MSV. 弾劾のハンニバル《完結》   作:suz.

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022 ヒューマンデブリの意地

 とうもろこし畑が揺れる。

 黄金色の穂が午前の陽射しに照らされ、桜農園に収穫の季節が近付いているとささやきあっている。二年かけてようやく四季がめぐる火星において、子供たちが最も豊穣に期待を寄せる季節だ。昼夜に寒暖差のある時期ほどとうもろこしは甘く育つ。

 かつて鉄華団と提携してアドモス商会が建てたこの孤児院は、今は公営化されている。食料自給力を高めるため連合政府は農家を手厚く支援しており、ビスケット・グリフォンの給与なしには賄えなかった農場は見違えるほど豊かになった。

 常であれば子供たちの遊び場になっているはずのとうもろこしの迷路も、今日に限って人影はわずかだった。

 

「デルマせんせぇ、いかないで……」

 

 幼子が服の裾を掴む。エプロンをとったデルマは、言い聞かせるように首を振った。

 膝をついてなだめてやることもしない。そのさまが別れを予感させ、ダンテが苦渋に顔を歪める。

 

「本当に行くのか? それが本当に正しいことなのか?」

 

「……火星は、ブルワーズよりマシだけど、やっぱりいいところじゃなかったから」

 

 デルマの苦笑は虚ろで、どこか物寂しい。ここだっていつ〈ダインスレイヴ〉が降ってきてもおかしくないのだ。鉄華団の基地跡地みたいに、ギャラルホルンの貴族が買い上げて畑にしてしまったら違法兵器を解禁した証拠は残らない。

 遠い目をして見上げる火星の空は今日も青く、ただ遠い。

 児童養護施設職員となったデルマはもう、あの空の向こうへあがることもないだろう。基地を放棄して地球へ逃げて、IDを書き換え表向きは別人のふりをすることを条件に、鉄華団の残党は平穏な日常を手に入れた。

 

 ――火星はいいところでもないが、海賊船(ここ)よりはマシだぜ。本部の経営も安定してきたしな。メシにもスープがつく。

 

 思い返せばオルガ・イツカが亡くなってもう七年が経つのだ。この左腕を失ってから七年。昭弘・アルトランドを戦場に置き去りにして七年。宇宙海賊〈ブルワーズ〉から賠償金という扱いで鉄華団が身柄を買ってくれたときのことが昨日のことのようにはっきりと思い出せるのに、時間の流れは何もかも過去へと押し流してしまう。

 おっかなびっくり〈イサリビ〉に乗船したあのころ、見るもの触れるものすべてがブルワーズよりマシだった。食事も寝床も仕事もすべて、それはもう『マシ』だなんて言葉では失礼すぎるくらいにあたたかかった。

 だが、違う。一人ひとりが頑張って、今日より明日をもっとマシにしようと手を尽くしていたおかげで、不条理の再生産が食い止められていただけだ。

 どっちが『前』かもわからない世界なら、一番マシな未来へ進めと旗を振ったのがオルガ・イツカだった。

 

「……デルマ、もう一度考え直さないか。お前はこいつらを守っただけだ。そうだろう」

 

「おれだってそのつもりだよ。人手不足もわかってる」

 

「だったら……!」

 

「だからおれは行くんだ、ダンテ」

 

 首を振る。今ここに残っても現状が維持されるだけだ。それでは『今よりマシ』にはならない。

 火星は独立して、学校ができて、この孤児院は子供たちであふれている。……何だかおかしくはないか。ここに入所している幼子たちみんな親がいない。死別したり、経済的な理由で手放されたり、面倒を見きれなくなって捨てられたり……、背景に差異はあれど育ててやれる大人がいない。だからここも人手が足りない。

 この手の施設で働いているのは『教員免許を持たない者』だ。最近では政府が『保育士』なんて公的資格を発行するようになったが、採用のハードルを上げればたちまち職員の頭数が足りなくなってしまう。

 朝食の支度をして日中は遊び相手をしながら掃除と洗濯、買い物、夕食を終えたら順番に風呂に入れて寝かしつけ、夜泣きをあやして記録をつけ――、そんな激務が日夜続く職種である。ダンテやデルマのような住み込み職員なら毎日が日勤で夜勤だ。前回いつ三時間以上のまとまった睡眠をとったかも思い出せない。

 ヒューマンデブリ育ちのデルマには案外懐かしいスケジュールでも、新しく入ってきた職員は三日と持たずに辞めていく。

 そのたびデルマは同じことを思った。

 

(……子供(こいつ)らは他に行く場所なんてないのに)

 

 現状、児童養護施設の職員には資格がいらない。あったほうがいいのだろうが、就労にあたって保育士資格が必須になったらダンテもデルマも勉強する時間もとれないまま職を追われてしまうし、入所している孤児たちを置き去りに職員だけごっそりいなくなるのは自明である。

 失業者の増加に歯止めをかけたい火星連合政府は、どうあっても資格を必須条件にできない。

 高学歴移民の流入により、無学な火星人は『効率化』という名目でどんどん会社を追い出され、劣悪な単純作業の現場に追いやられている。妻子を養うため、借金を返すため、自分が生きていくために傭兵として志願し、惑星間航行に同行したら海賊に襲われて戻って来なかった――なんて噂も耳にする。

 女子供はいつも社会が決めたルールに翻弄されるばかり、割を食うばかりだ。火星は確かに豊かになったけれど、その陰では力なき子供たちが搾取され、犠牲になり続けている。

 すがるような目で見上げてくる幼子の頭を撫でれてやば、くしゃりと顔を歪ませ、涙目になってしがみついてくる。

 

「なあ、ダンテ。こいつらの頭触るとき、おれ、いつも思うんだ。こいつらみんな、おれは殴ったりしないって信じててくれる」

 

 ブルワーズでは、身構えないことが『自衛』だったのに。鉄華団も根幹は同じだった。どんな暴力にも怯まず、目を逸らさない『勇気』の証であり、自由を求める戦士の抵抗だった。

 そのせいか、兄貴分が頭を撫でてくれるときには暗黙裏に信頼への感謝が乗っていたように思う。

 この手に怯えないでいてくれてありがとう。褒めさせてくれてありがとう。そんな不器用な心遣いがどこかにあった。

 戦うことしか知らずに育ち、右も左もわからないまま孤児院で働くようになったデルマも同じ気持ちだ。入所している児童はみんな、デルマが伸ばす手を見て慈しみだけを連想してくれる。

 これは殴られる時間を短く済ませるための自衛じゃない。暴力に屈しない勇敢さでもない。

 

 だけど、デルマが好きだからという単純な理由でもない。

 

 デルマは父親ではないし、里親でもなく、教員でも保育士でもない。ただちょっと年上で、何も資格がなくて児童養護施設で働いている元ヒューマンデブリの元少年兵だ。だけど衣食住と生殺与奪を握っているから、この子たちはデルマに懐く。食べものを与えてもらわなければ生きられないから藁にもすがる思いで最も身近な大人に媚びているだけだ。

 実の親子でも、里親と里子でも、教師と生徒でも、雇用主と傭兵でも、こうした非対称な関係は変わらないだろう。

 なのに職員は多忙で睡眠時間もまともにとれず、気持ちに余裕を持っていられない。他に縋れるものを持たないこの子たちの信頼に甘えて、過信して、自尊心を補強する材料にしてしまいそうになるのだ。

 指一本で命さえ奪える大人はいつだって『脅威』なのに。

 

「昭弘さんにもらった苗字、おれ、なくしちまったから……。だからこいつらには家族を作ってやれるように頑張りたかった。でも、――」

 

 ある日、デルマは同僚を殴った。

 

 元来、職員と入所児童は家族ではない。これは『仕事』で、ここは『職場』だ。職員には職員自身の人生があり、家族があり、プライベートがある。

 施設は『帰る場所』ではない。

 いつか本当の家族に巡り会うまでのつなぎの存在として、深く思い入れてはいけないと決められている。情を持たないように、持たせないように。寂しくなって呼ばれる名前になってはいけない。

 ところが鉄華団時代の慣習が残るここでは、就学年齢に達して学生寮へと送り出す子供たちに「ここから通いたい」と毎期のように泣かれる。里親を見つけて送り出すという使命を果たすどころか、みな里子にも出たがらず予算も部屋もカツカツだ。

 いまだストリートをさまよっている孤児たちも保護しなければならないのに、新しく迎え入れてやるスペースが確保できない。

 過密状態になるほど子供たちはストレスを溜め、職員の目も届きにくくなる。とうもろこし畑のただ中という閉鎖的な環境、慢性的な人手不足、――院内でいじめが発生しても気付くまでに時間がかかる。人員を増やせば信用できないやつも出てくる。

 

 デルマが殴ってしまった同僚は、人当たりがよく穏やかで、デクスターを二十歳ほど若くしてメガネを取ったような優男だった。保育士資格保持者を各院にひとりずつ置くようにと、公的機関が派遣してきたのだ。博識でダンテからも信頼され、斡旋に関わったユージンにも好青年と評され、子供たちからもよく懐かれていた。

 働き者で、子供が好きな、よく気がつく男だった。

 

 だから、ある夜、デルマが開いているベッドを見つけてしまったのは単なる偶然だった。

 消灯時間もすっかり過ぎたころ、夜間は閉じているはずのドアが少しだけ開いていたのだ。この孤児院では数少ない女の子の部屋だったからすぐ目についた。そっとのぞき込めば、ベッドで眠っているはずの姿がない。

 トイレにでも行ったのかと廊下に懐中電灯を向けると、今度は夜間は開放されているべき扉が閉じていることに気付いた。夜勤の職員が使う仮眠室だ。地下にある私室とは異なり、当番制で横になるためだけに使っている。

 手をかけたドアノブは、しかしデルマの侵入を拒否する。マスターキーは事務室に置き去りだとしても、内側からの施錠なら鍵をかけた人物が中にいるはずだ。

 

 ――誰かいるのか? ここのドアは開けとく決まりなんだけど。

 

 ――ああ、デルマ先生。すみません、眠ってしまってました。

 

 なんでもない声で答えたのは、例の保育士だった。相変わらずおっとりと柔和な雰囲気でデルマのノックに応じる。寝起きにしてはずいぶんクリアな声音だった。

 耳を澄ませば、何だか嫌な音が聞こえてくる。引き攣るような呼吸音、衣擦れと粘着質な水音。不穏な気配に背筋がぞっと寒くなる。

 

 ――……先生ひとりじゃないですよね? ここ開けてください!

 

 ――いや、僕ひとりだけですよ? 鍵を開けますから、そんなに慌てないで。ちょっと待ってください。

 

 ――は? 明らかにひとりじゃないだろ。開けますよ!

 

 のそのそと緩慢な動きに焦れて、金属製の左腕を振り上げる。一挙動でドアは吹っ飛び、懐中電灯が描く白丸が室内を暴いた。

 着衣の乱れたままの男と目が合う。一撃で扉を破壊したデルマの乱暴さを見守るように苦笑しながら、右腕は不自然に背後にかばっている。……デルマは血のにおいに敏感だ。フロアにまだ新しい血痕。膝頭を擦りむいた程度の出血量だが、ここは孤児院である。仮眠室とはいえ室内で怪我をするような棘や角はすべて丸めてあるはず。

 ふと視線を誘われた部屋の隅、涙を目に溜めた少女と目が合ったとき、すべてを察した。

 

 

 ――あんた……何やってんだ!!

 

 

 怒号を押し殺し、生身の右腕でぶん殴るだけの理性が残っていたことがせめてもの救いだった。

 翌朝から彼はいつも通りの好青年に戻った。働き者で、人当たりがよく穏やかで、子供たちにもよく懐かれている。さすがに連合お墨付きの保育士だ。ダンテからの信頼も厚く、あの悪夢を言い出せない日々が続いた。

 

 いくらか経った静かな夜に、デルマはまたもぬけの殻になったベッドを見つけた。()()を見つけるたびデルマは彼を殴ったが、毎日ではない。仮眠室を探し、倉庫を探し、ただトイレに行っていただけとわかったときは安堵で崩れ落ちた。

 日に日に不安が増し、いつにも増して眠れなくなっていった。不注意をダンテに見咎められることも増え、子供たちからも目の下のクマを心配されるありさまだった。半年くらいの月日をデルマはそんな体たらくで過ごし、ユージンに休暇の申請を勧められても、休みはいらない、ここにいなければならないと首を横に振ることしかできない。

 また空になったベッドを見つけ、現場にたどり着いて加害者の胸ぐらをつかみあげたとき、組み敷かれていた少女の腹が不自然に膨れていることに気付いて、箍が外れた。

 少女には上着を投げつけ、ダンテの通信端末にコールをかけると誰でもいいからすぐに女性職員を呼べと怒鳴りつけた。状況が飲み込めないダンテに、アトラでも桜さんでもとにかく女を叩き起こして現場に向かわせろと部屋番号を告げ、デルマは裏庭に男を引きずり出した。

 

 それからの記憶は、ひどく曖昧だ。

 夜が明けて、とうもろこし畑にさわやかな風が吹き抜けたとき、()()は冷たくなっていた。

 

 金属の左腕が血でぬめっていた。生身の右拳は握りしめたまま痺れていた。何だか水槽の中でぶくぶくと泡の音を聞いているような、非現実的な心地だった。駆けつけたダンテの指示のもと、男の亡骸を遺体袋に詰めて庭に埋める間も、どこか遠くから地面を見つめているように現実味がなかった。

 そして、起きてきた子供たちが園芸用のシャベルを持ち寄って裸足のまままろびでてくる姿を見て、涙があふれた。

 花壇に種を蒔くために人数分揃えたシャベルだ。カラフルで、小さくて、死体を埋めるためのものでも、殺人を隠蔽するためのものでもない。中には何が起こったかを察している子供もいる。細い嗚咽をこぼしながらデルマの力になろうとする少女は、誰よりも現実を理解していた。

 

 被害に遭っていた子供は複数いた。一方で、保育士の先生はどこへ行ったの、と無邪気に首を傾げられることもあったが、デルマには何も答えられない。

 男女あわせて十名が被害に遭っていたことが発覚し、病院へ連れて行った。十六歳未満の中絶手術には医者にも苦い顔をされ、孤児院でなくて斡旋所だったかと非難がましい嫌味を言われた。言い訳の言葉もなかった。

 

 

「おれが殺したのはあいつだけじゃない」

 

 

 苦い記憶にデルマは拳を握りしめる。病院から戻ってきたのはたったの四人。産婦人科での落命、精神科への長期入院――六人もの少年少女が未来を奪われた。腹の子もみな死んだ。

 

「ばかやろう……お前は守ったんだ。こいつらを守ったんだよ……」

 

「おれだって守りたくてやったよ。だから、殺さなきゃ守れなかったことを……、殺してもまだ守れてないってことを、訴えに行かなきゃならない」

 

 もっと早く情報を共有し、もっと早くクビにすることができていれば。今も元気に院内を走り回っていてくれたかもしれない。過密状態にしてしまったのはデルマたちの責任でもある。入所児童と家族のように接してはいけないルールを守らなかった。

 公的機関から派遣されてきた保育士だからと無条件に信頼した。報告も遅らせてしまった。

 

 火星経済はいまだ安定にまでは漕ぎ着けず、学校や児童養護施設、農業プラントは連合政府が手厚く支援してくれる。払いは決してよくないが、行政に守られているので失業の不安がまずない。いつ倒産するとも知れない民間企業とは違ってクリュセ市警に濡れ衣を着せられることもないし、ギャラルホルンの焼き討ちに遭うこともない。安全で、誰にでも挑戦できる仕事だ。

 そんな立場を利用して、子供たちを喰い物にしようとする連中もいる。忙しさにかまけて正気を失っていく職員も後を絶たない。

 デルマは真面目な職員だし、余暇は食事と睡眠その他生理的欲求ぶんだけあればいい――という気質上、あまり欲がない。職員をまとめる立場にあるダンテには行かないでほしい人材だろう。あんなことがあったから、見知らぬ他人を入れたくない気持ちもよくわかる。働き者でも子供好きでも、連合政府のお墨付きがあったって、どんな裏の顔を持っているかわからないのだ。さすがに疑心暗鬼にもなる。

 

「こいつらさ、学校にあがったら『人を殺すのは犯罪だ』って教えられるんだ。()()から。そのとき、守られたことを、悪いことだったんじゃないかって疑うかもしれないだろ。それを、また誰にも相談できなくて苦しむかもしれないだろ? だからおれが、保育士様をクビにもできない〈法〉と〈秩序〉がどんだけクソか証明してやるんだ。なあ、おれ、何か間違ったこと言ってるか」

 

「間違ってねえ……間違ってねえよ。でも、なんでお前なんだ。お前が責任を負う必要なんてねえだろう……」

 

「それじゃ今までと変わらない。みんなそう思ってるんだ。自分じゃない誰かがやればいい、自分には自分の生活があるって。嫌な仕事は他人に押し付けて、……自分たちだけでもしあわせになりたい」

 

「デルマ………!」

 

「おれは自首する。こいつらの未来を守るためには、全部暴露するしか方法がない」

 

 悩むことは苦しい。責任を負うのは恐ろしい。だからみんな目を逸らすんだろう。赦してくれる奴を頼って逃げるんだろう。隠れてやれば大丈夫だとか、口を塞げばバレないとか。市警に金を握らせればもみ消せるとか。子供を殺したって犯したって処罰されるリスクは限りなくゼロだ。成功すれば今度は『次』に挑戦してしまう。うまく行けばもう一度、今度はもっと大きな獲物を。もっと豊かに、もっと自由に、もっともっとと際限なく肉を喰いたがる。

 野放しになってきた暴食を、抑止するための対策が必要だ。

 クーデリアはだから、みずから立ち上がってみせたのだろう。

 

 

 ――ともに考えましょう。生きるために罪を重ねてきた過去を、その責任を。どんなに時間がかかっても、真実を見つめたその先にこそ、誇れる未来があるはずです。

 

 

 ともすれば火星連合議長という地位と権力を失うかもしれない思い切った演説は、彼女にとってどれほどの苦難を強いるのか、デルマには想像ができない。誰が何を言ったって、考えたくないやつは考えない。責任なんか取りたくないやつは、他人になすりつけようと言い訳を考える。この足の下には地面しかないんだと、そこにある屍から目を逸らす。

 肉は肉らしく、ただ黙って喰われていればいい。地面は地面らしく、黙って踏まれていればいい。

 そうやって『役目』を楯に現状を維持しようとする。

 

 デルマだって宇宙海賊〈ブルワーズ〉で使われていたころは、命令されるまま数多の船を襲い、一方的な略奪のために船員たちを手にかけてきた。

 人を殺めることはもちろん怖いが、同時に、それしかできないという危機感もあった。命令通りにできなければ殺される。仲間は次々死んでいく。殺されていく。つないだはずの手が目の前で断ち切られ、握りしめた手の中には死だけが残る。

 

 いつも不安だった。ずっと怖かった。

 MSに乗れなくなったら他にできる仕事はない。死なないために、殺されないために、命令のまま撃って撃って殺して殺して……ヒューマンデブリはそういうものだからしょうがないと諦めるしかなかった。

 

 そんなデルマの戦闘技能は、鉄華団が民間警備会社だったから役に立った。実働一番隊〈流星隊〉への配属は誇らしかったし、戦いになればデルマは役に立った。ヒューマンデブリ時代の戦闘経験がデルマを生かした。

 裾を掴んで嗚咽をこぼす幼子の頭をもう一度撫でてやりながら、目を細める。孤児院に就職したって「せんせい」なんて似合わない呼ばれ方をしたって、デルマはやっぱり人殺しくらいしか満足にこなせない。

 こいつらを――まだ何の罪もない子供たちを、おれのようにはしたくない。

 

「ここは職場だ。帰る場所じゃない。おれは保育士じゃないし、里親になる資格もない。今の稼ぎじゃ手前一人が食ってくだけで精一杯だ。でもおれさ、いつか、ガキどもみんな引き取って本当の家族として暮らしたい。いっぱい働いて、金を貯めて、家を買ってさ。表札は『アルトランド』って、もう決めてあるんだ。……それが、おれの夢なんだ」

 

 いつか生まれ変わって、もう一度帰ってくる『家』を作りたい。昌弘とアストンと、そして昭弘が胸を張ってただいまを言える、本当の居場所を。

 

「なのに行くのか、デルマ……」

 

「だから行くんだよ、ダンテ」

 

 おれには夢がある。だからどうか信じていてくれ。踏み出すこの足は、確かに前に進んでいると。

 たどり着く場所が死刑台だって、受け入れる覚悟はできている。

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 カタパルトデッキへ漆黒の機体が進み出る。〈ヴァナルガンド〉のMSデッキでは、刻一刻と迫る開戦に向けて準備が進められていた。

 獣の両耳のようなブレードアンテナ、黄金色のモノアイがぎらりと開眼した。

 

『ベンジャミン——〈グリムゲルデ・ヴァンプ〉2号機、出るぞ!』

 

 背部の大型スラスターをふかし宇宙空間へと飛び立つ。左肩に稲妻を、右肩には盲目の狼(ブラインドフェンリル)を刻印した戦乙女は、〈ハーティ小隊〉の中で最も航続距離が長い機体だ。搭乗するヒルメは戦友が眠る〈ヴァナルガンド〉を一瞥すると、大型ライフルを小脇に加速をかけた。

 母艦〈セイズ〉に取りつくと、頭部センサーを開き、モノアイを露出させる。

〈ダインスレイヴ専用グレイズ〉と同様の高精度光学ズームを採用した〈千里眼形態(ガンカメラモード)〉。敵陣のただ中へ飛び込み、アリアンロッドの旗艦を狙う手筈である。

 

『続いて〈ガルム・ロディ〉4番機。発進どうぞ!』

 

『フェイ、出ますッ!』

 

『〈ガルム・ロディ〉3番機、発進どうぞ!』

 

『エヴァンいきます!!』

 

『〈ガルム・ロディ〉2番機、発進どうぞ!』

 

『ハルです、お願いします!』

 

『〈ガルム・ロディ〉1番機、発進どうぞ!』

 

 

了解(ラジャー)』と小さな隊長が細く息を吐く。

 

 

 これが最後だ。これは〈ガルム小隊〉の最後の戦いだ。輸送用のランチを含めてすべての戦力を投入し、予備のパイロットも全員戦場へ向かう。〈ウルヴヘズナル混成小隊〉も後に続く。ひとつの大きな塊として、ヒューマンデブリの意地を見せてやると啖呵を切った。

 目覚めないエンビの代わりに前線指揮官をつとめる。責任感を未発達な双肩に乗せ、すうと息を吸い込んだ。

 

『ギリアム、いきます!!』

 

 MS隊が加速する。

 

 

『全機、全速前進! おれたちであの〈ダインスレイヴ〉隊を攻略する!!』

 

 

 この命に代えても、あの鉄杭を打たせやしない。


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