MSV. 弾劾のハンニバル《完結》   作:suz.

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【前回までのあらすじ】

 アルミリア・ボードウィンは願う。贖罪によってのみ自由と平等は実現されると。ラスタル・エリオンによって守られた『罪を罪と知らない人々』の前に、暴露された数多の罪科。支配者たちが主義主張を戦わせる足許では、言葉を持たない犠牲者たちがもがいている。
 満を持して〈革命の乙女〉クーデリア・藍那・バーンスタインは立ち上がった。


第七章 死すべき運命の戦乙女
021 リブート


 一体誰が、何の目的でこのような事態を招いたのでしょうか。わたしは、その答えを持っていません。我々火星連合政府にも責任の一端はあるでしょう。すべての人々に等しく教育の機会を与えようと尽力したはずの行政の……いいえ、学びによって力なき子供たちを救えると妄信してきたわたし自身の見通しの甘さに、忸怩たる思いです。

 わたしは昔、こんな演説をしました。長く続いた厄祭戦のあと、火星では四つの経済圏による分割統治が始まったこと。その結果、火星に貧困が蔓延し、子供たちが犠牲になり続けていること。〈ノアキスの七月会議〉に登壇したときのことです。あれからもう二十年近く経つなんて、信じられません。

 PD(ポスト・ディザスター)三十四年、七月……あの日、火星は冷たい冬に閉ざされていました。

 

 この赤い惑星に生まれ育ったわたしは、幼い正義感のままに行動していました。その結果、多くの犠牲を呼び込みました。それでもわたしは『希望』になりたかった。当時地球圏の植民地であった故郷の経済的独立を夢見、不平等条約の改正を求め、〈革命の乙女〉と呼ばれました。ギャラルホルンから武力による警告を受けてもなお、子供たちが、すべての人々が、不当に搾取されない世界を望みました。

 やがて火星ハーフメタルの公正取引は実現しました。

 そして革命の狼煙が空へと昇ったあの日のことを、わたしは今も昨日のことのように思い出します。

 何かを成し遂げようとするとき、必ずどこかで、理想を異にする他者とぶつかります。

 その中で、傷つく人々がいる。けれど衝突を回避することばかりが平和的解決ではないと、わたしは学んだはずでした。

 

 幸福とは、黙って従うことを対価に与えられるものでしょうか?

 ……いいえ、違います。しあわせに生きるために他の誰かに負担や忍耐を強いる時代は、もう終わりにしましょう。

 

 我々の足許には、無数の血と汗と涙、そして犠牲があります。それを『歴史』と呼ぶのです。あなたの足許にも、わたしの足許にも、先人たちが作り上げた尊い大地があります。その足が踏みしめているものは、ただの(フロア)ではないのです。

 どうか世界を知ってください。今を生きる人々の声に耳を傾けてください。生きるうちに犠牲者たちを踏み躙ってしまうその足を、今からでも、どけることができます。

 ひとりひとりの勇気が、あなたがた自身や、子供たちの未来を守るのです。

 

 今回の一件では多くの方が深く傷つきました。しかしわたしは今一度問いたい……! 誰もみな、罪を抱えて生きています。罪とは、赦されるものではありません。責められるものでも、罰されるものでもありません。償うものです。

 ともに考えましょう。生きるために罪を重ねてきた過去を、その責任を。どんなに時間がかかっても、真実を見つめたその先にこそ、誇れる未来があるはずです。

 

 わたしはクーデリア・藍那・バーンスタインです。

 もし、このわたしが火星連合議会の長にふさわしくないと思うなら……、構いません。

 

 みずからの手で武器を取り、みずからの責任によってわたしを殺しにおいでなさい!

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 全宇宙に向けた高らかなる演説は〈セイズ〉のブリッジにも届いていた。モンターク商会のオフィスが炎上した事件が地球や各コロニーで報じられたらしい。

 落ち延びた従業員の男女数名(人数未公表)は火星連合政府機関で保護されたらしく、トド・ミルコネンの動向がうかがい知れる。留守を預けてきたアルミリアつきのメイドたちの無事も連合側で保障してくれるだろう。

 ギャラルホルンの強制査察でもドラッグの類いは一切発見されなかった事実を知る証人が、クーデリアの手許に揃った。タントテンポからも、アバランチコロニーの農業プラントにドラッグの原料を栽培する余裕などないと発表。もとよりアリアンロッドの職域を拠点とする組織だ、タントテンポは〈アリアドネ〉の監視網を欺く手段を持っていない。

 

 一週間の沈黙を守ってきたクーデリア・藍那・バーンスタインは、議長の椅子を蹴飛ばしてでも立ち上がることを選んだ。

 

「〈革命の乙女〉、完ッ全復活だ!」

 

 イーサンが拳を握る。高揚である。クーデリアはこれからまた『子供たちが不当に搾取されない世界』のために動き出すだろう。政治家として不可能なら活動家として行動を起こす。

 彼女の掲げる旗の下には、各植民地で今なお不条理に晒されている労働者たちが集う。

 

 あのモンターク邸は元来ギャラルホルン高官御用達の高級娼館であり、火星圏に赴任する将校のため子供たちが搾取されてきた生け贄の館だ。二十年ばかり前に突如社長が交代し、実質的な廃業状態にあった理由も〈マクギリス・ファリド事件〉でイズナリオ・ファリドが嬉々として語った過去から推し量れる。

 火星の路地裏で金髪碧眼の美少年を見繕って誘拐し、商品として〈ヴィーンゴールヴ〉に輸出してきた過去は、これまでなら被害者側にだけ刻み付けられた古傷だった。

 

 それをアルミリアは、加害者側の罪科として弾劾しようとしている。

 

 (マクギリス)の仇討ちと言えばそれまでの報復行動だろう。しかし自由平等を目指すアルミリア・ファリドの志は、構造的搾取解消を願う〈革命の乙女〉クーデリア・藍那・バーンスタインと利害の上で一致する。

 報道に踏み切った各放送局にどういう皮算用があるにせよ、賽は振られ、一大スキャンダルは全世界にぶちまけられた。これまでギャラルホルンとは『正義』であると疑いもせず信じてきた民衆の鼻先でオブラートを剥ぎ取ってやった格好である。

 犠牲を犠牲ともわからないまま屍肉を喰ってきた民衆は、この世界のおぞましさに恐れおののくだろう。

 ギャラルホルンによって守られてきた平和とは、肉食者のための楽園だ。

 食卓の肉にも命があることを想像しなくていい世界。植民地に生きる人型の家畜から削いだ肉を喰らって生きている『現実』が目に入らないようプロパガンダを操り、ラスタル・エリオン公は無知と忘却に基づく平穏を維持してきた。

 

 足許を見れば無数の死体が転がっている。それが現実だ。それを歴史と呼ぶ。それらを踏み躙って生活しているつもりなど、誰にもない。ほどなく()()()()()()()()()()罪人呼ばわりされた可哀想な連中が不平不満を爆発させることだろう。

 クーデリアに物知らず呼ばわりされた彼らは、人間を殺害したことなどないし、女子供を差別したことだってない。劣悪な環境で使い潰されて死んでいく労働者たちは宇宙植民地(コロニー)に隔離されて目に入らないし、『女』とはいずれ花嫁になり妻になり母になることを運命づけられた生物なのだと信じて疑っていない。『子供』とは無邪気で愛くるしく、学校と勉強が大好きで、大人の言うことをよく聞くべき存在であるというプロパガンダを、いつの間にか()()として刷り込まれていることに気付いてもいない。

 害獣に石を投げることは善意の駆除なのだ。加害ではない。そう信じたいから濡れ衣を着せようとする小娘の非常識に憤る。

 怒り、激昂することで、自身を守ろうとしているのだ。この手の中のペンは労働者たちが折った骨、このインクは彼らが流してきた血なのだ――と認めてしまったら、まともな神経の持ち主から順に気が狂ってもしょうがない。

 今朝の朝食は労働者から搾り取った血と汗と涙でできていたと知って、さて幾人(いくたり)が嘔吐したのか。

 

 楽園を踏み潰された罪なき人々。哀れな民を、エリオン公ならば庇護するだろう。それは差別ではない、区別だと。あなたがたは無知ではない、それが正しい秩序なのだと。これまで通りに肉を喰っていられるよう取り計らうはずだ。

 ギャラルホルンが支配する絶対安全圏(せかい)を守ると約束すれば、現状に不満を持たない市民は免罪符欲しさにギャラルホルンを支持する。

 

 鉄華団残党『穏健派』もまた、今の生活を守るために見て見ぬ振りをするのだろう。非戦闘員を数多く抱え込んでいる今の彼らには、加害者に紛れ、迎合することでしか身を守る術がない。

 

 一方で、アーブラウ政府は既にクーデリアを支持すると表明しており、……場合によっては東西アーブラウの分裂もありえる。アラスカ・シベリアを分かつベーリング海峡が第五の国境になるかもしれない。

 情勢不安は全宇宙へと広がっていく。

 それこそアルミリア・ボードウィンの描いた地獄絵図だ。

 

「最ッ高じゃねーか! イカレてやがるぜ」

 

「だね。お嬢様って本当、何しでかすかわからない」

 

 ブリッジの双璧が拳をぶつけ合ったところで、開け放してあった扉の前で靴音がふわりと足を止めた。振り向けば、女騎士から借り受けてきたギャラルホルンのパイロットスーツ姿。薄すみれ色の長い髪が慣性に流されて揺れる。

 

「正気ゆえです。ノアキスの七月会議のクーデリア……、彼女の志を信じていました」

 

 青く澄んだひとみが、メインモニタの中でフラッシュを浴びる〈革命の乙女〉を見上げる。

 地球圏はこれまで植民地の献身――いや、蹂躙を大前提とした豊かさを享受してきた。十年前のドルトコロニー事変ですら、アフリカンユニオン側が労働者の待遇改善を提示したことには反発があった。

 人々は変化を嫌う。地球出身者とコロニー労働者が平等に評価されることに難色を示す声は少なくなく、現状維持のために不穏分子を武力で一掃することは正しいのだと、アリアンロッドは支持を集めた。

 

 労働者が黙って我慢していれば物価の上昇はなかった。工場の稼働時間が短縮され、ドルトコロニーの生産量が激減したせいで流通業は大きな打撃をこうむった。経済は停滞し、これまでなら無償で手に入ったようなシロモノにまで対価を要求されるようになったのである。収入は変わらないのに物価だけが上昇し、市民は植民地への反感を強めた。

 待遇改善を求めるよりも波風立てぬよう耐え忍ぶことが『平和』と結論づけたのだ。

 そんな狂ったスタンダードを、今こそ覆さなければならない。

 罪悪感という病理が世界を侵し、やがて内側から腐り落ちてしまえばいいのだ。『無知』という麻酔を取り除かれて、みんなみんな、喉を掻きむしって苦しめばいい。

 

(わたしはセブンスターズの一家門、ボードウィン家の女。だからこんなにひどいことだってできるのよ)

 

 アルミリアのまっすぐなひとみに相反して、その指先はふるえている。血色をなくした少女の横顔を見とめて、イーサンが目を丸くする。ふうと肩をすくめた。

 人類はみな罪人であると知らしめた奇策のおぞましさを彼女は知っていたのだろう。承知の上で、この地獄の選択を背負って立つ気でいるのだ。

 

「すいません。褒め言葉には、聞こえなかったですよね」

 

 いかれている、という言葉はアルミリアの耳に入れるには少々不適切だった。足場が崩れ、揺らぐ恐怖のただなかにいる彼女にはなおさら、非難めいて聞こえてしまったに違いない。

 苦笑したイーサンは鉄華団育ちゆえ、怜悧な顔かたちに反して物言いは何とも粗暴である。〈ハーティ小隊〉の面々はみな丁寧語も使えるが、兄貴分譲りの荒くれた語調は、ある種の合言葉であり、仲間内に残された数少ないアイデンティティだ。思い出、とでも評するのがきっとふさわしい。

 意図を察したのかアルミリアがぱちくりと大きな目を瞬かせて、そして「いいえ」と首を振った。

 文化の壁の向こう側で、ようやく賛辞を受け止める。

 

「でも、そうね。言葉だけではわからなかったかもしれないわ」

 

「次から気をつけます」

 

「わたしも、早とちりしてごめんなさい」

 

 穏やかなやりとりは、やはりガラスを挟んだように近くて遠いままだ。傍目には良家のお嬢様がチンピラに絡まれているような絵面だというのに、和やかさが奇妙に絵画じみている。ブリッジの扉は開いたまま、内側と外側とを隔てる透明なガラスなどない。ただ、お互い立ち入ることのない境界線(ボーダーライン)が厳然と横たわる。

〈セイズ〉はこれから戦闘に出るのだ。

 接敵まで残り十五分を切っている。雇用主に歩み寄ったウタがことんと首を傾げた。

 

「で、お姫様はどうしてここへ? この艦はもうすぐ出撃しますよ」

 

「これを持ってきたんです。――あの、どうかご武運を」

 

 白魚の手が差し出したのはオリガミの花だ。エンビの病室に持ち込まれた『お見舞い』と同じ、色とりどりの造花の一輪。花を支えるようにチョコレートが添えてある。

 紫色だったのは偶然なのか、弁当配り用のがま口バッグの中にはあふれんばかりの花々が赤白黄色と咲き乱れている。

 

「これは?」とウタは無遠慮に指を差す。

 

「お守りです。気持ちだけでも応援できればと、みんなで作りました」

 

 母艦〈ヴァナルガンド〉の中枢ブロックで退屈している美少年たちの気を紛らわせるためにもと、オリガミを教えたり、みんなで勉強をしてみたり、アルミリアも手を尽くしている。

 薬漬けにはされていない彼らの存在は〈モンターク商会〉の営業状態のクリーンさを証明する証拠になるだろう。利用することに心苦しさもあるが、どちらにせよ死なせるわけにはいかない。

 不注意のせいで失ってしまったリタのような犠牲は、もう二度と繰り返したりしない。

〈マーナガルム隊〉の面々も同じだ。戦いの中で血が流れることは必然かもしれないけれど、もう一滴の血も無駄にならないように。

 願うことしかできないなら、伝える手段は惜しまない。

 

「どうも。でも、俺たちは実だけで充分ですよ」

 

 一輪の花をウタがついと受け取って、そのまま薄すみれ色の髪に差した。取り上げたチョコレートの包みだけ指先でかかげてもてあそぶ。〈セイズ〉に積載されていた食糧はすべて〈ヴァナルガンド〉に移したが、生き残った場合のことを考えて各ブロックのコンテナにレーションが備蓄してある。本来は不要な気遣いだ。

 それよりアルミリアのほうこそ少しくらい着飾っていたほうがいい。いつでも身綺麗にしていただろう。

 商談のためか、愛する夫のためかは当人のみぞ知るところだとしても、モンターク邸にいても、ビスコー級クルーザー〈セイズ〉で火星を発ってからもアルミリアはいつでも清潔なワンピースをまとい、髪を梳かし、穏やかに笑顔を湛えていた。

 そのようにありたいと願う姿だったのだろう。

 月面基地でリタを亡くしてからは顔色が優れず、つややかな髪にも翳りが見える。

 正気ゆえに耐えきれない事態に見舞われた今だって、アルミリアにはアルミリア自身の人生があるはずだ。保護した子供たちのためを思い、雇用した少年兵たちの未来を憂い、気遣いで自分自身まですり減らしていたら本末転倒ではないか。

 目標まで見失うほどの献身など求めていない。

 ああとイーサンが苦笑する。オリガミの花は髪飾りにしては頼りなく、パイロットスーツにも不似合いだが、少しでも顔色が戻ったなら上々である。

 

「今の俺らに花は似合わないんでね」

 

「俺たちだったら、花より(ルプス)……いや、エビかな?」

 

「ははっ、違いねえな。茹でたエビだろ?」

 

「えび……?」

 

「七年前、でかくて硬い、エビみたいな船があったんです。トンカチ頭のサメみたいな船も」

 

「どっちも喰われちまいましたけど。華はあっちで現役なんで、あなたがとっといてください」

 

 あっちで、とイーサンが親指で指し示したメインモニタでは、クーデリアが記者の質問に答えている。よりいっそう華やかなブロンドを額縁にした白皙の美貌、その耳元で、紫水晶があしらわれたピアスがきらめく。

 ライドがデザインした耳飾りだ。

 鉄華団がテロリストの汚名を着せられ、そして風化していく流れの中で、ライドはシクラメンを象った鉄の華を彼女に託した。きっと皮肉でもあったのだろう。学校教育によって識字率の向上を目指すクーデリアは、かつて〈イサリビ〉で学のない子供に文字を教えはじめた『先生』だった。

 呼ぶためだけにあった名前にスペルをあて、文字として書き残せるようにしてくれた。宿題を与え、本や手紙を読めるように知恵のハシゴを架けてくれた。

 少年兵に読み書きを教えたのは学校ではない、クーデリア・藍那・バーンスタインなのだ。

 十六歳以下だった残党はみな学校に収監されて反知性主義(アンチ・インテリジェンス)に苦しめられたが、そんな現状は認めがたくとも、クーデリアの志まで否定したいわけではない。

 旗として掲げたはずの赤い華は錆びつき、朽ちて形をなくしてしまったけれど、アメジストの種が彼女のもとに残っている。いつか〈革命の乙女〉が教育現場で起きている数々の問題に気付き、対策を芽吹かせれば。火星連合統治下の子供たちの未来だけでも救うことができるはずだ。今ならまだ間に合う。信じている。

 

「だから俺らに花はもう必要ないんです。お戻りを、お姫様」

 

 アルミリア・ボードウィンは貴族の娘であり、英雄の妹であり、逆賊の妻でもあるのだろう。そのどれかを選ぶのではなく、すべて受け入れて生きるのなら。

 

 狼の群れの行く末を見届ける仕事を、あなたに託していく。

 

 

 

 廊下へ、そして母艦中枢へと去っていくアルミリアを静かに見送る。サブモニタで依頼主の退艦を確認して、ビスコー級クルーザー〈セイズ〉はハーフビーク級戦艦〈ヴァナルガンド〉船尾のドックから進み出る。

 出撃する船体にはボードウィン家の紋章スレイプニール。乗組員はわずかに残った元〈イサリビ〉クルーたちだ。舵をとるのはユージン・セブンスタークの技巧を体感して育った二名である。

 多感な時期に〈イサリビ〉のブリッジオペレーターに抜擢され、背中を見て育ったのは団長オルガ・イツカよりもむしろ艦長ユージン・セブンスタークだった。副団長としてではなく操舵士として、鉄華団の征く道を幾度となく切り開いてきた彼には憧憬だけでは語り尽くせない思いがある。

 

 鉄華団残党『穏健派』の父として戦場を退いてしまった今のユージンに会えば、また傭兵なんて物騒な仕事はやめろと諭されるのだろう。生きるための仕事で命を落とすなんて馬鹿げているとでも。

 ギャラルホルンとの戦力差を鑑みれば、どう戦っても勝てやしない。生殺与奪を握られているなら置かれた状況を受け入れて耐え忍ぶことも、ひとつの人生なのかもしれない。

 だが殺されないためだけに権力におもねった生き方は命に値しない。

 ノルバ・シノを見送ったあの日の悔しさを糧に、この七年間を生きてきたのだ。今度こそスキップジャック級に肉薄し、〈ガンダム・フラウロス〉に代わって一矢報いてやらなければこのまま生きていたって苦しいだけだ。

 

 MS(モビルスーツ)に取り付かれないようベンジャミン——ヒルメの〈グリムゲルデ・ヴァンプ〉2号機を直援につけ、艦隊の中へ飛び込む。

 ……こんな捨て身の作戦にライドが頷いてくれたのは〈ガルム小隊〉の気迫があったからだろう。つくづく、小さくとも元ヒューマンデブリの戦士たちには迫力がある。

 齢一桁のころから尖兵として過酷な環境を生き残ってきた生存者たち。戦術に秀でるのは、そうでない命が生き残らなかったからだ。連携できないパイロットは死んだ。判断力で劣るパイロットはみな死んだ。

 少年男娼たちがいやに魅力にあふれているのも、そのように育てられ、それでこそ生き残れたせいだろう。

 大人たちが勝手に作った運命(ルール)に翻弄されて、死というかたちで淘汰されてきた。

 

「見せてやろうぜ、俺らの力を」

 

 胸を張って、イーサンが拳を突き出す。ああと穏やかにウタが応じる。〈イサリビ〉のころが懐かしい。どんなに月日が流れようとも褪せない記憶だ。

 

「頼むよ、相棒」

 

 オリーブグリーンの双眸を細める。正気でいるはずなのに、死ぬのが怖いとか、そんな感覚はとうに麻痺してしまった。死を厭わないわけじゃない。だが、家族を殺されるほうがずっとずっとおそろしい。

 未来を奪われ、生きたまま踏み躙られるのはもうたくさんだ。

 

 生かすために前に進む。屍を踏みつけられないために、尊厳ある終焉を。

 勝ち取りに行く。


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