MSV. 弾劾のハンニバル《完結》   作:suz.

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026 奴隷たちの英雄

 ハンドガンで頭部を撃ち抜く。装甲の隙間にめり込ませた銃口からほとばしった弾丸は〈ガンダム・アウナスブランカ〉のダクトを砕き、メインカメラを損傷させた。もう一発。千切れた細いケーブルが散らす火花と、循環していたオイルがずるりと漏れだす。

 三発目。頭が吹っ飛ぶまでには至らずとも内部機構が露出し、白い破片が飛散する。

 ツインアイはひしゃげて歪み、視界の大部分が失われた。感覚がより研ぎすまされていくようだ。ああ、この空気のざわつきは、モニタに降り注いだ砂嵐のせいではない。

 首級(トロフィー)を見失って茫然と立ち尽くす〈グレイズエルンテ〉のモノアイを、ヴァルキュリアライフルが撃ち貫いた。

 追い討ちをかけるように(ブランカ)の欠片も片っ端から潰していく。

 

『急げ! そんでバエルで戻ってこい!』

 

「わかってる! ……死ぬなよ」

 

『ああ。だから早く帰ってきてくれ』

 

 大型ライフルを構えなおし、ヒルメは帰投する〈ガンダム・アウナスブランカ〉の背中を押す。わらわらとやってくるアリアンロッドの増援がライドの目に入らないようにと、千里眼がぎょろりと宙域をあらためる。

 加勢に現れたのは〈グレイズシルト〉のようだ。制圧用の大きな楯に、ハルバードを構えている。猪突猛進な〈グレイズエルンテ〉と比べると足が細く、ブースター出力も過不足なく小回りが利く。集団で囲んで制圧することに適した機体と言えるだろう。

 鉄華団最後の日、ヒルメはあれをイオフレーム・獅電で迎え撃った。

 ひとりでここを守るのは大変そうだと嘆息する。

 エンビもトロウも一緒ではない戦場など生まれてはじめてだ。

 

(それでもやるさ……!)

 

 腰背部のブースターが力強く青い炎を吹き上げる。頭部のような小さな的を撃ち貫く無謀を諦めて胴部を狙うも、戦闘練度の高い〈グレイズシルト〉は楯を構えて傷ひとつつけさせない。

 さすがに〈グレイズ〉とは違うか。アンカークローを放つがシールドで押し切るように圧倒され、体当たりを喰らって吹っ飛ぶ。

 

『ぐうう……っ』

 

 そこへ狙い澄ましたように〈グレイズエルンテ〉が巨大な首狩り斧を振り上げた。

 ひゅっと喉が鳴る。とっさに左腕を振り回し、破れかぶれに薙ぎ払ったワイヤーの先、鉤爪(クロー)が〈グレイズシルト〉の肩装甲をとらえた。振り回されるようにしてどうにか離脱する。バーニアをふかして立て直そうとあがくが、しかし〈グレイズエルンテ〉が追いすがるほうが一足早い。さすがに機動力自慢の機体だ。脚部・腰部のスラスターを全開にして襲いかかる。

 巨大斧の軌道はコクピットへの直撃コースだ。回避——間に合わない。

 

(ライドごめん————!!)

 

 操縦桿から手を離すこともできないまま目をつぶる。脳裏にはトロウにエンビとエルガー——家族の顔が走馬灯のようによぎる。

 ところが死に至る衝撃がヒルメを屠ることはなかった。

 錆びついたようなまぶたを剥がして目を開ければ、眼前には〈グレイズシルト〉の背中。あの大型シールドで〈グレイズエルンテ〉の斧を受け止めているらしい。

 一体何が起こっている……? 当惑するヒルメのサブモニタにウィンドウが割り込んできた。

 

『貴様に味方する気はないぞ、〈グリムゲルデ〉のまがいもの! これは過去の清算だ。我々にも、守らねばならない矜持がある』

 

 オープンチャンネルで通信を試みてきたパイロットは金髪碧眼の将校だ。三十代半ばくらいに見えるが眉目秀麗で、おじさんと呼ぶことに抵抗感を持つ美丈夫である。(ライドやトロウならば遠慮なく呼んだのだろうが)

 ブロンドの彼の旧姓が『モンターク』であることが、その美貌から察せた。

 涼しげにつり上がったグリーンアイズが画面ごしにヒルメを見据える。

〈ヴィーンゴールヴ〉において、イズナリオ・ファリド公が金髪碧眼の少年を買い集めていたことは公然の秘密だ。それが七年前の反乱で世界に向けて明らかになったことで、男娼(ペット)あがりには厳しい目が向けられるようになった。

 衣服を与え、食事を与え、教育まで与えてくれたイズナリオ様を恨むだなんてとんでもない——と貴族の温情に感謝してみせなければ白眼視され、恩知らずどもめと罵倒される日々が続いた。

 自分はマクギリスのような裏切り者とは違うのだと、踏み絵を乗り越えなければ出世の道が(とざ)されてしまう。

 刻み付けられた古傷を抉られ、世を儚んで首を括った者もあった。

 

『我々は、長く生きたほうだな』と男は独り言ちる。

 

 自嘲だった。貴族が愛でるためだけに生まれて死ぬ美少年という生き物ならよかったのに、生物学的には人間であり、男性だ。ぱっちりと丸かった目は年月とともに鋭く研がれ、輪郭のまろみもシャープになっていく。絹のような金髪がダークブロンドに落ち着いていき、おおよそ茶髪になる者も多かった。

 ほくろやそばかす、声変わりといった『劣化』を理由に養育を放棄された同胞たちは、……今だからこそわかるが、〈ヴィーンゴールヴ〉内の研究施設に送られ、阿頼耶識システムの被検体となっていたのだろう。

 運よくプラチナブロンドを維持できた者だけが生き残り、十三歳を過ぎれば用済みになって士官学校へ放り込まれた。

 最後の生存者たちはMSパイロットとなったものの、いかにもイズナリオ公の好みそうな風貌だと下世話な視線がそこかしこから飛んでくる。ご主人様にはいい思いをさせてもらっただろうと。お前が誘ったんじゃないのかとまで。顔や体を値踏みして言いたい放題言ったあとには『被害者面をするな』『恥知らずめ』『お前の外見が悪い』と続けるのだ。

 彼らに悪意はない。暴言であるという自覚もない。ただのくだらない閑談(ゴシップ)だ。出自の賤しさという〈罪〉を抱えたままギャラルホルンに足を踏み入れた犬に意思を投げることに、罪悪感などともなわない。

 愛玩動物が意思を持ち、あたかも人間であるかのように言葉をしゃべることが奇異なのだ。ギャラルホルンはそういう秩序(カースト)によって支配されている。

 

 そんな暗闇の底から救い出してくれたのが彼女だった。

 

『我らの主人は今もカルタ・イシュー様ただひとり!』

 

 出自よりも実力を見てくれた、この世界でたったひとりの女主人。

 

 胸を張りなさいとカルタは命じた。式典での展示飛行を見せる地球外縁軌道統制統合艦隊ならばこそ、洗練された姿かたちもまた得難い資質のひとつだろうと。セブンスターズ第一席イシュー家の誇り高き一人娘カルタ・イシュー一佐の親衛隊として何人(なんぴと)にも馬鹿にさせはしないと。

 

 彼女によって見出されるまで、容姿端麗であることは搾取の記号であった。それさえ『美』というシンプルな価値にしてくれた。文武両道。才色兼備。恥辱にまみれた過去の上に、カルタ・イシューは誇りを与えてくれた。

 心ない言葉が降り注いでも彼女ひとりで受け止め、女だてらにと揶揄されても意に介さず、わたしは花嫁にも妻にも母にもならないと肩で風を切って歩いた女傑。閑職に追いやられてなお第一席の誇り高き一人娘としての矜持を抱き、眉ひとつ動かさなかった。任務のたび月外縁軌道統合艦隊に先回りされても。役目を全うしようと忍耐に徹していた。

 病に伏す父君オルセー・イシュー公の名誉のため、地球外縁軌道統制統合艦隊に所属する地球外縁軌道統制統合艦隊家族の団欒のために、カルタ・イシューは孤独に戦い続けた。

 

 しかしセブンスターズの老人たちが彼女を軽んじるほどに、これ以上プライドを傷つけられまいと抗うようになっていった。父君のため部下のため、耐えるしかできない日々は厳しかったのだろう。耐えれば耐えるほどに増長し、イシュー家の名を蔑ろにし続ける七星会議のありさまに、耐えかねたに違いない。

 いつしか彼女もまた、かつては忌み嫌っていた特権を振り翳し、腐敗した支配者たちと同じ土俵で戦うことを選んでしまった。

 イシュー家を守るために後見人イズナリオ・ファリドを裏切ることのできなかったカルタ・イシュー一佐は、雪原で戦死した。

 剥がれ落ちてしまった彼女の理想も、潔癖ゆえに抱えた二律背反も、すべて承知で彼女を陥れた男——マクギリス・ファリド。

 あの男もまた願ったのだろう。最期まで自由には生きられなかったカルタ・イシューが心のまま、高潔なままいられたならばと。

 

『カルタ様を穢したこの世界への復讐が、もしも叶うのなら……ッ』

 

〈グレイズシルト〉がハルバードを高く掲げる。二機、三機と後に続く。

 この楽園を統べる大人の靴を舐めなければ出世は叶わず、地位を奪われ、命すら——。そんな世界でも生き延びたいのなら立ち上がって殺されるより、うずくまって耐えることが()()な判断だった。

 組織には変えられないルールというものがある。個の力ではどうしようもないことであふれている。生まれには貴賎がある。命の価値は血統で決まる。そうした数多の理不尽を黙って呑み込むことを『大人になる』と呼んできた。

 これが現実だ、大人になれ——と自分自身に嘘をついて、保身という浅知恵に魂を汚してきた。

 

 だからこうもまぶしいのだろう。何色にも染まらない悪魔(ガンダム)の精彩が。

 

 生け贄の館であったモンターク邸の『真実』は暴かれ、貴族主義による孤児の商品化が白日のもとにさらされた。

 この世界の〈法〉と〈秩序〉に基づけば犠牲者側の『恥』でしかない過去も、(フェンリル)の花嫁が導く未来では搾取者側の『罪』になるという。ならばみずから彼女に牙を剥くことで加害者(ギャラルホルン)に忠誠を示せと命じられた。

 これは踏み絵だ。

 本作戦では養子やコロニー出身者、地球外縁軌道統制統合艦隊の生き残りが起用され、前線へと逐次投入されている。自由平等など望みませんと意思表示してみせよとの命令だ。この世界に適応し、順応しますからどうか生きることを赦してくださいと媚びへつらい、みずから奴隷の足枷をはめる。それができないパイロットは味方に背中から撃たれる。生き残っても帰れる場所などありはしない。

 だがもし、もしもアルミリア・ファリドが生き残れば。

 我々は肉ではない。〈法〉と〈秩序〉に踏み躙られることを運命づけられた消耗品ではないのだと、ギャラルホルンが定めた不条理にふたたび叛旗を翻すことができるだろう。

 マクギリス・ファリドが力を示すまで、この世界は変えられないものだと誰もが諦めていた。彼が敗れたときでさえ、愚かな男だったと目を逸らした。〈マクギリス・ファリド事件〉の戦犯として貶められた彼の願いは、ギャラルホルンという強大なる権力の前には風前の灯火にすぎなかったのだ。

 力に固執した人間の愚かな末路。それが逆賊の亡骸に貼り付けられたレッテルだった。

 

 あんなふうに潔く抗えたならばと、己の弱さを恥じた。

 

 自由平等などという見果てぬ夢を追いかけ、燃え尽きた最期を笑って忘れてしまっては、この世界は何も変わらない。肉は肉のまま、地面は地面のまま、未来を削り落としていくばかりだろう。

 七年ごしに革命が遂げられるのなら、今度こそ、立ち上がる覚悟がある。

 今や賞味期限切れのこの命、ただの一度も喰われるためにあったことなどないのだと。

 

『我ら、地球外縁軌道統制統合艦隊ッ!』

 

 ぴしりと重なった呼び声に答えるように、ずるりと一隻の戦艦が、アリアンロッド艦隊を抜け出すように突出した。何の前触れもなく加速しだしたハーフビーク級戦艦の機影に、ヒルメがひとり身構える。

 しかし周囲の〈グレイズシルト〉は敬礼でもするかのようにハルバードを掲げて微動だにしない。

 コンソールパネルを叩き、エイハブ・ウェーブの固有周波数を表示させる。

『これは……』と、ヒルメは思わず言葉を失った。

 

 

〈ヴァナディース〉——既に売却されたはずのカルタ・イシューの座乗艦だ。

 

 

 そのさらに後ろから、ダインスレイヴ隊を轢き潰すようにしてハーフビーク級が続いてくる。

 エイハブ・ウェーブの固有周波数は同じく売却済だったはずのクジャン家の戦艦〈フラペンシュマル〉だと語る。

 

『苦節七年! 我らクジャン家忠臣一同がようやく探し当て、取り戻した、これは形見の品!』

 

『若様は心優しいお方。ラスタル様を慕っておられた。よもや復讐など考えなされますまい。……だが、それとこれとは別の問題ッ!!』

 

『敵の敵は味方とはよく申したものです。我らは一族郎党女子供に至るまで、みなクジャン家に忠誠を誓った身!』

 

 涙混じりの雄叫びが、彼らの厚い忠誠心を物語る。

 クジャン家最後の当主イオク・クジャンは正義感が強く純朴な青年で、溌剌として分け隔てなく、部下や使用人の子供とふれあうことも多くあった。幼子たちもみな若様、若様とイオクを慕ったものだ。庭師の娘が編んだつたない花冠を黒髪に飾り、どうだ、似合うだろう! と胸を張ったクジャン家の太陽。遊び相手のいない子供時代を過ごした背景もあってか、愛されることに長けた少年だった。

 そんな主人が遠征地で戦死したことを感じ取ったのか、愛犬はまるで後を追うようにして息を引き取った。

 悲しみに暮れるクジャン家に追い討ちをかけるように、当主を失ったことで実質上のお取り潰しになると通達があった。ガンダムフレームは解体され売却、首だけ残してどこへ行ってしまったかもわからない。あれよあれよと右往左往しているうちに、何もかも失ってしまった。

 残されたのは後悔だけだ。

 

 見目こそ強くきらびやかなギャラルホルンだが、その実は錆びつき、腐り、ラスタル・エリオンという唯一の柱によってどうにか支えられている惨状である。情報統制によって強大に見せ、傭兵や海賊の力を削いでどうにか体裁を保っているだけだ。ひと押しすれば倒れる砂上の楼閣にすぎない。

 髄まで腐敗していることが明らかであれども、柱が倒れてしまったら今度こそ世界は混迷の闇に投げ出されてしまう。

 現状維持。

 それがラスタル・エリオンの方針だった。

 

 そんな政策に救われている者も数知れない。組織が抱えた不治の病を表層化させることなく秘匿し、地球圏の豊かさを守護しているのは(ラスタル)である。

 ほころびが見え始めた十年前。力任せに権威を回復した七年前。ガエリオ・ボードウィンの活躍がギャラルホルンが統治する世界を救った。

 数多の犠牲の上にも『何もしていない、ただ平和に生きているだけ』と清らかな心で屍肉を喰らえる精神性こそ、エリオン公の治世を支えるロールモデルだ。正統なる血統に生まれ、健全に育ち、正しく運命に導かれるまま誇り高く成長した『英雄』によってしか、今のギャラルホルンは正当化しえない。

 

 現状に問題意識を持つことなく、与えられる教育に疑念を抱かず、プロパガンダを体現するかのように害獣に石を投げる純血の断罪者(ヒーロー)

 

 御曹司らが大義の名のもとに逆賊を粛正するとき、そこに理由や原因がなくとも『正義の鉄槌』ということになる。対等な諍いにはなりえない。殺人には貴賎があり、貴人の行なう治安維持は何にせようつくしいのだ。圧倒的な軍事力が、反骨の気概を削ぎおとす。

 決して覆らないはずだった階級社会は、残酷にも太陽を貶めた。

 主君を失った忠臣に帰るべき家はもはやない。すべてを失って初めて、靴裏の下にべったりと貼り付く無数の腐乱死体に気が付いた。

 

『イオク様、ヨーク様……お元気な姿を拝見できるだけで幸福と思い、若様を真にお支えしなかった我々の懺悔を、どうか……ッ——今度は、我々クジャン家忠臣一同が命を捧ぐ番でございます!』

 

〈グレイズシルト〉の一団が、まるで勝鬨をあげるかのように武器を掲げる。〈フランペンシュマル〉が方向転換してみせたことで、ヒルメは彼らの目的を察した。押し流されそうになりながら、加速しだす戦艦に取り付いてどうにか姿勢を維持する。

 

『うそだろ……特攻……っ!?』

 

 おぞましい予感を肯定するように、ワタリガラスの紋章を抹消された〈フランペンシュマル〉は愛する主君の名を叫びながら、アリアンロッド艦隊旗艦へと突進する。

 絶対安全圏に告ぐ。これは同士討ちではない、決意表明であると。

 

『ラスタル様、どうかお聞き届けいただきたい!! 我らの願いも恨みもただひとつ、クジャン家の未来のみとォ————!』

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 戦場はここだけではない。この世界のあちこちで、いろいろな人が戦っているのだろう。

 火星連合議長クーデリア・藍那・バーンスタインの演説。各経済圏の意思表明、質疑応答。街頭デモで声を張り上げる若者たち、労働者たち、女性たち——〈ヴァナルガンド〉のモニタでは映しきれない世界各地で、戦いは続いている。犠牲も増え続けているはずだ。

 艦長席に座すだけのアルミリアは、彼らに手を差し伸べることができない。

 過去の所業を暴露したことでギャラルホルンの権威はふたたび失墜し、人々は不安に陥っている。この地獄絵図はアルミリアが作ったものだ。

 今のままでいいのかと、本当にこれでいいのかと、世界に向けて問いかけたせいで世界は混沌に焼かれている。

 

 

 ——知らないほうがしあわせだということもある。みずから考えず、定められた規範に従うことで人類は安寧を手に入れられる。

 

 

 耳の奥に蘇るラスタル・エリオン公の言葉が、いつにも増して重く感じられた。

 ここからは見えないモニタの向こう、もっと遠い世界のどこかでは、家族の暴虐を暴かれた子供が泣いているのだろう。何も知らず、パパは何か悪いことをしたの、と問うのだろう。ママはどうして泣いているのと声をふるわせるのだろう。

 秘匿されてさえいればしあわせな家族のままでいられたのに——と、楽園を踏みつぶされた人々は憤るのだろう。

 正論のナイフを降らせ、アルミリアはたくさんの絆を引きちぎってしまった。

 

 きっと誰も、信じていた人の『裏』の顔なんて見たくはなかったはずなのだ。少女を搾取する父も、子供を差別する兄も。破壊と虐殺を繰り返していた治安維持組織(ギャラルホルン)も、現状を明らかにした少年兵たちを悪者(けもの)扱いして権威を取り戻す支配者も。

 知りたくない。信じたくない。やさしくてあたたかい『表』の顔だけ見ていたかったと、思ってしまう。かつてのアルミリアもそうだった。

 あんなことがなければ——と革命を恨んだこともあった。

 

 ラスタル・エリオンはだから、何も知らなくていいのだと無知を赦してきたのだ。

 

 植民地を搾取しなければ成り立たない豊かさ。労働者に正当な対価を払わないことに慣れきってしまった冷たさ。自分さえよければいいと他者を道具のように使い捨てることに疑問を抱くこともない、人々の無関心。

 そんな停滞した世界では、知性を嫌い、孤独を恐れ、不変を愛し、免罪符を抱きしめる者だけがしあわせに生きていける。

 無知と忘却によって守られた肉食者の楽園。

 だから知恵の実をかじらされて食あたりを起こしてしまう。

 

「わたし、とってもひどいことをしたわ。もしも同じ場所(ヘルヘイム)へ堕ちて、また会えたのなら……マッキーはわたしを責めてくれる?」

 

 それとも見放してしまうかしら。虚空に問いかけるアルミリアに答える声は、マクギリスではない。

 

 ——さあ? ……あの世で怒ってりゃいいなって思ってますけどね。おれは。

 

 いつかのライドの言葉である。モンターク商会の少年傭兵部隊〈マーナガルム隊〉を率いる彼は、誰かの言葉を上書きするようなことは決して言わない。そういうところが居心地がよかった。

 夢でいいからあのひとに会いたいと願う夜をいくつも越えてきたけれど、たとえ夢で会えたとしても、都合のいいまぼろしを創り出してしまう自分自身が赦せない。

 

 マッキー。

 

 子供のころのように呼ぶ。思いを馳せる。七年前の彼はどのように、この艦長席に座したのだろうかと。

 両膝がもぞもぞと落ち着かず、アルミリアは所在なげにオリガミの花をもてあそんだ。慣れないパイロット用のノーマルスーツは、矢面に立って戦うこともできないアルミリアには不似合いだ。

 花嫁になるために生まれ、育てられてきたアルミリアが受けた教育といえばワルツやピアノくらいのものである。そのウィンナワルツだって、夫と踊れたことは一度もない。手をつないでいるだけで釣り合わないとくすくす笑われ、父にも無理はするなと微笑ましげに止められた。

 妹として生まれてしまった以上、士官学校になんて当然入れてもらえない。パイロットなんてもってのほかと両親に反対されてしまう。

 カサブランカを摘んで花束を作っていたころだって、種を蒔くことも、花を咲かせることもアルミリアにはさせられないとやんわり拒絶されていた。

 百合を象ったはずの紫色の造花は、紙を折り畳んでできていて、かぐわしく香ることはない。まるでボードウィン家のヴァイオレットに染まってしまったアルミリアのようだと、自傷のようにくちびるを微笑ませる。

 

 ファリド家のハーフビーク級戦艦〈ヴァナルガンド〉のブリッジに、その中央に、アルミリアは到底ふさわしくないだろう。ここは艦隊の指揮をとる『艦長』のための椅子なのだから。ファリド家の従者の血筋に生まれ、士官学校を主席で卒業して、一般の部隊に配属されて経験を積んでファリド家の艦長にふさわしいと認められてようやく座ることが赦される。

 権力を振り回し、生まれ得た財力を使って〈マーナガルム隊〉を雇ったアルミリア・ボードウィンには不相応な玉座だ。

 

 月面基地への旅で、ビスコー級クルーザー〈セイズ〉の艦長席にはライドたちが交代で座っていた。航行の指示をだし、火器管制、MS(モビルスーツ)隊の作戦指揮に海賊との交渉まで、彼らはすんなりこなしてしまう。

 アルミリアが紅茶を淹れる練習をしていた幼い時間をすべて使って、彼らは戦闘技能を磨いてきたのだ。

 望む望まぬではなく周囲が決めたルールによって、そうさせられていただけだけれど、それでも彼らは彼ら自身が持てる力を愛している。宇宙ネズミと蔑まれても、阿頼耶識システムによってMSを駆る自由を誇りに思っている。

 そのように教えてくれた男がいるという。鉄華団団長、オルガ・イツカ。彼らにとっては父であり母であり、死に場所であったのだそうだ。

 命をかけるに値する目標を持てたおれたちは幸運だとでも言いたげに少年兵たちは笑う。

 

 それなら、アルミリアだってしあわせだ。

 最愛の夫は妻をひとりぼっちにするひどい男だったけれど、アルミリアには彼以外のすべてを遺してくれた。

 書籍も、財産も、ボードウィン家という帰る家も。もしも未来を探しに旅立つのなら、モンターク商会のお屋敷を。アルミリアがいつか遠い未来でしあわせだったと思えるように、道を照らしてくれていた。

 本当は、ふたり一緒に笑っていられる日々だけあれば何もいらなかった。しあわせな花嫁になりたかった。母上がそう教えてくれたように、参列者に祝福されて永遠を誓う花嫁に。妻となり母となって、一緒に老いていきたかった。

 与えられた教育は洗脳と同義であったかもしれないけれど、アルミリアがそうありたいと願う姿は今も変わらない。生まれてきてよかったと思えるだけの愛情を家族から注がれてきた。

 血統書付きの淑女として産み落とされ、愛する男と婚約をした。〈ヴィーンゴールヴ〉では異例の幸運だろう。政略結婚が常態化し、女性は政治の道具でしかない。

 差別と搾取で塗り固められた楽園で、アルミリアは、淑女には与えられるはずのなかった未来を手にした。

 

 アルミリアのしあわせを壊したのは夫ではない。

 ギャラルホルンが決めた運命(カースト)だ。

 

 アルミリアが子供であることは恩赦を乞うべき『罪』なのに、結婚を決めた大人が責められることはない。マクギリスが養子であったことを『恥』と笑うくせに、彼を貶めた養父が咎められることもない。

 悔しくて両手を握れば、オリガミの花がよれる。

 

「わたしが一番赦せないのは、わたし自身だわ……罪を罪と知らなかったわたしは、あなたに償うこともできなかったの」

 

 夫の謀反を知らされても、志まで理解できなかった子供のころ、どうしてアルミリア・ファリドは彼の理解者たりえるレディではなかったのだろう。

 

「無知だったわたしが赦せない、お兄様が赦せない、お父様もイズナリオ様もラスタル様も、みんなみんな赦せない……!」

 

 お兄様が羨ましい。妬ましい。幼馴染みであり親友であり、仕事の同僚でもあった兄なら理解者たりえたはずだ。なのになぜ考えてくれなかった? 兄はどうして、二十年もの長い間マクギリス・ファリドを苦しめてきた体制を支持して、犠牲の上の楽園を守ろうとしてしまったのだろう。友であったのならどうして、命も尊厳も何もかも奪い尽くしてしまったのだろう。

〈法〉と〈秩序〉の番人であるならば、対価を支払おうとしない経営者に何か言うことがあるはずだ。声をあげる労働者を焼き払うのではなく、誰よりも彼らを人ととして対等に扱うべきだった。少年たちを髪や肌やひとみの色で選別するより先に、今日食べるパンを手に入れるために危険な手術に臨んだ子供たちを『宇宙ネズミ』と蔑む前に、やるべきことがあったはずだ。

 脚が不自由なら車いすを、義足を、あるいは無重力環境を。目が不自由ならメガネを、杖を、音声による補助を。人が人らしく、幸福を求めるための選択肢が実現されてこそ世界は『公正』であれるのだろう。テクノロジーによる補助を配備するのは行政の役目だ。

 彼はギャラルホルンを裏切ってなんていない。奪われるばかりの過酷な少年時代を経て、それでも少年のように純朴に、すべての人が『機会』を逸しない、アグニカ・カイエルの理想の実現を願っていた。

 アルミリアはだから、無知蒙昧ゆえに彼の心を見つめることができなかった過去を憎む。

 マクギリス・ファリドが願った未来の世界でなら、ふたり一緒にしあわせになれたかもしれない。あのとき革命に『裏切り』だなんてレッテルを貼ったギャラルホルンの報道を鵜呑みになんてしなければ、彼に寄り添うことができたかもしれない。

 

 ——みずからの罪を暴かれるのが怖いか?

 

 そんなの誰だって怖い。罪と向き合うのは苦しい。清廉潔白でありたいという願望は誰しも少なからず持っているものだろう。だから今ある自分自身を正義にするために、言い訳を重ね、弁明をして、正当化しようとしてしまうのだろう。間違っていないと確信したい一心で他者を蹴落とそうとする。

 両腕には免罪符を抱きしめて、両足は犠牲者たちを踏みにじる。

 

 そんな卑怯な〈法〉と〈秩序〉に守られ、アルミリア・ボードウィンは生きてきた。

 

 悔しさ、情けなさに涙があふれて止まらなくて、両手のひらで顔を覆う。紫色のオリガミに、しずくが触れてにじんでいく。罪が洗い流されることはない。

 あの〈ガンダム・バエル〉の白い翼で宇宙(そら)へ飛び立つことはできない。

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 MSデッキがせり上がり、帰投してきた首のない〈ガンダム・アウナスブランカ〉が整備用ドックに到達する。機体が固定されるよりも早く、ライドはコクピットハッチを開いた。

 白いノーマルスーツの少年がキャットウォークで大きく手を振り、こっちだとライドを呼ぶ。

 無重力を泳ぎだせば、追いつくように合流した錦鯉がドリンクボトルをふわりと差し出す。片手でキャッチするとライドは「ありがとな」と短く礼を述べた。

 三人、四人と次々にライドの周りに集まってくる。川の流れに誘導されて格納庫にたどりつけば、カズマが振り向いた。

〈マーナガルム隊〉のメカニック、実質的な整備長だ。背中に阿頼耶識はないが気の置けない元鉄華団の仲間であり、整備の腕も抜群にいい。

 軽く手を挙げればゆるくカールのかかった黒髪が無重力に揺れる。

 

「バエルの改修、どうにか間に合ったよ。〈ガルム小隊〉の整備クルーがよく働いてくれた」

 

「そうか……! お前らよくやった!」

 

 手近な子犬たちを両腕でかきあつめるように肩を組んで抱きしめる。ぐりぐりと頭を順番に撫でると、おれもおれもと群がるように飛び込んでくる。

 非戦闘員まで薬漬けにされて連れて行かれてしまったと早とちりしてしまったが、ギリアムはちゃんとメカニックやオペレーターを『戦力』として数えていたらしい。こいつらは戦意を認められ、今できる限りの仕事をしてくれている。無事だったこと、頑張ってくれていることに熱いものがこみあげる。

 

「遠慮なく褒めてやっちゃって。こいつら、MW(モビルワーカー)で〈ヴァナルガンド〉の主砲外して持ってくるなんて無茶やらかしてるんだから」

 

「久しぶりだったから、ちょっと手間取ったけど……でもちゃんと使えるから!」と予備パイロットだった少年がライドを見上げる。

 

 ヒューマンデブリだったころに海賊船でやらされていた仕事なのだろう。戦艦そのものよりも分解し、バラ売りしたほうが買い手がつきやすく、足はつきにくい。

 だがナノラミネートアーマーもないMWで外に出るなんて、まったく無茶なことをしでかしてくれる。ドンパチやっている真っ最中で、それでなくともここはデブリが多く浮遊する〈ルーナ・ドロップ〉のすぐそばだ。トロウが直援について守ってくれていたとはいえ、外は危険まみれだったろうに。

 

「ああ、ありがとうな。よく頑張ってくれた」

 

 彼らが力を尽くして強化した〈ガンダム・バエル〉を見上げると、ライドはおもむろにヘルメットを取った。癖の強い赤毛がやっと開放されて、汗の粒がきらきらと重たいグレーの闇に散る。

 

「抜かれてたコクピットは『アル』から移植してある。武装はデッドウエイト承知で船にあるだけ積ませてもらったよ。バエルのシステムは謎が多くて、固有の装備がどうなってるかわからないから外付けの武器だけでも戦えるように調整させてもらった。見かけによらずスラスター出力がエグいから重量に関しては心配いらない。残弾が尽きた武装からガンガン放棄(パージ)してってくれていい。引き継がせたブランカとアルフレッドのセッティングがどう反映されてるか不安は残るけど——、阿頼耶識の動作は正常(オールクリア)

 

 艦のブリッジはカズマに代わり、今はアルミリアが預かっている。……夫マクギリス・ファリドの最期はこの〈ヴァナルガンド〉による特攻だったらしいから、馳せる思いもあるのだろう。艦長席は明け渡し、雇用主から直々の依頼を受けてカズマはアルフレッドこと〈グリムゲルデ・ヴァンプ〉1号機からコクピットブロックを移植する作業に取りかかった。

 エンビが使っていたヴァルキュリアソードを二本、〈ヴァナルガンド〉の対艦武装からもらってきた砲身を四本追加して、ガンダムフレーム第一号機〈ガンダム・バエル〉は腰元にオーバーサイズの黒い翼を二対生やしたような装備になった。

 もともとの白い翼とあいまって、六枚羽の堕天使のような外観である。

 

「〈ガンダム・バエルフルアーマー〉。バエルの恩寵(ハンニバル)でどうだ?」

 

 カズマが片目をつぶってみせる。親指をたててみせる愛嬌とは裏腹に、手のひらに食い込む四指には切実さがにじむ。

 これで最後なら、残っていた装備をすべてライドに賭ける。全力を尽くした結果でさえ完全ではないかもしれないという不安はあるが、それでも今あるすべてを出し切った。

 単騎で艦隊に挑んだマクギリス・ファリドや、死闘の末にMAを撃破した三日月・オーガスほどの戦闘力はライドにはない。彼らほどの実力者は、もうこの世界のどこにもいない。〈ヒューマンデブリ廃止条約〉締結をきっかけに海賊、傭兵、ギャラルホルン兵士でさえ劣化の一途をたどっている。

 世界の流れに逆らえるほどの力は、お姫様に雇われた少年傭兵部隊にすぎない〈マーナガルム隊〉にはなかった。

 

 ああと頷いたライドは、挑戦的に笑む。

〈ガンダム・バエルフルアーマー〉。——ライドを取り巻く少年たちが必死にかき集めてくれた力が、この一機に詰め込まれた。

 

「……〈ハンニバル〉か。悪くねえな」

 

 やおら喉元のファスナーに手をかける。ギャラルホルンの一般兵と同じ仕様のパイロットスーツでは、阿頼耶識につなぐことができないのだ。インナーも脱いで上半身をさらす。汗ばんだ赤毛が低い重力に揺れる。余った袖は腰もとで縛り付けた。

 コクピットへ飛び込み、阿頼耶識システムに接続する。どくりと膨大な情報量がライドを襲う。全身を熱い血がどくどくとめぐりはじめ、バエルの赤い双眸が輝いた。

 見送るように手を振って、くちびるを噛み締めた少年たちは帰ってきてくれと叫びだしたい声を噛み潰す。

 

 無数の願いをすべて背負って、ライドは前へ進む。カタパルトハッチへ降りれば、ブランカのビーム放射器が既に用意されている。整備済みだ。ライドが機体を乗り換えていたほんの短い時間でやってくれていたらしい。

 帰ってきて礼を言わなきゃな。苦笑する。おかげでますます死ねなくなった。

 

『コントロールはそちらにあります。行ってください!』

 

 お姫様の激励がブリッジから届く。凛と強く張られた声ににじんでいた涙は、阿頼耶識がなければ感じとることができなかったに違いない。

 それが今ここで果たすべき責任だとして、アルミリア・ボードウィンは泣かない。

 ああとうなずく。息を吐く。剥き出しの両腕で操縦桿を強く押し出す。

 

『ライド・マッス! 〈ハンニバル〉出る!』




【登場メカニック】

■フラペンシュマル
 クジャン家のハーフビーク級戦艦。かつてはフギンとムニンの紋章が描かれていた。フラペンシュマル(Hrafnsmál)は『大鴉の言葉』の意で、大部分が名もないヴァルキュリアとワタリガラスの対話で構成されたスカルド詩のひとつ。(by Wiki ※発音がわからなかったのでg○○gle先生に読んでもらってカタカナあてました)

※クジャン家、エリオン家、ファリド家の戦艦の名称を捏造しています。情報が出てたらご一報ください。公式の名前に訂正します。

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