MSV. 弾劾のハンニバル《完結》   作:suz.

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008 代償

 アルミリア・ボードウィンは、明日にも月面基地(こちら)へ到着するという。

 

 海賊討伐作戦を無事に終え、しばらくぶりに帰還したジュリエッタが耳にしたのが件の噂話である。

 ボードウィン卿の妹君は火星へ留学していると聞いていたが、なぜ彼女が月へ……? ――疑問を抱いても、一体どういうことだと部下に問いただすわけにもいかない。ここ月面基地はギャラルホルン最大最強の艦隊アリアンロッドの本拠地。ジュリエッタ・ジュリス准将はその司令官だ。というのに、要人が訪れてラスタル・エリオンと会談するという重要事項を偶然、しかも部下の噂で耳にしただなんて。それでも統率者かと笑われてしまう。

 凛々しき女騎士と持ち上げられても、やはりそんなものかと諦観が胸に押し寄せる。

 

「まったく……、一体どれほど民間出身者を信用しない組織なんでしょうね!」

 

 心の中にはしまいきれない毒を独り言で吐き出して、ジュリエッタは孤独にくちびるを噛んだ。地位に見合った情報が与えられない悔しさが消化不良をおこして、愚痴を吐いたくらいでは胃のあたりのむかむかがおさまらない。

 桟橋に停泊しているエリオン家のスキップジャック級戦艦〈フリズスキャルヴ〉をガラスごしに眺めながら、ジュリエッタは貴族院との距離感を何度でも実感させられるのだ。

 

 威風堂々と赤いヨルムンガンドの紋章を見せつける巨躯は、ジュリエッタが指揮官をつとめる月外縁軌道統合艦隊〈アリアンロッド〉の旗艦である。

 だが、いかにアリアンロッドの船といえど、艦長席に座るのは代々エリオン家にお仕えしてきた家臣のみと決まっている。ボードウィン家の専用艦〈スレイプニル〉にも同様に、セブンスターズの当主や嫡男が座乗する艦船には定められたクルーがいる。艦長だけでなくオペレーターにメカニック、執事、メイド、シェフ、仕立て屋にいたるまで、みな生まれたときからそのように教育されるのだという。

 主人の戦艦を預かるためだけに産まれて生きる専従者がいる以上、ぽっと出のジュリエッタなどが横取りするわけにはいかない。

 マクギリス・ファリドが目指した『誰もが等しく競い合う世界』を本当の意味で実現されてしまっては、彼らはたちまち路頭に迷ってしまう。

 エリオン家とは無関係にラスタル個人の私兵であったジュリエッタは〈マクギリス・ファリド事件〉を受けて正式に『准将』という階級を得たが、それだってギャラルホルンという組織は公平、平等に改革されたのだから文句を言うなと地球外出身者を黙らせるためのプロパガンダにすぎないのだ。

 ジュリエッタが〈ガンダム・バルバトス〉の首級をあげた一幕は、ギャラルホルン・ドリームとして喧伝された。

 

“地球経済圏、コロニー、圏外圏の出身者でも()()()()()()()ことができれば出世がかなう。”

 

 それが新しい〈秩序〉だ。あの戦場で殺されまいと抗い続けたチンピラどもの存在などきれいさっぱり消し去って、ラスタル・エリオン公の威光のもと再編されたギャラルホルンは『悪魔の首さえ手に入れれば』という条件つきで、誰もが等しく競い合う新体制を実現してみせた。

 金品の贈答による口利きを排除し、ベッド・テクニックで成り上がった淫売を決して赦さない。

 新たな方針が示されたおかげで兵士の士気はより向上し、各部隊は対ガンダム戦を視野に入れた対策をはじめた。

 旧来の作戦にしがみついていたこれまでの部隊が、新しい作戦を立案し、我こそは出世の引き金に手をかけようと奮い立つ。ガンダム狩りという椅子取りゲームはギャラルホルンをより強く、より豊かに作り替えていく。

 みな向上心が強く、限られた上役のポストを求めてよく働くので尖兵として有用ではあるが……、これが『民主的』だというなら、おそろしいことだ。

 地球経済圏からの出資で成り立っている以上、ギャラルホルンにも予算というものがある。生活レベルを一定に保つためには、兵士が増えすぎては困るのだ。必然的に、人数を調整する必要が出てくる。ゆえに不運なパイロットたちに()()()戦死してもらうことで現状を維持する。

 さいわい、戦場では死因が何であれ戦没者として処理してしまえる。整備不良の〈グレイズ〉を割り当てられた兵士たちは、思惑通り戻らなかった。

 ずっとそうだった。昔からそうらしいのだ。

 生け贄たちには使えもしない武器を与える。これから鎮圧するコロニー労働者でも、膿であると断罪されたギャラルホルンの兵隊たちでも。削減されるときは必ず兵器がそばにある。ジュリエッタが初陣を飾ったときには既に慣習化していた。

 味方からも多少の被害が出ないと角が立つから――という理由で散らされていった数多の命。足の動かない〈グレイズシルト〉が、燃料不足の〈レギンレイズ〉が、〈ガンダム・バルバトス〉の前に差し出されては狩られていくさまを、同じ戦場で見届けた。不要になった機体ごと〈ダインスレイヴ〉の餌食になったパイロットたちは、そういえば火星の出身だった。

 あのときジュリエッタが〈ガンダム・バルバトス〉の首を預かったのは、イオク・クジャン公が討ち死にしてしまったからだと思っていた。代役をつとめたつもりだった。

 だが、違ったのだ。シナリオは最初からジュリエッタの勝利と決まっていた。

 悪魔討伐であるべき鉄華団殲滅作戦に〈ガンダム・キマリスヴィダール〉は姿も見せず、作戦は火星支部の〈グレイズ〉と月外縁軌道統合艦隊の〈グレイズシルト〉を動員して行なわれた。

 そして〈レギンレイズ・ジュリア〉が悪魔(ガンダム)を討って、前代未聞の大出世を果たした。

 出身地がどうあれ実力によって成り上がることは可能なのだと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()たちの鼻先にエサとしてぶら下げられた格好である。ジュリエッタ・ジュリスはMS(モビルスーツ)操縦の腕()()でここまで成り上がれた。だから、戦闘技能さえあれば出世はかなう。ゆえに、出世ができないのはお前の努力が足りないだけだ。……という、自己責任論に転嫁してしまったのだ。

 根強いカースト意識によって〈ヴィーンゴールヴ〉外出身者がおざなりな待遇に甘んじねばならない現状は、何も変わらないまま。

 

 明日にもここへたどり着いてしまう彼女は、知っているのだろうか。

 ファリド家のガンダムフレームである〈ガンダム・アウナス〉を別名義で買い取ったのは妹のアルミリアだ――という情報はガエリオとの雑談の中から得ているが、軍部の内情を詳しく知る術をアルミリアは持っていないはず。

 アリアンロッドの職域で暗躍する『白いガンダムフレーム』の噂はジュリエッタのもとにも届いている。(フェンリル)をかたどったノーズアートも。エイハブ・ウェーブの固有周波数がアウナスと一致することも。

 

(ラスタル様は、また新しい生け贄を用意されたのか……)

 

 もしもアルミリアが護衛にガンダムを連れてくるなら、格好の的になる。ガンダムフレームと聞けば目の色を変えて前線配備を願い出てくる部下は数知れないだろう。今や『悪魔の首』は出世の夢を叶えてくれるアイテムだ。

 海賊討伐作戦とあれば、ガンダムを秘蔵しているかもしれないと志願者が集まるようになった。密輸の取り締まりと聞けば、ガンダムの首があるかもしれないと兵士が出撃許可をあおいでくる。

 マクギリスが蜂起し、革命を鎮圧すれば()()なるとラスタルはあらかじめ読んでいたのだろう。

 どうやら十年以上も前から両者は互いを利用しあっていたらしい。

 厄祭戦後三百年が経過し、英雄たちは老いていき、ギャラルホルンは年月とともにそのありようを変えていった。その漸進的変化は権力の()()だとして、原点回帰を叫んだのがマクギリス・ファリドのもとに集った革命軍だった。

 しかし体制とはシステムであり、時代に適した形に変化していくものだ。そうすべからくして、常に()()()されていく。現体制を刷新するという意図こそ『革命』かもしれないが、旧時代の価値観へ押し戻そうとするならば、それは退化をうながす『保守』の悪例である。

 革命を騙る強硬保守派を組織の膿として殲滅すれば、ギャラルホルンは真の革新を得るだろうと預言したのが賢君ラスタル・エリオンだった。

 

 

“生まれや身分に頓着せず、身の丈にあった立場で生きることが人類の幸福につながる。”

 

 

 マクギリスとラスタルの革命思想は、言葉にすればぞっとするほど似通っていて、言葉を綴ることの恐怖をジュリエッタに見せ付ける。ギャラルホルンが守護している『世界』とは一体何なのかを、改めて実感させられるようだった。

 人々の心の安寧を、世界の法と秩序によって守るのがギャラルホルンのつとめだ。

 欲をかけば天罰が下り、献身が報われる〈法〉のもと、努力は必ず実を結び、怠惰であれば失墜する〈秩序〉を守る。公正なる世界において、被害者は必ず悪人でなければならない。何の落ち度もない犠牲者が出てしまうようでは、善良な市民が安心して暮らせないからだ。

 罪なき者には幸福を。

 罪ある者には断罪を。

 すべての犠牲に罪状を――そして非のない民に火の粉が降り掛かることは決してないという約束を。

 

 そういう法と秩序を、ジュリエッタは守っている。

 

 だから祈る。どうか悪魔を(ここ)へ連れてきてくれるなと。

 英雄ガエリオ・ボードウィンの妹としてではなく、逆賊マクギリス・ファリドの妻として生きたかった乙女の志が手折られてしまうさまを、せめてこの目で見たくはない。

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 旗を振るマーシャラーの誘導に従い、ビスコー級クルーザー〈セイズ〉はつつがなくドックに侵入する。左右から伸びてきたアームが船体側面をつかまえて、穏便に停止した。

 さすがギャラルホルン月面基地の軍港だけあって規模、設備ともに〈方舟〉の比ではない。

 エアロックが順繰りに閉じていき、エリア内が大気で満たされたことを示すグリーンランプが点灯する。誘導灯を振っていたマーシャラーたちもヘルメットをとって敬礼してみせると、低重力をふわりと泳いでそれぞれの持ち場へ戻っていく。

 重力は、そして1Gへ。

〈セイズ〉からフロアへとタラップが差し伸べられる。

 ライドのエスコートでアルミリアが姿を見せれば、月外縁軌道統合艦隊〈アリアンロッド〉の兵士たちが最敬礼で出迎えた。やはりボードウィン家の名のせいだろうか。兵士たちのうやうやしい歓迎に左胸に手を当て返礼しつつも、アルミリアは複雑な気持ちになって目を伏せる。

 

 かつて『エドモントンで亡くなった』と知らされた兄は――ガエリオ・ボードウィンは、音信を絶っていた二年間、このアリアンロッドに身を寄せていたという。

 ファリド家に続いてボードウィン家をも乗っ取らんと画策していた逆賊マクギリスを摘発し、ギャラルホルンを守ったと語り継がれる、新時代の英雄。もう戦わないと決意をかため、今も〈ヴィーンゴールヴ〉で静養しているのだろう兄は、アリアンロッドの指揮官であるジュリエッタ・ジュリス准将との結婚も噂されている。

 司令官の未来の夫の妹にあたるアルミリアにも最大の礼を尽くす必要があるのだろう。七家の合議制が廃止された新体制のギャラルホルンにおいてもセブンスターズの権力は揺るぎない。

 だがアルミリアにとって、アリアンロッドは仇にも等しい存在だ。

 エドモントンで兄は亡くなった、そう伝えられたとき、アルミリアは偽物の遺体を前に目が溶けるほど泣き続けた。

 実は生きていたことを、どうして教えてくれなかったのか。アルミリアにはわからない。どうして地球本部〈ヴィーンゴールヴ〉の地下祭壇に偽物の〈ガンダム・キマリス〉を格納させ、家族の目を欺いてまで隠す必要があったのか。わからない。今でもわからない。エリオン公がそのように取りはからったのだと父に兄に言い聞かされて、納得したふりこそしたけれど。

 知らなくていい、わからなくていいと突き放された心は、どこへも行けないまま冷たく凍りついて、この世界を支配する〈法〉と〈秩序〉への復讐心になった。

 

「長旅ご足労だったな、アルミリア嬢」

 

 そして人垣を割るようにして現れた仇敵を前に、アルミリアは淑女然と一礼してみせる。

 かたわらで秘書に扮するライドを興味深げに一瞥したラスタルは、事務的な直立姿勢を崩さない若き傭兵に向けて「道中いかがだったかな」と投げかけた。

 瀟洒なスーツ姿のライドは黙礼に撤して応じない。ここで会談を行なうのはアルミリアだ。

 

「今しばらく楽しんでいたい旅でしたわ」

 

「ずいぶん財を(なげう)たれたのではないかな?」

 

「実り多い投資をさせていただきました。ラスタル様のお慈悲に感謝します」

 

 にこりと屈託なく笑んでみせ、ラスタルとともに桟橋を見遣る。ファリド家のハーフビーク級戦艦〈ヴァナルガンド〉。消さずに残されていたフェンリルの紋章を見て、アルミリアは両手を胸に組み合わせた。ああ、無事だったのだと思えただけで胸に郷愁が押し寄せてくる。

 セブンスターズの合議制が廃止とされた折り、ギャラルホルンには『統制局』『監査局』『警察局』『総務局』にくわえて『貴族院』という部署が新設された。エリオン、ボードウィン、バクラザン、ファルク四家とその使用人たちのための所属局だ。(ボードウィン家の〈スレイプニル〉の乗組員たちは艦長からオペレーター、給養員に至るまで、統制局から貴族院へ異動になったという)

 取り潰しになった家々の艦船はナノラミネート塗料を上塗りされ、一般の部隊へ下賜される運命にあった。

 叶うのならばフェンリル・ブルーの紋章を戴く艦船はすべて引き取りたかったし、贅沢を言うのならイシュー家のガンダムフレームとカルタの座乗艦〈ヴァナディース〉も丁重に保護したかったのだが、間に合わずクジャン家の戦艦もろとも改修を施され、エイハブ・ウェーブの固有周波数という、アルミリアには知り得ようもない数字でしか見分けのつかない遠方へ遣られてしまった。

 せめて夫の形見だけは、彼の最期の足跡をたどるものだけでも手に入れることができて、よかった。

 みんなのおかげで、取り戻せたのだ。アルミリアひとりではどうにもならなかった願いを、みんなが力を合わせて叶えてくれた。

 どうしようもなく胸がいっぱいになって、祈るように組み合わせた指先で感慨をぎゅうと抱きしめる。

 

「ご所望のバエルは〈ヴァナルガンド〉のMS(モビルスーツ)デッキだ。確認を?」

 

「確認なら、手前の整備士に行なわせます。つきましては、火星の共同宇宙港〈方舟〉へ運ばせていただきたいのですけれど」

 

「それはできんな」

 

 ばさり、ロングコートが翻る。

 ラスタルの片腕が持ち上がれば、銃を持った兵士がずらりとアルミリアを取り囲んだ。ライドがさっとアルミリアを背後にかばうが、……ご丁寧に退路は残されており、アルミリアの殺害ではなくラスタルの護衛という体裁をとっている。

 

 銃口の数は十二。

 

 この状況でライドが銃を抜くのはまずい。秘書ではなく護衛の傭兵であることは現段階でラスタルにしか気付かれていない。うかつに武装を明らかにすれば、射殺の口実を与えるだけだ。

 

「これは一体どういうことですか、ラスタル様!」

 

 アルミリアが気丈を装って声を張る。怯えをおくびにも出さないのは、さすがボードウィン家の御息女というべきだろう。

 確かにこのタイミングで警戒するのは商人としておかしい。仮面をかぶっていなくとも、今のアルミリアはプライベートで管理・運営している武器商〈モンターク商会〉の代表であり、今は取引先との会談中だ。

 かたや火星随一の武器商人、かたや法と秩序の番人。モンターク商会側は提示された金額通り、約束通りに支払いを済ませたのだから、ここで交戦の構えを見せることはラスタル・エリオン公の遵法精神を疑っていることになる。

 渡すつもりのない商品を取り引きに出し、金銭を騙し取るなど、あってはならない蛮行だ。商人にとっては一生ぶんの信用をも失いかねない不義理である。

 ……それとも善も悪も行なうラスタル様なら詐欺行為もやるのか。

 

 今のギャラルホルンの『英雄』はガルス・ボードウィンの息子ガエリオ・ボードウィンが取って代わり、三百年前に群雄の長であったアグニカ・カイエルなど創世神話の登場人物にすぎない。ガンダムフレームもまた過去に葬られた骨董品に成り下がり、もはや維持費ばかりかかる無用の長物のはずだろう。蔵の中にあるだけでよかった一点モノのアンティークは、持っていてもメリットのない金属塊になった。

 ラスタル・エリオン公の主導により生まれ変わった新生ギャラルホルンにおいて、三百年前の伝説など何の意味も持たないはず。

 

「〈ガンダム・バエル〉――、その新たな持ち主は不運な最期を遂げるだろう」

 

「……ど ういう、意味です……?」

 

 わたしを殺して、接収しようというわけですか。ふるえそうになる声を叱咤して、アルミリアは細い脚を踏ん張る。トドやライド、子供たち。火星で雇い入れた仲間が働いて、稼いで、用意してくれたチャンスだったのだ。

 アルミリアのために、トドが貯金をしていてくれた。マクギリスの最期はハーフビーク級戦艦〈ヴァナルガンド〉による特攻だったと伝えてくれたのも彼だった。

 この月面基地まで無事に送り届けてくれた年若い傭兵たち。戦闘もそれ以外の仕事も、みな嫌な顔ひとつせず、ふたつ返事でこなしてくれた。鉄華団という、生前のマクギリスが高く評価していた少年兵集団の生き残りだ。彼らの献身を、無碍にするわけにはいかない。

 万事休すかとくちびるを噛みしめた、そのときだった。

 凛と甲高い声が降る。

 

「アルミリア様!」

 

 はっとふりあおげば、タラップを転がるように駆け降りてくる少年の姿が目に飛び込んできた。淡い金髪はふわりと場違いなほどやわらかく、光源の少ないドックでさえきらきらとまばゆい。

 リタだ。

 

「こちらへきてはだめ!」

 

 制止も聞かず、銃口には目もくれず、アルミリアめがけて一目散に走ってくる。飛び込んできた小さな体をとっさに抱きとめると、ああと一度強く抱きしめた。

 アルミリアが外へ出るとき、非常用シャッターの点検を兼ねて隔壁を一度デフォルト(もと)に戻したから、そのとき逃げ出してしまっていたのだろう。部屋で待っているように言い含めておいたけれど、もう十日も窮屈な思いをしてきたのだ。言うことを聞けなくてもしょうがない。

 膝をついて、言い聞かせるように頬を撫でる。ライトグリーンのおおきなひとみが、心細くうるんで揺れている。

 

「リタ、ここは危険なの。みなさんと一緒に待っていて」

 

「危険ならなおさらアルミリア様を置いていけない。一緒に帰りましょう? ねえ、帰ろうよ」

 

 アルミリアとライドの手をひとつずつつかみ、ぐいぐいと引っ張る姿は両親に甘える幼子のようだ。――が、不意にびくりと肩を跳ね上げた。

 彫像ように固まってしまったリタの視線を追って見上げれば、ラスタルと目が合う。

 

「ほう?」と検分するように、ラスタルがあご髭を撫でた。「これは驚いた。マクギリスのクローン……ではないようだが、実によくできた代替品(みがわり)だな」

 

「いいえ、この子はこの子です! 誰の代わりでもありません。いたずらに信頼関係を損なう発言はお控えになってください」

 

「言葉を返すようだが、その程度で壊れる関係しか築けなかったあなたの至らなさを転嫁されても困る」

 

「詭弁を……っ」

 

「図星を突かれ、詭弁だとレッテルを貼るしかできない――、まったく子供の屁理屈だな」

 

 アルミリアはただ押し黙って、畏怖に身を硬くするリタを抱きしめる。

 その姿に、ラスタルは失望を禁じえない。

 

(……マクギリスに似ていると思ったが、……)

 

 少なくともマクギリスは、人前で弱さを見せるようなことはなかった。幼い子供のころからだ。ひとりでいれば孤高に、親友ガエリオとふたりでいれば親しげに、他者に囲まれていればまるで崇拝を集めているかのように見えた。

 イズナリオ・ファリドに見初められて〈ヴィーンゴールヴ〉に持ち込まれ、愛玩動物(ペット)から養子へ、後継者へと大出世を果たした元男娼。幼少より目をみはる美貌の持ち主だったが、容姿のうつくしさに反発するかのように媚びず、飾らず、みずから粗野な印象を与えようとするかのような立ち振る舞いが実に特徴的だった。

 七星会議におもむく養父が見せびらかすように同伴していたときでさえ、片手には必ず本を携えていた。

 法を学び、秩序を糧とし、その明晰な頭脳をもってギャラルホルンの現状を打破しようとした。イズナリオ・ファリドのような搾取者が二度と現れないよう、世界そのものを変えてしまいたかったのだろう。二十年にも渡る略取の日々を耐え抜き、アグニカ・カイエルの提唱した本来のギャラルホルンを取り戻そうとあがいてみせたのだから、見上げた反骨精神である。

 手段さえ見誤らなければ、もう少し野放しにしてやっても構わないとラスタルは常々思っていた。

 

(これではマクギリスも鉄華団も浮かばれんな)

 

 同じく光彩脱目の美少年だろうに、リタは自身の魅力が通用しないラスタルを本能的に震えおののき、その恐怖を隠そうともしない。

 怖がってみせれば甘やかしてもらえるとでも学習したのかもしれない。みずからの容姿がいかに愛くるしいかを自覚し、より可愛らしく見えるよう計算ずくで振る舞っている。ラスタルではなくイズナリオの前であれば、喜んで尻尾を振ったのだろう。

 嫌悪をあらわにこそしないが侮蔑を含んだラスタルの眼光に戦慄し、子鹿のようにふるえている。

 何とも情けない姿だ。かたわらで虎視眈々と反撃の機会をうかがっている鉄華団残党のほうがよほど気概ある青年ではないか。

 旧友に代わって取り立ててやった赤毛の傭兵は、今も脱出か報復かを天秤にかけ、知恵をめぐらせている。雇用主もろとも全滅してよしと判断すれば迷わずラスタルの喉笛を噛み切るのだろう。

 アルミリアの秘書らしく殊勝にスーツをまとい、必要とあればギャラルホルンのパイロットスーツに袖を通してMSを駆る宇宙ネズミ。阿頼耶識システムの恩恵もなくガンダムフレームを操る技能まで備えている。

 平静をよそおうグリーンアイズが、奥底では復讐心に爛々と煮えているのがラスタルにはありありと伝わってくる。

 だがお荷物がふたりに増えた今、彼は報復を断念せざるをえない。

 大人になれなかった愚かな子供らにはじめて覚える感慨。それは同情だった。

 撃ち方、構えよと合図する。

 

「哀れな逆賊の妻よ。せめてファリドの名ともに送ってやろう」

 

「あなたはっ……ボードウィンの名に傷がつくのがお嫌なのでしょう! イエスマンだけの軍隊に『個』はいらない、そうお考えなのでしょうっ」

 

「組織は個性を主張する場ではないのだよ、アルミリア嬢。作戦に個人の情を持ち込む兵士は障害になる。『個』は集団の和を乱す。肥大した個はやがて、世界を蝕む膿となる」

 

 火星支部の汚職も、地球経済圏との癒着もすべて、自分だけが甘い汁をすすろうとする『個』が引き起こしたものだ。ギャラルホルンの威信を傷つけ、恥部とまで呼ばれたアイン・ダルトン三尉の動機も私怨だったという。

 自分ひとりだけでも目的を遂げようとし、その手段を選ばぬような兵隊は、ギャラルホルンに必要ない。何事も定められた手順を踏み、組織や上官、恩人の名誉を傷つけぬよう配慮すべきだ。上位者から許諾を得、周囲から認められた上で行なわれなければ反発が生まれる。ラスタルではない、ギャラルホルンの法と秩序が黙っていないだろう。

 絶対であるべき組織の瑕疵を、守られるべき人々に晒すのは悪手である。

 軍閥と言えどギャラルホルンは所属する個人の集合体であり、ひとりの罪を摘発すれば、外部から『罪の集合体』と見なされてしまう。

 すべての罪を暴かずとも、隠しておいたほうが穏便に済むものは隠せばいい。誰もみな安心したいのだ。ギャラルホルンという圧倒的軍事力の庇護のもと、世界は平和であり続けると。安寧を夢見ていたいのだ。ひとりが黙って耐えれば済んだものを、わざわざ露呈させようなど、まったく馬鹿げている。

 これから刷新する組織の汚職を公にし、ただでさえ失墜していた経済圏からの信用を完全に失わせようとしたマクギリスのやり方は、ラスタルに言わせれば稚拙でしかない。「俺を搾取した大人はこんなに汚いやつらだった」と被害者ぶって泣き叫んで、自分に酔っている子供のヒロイズムだろう。実に滑稽だ。

 力のない犠牲者にはせいぜい我慢させておけばいい。

 やがて不満が爆発するころ武器を卸し、見せしめに一掃してやれば世界は『ふたたび安寧を手に入れた』と実感できる。テロリストの反乱と、鉄槌を下すギャラルホルン。ここは公正な世界であるというイメージこそ、民衆が求める安らぎの姿だろう。

 ノブリス・ゴルドンに取って代わってやると息巻き、マクギリス・ファリドの革命思想を引き継いでなお、モンターク商会の仕事はどちらの真似事も中途半端なまま。

 だから子供だというのだ。

 ふたたびギャラルホルンの信用に傷をつけるならばアルミリア・ファリドもまた膿として断罪せねばならない。

 

「……賢明な兄には似れば長生きできたものを。こうまでマクギリスに似合いの娘だったとはな」

 

「本望ですわッ!」

 

 知らずリタを抱きしめる腕に力がこもる。どんな言葉を綴ろうともラスタルまでは届かない。叫びはことごとく打ち消され、否定になって打ち返されてくる。

 ついにあふれそうになった涙を隠すように、リタが腕の中でみじろいだ。

 もがくように抜け出して、アルミリアの前で両手を広げる。

 

「やめろ! アルミリア様をいじめるなっ……」

 

 立ちはだかって壁になるにも、小さな子供ではあまりに頼りない。だが、図らずも細く短い両腕をめいっぱい伸ばし、両手のひらを見せていれば、非武装であることは明らかだ。傭兵が同じことをやれば問答無用で射殺されていた。

 この子供も、そこまで計算ずくではなかったろうが。

 

「よく躾けられた騎士(ナイト)だな」とラスタルは鷹揚に笑うと、痛ましげに目を眇めた。「だが、可哀想に。洗脳を受けているようだ」

 

「え…………?」

 

「彼女は君に本を与えなかったか? アグニカ・カイエルの伝説――いや、鳥の図鑑だ」

 

「……っ ――?」

 

 明らかに動揺する幼子は、金髪碧眼の容姿ばかりうつくしく、努力もすべて胡麻擂りに使い果たして頭の中は空洞らしい。希有な美貌に甘えた、なんとも愚かな子供だ。

 憐憫に目を細め、ラスタルはゆるやかにとどめをさす。

 

「やめてください、ラスタル様! どうか!」

 

「哀れなマクギリス・ファリドの代替品、きみは、きみ自身の役割をよくわかっているのではないかな?」

 

「リタ! 耳を貸してはだめ!」

 

 アルミリアの呼び声も虚しく、白い頬はみるみる青ざめ、あどけないひとみが絶望に染まる。広げていた両手がぱたり、力を失って落ちた。

 

「あ……ぁああ………っ」

 

 男娼としての生き方を、アルミリアによって否定されたことは事実なのだ。

 仕事を失ったら生きていけないのに、仕事をさせてくれないアルミリア。あたたかい食事を振る舞ってくれるし、清潔なベッドを用意してくれるし、絵本を読み聞かせてくれる。

 でも、九人いる金髪の子供みんなに、アルミリアはいつも平等だった。

 客をとれば、みんなリタを特別だと言ってくれたのに。透明感のある金髪も、くすみひとつない白い肌も、これは稀少な品物だと珍しがった。緑色の双眸をのぞき込み、こうも明るいライトグリーンが人間に現れるのは希有なことだと称賛した。なのに。

 モンターク商会では誰もリタを可愛いと言ってくれない。特別きれいだと誰も言ってくれない。アルミリアも、ライドも、エンビもヒルメもトロウもみんな、リタを他の子供と同じに扱う。

 以前、夕食を囲むためにと宇宙から降りてきたという少年兵たちは、リタよりも年上なのにヒルメやトロウに抱っこしてもらっていて、仲間同士でも車いすを押しあっていて、――うらやましかった。仕事をして、アルミリアやライドに褒められ労われているあの椅子に座っているのが、どうしてリタではないのだろうと泣きたくなった。

 あんなふうになれたらいいと思う。でもわからない。仲間なんていない。同世代の友達なんて知らない。リタの仕事はひとりで呼ばれていくものだ。みんなでやる仕事じゃない。

 リタだって、リタだってああやって頭を撫でて褒めてほしいのに。彼らと同じ戦う仕事ができる体(アラヤシキ)にもしてもらえない。

 

「愛しているわ、リタ。あなたはあなたよ。聞いて、怖いことは何もないの、リタ」

 

 上滑りする言葉は涙に歪む。アルミリアが捧げようとする無償の愛は、リタだけのものではない。

 アルミリアの好きな人はリタじゃない。一番大切なのも、特別に愛しているのも、リタじゃなくて『マクギリス』だ。

 

 リタは高級男娼だが、火星では十六歳未満、地球では十八歳未満の売春が禁じられている。(木星圏なら制限はないが、あちらでは店主が女を貸与する商売だ)

 幸か不幸か火星では、法と秩序の目をかいくぐり、偶然見目うるわしく生まれただけの子供たちが略取され続けていた。

 そうした現状を憂いて、モンターク商会は少年男娼たちの身柄を売春宿ごと買い取った。もしも違法な売春が発覚すれば、売ったほうも買ったほうも有罪になり、食い物にされただけの子供たちまで未来を奪われてしまうからだ。

 幼い日のマクギリスを救いたい代償行為だったかもしれない。それでもどうか幼い子供たちが罪に汚されてしまう前にと、傭兵を使って私刑を執行もした。

 

 しかし、リタはいつだって現実を受け入れてきた。未来など望まない。明日よりも今日、今、誰かに抱きしめてほしいのだ。

 だって、いつまで愛してもらえる容姿のままいられるかわからない。

 愛してくれるなら誰でもよかった。褒めてもらえるのならどんな仕事だってやる。稀少な金髪碧眼だけが取り柄で、成長してしまうまでというタイムリミットがリタにはある。美少年でいられる今のうちに体を売って、一生ぶんの愛を買わなくてはならない。

 リタはだから、とても従順で、いつも人形のように大人しい。絶えず現実を憎み、疎み、怒りの中で変革を望み続けたマクギリスのような強靭な野心は持っていない。思想など持ったこともない。何をされても嫌がって泣いたりしない。逃げたりなんか絶対しない。血を流しても痛くないふりでにっこり笑って、ありがとうございますと温情に感謝してみせる、大人に都合のいい子供であり続けた。

 この世界に適応し、順応して平穏に、生きることが赦されているはずだった。

 

「みずからの罪を暴かれるのが怖いか?」

 

 支配者はすべてを見通して、憐れむように眦の皺を深くした。




長くなったので分割します。

【一方その頃(?)】
「なぁ聞いてくれジュリエッタ。妹がな、ポリティカルコレクトネスとか、フェミニズムとか、ポストコロニアリズムとか、何やら難しいことを言いだすんだ。アルミリアは女の子なんだから、もっとこう、一歩下がって男を立てるような……そうすれば再婚相手だってすぐに見つかる。いや、十八で再婚は気が早いか。あいつには今度こそ恋愛結婚をしてほしいしな」
「はぁ」
「それはそうと、次の任務は? 食事をしていく時間はあるんだろ?」
「肉を所望します」
「君はいつもそれだな!」

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