MSV. 弾劾のハンニバル《完結》   作:suz.

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(そうさ、ここはイエスマンだけの楽園)


003 地獄の番犬

 整備士のカズマに雑事を任せ、ライドが向かったのは〈ガルム小隊〉の面々が暮らす格納庫だった。

 元ヒューマンデブリという境遇もあってか、みなMS(モビルスーツ)デッキ付近を根城にし、地上のモンターク邸には降りようとしない。

 脚の不自由な仲間がいるのも無重力環境に依存する理由のひとつだろう。MSパイロット四人を中心に構成された〈ガルム小隊〉には十歳から十四歳までの隊員があわせて二十名ほど属しているが、オペレーターやメカニックたちもこのネバーランドを存外気に入ってしまっているらしい。

 

 しんと静まり、非常灯が頼りなく点るばかりの暗がりに踏み込めば、白いノーマルスーツの子犬たちが見つめている息づかいがそこかしこから感じられる。

 警戒心が強いので、きっかけを作ってやらないと姿を見せない。

 

「お手柄だったな! お前らみんな、よくやってくれたよ」

 

 ライドは肩に提げていた鞄を掲げてみせて、なるたけ全員に向けて呼びかけた。

 がま口バッグの中身は弁当だ。機体やキャットウォークの陰に隠れた闇の中で子供たちの表情がパアッと輝いたのが伝わり、笑いさざめく声も聞こえてきたが、食べ物よりも褒められたことが嬉しいのだろう。

 

 応じるように奥から隊長のギリアムが現れ、ふわりとライドの前に着地した。靴裏の磁石が器用に床をつかまえる。

 左右に半歩遅れるように、そっくり同じ顔をした弟のエヴァン、腹心のフェイ。両翼同士はあまり仲がよくないようなのだが、ギリアムの前ではそんなそぶりなど微塵も見せないのだから、統率力は見事なものだ。

 

 弱冠十三歳のリーダーは大きな緑色の目でじいっとライドを見上げ、指示を待つ。

 人種のせいか生育環境のせいなのか、小柄で実年齢より幼く見える。

 

「よう、ギリアム。お前らもみんなお疲れさん。弁当を持ってきたから、あったかいうちに配ってやってくれ」

 

「はいっ!」

 

「スープは熱いから火傷に気をつけてな」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 いつもは食事などレーションバーが一本ずつあれば充分だという顔をしているくせに、手渡されるのは誇らしいらしい。薄暗闇でもグリーンアイズが心なしかきらきら輝いているのがよくわかる。

 ギリアムは小隊を代表してバッグを授与されると、そばに控えていたフェイへと受け渡した。

 

「全員に行き渡ってるか確認するの忘れるなよ」と釘を刺す横顔はリーダーのそれだ。

 

 糸目のフェイはひとつうなずき返すと、機敏に踵を返す。最年長かつ最長身、強面の少年が隊長の右腕として従っているのがギリアムの(ハク)になっているのだろう。

 左腕——エヴァンほうは隊長に追従するというより、兄貴のあとをちょろちょろ追いかけているドッペルゲンガーだ。こいつこそがカズマが示唆した『取り巻き』の最たる例で、MSを降りた瞬間からギリアムのそばを離れない。

 ぺしょりと垂れ下がる黒髪をふたつ両手でかきまぜて、ライドは苦く微笑した。

 責任感の強い兄貴と甘えん坊の弟。性格はまったく正反対なのに、首をすくめるしぐさはやはり双子だ。

 

「悪ィけど、ちょっと兄貴を貸してくれな」

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

“宇宙で生まれて、宇宙で散ることを畏れない、誇り高き選ばれたやつら。”

 

 鉄華団団長オルガ・イツカはかつてヒューマンデブリをそのように表現したのだと語ったのは、酒に酔ったダンテだった。

 デルマもそのことを懐かしんでいたから、おそらく真実なのだろう。その場に居合わせなかったライドには、それ以上の仔細はわからない。

 

 IDを握られ、ヒューマンデブリに身を落としたとき、人間(ヒト)としては一度死んだことになるのかもしれない。それも新たな誕生として、団長は鉄華団に受け入れた。

 過酷な環境を生き延びるため、海賊に命じられるまま略奪に加担してきたことも。オルガ・イツカは何ひとつ否定しなかった。同情もしなかった。過去は変わらない、それでも。

 ただ「よく頑張ったな」と尊重してみせた。

 

 ライドがやったのは彼の真似事で、ライド自身、ただ上辺をなぞっただけだと実感している。

 それなのにヒューマンデブリたちはまっすぐな目でライドを慕い、ついてきてくれる。希望者全員に偽造IDと学校への編入を斡旋するという道も示されたが、八割近くが〈マーナガルム隊〉への所属を選んだ。

 仕事がしたい。おれは戦える。戦力として、おれたちは役に立つ。——汚泥の中に生きることに慣れきった彼らは、自身の安全よりも、澱の中でも泳げることを武器に戦おうとした。

 

 それは今も変わらない。彼らには、経験豊富な殺人人形としての矜持があるようなのだ。いっそ清々しいほど自然に、ヒューマンデブリという運命を受け入れている。

〈マーナガルム隊〉が暮らす格納庫に迷い込んでくるような輩がいれば速やかに射殺し、証拠を隠滅する——という、警備体制を自主的に築き上げたのも彼らだった。海賊船で生きてきた子供たちの秩序に基づき、侵入者は水際で排斥される。

 何とも物騒な警戒網ではあるが、おかげでモンターク商会の安寧は細々と守られている。

 

 

 MS(モビルスーツ)デッキに引きこもりの番犬たちは、もう食事を終えたころだろうか。

 共同宇宙港〈方舟〉から地上まで一時間弱。優先的にシャトルのタラップに導かれたライドは、瀟洒なスリーピースのスーツ姿で伸びをした。

 茹だったアスファルトに落ちるシルエットはまだ昼間だろうにスラリとタイトで、……いくら見栄えがよくとも着用感はひたすら窮屈だ。日ごろからこんな気障ったらしい衣装を好むトド・ミルコネンの気が知れない。

 

 クリュセ郊外にある発着場を行き交うのは大半が移民か労働者で、地球圏の空港と違って観光客や留学生のたぐいは滅多にいない。

 こういう土地柄だからこそスーツが何かと便利なのはライドとて承知だ。

 ライドに続いてアスファルトを踏むギリアムも、良家の子女風のいでたちにしてきた。サスペンダーで吊った膝上丈の半ズボン、ソックスガーター。童顔もあいまって十歳いくばくのお坊ちゃんに見える。(風呂に入れてヒューマンデブリ共通のノーマルスーツから着替えさせただけで、印象はがらりと変えられるものらしい)

 

 おかげでタクシーはすぐに捕まった。

 いかにも金持ちそうな格好は、支払い能力があるかどうかの指標になる。クリュセ市警も絡んだら面倒なことになりそうだと見ればまず絡んでこないし、タクシー運転手だって首は惜しい。

 財力と権力をちらつかせて歩くほど安全だなんて、まったく嫌な世の中になった。

 

「付き合わせちまって悪いな」とライドはかたわらの少年に短く詫びを入れる。

 

 ギリアムは「いえ、」と首を振った。

 

「仲間がどうしてるかは、おれも気になってたし。選んでもらえてうれしいです」

 

 礼儀正しい口調ではにかむ、ギリアムがこうして年長者に敬意を払うから〈マーナガルム隊〉のヒューマンデブリたちがうまくまとまっている部分もあるのだろう。

 

 隊長の振る舞いは、そのまま各小隊の性質として反映される。

 主に暗殺任務を先導する〈ハーティ小隊〉は元鉄華団年少組の中でも頭のまわるエンビを隊長に据えており、餓狼めいた性質を持っているが、〈ガルム小隊〉はその名の通り番犬(ガルム)らしい。

 仲間の前ではリーダー然と指揮を執るギリアムも根っこのところは人懐こい子供で、正反対な双子も案外よく似ているのかもしれない。

 

 

 やがてタクシーの車窓から見えてきた目的地は、小高い丘の上に立つ寄宿学校だ。戦い続けることを選ばなかった元ヒューマンデブリの少年たち十名あまりが学んでいる。

 火星連合発足以来アドモス商会は公営企業となり、運営されていた孤児院や小学校は公立校ともども生徒や保護者の個人情報が連合政府に筒抜けになった。連合立、クリュセ市立などなど学校が乱立、ストリートチルドレンや児童労働者が一掃されるレベルで就学率は劇的な向上を見せている。

 結果、これまでならスラムでのたれ死んでいた子供が生き残るようになり、さらなる教室が入り用になり、木星圏から教師が招致され、彼ら木星移民の子女らが通う学校も必要になり――、クリュセは数十もの小中学校がひしめきあう学問の街になった。

 教育と移民が切り離せないこともあり、連合政府は個人情報の厳密な管理を強いられている。

 おかげで、行政機関に対して一定の秘密が保持できる学校は片手の数ほどしかなく、各学校同士のつながりから情報が漏れないとも限らず、背後にライドたちの存在があると察知されないための編入先選びは骨が折れた。(クーデリアたちに見つかればエンビたち元年少組も、ギリアムたち元ヒューマンデブリも十把一絡げに学校へ押し込められ、()()()()()になるよう矯正されてしまう)

 

 保護した少年たちの身の安全、個人情報の管理体制、施設の充実など多方面から絞り込み、ようやく白羽の矢が立ったのが、この寄宿制私立校だ。

 ライドがここを訪れるのは三ヶ月ぶりほどで、ギリアムは戦友の見送りから数えて二度目になる。

 

 タクシーは豪奢なゲートの前で減速すると、うやうやしく停車した。

 天に突き上げるような格子扉はいかにも高い授業料をとっていそうな凝った建築様式で、この向こう側には学校関係者しか入れない。

 脇のインターフォンから呼びかければ、警備員ではなくカソック姿の事務員がいそいそ出てくる。

 

「ようこそ、いらっしゃいました。我が校の見学をご希望でございますか?」

 

 丁寧な歓迎はアットホームな印象を与える。柔和な笑みを浮かべる彼女はしかし、何度訪問してもなぜだかライドのことを覚えていない。

 

「ええ。弟の編入先にと考えてまして」と、いつもの受け答えをしたライドの言葉は、前回までは真実だった。

 

 戦いをやめて学校に行くと決めた弟分たちを連れ、ライドは何度もここへ来た。いつも同じ職員が出迎えた。十回近く同じことを繰り返したはずだが、職員はいつも、まるで初対面かのように学校について説明しはじめる。

 はじめは()()について言及もしたが、勘違い呼ばわりされるのが腑に落ちなくて五度目の訪問あたりでやめてしまった。

 この女が盲目なのか、あるいは相貌失認かとも疑ったが、教職員同士がすれ違って挨拶をかわすさまを見るに、そういうわけでもなさそうだ。

 マニュアルを読み上げるような解説を聞き流しながら、絵画やオブジェの飾られた廊下を進む。

 どのクラスも扉は開けっ放しで、授業中でもないのに廊下に出てくる児童の姿はない。いつも不思議に思うが、私服校なのになぜだかみんなアンティークめいた制服姿だ。

 

 教室をきょろりと一瞥したとき、ふと見覚えのある顔を見つけた。やはり色褪せた制服を着て、大人しく席についている。

 ギリアムの視線も同じ面影に注がれているようだ。間違いないだろう。

 

「ちょっとすみません」と職員を呼び止める。

 

「はい、なにか?」

 

「ここには弟の友達が通ってるんですが……ほら、あの子です。挨拶しても?」

 

「ええ、もちろん!」

 

「よかったな()()()。感動の再会だ」

 

「ありがとう、()()()! すぐ戻るから」

 

「いいさ。ゆっくりおしゃべりしてこいよ」

 

 臨機応変な義弟がぱたぱた駆けていき、……事務員は微笑ましそうに見守っている。

 にこにこと穏やかな笑みには、何の含みも感じられない。

 

 やんちゃ盛りの年ごろだろうに校内は喧騒とはほど遠い。富裕層の令嬢令息というのはこうも礼儀正しく物静かなものなのだろうか。鉄華団年少組の騒がしさとは似ても似つかない様相で、エンビたちが過去通っていた公立校ともえらい違いだ。

 館内の気温は暑くもなく寒くもない適温、本棚には貴重な紙の本までずらり。こうも整備された教育環境ならば、金銭感覚のトチ狂ったアルミリアでなくとも、馬鹿高い学費を払って通わせたい親はいるだろう。

 

(しかし、どこも教室あたりの人数がやけに多いな……なのに空席ひとつ見あたらねえ)

 

 アドモス商会の学校では一クラスあたり二〜三十人程度のはずだが、ざっと六十人は詰め込まれている。さすがに過密すぎやしないか。

 ギリアムが駆け寄った長机だって、ぎっしり横並びに座る想定で設計されたものではないだろう。教室という場所では本来どれくらいの間隔をあけて着席するものなのか、ライドは知らないが、書き物をさせるつもりがあるなら肩と肩がぶつかるほど詰めさせたりはしないはずだ。

 教室前方には指導用スクリーンがあり、かたわらの掲示板らしきパネルには時間割が示されている:Language Arts(こくご)Basic Algebra(さんすう)Social Studies(しゃかい)

 その下には宿題らしき作文のトピックが書かれていて……、やはりここも同じだったかと無表情の仮面をかぶる。

 

(……嫌な予感が当たったか)

 

 内心で苛烈に舌打ちする。先の任務で強奪したコンテナの中身は、やはり武器ではなかったのだろう。

 

「カマル!」と偽名で呼び寄せた弟の顔が取り繕うこともできないほどの寂寞に歪んでいて、すべてが確信に変わった。

 

 

 

 帰りのタクシーの中でもギリアムは終始浮かない顔をしていた。

 隠しきれない落胆を連れ、トドの運転するリムジンに乗り換えてからモンターク邸へと戻る。

 窮屈なネクタイをようやくゆるめたライドは、借りてきた猫のように神妙にしているギリアムに「どうだった」と、つとめて事務的に問うた。

 

 半ズボンの上で拳がぎゅううと白くなる。悔しそうにくちびるが歪む。

 

「別人みたいに落ち着いてた。変わっちまったどころじゃなかった」

 

 ぎりりと奥歯が噛みしめられて、ずっとまとっていた寂しそうな空気がざわりと変質した。

 運転席のトドがバックミラーごしにぎょっと目を剥く。

 ずっと抑えていたのだろう『怒り』の発露だ。

 

 

「……あなたの予想通りだった……!!」

 

 

 かすれた慟哭、いまだ甲高いままの声が苛烈にふるえる。

 ライドは痛ましげに「そうか」とだけ、静かに応じた。

 

 海賊船からモンターク商会に買い取られた子供たちは、うち二割ほどがヒューマンデブリであることをやめ、偽造された新IDで学校に通うと決断した。

 彼らの選択を尊重し、アルミリアは筆記用具を買いそろえ、衣服を仕立ててボストンバッグいっぱいに持たせてやった。

 新たな人生に踏み出していく仲間たちの門出に幸あれと、みんなで見送った。

 

 なのに、いざ再会してみれば色褪せた制服を着せられていた。制服校ではないのに、アルミリアが用意した私服が着られないほど成長したわけでもないのに。それだけじゃない。

 

 ギリアムのことを誰も覚えていなかったのだ。

 

 よくない予感は見事的中し、職員は盲目でも相貌失認でもなかった。やけに物静かな生徒がぎちぎちに詰め込まれた教室、異様な出席率の高さ、不自然な忘却。

 すべて辻褄が合う。

 

「あいつら、おれの仲間を薬漬けにしていやがったんだっ」

 

 ライドが口をつぐんだ真相を吐き出して、八つ当たりの拳が白い膝小僧を打ち付ける。

 ほんの数ヶ月前までともに戦っていた仲間たちが、みんなニコニコ笑って虚ろな目をして、()()()()()()()()()()()()を見つめていたのだ。

 偽名だ、気付いてくれ、思い出してくれ――なんて、責任感の強いギリアムにはとても言えなかったのだろう。堅牢な理性は、こういうとき足枷になる。

 

「ちくしょうっ……おれがひきとめてれば、こんなことには――!」

 

「よせ、ギリアム。あいつらは戦わない道を選んだんだ」

 

 人間の屑(ヒューマンデブリ)より薬物中毒になったほうがマシだなんて、彼らが思ったわけではないだろうが、それでも。

 

「……嫌なことを頼んで悪かった」

 

「いいんです。おれじゃなきゃ、もっとだめだった」

 

「できることならお前にもやらせたくなかったんだよ」

 

 海賊船から保護されてたった数日の付き合いしかないライドのことなど覚えていなくて当然で、だからこそ彼らの状態を確認するには顔なじみを連れてくる必要があった。だから人望の厚いギリアムを同伴した。

 もしも他に確認手段があったなら、呂律の回らなくなった仲間との再会などさせたくはなかった。

 

 戦うことも死ぬこともなく平穏に生きていくはずだった同胞は、あずかり知らぬ場所で薬物に侵され、大人に都合良く作り替えられて、教室という名の収容所で『子供』という名の人形に成り下がっていた。

 ギリアムのことも本当にわからなかったのだろう。いっそ不自然なほどにさっぱり忘れて「はじめまして」と舌足らずに握手を求めてきたという。

 変わり果てた仲間を目の当たりにして、ギリアムは『学校』という空間に嫌悪を覚えたに違いない。

 かつてのエンビたちがたどった地獄の下り坂だ。

 

 アイデンティティの屠殺場から逃げ出したところで、行く宛てなんてどこにもない。

 同じ道を歩ませてしまった罪悪感を、ライドは今後も抱えていくのだろう。

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 トドの運転でモンターク邸へと戻ればロータリーにメイドが待ち受けていた。

 リムジンが車寄せに滑り込むや否や、絶妙なタイミングでドアを開ける。丁寧な手つきにうながされるまま降り立つ裏玄関は、相も変わらず掃除が行き届いて輝かしい。

 

 そしてライドが顔をあげれば、ロビーの奥から現れたのは館の女主人・アルミリア・ボードウィンだ。

 いつ来客があっても迅速に対応できるようにか、それとも愛する夫のためか、いつ見ても実に身綺麗な女である。

 

「おかえりなさい!」

 

 どこかほっとした顔で出迎えられ、そういえば任務で十二日ばかり火星を離れていたことをライドはずいぶんと遅馳せに思い出した。終始能動的に動いているので、待っていた側の時間感覚には疎い。

 

「どうも。作戦はどれもうまくいってますよ」

 

「何よりです。あの子たちも、今日はここへ帰ってきてくれるかしら?」

 

 ちらりとアルミリアがうかがったのは、番犬よろしくライドのそばに控えるギリアムだ。

 邸内にも保護した少年たちを匿っているアルミリアは迂闊にここを離れるわけにはいかないし、共同宇宙港〈方舟〉の格納庫まで出向けるのもガンダムフレームとヴァルキュリアフレームあわせて四機が揃うタイミングに限られる。

〈マーナガルム隊〉全員にあたたかい食事とふかふかのベッドを提供したいというアルミリアの申し出は、いまだ通ったためしがない。

 

 やはりギリアムはくちびるを引き結んだまま何もこたえようとしない。……今日の一件でアルミリアに疑念を抱いてしまったかと懸念したが、そういうわけではなさそうだ。

 ライドは見守るように眦を下げると「どうでしょうね」と前置きした。

〈ガルム小隊〉の仲間の中には重力に適応できないメンバーがいるから、上陸要請を受けてもギリアムは決して首を縦には振れないのだろう。

 2番機のパイロットを含め、戦闘や手術の後遺症を抱えるヒューマンデブリは少なくない。彼らは地上どころか重力ブロックに出るだけでたちまちバランスを崩して起き上がれなくなってしまう。非力な子供同士で支え合って生きていくには、1Gの鎖は重すぎる。

 

「今日の夕方には〈ハーティ小隊〉が帰還する予定です。――ギリアム、お前の仲間を連れてこいっておれから伝えてもいいか?」

 

 呼びかけてやれば、緑色の目がぱちくりとライドをふりあおぐ。

 

「ヒルメとトロウが戻ってくるんだ。あいつらなら車いすも手配できるし、子供(ガキ)の十人や二十人連れてたって不自然じゃねえよ」

 

 ギリアムの仲間は東洋系の混血児が多く、赤毛のライドがひとりで引率すれば一体どういうつながりかと勘ぐられてしまうが、あのふたりならその心配もいらないだろう。人種が共通していれば無用な衆目を集めることもない。

〈ハーティ小隊〉も元鉄華団年少組だけあって弟分には基本的に親切だ。同じ少年兵同士、家族のようなものだと思っている。

 エンビ、ヒルメ、トロウの三人は文字や戦術を教える練兵教官の役目も担っており、〈ガルム小隊〉のメンバーにとっては〈ハーティ小隊〉の全員がそれぞれ見知った兄貴分にあたる。

 

 ほっとしたようにギリアムの表情が明るくなり、ライドとアルミリアを交互に見上げるとミッションレコーダーにするように宣言した。

 

「〈ガルム小隊〉は上陸要請に応じます」

 

「ほんとう? では、みんなで夕食を」

 

「いや、まだ全員降りてくるって決まったわけじゃねぇっすよ」

 

〈ハーティ小隊〉からはあちらで休みたがる隊員が出るだろう。〈ガルム小隊〉だって、どうしても動けそうにない仲間がいれば腹心のフェイが護衛となる戦力とともに格納庫に残る。

 ギリアムが小隊という単位で上の要請に応じる体裁をとったのは、作戦に必要な人数だけ見繕って連れてくる、という意味だ。

 

「今はそれで構わないわ。いつかみんなで一緒に降りてきてくれる、きっかけを作れたら」

 

 朗らかに微笑したアルミリアは胸の前で両の手のひらを合わせ、指をぎゅうと組み合わせた。

 彼女が感謝や感動を抱きしめるときのしぐさであるらしい。

 

 モンターク商会のうら若き女社長は弱冠十八歳とまだ若く、きっと家族と囲む食卓が恋しいのだろう。

 七年前――いや、それよりも前に失われてしまった団欒を取り戻したくて、保護した少年たちみんなに何不自由ない暮らしを与えようとする。食事もベッドもすべて自分と同じ質まで引き上げてしまおうとする。

 

 ただ、アルミリアは自身と同じ年ごろの少年兵には接しかねているところがあり、複雑そうに青く澄んだひとみを伏せた。

 SAUでの傭兵殲滅作戦を終えて火星に戻ってくるヒルメやトロウに、何か思うところがあるのだろう。

 白磁のような頬に、長い睫毛の陰影が落ちる。

 

「……彼らは、憎んでいるでしょうか? 命を切り売りするような仕事ばかり斡旋するわたしを」

 

「まさか。切って売れるものがあるのっては、しあわせなことですよ」

 

 危険な任務に従事するのが嫌だなんて文句を今さら言い出す連中ではない。みな物心ついたころから生きるか死ぬかの日常を生き残ってきたサバイバーだ。

 アルミリアに打ち明けるのは気が引けるが、ギリアムだって薬漬けにされるより戦い続けるほうがずっといいと暗に吐露した。

 ライドたちも同じように思ったから、傭兵業を続けている。

 

 たとえラスタル・エリオンの道具として便利に使われようとMS(モビルスーツ)を手放さずにいられるのはありがたい。

 戦場の勘を失うことはおそろしいし、無力化されたあとのことなど想像したくもない。

 

「おれらの意思を尊重した仕事をくれる。対価まで支払ってくれる。これ以上何を望むっていうんです?」

 

「命を懸けてくれたあなたたちに報いるには、少なすぎるわ」

 

「ガキを雇って、給料まで払いたがる変わり者なんて、今の火星じゃあんたくらいですけどね」

 

 トドが大幅に上前をはねて中抜きをしてなお有り余る報酬を払っておいてこの態度とは。

 世間知らずもここまでくると清々しい。

 

 地球圏ではどうだか知らないが、現状の火星における『子供』とは無邪気で愛くるしく、学校と勉強が大好きで、大人の言うことをよく聞くべき存在だ。

 戦いたいなんて物騒なことを考えてはいけない。だって少年兵とは残忍で凶暴で、破壊と殺戮を繰り返すテロリストなのだから――そのように教えられる。

 薬物で侵してまで刷り込まれ、信じさせられる。

 

 

 今から七年前、戦いを生業にした名もなき犯罪者集団が〈マクギリス・ファリド事件〉の陰で滅んだ。

 鉄華団はいたって普通の民間警備会社で、特筆すべきは平均年齢の低さ、運営のクリーンさくらいのものだった。急成長企業は反感を買いやすいからと地元の雇用には積極的に貢献し、孤児院への寄付も惜しまなかった。近場でテロが起これば自発的に消火活動・避難誘導・交通整理に駆けつけ、実質上の治安維持につとめた。

 火星の英雄とまで謳われた社会的信頼を食いつぶさないように、尽力していた。

 

 ところがニュース番組で『マクギリス・ファリド元准将の指示のもと、破壊と虐殺を繰り返す犯罪集団』と報じられたら、誰も彼もがあっさりと手のひらを返した。

 アナウンサーの言葉というのはそれほどまでに信頼できるものらしい。逆賊マクギリス・ファリドはひどい悪人で、それに従う鉄華団も悪者なので、アリアンロッドが治安維持活動を行い、ラスタル・エリオンの威光のもとに粛正した――というプロパガンダがそのまま世界の『真実』になった。

 

 もう誰も、オルガ・イツカの名を覚えてはいないだろう。

〈悪魔を討ち取った凛々しき女騎士〉ジュリエッタ・ジュリスが一体何を討ち取ったのかも、誰も気にとめていやしない。

 民衆はみんな、過去をちょっと通り過ぎた名前なんてきれいさっぱり忘れてしまう。

 

 かつて貧困の連鎖の中でしか生きられない火星の少年兵問題を憂いた〈革命の乙女〉クーデリア・藍那・バーンスタインも、全市民を守らねばならない立場になって迂闊なことは言えなくなった。

 幸福を願うためには金がいるのだ。経済基盤をテイワズに、軍事力をギャラルホルンに頼っている現状において、クーデリアが『火星の人々をしあわせにする』ための手段は傀儡政権に甘んじることだろう。ギャラルホルン火星支部撤退以降、アリアンロッドに頭を下げ続けなければ火星圏の安全は保証されなくなってしまった。

 

 幸か不幸か生き延びた鉄華団残党は二度と戦闘職に就くことなく、少年兵であったという過去の汚点をひた隠し、阿頼耶識システムなど知らぬ存ぜぬを貫き通して、偽造された新IDに感謝と自責を抱きながら慎ましやかに生きていくことを推奨される。

 圏外圏の海賊を野放しにするために、腕の立つ傭兵は都合が悪いからだ。非正規航路を抜けようとすれば海賊に襲われる、でも正規航路の通行料は高すぎて支払えない――そんな世界を今後百年、二百年と維持し続けることで火星人は生きていくことを特赦される。

 モンターク商会がアルミリアによって引き継がれ、女社長が鉄華団残党やヒューマンデブリを積極的に雇用しようだなんて考えなければ、居場所を失ったライドたちは今もまだ、火星のスラムを失意のままさまよっていただろう。

 故郷を人質にとられたクーデリアのために。どこにもたどり着けないまま。

 

「おれたちが魂まで売り渡さなくて済んだのは、全部お姫さんのおかげです。ネズミもデブリも同じ人間みたいに扱うことの難しさは、おれたちみんな身にしみてる。憎むだなんてとんでもない」

 

「特別なことは、何もしていないはずなのよ」

 

「いいじゃないですか。人徳があるってことで」

 

 苦笑して、ライドは会話を打ち切るように一歩を踏み出す。

 緩慢な足取りで私室のある棟へ歩を進めれば、ギリアムが従うように後を追った。

 

 アルミリアはただ、戦士たちの背中を見送るしかできない。祈りのかたちに握った両手が無力にふるえる。

 いつもそうだ、こわばるアルミリアの指先はいつも、無事に帰ってきてほしい願うだけで精一杯だった。父ガルスも兄ガエリオも、マクギリスも、ライドたちも。みんな戦いの仔細をアルミリアには明かしたがらない。

 手を伸ばせば届く距離が、気が遠くなるほど遠いのだ。

 

 ライドは多くを語らず、邸内に招いた〈マーナガルム隊〉のメンバーから不満の声があがったことは一度もない。

 復讐に手を貸すと約束しておいて、諜報や暗殺といった汚れ仕事を斡旋し、それどころか、大切な家族の仇であるラスタル・エリオン公の手先として働かせているというのに。

 恨まれたほうがずっとよかった。

 こんな仕事をさせられるなんて理不尽だと弾劾してほしかった。

 

 愛した人を殺した組織の〈法〉と〈秩序〉をアルミリアが敢えてなぞってみせるのは、間違っていると否定してほしいからだ。

 圧倒的軍事力で世界を恐怖させ、屈服させて支配するエリオン公のやり方は悲しみの連鎖を生み続けるだけだと。

 ともに叫び、ともに抗ってほしかった。

 

 なのに、どうして受け入れてしまうの。――アルミリアはいつも、その問いを投げかけられずに繊細(かぼそ)い声を震わせる。

 

 

「あなたたちを人間(ひと)として対等に扱おうとしない、この世界は、あなたたちにとって憎むべき敵ではないの……?」

 

 

 背中にぶつかった少女の嘆きは正気ゆえの矛盾をいくつも内包していて、ライドが歩みを止める理由に足りない。




【オリキャラ設定】

□カズマ(23)
 元鉄華団の整備士。技術者だった父親と死別後、火星のスラムで『何でも修理屋』として生計をたてていた機械オタク。鉄華団が一躍有名になった折りに整備士志望で入団。ストリートチルドレン時代にハッシュとも面識がある。鉄華団壊滅後はカッサパファクトリーに就職したが、ザックやメリビットとの折り合いが悪くて離職。現在はライド率いる〈マーナガルム隊〉の専属メカニック。阿頼耶識はついていない。
 黒髪天然パーマの東洋人。二十代に達しているのはライドとふたりだけだが、年齢のことは気にしていない。

□ギリアム(13)
 ヒューマンデブリの少年兵。宇宙海賊に使役されていたところをモンターク商会によって買い取られ、ライド指揮下マーナガルム実働2番組〈ガルム小隊〉を率いる。発育が悪いせいで実年齢より幼く見えるが、仲間からの信頼は厚い。鮮やかな緑色の目が特徴。搭乗機はガルム・ロディ1番機。
 偽名『カマル』でお察しの通り、ガンダム00でいうアザディスタン人の民族的特徴が強い外見。

□エヴァン(13)
 ギリアムの双子の弟。外見はギリアムそっくりでも、性格は正反対に甘えん坊。戦闘中は腕が立つが、MSを降りると怖がりで頼りない。搭乗機はガルム・ロディ3番機。

□フェイ(14)
 ガルム小隊の最年長、最長身、目つきが悪い。隊長ギリアムの腹心だが、エヴァンとは折り合いが悪い。搭乗機はガルム・ロディ4番機。

□ハル(12)
 ガルム小隊のブレイン。こめかみにチップを埋め込んだ傷跡があり、後遺症により重力環境下では歩けない。搭乗機はガルム・ロディ2番機。

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