MSV. 弾劾のハンニバル《完結》   作:suz.

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023 不退転

 ロディフレームの一団が先陣を切って加速する。

 それをビスコー級クルーザー〈セイズ〉が追う。爆ぜる砲火、スラスターの光線が青白く軌跡を描く。脆弱な船体に取り付こうと接近した〈グレイズ〉が腹を撃たれて昏倒した。

 宇宙空間に黒く溶け込むような〈グリムゲルデ・ヴァンプ〉2号機の砲弾は、弱腰に攻撃してくる〈グレイズ〉を撃ち据えては退けていく。

 ヴァルキュリアライフルにコクピットブロックを撃ち貫くほどの威力はなくとも、メインカメラを砕けば動きは止まる。撃墜よりも破損、損傷を狙ったほうが今回ばかりは好都合だろう。近づいてくるMS(モビルスーツ)を無力化して転がしておけばいい。

 船体上部に機体を固定したヒルメは常のスナイパーライフル、ワイヤーアンカーに加えてハンドガンをひとつ借り受けてきた。1号機の――エンビの武器だ。

 

(借してくれよ、お前の力を!)

 

 狙撃に適したひとみは灰色(グレー)、次いで(ブルー)だという口伝の通り〈ハーティ小隊〉における火器の取り扱いはエンビ、イーサンが抜きん出ている。

 そんなことは百も承知だ、無い物ねだりをしたってしょうがない。

 

 そのために千里眼形態(ガンカメラモード)がある。

 

 ヒルメはダークブラウンのひとみを眇め、スコープごしに目を凝らす。射撃精度こそグレーアイズのエンビに劣るが、広い視野がヒルメの持ち味である。

 防衛ラインを築くのは九〇ミリ汎用マシンガンを装備した〈グレイズ〉ばかり、前回交戦した〈グレイズエルンテ〉の姿は見当たらない。及び腰の量産型など〈ガルム・ロディ〉の敵ではない。〈マン・ロディ〉や〈スピナ・ロディ〉も戦線に加わって、近付く機影を猛烈な勢いで弾き返していく。

 

 ……このまま近接戦闘用のMSが仕掛けてこないなら、戦艦に比べ装甲の薄い〈セイズ〉にとっては好都合だ。ヒルメは細く息を吐き、スコープにいっそう意識を集中させる。

 ビスコー級クルーザーの船体規模はハーフビーク級戦艦の約八分の一に過ぎず、全長五〇メートルと小柄な〈セイズ〉は、総合的な機動力で各戦艦にかなわない。

 だが〈ハーティ小隊〉の操艦手腕があれば、隙間を縫って防衛ラインを越え、奇襲をかけることだって可能だ。

 ギャラルホルンは前々から同士討ちも厭わない組織であったし、ハーフビーク級戦艦の主砲で味方MSもろとも宇宙ネズミを葬り去るくらい、アリアンロッドならやってみせるだろう。

 それなら玉砕覚悟で突っ込んでいって〈ダインスレイヴ〉による友軍誤射(フレンドリー・ファイア)を狙えばいい。

 

 全速前進、敵陣へ最大加速で突き進む。最前線を切り開く〈ガルム小隊〉隊長がサブモニタで叫ぶ。

 

『正面に〈ダインスレイヴ〉隊を肉眼で捕捉ッ! 第一波装填をかくにん!!』

 

 ギリアムの声が甲高くぶれる。リーダーとしての矜持と責任感で塗り固められた堅牢な理性で、少年兵は戦場を駆ける。

 前線指揮官オルガ・イツカのミニチュアを思わせる小さなカリスマ、その左右を支える両翼が展開し、〈ガルム小隊〉が戦闘態勢に入った。突進するMSやランチの群れで作った巨大な楯は、前衛としてマシンガンを構えたらしい。緊迫感がLCSごしにもびりびりと伝わってくる。

 

『来るのか……!』

 

 第一の目的は、扇状の陣形で待ち受けるダインスレイヴ隊の突破と撃破。母艦〈ヴァナルガンド〉を守るには居並ぶ禁断の砲台を一掃する必要がある。射線上を遡るという危険な任務を〈ガルム小隊〉が指揮する。

〈ウルヴヘズナル混成小隊〉の背後で今は守られているだけの〈セイズ〉は、幼い戦士たちの背中しか見ることができない。

 LCSから響いてくる甲高い少年たちの声の中には、ブツブツと火薬に犯された繰り言も混じっている。細く息を呑む無音の悲鳴と慟哭。恐怖に駆られてガチガチと鳴る奥歯の音。怖い、はやく、まだなのかよ——、悲痛な叫びに心が痛む。

〈ダインスレイヴ〉はリアクターめがけて飛んでくるから、再前衛にあたる一列目は敵に背を向ける格好なのだ。

 二列目の〈スピナ・ロディ〉に押し出されながら、〈マン・ロディ〉の短い両腕が取りすがるように抱きついているさまが、ヒルメにも垣間見えた。

 幼い家族の犠牲を受け入れなければ生き残ることさえ難しい現状を変えたくて、ここまできたはずなのに。また彼らに任務と言う名目の殊死を強いてしまう。

 後列の〈ガルム・ロディ〉がハンマーアックス、ブーストハンマーを構える。

 ダインスレイヴ隊との距離約八〇〇、第一波の発射までカウントダウンがはじまる。9、8、7――。

 

『ミサイル放てぇええッ!!』

 

 指揮官が高く吠える。号令から間髪入れず、前列ランチの主砲が迸った。追いかけるようにマシンガンが火を噴く。刹那、ばっと弾けて霧散する。濃霧が宙域をモニタごと染め変え、スクリーンにノイズが走る。

 ナノミラーチャフ。

 古くさい目隠しだが、阿頼耶識使いを手っ取り早く優位にするスモークスクリーンだ。ロディフレームの番犬たちは速度を落とすことなく突っ込んで行く。

 ヒルメの足許で〈セイズ〉が一気に加速をかけた。〈ダインスレイヴ〉発射前に約八〇〇の距離を走り抜け、アリアンロッド艦隊に肉薄する手筈だ。さすがのギャラルホルンだって、まさか戦闘艦でもないビスコー級クルーザーがこんな動きをするなんて思わないだろう。

 視界の悪い煙の中、船体は乱気流になぶられるようにがたがたと跳ね回る。次の瞬間、センサーではなく操艦手ウタの直感が扇状に展開するダインスレイヴ隊をとらえた。

〈マーナガルム隊〉自慢の子犬たちに群がられ、随伴機〈フレック・グレイズ〉が残弾をむしり取られて横転するさまがヒルメにも見えた。

 犠牲をひとつたりとも無駄にしないために、ウタは操縦桿を握りしめる。隔壁はすべて封鎖し、誘爆のリスクも可能な限り断ってきた。

 

(阿頼耶識がなくても、これくらい……っ!!)

 

 奥歯を噛む。噛みしめる。鉄華団で成長してきた〈イサリビ〉クルーとしての意地がある。戦場にいて、前線にいて、それでもブリッジオペレーターは『戦闘員』の頭数には入っていなかった。

 非戦闘員を数多乗せていたからだ。おれたちだって戦えるという矜持を持ちながらも、どうしたって命を守るための存在であらねばならなかった。

 だが今は違う。これは魂を守るための戦いだ。筋を通すために戦っている。

 このままハーフビーク級戦艦が展開する艦隊の隙間をすり抜けて、旗艦〈フリズスギャルヴ〉を直接叩く。

 近接戦闘はMSの専売特許ではないのだ。阿頼耶識がついていなくたって曲芸航行くらいやってみせる。こちら側から接近すれば、アリアンロッド艦隊を相手取って白兵戦だって、あるいは。

 

「よく狙ってよ、イーサンッ!」

 

「当然だ、〈イサリビ〉のトリガーは誰が握ってたと思ってる!」

 

 砲撃手は前だけを見据えてくちびるを舐め、野心的な喉が獣のように低く唸る。

 これは無謀な特攻ではない。巡航船による近接戦闘だ。直援につくヒルメが追いすがってくる〈グレイズ〉を次々撃ち墜としていく。落としきれなかったマシンガンの豆鉄砲を喰らったくらい、どうってことはない。

 どうやったって目的を遂げたいのだから、器なんて道具にして捨てたっていい。

 

「墜ちろ、スキップジャック!!」

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

「タカキ。どうか気をつけて」

 

「はい。おれも負けていられないので」

 

 拡声器を肩から提げ、タカキは和やかにはにかんだ。事務所の外からは喧噪が響いてくる。火星に比べれば格段に治安のいいアーブラウの首都エドモントンですら、迂闊に市街地へ出れば安全は保障されないというありさまだ。

 デモの告知もないのに、市街地のそこかしこで暴動が起きている。生卵の飛来を警戒して雨戸を締めようとした主婦が火炎瓶を投げ込まれて死亡するなど、見過ごせない事態も増えてきた。

 全世界がクーデリアの演説にざわつき、何の罪もない民衆を犯罪者呼ばわりしたと憤っている。

 

 

 ――みずからの手で武器を取り、みずからの責任によってわたしを殺しにおいでなさい!

 

 

 勇敢な彼女の啖呵も、わざわざ火星まで出向かなければ殺せもしないのに、絶対安全圏で何をほざくのかと不満の声があがっている。クリュセのほうがよっぽど危険なのに。ほんの数年前まで無法地帯だった火星には武器の所有に制限がなく、子供が拾い物のナイフや拳銃を隠し持つことだって珍しくない。

 圏外圏は傭兵不足に見舞われると同時に銃火器の普及に歯止めがかけられなくなっており、アーブラウよりも断然危険なのだが、……地球人は火星の現状をよく知らない。

 知るすべがないのだ。遠く離れた異星についての情報が少ないために、火星人という漠然としたイメージが先行してしまう。圏外圏では野蛮人たちが旧石器時代のような暮らしをしている、なんてステレオタイプがあるせいで、誰も彼もが火星といえば原始人を混同してしまったまま、先入観が邪魔をして情報が更新されず、訂正されることなく歳月とともに浸透していく。

 

 それが『偏見』だなんて誰も知らない。みんな『事実』だと思っている。自分が見たもの、経験したこと、これまで読んだ書物に基づいてしか、イメージは膨らませられない。

 

 タカキだって同じで、いまだにバルフォー平原の豊かな緑を物珍しく思ってしまう。肥沃な大地と豊富な水資源に恵まれたアーブラウでは種を蒔かなくても草木は芽生えるものなのかと、雑草をありがたがって笑われたりもした。雨が降ることに感謝して白眼視されたこともあった。

 火星生まれのタカキは十三歳になるまで読み書きのひとつもできなかったが、学校に行くのが当たり前のエドモントンでは文盲なんて理解も想像もできないことだという。メガネもいらない、視力はメディカルナノマシンで治るから。車椅子も義肢もいらない。ちぎれた手足はメディカルナノマシンがつなぎ合わせてくれるから、拾い集めて医療ポッドに入れれば失わなくて済む。

 それが当たり前なのだ、ここでは。教育も、医療も、手を伸ばすまでもなくそこにある。願うものではない。手に入らない状況なんて、ここの人々は思ってもみない。

 想像力のベースとなる知識と教養には、タカキでは考えが及ばないほど深く深い溝がある。たくさん勉強して高等教育を受けている今も、大学教授(プロフェッサー)に提出した小論文は赤だらけになって戻ってくる。

 

「以前、エドモントンでデモがあったときの……あの青年を覚えてますか?」と、タカキは独白のように取りこぼす。

 

 SAUで傭兵の集団死が見つかった事件のあと、軍縮デモは激化の一途をたどっていた。アーブラウは防衛軍を解体せよ、奪われた平和を取り戻せ――という市井の演説もそこかしこで聞かれるようになった。

 あの日、テレビの中で行進するデモ隊の中で流暢な演説を行なっていた青年。あのときは古い知り合いにそっくりな『同じ顔の三人目』だなんてごまかしたけれど、あれはエンビだった。

 力強い声の張り方はオルガ・イツカ団長を真似たのだろう。道理で聞き覚えがあるわけだ。

 

「あいつ、鉄華団の弟なんです。きっとすごく勉強したんだと思います。文字の勉強を始めたのは、おれと一緒だったのに」

 

「タカキ……」

 

「おれはフウカを守りたくて平穏な道を探してきたけど……それじゃだめだって、やっと気付いたんです」

 

 世界中の子供たちのためにできることを見つけたいという気持ちは本心だ。もっと世界を見なければ、知識を深めなければ、経験則という狭い視野の中で自己完結してしまう危険も今だからわかる。

 タカキ・ウノには、ふたりの家族がいる。

 十六歳になった愛妹フウカと、推定十四歳のまま時間を止めた戦友アストン。ふたりとも大切なタカキの家族だ。

 ヒューマンデブリとして二束三文で売買され、宇宙海賊〈ブルワーズ〉の兵士として〈マン・ロディ〉に乗っていたアストン・アルトランドは、八年前の国境紛争で死んだ。タカキをかばって命を落とした。

 お前らのしあわせを守るためなら何だってするとうっそり笑んだ彼は、しあわせになる方法を知らなかった。想像さえできなかった。

 そして初めて自分自身の生存を願ったのは、致命傷を負って命を手放す今際の際だ。

 死にたくないことは死ぬことで、生きることは心を殺して戦うこと。しあわせになることは、生きる力を失うことだった。

 そんな生き方でしかアストンが命をつなげなかった原因は、この『世界』にある。

 

 かつて蒔苗氏が諸国漫遊に宛てた日々は、タカキに取って代え難い学びの経験だった。

 任期を円満に終えた蒔苗・東護ノ介前アーブラウ代表は、晩年、タカキを同伴して各地を旅した。氏の代表再選がなければ、今ごろアーブラウはギャラルホルンの傀儡になっていただろう。彼が語らなければアーブラウは知らないままだった。圏外圏に蔓延する貧困、誘拐、ヒューマンデブリ問題。植民地として支配されていたクリュセで日常化している弾圧。

 かつてアーブラウ防衛軍の軍事顧問をつとめた子供ばかりの民間警備会社〈鉄華団〉が、不当な情報操作で殲滅されてしまったこと。

 忘れるなど薄情ではないかと、老いに痩せこけた手でタカキの手を握った。火星からやって来た少年たちがこのアーブラウのため最前線で体を張り、命をかけて国境紛争の尖兵となったというのに。老いぼれが何も残せんでは、死んでも死に切れんよと。

 アーブラウのため献身的に戦い続けた少年兵たちの勇気について、蒔苗老は語り続けた。

 その努力が、今日(こんにち)の火星連合との友好につながっている。

 

「だから今度は、おれが証言台に立ちます」

 

「わたしたちも同志ですよ。できる限りのバックアップをさせてください」

 

「ありがとうございます。でも、もしアレジさんたちが危険になるならおれのことは切ってくれて構いません。フウカを……妹のことは、お願いします」

 

「わかりました。約束します」

 

 ハンカチで目頭をおさえるアレジに、タカキは「大げさですよ」と微笑した。

 

「フウカが生きる未来は、人殺しがのうのうとのさばっている世界であってほしくない。ロールモデルになれるなら、おれ、本望です」

 

 すっきりと笑んで、タカキは扉へ足を向ける。外は危険かもしれない。けれど、だからこそ。マシンガンではなく声を届けるための器材を肩に提げて、タカキは行く。

 もとより、八年前の国境紛争で未来を奪われた民衆の復讐心を追い風に成り上がってきたのだ。黙殺された戦争の生き証人として望まれた政治家秘書。学もないタカキが議員候補だなんて分不相応な地位にあるのは、東アーブラウに根付く反ギャラルホルン感情のせいでしかない。

 防衛軍の兵士だった息子を亡くした母の涙。手足を失って我が子を抱けなくなった父の慟哭。軍医だった婚約者を失い、花束を抱いて泣き崩れた若者。国境を渡れずに、敵性国家のただなかで飢えに苦しみ、寒さにふるえた旅行者や留学生。

 あの戦争で、多くの人々が生活を激変させられた。

 

 忘れないでくれ、覚えていてくれ――そんな誰かの悲痛な叫びがタカキを今ここに立たせている。

 

 あのころのタカキは、どれほど憧れたって三日月・オーガスに手が届かなかった。表面的な憧憬ばかりを募らせて、本質を理解できていなかったのだと、あとになって気付いた。

 罪のすべてに償いができたらそのときは、愛妹を力一杯抱きしめられる気がする。

 だから世界を変えよう。ともに生きていける未来を作ろう。ここは、ヒューマンデブリの子供たちが、しあわせになりたいとみずからの意思で世界じゃないから。

 アストン。お前にもらった命だから、おれたちのために使いたいんだ。死ぬとか殺すとか、そういう戦いばかりじゃない。

 死なせてしまったラックス、トリィ――地球支部の戦友たちのためにも銃は取らない。

 

(そうですよね。……ラディーチェさん)

 

 地球支部を売り渡した裏切り者。そんな男を信じてしまった弱い心を、殺すために扉を開ける。

 武器は声だ。クーデリアのように言論という名の戦場を選ぶ。

 それが確かな未来への一歩と信じて、タカキは踏み出していく。


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