MSV. 弾劾のハンニバル《完結》   作:suz.

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024 指針

『〈レギンレイズ・ジュリア〉——ラスタル様のため、出撃します!』

 

 月面基地から女騎士の機体が飛び立つ。青白く吹き上げたガスはMS(モビルスーツ)にあるまじき力強さで迸る。

 さながら碧の彗星だ。ジュリエッタの愛機は機動力増強のためブースターまみれに改良され、ギャラルホルン製MS随一のスラスター出力を誇る。

 

 戦端は既に開かれており、月外縁軌道統合艦隊指揮官ジュリエッタ・ジュリス准将の参戦は遅すぎるくらいだろう。

 真打ちらしく遅れての登場……とでも言えば聞こえはいいが、実情は招かれざる客の闖入にすぎない。

 ジュリエッタはため息を飲み込んで、重力の反動もかまわず戦闘宙域へと急ぐ。

 

(こんな作戦でアルミリア様に死なれるわけには……!)

 

 くちびるを噛む。こんなもの、ただの『出世レース』だ。生まれも身分も関係なく()()()()()()()ことができれば出世がかなう、だから栄誉栄達を望む地球外出身者が駆り立てられるように最前線へと志願した。

 立会人としてアリアンロッド艦隊旗艦〈フリズスギャルヴ〉が出ている。

 こんなところでアルミリアを失っては、何のために彼女をガンダムパイロットたちのもとへ返還したのかわからない。秘密裏にリタ・モンタークの遺体を葬送した意味だって。

 

 

 ——ラスタル様。わたしも出撃します。

 

 

 パイロットスーツで敬礼してみせたジュリエッタに、支配者はああと頷いてみせた。

 思い出すのは先刻、月面基地にある執務室での一幕だ。壁一面の大きな窓には、スキップジャック級戦艦〈フリズスギャルヴ〉からの中継が映し出されていた。

 遠目には綿飴(コットン・キャンディ)のようなナノミラーチャフの塊の中から、凶悪な爪楊枝が無数に飛び出してくる。めちゃくちゃにひん曲げられた軌道からして、あの煙の中では今も戦闘が行なわれているのだろう。

 どこへ飛んで行ったかもわからない〈ダインスレイヴ〉がどこぞのコロニーにでも激突したら——と考えるとぞっとしないが、ジュリエッタの心配は禁断の矢の犠牲者たちより、むしろ禁止兵器を平然と運用するアリアンロッドへの反感だ。

 きっとあの〈ヴァナルガンド〉では一部始終を録画しているに違いない。アルミリアが映像を公開すれば、ジュリエッタは全責任をかぶせられて死刑台に送られる。

 女騎士の憂いを知ってか知らずか、ラスタル・エリオンはプレジデントチェアを軋ませ振り返った。

 

 ——もう行くのか、ジュリエッタ。

 

 ゆったりと余裕をもって微笑する。支配者の碧眼に映る戦場は、取るに足らない矮小なものなのだろう。ラスタルにとっては()()()()()()()()()()()月面基地の修繕のほうがずっとずっと重要なのだ。

 この執務室だって月外縁軌道統合(アリアンロッド)艦隊司令のためにあるはずだった。なのに後任司令官であるジュリエッタには引き継がれず、ラスタル・エリオン公の部屋であり続けている。

 彼の威光のもとに悪魔を討ち取って出世したジュリエッタは、この部屋にふさわしくないのだ。出自が悪く、そのうえ女である。MSに乗って前線で戦う以外に何の取り柄もない軽い神輿に、誰も役職なんて与えたくない。仕事なんて任せたくない。本音では出世だってされたくなかっただろう。

 こんな小娘を重要なポストにつけることを、ギャラルホルン上層部を取り仕切る守旧派貴族は快く思っていない。

 

 出自には貴賎があるというカースト意識に基けば、ジュリエッタは生まれが賤しい。出身地はアフリカンユニオン北部だが、そこは貧しい田舎町だった。

 詳しいことは覚えていない。ただそこに横たわる貧困、なぜだか襲ってくる爆発——そういったものに振り回されてばかり、誰も助けてくれなかったことだけぼんやり記憶している。

 いつもお腹をすかせていた子供時代。もっと食べたいと駄々をこねては母親を困らせ、どうして涙ぐまれなければならないのかと悔しい思いをしたものだった。わたしはこんなにお腹がすいているのに。

 我慢しなければならない理由を両親でさえ教えてくれない。

 

 今にして思えば彼らも知らなかったのだろう。市場に並ぶしおれたパンや埃っぽいチーズがどこからきたのかも。食事も寝具も満足に手に入らない冬のどん底で、ジュリエッタには家族がいた。いつもいらいらしていたから近寄りがたくて、もう顔も思い出せない。

 初めて手を差し伸べてくれたのは母でも父でも兄でもない、通りすがりの傭兵だった。

 ジュリエッタが生まれて初めて口にしたあたたかい食べ物は、ひげのおじさまが手渡してくれたホットチョコレート。湯気が目に入って、ぱちくりと目を瞬かせたジュリエッタの目の前で、こうやって冷ますんだと教えてくれた大きな手のぬくもりを忘れない。

 初めて食べたおいしいものは、彼が焼いてくれた動物の肉。みずみずしさにびっくりした。かじりついて頬張って、目を輝かせたジュリエッタを、傭兵はいい食べっぷりだと褒めてくれた。

 彼にマシュマロを焼いてもらうまでお菓子(スイーツ)なんて存在すら知らなかった。甘いものも甘くないものも、すべておじさまが与えてくれた。

 

 お腹いっぱいごはんを食べて、弾薬を数え、武芸を教わり、大きないびきを子守唄にぐっすりと眠るようになった少女時代。

 

 ジュリエッタはしあわせだった。

 

 ガラン・モッサという偽名とともに散った彼が、たとえどんな悪人であったとしても、ジュリエッタの中の幸福な記憶はすべて彼がくれたものだ。MSに乗ることを教え、兵士候補生としてラスタル・エリオンに推薦してくれたから、幸運にもギャラルホルンの制服に袖を通している。

 

 ギャラルホルンの貴族たちが生を受けた瞬間から地位と権力を継承するように、貧困と無知もまた、命とともに受け継がれる。再生産され続ける。貧しさだけが根付く場所に教育はなく、医療も福祉もない。就職の際にも差別され、低賃金で危険な仕事に従事するしかない。

 火星やコロニーといった経済的に不利な立場からも成り上がってくる将兵はいたが——アイン・ダルトン、石動・カミーチェ、旧姓『モンターク』のブロンドたち——、みな実父なり養父なりがギャラルホルンの高官だ。

 父権にハシゴを架けてもらってようやく、その実力を発揮してもいい立場になれる。

 生まれが悪いから、出自に問題があるから、権力を持つ者に『依怙贔屓』してもらわなければ、どんな可能性も持ち腐れてしまう。

 

 一方で、セブンスターズは生まれたときから死ぬまで豊かだ。

 ヴィーンゴールヴで純血の子として生まれた男は、有能であれ無能であれ、いずれは七星会議に名を連ねる。そういう運命と決まっているのだ。厄祭戦を戦った七十二人の英雄の血を継ぐ者として、支配者の椅子に座る。

 傭兵になる必要はない。非合法な手段で生活費を稼ぐ必要もない。武官になっても、行なうのは『治安維持』だ。どんな暴力も彼らが行使するだけで『正義の鉄槌』になる。

 免罪符によって守られ続けるセブンスターズの御曹司を裁く法は存在しない。いかなる場合にも秩序は彼らを赦し、清廉潔白なる子女らを弾劾する不届き者が現れてはならない。引退後の生活だってガエリオ・ボードウィンのようにすべてが保障されている。

 

 ——ジュリエッタ、お前は強い。

 

 語り聞かせるようにラスタルは目を細める。ひげのおじさまも、ときどきこうして懐かしむようにジュリエッタを見つめた。

 

 ——わたしは、強くなど……。

 

 ——人はみな弱い。そして凡庸だ。お前にはまだ難しいかもしれんがな……。誰もみな変化を嫌い、孤立を恐れ、それでいて正義でありたがる。人類とはそういうものだ。

 

 ——ラスタル様……?

 

 ——犯した過ちを認め、受け入れるには強い心が必要だ。〈革命の乙女〉は善意というものの残虐性がわからないらしい。勇気というものの希少性も。

 

 ふうと重くため息を落とすラスタルの目にうつるのは、失望とは似て非なる感傷だった。彼の言葉の持つ大きすぎる意味が、今のジュリエッタにはわかる。

 政治とは、支持層からの賛同を得られなければはじまらない。弱者の肩を持ったところで予算は降って湧いてはこないのだ。

 セブンスターズの解体がわかりやすい例だろう。これまで七星会議によってのみ下されていた決議に、参加できる人数が増えた。参政権を欲しがっていた貴族たちはラスタルを支持し、反対したのはネモ・バクラザンとエレク・ファルクのたったふたり。多数決に押し切られ、ギャラルホルンはより民主的な組織になった。

 七つきりの椅子をめぐって蹴落としあうことはもうない。

 

 血統第一主義に叛旗を翻し、自由平等を求めた〈マクギリス・ファリド事件〉の終結を純血の英雄ガエリオ・ボードウィンと民間出身の女騎士ジュリエッタ・ジュリスが預かったことも、出自の貴と賎を併せ持つことを印象付ける世間体政治(リスペクタビリティ・ポリティクス)の一端だった。

 最前線を下層民どもで賄えることになった保守派貴族たちは、安全が確保されたと安堵し、ラスタルを褒めそやす。改革派も、出世のハシゴは降ろされたのならと譲歩を見せた。

 下賎な猿どもを黙らせた素晴らしい指導者に敬意を評し、ギャラルホルンの上層部にはびこる血統主義者たちは喜んで予算会議を通すだろう。

 

 今だって出世の引き金を求めて多くの兵士たちが最前線へと向かった。何を守るためでもない、ただギャラルホルンが定めた『生まれの悪さ』というカーストを受け入れ、みずから望んで最も危険な場所へと赴く。

 出撃理由が単なる出世レースでは都合が悪いから、ラスタル・エリオンは月面基地を破壊することで戦う理由を自作自演してみせた。

 モンターク商会に雇われてみせ、アルミリア・ボードウィン嬢を裏切って破壊工作に勤しんだテロリスト集団の断罪のため、治安維持組織は兵力を差し向ける……という筋書きである。

 

 そんな出来レースでさえ圏外圏出身者が乗せられるのは何の変哲もない〈グレイズ〉だ。

 ナノラミネートアーマーの前には豆鉄砲でしかないマシンガンだけ与えられ、狼の群れの中へ放り込まれる生け贄の羊たち。退路はアリアンロッド艦隊に塞がれて、ガンダムのパイロット——鉄華団の生き残り——の前に散っていくのだろう。

 首狩りに特化した〈グレイズエルンテ〉ならまだしも、ただの〈グレイズ〉の機動力では太刀打ちできない。

 ガンダムの脇を固める三機連隊のヴァルキュリアフレームには阿頼耶識システムが搭載されており、それぞれ異なる可変機構を有している。かつて〈ガンダム・バルバトスルプスレクス〉と戦ったとき、対MSの制圧戦しか想定していなかった〈グレイズシルト〉は次々あの尻尾にやられたのだ。

 前例に学ぶこともできず可変機と戦わされる供物たちが哀れでしかない。

 こんな無意味な戦いに巻き込まれてアルミリアが落命したとしても、事故死として処理されてしまう。

 早く戦闘を終わらせ、彼女を連れ戻さなければならない。

 

 ——期待しているぞ、ジュリエッタ。

 

 ——はい。……お任せください、ラスタル様。

 

 ジュリエッタに科せられた使命はハーフビーク級戦艦〈ヴァナルガンド〉の回収と、アルミリア・ボードウィン嬢の保護だ。いっそ悲しくなってくる。〈法〉と〈秩序〉の番人であるギャラルホルン、その最強最大の艦隊アリアンロッドが、悪魔狩りのためだけに、こんな略奪じみた作戦を決行しているだなんて。

 

 急がなければと苛立つ足でペダルを踏み込む。戦場に追いついたところで歓迎されないことは重々承知だ。既に『准将』にまで出世しているジュリエッタにトロフィーは譲りたくないだろう。

 見渡す限り敵ばかりだ。

 それでもジュリエッタはこの世界の円滑なる歯車にすぎず、命令に背く権利を持たない。

 

(わたしは弱い。わたしは……自分がいやになるほど弱い!!)

 

 せっかく鳥籠から解き放ったはずの希望を、また閉じ込めなければならない。

 これが内通者としてアルミリアに与した代償なのか。いや、ジュリエッタもまた、変化を恐れ、受容と承認を求める有象無象のひとかけらにすぎない。

 そんな弱い心を支える柱こそラスタル・エリオン公なのだ。

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 見送りを終えた〈ヴァナルガンド〉のブリッジに、もはや人影はない。ビスコー級クルーザー〈セイズ〉を前線に投入するという無謀な作戦のせいで、母艦に残ったのは非戦闘員ばかりである。

 船体上部では睨みを利かせるトロウのチャールズ——〈グリムゲルデ・ヴァンプ〉3号機を直援に残して実働1番組〈ハーティ小隊〉は全員出払ってしまったし、3、4、5番組で編成された〈ウルヴヘズナル混成小隊〉も実働2番組〈ガルム小隊〉が率いてすべて連れて行ってしまった。

 残るMSはパイロット不在の〈グリムゲルデ・ヴァンプ〉1号機、〈ガンダム・バエル〉。

 これが最後になるだろう出撃を目前に、〈ガンダム・アウナスブランカ〉の搭乗者が軽く伸びをした。

 相変わらず似合いもしないギャラルホルンのパイロットスーツ、赤みの強い癖毛が揺れる。

 

「おれも出る。カズマ、船のことは任せてもいいか?」

 

「よしきた任せろ……って、言わなきゃだめか、やっぱり」

 

 がらんどうのブリッジで、カズマが所在なげに肩をすくめる。いくら最年長で、比較的古株だとしても、カズマはメカニックだ。ライドの代わりに艦長席に座るなんて、何とも居心地が悪い。

 ハーフビーク級戦艦だけあってオペレーター席はざっと二十ほど作られているのに、誰もいないというのはなかなかに不気味である。

 スペックとしては戦闘艦だが、今の〈ヴァナルガンド〉は非戦闘員ばかりを残している。依頼主アルミリア・ボードウィン嬢に、金髪の美少年たち、それから医師や整備士たち。医務室の怪我人(エンビ)はまだ目覚めない。

 あくまで自衛のためにしか発砲は行なわず、後方で守られていることが仕事だ。

 前線に出ないとはいえ〈ダインスレイヴ〉に狙われる可能性は充分にある。最深部の気密エリアならまだしもブリッジは、当たりどころが悪ければ命の保障はない。

 しゃーねーか、と独り言ちる。カズマだって元鉄華団団員だ、一度死んだときに腹は括っている。こうなってはライドを送り出すくらいしかできることもない。

 

「戻ってこいよ。必ず」

 

「ああ、わかってる」

 

「頼むよ。お前が守ってくれなきゃ、メカニックはお前を助けられないんだからな」

 

 カズマが突き出した拳をこつりと軽く殴りつけ、ライドはああと屈託なく笑んだ。どこか懐かしい少年の笑顔だ。鉄華団のころ、まだ快活だったころのライド・マッスの面影が浮かんで消える。

 胸の奥から去来する郷愁を零してしまわないように、カズマは拳を握りしめる。

 

(ライド……お前はずっと『光』を目指して進んできた。それが『前』かどうかはわからないけど、それでもおれは、お前の選択は間違ってなかったと思うんだ)

 

 成長し、そしてブリッジを出たライドは格納庫へ、そして愛機へとたどり着く。

 右肩には盲目の狼、左肩には稲妻のシンボルをそれぞれ描いた白い悪魔。〈マクギリス・ファリド事件〉を受けてファリド家がお取り潰しとなり、売却された曰く付きのガンダムフレームだ。かつてバルバトスと死闘を繰り広げたMA(モビルアーマー)ハシュマルのビーム兵器を受け継いでいる。

 狼の魂が息づく世界に残された光のMS(ガンダム)

 

『〈ガンダム・アウナスブランカ〉——出撃する!』


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