MSV. 弾劾のハンニバル《完結》   作:suz.

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【前回までのあらすじ】
 モンターク商会が保有する傭兵部隊、〈マーナガルム隊〉。ライドのもとに集った少年たちは、みな『本当の居場所』を求めてさまよっている。双子の弟を失ったエンビ、名前を奪われたヒルメ、今度こそ家族を守り抜きたいトロウ。ヒューマンデブリの少年兵たち、幼い高級男娼たちも。
 どこへ行けば、どこまで行けば、過去を呪わず生きられる場所までたどり着くことができるのか。


第四章 ディープ・スロート
007 月へ


 ビスコー級クルーザー〈セイズ〉は、月に向かって共同宇宙港〈方舟〉を出立した。

 

 公転周期の都合により、火星から十日いくばくの旅になる。

 最短であれば二週間で行って戻れる距離なのだが、いくらか離れた今は片道で十三日ほど。復路はさらに数日かかるにしても、地球の向こう側まで一年近く旅をせよと言われなかっただけマシだと思うべきだろう。

 

 到着まで残り三日。

 行き先はギャラルホルン月面基地。

 

 アリアンロッドの本丸だ。

 

「さあ、鬼が出るか蛇が出るか――」

 

 艦長席のライドは気だるく頬杖をついて、パイロットスーツ姿でため息を吐く。苛立つつま先がコツコツと床を蹴りつけ、足癖の悪さをごまかすように組み替えた。

 各操舵席についているのは〈ハーティ小隊〉のオペレーターで、鉄華団年少組が成長したままの顔ぶれである。

 操舵士ウタ、砲撃手イーサン、そのほか管制室の面々まで〈イサリビ〉を動かしていた主要クルーだ。

 

 かつて鉄華団には火星本部、地球支部にくわえて『戦艦当直』という実質上の第三支部があり、ウタやイーサンたち当直組は日常の大部分を強襲装甲艦〈イサリビ〉艦内で過ごしていた。

 用命とあればいつでも宇宙に出られるようにとほとんど常駐状態にあった彼らは今でも地上のモンターク邸より共同宇宙港〈方舟〉を拠点とする艦上生活のほうが肌に合うらしい。

 前線を駆けた〈イサリビ〉の戦術的特性上、〈ホタルビ〉のクルーに比べて血の気が多い傾向もある。

 今では唯一の兄貴分となったライドの心中を慮って、右舷操舵席のウタが気遣うように眉尻を下げた。

 

「今さら何が出てきたって驚かないよ」

 

 トド・ミルコネンによる『ピンハネ貯金』が、まさか〈ガンダム・バエル〉とハーフビーク級戦艦〈ヴァナルガンド〉を買い取れる金額に達していたことのほうがよほどびっくりだ。

 あの小悪党野郎が、保管中の管理費もろもろまとめて支払える額を一括、耳を揃えて用意するだなんて一体誰が想像したろう。

 

「そうだよなぁ」とライドも嘆息する。

 

 眇められた緑色にうつるのは、どこか冷たい諦観だった。

 

(いい加減に腹決めて『世界』を敵にする覚悟を決めたほうがいいのかもな)

 

 あなたたちを人間(ひと)として対等に扱おうとしない、この世界は、あなたたちにとって憎むべき敵ではないの――? アルミリアに問われた言葉が今も耳に残っている。

 

 別に、世界を敵だと思ったことはない。打倒すべきだと叫ぶほどでもない。

 支配者を挿げ替えたくらいで何が変わるとも思えない。

 

 ところがアルミリア・ボードウィン嬢はみずからの足で〈ヴィーンゴールヴ〉という箱庭を出て、法と秩序の破壊を目論み火星くんだりまでやってきた。

 ライドたち鉄華団残党を雇い、ノブリス・ゴルドンを殺害して火星随一の武器商人となり、手の届く範囲のヒューマンデブリを買い漁った。

 

 そしてガンダムフレーム一号機〈ガンダム・バエル〉とファリド家のハーフビーク級戦艦〈ヴァナルガンド〉を買い戻したその先は、おそらくマクギリス・ファリドが目指した『変革』。

 ギャラルホルンは本来主要な役職には就けないはずだった地球外出身者にも出世の機会を与えはじめたというが、そこに自由平等は存在しないとアルミリアは考えているらしい。

 たったひとりでも、〈マクギリス・ファリド事件〉で全滅させられた革命思想を継ぐつもりでいる。

 深窓の令嬢だろうに、まったく凄まじい行動力だ。

 

 ここまできたら地獄の果てまで付き合うほかないだろう。

 表向きこそモンターク商会所有の傭兵部隊でも、〈マーナガルム隊〉の実状はアルミリア個人のお抱え私兵団だ。金銭感覚が狂いに狂った大口スポンサーの権力に庇護され、養われてきた恩義がある。悲願とあらば叶えてやりたい。

 ようやく夫の形見を取り戻す女主人を無事に月まで送り届けるため、総力をあげてバックアップについている。

 実働1番組〈ハーティ小隊〉、3・4・5番組をまとめた〈ウルヴヘズナル混成小隊〉を動員し、〈グリムゲルデ・ヴァンプ〉三機、〈マン・ロディ〉四機、〈スピナ・ロディ〉五機、〈ガルム・ロディ〉六機が出番を待つ。

 ライドの〈ガンダム・アウナスブランカ〉を含めて総勢十九機。

 実働2番組〈ガルム小隊〉は拠点防衛のため〈方舟〉に残してきたが、それでも火星支部(アーレス)からのスクランブルを退(しりぞ)けたり、非正規航路のそこここでたむろする海賊を撃退するくらいなら充分すぎる戦力だろう。

 

「ライド、一時の方角に所属不明の機影がいる。強襲装甲艦が2、輸送船が1だ」

 

 左舷火器管制席につくイーサンの報告に続けてメインモニタに拡大された強襲装甲艦、輸送船。規模は宇宙海賊〈ブルワーズ〉ほど、MS(モビルスーツ)らしきエイハブ・ウェーブの反応はないらしい。

 

「また海賊か……」

 

 道中、一日二日進むたびにこうやって海賊船を発見する。

〈ヒューマンデブリ廃止条約〉締結の折り、飼っていたヒューマンデブリを生け贄に差し出して生き延びた連中だ。ギャラルホルンにみかじめ料を支払わず惑星間航行を行なう不届きな艦船のみを襲撃することを条件に、必要悪として野放しにされている。

 ボードウィン家の紋章である八本足の軍馬スレイプニールを戴くクルーザーにみずから仕掛けてくる命知らずはまだいないが、もしもこちらがMSを出したら口実を得たとばかりに襲いかかってくるだろう。

 

「ウタ、今回も戦闘なしで通過できそうか?」

 

「あちらさんが見逃してくれるかどうかだ、今回も」

 

「イーサン、あっちの射程に入るまでは?」

 

「最短で一〇分。だいぶ余裕がある」

 

 MSデッキでは各隊が交代で待機し、出撃に備えている。ビスコー級クルーザーは全長五〇メートル程度と比較的小柄で、相応に小回りも利く。阿頼耶識がなくとも操舵士、砲撃手ともユージン・セブンスタークの曲芸航行を間近で見て育った〈イサリビ〉のブリッジクルーだ。

 頼もしく育ったイーサンが無感動に嘆息した。

 

「どうせ、こっちの戦力を探ろうって腹だろ?」

 

「だろうな。逸って飛び出さないようMS隊に釘を刺しておいてくれ」

 

了解(ラジャー)

 

 月面基地まで三日の距離ともなれば、近辺を航行していたアリアンロッドの部隊がいつすっ飛んでくるともしれない。海賊同士がドンパチやっていたので治安維持のためにまとめて始末しときました、とでも言えばアルミリアお嬢様ごと葬り去ってしまえる。

 歴史を綴るのはギャラルホルンだ。

 

(……海賊だって、俺らと戦うメリットはない)

 

〈ヒューマンデブリ廃止条約〉は、海賊連中の戦力までも大幅に削いでいる。いくらでも替えの利いた戦闘用奴隷を根こそぎ生け贄に差し出したせいで、戦闘におけるアドバンテージは完全に失われた。

 たとえギャラルホルンの恩赦を得ても海賊は海賊だ。略奪者であることに変わりはない。軍港で補給をさせてもらえるわけではないし、民間宇宙港に立ち寄れば通報を受ける。

 むろん、通行料をケチった貧乏人を野放しにしてはならないので、PMCや整備工場の段階でMSの弱体化がはかられ、『海賊>傭兵』の構図は守られている。それでも鉄砲玉を失い、自分自身の命を懸けねばならなくなったのは大きすぎる痛手だろう。水も食糧も弾薬もすべて客船や商船を襲って調達しなければならない宇宙海賊にとって、ヒューマンデブリはなくてはならない剣と楯だった。

 海賊にせよ、傭兵団にせよ、いたずらに兵隊と兵站を消耗させるのは避けたいはずだ。

 ……いや、連中の事情なんか知ったことじゃあない。慮ってやる必要などないだろうにと、ライドは自傷のように目を伏せる。

 生活必需品を現物で調達しなければならない海賊。

 生活費を得るために戦い続けなければならない傭兵団。

 全部どうだっていいはずなのに、過去の鉄華団に重なるせいか、理性を差し置いて記憶が懐かしんでしまう。

 いくらか前にユージンと袂を分かった口論の意味も、今ならわかる。

 

 ――あのときのことはもう忘れろ。復讐なんてオルガは望まねえよ。戦いは終わった。終わったんだ。

 

 ――何が終わったってんだよ!? 団長が目指してたのは、俺たちの『本当の居場所』だろ。俺たちがひとりだって使い捨ての道具にされないような、ここじゃない、どっか――!

 

 ――んなもんはオルガの方便だ。鉄華団が進み続けるために、そう言ってただけだ。

 

 ――団長の言葉を噓にしないために、俺たちは戦ってたんじゃんか!

 

 ――とっくにハッタリだって割れちまったろ。今さら遅ぇよ。

 

 オルガ・イツカはもういない。三日月も昭弘もシノも、主だった戦力はみんな。MSも、MW(モビルワーカー)も武器はすべて基地ごと爆破し、戦う力は削がれてしまった。怪我人を運ぶのに精一杯で、荷物さえまともに持ち出せやしなかったのだ。手許には何も残らなかった。

 戦意も、もうない。

 

 ――……戦っても、得るものはもうねえ。失うだけだ。

 

 戦えば生活費が手に入るから傭兵業を続けていた。好き好んで戦いを選ばなくていいのなら、もう戦わない。

 俺たちはもう戦えないとユージンは言った。

 戦う理由も、力もない。これまで傭兵業をやってきたのは生活のためだ。人数分の水と食糧を合法的に買いそろえ、人数分の寝床を維持し、営業妨害がしたい勢力の襲撃に備えるだけの金が必要だった。新たにMSを買いそろえる費用がいくらになると思う? 到底捻出できやしない。

 IDを書き換えて別人になった今、危険な仕事はしなくてよくなった。連合議長様になったクーデリアが斡旋してくれる『真っ当な仕事』に就くことも可能になった。

 

 

 ――俺たちはよくやった。もう全部終わったことだ。過去は過去だって割り切って、やっと前に進める。……そうしたいやつは大勢いる。

 

 

 そうだろ、とユージンは同意を求めた。自分自身に言い聞かせているような声音だった。

 鉄華団は解散、団長オルガ・イツカは殺害され、象徴であった〈ガンダム・バルバトス〉は晒し首に処された。ギャラルホルンの権威と軍事力があれば、鉄華団なんて零細PMCは任意のタイミングで犯罪者に仕立て上げて殲滅してしまえるのだと、ラスタル・エリオン公が行動でもって示してみせた。

 静止軌道上から〈ダインスレイヴ〉を撃ち込む高次元の射撃能力を有している。宇宙にいても地上にいても逃げ場はない。

 惨憺たる終焉を、ライドたち強硬派は『居場所を奪われた』と感じている。鉄華団が鉄華団である限り、大人による上から目線の暴力から逃れることは叶わなかった。

 だが、いつかたどり着く『本当の居場所』など幻想だと、幹部組は知っていた。わかっていた。だからこそオルガは全員が死ぬまで殴られ続けるより逃げるが勝ちだと判断し、鉄華団の基地を爆破、団員は全滅したことにして、タービンズや蒔苗老の伝手を使って地球へ逃がしてくれた。

 

 オルガのおかげで『真っ当な仕事だけでやっていく』ところまで()()()()()()のだ――というのがユージンたち穏健派の解釈だ。

 

 確かに、武器の維持、人員の管理、兵站の調達だけでも経営はずいぶん圧迫される。戦艦やMSの維持費だけでも馬鹿にならない額だ。優れたパイロットを育てるには時間も金もかかる。整備士や船医にいたっては、内々で育てるのはまず不可能である。

 専門的な知識、洗練された技術をその腕に宿すには時間と経験だけでは到底足りない。外から好待遇で雇い入れたら不平等が生じないよう身内の給金も上げねばならず、戦い続けなければ生活できない自転車操業。

 自前のMSを持つことは、リスクばかりでメリットがないのだ。

 戦うことをやめたその瞬間から、水も、食糧も、ただ減っていくだけになる。資産も、社会的信用も、漸進的に尽きていく。命の残量がなくなっていくだけになる。

 だから選ばなければならない。

 

 武器を売り払い、権力の傘の下で生きるか。

 武器を握りしめ、仲間の屍の上で戦い続けるか。

 

 死に到るカウントダウンに抗いたいライドは、止まれない。止まってはいけないから、窮屈なギャラルホルンのパイロットスーツなんか着て、ボードウィン家の紋章(スレイプニール)を戴くクルーザーの艦長席に座している。

 適応(そう)しなければ、生きたいと願うことすらままならない。

 

(ここはそういう世界だ)

 

 変革を実現できない限り、ずっと。

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 大容量の冷蔵庫、オーブンのたぐいも充実している。冷凍庫の中身も、乗組員数・客室数と照らしてこんなに必要かと首を傾げたくなるレベルだ。

 豪勢なキッチン設備は、さすがギャラルホルンの艦船と言うべきだろう。

 エンビは鼻歌混じりに『FOOD ONLY(調理用)』と太く書きつけられたサバイバルナイフを戸棚に片付けていく。鍋の火を止めると、転倒防止ベルトで固定した。鉄華団が発足したばかりのころ、まだ戦力にならなかった年少組は厨房でアトラを手伝っていたので、仕込みから皿洗いまでばっちりだ。

 ランチボックスに小分けにして、配達用がま口バッグを肩から提げる。

 するとそこへ、ちょうどよく交代の報せが舞い込んできた。

 

「おつかれ、エンビ。仮眠いってこい」

 

 調理場のカウンターに現れたヒルメに、エンビは実に機嫌良く笑んだ。

 

「ナイスタイミング。出来立て食っていけよ」

 

 うまくできたんだと誇らしく、パチンと蓋のロックを解く。大鍋の口からほわりと持ち上がった湯気は、さして空腹でなくとも食欲をそそった。

 のぞき込めば、おおざっぱな調理ではあるものの子供の一口大まで細かく刻んだ肉と野菜がちょうどいい塩梅に煮詰まっている。全員にあたたかい食事が行き渡るようにというクライアントの要望通り、この船には食糧・食材が潤沢に積んであるのだ。

 いたずらっぽく笑んだエンビは、「味見」と称してふたかけら取り分けると毒味するように片方みずから口に放り込んでみせた。

 

「羊とかいう動物の肉なんだってさ。結構いけるぜ」

 

「ヒツジ? 初めて聞くな」

 

「鳥とそう変わんねえかな。翼はなくて、四本足で蹄がある」

 

「ふうん」とヒルメは応じて、寄越された肉を味わう。

 

 悪くない……と思うのは肉なのか、それともエンビの味付けなのか、いまいちわからない。トロウも含めて味覚がよく似ているせいで、うまいだろうと言われたものはだいたいうまいのだ。(おかげで買い出しは楽だが取り合いになると血を見る)

 本作戦中は〈ハーティ小隊〉の誰かが持ち回りで調理場を担当しているため、先日ヒルメが豆のシチューを作ってライドに微妙な顔をされた以外には何の文句も出ていない。

 アルミリアに出した食事が残っていた、捨てられていたという話も聞かない。

 今回の作戦はさすがに危険がともなうとして、メイドたちはモンターク邸で留守を預かり、シェフやセクレタリにも順を追って暇が出された。トドも地上残留組だ。このビスコー級クルーザー〈セイズ〉には護衛任務に就く〈マーナガルム隊〉実働1・3・4・5番組、守られる側としてアルミリア、そしてモンターク邸内に匿われていた少年男娼たちだけが乗艦している。

 何の戦闘訓練も受けていない子供はどこで何をしでかすかまるで予想がつかないし、逃げ足もたかが知れている。拠点防衛組として〈方舟〉で待機する2番組の足手まといにさせるのもはばかられて、全員まとめて連れてきたのだ。

 アルミリアごと艦内の最も安全なエリアに閉じ込め、念のため隔壁まで締め切って隔離してある。

 

「ってわけで、俺はMS(モビルスーツ)隊に弁当届けて仮眠とってくる。あとは頼んだぜ!」

 

 ひらりと敏捷に踵を返したエンビに、「ああ」と頷きかけたヒルメはさっと青ざめた。

 

「……って、待てエンビ! ってことは――」

 

 作った食事を鍋ごとワゴンに乗せてアルミリア()()のところまで持っていき、皿に盛りつけ、取り分ける作業はヒルメに任せるということか。

 ひと仕事終えたと言わんばかりに伸びをしたエンビは、それがどうしたとヒルメを振り返った。

 

「だって、あそこのガキどもに一番懐かれてんのヒルメだろ?」

 

「トロウ以外は全員そこそこ懐いてるだろ……イーサンあたりに行かせろよ」

 

 同じブロンドのイーサンなら、それなりに親近感もあるはずだ。昔こそ野暮ったい感じだったイサリビの砲撃手は成長期で凄まじく垢抜けた。それに、次の交代で食堂に訪れる。

 ヒルメが言い募っても、取り合う気すらないのかエンビは「なんで」と目をまたたかせる。

 

「あの一等はんぱない金髪美少年(ハニーブロンド)がヒルメのこと待ってるぜ」

 

「リタか……!」

 

 思い当たるふしがありすぎて、ヒルメは思わず頭を抱えた。

 エンビが諜報任務で火星を離れていたとき、少年売春の現行犯を暗殺してまわったあの仕事以来だ。囮役として同行していたリタにばっちり名前を覚えられてしまったらしい。

 淡い金髪に碧眼で、マクギリス・ファリドの面影があるからかお姫様にもずいぶん可愛がられているはずなのに、なぜだかべったりと懐かれてしまった。

 同任務を担当したトロウは気が利かず、全員一律『弟』扱いするせいで、あの美少年たちには人気がない。むしろ暑苦しがられて避けられている。(みな小綺麗にしているので、頭を撫でる手つきひとつとってもお上品にしてやらないと嫌がるのだ)

 

「一回くらい寝てやれば」

 

「冗談でもやめろ。九つの子供(ガキ)だぞ」

 

「なら、ちゃんと距離とって接してやれよ」

 

 トロウのように少年兵も男娼も関係なく弟分扱いできないのなら。エンビのように『脈なし』を態度で表してやらないのなら。

 

「優しいのは、ヒルメのいいとこだけどさ。中途半端に構うのって逆に残酷だろ」

 

 個々を尊重して接するヒルメの気遣いは、やすやす真似できることではない。誰だってブロンドはブロンド、ブルネットはブルネットと十把一絡げにしてしまいたくなるものだ。東洋人は東洋人、黒人は黒人で一律に接するほうが楽だろう。

 ヒルメの目にはイーサンとリタが同じ『金髪の白人』に見えるように、エンビだってアジア系の人種は見分けがつかない。トロウとフェイが同じ『黒髪の東洋人』に見えるし、ウタとギリアムのような褐色肌のグリーンアイズたちにどんな民族的差異があるのかさっぱりわからない。自身と同じ白人同士のときだけ、人種や顔立ちの細かな個性が見えてくる。

 そうした垣根を一切作らないトロウの接し方は、少年兵たちによく好かれる。〈ハーティ小隊〉は日ごろ練兵教官じみたこともやっているが、長所を伸ばして強化してくれる兄貴分として、最も広く慕われているのはトロウだ。

 俺たちは他に行く場所なんてない、だからここでともに生きようと先導できるのは一種の才能だろう。みんな弟みたいなもんだと一旦平等に均してから、ひとりひとり贔屓目なしに大事にしてやれる、そういう天然の魅力とは無縁の育ち方をしてしまったエンビには、トロウのまっすぐな気質がなおさらまぶしくうつる。

 個々に居場所を作ってやろうとするヒルメも、弟分たちから慕われる性分には違いない。一歩引いて全体を見通し、短所をカバーする知恵を授けてくれる。孤立しそうなとき、どうしていいかわからないとき必ず気付いて助けてくれるヒルメには、すべからく敬愛が集まってくる。

 だが、十名足らずの美少年たちから向けられる思慕は、少年兵の共同体の中で兄貴分に対して寄せる憧憬や信頼とは質も量も違う。

 物心つく前から容姿によって選別され、()()に必要な言葉だけを覚え、必要なしぐさだけを仕込まれ、最高の商品として育てられてきた高嶺の花。たった二時間の予約で云千万ギャラーもの()()をポンと支払われるような高級男娼で、一晩ともなれば億単位の金が動くという。

 鉄華団全盛期の月収をはたいても到底手が届かない一夜の夢だろう。

 だが、ヒルメの袖を引く動機が金目当てでないのは明らかだ。

 

「最後まで責任持つか、その気がないならちゃんと突き放してやれ」

 

 一晩に何人もの相手をして生計をたてる花街の娼婦たちとは違う。

 二度と来ない父親の迎えを待つ幼子のように、健気にヒルメを待ち続けるだろう。

 

「なんだよ、責任って。俺は何にもする気はねえよ」

 

 だが、エンビの指摘ももっともだ。総勢にして一二〇名ほどいるマーナガルムの少年兵とは打って変わって、十人もいない美少年たちはみなあまり仲がよくない。航行の邪魔だからとまとめて居住区画に押し込んで十日あまり、無事に往復できて一ヶ月かかるこの旅は、彼らにとっては永遠にも等しい孤独かもしれない。

 モンターク商会に買い取られ、アルミリアの意向によって身の安全を保障されていることすら、彼らにとって『平穏』なのかどうか。

 わざわざ連れてきたのも、ヒューマンデブリ育ちの少年兵との折り合いが悪いからだ。火星に残してきた実働2番組〈ガルム小隊〉の足手まといになりそうだとライドが懸念し、少年男娼たちはアルミリアのそばに置くように、3・4・5番組の〈ウルヴヘズナル混成小隊〉はエンビたち年長者が監督するように決定した。(2番組は隊長ギリアム、右腕のフェイ、左腕のエヴァン、参謀のハル――というMSパイロット四名を中心によくまとまった有能な番犬だが、同時にひどく排他的である)

 同じ孤児でも、少年兵と高級男娼ではバックグラウンドが違いすぎる。思考回路もあまりに違う。幼いころから傭兵として育ってきたエンビやヒルメには想像もつかない世界の生き物だ。

 九つの子供だったころ――、ちょうど鉄華団が発足して地球に降りたころだ。年少組と呼ばれていた。一日も早く成長期を迎えて、もっと多様な仕事を覚えたいといつも思っていた。強いパイロットに憧れた。

 CGSでも鉄華団でも、人を撃てないやつは早世した。仲間の死に耐えられないやつは生き残らなかった。

 傭兵業でやっていける心身の持ち主だけが生き残った。

 金属アレルギーもなく阿頼耶識システムに適合し、食べ物に(あた)ることもなく成長し、今もMSに乗っている。もう戦いたくないと残党の多くが戦場を去った中で、ヒルメは武器を手放さなかった。

 だって。一方的に支配されるなんて鼻持ちならない。変態の玩具になるなんて死んでもごめんだ。娼婦の腹から生まれても、売られた先は警備会社でよかったと安堵できるくらいには。

 そんなだから、優しさが優しさになるのか、慰めが慰めになるのか、何をしたらリタ(あの子)のためになるのか、考えるほどわからなくなる。

 居場所を失って苦しむ兄弟を見捨てることができかねてヒルメはここにいるのだ。

 父性を求めて対価に体を差し出してくる子供との接し方なんて、わかるものか。

 

「下手に会わないほうがいい。何を期待されても、俺にしてやれることは何もない」

 

「逃げるのか?」

 

 間髪入れず、エンビが声を尖らせた。

 

「それとも怖いのか。九つのガキが」

 

「別にそういうわけじゃ、」

 

「俺らだってまだ十七の子供だ。けど、あいつらの目には大人に見えてる。わかるだろ?」

 

 体格的には大人と相違ないのだ。少し低いエンビの視線に睨み上げられて自覚する。青年期に達した体躯は、自身が子供だったころ思い描いた将来像と重なりつつある。鉄華団発足時の幹部組、当時のオルガとユージンがちょうど十七歳だった。あのころはあんなにも大人に見えたのに、そうではなかったのだと追いついてみて初めてわかった。

 拳でトンとヒルメの左胸を殴りつけ、苦く微笑する。痛ましげに歪んだ笑みは、激励であり諌言でもあった。

 

「現状維持を選んでいいのはお前じゃないんだぜ、ヒルメ」

 

 それがリタのためになるかはわからない。ヒルメのためにもならないかもしれない。だが、ヒルメは現状を打開する力がある。何も持たないリタとは違うのだ。戦闘職に従事するヒルメが戦場に遺恨を持ち込むのなら、仲間の誰かが死ぬことになる。

 背中を預けられるのも、厨房を任せられるのも、裏切り者ではないと知れているからだろう。

 

 家族の無事を願うなら、ちゃんとケジメをつけてこい。

 

 鉄華団残党で構成された〈ハーティ小隊〉も、ライド率いる少年兵集団〈マーナガルム隊〉も、みな兄弟のように思っている。エンビもそうだ。ヒルメだってもちろんそうだ。

 ともに戦う仲間なのだから『喧嘩はとことん』は鉄則である。気に入らないことがあったときには腹を割るなり拳で語るなり、わだかまりを残さないよう当人同士で解決しなければならない。仲間同士のコミュニケーションは「俺はお前の背中を撃たない」という意思表示になるが、逆も然りである。

 結束力と戦闘力だけが取り柄だ。以心伝心の連携こそが武器だ。鉄華団は、〈マーナガルム隊〉もまた、そうして戦ってきた。

 だけど高級男娼(あいつ)らは同胞じゃあないんだとエンビは突き放してみせる。

 俺のせいにしていいからお前はこっちへ戻ってこい、と。

 暗に圧力をかけて、エンビは踵を返した。

 

「……冷めないうちに弁当配ってくるわ」

 

「ああ、心配かけて悪かった」

 

 背中にぶつかる謝罪にもエンビは振り返らなかった。

 見送ったまま立ち尽くして、ヒルメは静かに瞑目する。鉛のような疲労感があった。

 あんな言葉をエンビに吐かせたくはなかった。学校で諜報任務で繰り返された自己否定に疲れきった兄弟に。

 

 みな居場所を奪われ、生き方を否定され、未来を失った同胞だ。それでも、復讐よりも仲間の安否が心配でここにいるヒルメにとって、優先順位は『エンビ>リタ』で揺らがない。

 家族を守りたくてここにいる。

 そのために、捨てなければならないものもある。


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