り、傷つけさせないためならば強権にも抗う決意を表明する必要がアーブラウにはあった。実質的な軍事独裁からの脱却。人的・経済的損失をともなう『戦争』という最悪の選択を()()()()()()()()()()ための抑止力を早急に手配しなければならなかった。

 

「それが、アーブラウ防衛軍発足の目的でした」

 

 ところが戦争をも辞さない姿勢では意味がなかった。

 ギャラルホルンという最強最大の軍閥が機能する限り経済圏同士の戦争は起こりえない――という大前提は、いともたやすく覆された。

 

 

「戦争などしたがるはずがない……そう考えてしまった我々の認識が甘かったと、言わざるをえません」

 

 

 ギャラルホルンは内外の犠牲を厭わない。味方の犠牲を最小限にとどめようとするはずだという倫理がギャラルホルンには通用しない。

 そのことに気付かないまま自衛的軍事力保有を決定してしまったのは、失敗だっただろう。誤算だった。

 

 経済圏同士の戦争が、いかにギャラルホルンが世界にとって必要な存在であるかを示してしまったのだ。

 

 発足式典中に要人控え室で起きた爆発、犯行声明もないのに即座に『テロだ』と断定され、軍備がSAUとの国境へ送られる決定が下るまで、わずかに数時間。

 内部の犯行でなければできない芸当だろう。

 タカキら鉄華団は『爆発』という事実に対して『テロの可能性』という動機部分、『何者かによって爆弾が持ち込まれた可能性』という原因部分とを切り離して考えることができたが、余所からきた子供が「誰が」「どうして」「何のために」と叫んだところで誰ひとり、振り向きすらしなかった。

 

 正規兵と軍事顧問団のすれ違いごと、軍備は国境へ。

 

 なし崩しに、戦争がはじまった。

 

 あの爆発が爆弾テロだったと断定された理由も不明のまま。誰が、何のために、誰を狙って、何がしたくて爆弾を持ち込んだのかも、誰も、何も知らないまま。

 

 そうした開戦理由のずさんさは、アーブラウ政府の首を締めた。

 問題を『ガラン・モッサというまぼろし』に押し付けて戦争責任を逃れようとしたのではないかと、ギャラルホルンから糾弾を受けたのだ。

 調停のためSAUについていた〈地球外縁軌道統制統合艦隊〉がアーブラウ側の主張にも耳を傾け、なるべく双方に不利のない落としどころを見つけるべく奔走してくれたことが完全に裏目に出た。

〈地球外縁軌道統制統合艦隊〉所属にして革命軍の青年将校ライザ・エンザ三佐が〈月外縁軌道統合艦隊〉総司令ラスタル・エリオン公による紛争幇助を指摘、密偵ガラン・モッサの介入を指摘したためである。

 組織改革を掲げた軍事クーデターは失敗に終わり、逆賊の演説はすべて虚偽と断定。革命軍の決起からわずか半月で、アーブラウ政府は厳しい立場に立たされた。

 マクギリス・ファリド准将、ライザ・エンザ三佐が逆賊とされた以上、恩義ある鉄華団への加勢もかなわない。

 

 きっとまた火種は自作自演され、ギャラルホルンの信用を補強するための生け贄を要求されるのだろう。

 第二第三のアンリ・フリュウが現れては政権を乗っ取ろうと画策し、アーブラウはそれを『不支持』という形で退けてきたが、ギャラルホルンはついに内政不干渉前提を撤回。ラスタル・エリオン公を初代代表として、()()として独立してしまった。

 蒔苗氏の没後、火星連合を傀儡として〈ヒューマンデブリ廃止条約〉の締結を実現し、あろうことか蒔苗記念講堂で調印式を執り行うまでの権力を得ている。

 新生ギャラルホルン代表ラスタル・エリオン公と火星連合議長クーデリア・藍那・バーンスタイン両氏が手に手を取り合うようすは大々的に中継され、ギャラルホルン・火星連合・アーブラウの友好を全宇宙にアピールしたのが二年前のことだ。

 

 クリュセ郊外での違法兵器〈ダインスレイヴ〉解禁に対して強硬姿勢で応じた蒔苗前代表への、痛烈な意趣返しだった。

 

 当時アーブラウ領であったクリュセ独立自治区に、アーブラウ元首の承認なく〈ダインスレイヴ〉を使用するなど免責されていい事態ではない。アーブラウの民を切り捨てる選択を『大義』と呼ぶことは、断じて宥恕できない。

 蒔苗氏は最期までギャラルホルンの権威に臆さず、鉄華団を売り渡すこともしなかった。

 ところがギャラルホルンは〈ダインスレイヴ〉の使用を隠蔽。鉄華団殲滅は〈レギンレイズ・ジュリア〉の活躍によるものと情報を操作した。

 条約で保有・運用が制限されている禁断の弓矢は、解禁されてなどいなかったと歴史を書き換えたのである。

 当時の火星の状況については各メディアも一切報じていない。

 

 以来、東アーブラウは反ギャラルホルンを叫び、西アーブラウに反SAUが根付くというねじれた状況にある。

 シベリアの海を隔てた向こう側にとっては他人事であれ、アーブラウは密偵を送り込まれて国家元首の爆殺を画策され、防衛軍発足式典を妨害され、SAUとの紛争を幇助されたばかりか、情報封鎖によって戦線を長期化させられた当事者――被害者である。

 これほどまでに踏みにじられてなお、首都エドモントンの蒔苗記念講堂で〈ヒューマンデブリ廃止条約〉調印式を執り行われてしまったのだ。

 革命軍の演説によって首謀者――加害者であったと知らされたラスタル・エリオン公が泰然と手を振る姿に、戦災遺族の心の傷は一体どれほど手酷く抉られたか。

 

「どうか覚えていてください、タカキ。すべてを、見たままに」

 

 報道されたいつわりの『真実』ではなく、ただそこにあった『現実』を。

 教養をうかがわせる流暢な演説に流されることなく。

 

 ニュース番組や新聞記事は、人の手によって書かれたものだ。そこには必ず何らかの意図がある。何を伝えたいのか、誰のために書いているのか。

 原稿に対して、対価を支払うのは誰なのか。

 

 誰が、何のために、何を求めて綴った歴史なのか。

 

「忘れないでいてください」と、元少年兵に語りかける。

 

 今、この執務室で戦うべきは外敵ではない。無知で流されやすい民衆たちと、彼らを利用して世論を動かし、議員たちの信念に揺さぶりをかけようとする演説だ。

 扇動者は民主主義社会を内側から破壊するすべを知っている。自壊へと誘導した彼らには、何の責任もふりかからないことも。

 行進するデモ隊の中で演説しているグレーの目をしたあの少年も、きっと充分に理解しているだろう。

 

「……大人のために子供が犠牲になる時代は、もうおしまいにしたいものです」


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