MSV. 弾劾のハンニバル《完結》   作:suz.

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001 仮面の女

 我がモンターク商会は、武器や弾薬だけでなく人材も自信を持ってお届けしております。戦闘員はもちろんのこと、女性でも少年でも、お望みの()()にふさわしい人材をご提供する用意がございますわ。

 さて、本日お客様がお探しでいらっしゃるのは、阿頼耶識使いの少年兵でお間違いございませんね?

 さすがはバーンスタイン議長閣下のご関係者ですのね、お目が高くていらっしゃるわ! 二年前のヒューマンデブリ廃止条約を受けて、旧時代のマン・マシーン・インターフェースを持つ戦士たちはすっかり稀少になってしまいましたもの。

 でも、ご心配なさらないで。我が社にはとびっきりの青少年が集っておりますから。

 

 

「ご利用期間はお決まりでいらっしゃいますか?」

 

 

 にっこりと、仮面の貴婦人はあくまでも朗らかに微笑んだ。鈴を転がすような声は耳に心地よく、彼女の育ちの良さを物語る。遮りたくなるような長台詞でさえ最後まで聞いてしまったほどだ。

 タイミングを見計らったようにメイドが現れ、上等そうな紙の契約書をローテーブルにセットしていく。

「そうじゃねえ」とうなったのは、ユージン・セブンスタークだ。

 今日はお嬢の使いで来たわけじゃない、と言うに言えず、肺腑の底からため息をついた。

 

 目の前に並ぶ飾り物のようなペンと、インクの壷。かつてのユージンならば、それが何なのか、何のために運ばれてきたのかもわからなかっただろう。

 火星連合発足以前のクリュセには『紙媒体の契約書』なんぞ存在もしていなかったのだ。クーデリア・藍那・バーンスタイン火星連合議長様のSPだなんて仕事に就かなければ、紙とペンなんてものを見ても、それが数ヶ月分の生活費に化ける高級品だなんて想像もできなかったに違いない。

 地球圏から持ち込まれた貴族的文化を目の当たりにして、我知らず眉間に皺がよった。ソファは座り心地が良すぎて、逆に尻の座りが悪い。

 

 ユージンがこのオフィスを訪ねたのは商談のためではないのだ。契約のためでも、まして人身売買のためでもない。

 契約書を一瞥してから「単刀直入に言わせてもらいます」とレディ・モンタークに向き直った。

 

「ライド・マッスっつう赤毛の傭兵が、ここにいるでしょう。あいつを返してもらいたいんです」

 

 睨み据えても、うら若い女社長は歯牙にもかけない。奇怪な仮面ごしにもわかるくらいに柔和な笑みを浮かべたままだ。

 年のころは十七、八といったところだろうか。面差しはあどけない。このほど大学生になったクッキーやクラッカと同世代のように見える。

 

 創業二百云年の歴史を持つ老舗、モンターク商会。

 七年ばかり前まではマクギリス・ファリドが別名義で代表を務めていた、おそらくは武器問屋だ。鉄華団とも業務提携し、武器や弾薬、情報を提供する対価として火星ハーフメタルの利権を一部手に入れていた。

 あのころのモンターク商会に大した知名度はなかった。火星を活動拠点にしてもなかったはずだ。

 それが二年前にノブリス・ゴルドンが()()()によって暗殺されてから、目覚ましい台頭を見せはじめた。

 

 ノブリスが座っていたフィクサーの椅子をいともあっさりかっさらい、火星から全宇宙に影響力を持つやり手の武器商といえば、今ではモンターク商会が代名詞となった。

 表舞台に現れたきっかけですらキナ臭いというに、いち民間企業でありながらギャラルホルン製のMS(モビルスーツ)を直接買い付けているだなんて、どう見積もっても怪しすぎるだろう。

 ギャラルホルンと取引のある巨大コングロマリッドであるあのテイワズでさえエイハブ・リアクターはサルベージ品だというのに、モンターク商会は〈ゲイレール〉や〈グレイズ〉といった旧型機をそのまま仕入れているのである。

 一体どういうルートで、どういうパイプを持っているのか。ギャラルホルンと懇意にしているような様子もなく、その実態は杳として知れない。

 

 ヒューマンデブリの取り扱いにしてもそうだ。

 かつて鉄華団が大暴れしたおかげで子供が有用な戦力と見なされ、少年兵は一時爆発的な増加を見せた。

 といっても、ただのガキを戦場に放り込んでも小さすぎる肉の壁だ。俊敏なだけで体重は軽く、MSを主戦力とする昨今の戦いではそうやすやす役に立つものでもない。パイロットとして育てるコストを惜しんで阿頼耶識の適合手術を強要されるのはどことも同じだった。

 そうして急増したはずの児童傭兵たちは、二年前に〈ヒューマンデブリ廃止条約〉が締結されたことによってきれいさっぱり姿を消した。

〈マクギリス・ファリド事件〉を受けて有機デバイスシステムの危険性、少年兵の凶暴性が改めて喧伝されたとはいえ、圏外圏における安価な労働力としてあれほどの数がいた宇宙ネズミが一体どこへ行ってしまったのか、疑問を抱かないほうがおかしい。

 めっきり現れなくなった宇宙海賊どもはどこへ行った? どこかに潜んでいるのか、ギャラルホルンに取り締まられたのか。そこで使われていたであろうヒューマンデブリたちは一体どこへ消えた?

 航路を荒らす宇宙海賊どもが現れなくなったと思ったら、先日にはドルトカンパニーの重役が何者かによって殺害されるという事件があった。

 コロニー内部に所属不明MSが押し入り、建物から出てきた会社重役らを見たこともない炎で焼き殺したというのだ。

 ドルト一件のみに留まらず、今度はSAUで傭兵の集団死が見つかった。現場はアーブラウとの国境近く。隠れ家にしていたSAU正規軍のキャンプ跡地ごと踏みつぶされ、連れ込まれていた女らしき遺体ごと焼き尽くされていたらしい。

 ドルトコロニー群から地球までの距離を考えれば別働隊だろう。

 

 しかしアリアドネが捕捉した監視カメラの映像から、凶行に及んだMSの肩には狼を象ったノーズアートがあった――という共通点が浮かび上がった。

 

 背筋が凍る思いだった。二年前に姿を消した、あいつらが乗っているのではないかと、雷のような衝撃がユージンを襲った。

 ニュース配信を漁って目撃情報をかき集め、旧タービンズの伝手をたどってどんな情報でも欲しいと望んで断片をつなぎあわせて、やっとそれらしくなったシルエットから照合できた機体は()()()()()()()()()()()。焦燥が胸を掻きむしって、夜もまともに眠れなかった。

 

 だからユージンはここまで来たのだ。街中で偶然トドを見つけて衝動的にとっちめて、モンターク商会のオフィスまでタクってきた。

 ライドたちはここにいるのだろう。危険な仕事をしているのだろう。俺が連れて帰るとは言わないから、どうか家族のもとへ返してほしいのだ。

 

「恐れ入ります、お客様。個人情報の開示には相応の対価をお支払いいただかなくては」

 

「金か? いくら必要だ」

 

「金銭でなくとも構いませんわ。個人情報を売り渡すにふさわしいものでさえあれば」

 

「ソレが金じゃないってんなら何なんだ……。あんたは商人なんだろう」

 

 相応の対価がいくらになるか、提示するのは商人(あんた)の側じゃあないのか。ユージンの声は苛立ちのまま低くなり、双眸は凄むように眇められる。

 それにも女社長はそよ風に吹かれたように涼しい顔で、あどけないくちびるを笑みのかたちにしてみせた。

「そうですね、」と白魚の指先を顎に添える。

 仮面の奥のひとみは、微塵も笑ってなどいない。

 

「お話によれば、火星連合は一部の市民に限って職業選択の自由を認めていらっしゃらない……とか」

 

 冷静な指摘。それは事実だ。ユージンの眉が胡乱に歪む。

 一部の市民――鉄華団の残党に限り、学校に通うにしても仕事をするにしても戦闘にだけは関与できないよう、クーデリアが配慮している。

 戦いの中で多くを失い、傷ついてきた少年たちがふたたび戦場に舞い戻るなどあってはならないという、彼女なりの救済措置だ。

 学びによって選択肢を増やせるようにと、火星連合は学校教育の充実を推し進めている。

 子供が戦わなくていい世界を目指しているのだ、もしも「戦いたい」と子供が言うなら「戦う必要はない」と大人が諭す。保護者が守ってやりさえすれば、ガキどもが自衛のために、自活のためにと武器を手に取り物騒な仕事に従事することはないのだ。

 戦いには何の意味もない。復讐は何も生まない。オルガ・イツカは仇討ちなど望まない。だから鉄華団の残党に限り、弔い合戦を封じるために『戦闘職に就かない』という制約がもうけられた。

 そのことを知っているのは当事者のみのはず。

 ライドが打ち明けたのか、それとも。

 

「……あんた、何モンだ?」

 

「しがない武器商人でございます」

 

「違うな。あんたがやってるのは武器の卸売りだけじゃない。――人殺しだ」

 

 喉奥から絞り出した糾弾は、しかし応接室の静寂の中に飽和した。

 ノブリス・ゴルドンを暗殺したのはお前たちだろうと言外に糾弾しようとも、鉄仮面の前にはどこ吹く風。ミルクティーでも冷ますような少女のため息がユージンをいなす。

 

「あなたがただって、業務上の殺害は経験なさっているでしょう」

 

「……一緒にするんじゃねえ」

 

 ユージンがうなれば、「まあ」とさも驚いたような芝居をする。

 

 

「殺人に貴賎があるとおっしゃるの?」

 

 

 仮面の奥でぱちくりと、青いひとみがまたたく気配があった。

 ……おそらくそういうパフォーマンスだろう。あの仮面には、目を隠す可変機構があることをユージンは知っている。

 

 確かに鉄華団は、ギャラルホルンや宇宙海賊と交戦し、数多の犠牲者を出してきた。

 CGS一軍のハエダ・グンネル、ササイ・ヤンカスをはじめ、海賊をけしかけてきた〈テラ・リベリオニス〉のアリウム・ギョウジャン、地球支部をテロリストに売り払った監査員ラディーチェ・リロトのような裏切り者に責任を問い、()()()をつけたこともある。

 ギャラルホルンとの交戦以外にも、国境紛争に巻き込まれた地球支部はSAU正規軍を相手取って戦った。

 だが、あれらは仕事だ。

 

「依頼を受けて、任務遂行のためにやったまでだ」

 

 殺さなければこっちがやられる。目的地までたどり着くには、障害物の排除はつきものだ。

 

「我々とて同じです。依頼に基づき、頂戴した対価に不足のないようお役目を果たしているのです」

 

「同じだと? あんたらのやってることは自分勝手な復讐じゃねえか!」

 

「まあ、そうなのですか? わたしには依頼主のお心までは拝察いたしかねます」

 

 いけしゃあしゃあとかわしてみせた女社長は、憎たらしいほど動じない。

 最近の事件だけでもドルトカンパニーの重役暗殺に、SAU国境付近での傭兵殲滅。ちょっと考えればわかることだろうに。

 

 もう十年近く昔の話になるが、ドルトコロニーでは労働者たちの大規模な武装デモがあった。

 求めたのは労働への〈対価〉だ。コロニーは文字通りの宇宙植民地であり、そこに生まれ、そこで暮らし、そこで死んでいく労働者たちの就労環境は劣悪きわまりないものだった。職種業種によっては命の危険もついてまわる。怪我や病気で働けなくなったときの保障がほしい、不慮の事故で命を落としたとき家族に財産を遺してやれるシステムがほしい――など、相応の対価を支払ってくれと声をあげるためのデモだった。

 

 日々を生きるだけで精一杯の家畜のような生活から、人間として尊厳のある生き方へ。

 

 望みは叶えられることなく焼き払われた。

 

 ノブリス・ゴルドンが〈革命の乙女〉からの支援と偽って武器を大量に提供し、名ばかりの旗頭クーデリア・藍那・バーンスタインと彼女を守る〈若き騎士団〉こと鉄華団に届けさせたせいだ。

 間者であったというフミタン・アドモスは狙撃手の凶弾に斃れ、ビスケットの長兄サヴァラン・カヌーレはデモの()()を苦に首を括った。

 

 当時、ドルト3の労働組合を仕切っていたナボナ・ミンゴ氏の自宅を訪ねたユージンは、社宅だという集合住宅で子供らに会った。

 ドルトの争乱はクーデリアの呼びかけによって収束し、その後アフリカンユニオン政府が労働環境改善を約束したと聞いたが、あのときシノが遊んでやっていた()()子供たちはヒューマンデブリになったのだろう。

 半年もしないうちに鉄華団が名をあげ、各地で少年兵の起用が活発化したのだ。業腹だがタイミングはおそろしいほどよく噛み合っている。

 

 阿頼耶識システムが適合する年齢の――成長期を迎える前の――ガキの誘拐など、大人の手にかかれば子犬を捕まえて箱に放り込むより容易だ。元手はタダ同然、適合手術に失敗したら廃棄すればいい。生き残っても行き場がないから命の限り戦い続ける。これほど都合のいい肉の壁は他にない。

 ドルトカンパニーの労働者寮にはアフリカンユニオン政府が補充した人員が新たに住み着いたろうし、親を失った子供たちの面倒を見きれるほどの大人も生き残っていなかった。小学校や保育所だってまともになかったのだ、孤児院など整備されているわけがない。

 

 すべてはノブリス・ゴルドンの手のひらの上で、武器と兵士の需要を作り出すために仕組まれたことだった。

 

〈革命の乙女〉クーデリア・藍那・バーンスタインの名前は火種になる。争いが起これば武器が使用され、弾薬が消費される。コロニーならばこそ遺体袋は飛ぶように売れる。(大地のないコロニーには埋葬という習慣がなく、閉鎖空間での衛生環境の悪化は集団死につながる。死体を早急に片付けられなければ『伝染病の原因』とでもレッテルを貼られ、コロニーごと処分されるはめになる)

 

 独立運動を敢えて支援し、労働者と支配者の間に摩擦を生み、ギャラルホルンによる掃討作戦を誘発させては巨万の富を手にしていた大富豪がノブリス・ゴルドンだ。

 紛争の自作自演により利益を得ていたフィクサーの椅子は、今ではこのモンターク商会のもの。

 商会が関与していると見て間違いない件の()()の数々に、ユージンは違和感を抱いていた。

 

 暗殺者(ヒットマン)を差し向けてくれと依頼しそうな相手が思いつかないのだ。

 コロニーで殺害されたドルト公社の重役も、SAUで踏みつぶされた傭兵どもも、殺したところで誰も得をしない。

 

 だが〈相応の対価〉とやらが金銭ではないという言葉で、ユージンの疑念は確信に変わった。

 

「復讐を斡旋してるスポンサーはあんた自身なんじゃないのか」

 

 元少年兵の眼光が仮面の少女を鋭く射抜く。

 目的は経済の利ではない、政治の益でもない、誰かの溜飲を下げるためだけの私刑ではないのか。

 

 モンターク商会と鉄華団の取り引きは七年前、〈マクギリス・ファリド事件〉のただなかで断たれたが、仮面男の羽振りの良さは莫大な資産を否が応でもちらつかせた。二年前にあのノブリスに取って代わったなら、経済基盤はさらに安定しているはずだ。なんたって、阿頼耶識使いの少年兵には元手も保険も必要ない。

 戦闘経験豊富なガキに武器を持たせ、さあ報復を果たしていらっしゃいと、あんたがけしかけているんじゃないのか? ――ユージンは女社長の仮面をじっと睨み据える。

 少女は目を逸らさない。仮面のまぶたを閉ざすこともしない。

 

「どうなのでしょう? 先ほど申し上げました通り、対価をご呈示いただかないことには我々も情報をご提供するわけにはまいりません」

 

 何を言っても脅しをかけても暖簾に腕押し、ふわりふわりとかわされる堂々巡りに、ユージンは「もういいです」と嘆息した。

 座り心地のよすぎるソファから立ち上がる。設計と素材がいいのだろう豪奢なソファは、きっと何時間座っていても腰を痛めたりしないのだろう。

 だが仮面少女とこれ以上会話していたら、頭のほうがおかしくなってしまいそうだ。

「また来ます」と捨て台詞を吐く。ドアノブに手をかけるまでもなくメイドが扉を開けたので、あまりのタイミングの良さにぎょっと目を剥いた。

 

 メイドは会釈のようなしぐさだけで「こちらへどうぞ」と伝える。

 ……実に洗練された所作だ。おそらく自動ドアとなるべき一瞬を見計らうために、応接中の一字一句、一挙一動を漏らすことなく見張っていたのだろう。それでいて息苦しさを感じさせない。

 

 見送りのメイドにいざなわれ、玄関口へと出ればちょび髭の運転手が悠長に煙草をふかしていた。

「終わったかあ?」と手を振るので、ユージンは露骨に嫌な顔をした。

 

 

 

 

 思わぬ客人を送り出して、仮面をとる。ふうと疲れた息を吐く。薄すみれ色の髪をあらわにしたアルミリアの背後で、本棚が音もなくスライドした。隠し扉を後ろ手に閉めてから、自己紹介のように靴音をたてて()()()()()が歩み寄る。

 ライド・マッス――先ほど話題の渦中にあった阿頼耶識使いの少年兵だ。

 二十一歳と既に『少年』の年齢ではないながら、モンターク商会の()()()()()()()()()たちこと、少年傭兵部隊〈マーナガルム隊〉のリーダーとして雇われている。

 

「お姫さんにしては物騒な言葉が聞こえてきましたけど」

 

「そんなことないわ。すべて、わたしの本当の言葉よ」

 

「……似合わないことは言わなくていいっすよ」

 

 皮肉のようだが響きは何とも気遣わしい。ソファの背にもたれかかると、ライドはとすんと腰を下ろした。

 かつてオルガ・イツカが依頼主を『お嬢さん』と呼んでいたように、雇い主を『お姫さん』と呼んでいる。

 セブンスターズの一家門たるボードウィンの名を持つ純血の令嬢では、その()というのもあながち間違ってはいないだろう。

 

「心配してくださるのね」

 

「あんたに折れてもらっちゃ困るだけです」

 

 あぐらをかく暗殺者の気配をソファごしに感じながら、アルミリアは鏡と向き合うように仮面を見つめる。

 この仮面がないと言えなかったけれど、それでもアルミリアは噓偽りなくユージンにこたえた。

 うまく笑顔を作れなくなったくちびるが、心細くふるえる。

 

「お気遣いに感謝します。あなたの言葉はいつもやさしいわ」

 

「やめてくださいよ。旦那に祟られちまいそうだ」

 

「……夫に?」

 

「ええ」

 

「彼は、わたしを責めてくれると思う?」

 

「さあ」とライドは肩をすくめた。「……あの世で怒ってりゃいいなって思ってますけどね。俺は」

 

「ありがとう」

 

 ユージンの指摘の通り、暗殺者を派遣しているスポンサーはアルミリア自身だ。

 依頼主は暗殺者本人。モンターク商会は武器商として利益を得ながら、私刑執行を斡旋している。

 

 創立者クライゼン・モンタークによる起業以来、モンターク商会は人々の生活の質の向上を掲げ、多種多様な商品を取り扱ってきた。

 その二百年の歴史の中には人身売買を行なってきた記録もある。

 少年少女を調()()し、見目によって振り分けて、売りさばいた過去がある。

 マクギリス・ファリドも被害者のひとりだ。

 彼に、親から与えられた名前はなかったという。火星の片隅に生まれ、誘拐され、このモンターク商会で高級男娼として客をとり、やがて売られた名もなき孤児。

 それが彼の真実だった。

 

 イズナリオ・ファリドに目をかけられ、寵愛のもと〈ヴィーンゴールヴ〉に連れ帰られたのちにファリド家の正式な養子――次期当主となったマクギリスは、モンターク商会を乗っ取った。従業員を全員解雇し、豪奢な家具も売り払い、このモンターク邸を建築様式ばかりがうつくしいがらんどうのオフィスに変えたという。

 きっと彼なりの復讐だったのだろう。火星のスラムで彼をかどわかし、おぞましい手段で支配した奴隷商人たちへの。

 

 表向きは武器問屋、その実は、人身売買に通じる老舗。二百年来のノウハウがあればこそ、〈ヒューマンデブリ廃止条約〉締結にともなって行き場を失った少年たちを買い取り、五十名あまりを邸内に保有していようとも足がつくようなことはない。

 条約に背いていようとアルミリア・ボードウィンが社長の椅子に座っている限り、ギャラルホルンの監査が入ることもないだろう。セブンスターズの血統でありさえすれば罪はすべて赦される。免罪される。そういう〈法〉と〈秩序〉がギャラルホルンにはある。

 その法が、その秩序が、マクギリス・ファリドを殺した。

 

 ならばアルミリアは、セブンスターズの一家門たるボードウィン家の名を利用して悪逆の限りを尽くしてみせようと誓ったのだ。

 紛争を起こし、それを武力で制圧することでギャラルホルンの存在意義を自作してきたギャラルホルンの子女として、先人に勝るとも劣らない戦乱の時代を招いてみせる。

 

「戦いは何も生まないだなんて、詭弁だもの。ギャラルホルンはずっとそうして栄えてきたわ。このモンターク商会だって、そうだったのよ」

 

 小さな火種もいつかは戦禍となり、武器の需要を生む。護衛が必要とされ、雇用が生まれる。

 暗殺にせよ復讐にせよ〈需要〉がある限り、そこには流通業の仕事があるのだ。みずから燃料をぶちまけて戦禍を呼べば、いともたやすく経済はまわる。

 ギャラルホルンから武器を買い付けているだけでモンターク商会の懐は潤っていく。

 

 憎しみは連鎖し、復讐者は無限に現れる。

 たとえばドルトコロニーで両親を失い住処を追われ、ヒューマンデブリに身を落とした少年少女。

 たとえば国境紛争で無駄な損耗を強いられ、仲間を無惨に使い捨てられた鉄華団地球支部の少年兵。

 報復を望む同志たちが生まれ続ける限り、アルミリアは助力を惜しまない。

 己が持つ牙の使い方も知らず、ただうずくまるしかできなかった獣たちに武器を与え、仇敵を教え、作戦とともに野に放つ。ノブリス・ゴルドンのやり方と同じだ。ラスタル・エリオン公だって、こうやって戦禍と需要を(つく)り出してきた。

 

(だったらその利益、わたしがいただいたって構わないはずだわ)

 

 いつかラスタルが邪魔だと判断する日が来れば、強制査察なり何なりの手段でモンターク商会は制圧され、廃業ではなく全滅という形で潰えるのだろう。

 逆賊に仕立て上げたいならそうすればいい。殺したいなら殺せばいい。報復でしか生きられない、他の選択肢が遺されなかった孤児(オルフェン)たちのシェルターは、戦場にしかもうないのだ。

 

 仇討ちよりも生産的な道を見出すなら、いつでも出ていけばいい――アルミリアは幼い傭兵たちにそのように言う。

 鉄華団はそうだったという、ライド・マッスの言葉を信じた。

 マクギリスは鉄華団を高く評価していたというトド・ミルコネンの言葉を信じた。

 信じられるものが他になかった。

 

 さいわい邸内にはゲストルームが潤沢にあり、ベッドの数もあり余っている。ここを去るなら行き先は学校か路上かの二択になってしまうけれど、新たなIDを偽造し、少年兵だった過去はすべて伏せてみせる。ギャラルホルンという巨大なバックアップを持つ今のアルミリア・ボードウィンにはそれだけの権力がある。

 恣意によってノブリス・ゴルドンを殺害し、武器・弾薬の流通ルート、報道機関にも手を回して、モンターク商会は今や、アルミリアとライドの共通の仇敵であるラスタル・エリオン公と手を結んでいる。

 このアリアンロッドの職域で、可能な限りすべての復讐を遂げるつもりだ。

 

 武器の需要を生み、軍需産業に利をもたらす。雇用を生み、圏外圏の経済に寄与する。アルミリア・ボードウィンは、そうやって必要性を自作自演してきたセブンスターズの一家門、ボードウィン家の息女なのだから。

 

「ライドさんこそ、よろしいの? あの方……」

 

()副団長がなにか?」

 

「あの方も、あなたの仇のおひとりなのでしょう」

 

 アルミリアが言いよどめば、ライドは「ええ」と無感動に同意する。音もなく立ち上がると「でも、まだ先の話です」とむすんだ。

 鋭くとがったまなじりは、笑みのかたちだ。口角がつりあがる。

 

 ライドは、いつかユージンにも制裁を加えてやりたいと思っている。

〈革命の乙女〉クーデリア・藍那・バーンスタインの悲願であった脱植民地化を果たした火星は、テイワズとアリアンロッドによって支配された傀儡政権に他ならない。

 ギャラルホルン火星支部の実質的撤退により治安は急激に悪化し、クリュセ市警なる治安維持組織が濫造されたおかげで、CGSの一軍みたいな連中が幅を利かせるようになった。

 権力者には媚びへつらって、気弱そうな市民からは駐車違反だの公務執行妨害だのと因縁をつけて小金をむしりとっていく。一見すれば平穏そうな街にはなったが、後ろ盾のない女子供にとっては危険極まりない。

 あのユージン・セブンスタークみたいに()()()()()()()()()()()()男だけが、他者に害されることなく至極真っ当に暮らしていける世の中だ。

 

 クーデリアは初等教育の義務化によって貧困をなくそうとしているらしいが、教師の頭数を揃えるためにと教員資格保持者を招致したせいで大量の木星系移民を抱え込み、おかげで無学な火星地元民はひどい就職難に見舞われている。

 職場を追われた市民はクリュセ市警のせいで路上生活もままならず、スラムに逃げ込むしかない。

 

 木星からは医師や看護師も招かれ、医療保険制度が整備されたおかげで新生児死亡率は激減。五歳未満の子供が下へ下へと足を引っ張っていた火星の平均死亡年齢は劇的につり上がった。

 だが、それも娼婦が出産よりも中絶を選べるようになっただけだ。今の火星の就労状況では、五十云歳だった平均寿命まで食いつなぐのも難しい。

 地球経済圏の植民地の次は、テイワズの属領になる日も遠くないかもしれない。

 

 そうした現状に、勘のいいユージンならとっくに気付いているはずだ。

 ただ、人形師の思惑通りにしか動けない傀儡政権のいち職員には何もできないだけで。

 自分自身に実害が及ばないせいで被害者の視点に立てないだけで。

 

 ライドはさきほどユージンが出て行ったドアに手をかけると、靴音もなく部屋を出た。

 

「せいぜい泳がせておきますよ」

 

 すべてはラスタル様の手のひらの上ですから。――シニカルに微笑する。

 共犯者が笑う。

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 廊下を横切り、赤いカーペットが埋め込まれた裏玄関までてくてくと歩いたライドだったが、たどり着いたロータリーにはトドだけがいた。

 ユージンが送迎を断ったのだろう。この裏玄関は宮殿のように豪奢なつくりで、派手好きなトドのお気に入りだが、シャンデリアもランプもすべて高級娼館だったころの名残だ。無駄に長いリムジンでもゆったり停車できるロータリーから黒塗りの高級車に乗り、クーデリアのオフィスに帰るのはなかなか気まずいものがある。

 きっと露骨に嫌な顔をして踵を返し、質素な正面玄関のほうから出て行ったに違いない。あちらはごく一般的なオフィスの姿をしているから。

 

 ガラスの自動扉を出れば、かわいた火星のにおいが濃くなる。

 優雅に紫煙をくゆらせる運転手の向こうずねを、ライドはつま先で軽く蹴った。

 

「おい、トド」

 

「いってえな! なんだ、ライドおめぇ帰ってたのかよ」

 

「さっき戻ってきたとこだよ」とライドは気怠くため息をつく。

 

 昨夜の暗殺任務を無事に済ませ、共同宇宙港〈方舟〉の隠し格納庫でひと眠りして、近所のジャンクフード店で昼飯を食ってからモンターク邸に戻ってきた。

 いや、今はそんなことはいい。

 

「あんた、どんだけ上前はねてやがんだ?」

 

「ああん? 浪費癖の奥方様のために、この俺様が貯金してやってんじゃねぇか」

 

「……あの人、まだ金銭感覚どうにかなんねーのかよ」

 

 人身売買にも相場というものがある。適切な対価を支払えばそれでいいところを、レディ・モンタークことアルミリア・ボードウィンは、その『適切』がわからないらしい。

 トド・ミルコネンが仲介に入って相手に渡る額面を操作し、相場よりちょっと上くらいを保っていたら、人生三周は豪遊できそうな成金になってしまった。

 

「奥方は住んでる次元が違うんでな。俺にヤキがまわるほうが早かったぜ」

 

 昔はふっかけてはちょろまかして小金を溜め込んでいたが、もはやそういう次元(レベル)ではなくなってきた。

 まだ十八歳とお若い奥方様の将来のためにと八割がた貯金にまわしてもなお手に余るほどだ。

「あーあ」とトドは大口を開けて煙を吐き出す。

 小洒落たスリーピースを仕立てたところで、誰に見せるわけでもない。自己満足にもいい加減飽きてきた。

 はじめは葉巻も吸ってみたが、うっかり潰すとひどい悪臭がするので慣れた煙草に落ち着いた。

 とくべつ安いわけではなく、かといって高級な部類でもない、ごく一般的な銘柄だ。贅沢をする目的で吸っていたころとは打って変わって、うまいと思う煙を吸いたくなった。

 

 短くなった煙草を灰皿に押し付け、新しい一本をくわえると、ふと隣のライドが眉根を寄せた。

 

「……そのヤニ、火星のじゃねえな。木星圏(テイワズ)……いや、(タントテンポ)のもんか?」

 

「火星のなんざ吸ってられっかよ。あんなもん三箱も吸や廃人になっちまう」

 

 お前も吸うなよ、ともごもご釘を刺して、ライターで火をつける。

 吸い込んで、ふうと吐き出す。やはりこいつが一番悪くない味わいだ。

 

「ご忠告どーも。ってことで、あんたが一本くれるんだよな?」

 

 にこりと快活に笑んで両手を差し出したライドは子供のようだが、すっかり狡猾な振る舞いを身につけた。

 煙草とライター。

 言外に貸してくれよと要求されて、トドは箱から出した一本きりの煙草を投げ寄越してやる。すると手品師のように指先二本でキャッチするから、気障ったらしいのはどちらだかわからない。ライドは昔から手先が器用だった。

 

「てンめえ、ほんっとかわいくねえなあ」

 

「宇宙ネズミがかわいかったことなんてなかったろ」

 

「それもそうだけどよう」

 

 借り物の火を点すと、ライドは振り向きもせずライターを突っ返す。

 肺腑に紫煙を吸い込んで、そしてふうと緩慢に吐き出した。

 

 今夜こそはベッドで眠ろうと思ってわざわざ戻ってきたのに、副団長の顔など見てしまって気が立っているのかもしれない。帰る場所など用意してくれないくせに返せだなんて、まったく無責任なことを言ってくれる。

 明日になればまた仕事だ。少年兵たちを束ねる立場であるからライドが参加するのは短期任務ばかりで、地球まで出向くような長期の作戦はエンビの隊に任せてある。

 ヴァルキュリアフレームの発展型機〈グリムゲルデ・ヴァンプ〉三機を中心に、整備班や医療班を帯同させた実働1番組〈ハーティ小隊〉は目下、ラスタル・エリオン公の〈ゲイレール・シャルフリヒター〉を持ち逃げした傭兵どもを殲滅するためSAUまで出張中で、戻ってくるまであと二週間ほどかかるだろう。

 寝て起きたらライドは、海賊船から鹵獲したヒューマンデブリたちで構成された実働2番組〈ガルム小隊〉を引き連れ、アバランチコロニー周辺まで作戦に出る。

 今は月と火星が最も近づく時期であるから往復十日あまり、ごく短期の作戦だ。

 

 マクギリス・ファリドが遺したモンターク邸で寝起きし、ファリド家のガンダムフレームだったという〈ガンダム・アウナス〉がライドの搭乗機になった。

〈マクギリス・ファリド事件〉を受けてファリド家がお取り潰しになったため、バラして売却されたところをモンターク商会が買い取ったのだという。

〈ガンダム・アウナスブランカ〉として改修された白いMSに乗っている。

 その装甲が七年前に見た〈ガンダム・バエル〉に似ているような気がするのは、ライドの思い過ごしではないだろう。まず間違いなくあのお姫様の趣味だ。

 彼女にバエルを買ってやりたくて、トドは貯金をはじめたという。

 

 鉄華団のなくなった日常を漫然と永らえながら、ライドは見てくればかり大人になり、阿頼耶識使いたちを率いて復讐稼業で飯を食っている。

 煙草はじりじりと短くなって、消すべきタイミングを目視で判断できる。

 命もそういうものなら簡単だったろうにと、アスファルトに落とした火種を踏みにじる。

 

 誰が掃除すると思ってんだ、と横から文句が飛んできたが、どうせトドではないだろう。

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 残念なニュースが左から右へと流れていく。

 道中で拾ったタクシーに揺られながら、ユージンは本日何度目になるかわからないため息を落とした。車内に垂れ流しのカーラジオによれば、どこぞの活動家が変わり果てた姿で発見されたらしいのだ。

 監視カメラは何者かによってすり替えられており、犯人はいまだ捕まっていないという。

 

 目撃されたMSは白く、肩には例の〈狼〉のシンボル。

 

 焼き殺されたというその男も、ユージンの与り知らぬところで誰かの恨みを買っていたのだろう。




【次回予告】

 復讐は何も生まないなんて、そんなの第三者の詭弁でしょう?
 打ちのめされた痛みを、失った悲しみを、わたしたちは忘れません。それらすべてを背負い、わたしはギャラルホルンの法と秩序を全否定してみせます!
 次回、弾劾のハンニバル。
 第2章『勝てば官軍、負ければ生け贄』

 わたしは狂っているのかしら……ねえ、マッキー?

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