MSV. 弾劾のハンニバル《完結》   作:suz.

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013 恣意

 アルミリア・ボードウィンの身柄を引き取りに来るようにと悪魔(ガンダム)を呼びつけたポイントは、月面基地からほど近い〈ルーナ・ドロップ〉の一角だ。

 月の破片が大小浮遊し、最大で全長1キロ近い大岩まである。月の引力と月面基地を維持するエイハブ・リアクターによって集められた岩石群は絶妙なバランスで成り立っており、常に微細な移動を繰り返すことで三百年の均衡を保ってきたらしい。

 この蜘蛛の巣状の迷路を形づくるスペースデブリの密集地に、戦艦での侵入は不可能だろう。火器によって吹き飛ばせば月面基地の存続が危うく、MS(モビルスーツ)のサイズで何とか迷い込めるような隘路である。それでも少し気を抜けば岩石と正面衝突して命に関わる。

 ジュリエッタはここで自主的な特訓を重ねてきたから、勝手ならばわかっている。ここがちょうどアリアドネの監視網から影になっていることも。

 何度も迷い、何度も抜け出そうと試行錯誤した、馴染みの迷宮なのだ。帰路を見失う恐怖と向き合い、冷たい汗を流し、奥歯を食いしばってジュリエッタは、この孤独の岩場で純粋な強さを求めた。

 

『大丈夫です』とアルミリアを安心させようと眦を下げる。

 

 愛機〈レギンレイズ・ジュリア〉は細身のジュリエッタにあわせて改良が重ねられ、コクピットブロックが小型化されたため二人乗りには窮屈だが、無事に引き渡すには他に方法がなかった。

 対ガンダム戦を視野に入れ、〈グレイズ〉の発展型や〈レギンレイズ〉はみなブースターを強化している。量産機にもガンダムフレームのようにエイハブ・リアクターを二基以上搭載する研究は進められたようだが、どのフレームも過負荷に耐えきれず四肢が弾け飛んでしまうらしいのだ。他の方法でツインリアクターに匹敵する機動力を求めれば、結果は自然とスラスターの増強へ結びついてしまう。

〈レギンレイズ・ジュリア〉もまたブースターまみれの高機動仕様だが、動きが単調になりがちなジュリエッタは、阿頼耶識使いのような敏捷性をどうにか手に入れようと出口の見えない暗礁を泳ぎ続けた。管制官はみな民間出身のジュリエッタをよく思っていないし、指揮官ゆえどこで何をしていても干渉してこないのだ。

 無関心という名の自由のおかげで、アルミリアを無事に脱出させることができるのだから、皮肉な因果である。

 

 この迷宮を泳ぎきるために、ジュリエッタは二年近い年月を――いや、三年はゆうに費やしたか。だけど鉄華団のMS乗りならこの程度の局面、たやすくくぐり抜けてしまうのだろう。

 認めるのは業腹だが、この七年で『現実』を見る目くらい身につけた。

 

『ここには誰も来ません。わたしだって、ここでアルミリア嬢に死なれては困る。出てきなさい、ガンダムのパイロット!』

 

 LCSによる無差別な通信は、〈ガンダム・アウナスブランカ〉のコクピットにもきぃんと威勢よく響く。

 やはり腹芸はできないか――とライドは疑り深いグリーンアイズを剣呑に眇めた。デブリ帯に誘い出し、事故を装って岩石に圧し潰させることだってアリアンロッドなら可能なはずと読んだのだが、どうやら考えすぎであったらしい。

 ラスタル・エリオンの差し金とばかり思っていたが、それも違ったようだった。こんな狭苦しい岩場に誘い出して一体どんな罠を仕掛けているのかと警戒を重ねてここまで来たのに、まさか本当に何もないとは。

 岩陰から姿を現せば〈レギンレイズ・ジュリア〉のセンサーと目が合う。

 

『ライドさんっ!』

 

『お姫さん……?』

 

『よかったっライドさん……無事だったんですね!』

 

 ……出会い頭に他人の心配をするあたり、アルミリアらしい。本当に本物なのだろう。コクピットに同乗していることは伝わった。

〈ガンダム・アウナスブランカ〉が姿をさらし、剣も楯も持たない丸腰の〈レギンレイズ・ジュリア〉と向き合う。――こんなブースターだらけの機体で、女騎士は暗礁を泳ぐのか。()りあうならそれなりに厳しい相手に、彼女もまた成長しているのだろう。

 

『コクピットを開きなさい!』

 

 女騎士が高圧的に声を張ったが、ふと沈黙して『わたしから開くのが筋というものでしょうか?』と自問自答が続いた。ジュリエッタの独り言にライドは答えなかったが、ほどなくコクピットハッチがガコンと開き、シートが上昇する。

 あらわになったパイロットの膝には、揃いのノーマルスーツ姿のアルミリアが抱かれていた。ずいぶんと狭い構造らしいコクピットブロックに詰め込むには、一般のノーマルスーツではかさばるせいだろう。パイロット用のノーマルスーツは細身で、軽量化がなされている。

 身軽なしぐさで〈レギンレイズ・ジュリア〉の手のひらへと貴人の手を引いたジュリエッタは、アルミリアをかばうように支えると〈ガンダム・アウナスブランカ〉に向かって声を張り上げた。

 

『この方を安全な場所まで送り届けなさい! それがわたしがあなたを見逃す理由です』

 

 ライドは無言でハッチを開くと、愛機の手のひらに飛び降りた。

 まさか本当にアルミリアを返すつもりだとは思わず、肩すかしを食らった心地だ。何とも言えない居心地悪さを押し込めて、胡乱に首を傾げる。

 

『……あんたは、ラスタル・エリオンに心酔してるわけじゃないのか?』

 

『ラスタル様はわたしの誇り。ラスタル様の剣となり盾となって戦うことがわたしの望みです。いつかそのときが来るのなら、あの方とともに滅ぶ覚悟もある』

 

 主君のために戦い、そして恩義の果てに戦死すること。それ以外にジュリエッタが望むことはない。死を恐れてしまう己の弱さを受け入れて、命あるものとして強くなろうと決意した。

 人とは、死ぬものだ。永遠のものではない。

 ジュリエッタが自問の果てにたどり着いた人間らしさとは『死』そのものだった。命には必ず終わりがあり、奪うこともできる。傷つけば血は流れる。あんなにも強かった〈ガンダム・バルバトス〉のパイロットでさえ、殺せば死んでしまったように。

 ならばジュリエッタにできることは、主君のために戦って戦って死ぬことだけだ。どんなに恨みを買っていようとラスタルは恩人なのだ。身寄りのないジュリエッタには教育を与え、戦う力を与えてくれた。ジュリエッタが慕う傭兵のように、最期の最後までついていく。

 わたしはラスタル様さえいればいい。――それがジュリエッタに出せる唯一の答えだった。

 叶うならばラスタル・エリオンの『剣』としての一生を全うしたいが、剣になれないのなら『楯』でも構わない。実子のいない彼が『娘』にと望むならばそれでもいい。

『女』としてボードウィン家との婚姻を望むのならば、それでも。

 民間出身のジュリエッタが恩人の役に立てる方法は限られているし、血統主義のギャラルホルンにおいて、ジュリエッタは『私兵』以上の地位は得られない。階級が何であれ、後継者とは認められない。なにしろ〈ヴィーンゴールヴ〉外に生まれた以上は出自が()()のだ。地球の片田舎に生まれ、どこの馬の骨かもわからないジュリエッタは『身分に問題あり』のレッテルを剥がすことができない。

 でも、――もしも生まれも身分も関係ない〈法〉と〈秩序〉が実現された未来なら、きっとその限りではない。

 

『アルミリア・ファリド――わたしはあなたこそ、ギャラルホルンの次期代表として適任だと思っています』

 

『ジュリエッタさん…………』

 

 正統なる血筋に生まれ、理想と思想を持っている。セブンスターズという既得権益の中、生まれながらボードウィンの名を持っていてなお、アルミリアはみずからの持つ力に自覚的だ。地位、財力、雇用関係、性別といった『力』の天秤が、支配と抑圧の構造を生み出していることを知っている。

 階級の高い者に逆らえない構造は、戦場では指揮系統として連携を有利にするかもしれない。だが上官は往々にして無自覚だ。銀のスプーンをくわえて生まれてきたギャラルホルンの将校は、みな非対称な力関係に無頓着なのである。みずからの言動がいかに部下を萎縮させ、どのように影響するのか、考えたこともない。

 兵隊を使い捨てる作戦など立案されないような、花嫁が結婚という市場で売買される政治の道具にされないような――そんな生まれも身分も関係なく幸福を求められる『ここではないどこか』を作りたいと願えるのは、アルミリア・ボードウィンしかいない。

 罪の意識を抱きしめて生きる彼女なら、いつか被害者を生まないような法と秩序にもたどり着くだろう。加害者であるという苦しみから目を逸らさない強さがアルミリアにはある。

 

 世の中に深く根を張ったカースト意識をなくすことはできなくとも、せめて誰も泣かずに済むようなシステムを。

 あなたならきっと実現できる。

 

 ジュリエッタは同じパイロットスーツ姿のアルミリアの背中を突き放すようにそっと押した。慌てそうになる耳元に『そのまま』とアドバイスすれば、まっすぐに進んだその先でライドの両腕に抱きとめられた。

 見届けるが早いか女騎士はコクピットへと戻り、まるで捨て台詞のように『アルミリア嬢の安全は、このわたしが保証すると約束します』と事務的に告げた。鋭いまつげの剣先が、どこでもない虚空を見つめる。

 

『あとを頼みます。鉄華団のパイロット』

 

 祈るように残された言葉を胸に抱きしめ、アルミリアは暗い暗礁へと去っていく女騎士の背中を見送る。

 ライドに手を引かれ、そして宙域を離脱する〈ガンダム・アウナスブランカ〉のコクピットで同志たちの未来を願うことしか今はできない。

 

『……あなたも、どうか』

 

 どうか。

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 視界の悪い暗礁を、鮮紅色の機体が泳ぐ。

〈グリムゲルデ・ヴァンプ〉1号機は月面基地の一角へと高度を下げると、隠れるように膝を折った。センサーにかからないよう建物の陰に伏せると、コクピットハッチを開く。

 エンビが〈セイズ〉に合流するのはヒルメとトロウよりも後だ。飛行変形機構を有する1号機が機動力に優れ、敢えて2・3号機と別のルートで退却したのだから、ランデブーまでの猶予期間に、打てる手は打っておきたい。

 携帯端末の電源を切ってシートに放り捨ててから、バックパックの小さな翼を展開する。

 辺りを警戒しながら、基地施設の中でも人気のないブロックへ。

 

 目的は、単独での〈ヴァナルガンド〉奪還。

 

 不可能ではないはずだ。月面基地の設計図は頭に入れているし、足音の響き方も覚えた。今度はもっと深くまで潜入できる。

 やられっぱなしではいられない。だって、アルミリアは対価を支払ったのだ。〈ヴァナルガンド〉と〈ガンダム・バエル〉を買い取るために全額耳を揃えて払ったのに、金だけ騙し取られて黙っていては舐められるだけだろう。また同じことを繰り返される引き金にもなる。いかにラスタル・エリオン公といえど随意に踏みにじっていい消耗品ではないのだと、銃口を突きつけてやらなければ。

 ふうとヘルメットの中でため息をつく。深呼吸をひとつ、エンビは無重力を蹴った。

 

 世界平和の礎のため、使うだけ便利に使って用済みになれば廃棄する――エンビたちは確かにそういう生まれなのかもしれない。()()()()()()()()()のくせに役割をもらえて、害獣にもかかわらず生かしてもらえて、しあわせなのかもしれない。

 だけど。欲しかったのは『本当の居場所』だ。誰に害されることもなく生きられる日常だ。学校でテロリスト呼ばわりされない、ガキは黙っていろと抑圧されない、そういう未来にたどり着くために戦ってきた。

 一度死んだから平和に生きられるとか、平穏な日常に帰ってこいとか、そうやって善意100%で魂を砕きにかかってくる()()()()を取って、量産型の奴隷に成り下がるなんてごめんだ。

 エンビにはエルガーとともに生まれ、ヒルメやトロウとともに育ち、ライドとともに戦ってきた過去がある。それを偽造した真実で上書きして、死ぬまで我慢しなければいけないなんて、いっそ一思いに殺してくれとさえ思う。

 ギャラルホルンが提唱する幸福の規範をなぞってしまったら、そんなの虐殺への加担じゃないか。労働者を使い捨てる凶行に見て見ぬ振りして、銃殺されるヒューマンデブリを助けてやろうともしない、そんな卑怯な生き方はできない。

 学校では少年兵はテロリストだと繰り返し繰り返し教えられ、作文まで書かされて、耐えかねて『デブリ堕ち』したクラスメートが何人もいた。俺も同じ少年兵だと名乗り出られない悔しさで、腸が煮えくり返って死にそうだった。

 生まれを呪え、過去を憎めと言い聞かせられる平穏な日常を耐え抜きながら、エンビはただ、力があればと強く願った。

 理不尽な現状を打開するための力が――殺されないために抗う力が欲しかった。火の粉がかからない安全圏に逃げ切って、この世界は平和だなんて言っていられるお花畑どもを焼き払ってやりたかった。

 

 何も知らないでいることが一番の幸福だというラスタル・エリオンの言葉は、確かに真実なのだろう。

 なんたって軸のないやつはブレないし、芯がないやつは折れない。道がないやつは迷わない。通す筋がないなら、手段なんか選ぶ必要もないだろう。何も持たないなら、捨てるものだって何もない。意志を捨てさせられる絶望も知らず、魂を砕かれる痛みも知らず、強者の思い通り誘導されるまま、支配者のための円滑なる歯車となれるのだろう。

 踏み台にされていることから目を背けて楚々と生きる家畜たちの幸福を、ライドは非難しないけど。

 

(俺はそんなに甘くなれない)

 

 筋を通す生き方を、鉄華団が教えてくれた。変えられない未来なんてないんだと信じる力を与えてくれた。――だから。

 アイデンティティの屠殺場で白紙に戻されてしまった過去を、名前を、居場所を、俺がこの手で取り戻す。

 

 その向こう側へたどり着いたとき、ようやく前に進めるんだ。


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