MSV. 弾劾のハンニバル《完結》   作:suz.

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[ Interlude ]


P.D.331: 作られ(なかっ)た子供たち

P.D.331----------------

 

 

 

 

 人を殺してはいけないなんて、そんなの知らなかった。

 

 だってそうだろう、物心つくより前からエンビの周囲では人死にが耐えなかった。

 花街で働く母親たちは赤ん坊の世話にかまける暇などないし、泣けば仕事の邪魔だと口を封じられる。

 生まれた子供は半数ほどが一年以内に死んだ。五歳まで生き残るのは一握りだ。

 

 双子の弟・エルガーとともにCGSに出稼ぎに出されたときだって、部屋の隅にはヒゲをつける()()に失敗した残りかすが山と積まれていた。

 さあおれも適合手術に臨むというとき、いきなり「同じ顔しやがって紛らわしい」と頰を張られた。

 吹っ飛ばされたエンビは側頭部を派手に擦りむき、エルガーが血を怖がってわんわん泣くものだから、参番組の年長者が絆創膏と帽子をくれたのだ。

 地味な赤色のニット帽は今さっき死んだ誰かがかぶってきたものらしく、エンビには少し大きかった。

 

 背中に阿頼耶識のピアスを植えつけ、参番組に配属されても宇宙ネズミの仕事は弾避けだ。マシンガンを持たされ前線に整列する。

 荒事のたび、仲間はあっさり減っていった。参番組には麻酔も消毒液もまともに与えられず、遺体袋がもったいないからいっぱいになるまで詰め込むように指示された。

 何もなくても一軍の大人たちは気晴らしに子供を殴って、気まぐれに死なせた。

 

 そんな育ち方をしたから、学校で「人を殺すのは犯罪です!」と声高に叫ぶ担任教師への不信感ばかり募ってしまう。

 

(誰だって大なり小なり、誰かを犠牲にして暮らしてるってのにな)

 

 ふうと細くため息をつく。スラムで一等陽当たりのいい広場で煙草をくわえて、エンビはぼんやりと空をあおいだ。

 屋根や(ひさし)でいびつな四角形に切り取られたスカイブルー、天気がいい。昼下がりの陽気がぽかぽかと降り注ぐ、平穏。風はなく、砂嵐の気配もない。

 

 クリュセは相も変わらず平和なのに、エンビは学校を抜け出しては蜘蛛の巣状の迷路をくぐってスラムに逃げ込み、風通しの悪い貧民街でただじっと夜を待った。

 火事でもないのに煙を吸いこむ趣味はないので、煙草に火をつけたことはない。

 

 というのに、ズカズカ近づいてきたヒルメに取り上げられて、砂埃の溜まった軒下のバケツに放り込まれてしまった。

 

「なんだよ」と恨みがましく睨みつけると、ヒルメは仕方なさそうにため息を落とした。

 

「あんまりサボると中学卒業できなくなるぞ。お前、出席ギリギリなんだって?」

 

「担任がうざすぎて不登校なんだよ」

 

「宿題は?」

 

「全部出したし中間期末もA+。これなら副団長たちも文句はねーだろ」

 

「……優等生(インテリ)め」

 

「だって、今期のテーマまた『少年兵』だぜ? 自分が食ってくために人殺すヤツはクソ、飢えて死んどけって書いたらあの女、大喜びで満点つけやがった」

 

 エンビのクラスを担当している若い女教師は、例によって木星からの移民で、正義感が強く、ギャラルホルン様が大好きなのだ。

 なんでも少女時代にテロに巻き込まれてとっても怖い思いをしたから、少年兵のいない優しい世界を作りたいらしい。

 

 火星連合政府は発足後五年以内の識字率九〇%達成を公約に掲げ、学校施設の新規建造を急ぎ、教職員の募集を行った。教員免許所持者を惑星外から大量に誘致した結果、教育現場は意識の高い移民による啓蒙の場となっている。

 ことあるごと戦争をトピックとして扱い、少年兵とは残忍で凶暴で、人々のしあわせを壊す害獣なのだと繰り返し言い聞かせてくるのだ。

 貧困は自業自得。少年兵はテロリスト。生きるために人を殺すなんて人間のやることではない――、そんな因果関係をまるっと無視した与太話を延々と聞かされ続けるのだから、現役少年兵も学んでいる公立校の退学率(ドロップアウト・レート)は当然高い。(夜間部に限らず、父親の借金や病気の弟妹を抱えて警備会社で働く学生は決して少数ではない)

 

 教室から逃げ出したって行く場所はなく、市街地へ出ればクリュセ市警に目をつけられる。CGSの一軍で見たような警官どもは警棒で武装しているし、学生寮にも同様の警備員が常駐していて問答無用で強制送還。

 職場側も十六歳未満を学校に通わせていない現場を押さえられたら罰金、営業停止といった制裁が下る。

 

 耐えかねた学生がIDを売り払う『ヒューマンデブリ堕ち』は後を絶たない。

 

 就学率は思うようにあがらないまま、裕福な移民が通う私立校と貧乏な火星人が通う公立校の格差ばかり開いていく。

 ついにヒューマンデブリ制度そのものの撤廃が連合議会にて賛成多数で可決され、四大経済圏もそれを支持。火星連合とギャラルホルンの間で〈ヒューマンデブリ廃止条約〉が締結されることが決定し、調印式が来週にまで迫った今、学生の『駆け込みデブリ』が相次ぐ始末だ。本格的に禁止される前に稼ぎきりたい売人たちも便乗しているのだろう。

 

 教師は出席率回復に躍起になって、少年兵の危険性をよりさらに強く訴える。

 ヒューマンデブリになんかなるんじゃないと学生を引き止めたい言葉は上滑り、自己否定に疲れきった現役少年兵たちは、そんなに危険なら出てってやるよと虚ろな目をして消えていく。

 今の公立校は、小中高問わずそんな感じだ。

 スラムに身をひそめているのも、おそらくエンビたちだけではない。

 地元底辺公立校の制服姿、成長期も半ばを過ぎた体格では換金できるリソースも内臓くらいのもので、予防接種の習慣がなかった火星人は健康体である確率が低い。

 変な病気を持っているかもしれない男子学生など襲撃してもリスクばかりでうまみが少ないため、今はスラムが一番安全なのだ。

 

「なあ、おれ、すげー頑張ってるだろ」と落ち込んだ声は頼りない。色濃い疲労がにじむ横顔には、ヒルメも心が痛む。

 

「……悪いけど、その担任からお前を連れ戻してほしいって頼まれて来た」

 

「ご苦労さん。ワタシの教室に空席ができちゃうーって泣きつかれたんだろ? 今期に入ってもう四人も『デブリ堕ち』したからな」

 

「せっかく成績いいんだから出席日数不足で留年させたくないって言ってたよ」

 

「ははっ。モノは言いようだ」

 

 吐き捨てるように笑い飛ばして、エンビは両手のひらで顔を覆った。

 ニット帽を目許まで引き下げて、握る。くちびるを噛む。ヒルメ相手に毒を吐きたいわけではないのに、煙草でもくわえていないと余計なことばかり言ってしまう。

 

 学校でのエンビは快活で文武両道に秀で、宿題もちゃんとやってくる貴重な優等生だ。制服を着崩すこともないし、煙草を吸うなんてありえない。騒ぎを起こしたことだってない。

 少年兵は生まれながらのテロリストだと被害者面する担任の望む通りに作文だって書いてみせた。

 

「おれは、いつまで――どこまでおれでいられるかな」

 

「エンビ……」

 

「名前が変わって、エルガーとも兄弟じゃなくなって、もうおれに家族はいない」

 

 鉄華団が失われて早五年。

 基地を爆破し、団員は全滅したと見せかけてアーブラウへ亡命、生まれ変わったIDには疑似の家族が紐づけられた。

 人種や民族、性別に見合ったフルネーム、出身地、家族構成が人数ぶん捏造されたのだ。迂闊に目立たないためには『普通』になる必要があり、両親とは死別したことになっている。

 独立した火星に、地球圏や木星圏から移住してきた。

 

 白紙に戻ったIDで、みんな新しい人生をやり直している。

 命だけでも助かってよかったという声は少なくなかったし、やっとまともな経歴が手に入ったと安堵する声も聞かれる。反応はそれぞれだ。

 

 ただ、鉄華団は家族なのだと本気で信じていたエンビたちは、そんなもの単なる比喩表現だったと承知していた幹部世代の価値観についていけない。

 

『本当の居場所』だって実在すると思っていた。いつかはたどりつけると信じていた。だけどそんなものはどこにもなくて、鉄華団残党は『家族』だと言い聞かされながらも、血のつながった家族とは明らかに違う扱いを受ける。

 幼いころはあんなに憧れた『学校』も『勉強』も、蓋を開けてみれば胸糞悪い自己否定の連続でしかない。

 それだって、勝手に見ていた夢から覚めて、自分勝手に絶望しているだけだ。

 

「結局おれは誰なんだ? 別人なのか、それともおれ自身の亡霊か」

 

「もうよせ、エンビ」

 

 あまり思い詰めるな――と、空虚な慰めを呑み込んだヒルメの沈黙を通り越して、次の瞬間、飛来した物体がエンビの横っ面をぶん殴った。

 勢いよくすっ飛んできたボールのような何かが直撃し、頭蓋が揺れる。わずかな弾力、跳ね返った丸い包みをとっさに受け止めれば、どうやらオニギリらしい。

 地面に落とさなくてよかった――ではない。

 

「……ッ トロウてめぇ!」

 

「腹減ってるとよくないほうに考えちまうだろ。授業はともかく、給食までサボるなよな」

 

 メシにしようぜ、と言い聞かせるように笑ってみせる。

 昼休みのヒルメがなぜかエンビのクラスの担任から呼び出されていたことからいろいろ察し、配給所で昼食を分けてもらって追いかけてきたのだ。

 トロウだって学校に閉じ込められているより、同じ世界を生きてきた同胞と一緒にいるほうが落ち着く。(東洋系ならソウルフードだろうとオニギリを渡されたが、火星人にコメを食べる習慣なんかない)

 

 構わず包みを剥ぎ、率先してかじりついたオニギリの具はライムだ。人気のアボカドは競うように売り切れるので、先着順で勝ち取らないとまず食べられない。

 配給所で出されるオニギリの具はライム、アボカド、塩(という名の具なし)、それから合成肉で四択だ。

 エンビに投げつけたオニギリにだけ合成肉が入っている。

 仕方なさそうに開封されるのはなかなか不本意だが、喧嘩がしたくて追ってきたわけじゃない。

 

「来週のデブリ廃止条約、あれも教科書に載んのかな」と独り言ちる。

 

「載るだろうな。そんで社会科のテストに出る」

 

「だよなー……連合もルール増やすペース配分考えてくれりゃいいのに。締結とか改正とか施工とか一年に何回やりゃ気が済むんだよ」

 

 公立校は文字が読めても文章までは理解できない生徒が多い。識字能力も覚束ないのにあれもこれもとルールが増えるわ変わるわで、これでは暗記が追いつかない。

 成績は低迷し、移民の子女らが通う私立校との学力差はどんどん開いていく。

 こんなことも知らないのかと叱責する熱心な教師はだいたい移民で、火星人に対して『木星圏では常識だ!』『地球圏では通用しないぞ!』と憤る無意味さにも気付いていないらしい。

 一般常識とやらが全宇宙の全人類に周知済みとでも思っていそうな勢いだ。

 

「例の『人を殺すのは犯罪』ってルールはテストに出さねえくせにさ」

 

 もぐもぐと行儀悪く取り落としたトロウの愚痴に、ヒルメも「そうだな」と目を伏せた。

 過去さんざん仲間を使い捨てられてきたので、殺人は『罪』にあたる、というルールは地球圏特有のものだと思っていたが、歴史を紐解けば厄祭戦勃発以前どころかもっとずっと昔、火星人一世が地球から移住してきたころにはもうあったというのだからばかばかしい。

 嘆息をひとつ吐き出したエンビがシニカルに笑い飛ばす。

 

「ネズミ駆除は今でも適用外(ノーカン)だろ? 獣を殺しても殺()にはならないからな」

 

 なんたって宇宙ネズミは人ではない。獣だ。だからCGSで一軍が参番組のガキを殴り殺しても『殺人』にはあたらないし、犯罪ではない。ギャラルホルンがやってきて民兵をさんざん殺しまくっても『治安維持』なので罪には問われない。

 殺人には貴賎があるのだ。

 この世界の法と秩序は『正しい虐殺』なら取り締まらない。

 

 エンビたちが生まれて生きてきた世界は、物心つくよりずっと前からそういうルールでできていた。

 

 鉄華団が発足したおかげで生身の拳に殴りつけられることはなくなったものの、ギャラルホルンやら海賊やら、営業妨害がしたくてたまらない大人たちが次から次へとよってたかって襲ってきた。

 民間のいち警備会社として、鉄華団は依頼もない戦闘は極力避ける方針だったのだが、襲撃を受けては基地防衛戦を強いられた。

 いつか『真っ当な仕事だけでやっていく』未来にたどり着けてたとしても自衛的戦力が必要になることは明白で、それならおれにも戦う力が欲しい、みんなを守りたいんだと、団員は次々MS(モビルスーツ)パイロットに志願した。

 

 最終的に、鉄華団はギャラルホルンの情報統制で『破壊と虐殺を繰り返した悪者』だったことにされ、いつの間にか降服勧告に応じなかったことにされて一方的に殲滅、やっぱり『名もなき犯罪集団』だったことにされて終わった。

 どうせ〈ハシュマル〉とかいうMA(モビルアーマー)の罪状を丸ごとおっかぶせられたか何かだろう。

 多少時系列は前後するが、確かにあの巨鳥は採掘場を襲ったし、農業プラントを焼いたし、鉄華団がテイワズに管理を任されていたハーフメタル採掘現場で発見された。

 

 正義のギャラルホルン様はまさか民間企業の私有地に勝手に入ったりしないし、厄災を目覚めさせたりなんか当然しない。MAの起動因子にあたるMSで近付くなんてありえない。(実際に起動させたのはアリアンロッド所属のMS部隊、指揮官機はパーソナルカラーの〈レギンレイズ〉だったというが、行動が馬鹿すぎて無学な火星人になすりつけたほうが辻褄が合ってしまう)

 しかも当該戦闘地域はクリュセ郊外。アーブラウ領だ。

 

 ギャラルホルンは当時、経済圏なり地元政府なりから要請がなければ部隊を動員することはできないルールのもと運営されていたが、MA騒動のときにはクリュセ行政府、アーブラウ代表、テイワズからも事後承諾を得た。

 そのときの認可をスライドしたのだろう。

 それでもアーブラウが首を縦に振らなかった違法兵器〈ダインスレイヴ〉の使用だけは報道規制がかかった。

 冤罪。陰謀。情報操作。遠い世界のニュースなんてどうとでも創作できるのだから、何をどうしたってギャラルホルンの大義は揺らがない。

 

 当時のアリアンロッド艦隊総司令ラスタル・エリオン公は前々からギャラルホルンの腐敗を憂いていて、組織を浄化して世界を平和にしたかった超有能な政治家なのだ。

 そんな素晴らしい人格者が密偵を使ってアーブラウの元首を暗殺させただなんて言いがかりで、証拠もないのに濡れ衣を着せようとした青年将校どもは嘘つきな逆賊として断罪された。

 アーブラウとSAUが戦争をしたのは、両経済圏が軍隊を持ったからだということになっていた。(なんでも、自衛的戦力を保有したら自動的に戦争が起こるらしい)

 

 逆賊マクギリス・ファリドは死んだ。

 ギャラルホルンの膿は除かれた。

 

 名もなき犯罪集団は滅んだ。

 平和を乱す宇宙ネズミは駆除された。

 

 

 そしてラスタル・エリオン公が改革を行なった今の世界は、こんなにも平和でうつくしい。

 

 

「ギャラルホルンが正しくて、おれたちは間違ってた。少年兵(おれら)は生まれついてのテロリストで、存在が迷惑で、死ぬべきなのに死なずに生きてる邪魔な獣だ。どんな殺し方されたって自業自得なんだよ。抗ったら『治安を乱した』罪が上乗せされる。生きれば生きるほど罪が重くなる。無抵抗で死ぬべきなんだ。生まれる前に殺されるはずだったのに、勝手に生まれて、まだ生きて、 」

 

「やめろ、エンビ。もういいだろ」

 

「なんでだよ? だって、そう書いた作文にA+がついたんだぜ。少年兵問題に心を痛めておられるバーンスタイン議長様もさぞお喜びになるでしょうってな!」

 

「昔のクーデリア先生が読んだらむしろ落ち込みそうな内容なのに、変わっちまったよなぁ」

 

「トロウ!! お前も煽るな」

 

「べつに煽ってねーよ! 前にライドが似たようなこと言って、副団長に殴られたのを見ちまったんだ」

 

 とつとつと吐露したトロウは、いやトロウだけでなく年少組の多くは『鉄華団は家族だ』なんて寝言を今なお本気で信じているのだ。ライドを筆頭に、エンビもヒルメもそのひとりだ。

 ところが学校では、少年兵は生まれついてのテロリストで、罪を償って駆除されねばならない害獣なのだと教えられる。

 それなら最期まで居場所を作ろうとしてくれた鉄華団団長オルガ・イツカは、彼が見せてくれた夢も希望もすべて、無駄なあがきだったってことなのか。

『本当の居場所』なんて、やっぱり実在しないのか。

 

 大人に使い捨てられない生活を目指して仕事を続け、実績を積み、社会的信用と経済的基盤を作っていくはずだった。

 金と立場が手に入ったら、血なまぐさい依頼は受けないという選択肢も手に入る。いつか真っ当な仕事だけでやっていく未来を夢見て仕事をこなし、営業妨害は撃退し、敵味方に多くの犠牲者を出した。

 それはそんなに悪いことだったのか。

 無抵抗で殺されなかったことは、そんなにも重い罪だったのか? ――そうした不安を、エンビたちはみな心の傷として抱えている。

 

 数ある疑念をユージン相手にぶつけたライドが、右のグーでブン殴られた。

 

 

 

 ――お嬢だって一生懸命やってんだ!! 終わったことをいつまでも引きずってねぇで、立場ってモンを弁えやがれ!

 

 

 

「クーデリア先生が一生懸命やってるとか、んなことわかってるし。ライドだってべつに人柄まで疑ったわけじゃねーだろうに、副団長がすげー勢いで怒ったんだよ」

 

 トロウが語った事のあらましはざっくりとしていたが、要はユージンがクーデリアを慮ってライドを殴った、ということだ。

 鉄華団残党はクーデリアのもとで平穏に暮らすユージン・セブンスタークら『穏健派』、ライドを筆頭にオルガ・イツカを信奉する『強硬派』に分裂しており、その溝は埋めようもなく深い。

 今は三日月・オーガスの実子である暁の存在によって膠着状態が保たれているが、均衡はわずかなきっかけで崩れ去るだろう。

 ただでさえ現状に辟易しているエンビは露骨に嫌な顔をした。

 

「マジかよ…………なに、あのふたりってデキてんの?」

 

 連合議長と側近の立場だろう、ユージンがなぜそうも感情的に擁護したのか理解に苦しむ。

 実はいい仲でした、なんて噂を立てられ〈革命の乙女〉が守り続けてきた処女性に傷でもついたら事ではないか。

 

「それはさすがに勘繰りすぎじゃないか。クーデリア先生はアトラと結婚したはずだろ」

 

「でも、それって暁を引き取るためだよな? 副団長をキープするくらい好きにすればいいんじゃねぇの?」

 

「木星圏ならな。火星はハーレム認めてないから、二股かけたら不倫ってことになるんだよ」

 

「あー、そういやそんなルールもできてたんだっけか……」

 

 木星圏は男ひとりが複数の女を囲う婚姻制度だが、火星では一対一(モノガミー)のみ。両親が揃っていて実子がいない家庭に限り、収入に応じて最大五人まで里子を迎えることが可能だ。結婚はあくまで子供を育てるためのシステムとして再整備された。

 親が二名いれば同性同士でも構わないが、血のつながった子供がいる場合、規定の経済水準を満たしていない場合、犯罪歴がある場合などなどいくつかのケースで里親としての資格は無効となる。

 配偶者以外と関係を結んだことも失効条件のひとつだ。(……というところまではとりあえず暗記しておかないとテストに出る)

 

 社会科の成績について言い合うヒルメとトロウを横目に、エンビは手元のオニギリをもてあそぶ。

 指先がぎりりと食い込む。

 

 

「暁は三日月さんが()()()子供だ。それを捨てて副団長をとったらいよいよ強硬派(おれら)を抑えておけなくなることくらい、あの人にわからないわけがない」

 

 

 暁・オーガス・ミクスタ・バーンスタインは、その名の通り三日月・オーガスとアトラ・ミクスタの間で作られた子で、ID上は戦災遺児ということになっている。

 五年前に両親と死別してアドモス商会の乳児院に保護され、のちにバーンスタイン連合議長が里親として預かった――という筋書きである。

 名実共に三日月の実子である暁を手元に置くことでクーデリアはエリオン公を牽制し、鉄華団残党の象徴的立場に収まった。

 

 万が一にもクーデリアに実子が生まれたら、里子(アカツキ)の養育権は剥奪。

 不適格と認定された里親からは離され、孤児院に戻される運びになる。

 鉄華団を引き継いだつもりでいるらしいクーデリアには、どうあっても避けたい事態だろう。彼女なら〈錦の御旗〉を手放すリスク、年少組が抱える疑念や復讐心についても重々承知しているはず。

 

 叶う限り多くの市民の安全を保障し、幸福を実現しようとしている。クーデリアだって連合議長の立場でできる仕事はやっているのだ。

 エンビたちが運悪く『最大多数をしあわせにする方法』からあぶれて、割りを食ってしまっているだけで。

 

(……それじゃあ、副団長は?)

 

 もしもユージン・セブンスタークが『残党の解放』を企てているなら。クーデリアを孕ませることで里親の資格を奪うことも、あるいは。

 

(いや、副団長は穏健派(あっち)側だ。強硬派(こっち)の側には手を焼いてる、だからライドを殴った)

 

 諦めて、エンビは頭を振った。ため息が重たく落ちる。

 教師とともに医師や看護師が大量に移民してきた今のクリュセでは、中絶手術に医療保険が利く。両者合意で作った子供以外はとっとと堕ろしてしまえるようになったのだ、解放の手段として現実的ではない。

 そもそも、IDを改竄してしあわせになる権利を得たというのに、まだ済んだ過去をひきずってじたばたしている強硬派は、火星連合にとっても鉄華団残党にとっても目障りな存在なのだ。

 

 大人と肩を並べて働こうなんて考えず、従順で聞き分けのいい子供に撤していれば仲間を失うこともなかった。散り散りになってでも武器を捨て、魂を売り払って、食事と寝床を安定的に提供してくれる大人の靴を舐めればよかった。

 それこそが正しい道だったのだと、元副団長ユージン・セブンスタークはその身をもって証明している。

 穏健派の父である副団長様が、汚い手段を使ってでも主人を裏切り、胸糞悪い日常から解放してくれるかも……なんて下水を煮詰めたような期待を寄せてしまうほど、エンビは疲弊していたらしい。

 

 クーデリアが学校教育の充実なんか掲げたせいで教室という檻に押し込められ、自己否定に晒されているのだ。

 なのに鉄華団壊滅時にそれなりの年齢に達していた団員はアドモス商会やらカッサパファクトリーやらに就職して旧名で呼び合っている。

 タイミングよく『大人』側に逃げ切った幹部組が、『子供』の年齢を脱しきれない年少組を切り捨てやがった格好だ。

 

 たとえそんなつもりはなかったとしても、これからの火星で生きていくには学歴が必要不可欠なのだとしても。副団長は憎まれ役を買っているだけなのだとしても。

 理性でわかっていたってやりきれない。少年兵は無抵抗で死んでこそ大義と教える学校教育(笑)に叩きのめされて、みんな疲れきっている。

 

 アトラが無事出産したときだって、あかちゃんってどうやって()()んだ――? という疑問でしばらくざわついた。

 手段だけならガキでも知っているが、赤ん坊なんて、やらかしたらデキてしまう、腫れ物のようなものだと思っていた。

 欲しい、作る、産む、といったアトラの発想とは、まるで結びつかない。

 

 ほどなくクリュセに医療保険制度が整備され、()()()()()()しか生まれてこないようになった。

 

 望まれて生まれてきて、愛されて育てられていく子供たちはしあわせになれる。運悪く親と死別してしまっても里親制度のおかげで軌道修正が利く。

 作られなかった同胞たちは、生まれてくる前に無抵抗のまま殺されていく。

 生来のテロリストは水際で排除され、世界は平和になる。

 

 いっそ、反乱を起こすのも悪くないかもしれない。

 そうしたら今度こそアリアンロッドが残党狩りに乗り出してくるだろう。ユージンがライド以下強硬派を売るか、クーデリアが残党全員まとめて切り捨てるか、火星もろとも滅ぶか、移民はどうするのか――という、テイワズも巻き込んだ泥沼の大戦争ができるかもしれない。

 少年兵が生まれついての犯罪者なら、そのくらい、望んだって。

 

 

「――いっそ、 」

 

 

「エンビ。……だめだ、もうそれ以上言うな」

 

 ついにヒルメの静止が鋭く刺さって、エンビは口をつぐんだ。

 ヒルメだって同じことを考えていたから物騒なことを口走る寸前で止めることができたのだろうに。

 

 背にしていた路地の奥からも、同意のため息が追加される。

 

「そうだぞ、エンビ。そのへんにしとけよ」

 

 赤いストールの人影がひだまりに踏み出して、特徴的な赤毛が揺れる。

 明らかになった髪色は、火星では珍しい色合いだ。宥めるように「お疲れさん」と眉尻を落とし、同胞をねぎらう。

 

「ライド…………」

 

「頭のまわるガキは嫌われるぜ」

 

「学校ではちゃんとバカのふりしてる」

 

「そうやってバカを見下してたらそのうちボロが出んだよ優等生。無理すんな」

 

 緑色の双眸を気遣うように細める。

 オレンジがかった髪色も、主に日照時間が短い環境で発現する色彩だそうで、改竄されたライドのIDは火星出身ですらない。

 

 地球に比べて大気の層が薄い火星においても、惑星間巡航船、あるいは高級娼館といった、窓がなく赤毛が生まれやすい環境は存在する。

 いずれも芳しい経歴ではないし、希少であるということは足がつきやすいということだ。

 ライドの身体的特徴がありふれている場所としてアーブラウ北部、アンカレッジよりさらに北の片田舎の出身ということにされてしまった。

 亡命していたアーブラウから火星に戻るより先に『故郷』を下見に行ったせいでライドは学校に入るタイミングを逃し、アドモス商会関連企業でインターン生扱いになっている。

 人生の辻褄合わせのために定期的な()()を強いられることもあり、学校への収監を免れた唯一の例外だった。

 

 うまく『大人』の側につけたのだから就職組と一緒に逃げ切って、しあわせに暮らしたってよかったろうに。

 ライドはみずから強硬派のリーダーとして、大人になれない子供の側に残っている。

 エンビはようやく舌鋒をおさめ、口実としてオニギリをかじった。

 

「いい子だ」とライドは碧眼を眇める。

 

 そして、背後の路地に向かって声を張った。

 

 

「――誰が聞いてるかわからねぇからな?」

 

 

 四対の眼光が鋭く研がれ、警戒心が一斉に、近づく気配に向けられる。

 いくばくかの膠着。

 呼びかけに応じるように路地から現れたのは、わずかな護衛を引き連れた白髪の少女だった。

 頭髪とは異なる質感の長い髪は、仮面とひとつづきの()()()だろう。

 

「女……?」とトロウが取りこぼす。

 

 護衛は両脇にメイドがたったのふたり。

 女三人だけでスラムに入ってくるだなんて危険すぎる。ここは身ぎれいな女なら若くなくとも襲撃されるような掃き溜めだ。裕福な移民と見るや問答無用で引き裂いてやりたくなるやつだって潜んでいる。

 臆することなく華奢なヒールが進み出て、少女の声で微笑んだ。

 

「ごきげんよう、鉄華団のみなさん」

 

 さらりと風が凪ぐように、清涼な声音を空間すべてが受け入れる。

 スラムの濁った空気が遠慮して去っていったかの錯覚に、ライドは思わず面喰らった。

 

「わたしは〈モンターク〉――と名乗れば伝わると、()()()から聞いております。あなたがたはこの仮面に見覚えがあるはずだとも」

 

「……悪いがさっぱり心当たりがねえ」

 

「それも結構。それはそうと、わたし、ここから抜け出したいと思っているの。護衛を探しているのだけど――」

 

 ごく自然なしぐさで指先が持ち上がり、右手の手袋が引き抜かれる。細い手首、白魚の手と桜貝の爪があらわになり、握手を求めるかたちで差し出された。

 

 

「引き受けてくださらない?」

 

 

 晒された白い手指と、視線を釘付けにする高貴な魅力。ライドの背後でも、警戒とは異なる緊張感に、三者三様に息を呑む気配がある。

 ここからわたしが帰る場所まで、わたしを守って、連れていって。

 額面通りの言葉の裏には闘志が見え隠れして、野心とは似て非なる、何か鮮烈な光を感じさせる。小柄な少女を見下ろしているはずが、まるでショーケースの中の宝石でも鑑賞させられているような心地だ。

 ともに戦ってほしい。――雄弁な双眸はスカイブルー、言葉もなしに訴えてくる。

 しかし握手に応じることなく、ライドはひらり、両手のひらを開いて見せた。

 

「いいんですか? 変な伝染病(ビョーキ)を持ってるかもしれないですよ」

 

「まあ。そのご病気をいただいて、〈ヴィーンゴールヴ〉に差し上げるのもすてきだわ」

 

 にっこりと微笑んだ少女に、ぎょっと目を剥いたのは背後のエンビだ。

 

「……バイオテロでもやるつもりかよ……」

 

 絶句するヒルメと、想像してしまったのかトロウが腕の鳥肌をさする。

 レディ・モンタークはただ穏やかに、柔和に、笑みを絶やさない。

 ……覚悟は充分伝わった。

 

「いいぜ、おれらはあんたの話に乗ってやる」

 

「交渉成立ですわね、()()()さん」

 

「そこまで知ってるんなら話は早ぇや」

 

 奪いとるように手を握っても、繊細な指先は怖じることなく丁寧な握手にしてしまう。見かけによらず、なかなか肝の据わったお姫様だ。メイドだけ連れて治安の悪いスラムに出向き、護衛を現地調達してみせる度胸も。

 取り交わした握手に白い両手をそっと添え、仮面の奥から宝石のような双眸でライドを見上げる。

 

「わたしは旧セブンスターズの一員ガルス・ボードウィンの娘、アルミリア・ボードウィン」

 

 少女の微笑はケースの中にしまわれて、復讐者がついに仮面を取り払う。

 

 

「逆賊マクギリス・ファリドの妻です」

 

 

 その日、ライドたちの前に姿を現した(フェンリル)の花嫁は、やっと帰り道を見つけた迷子のようだった。

 

 復讐者らの結託から五日後、アーブラウの蒔苗記念講堂にて〈ヒューマンデブリ廃止条約〉が締結。

 さらに数日後、クリュセのとあるホテルにてノブリス・ゴルドン氏が遺体で発見されたというニュースが世間をわずかばかり騒がせたが、世界は滞りなく平和である。




【次回予告】

 生きられるのは大人が作った子供だけ。それじゃあ、おれたちの居場所なんか存在しないっていうのか? オルガ団長が、今はライドだけが、作られなかったおれたちだって生きてていいって言ってくれる。おれたちはお姫さんの話に乗るよ。
 次回、弾劾のハンニバル!
 第3章『猿でもできる聖者の行進』。

 どっちを向いたら前なのか、それを決めるのはあんたじゃない!

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