MSV. 弾劾のハンニバル《完結》   作:suz.

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P.D.332: 愛していると言ってくれ

 景気よく飲み干したアルコールが心地よく喉を焼き、ごくごくと食道を通っていく。酒がうまい季節になった。

 いや、季節の問題ではないか。雇用主であるクーデリアの公務は繁忙期を過ぎ、仕事は忙しいものの翌日は休み。休日出勤もない。宿舎までは徒歩で帰れる。

 連合議長様のいちSPでしかないユージン・セブンスタークの仕事に、ご大層な中身はない。

 ぷはあ、と心地よいため息を吐き出して、空になったグラスの底がテーブルを打つ。ほどよい酒気で店内はすっかりあたたまり、ユージンもネクタイをゆるめた。

 さっき脱いだジャケットはメリビットに回収されて壁際でハンガーにかけられている。

 カッサパファクトリーの敏腕営業部長ことザック・ロウのイチオシだという居酒屋は、原則禁煙。ということなので、臭いがつく心配もいらないだろう。(大口のお取引先様は特別に吸っても構わないので頭に『原則』とついている)

 アルコール度数4〜7%程度のビールをサイダーやら何やらで割ったカクテルは、歳星で楽しんだものと同じだ。

 近年、クリュセでも爆発的に普及しはじめた。

 

 何かにつけて顔が利くビジネスマンの仲介もあって、店内はカッサパファクトリー起ち上げメンバー――という名目の鉄華団残党――によって貸し切られ、みな思い思いの酒を楽しんでいる。

「まるで同窓会みたいね」と微笑むメリビットを除き、参加者はみんな男だ。

 どぎついピンク色のカクテルを見つめてうっとりしているヤマギがなんとも言えない雰囲気を醸し出しているが、それもアトラやクーデリアといった女性陣の目がないからできることだろう。(こうなるとヤマギは「流れ星がおれめがけて落ちてこないかなあ」なんて言い出す)

 ユージンたちは二十代の前半〜半ば、メリビットは四十すぎ。余裕で母親の年齢である。人妻、さらに二児の母ともなれば、なおさら母親みたいな存在に思えてくる。

 小さな子供がいるというのにベビーシッターに任せて夫婦で飲み会にやってくるあたりは、さすが元バリキャリといったところか。

 地元の雇用に貢献しつつ、対費用効果を重視して、自分たちが楽しむことも忘れない。

 こういうメリビット・ステープルトンのようなしたたかさこそ、時代を生き残るために必要な素養なのだろう。

 

 昔からクソ真面目なクーデリアは、子供がいるから……と、帰れる日は必ず家に帰っていく。

 アトラもまた、家族団欒用の料理を作って待っている。暁には父親がいないから、そのぶん母親ふたりの愛情をめいっぱい注いで育てていくのだそうだ。

 

 仕事を優先しがちだったクーデリアが最近になって帰宅を最優先にしはじめたのは、小学生になった暁が『少年兵(しょうねんへい)をやっつけろ!』という絵本データを配布されたのがきっかけだった。

 なんでも学校からの配布物で、男の子を中心に人気があるらしい。

 

 

 主人公が『少年兵』をやっつけて、世界が安寧を取り戻す物語。

 

 

 クーデリアが神経質になるのも、わからないではない。

 絵本の中の『少年兵』とやらは頭の上にとがった耳をふたつはやし、口許からは大きな牙を覗かせた、野獣のような姿に描かれていた。

 主人公は暁と同じやわらかな茶髪だ。男の子の活躍によってやっつけられていく黄色くてすばしっこい狼に、大きな灰色の狼。大ボスは一等でっかい黒狼で、そいつには真っ白い毛並みの嫁さんがいる。

 嫁さんは家族の命乞いをするのだが、主人公は『うそつき!』と白狼の汚い思惑を看破する。

 最後のページでは、嫁を()()()()られて弱った親玉を踏んづけ、英雄のように勝利を掲げてハッピーエンド。

 悪い少年兵はいなくなりました、めでたしめでたし!

 

 ……そんな話のどこが面白いのかユージンにはさっぱりわからないが、暁にとっては『自分に重なる男の子が悪いやつを倒し、世界を守る』物語なのだ。

 ヒーローに憧れる少年期は、ユージンにもいくらか覚えがあった。

 子供特有の自信。正義感。あの絵本は、自分自身には『お母さん』を守れる力が宿っているのだ――という、何の根拠もない誇らしさを後押ししてくれるのだろう。

 幼い日の記憶が蘇るようだ。

 今では顔も覚えていないが、幼かったユージンにとって母親とは『愛する女』だった。父親のいない環境で育ち、女手ひとつで小学校まで入れてくれた母親は英雄であり、ユージンの世界で唯一無二のヒロインだったのだ。

 というのは過去の話で、新しい男を見つけて妊娠したらユージンを置いて行方をくらましたあばずれに未練はもうない。あの男に捨てられていればいいと恨む気持ちと、どんな男と一緒でもいいから無事でいてほしいという願う気持ちが半分半分、ギザギザの境界でせめぎあっている。

 ユージンが沈みゆく思考を遮るように、ドン! とグラスの底がテーブルを打ち付けた。

 珍しく出来上がってしまったらしいザックが、これまた珍しく目元を赤くしている。

 

「今だから言えることですけどォ」

 

 時間経過とアルコールの勢いに任せて、ザックはああとため息をついた。

 

「おれ、鉄華団って苦手だったんすよね」

 

「どうして?」とヤマギが続きを促してやる。

 

「だってさァーみんな気のいいやつで、すげー頑張って仕事するし? 責任感とかァ、おれがちゃんとやんなきゃって気ィ張って、でもピリピリしてないっつう」

 

「なぁんだ、大好きじゃないか」

 

 あはは、とヤマギが機嫌よく笑う。ふたりとも口調がもはや酔っぱらいだ。

 酔っていないと言えないのだろう愛憎を、ザックはだって、とか、そりゃあ、とか言い訳しながらつらつら吐き出していく。

 

 ザックが就職したとき、鉄華団は火星の英雄だった。

 アーブラウ領クリュセ自治区首相の愛娘、クーデリア・藍那・バーンスタインお嬢様を地球までエスコートして、あのギャラルホルンに一泡吹かせたというのだ。最高だ。

 地球経済圏による植民地支配、ギャラルホルンによる間接統治という二重の締め付けが、クーデリア姫の交渉によってぱあっと緩んだ。痛快だ。

 今まで『アーブラウの取り分』と『ギャラルホルンの取り分』で100%だったところに『火星の取り分』をねじこんで、火星ハーフメタル採掘事業がどんどん就労のきっかけになっていく。孤児院が建てられ、小学校が増え、クリュセは見違えるほど豊かになった。

 ギャラルホルンが信用をなくし、同時に火星の独立運動も活発化したせいでテロも増えたが、以前に比べればめちゃくちゃマシになったのだから、情勢不安など些末な問題だ。

 

 そうした栄光の中心であった鉄華団は、高校中退だって雇ってくれるという。給料もいい。学校でMS(モビルスーツ)システム関連の勉強をしていたザックは、退屈な授業から飛び出すように、鉄華団の門を叩いた。

 死ぬ危険がある、というのを甘く見ていたので、はじめは戦闘部隊への配属を希望した。

 いざ初陣に望んだときの、あの心臓にナイフを突きつけられたような焦燥は忘れない。

 同期だったメイルがMSの砲撃を食らって、MW(モビルワーカー)ごと爆散させられた断末魔は今も耳に残っている。あのとき、ザックが操舵士として搭乗していた複座式MWの砲撃手はハッシュだった。

 ハッシュももういない。

 予備役を終え、正式な配属は戦闘部隊にと希望したハッシュと、やっぱり整備部隊を選んだザック。

 十歳やそこらのチビが旧式のMWを乗り回し、最前線に躍り出ていく狂った環境。

 

「頭おかしいんすよ、みんな、仲間の命と自分の命を天秤にかけて、迷わず仲間のほうとっちゃうんですもん。……気持ち悪いっすよ、ほんと」

 

 グスン、とザックは独白の合間合間に鼻水をすする。

 阿頼耶識搭載型MWを駆る、年少組だか呼ばれている子供が、負傷者を救助する仲間の盾になろうと走り出てくる。馬鹿かと思った。頭がおかしい。狂っている。今ここで仲間数人が生き残るためなら、自分ひとり死んでも悔いなんかないと言わんばかりの行動が、ぞっとするくらい怖くて、気持ち悪くて、――最高に格好良かった。

 

「あんなふうになりたいって、おれ、実はすっげー思ってたんすよ……」

 

 海賊の巨大艦隊を前にしても朗々と響く団長の声。オルガ・イツカというカリスマ。彼の鼓舞に賛同する、男臭い歓声の中には、まだ声変わりもしていない子供も多数混じっていた。

 やがてアリアンロッドとの徹底抗戦の前に「ボーナスも出してやれないが」と申し訳なさそうに沈んだ声。

 金よりも名誉よりも、最後まで戦うことを望んだ過半数の団員たち。

 ザックには理解できなかった。馬鹿かと思った。もちろん言った。馬鹿かと。頭ついてんなら使えよと。最後までってなんなんだよと。

 だって、働くのは給料のためだろう。金を稼ぐのは生活を豊かにするためだろう。買い食いしたり、ちょっと贅沢したり、パーッと遊んだり。いつもの弁当を1ランクいいやつにしたりとか、そういう自由のためだろう。

 仕事なのだからザックだって努力はした。我慢もした。だが、身体を壊したら元も子もない。死んだら、それこそ割に合わない。

 プライドよりも命だろう。仲間よりも自分自身がまず生きたいだろう、そうだろう? みんなそのはずだと信じていたのに、鉄華団団員は仲間の未来のためなら命を投げ出してもいい覚悟で戦っている。

 死ぬつもりなど毛頭ないと口では言うくせに。死ぬのは怖いとうそぶくクセに、戦場ではこれっぽっちも死を恐れやしない。

 基地を爆破して逃げるときも、ハッシュは遊撃隊の一員として基地防衛戦に残った。副団長らとともに戦ったパイロットは、やっぱり年少組というくくりのガキどもだ。

 

 ――おれたちは他に行く場所なんてねーんだからな!

 

 あの青い野球帽の少年――トロウ――は獅電に乗り、戦って、降りて走って追いついてきた。

 四人組が三人組になっていて、ザックは言葉を失った。

 補給部隊にいた双子が、片方だけになっていたのだ、気付かないわけがない。いつもセットだったものが単品になっていたのだ。

 ぞっと背筋が寒くなった。

 

 それから、地球へ逃げて。火星に戻ってきて。なんやかんやあって。カッサパファクトリーを興すから働かないかと元整備士全員に声がかかった。

 IDが変わってしまい、ザック・ロウは死んでいる。もう実家には帰れない。鉄華団に入団するために学校も中退してしまっていた。再就職の宛ても他にないと腹をくくって、カッサパファクトリーで営業職についている。

 ナディ・雪之丞・カッサパとメリビット・ステープルトンが結婚し、子供をもうけて、しあわせになる方法の『お手本』を遺憾なく実践してみせてくれる。ザックだってそろそろ彼女のひとりくらいほしいが、ID改竄という負い目があってなかなか踏み切れないでいる。

 実家という後ろ盾を失い、頼れるものがないので、結婚も考えられそうにない。

 生活水準のギャップからくる、遅蒔きな不安だった。

 鉄華団に入ったころのザックは、制服は新品がいいとか、食堂のメニューに選択肢がないとか、個室がないとか、……いろいろと文句をつけた。

 そのたび、周りからは首を傾げられた。

「はぁ?」と呆れてみせたオレンジ頭のチビ、もとい実働二番隊(筋肉隊)副隊長ライド・マッスの生意気さといったらなかった。

 そんなものは『当たり前』だという価値観で育ったザックの持つ『最低限』のラインは高すぎたらしい。

 しかしメリビット・ステープルトンCEOがバリバリ手腕をふるうカッサパファクトリーでは当然、ビジネススーツは新品を経費で落とせるし(むろん上限はあるが)、食事は弁当のデリバリー、ケータリング。社員用アパートは単身者用のワンルームをひとり一部屋。

 ああ、これぞ普通!! ――と、普通を謳歌するほどにザックは鉄華団時代に置いてきた戦友を振り返って虚しくなる。

 なあハッシュ、知ってるか、これが普通の人間の、人間らしい生活なんだぞ。そう虚空に向かって語りかけたくてしょうがなくなる。

 

「生きるとか死ぬとか、最後までとか。そういうのもういいっすわ。生きてればなんとかなるのに、死ぬなんて、馬鹿じゃないっすか」

 

「……そうだよな」とユージンは同意する。嘆きである。「お前みたいなのがいてくれてよかったよ」

 

 ため息をついて、緑色のたれ目には涙の膜がはっている。案外泣き上戸なのかもしれない。

 おれたちは精一杯やった、頑張った! ……と、叫びたくってたまらない。オルガのようによく通る声をドーンと張って、野郎どもを鼓舞できればどんなによかったろうか。

 殿(しんがり)をつとめた三日月や昭弘、エルガーの尊い犠牲があったから、残党は逃げおおせた。宇宙で散ったシノも、タービンズと蒔苗のじいさんも、みんなの協力があったおかげで、団員はだいたい無事だ。

 

 あいつらの死は無駄になんかなってない。そう信じたい。

 おれたちは仲間を生け贄にして逃げたんじゃない。そう信じたい。

 

 基地を爆破して、全員死んだことにしたから追撃もやんだ。クーデリアの悲願だった火星独立も実現できたし、三日月の忘れ形見である暁も元気に生まれてきた。〈ヒューマンデブリ廃止条約〉が締結して、もう宇宙ネズミがギャラルホルンを脅かすようなことはない。

 だから、死んでいったやつらの犠牲は無駄じゃなかった。

 

 そう思わせてほしいのに、――ライドがそうさせてくれない。

 ユージンにつきまとうオルガ・イツカという理想像の亡霊が現れては『おれみたいになりたかったんだろ?』と無邪気に笑ったりする。

『オルガの真似はもうしないの?』と青い目の狂犬が余計なことを言う。

 

 別に、圧倒的な戦力差にビビっているわけじゃない。

 別に、致命的な敗北に絶望して隷従しているわけじゃない。

 

 MSの購入・維持費用だって、どうしても捻出できないわけじゃない。世界が平和になったから、必要なくなっただけだ。

 違法兵器だったはずの〈ダインスレイヴ〉で基地ごとずたずたにされて滅んだ過去を追想するたび、引き裂かれるような痛みがある。今もうなされる夜がある。

 喪失はすべて『昨日』に置いていく。それは『明日』に持っていく必要のない荷物だと、もう決めたのだ。

 平和になった。過去は過去だ。

 

「おれたちは、前に進むんだ」

 

 潔すぎて生き残れなかったあいつらのかわりに、しぶとく生きるおれたちが。

 ユージンの宣言はアルコールにふやけて頼りなかったが、傷を舐め合うにはちょうどいい塩梅だった。

 ザックやヤマギが口々にああと同意し、鉄華団残党の夜はゆるやかに更けていく。

 

 この世界はこんなにも平和になった。

 

 頼む、そうだと言ってくれ。


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