MSV. 弾劾のハンニバル《完結》   作:suz.

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【前回までのあらすじ】

 どうにか月面基地から離脱したライドたち。アルミリアの身柄はジュリエッタによって保護され、無事に返還されたが、今度はエンビが戻らない。火星で待機していた〈ガルム小隊〉を呼び寄せ、捜索・哨戒にあたったところ漂流する〈ヴァナルガンド〉を発見。取り引きを拒否されたはずのハーフビーク級戦艦の中には〈グリムゲルデ・ヴァンプ〉1号機と、遺体袋がひとつ積み込まれていた。
 ファスナーを開ければ、そこには――。


第六章 喪主は七年前に死んだ
016 スケープ・ゴート


 きらきらと青白い光線が駆ける。スペースデブリの迷宮を縫うようにして〈レギンレイズ・ジュリア〉は奔っていた。

 サブモニタをちらりと見やり、ジュリエッタは牽引している(ひつぎ)の状況を確認する。凍結率八十七%――あと少しだ。この〈ルーナ・ドロップ〉には恒星の光も届かない日陰が多いためか、予定よりもずいぶん順調らしい。

 大地のない宇宙において、葬送はこのようにして行なうのが常である。

 遺体袋を船尾などに取り付け、引き回せば、何らかの作用によってやがて芯まで凍り付く。真空か低温か、具体的な要因までジュリエッタは関知しないが、そのまま高速で牽引を続ければやがて微塵に砕け散ることと、そうした葬送の手順だけはギャラルホルンの兵士として承知している。

 小さな柩はぽろぽろと氷の涙を散らすように砕け、やがて宙域にはジュリエッタひとりが残された。

 最後の最後にバーニアをふかし、死の気配を断ち切るように加速する。アルミリア・ボードウィンとの約束通り、責任を持って葬送を成し遂げたのだ。これでリタ・モンタークの魂はあるべき場所へと還っただろう。

 幼き日のマクギリスに瓜二つだったという金髪碧眼の少年は、血染めのドレスに(くる)んで永遠の眠りに送り出した。

 

(……どうか安らかに。もうひとりのマクギリス・ファリド――)

 

 目を閉じて、なけなしの祈りを捧げる。魂の在り処などわからないけれど、それでもどうか、彼女との約束を果たせたと信じたい。

 モヤモヤとどうしようもない感傷を噛みしめるように目を閉じて、ジュリエッタは操縦桿を握りしめたまま、コクピットの低い天井をふりあおいだ。軽量化のたび各モニタが迫ってくるせいで、今やちょっと首を傾けるだけで壁に触れられる。ヘルメットがこつりとモニタに触れ、ブルーグレーの双眸は無感動にまたたく。

 

 ああ、ここも棺桶のようだ。

 

 いち個人としてアルミリアに肩入れしても、ジュリエッタはラスタル・エリオンの私兵に過ぎない。フェンリルの花嫁が無事であることを願いながら、今後もギャラルホルンの女騎士(アイコン)として、使い道がある限り担がれ続けていくのだろう。

 地球経済圏、コロニー、圏外圏の出身者でも『悪魔の首を取る』ことができれば出世がかなう――というギャラルホルンの新体制において、ジュリエッタ・ジュリスという前例は必要不可欠である。

 悪魔の首を取った凛々しき女騎士の立身出世は、裏を返せば危険な任務から生還した武官でなくば認められることはないという意味でもある。栄誉栄達を望むならば最前線へ志願せよと、地球外出身者を死地へと駆り立てるだろう。

 そのようにしてラスタルは、保守派にも中間層にも支持される『改革』を成し遂げた。

 

 合議制が解体され、セブンスターズに繰り上がれるはずだった第八席以下の貴族たちからの反発も、ガンダムの頭部に破格の価値を与えたことで至極あっさりといなした。

 イシュー家、クジャン家、ファリド家のガンダム・フレーム売却を契機に『お取り潰し』という悪習を撤廃したことが大きかったらしい。決して転落することのない永遠の地位を約束された貴族たちは、いらなくなったガンダムを次々スクラップにしだした。

 

 栄えある地下祭壇には、悪魔(ガンダム)の首がずらり。

 

 ……つくづく主君の政治力には感服させられる。

 

 ひげのおじさまと慕った傭兵も天性の戦術家であったが、ラスタルは真の支配者だ。

 かつてマクギリス・ファリドが目指したものは、生まれも身分も関係なく競い合う権利だった。アルミリア・ボードウィンが彼の思想を引き継ぎ、人が人らしく生きられる〈法〉と〈秩序〉を模索している。

 ファリド夫妻が描く未来に、生まれが()()だなんて発想はない。階級はあくまで指揮系統としての順列であり、支配と隷属の関係ではない、というのが彼らの描く『平等』だ。出身地、性別、年齢によって周縁化されるシステムを是としない。

 

 しかしそれでは、貴族からの賛同は得られない。貧民が同じスタートラインに立つようになれば、マクギリスやジュリエッタのようなガツガツした下等民が出世レースを勝ちあがってくる可能性があるからだ。

 誰も競争などしたくない。戦わず、争わず、平和的に豊かな生活を享受したい。

 

 ラスタル・エリオンはだから、巧妙に矛先を逸らしてみせた。

 

 青年将校らの蜂起に〈マクギリス・ファリド事件〉と名前をつけ、マクギリス・ファリド本人の死をもって幕引きとしたのは、社会的信用を失いかけていたギャラルホルンの『自浄作用』を印象づけるためだ。

 抗争を早期に解決したことで改めて綱紀粛正を世界に示し、マクギリスが解消しようとしていた『出身地による待遇の差別』をうやむやにさせた。

 

 火星独立運動の旗頭であったクーデリア・藍那・バーンスタインが望んでいたのも、力なき子供たちが搾取されない世の中であったという。それを、これまで野放しだった圏外圏の奴隷を〈ヒューマンデブリ廃止条約〉によって制限したことで、解決されたと世界を安心させた。

 といっても圏外圏は角笛の音も届かぬ無法地帯。もとより非合法であったはずのマン・マシーン・インターフェイス——阿頼耶識システム——の適合手術が横行していたこともあり、条約の効力などあってないようなものである。

 

 ならば、取り締まりの必要性が浮上する。ギャラルホルン火星支部の縮小は、そのために行なわれた。〈マクギリス・ファリド事件〉の中で、当時の火星支部本部長をつとめていた新江・プロトが革命軍らに便宜を図ったことも(キー)になった。

 これまで火星植民地域はギャラルホルンによる間接統治が行なわれていたが、火星支部が衛星基地(アーレス)にまで撤退すれば、地球経済圏はたちまち植民地の運営に行き詰まる。唯一の通信回線であるアリアドネはギャラルホルンが管理しているのだから、情報の封鎖など容易だ。

 思惑通り、各地球経済圏は火星植民地域の統治を断念。火星は、宗主国から見捨てられる形で脱植民地化を果たした。

 

 そして発足した火星連合政府は、ラスタル・エリオンとマクマード・バリストンによる傀儡になる。

 

 さらに、初代連合議長をつとめるにふさわしい知名度を持つ〈革命の乙女〉は、火星の人々すべてに教育を与えたいという。

 

 すかさず木星圏や地球圏から大量の教員免許保持者が送り込まれ、宣教師たちは少年兵(テロリスト)の残忍さ、凶暴さを切々と説く。人々のしあわせを壊す害獣のいない、優しい世界を作ることこそ、願われた火星の姿なのだと。

 マクギリス・ファリドやクーデリア・藍那・バーンスタインの目指した理想の()()を、敢えて実現することによって弱者という弱者の口を塞いでしまった。

 出自が悪くとも出世の機会が得られることに感謝しろと、平等を望む声は遮られる。少年兵たちは害獣として迫害され、ヒューマンデブリに身を落とせば銃殺刑に処される。

 世界は平和になったのだから、平和な世の中に生かしてやっているのだから文句を言うなと出る杭を打ち合うさまを、はるか高みから睥睨する独裁者ラスタル・エリオン。

 

 これでもう、第二第三の鉄華団が現れてギャラルホルンの威信と繁栄を脅かすことはないだろう。第二第三のマクギリス・ファリドが現れて、周縁化された弱者たちを鼓舞することもない。

 

 永劫の平和が訪れようとしている。

 希望も絶望もない、役割だけがそこにある家畜の安寧が実現される日は、もうすぐそこだ。

 

(それでも、わたしは――)

 

 恩人への忠義忠節のため、人として強くなりたい。

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 まったく、何が幸いするかわからないものだ。

〈ヴァナルガンド〉の医療ポッドが稼働してよかった、と言うこともできる。さすがギャラルホルンの戦艦だけあって、医務室には実に高性能なメディカルナノマシンが備え付けられていた。

 ヒルメがメカニックによる生体反応の確認を要請した判断も吉と出た。あのタイミングでメカニックを寄越してくれと母艦〈セイズ〉に連絡していたから、火星から合流していたカズマが〈ヴァナルガンド〉に向かっていた。小型ランチにドクターを同伴させたライドの人選も正しかった。

 尋問の痕跡も明らかなエンビにすがって号泣するトロウは正常な精神状態とは言いがたく、アルミリアが雇った医師は、錯乱するトロウの対応のためすぐに〈グリムゲルデ・ヴァンプ〉1号機のコンテナへ誘導された。カズマはブリッジへ直行し、艦内にスパイが息を潜めていないか再確認(ダブル・チェック)にあたった。

 結果、思わぬ場所から生体反応を検出した。

 

 

 ――脈拍がまだっ……エンビは生きてる! 待って今すぐ医務室の電源入れる!!

 

 

 上擦った叫びがきぃんと響き渡ったのは、ちょうどヒルメがトロウを押さえつけ、ドクターによって鎮静剤が投与されようとする寸前だった。

 すぐにエンビの容態が確認され、投薬による仮死状態と診断された。

 格納庫に備え付けのストレッチャーをむしり取って担ぎ込み、医療ポッドに漬け込んで、――今に至る。

 

 

 漂流していたハーフビーク級戦艦〈ヴァナルガンド〉を回収して、四日あまり。静謐な医務室では、電子音が規則正しい脈拍を刻んでいる。外傷の回復は順調らしく、バイタルの値は驚かされるほど正常だ。

 ヒルメはこの数日間で何回ついたかもわからないため息を重く落とすと、手許のタブレットをデスクに伏せた。

 

(……俺たちはあと何日生きられるんだ)

 

 自問する。答えは出せない。火星にも戻れずさまよって、このまま海賊にでもなって、アリアンロッドの強襲を受けるまでの命なのか。

 瀕死のエンビを〈セイズ〉まで連れ帰るのは難しい状況だったとはいえ〈ヴァナルガンド〉の船体規模では、逃げ隠れしていられる時間も長くはない。火器管制にトリガーロックがかけられていることをイーサンが発見し、今はメカニックによって解除と再装填作業が進められてはいるが、艦隊戦となると不安が多い。

 いつでも乗り捨てられるよう艦尾のウェルドックに〈セイズ〉を収容し、MS(モビルスーツ)も全機こちらへ移してきた。

 戦力は〈ガンダム・アウナスブランカ〉、〈グリムゲルデ・ヴァンプ〉三機、〈マン・ロディ〉四機、〈スピナ・ロディ〉五機、〈ガルム・ロディ〉十機。それから〈ガンダム・バエル〉を含めて、総勢二十四機。

 動けるパイロットは二十二人。〈ガルム小隊〉や〈ウルヴヘズナル混成小隊〉から予備パイロットを動員することになるだろう。もしもアリアンロッドの攻撃を受ければ、守ってやりたかった未熟な弟分たちまで戦場に駆り立てねばならなくなる。

 

 これで本当によかったのかと自問して、自答できずにまたため息だけ吐き出す。繰り返しだ。いくらか前にトロウが寝落ちてしまったので、話し相手もいない。

 医療ポッドに突っ伏して寝息をたてるトロウと、生理食塩水に横たわってこんこんと眠り続けるエンビを見下ろす。

 その胸元で癒えつつある血文字に、危うく騙されるところだった。

 

The body tells no tales(肉体は何も語らない)

 

 死人に口無し(Dead man tells no tales)とは、書いていなかったのだ。

 中途半端な知識を嘲笑われているようで、なおさら気が滅入る。

 

 尋問中に死亡したと早合点したが、その実、コールドスリープ、あるいはハイバネーションのような状態であったらしい。傷口から出血がなかったこと、体温や血圧が極端に低下していたことから、ドクターやメカニックの慧眼がなければ見落としてしまうところだった。

 みな疲れていたし、動転していた。遺体袋(ボディ・バッグ)に入れられていたこと、死んでいても不思議ではない重傷を負っていたこと、予定外の長い不在にエンビの生存を疑いはじめていたこと――他にも死体と早合点しそうな条件は揃っていた。

 あのまま遺体として処分してしまっていたらと考えると、生きた心地がしない。

 

 また新たなため息をついたところで、医務室の扉が開かれた。

 姿を現したのはライドだ。アルミリアが続く。見舞い客がふたりも現れたことでヒルメは疲れた顔をあげた。

 ライドは気遣うように眉尻を落として、同胞が眠る医療ポッドを見下ろす。

 

「エンビの調子は?」

 

「よく眠ってる。命があっただけでも奇跡みたいなもんだから、当分はゆっくり寝かせとけってさ」

 

「そっか。……死ぬなって、エルガーが励ましてんのかもな」

 

「それ、さっきトロウも言ってたよ。エルガーが憑いてんじゃないかって」

 

 肩をすくめてみせたヒルメはデスクに伏せたタブレットを回収すると、座っていた椅子を譲ろうと腰を浮かした。

 アルミリアはすぐに察して「わたしはここで」と首を振る。ドアのそばで立ち止まり、両腕に抱えていたカラフルな紙の束をライドに手渡した。これ以上立ち入らないという意思表示だろう。開いた両手は祈りのかたちで落ち着いた。

 ライドの手によって医療ポッドのそばに置かれた花瓶の中では、不器用な折り目のついた色紙たちが花を象って咲いている。(アルミリアによれば『オリガミ』というらしいが、紙だなんて高級品を折り畳むなど火星では考えられない暴挙である)

 

 アルミリアが連れている金髪の美少年たちに作らせたものだと、一目でわかった。

 

 結局何もしてやれないままリタを月面基地に置き去りにしてしまったことを謝罪しようとして、ヒルメはしかし、口を噤む。

 最期を看取ったアルミリアに、現場に居合わせなかったヒルメが詫びを入れてどうなるというのだろう。

 後方支援のため〈グリムゲルデ・ヴァンプ〉2号機で待機していたヒルメは、モンターク商会社長とラスタル・エリオン公の間でどんな取り引きがあったのか、伝聞でしか知らない。アリアンロッド兵士らの前に飛び出したリタは、凶弾に倒れ、アルミリアの腕の中で息を引き取った――という情報を遅馳せに共有しただけだ。

 一部始終を見ていたライドとトロウから断片的に得たデータだけで理解した気になれるほど、ヒルメは自己完結が得意ではなかった。

 

 目覚めないエンビの身に何が起こったのかも、いまだ想像の域を出ない。アルフレッドこと〈グリムゲルデ・ヴァンプ〉1号機は単騎で動ける性能を持っているし、エンビの性格上、単独で〈ヴァナルガンド〉奪還作戦に踏み切ることも予想はできた。独断で月面基地に潜入し、兵士と遭遇して銃弾を脚に受け、足止めされて捕らえられたのだろう。

 

 ――家族の無事を願うなら、ちゃんとケジメをつけてこい。

 

 忠告通りにリタを毒殺しておいたなら、エンビは無事だったろうか。そんな考えが数秒ごとに脳裏をよぎる。そのたび、ため息がこぼれた。致死毒を返さなかったおかげでエンビは生きて戻ってきてくれたのだと喜ぶべきなのか。……わからない。

 家族を守りたくてライドのもとに集い、家族の無事を願うために支払わなければならない犠牲があることも、承知していたつもりだった。なのに二兎を追おうとして、結果がこのざまだ。

 

「副団長が言ってたのは、こういうことだよな。戦ったって家族が酷い目に遭うだけだって。だから武器なんか捨てちまえって。もともとまともな死に方できるなんて思っちゃいなかったけど……、さすがにキツいな」

 

「……ヒルメ」

 

 このところ心休まる暇のないヒルメを慮って、ライドもまた沈鬱に目を伏せた。ヒルメが頭を振る。その姿はまるで、死神の足音に耳を塞ごうとしているかのようだった。

 

「ドクターが、このまま意識が戻らないこともありえるって……」

 

 医師の話では、薬の作用以外にも精神的なショックから覚醒を拒否している可能性もあるという。

 拷問の記憶から心を守るために、眠りの中へ逃避する症例は決して珍しくないらしいのだ。銃創や骨折といった外傷の回復は見込めても、まだ安心はできない。

 

「まだ目覚めないと決まったわけじゃない。悪いほうにばかり考えるな」

 

 事実、エンビはまるで双子ふたりぶんの生命力を集約したかのような回復を見せている。深い睡眠状態にあることが自然治癒力を高めているのだろう。傷が癒えれば自然に目覚めるかもしれない。

 アルミリア嬢が連れてきた老医師は、こんな任務にまで同行するだけあって、宇宙ネズミについても差別感情を持たない奇特な人物でもある。偏見を持たない――先入観やプロパガンダを『事実』とは受け取っていない――人物ゆえ、知らないことは知らない、わからないことはわからないとはっきり言ってくれる。(ついでに「地球ではこう信じられている」という情報も付け加えてくれ、それを『偏見』や『誤認』だと訂正すれば取り合ってくれるという、なんというか、地球人にも会話の成立する人間はいたのかと驚くような御仁だ)

 

 そんな医師の見識をもってしても、一体どんな薬剤を使われたのかは判然としないという。

 予防接種などの習慣がなかった火星人は独特の免疫力を持っており、地球で製造されたワクチンやドラッグがどのように作用するかわからないのだ。それがエンビの目覚めを阻害している理由かもしれない。でも違うかもしれない。前例がない。不可知だ。

 かといって、メディカルナノマシンによる細胞の活性化に頼るしかない現状がヒルメを悩ませていることもまた事実である。

 答えのない問いはただ抱えているだけで精神を疲弊させる。ヒルメは複雑な思いを吐き出すすべもなく、チェアに沈み込んだ。ため息にもなれない嘆息に、口角がいびつに釣り上がる。まるで自傷のようだ。

 

「信じて待つしかないのはわかってる。けど、そしたら次は、エンビが起きたとき、生きててくれてよかったって言っていいのかって考えるんだ」

 

 心配かけてごめん、もう大丈夫だ――と言ってほしいのは目覚めを待っている側のエゴで、エンビはなぜ助けたと憤るかもしれない。

 もちろんそんなふうに責めてほしいわけじゃない。だが医療ポッドに横たわるエンビの姿は痛々しく、命があってよかったなんて無責任に喜べる状態ではない。歯や爪はすべて無事だったにしろ、肩と肘を脱臼させられ、手首の骨には罅が入っていた。射撃を得意とするエンビが、自慢の命中率を取り上げられてしまったのだ。

 脚に三発受けた銃創も、ひとつは執拗に抉られており、傷痕は消えずに残るだろう。主要な骨や筋は逸れているとしても、回復に時間がかかるほど筋力は低下し、俊足を鈍らせる。

 一体どんな薬を使われ、どんな自白を迫られたのか――、ヒルメは兄弟の身に降り掛かった暴力を思う。即死の毒薬が手許にあればと願ったかもしれない。ヒルメを恨み『裏切り者』と詰ったかもしれない。

 

「エンビがどう言うにしたってお前の気持ちはお前のものだ、ヒルメ。優しさで自分をすり減らすな」

 

「でもさ。生きててほしいのも、死なせたくないのも、俺たちの都合(エゴ)だろ? 死んだほうがマシな目に遭ってきたなら、生きろなんて追い打ちはかけたくない、かけられない」

 

 首を振る。正直、混乱している。ヒルメの本音はその一言に尽きた。

 もし、もしも目覚めたエンビがもう戦えない、戦いたくないと言ったとき、受け入れられる自信がない。

 いっそ殺してくれと乞われたとき、どうすべきかも。

 

 だって、CGSの参番組では重傷者は()()()()()()のが常だったのだ。

 

 戦士の生命線とも言うべき、Life()Limb(四肢)Eyesight(眼球)。そのいずれかが失われたら、生きていくのは難しい。

 生活のために傭兵として働いている。ならばこそ五体満足であることは必須条件だった。片腕でマシンガンは抱えられない。片足では走れない。盲目では狙えない。仲間の楯になって死ぬのがせいぜいだろうに、仲間の手を患わせなければ戦場にたどりつくことすらできない。

 仕事にならないのに、生活コストは倍増する。すなわち終わりだ。今ある呼吸を続けるために必要な金を工面できなくなった戦友を、楽に眠らせてやるのがせめてもの慈悲だった。

 銃口を向けるとき、トリガーを引くとき、罪悪感はともなわない。お前が苦しむ時間がどうか一秒でも短くあるようにと、喉奥で願うだけで精一杯だ。嘆きの声を噛み潰し、揺らぐ視界で最期を看取る。ただ胸をえぐるような悲しみだけが横たわる。

 

 医療の恩恵を受けられない少年兵に、延命治療という観念はない。

 殺すことは、生きることだった。

 

 かつての火星ではみなそうだった。花街の女たちだって食い扶持のために我が子を殺す。傭兵だって報酬のためにターゲットを手にかける。受けた仕事をやり遂げるため、行く手の障害を排除し、生き残る。それ以外の選択肢はない。

 

 人を殺してはいけない、なんてルールを知ったのだって学校に収監されてからのことで、それまでは殺さなければ殺される環境で生きてきた。CGSに志願して無麻酔の適合手術を受け、ずさんな手際、金属アレルギー、感染症、阿頼耶識システムの不適合などの理由で仲間は次々死んでいくのが『普通』だった。

 仲間を使い捨てられる日常のせいで、殺人は『罪』にあたる、なんてルールは地球圏特有のものと思い込んでいたくらいである。

 

 齢一桁だった子供のころから、誰かの命を糧に生きてきた。

 肉食獣が肉を喰うように。

 

 生命倫理をかなぐり捨てた生存者(サバイバー)は、捕食動物と変わりない。

 

 

 そもそも、人を殺してもこうして正気でいられること自体、異常なのだ。

 

 

 だから無抵抗で殺されるべきだと、学校で教えているのだろう。

 倫理観の破綻した異常者たちは戦闘経験豊富で、鋭い爪と牙を持っている。合理的に思考するため懐柔もきわめて困難である。

 ならばどう駆除してくれようかと考えたどこぞの誰かが、『教育』を手段に使った。

 少年兵は生まれついてのテロリストで、存在が迷惑で、死ぬべきなのに死なずに生きている邪魔な獣だ――と学校で繰り返し刷り込んでいれば、誰もが少年兵を忌避するようになる。どんな殺し方をされても自業自得だと喧伝する教師の言葉を鵜呑みにして、植え付けられた差別感情のまま人々は『害獣』に石を投げるだろう。

 

 だって少年兵とは残忍で凶暴で、破壊と殺戮を繰り返すテロリストなのだから。

 

 傭兵にせよ暗殺者にせよ依頼がなければ人殺しなどしない、領域を侵されなければ自衛の必要だってない。殺されないために抗い、死にたくないと願ってきただけだ。――というのはヒルメたち少年兵側の言い分で、そんなことより民衆は、公正なる世界のために『悪者』どもは報いを受けて死んでほしい。

 因果関係がどうあれ貧困は自業自得で、少年兵はテロリストだと学校で教えている。生きるために人を殺すなんて人間のやることではないという『規範』がある。

 自己否定に苦しみ抜いた少年兵たちは、治安維持という大義名分のもと振り翳される暴力に耐えかね、やがて死という最後の安息に手を伸ばす。

 生きたいと願うことさえ、治安を乱した罪なのだ。これまで家族や兄弟を食わせるため、借金を返すため、自分が食っていくために体を張って働いてしまった『罰』を受けなければならない。

 親の借金や病気の弟妹を抱え、今も警備会社で働かざるをえない現役少年兵たちも、みな等しく『罪人』として。

 

 一方、両親に望まれて生まれてきて、愛されて育てられていく子供たちは断罪者(ヒーロー)になる機会を得る。

 悪い獣をやっつけて『平和を勝ち取った英雄』気分を味わいながら、のびのびと育つのだ。

 

 そうやって少年兵――死を喰らって生きてきた忌むべき獣は、大義のもとに粛正されていく。

 

 実際、いなくなってやったほうがいいのだろう。このまま全滅したほうが世界のためなのかもしれない。こうも無抵抗の死を望まれて、どうやって生きていけばいい?

 ヒルメはああと長く長いため息を落として、両手で顔を覆った。生きてほしいと望むことがどんな破滅を呼び込むのか、考えるだけで悪い未来ばかり浮かんで消える。

 

「……知りたくなかったことばっかりだ」

 

 ()殺しがのうのうと生き延びる世界に、善良な市民の安寧はない。

 だから人々のしあわせを壊す害獣(おまえ)たちは無抵抗で死ぬべきなのだと、〈法〉と〈秩序〉がそう決めた。




※Respectability Politics... 特定の功績などを条件に人権を認める方針により、差別体制を維持しながら人権派を気取ることができる政治のテクニック。差別者・中間層・無欲および無知な被差別者からの幅広い支持を集めることができる。世間体政治。

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