MSV. 弾劾のハンニバル《完結》   作:suz.

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009 リタ・モンターク

「みずからの罪を暴かれるのが怖いか?」

 

 世界すべてを見下ろすように、ラスタルは憐れみの目でもってアルミリアを睥睨した。

 

「わたしの罪など……、すべてはあなたの思うままになるのでしょう! 旧態依然とした組織を守るため、セブンスターズの豊かさを維持するためなら、あなたはどんな罪をもでっちあげてしまわれる……!!」

 

 アルミリアが忘れるはずもない、〈マクギリス・ファリド事件〉なんて、ひどいものだった。今だって思い返すたび悔し涙があふれてくる。

 調べてみれば、証拠はひとつだって出てこない。鉄華団はマクギリス・ファリド()准将の指示のもと、破壊や虐殺を繰り返した犯罪集団である――という報道は、ギャラルホルンによる創作だったのだ。

 マクギリスはセブンスターズの当主たちを人質にとったが、ひとりだって手にかけていない。〈ガンダム・バエル〉が持ち出されたとき各家々のガンダムフレームを格納していた地下祭壇が一部破損したというが、格納庫はすべて電子ロックで、守り手はいなかった。現場からいくらも離れていないファリド邸に音も振動も響いてこなかった。革命軍のクーデターは、ギャラルホルンの〈法〉と〈秩序〉に則って行なわれていた。

 それでもマクギリスのやり方は間違っていたのか? 組織の膿だとして排除されなければならないくらい、間違っていたのか。

 

 被害者不在の濡れ衣を着せられ、世界から弾劾されなければならなかったのか。

 

 アリアンロッドがアーブラウ植民地域であるクリュセ郊外に〈ダインスレイヴ〉を撃ち込み、それを隠匿したのは、それが罪だという自覚があったせいだろう。当時アーブラウ代表をつとめていた蒔苗東護ノ介氏は領内への違法兵器解禁に難色を示したことは、東アーブラウの教養層が当たり前に記憶している。

 なおも革命の徒は『悪者』なのだと喧伝を続けた結果、地球圏では騙しきれなかった東アーブラウのみが反ギャラルホルンを叫び、対立は外から中へ。誘導されるがまま、民衆が抱いていたギャラルホルンへの不満は噴出しなくなった。

 鉄華団残党を今もそばにおいているラスカー・アレジ現代表は、ギャラルホルンが恣意的に創作した東西アーブラウの溝の板挟みになりながら、それでもアーブラウの民衆を守る政策をとり続けている。

 そして変わらない安寧を取り戻したのは、表向きの『合議制の解体』によって糾弾を逃れたセブンスターズだ。

 

アリアンロッド(あなたがた)のほうがよほど、罪もない人々を犠牲にしてきたっ……子供たちまで! あなたこそ、その罪を暴かれ、弾劾されるべきではないのですか!!」

 

「あなただって肉を喰うだろう。何の罪もない動植物を殺め、糧としてきたはずだが?」

 

 鳥の肉を、羊の肉を。食らって生きてきたはずだと。牛の肉はとても美味しい。そうしたすべての食肉に、命があり、親があり、子がある個体もいただろう。

 きっと、死にたくはなかった。

 しかし肉食は罪とされない。何故だ? それが『食用』であると免罪されているからだ。罪もない動物を殺めたのではないと、罪悪感を除く教育が行き届いている。

 皿の上のその肉は『食べ物』であるという文明の庇護下に生きているからこそ、食肉を調理し、切り分け、咀嚼し嚥下できる。食卓に並んだ皿を見て、いちいち罪なき命を奪ってしまった……などと自責に囚われてしまっては健全な精神が育たない。だから狩りのときには『獲物』と呼び、食卓では『肉』と呼ぶのだろう。

 生命倫理に縛られることなく、円滑に殺害できるように。

 

 戦場でも同じだ。あれは『敵』だと贖宥状を与えてやれば、兵士は迷わないで済む。火星は『出がらしの惑星』で、そこに生きるのは『労働力』だと教えてやればいい。あるいは大義のために排除すべき『悪』であると命令してやればいい。あるいは『獣』を狩れと宥免してやれば、赦された兵士たちは躊躇も罪悪もあっさり消し去り、意気揚々と『戦果』に手を伸ばすだろう。そこには負うべき罪も、責任も後悔もありはしない。

 

 死すべき運命の害獣が、運命に従って死んだだけだ。

 

 人はなぜ何の罪もない他者を殺めるのか、彼らを食い物にする権利があるのか――、そんな余計な疑念を抱き、思考にとらわれた者の人生に楽しみはない。肉を喰う隣人までもおそろしい加害者のように見えてくるだろう。

 嗜好品を見て、これも労働者の血と汗と涙の上にあるのだ……と悲嘆に暮れてどうなる? 食卓の肉を見て、この獣にも家族があり、事切れる寸前まで殺されまいと抗ったのだろう……などと想像してどうなる。

 罪悪感という足枷を引きずって進む未来は、閉塞感ばかりの暗闇だ。

 

 

「知らないほうがしあわせだということもある。みずから考えず、定められた規範に従うことで人類は安寧を手に入れられる」

 

 

 あなたもそうだろう。ここにいるみなが罪人であろうと、支配者は双眸を眇める。

 

「……お姫さん」

 

 脱出を。――ライドが静かに耳打ちする。

 ここで足止めされていたらアリアンロッド艦隊に囲まれてしまう。指揮権はジュリエッタ・ジュリス准将に委譲されており、ラスタルからの討伐命令が通っている可能性もある。モンターク商会ごとここで切るつもりなら充分ありえる話だろう。もとより長居は危険だ。

 逃げるなら今しかない。外にはヒルメの〈グリムゲルデ・ヴァンプ〉2号機が待ち構えており、ナノラミネート塗料が劣化しやすいカタパルトデッキを遠距離から狙撃できる。MS(モビルスーツ)での追撃を防ぐだけの時間稼ぎだが、ヒルメ機のガンカメラモード、ウタの操舵テクニックを合わせれば〈ルーナ・ドロップ〉側へ加速し、デブリ帯へ逃げ込める。

 背にしたタラップの向こう側ではエンビとトロウが待機している。アルミリアのアクセサリーに仕込んだ盗聴器のレシーバーごしに、今ごろ出てくる機会をうかがっているはずだ。ラスタルによる発砲命令にはエンビが射撃で返すだろう。エンビは〈マーナガルム隊〉の中で最もシューティングテクニックに優れている。

 打てる限りの手は打ってある。

 複雑な面持ちでうなずいたアルミリアのスカートにとりすがるように、リタが背伸びをする。小声で交わされる何事かから仲間はずれにされて不満なのか、アルミリアとライドを交互に見上げる。

 リタは、――想定外の荷物だが、ライドが小脇に抱えるしかないだろう。居住ブロックに閉じ込め、大人しくしているようヒルメが重ねて説得してくれたと聞いていたが、一体なぜ出てきてしまったのか……。

 アルミリアのロングスカートの中には発煙筒が仕込んであり、足払いのように蹴り上げて抱きかかえればスモークの中へ逃げることが可能だった。(ライドがジャケットの中に仕込んだ拳銃を抜くよりよほど安全だ)

 宇宙ネズミの空間認識能力をもってすれば視野の悪さなど大した問題ではない。だが、想定通りにアルミリアを抱えればリタを置き去りにすることになる。リタを抱えればアルミリアを誘導するために両手がふさがり、ライド自身が丸腰になる。

 せめて阿頼耶識使いをもうひとり連れていれば何とかなったのだが……、エンビはアーブラウ街頭のデモで演説したときテレビに顔が映ってしまっているし、トロウはトロウで秘書や黒服に擬態する芝居が下手だ。貴重な戦力であるMSパイロットをわざわざスーツに着替えさせて護衛につけるのは非合理的だからと、連れてこない選択をした。

 仲間は今、ライドの荷物を半分持ってくれる距離にはいない。

 

 横目にちらり、タラップを振り返る。アルミリアがライドの手をぎゅうと握った。

 このままアルミリアに足払いをかけてリタをひっつかんで、駆け上がって逃げ込むまで――うまくいって約十秒。スモークに乗じたエンビの援護射撃、トロウの誘導でタラップを引き上げて〈セイズ〉が発進するまで、……あわせて二〇〇秒あまりか、あるいは。

 つかまえた小動物でも観察するように見下ろしてくるラスタルと睨み合う膠着を、破ったのは銃声だった。

 

 ぱん、とかわいた音が一発、静寂を割る。

 

 息を呑む暇もなかった。スローモーションのように翻ったアリアンロッドグリーンのマント、まるでライドの心を先回りしたかのように、ばっと赤く弾けた鮮血。

 火を噴いた銃口は十二のうちのどれでもない。拳銃はラスタルの手の中で、細い煙をまとって揺れる。油断していた。

 眼前で紙のように吹き飛ぶ小さな体。荷物になると疎んじてしまったせいなのか、アルミリアの手は届かない。

 絹を裂く悲鳴が反響する。

 

 

「リタ――――!!」

 

 

 とっさに駆けすがった白いジャケットは、既に泉のような赤である。凶弾は薄い腹を貫通し、ライドの背後でフロアに跳ね返って赤い爪痕をひとすじ残す。

 

「リタ! しっかりしてっ……だれか、誰かお医者様を!! すぐに医務室を手配してください!」

 

 ひざまずいて抱き寄せれば、スカートは重たく濡れ、端から赤く黒ずんでいく。薄い下腹の風穴はどく、どくと断続的に血を吐き出させているのに、あどけない面影は、自身に何が起こったのかもわかっていないようすだ。

 弱まっていく脈動とともに赤は流出し、体温、血圧の低下とともに顔色は青白く褪せていく。真っ赤な口紅が、ごぼりと口内からあふれた。

 

「ァ…… ミ、ア さま、 」

 

 血の気を失ったいとけない両腕が、弱々しくも精一杯、アルミリアに向かって伸びる。今にも失われそうな命をつなぎとめようと、アルミリアはただ抱きしめることしかできない。どうか出血が止まるように、どうか。

 しかし血だまりは無機質なフロアにまるく広がり、十三の銃口に見守られたまま、リタはほうと安心したように微笑んだ。

 アルミリアにしっかりと抱きしめられた腕の中、静かな呼吸をふうと終える。

 息を引き取るそのさまは、まるで幸福の中で眠るように安らかだった。

 

「リタ…………?」

 

 どうして。これ以上なく満足そうに短い一生をしめくくった少年の頬に、あつい涙の雨が降る。アルミリアの悲しみだけが、蝋人形のような頬を滑り落ちていく。

 銃口の細い煙が絶えたころ、静かに口火を切ったのはラスタルだった。

 

「人間が真に奴隷となるのは、奴隷の鎖を外されたときだ」

 

 奴隷であったのだと教えられ、憐れまれて鎖から解き放たれ、さあ自由になれ――と命じられたとき、足枷以外の何も持たない自分自身に愕然とする。

 それこそ、人間が本当の意味で奴隷に成り下がる瞬間だ。

 少年男娼も、少年兵も。セブンスターズの子女も、その使用人も、みなそうだろう。選択肢という存在を知らない限り、いかなる人生もひとつの運命として成立する。高級男娼も、場末の売春婦も、傭兵も、ヒューマンデブリも。食い物にされているとは知らず、役目を全うしているという心意気で穏やかに永らえ、往生することが可能である。

 人には生きるべき世界がある。

 その世界を治める法と秩序に迎合し、適応しさえすれば、従順で聞き分けのいい『いい子』であり続けたならば()()()()()()幸福に果てることができる。

 火星のメディアでも教えていただろう。子供とは無邪気で愛くるしく、学校と勉強が大好きで、大人の言うことをよく聞くべき存在だ――と、すべての子供がしあわせになれる方法を。

 アルミリアの腕の中、赤い血に彩られたくちびるは満足そうにほほえんでいる。

 

「あんたは――っ」

 

 糾弾ではなく戸惑いを装って、ライドが身構えた。ここでラスタルを責め、詰るならば言葉による反撃とみなされ、撃ち殺す口実を与えてしまうというとっさの機転である。

 フロアに広がる血の海にひざまずいたまま、細く嗚咽をこぼすアルミリアを、いつでも引きずって逃げられる姿勢だ。抱えきれない荷物は捨てていける。傭兵として、ライドにはその覚悟がある。

 

「お前たちが望む世界では、()()だけではない犠牲が生まれるぞ?」

 

 お前にならばわかるだろうとライドを巻き込むように、ラスタルは眼光を剣呑に尖らせた。

 ……そうだ、ライドにはわかる。大人の道具として育ってきた少年兵、男娼たちは、いざ『普通の少年』であることを求められたとき、自身の生い立ちの異常さを知ってしまう。

 かつて火星では、男児は警備会社へ少年兵として、女児は花街へ娼婦として売られるのが常だった。誰も彼もそうであったから、それが『普通』だった。

 だが、両親のもとで作られた子供たちという比較対象を目の当たりにして、ライドたち少年兵は普通ではなくなった。誰からも望まれない『作られなかった子供』なのだと思い知った。学校を抜け出し、街に背を向け、スラムに逃げ込んで耳を塞いでいなければ、少年兵は害獣なのだと誹り、罵る声がやまない。

〈ヒューマンデブリ廃止条約〉調印以来、宇宙ネズミどころか少年兵すら少数派になった。

 ライドたちは生まれながらのテロリストだと誰もが()()()()()環境。居場所なんてどこにもない。これまで生きてきた人生とは、何の価値もない時間と資源の無駄だったのだと突きつけられて、同情され、憐憫を浴び続ければ、正気を保っていられる期間は長くない。魂を削り落とされ、砕かれて、過去はがらがらと音を立て崩壊していく。

 火星の孤児に限った話ではない。

 たとえばアルミリアつきのメイドたちは、ボードウィンに仕える家系の生まれである。男は執事になり、女はメイドになる。軍人にはならない。のちにエリオン家の艦長となる男も同じだ。のちにボードウィン家のメイドとなる女も。みな家々同士で血を交わし、先祖代々そのための教育を受けて育つ。主君と命運をともにすることが生まれる前から決まっている。

 父も母も、生まれたときから()()なのだから、疑問を覚えることもない。

 知りたいと願ったわけでもない奴隷に、現実の悲惨さなど教えてやる必要などないだろう。そのように生まれ、そのように生き、そうして生きていくのだから。

 

「そうやってっ……わ たしたちが……奪い続けた、からっ、リタはお父様お母様に抱きしめていただくことすら知らないまま……!! 幼いころから命を切り売りして明日を買ってっ、そうしなければ生きられない世界にしてしまったのは、()()()()()ギャラルホルンではないですか!」

 

 犠牲を生んだのがアルミリアだと言うなら、それは間違っていない。だってアルミリアはセブンスターズの一家門ボードウィン家の息女だ。

 子供だとか、獣だとか、膿だとか。火星人だとか、コロニー出身者だとか。都合よく理由をつけては無実の罪で処刑してきたギャラルホルンに生まれ、何不自由なく育ったアルミリアは確かに加害者のひとりだと、ふるえる声がみずからの罪を肯定する。

 火星など出がらしの惑星だと教えられれば、考えもせずそれを信じた。真偽など確かめようともせず、圏外圏に生きる人々を差別する言葉を鵜呑みにした。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()生きれば、幸福に生きて死ねるのだ――そんな価値観を上から目線で押し付けて、銃を突きつけ脅してきた組織に迎合してきた。

 ギャラルホルンは今もなお、自分自身が責任を負わない方向へと論点をずらしては安全圏に逃げ、みずからを正当化し続けている。身の丈とは何なのか、誰が何のために創り出したカーストなのか、そこにある『現実』を見つめようともしないで。

 罪のある存在だったから断罪されただけだと、自分の中の差別意識を相手の持つ属性のせいにして。都合のいい『真実』を創作し、運よく持って生まれてきた免罪符を後生大事に抱きしめて。

 そんな卑怯な〈法〉と〈秩序〉に守られて生きるのは、もうたくさんだ。

 

「どうしてギャラルホルン(わたしたち)はみずからの罪を隠し、偽りの罪で民間人(ひとびと)を罰しようとするのですかっ? 革命を『膿』と笑い、子供たちを『獣』と蔑んで、わたしたちが歩む未来に幸福は残るのですか……!?」

 

「それはあなた次第だな」

 

「指一本で子供の命さえ奪えるあなたが『あなた次第』だなんて、無責任だわ!」

 

「その子供は、あなたの監督不行き届きで死んだのだが?」

 

「あなたが撃たなければ失われなかった命です! あなたの兵士たちが、おひとりでもお医者様を呼んでくださればこの子は助かったはずでしょう!!」

 

「兵士というのは、あなたを接待する職務ではないのでな。それに、その体格で下腹を銃弾が貫通していては、救命は不可能ではないかな」

 

「お仕事じゃないから見殺しにされるだなんて、そんなのおかしいわ……! わたしにこの子を守りきれなかった罪があるから、あなたがこの子を撃った罪がなくなるなんてっ……」

 

「では……その少年のおかげで、火星の要人が四名も殺害された。彼らの仇だとでも言えばいいか?」

 

「それは…………っ」

 

 例の私刑のことだと、アルミリアは乱れた呼吸を詰まらせた。くちびるが引き攣る。モンターク商会は独自に少年売春を取り締まり、確かに民間人をも手にかけた。『現行犯』として見せしめにしたのだ。

 リタを囮として使い、ヒルメとトロウふたりの実動部隊が手にかけた政治家や医者、弁護士といったクリュセの要人たち――火星人だった。

 ギャラルホルンの高官を手にかけてしまわないようにと予約を締め切ったのはアルミリアの采配だ。

 もしも民間企業の男娼がギャラルホルン所属の将校を殺害したと公になれば、モンターク商会は強制査察を受け、廃業に追い込まれるだろう。そうなればライドたち鉄華団残党は処刑され、ギリアムたちヒューマンデブリは全員射殺され、リタたち高級男娼は逮捕される。

 現行法において、クリュセの十六歳未満の売春は売ったほうも買ったほうも等しく有罪とされてしまう。ヒューマンデブリもまた、所持していた罪を問われる。

 万が一にもモンターク商会が摘発を受ければ、子供を商品として売買・消費する加害者は野放しのまま、被害に遭った子供たちだけが一方的に未来を奪われてしまう。

 そうならないための選択は、おのずと『殺していい相手』か『殺してはいけない相手』かの振り分けになっていた。

 

「殺害現場は凄惨を極めたそうだ。従業員や警官が何人も離職している」

 

 むろん、執行人をつとめた傭兵が血液や臓物をぶちまけたまま現場を去ったせいで、だ。

 よく訓練された暗殺者(ヒットマン)が、微塵の躊躇もなく、積年の恨みを晴らすかのように蜂の巣に変えた肉の塊。

 銃弾一発を腹に食らって眠るように旅立った少年(リタ)の最期とは比べ物にならない、それはひどい死に様だったろう。ホテルの従業員やクリュセ市警のような、遺体を見慣れていない善良な民間人にとっては正視に耐えない惨劇だった。

 私刑を執行するとき、傭兵はなぜ迷わなかった? 被害者を庇護し、加害者を断罪するという大義名分があったからだろう。手慣れてもいた。傭兵たちは『仕事』でさえあればいくらでも殺すことができる。これから銃殺する相手にも家族があり、悲しむ者がいる――と踏みとどまることはない。

 死体など見慣れているから、血の海に沈められた男の遺体というものがどれほどのショックを与えるのかも知らなかった。人肉ミンチなど見飽きてしまった少年兵には、想像することができなかったのだ。

 第一発見者になるだろう従業員、捜査に携わる市警といった『普通の人間』にとって、それが人生を狂わせるほどの恐怖であると。

 

「『人間(かれら)』を殺めたのが『人間(ひと)』と思えばこそ、復讐者は生まれ続けるだろう」

 

 憎しみの矛先がそこにあるから人は憎む。命があるなら命を奪うことも可能であるはずと、生命体であることを希望に殺害という報復を目論む。害すれば殺せるのだと、復讐者たちは武器を取る。

 

「ならば『獣』を殺したのが『秩序』であったなら?」

 

 憎しみの矛先に『人』がいなければ。奪えるものが何もないなら。人は諦め、過去に見切りをつけて、前に進むことができるはずだ。

 三百年の昔、人類は瓦礫の中から立ち上がった。文明を滅ぼし、全人類の二十五%を死に至らしめた自立思考型兵器MA(モビルアーマー)には()()()()()()()()()()()からそれが可能だった。

 人類がその存亡をかけて戦うとき、背後には家族や友人、恋人の存在があるだろう。だからこそ一致団結し、危険を顧みず戦った。

 敵はMAという、人ならざるもの。

 暴走し、破壊と虐殺を繰り返す『敵』に立ち向かうため、人類はようやくひとつになれた。

 そうして終戦に漕ぎ着けた三百年前、天使に蹂躙され、傷ついた人類は学んだ。学習したのだ。大規模な戦乱は文明を滅ぼすが、小規模な戦争を散発的に繰り返していけば、人々は団結し、戦い、その果てに何度でも平和を取り戻した喜びに涙するのだと!

 

 

「かつての厄災が『天使』であったから、世界はこうも復興した。今度は『悪魔』を討つことで、世界は何度でも安寧を取り戻す」

 

 

 支配者はあくまでも淡々と、両手を広げてみせた。これからは悪魔(ガンダム)の首級をあげることが安寧の象徴となるだろう。

『平和を勝ち取った英雄』という名の椅子を欲し、兵士たちは免罪符を握りしめて戦乱を望む。

 そして何度でも人々は歓喜するのだ。

 

「あなたは、神にでもなるおつもりなの…………?」

 

「あなたにはおれがそう見えるのか」

 

 剛胆に笑んでみせたラスタルの言葉に、アルミリアは戦慄する。

 殺害から罪悪感を除くことで人々は健全な精神を構築できるとラスタルは言う。生命倫理など不要と笑う。……すぐさま否定できないのは、すぐそばにライドがいるからだ。

 傭兵として数多の死にその手を汚してきた。〈マーナガルム隊〉の中には、罪の意識を持たない少年兵だっているだろう。そうしなければ生きられなかったからだ。地球圏による搾取、ギャラルホルンによる圧制が創り出した貧困の中、生きる糧を得るために戦場を駆け、身を寄せ合って生き残ってきた尊い命だ。否定したくない。不用意に傷つけたくない。

 多くは動物の肉を食す習慣のなかった少年兵たちに、栄養をつけてほしいとエゴの赴くまま与えてきたのはアルミリア自身である。

 

「それでもっ、犠牲者の声を封じることが健全な秩序だなんてわたしは――――きゃっ ぁう!」

 

 銃声はサイレンサーの向こう側から割り込むように響き、重たく濡れたスカートの裾がぶわりと重たく舞いあがる。声を遮られたアルミリアがよろめき、細い腕はライドがつかんで引き寄せる。

 ころりと転がり落ちた金属の筒。わずか一拍ののちに、発煙筒が勢いよく白煙を噴き上げた。

 

 撃ったのは十四番目の銃口。

 

 エンビだ。

 

 威嚇ではなくアルミリアの脚を狙い、スカートの中に仕込まれた発煙筒を正確に撃ち抜いた。

 煙に巻かれるただ中で、エンビの銃口はラスタル・エリオンの心臓を正確にとらえている。ヘルメットのバイザーが双眸を黒く覆い隠してはいるが、うかつに発砲すれば上官の命はないぞという、兵士たちへの脅しは充分な効果をもたらしているらしかった。

 敢えてアルミリアの言葉を遮り、敢えてアルミリアを狙い、しかしアルミリアを傷つけることはなかった腕利きの射手。

 高精度の射撃能力は背中に直接銃口をめり込ませるほどの()()能力になる。

 射撃の腕も確かとは、楽しませてくれる――ラスタルがうっそりと笑う。

 今だとライドがアルミリアの手を引いたが、アルミリアは両手でその手を握り返して首を強く横に振った。

 

「待って、リタが……っ!」

 

「悪いがおれはひとりしか抱えられない!」

 

「だめ! あの子を置いてはいけないわ……!」

 

 踏ん張るアルミリアは、リタを抱きしめようと膝をつくが、抱き上げるには力が足りない。九歳の少年を抱き上げるにはアルミリアの腕は細く頼りない。

 荷物を下ろせなかったライドは、内心で苛烈に舌打ちした。

 こんなことならエンビが脚を撃って動けなくしてくれていればとさえ思ってしまう。〈セイズ〉の医療ポッドは高性能で、脚の銃創ひとつくらい数時間で治してしまえるだろう。

 逡巡している間にもエンビとトロウは撹乱のため白煙の中を駆けていく。内側から風穴を開け、外に待たせたMSにたどりついて宇宙へ出る手筈だ。エンビが〈グリムゲルデ・ヴァンプ〉1号機にたどり着けば、合図でヒルメが外から射撃を行ない、エアロックをぶちぬくだろう。

 騒乱が聞こえてくる。今にこのドックは、気密エリアではなくなる。

 

「……見たくないなら目をつぶって、聞きたくないなら耳も塞いで。今は死なないことだけ考えてください。三十秒で済ませるんで」

 

 

 じっとしてろ。

 

 

 脅すように低くなった声に、アルミリアがひゅっと細く息を呑む。ライドが半ば力ずくで抱き上げようとしたそのとき、爆発音が断続的に鳴り渡った。




\にく! わたしも大好物です!/

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