剣狂い転生漫遊記   作:アキ山

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 お待たせしました。

 ようやく異聞も一区切り、兄貴の描写は難しかったなぁ……。

 コレジャナイ感満点ですが、温かい目で見てくれるとありがたいです……。


  異聞『剣キチが第五次聖杯戦争に転生していたら(14)』

 円蔵山の腹に空いた洞穴へと続く獣道。

 

 濃密な血臭と凍り付くが如く張り詰めた空気の中、二人の男が対峙している。

 

 一方は真紅の牙を持つ蒼き(ひょう)、ランサー・クー・フーリン。

 

 もう一方は全身黒ずくめの剣鬼、陣である。

 

 油断なく得物を構えてはいるものの、双方ともに負った傷は軽くない。

 

 陣は骨までの深さで胸部を真一文字に切り裂かれており、傷口から零れる鮮血は彼の闇色の衣服の胸から下をベットリと濡らしている。

 

 対するランサーは潰された左腕を自ら捨て去った事により、愛槍をささえているのは右手一つだ。

 

 これがルールある道場での立ち合いや試合であれば、両者共に一目でドクターストップがかかるであろう重傷である。

 

 常識的に考えれば、このまま矛を交えたところで時間と共に互いが消耗して泥仕合となるのは必定。

 

 しかし、それはあり得ない。

 

 何故なら彼等が放つ闘氣は衰えるどころか、荒い息を吐くごとにその濃密さを増しているからだ。

 

 『野生の獣は手負いになってからがベストコンディション』とどこかの格闘家が口にした。

 

 ならばここが……(いな)、ここから先が彼等にとっての真骨頂なのだろう。

 

「シィィッ!」

 

 鋭い呼気と共にランサーは黒土を跳ね上げた。

 

 類稀なる健脚で飛ぶように距離を詰めると、槍兵が踏み込んだのは槍ではなく剣の間合い。

 

 愛槍の()の半ばを握り締めて放たれた突きが残す軌跡は四つ、しかしそれも陣が操る剣閃によって甲高い刃鳴(はな)と共に弾き、逸らし、いなされる。

 

「フッ!」

 

 三撃を切り抜けた陣は他に比べて速度が落ちた四手目を跳ね上げると、半歩踏み込みながら腰の回転を活かして袈裟斬りに刃を振り下ろす。

 

 しかし『意』を置き去りにした亜音速の一撃が食らい付いたのは、青の豹の肉ではなく彼の持つ血色の牙だ。

 

 ランサーは穂先が弾かれると見るや否や下方に傾いた石突を蹴り出し、すぐさま槍の束に足を添える形で陣の刃より速く防御体勢を整えていたのだ。

 

 火花を(ともな)って『太刀打ち』の部分を滑る刀。

 

 支えていた足で再び束を蹴る事でそれを引き離すと、ランサーはその反動で宙に浮いた石突を渾身の力で振り下ろした。

 

 対象を抉る事に特化した紅い棘は、地面を踏みしめた陣の右足の甲へ向けて風を()いて進む。

 

 しかしそれも滑るような歩法で間合いを外した陣の身には届かない。

 

 広げた間合いを詰めつつ間髪入れずに放たれた胴薙ぎをランサーは再び槍を盾にする形で防ぎ、その一撃の威力を利用する形で跳ね上げた石突は陣の顎の皮を僅かに削るだけで空を切る。

 

 そこから繰り広げられるは、互いに(しのぎ)を削る攻防だ。

 

 ランサーは残された右腕で時に乙女の柔肌を愛でるように、時に屈強な敵をねじ伏せるがごとく、絶妙な匙加減で魔槍を操って見せる。

 

 その手腕は長柄を片腕で扱うというハンディキャップを背負いながらも、両腕が健在であった時と遜色(そんしょく)ない程であった。

 

 束の半ばを持つことで短槍の如き運用を可能にし、穂先による攻撃に拘る事無く時に柄による打撃、時に石突による刺突と変幻自在の立ち回りを見せている。

 

 さらには取る戦法も先ほどまでのようなスピードとパワーを前面に出した荒々しい攻撃ではなく、地に足を付けて体捌きや歩法に重点を置く落ち着いた攻めへと変わっている。

 

 これは晩年(といっても二十代後半の話だが)に身に着けたスタイルであり、隻腕の振りを支える槍捌きも当時の円熟した技量有ってのものだ。

 

 全盛期の肉体に死の寸前まで積み上げた経験が宿る、英霊という強みが前面に出た形と言えよう。

 

 それに対し陣は戴天流の(すい)()って対抗する。

 

 荒々しさが鳴りを潜めて手数や威力は落ちた代わりに正確さと鋭さが増したランサーの攻撃は、そのスピードもあって『意』を読んだとしても油断できないものとなりつつあった。

 

 体捌きや体幹(たいかん)に槍を寄せて身体を回転させる事で遠心力で槍を振るう様は、どこか中国器械武術の棍術を彷彿(ほうふつ)とさせる技もありまさに千変万化だ。

 

 一手、また一手と相手の攻撃を(しの)ぎ剣を振るう度に、陣の口角が徐々に吊り上がっていく。

 

 背筋に走る怖気とも悦楽とも付かない感覚は久方ぶりのものだ。

 

 初戦のヘラクレス、二戦目の佐々木小次郎、彼等と手合わせした際に存分に感じていた闘いの歓喜。

 

 それを存分に味わう少年が浮かべたのはまさに鬼の相貌であった。

 

 その貌を見たランサーは驚愕の表情を浮かべるのも束の間、得心が行ったと言わんばかりに笑みを浮かべると後方に跳んで間合いを取った。

 

「随分と楽しそうじゃねえか」

 

 片手で器用に槍を弄ぶランサーの言葉に陣は答えを返さない。

 

 浮かんでいた笑みも消え去り、その貌に張り付くのは何時もと同じ鉄面皮だ。

 

「まったく……どうりでバゼット達や教会連中もテメエの目的に思い至らないはずだぜ。───強い奴と戦う為に聖杯戦争に喧嘩を売る奴がいるなんざ、真っ当な思考の連中には思いもつかねえだろうからな」

 

 言葉と共にランサーの貌に浮かぶのは、眼前の少年に負けず劣らずの凶相だ。

 

「何故気づいた、なんて聞くのは無粋か」

 

「はっ、馬鹿は一人じゃないってこった。さて、時間も無い事だし───そろそろ幕と行こうや」

 

 自身の背後に転がるマスターを一瞥するとランサーは再び槍を構えた。

 

 先ほどから刻一刻と目減りしている魔力量を思えば、バゼットの命が風前の灯火である事は容易に理解できた。

 

 目の前の少年を倒したからといって、彼女を救えるという保証はない。

 

 しかし、座して主の死を受け入れる気などランサーには毛頭なかった。

 

 相対する陣もまた、今の自分に長期戦は出来ない事を理解していた。

 

 横一文字に胸を掻っ捌いている傷は骨まで達する深いモノだ。

 

 如何に内勁で痛みと出血を抑えているといっても、モノには限度がある。

 

 さらに言えば邪仙と化した身ではあるが、その本質は肉を持った人間と大差はない。

 

 失血が過ぎれば命を落とすだろうし、そこに至るまでにまともに動けなる危険性だって高い。

 

 互いに猶予は無いからこその短期決戦。

 

 ここからは一瞬でも隙を見せれば必殺の一撃が飛んでくる命の削り合いだ。

 

 深く調息した陣は手にした刀を峨媚万雷、剣術で言うところの正眼に構える。

 

 対するランサーも足のスタンスを広げて、弓に番えた矢のように右手に持った槍を引き縛る。

 

 相手の殺気が互いの肌を刺す中、先手を取ったのはランサーだ。

 

 地面を滑るように音も無く移動した彼は、踏み切りと共に足を振り上げる。

 

 『意』を読んだ陣は半身になって来るであろう蹴りを躱そうとするが、ここでランサーは一計を投じた。

 

 健脚を突き出す寸前、ランサーの軸足が置かれた地面から光と共に魔力が立ち昇る。

 

 淡い白光が示すのは古代のルーン文字、これはランサーが陣との攻防の間に刻んだものだ。

 

 魔力の迸りの中、陣が守勢に入ったのを視界に捉えたランサーは口角を吊り上げる。

 

 前世・今生において陣と魔術の関りは薄い。

 

 彼が魔術の存在を知ったのは大空洞に籠ってからであるし、それ以降は外界との交流を殆ど断っていたのだからそれも当然と言える。

 

 シャドウサーヴァントという対戦相手がいたので対魔術戦闘の経験はあるが、シャドウキャスターの元とのなったのは第四次聖杯戦争で召喚されたジル・ド・レェ。

 

 彼は宝具である『螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)』が無ければロクな魔術を行使できない三流魔術師だ。

 

 それ故に魔力を察知して警戒する事は出来ても、行使される魔術の目付(めつけ)はほぼできないのである。

 

 この事実について、件のランサーは知りえていたのかといえば───知っていたのである。

 

 彼は陣と矛を交える間に、数度ルーンによる魔術の使用を試みていた。

 

 その中で陣は己に対して何らかの効果がある魔術には過敏に反応するが、その他の魔術に関しては無頓着である事を見抜いていた。

 

 今回の一計はまさにそこを突いたものだった。

 

 地面に刻まれた魔力光が示すのは『停止』を示す『イス』のルーン文字。

 

 その効果によって、陣へと迫りつつあったランサーの身体はピタリと全身を止める。

 

 『意』を読み回避動作に入っていた陣は、その様に思わず目を見開いた。

 

 ハメられた事に気付いて体勢を整えようとするが、それは最速を誇る槍兵相手では遅きに逸している。

 

「さあ、吹っ飛びな!!」

 

 軸足と蹴り足をスイッチしての踏み込みとともに改めて撃ち出される砲弾のような蹴り。

 

 間一髪で防御に成功したものの、その威力によって陣は空中高く吹き飛ばされてしまう。

 

(ここまでは上手くいった。あれだけ飛べば、最後の詰めにバゼット達を巻き込む事もあるまい)

 

 地に伏せたバゼット達を一瞥して技の範囲に入っていない事を確認したランサーは、手にした魔槍を天空に向けて放り投げる。

 

 そしてクルクルと回転しながら太陽に向かって飛ぶ自身の得物を追うように地面を蹴った。

 

「見せてやるぜ! こいつがスカサハ直伝『蹴り穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルグ)』!!」

 

 上昇しながら大きく身体を捻じると、宙で回転する愛槍の石突を捻じった反動を利用したボレーキックの要領で蹴り放った。

 

 ケルト神話に描かれるクー・フーリンの伝説によれば、彼の持つゲイ・ボルグには二つの解釈がある。

 

 一つは師である影の国の女王スカサハに与えられた魔槍の銘であるという説。

 

 もう一つはスカサハより伝授された足を用いた槍の投擲(とうてき)術であるという説だ。

 

 ならば、彼が放ったこの一撃はある意味真の『ゲイ・ボルグ』と言えるだろう。

 

 爆音と共にランサーの足から発射された真紅の流星、それを見た陣はすぐさま空中でトンボを切った。

 

 偶然飛んでいた葉を足場に体勢を立て直すと、傍らに浮いている木の葉を足場に雲霞秒々の構えを取る。

 

 (きらめ)きと共に無数の流星群へと姿を変えた魔槍を見上げながら、ランサーは自身の勝利を確信する。

 

(小僧、テメエの読みは大したもんだ。だがな、点や線は捌けても面攻撃は手が出ねぇだろ)

 

 ランサーの思惑をよそに、陣は視界を埋め尽くさんほどに広がった紅き死の壁を睨み付ける。

 

 この現状では有効範囲外まで逃げることは不可能。

 

 彼奴等の勢力圏では、言うまでも無く躱す事も(あた)わず。 

 

 なればどう手を打つ?

 

 座して死を待つだけか?

 

 その答えは裂帛(れっぱく)の気合と共に示された。

 

「雄雄雄雄雄雄ぉぉぉぉッ!!」

 

 なんと陣は足場にしていた葉を蹴って、押し寄せる(やじり)の中へと飛び込んだのだ。

 

 それは狂気の沙汰、只人には自殺としか見えなかっただろう。

 

 だが、無謀な挑戦に身を投げた少年は流星の巣の中にあっても命脈を保っていた。

 

 迫り来る流星群から急所や動きを阻害する恐れのある物のみを斬り飛ばし、他は一切無視する。

 

 そして断たれた屑星を足場にさらに剣を(はし)らせ、後続の鏃を次々と両断せしめていく。

 

 微かに聞こえる刃鳴をかき消すように周囲に響く鉄のドラムのような大音響。

 

 堂々たる正面突破、それを敢行した陣を襲う鏃は千に届く。

 

 視界を覆うほどの赤い悪意を前に、彼は恐れる事無く剣を振るい続ける。

 

 思い起こすのは秘剣を開眼したあの瞬間。

 

 ガイノイドに内蔵された軍用機関銃の至近斉射とサイバネ暗器使いのレーザー追尾型袖箭の同時攻撃を切り抜けた時に感じた、世の全てを底まで見抜く事すら可能と思わせる意識の冴えだ。

 

 現在立ちはだかる鏃はライフル弾よりも疾くはない。

 

 そしてアンチマテリアルライフル並みの威力を誇った特殊暗器のように、掠っただけで致命に至るわけでもない。

 

 ならば、絶技を修めた己に切り抜けられぬ理由がどこにあろうか。

 

 死を目前にした極限の集中力の中、陣の剣閃は一振りごとに明らかに(はや)くなっていく。

 

 一振り目は亜音速であったのが二度振れば音速に届き、三度目には音すらも置き去りにする。

 

 とはいえ、如何に剣閃の速度が増そうと全ての鏃を払えるわけではない。

 

 耳を(つんざ)く轟音と共に次々と切り刻まれていく陣の身体。

 

 それでも少年の進撃は止まらない。

 

 苦痛と流血の中にあっても寸毫(すんごう)の衰えも無い剣戟は、確かに主の活路を開き続ける。

 

 一分、数秒、それとも刹那の間か? 

 

 無謀な挑戦が始まって、一際甲高い刃鳴を合図に陣は必滅の流星群を突破してのけた。

 

「馬鹿なッ!?」

 

 ランサーの上げた驚愕の声に反応したかのように、彼がいる方へと視線を向ける陣。

 

 致命の傷は負ってはいないが、少年の状況は目を覆わんばかりの物だった。

 

 全身はくまなく傷塗れ。

 

 右の腿には風穴が開き、左手は肘から千切れかけ皮一枚でブラブラと揺れている。

 

 左目が潰れ、白い眼球の中身が零れ落ちているにも拘わらず、その血塗れの貌に浮かぶのは狂気の笑みだ。

 

「ク……カカ……カカカカカカカカカカカァッッ!!」

 

 聞く者の心胆を寒からしめるような笑い声と共に、陣は宙に浮かぶ自身の血を足場に宙を駆け、陣は地上にいるランサーへ右に携えた刃を放つ。

 

 自動で手元に戻ってくるはずの魔槍も、宝具を放っている最中ではその機能を発揮できない。

 

 宝具を突破された事による心の隙に加えて無手である事が災いし、ランサーは頭上から降ってくる刃を躱す事が出来なかった。

 

 加速と落下エネルギー、そしてありったけの内勁が込められた一刀は、ランサーの左肩に食らい付き、心臓を通って鮮血と共に右脇腹から抜ける。

 

 直後、静かな山間に轟音が響き渡った。

 

 濛々(もうもう)と巻き上がる土煙が晴れると、そこには膝立ちながら着地に成功した陣と腐葉土の上に横たわるランサーの姿があった。

 

「ゴボ…ッ!? クソッタレ……『蹴り穿つ死翔の槍』を真正面から抜けて来るなんざ……普通の奴なら絶対に思いつかねぇぞ……」

 

 気道をせり上がって来た鮮血と共に憎まれ口を叩くランサー。

 

 身に刻まれた一刀は身体を両断するには至らなかったが、心臓部にある彼の霊核を完全に断ち割っていた。

 

 さらには陣の剣を受ける瞬間、バゼットからの魔力供給が途絶えた。

 

 ランサー・クー・フーリンの命脈はここで断たれたという事だ。

 

「何を今更。武を極めんとするということは、武に全てを捧げるという事だ。正気を保って大成などできん」

 

「あぁ、そうだよな。まともな神経してる奴なら聖杯戦争自体に喧嘩なんざ吹っ掛けねえか。見誤ってたぜ、クソ」

 

 右手でくしゃりと自身の前髪を抑えながら、深々とため息をつくランサー。

 

 飄々とした口調とは裏腹に、現界を保てなくなった彼の身体はゆっくりと光の粒子に還元され始める。

 

「まあ、やっちまったもんは仕方ねえ。最後に全力で戦えたんだから良しとするかね。───ところで坊主」

 

 呼びかけられたことに陣は残った眼をランサーに向ける。

 

「セイバーのマスター、お前の身内なんだろ。殺し合った俺が言う台詞じゃねえが、スジくらい通しておけよ。あの小僧、お前を庇う為に運営も他のマスターも敵に回そうとしてたぞ」

 

 ランサーの言葉に陣は鼻を鳴らずだけで言葉を返そうとしなかった。

 

 その態度とは裏腹に濁った金色の瞳がほんの少し揺れた様に見えたのは、ランサーの見間違いだったのだろうか。

 

「……すまねえな、バゼット。お前さんを勝たせることも生かす事もできなかった。あの世で遭ったら拳の一発くらいは甘んじて受けるから、それで勘弁してくれ」

 

 それ以上何の反応も無い陣から目を切ったランサーは、遺体となった主がいるであろう方向に目を向けて口を開く。

 

 そしてそれが彼の最後の言葉となった。

 

 ランサーが消滅すると、陣の身体もギシギシと軋みを上げて再生を始める。

 

 穴が開いた腿は肉の増殖と共に塞がり始め、肘は骨が接いだのを皮切りに神経と腱が通り筋肉がそれを覆う。

 

 潰れた左目は視神経によって残っていた眼球だったモノが押し出され、新たに目が再構成される。

 

 大聖杯の中に潜む『この世全ての悪(アンリ・マユ)』と繋がった事による恩恵、少年の姿をした同居人はそう説明していた。

 

 都合四度目の再生処理だが、やはり慣れるようなものではない。

 

 身体を襲う不快感に軽く息を付いた陣は、呪いを植え付けた者達が絶命して汚泥へと変わった事を確認すると、童子切の鞘を拾って洞窟へと足を向けた。

 

 

 

 

「お疲れさん。とりあえず温泉行ってきな」

 

 道すがら再生も終わった陣が大空洞に足を踏み入れた途端、飛んできたのがこのセリフだった。

 

 アンリ・マユの言葉につられて自身の身なりを見てみると、確かにひどいモノだった。

 

 服は切り傷や孔などでボロボロなうえに、全身血塗れだ。

 

 なるほど、確かにこれでは落ち着こうにも落ち着かない。

 

 同居人に言われるままに、岩盤の上に無造作においたカラーケースから代えの衣服とタオルを取り出すと、陣は大空洞に空いた小さな脇道に入った。

 

 そこにはこの数年間世話になっている天然の温泉が湧いている。

 

 ボロボロの服を脱ぎ捨てて手早く身体を洗った陣は、湯船の中に身を浸すとゆっくりと息をついた。

 

 戦闘やダメージで強張った筋肉が温泉の温かさでほぐれていくのを感じながら、彼は今日の事に想いを馳せる。

 

 戦果に関しては特に問題はない。

 

 ここに住む者として監督役や魔術師共に探られるのはいい気はしないし、ヘタに手を出されて『この世全ての悪』が生まれでもしたら厄介だ。

 

 そういう事から、今回動かずともいずれ監督役を排除するのは決定事項だったのだ。

 

 さらに言えば魔術協会とやらのイヌであるランサーのマスターを排除できたのもよかった。

 

 ここで下手に増援でも呼ばれたら、二度手間三度手間になるところだった。

 

 ランサーとの死合に関しては十二分に楽しめたと言える。

 

 バーサーカーやアサシンに勝るとも劣らない技量と力を持った相手との立ち合いは、必ずや得難い経験となるだろう。

 

 とくにあの『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルグ)

 

 アレは本当に脅威であり、ああいった一撃必殺の牙を持つ相手との闘いは本当に身が引き締まる思いだ。

 

 アーチャー戦で事前に技を見ていなかったら、間違いなくこちらの心臓に奴の穂先が届いていたことだろう。

 

 魔術協会とやらの魔術師と監督役たちをああいう風に殺めたのは()えてである。

 

 普段の陣は相手を消す際に苦しませるなどという無駄な事をしない。

 

 苦鳴を聞きつけて誰かが来るかもしれないし、相手に根性があれば苦痛を飲み込んで助けを求めて声を上げるかもしれない。

 

 そうでなくとも何らかの方法でこちらの情報を残す可能性があるのだから、襲撃者にとっては百害あって一利なしの愚行でしかない。

 

 前世から瞬殺無音をモットーにしてきた彼が、何故今回だけはそのような措置を取ったのか?

 

 理由は、今朝見た夢に思うところがあったからだ。

 

 あの夢を見たからこそ、彼はこの身体の前の所有者である『■■陣』のケジメを取る気になった。

 

 別に夢で見た記憶に共感したわけではない。

 

 あれはあくまで『■■陣』の記憶であり、今の陣には関係が無いのだ。

 

 彼としては経緯はどうあれ肉体を乗っ取る形になったのだから、前任者の恨みくらいは晴らしてもいいだろうと考えたからに過ぎない。

 

 ランサーのマスターや監督役たちに聖杯の泥の呪詛を大火災と同じ濃度で叩き込んだのはそれ故だ。

 

 とはいえ、所詮は消えた人間の代行業。

 

 苦しみもがいた末に汚泥となった者達を見ても、『衛宮切嗣や■■陣は耐えることが出来たのに、随分と軟な奴らだ』程度の感想しか浮かばなかった。

 

 (もっと)も、浸透勁の作用によって霊的防御等の防壁を一切合切を無視してしまった事に彼は終ぞ気づくことはなかったが。

 

 最後にランサーが語っていた衛宮士郎の事だ。

 

 これに関しては、陣としては蛇足以外の何物でもない。

 

 彼が衛宮士郎に求めるのは、戴天流剣士としての階位を上げて自身を楽しませる事のみ……。

 

 そこまで考えて、陣は頭の隅にチラついた雑念に眉根を寄せた。

 

 夢で見た『■■陣』の家族の団らんが、記憶の隅にこびり付いていた幼い衛宮士郎と藤村大河に被ったからだ。

 

 自身に浅ましさを感じた陣は、両手に掬った湯を顔に叩きつけて気分を切り替える。

 

 今回のランサー討伐を以って、衛宮士郎一派以外のサーヴァントが消えた。

 

 ここからは本格的に彼の者を戴天流剣士として育成する事になる。

 

「差し当たっては……前の復習としてランサーを送り込むか」

 

 そう小さく独り言ちて陣は湯船から立った。

 

 

 

 

「よう、さっぱりしたかい?」

 

 予備の服に袖を通し、再び黒ずくめの恰好になった陣にアンリ・マユは気軽に声を掛けてくる。

 

「ああ」

 

「そういや、お前さんの耳に入れておくことがあったんだ。聞くかい?」

 

 同居人の言葉に首肯すると、彼は伝えるべき事を口にする。

 

「それは本当なのか?」

 

 珍しく驚きの表情を浮かべる陣に、アンリ・マユは自信ありげに頷いて見せる。

 

「ああ、間違いねぇ。大聖杯は英霊の召喚式を担ってるからな。召喚と帰還に際して、各サーヴァントの情報を握ってるのさ」

 

「で、あの『化け物』を介してお前にもその情報が伝わると言う訳か」

 

「そういうこった。普通なら死んだ英霊は小聖杯に行くから、こういった事は掴み辛いんだが、今回は特別仕様だからな」

 

「ふん……となれば、奴のあの能力もそこに至る為の力に由来しているという事か。───どうやら奴には否が応でも修羅に堕ちてもらわねばならんようだな」

 

「またエグい事を考えているみたいだねぇ。どうするつもりなんだ?」

 

「あの手の輩は身の回りの者を失えばあっさりと堕ちるものだ。その為に打ってつけの奴もいる」

 

 そう呟く陣の金眼に冷たい光が宿る。

 

 それは奇しくもつい一刻前に浮かべていた鬼相と同じ物であった。

 

 




 第五次聖杯戦争ランキング

 1位ランサー(MVP)

 2位アサシン

 3位バーサーカー

セイバー『私はまだ闘っていませんよ!!』 

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