朝食後、まずは執務室に向かう。
途中で名取たちと合流し、秋津洲と萩風も勉強のようだ。
そして、執務室で、
「おはよう、提督、秘書艦殿。
武藤少将、と」
ちょこんと立っている武藤少将、そして、傍らには雲龍。彼女も先に来ていたらしい。そして、
「よお、お前さんがここの新人の長門か」
三十半ばくらいの精悍な男性。
「俺は武内信康、少将で安倍中将殿の部下だ。基地は違うが、よろしくな」
「ああ、よろしく」
挨拶を交わしていると、ばたばたと音が響いた。
「おはよっ、来てたのねっ、司令っ」
「おはようちゃーんっ」
「あ、おはよ。陽炎っ、秋雲っ」
「おはようございます」
どばんっ、と扉が開き、陽炎と秋雲が飛び込んできた。そうか、二人の提督か。
「お、聞いたぞ陽炎っ、お前、また不知火と喧嘩したんだってなっ」
「うるさいわねっ、いきなり殴りかかる不知火が悪いのよっ」
からから笑う武内少将と、怒鳴り返す陽炎。水掛け論にしかならない気がする。
「いいけどよ。どっちでも、それよか、中将代行殿にあんま迷惑かけるなよ」
「……解ってるわよ」
気まずそうに視線を逸らし、秋雲は、なぜか、にやにや笑いながら懐から本を取り出した。
「ねーねー、提督ー、中将から聞いたけどー、面白ーい本作ったみたいじゃーん?」
「本? 何かの教本ですか?」
武藤少将はおっとりと首を傾げ、武内少将は噴き出した。
「んなっ? ちょ、中将殿っ、あれってっ?」
「ふむう。……ついなあ」
「しれーかん、何の本?」
秘書艦殿も知らないのか? 不思議そうな私たちの表情を見てか、提督は頷いて、
「前になあ、この基地に私の部下の男性少将が集まってなあ。どうすれば艦娘と仲良くできるか、話し合いをしていたんだよお。
それはその時に出たアイディアを適当にまとめたやつだなあ」
「…………男を集めて何やってんのよ。し、……あ、じゃなくて、中将」
頭を抱える陽炎。秋雲のにやにやは止まらない。私たちは合掌した。
「提督」雲龍はそっと武藤少将を後ろから抱き寄せて「提督はああいうのに関わらなくていいわ。ああいうのは悲しいおじさんたちの集まりなの」
「え? い、いいの」
「名取たちも、……いい。ああいうのは女心を解らない男連中がそれでも必死に考えようと知恵を絞って出来た哀れな産物なの。
だから、そっと見守りましょう」
秋雲がけらけらと笑っている。
「う、うるせえなっ! こっちだっていろいろ気を遣ってんだよっ!
男所帯からいきなり艦娘だからって年下の女性に囲まれて生活とか、どうすればいいんだよっ!」
「切羽詰まっているな」
必死なのだろう。……いや、まあ、同情すべき、かもしれない。
「哀れね」
秘書艦殿は顔さえ上げずに切り捨てた。
「だから言ったんだよお。武内君。
誠一君がしている慈善活動ならともかく、私たちは軍人であり、艦娘も軍人、そしてここは戦場だってなあ。それなのにいちいち女の子として接しようとするから、哀れなんだよお。
家族ごっこは下にやらせておきなさい」
「……そーだな」
「いやいや、秋雲さんは中将の意見に全面賛成だけど、それとはまったく別にこれマジ面白っ!
っていうか、あいたたたーっ! この展開マジでイタイわーっ! レポートっていうか、どう見ても妄想小説だわー」
「青葉、見ちゃいましたっ!」
「うわっ」
なんか、青葉がいた。
「これ、今度の安倍中将配下少将の会報誌に載せますねっ!」
「秋雲さんこれネタに薄い本書きまくるっ! 笑いながらっ! 爆笑しながらっ! まともに書ける自信ねーっ!」
「やめろーっ! って、マジやめろっ! おいこら止まれっ!」
げらげら爆笑しながら武内少将から逃げ回る秋雲と青葉、処置なしと溜息をつく陽炎、警戒の表情で武藤少将を抱き寄せる雲龍、関心を失ったらしい秘書艦殿。
そんな一同を横目に、
「参考に聞いておくが、どのような事が書いてあったのだ? 艦娘との付き合い方らしいが」
艦娘は、私のような年長であっても二十代の女性だ。それも、少将となればその基地には数十人は所属しているだろう。
男所帯から艦娘の多くいる基地に放り込まれたらいろいろ気にする事も多いだろう。男性目線でどのような悩みを抱えているか知れば、……まあ、相談くらいには乗れる、と思う。
「そうだなあ。学生時代に窮地を艦娘に助けられた、それを縁に提督として着任。助けてくれた艦娘に再会して、…………とあるのだがなあ。
ふむう、…………これを参考にするためには、まずは時間を遡らないといけないなあ」
「…………秘書艦殿、勉強に移ろう」
ただ、ただ不毛だった。秋雲と青葉がのたうち回るだけだった。
「「うっひょひょ~」」
と、そんな奇声を発しながら逃走する秋雲と青葉。武内少将はそんな二人を遠い目で眺めていた。
「さて、それじゃあ武内君、武藤君は残りなさい。報告を聞いておこう。
雲龍君、陽炎君もだよ。二人の補足や艦娘目線での報告を聞いておきたいからなあ」
「「了解」」
「解ったわ。中将」「ええ、任せなさい」
「雷君、そっちは任せたよお。
潮君が先行で準備しているから、そのまま二人で頼むよお」
「ええ、解ったわっ! ばっちり任せなさいっ!
じゃあっ、みんなこっちよっ」
意気揚々と歩きだす秘書艦殿。私たちもそれに続く。少し歩き、本部にある会議室に到着。
「さて、雷はちょっと準備があるから、適当な席に座っててね」
秘書艦殿はぱたぱたと小走りで隣の部屋へ、私たちは思い思いの場所に座る。
萩風と時津風、春風が並んで座り、初月は文月、五月雨と楽しそうに話している。真剣な表情で言葉を交わしているのは瑞鳳と秋津洲か。
そして、
「お勉強か、……前の泊地ではそういう事、全然なかったです」
「そうだな」
そんな余裕はなかった。ただ、ひたすら、出撃の連続だった。
提督の、資材確保のための出撃。建造に一喜一憂して、いい結果が出れば大喜びし、期待外れならつまらなさそうに押し付け、そして、また資材確保。……延々と、その繰り返しだった。
……そうだな。
「提督の命令を聞く必要はない、か」
「あ、それ、私も提督さんに教えていただいて、最初は驚きました。
けど、」
名取は、そっと目を閉じて、
「忘れてはいけない事なのに、忘れちゃっていたこと、改めて思い出せました」
「そうだな。前の泊地にいたときも、そうだった。
もっと、ちゃんと提督にこんな無意味な事は止めようと、乱造するのではなく、今いるみんなで強くなっていった方がいいんだと言わなければいけなかったのだな」
「…………はい。わ、私も、ご迷惑をかけない範囲で、出来るだけ意見具申できるよう、頑張りますっ」
「それは私もだ。提督はそれを歓迎してくれている。…………もっとも、周りの艦娘が優秀だから、言うだけ言ってみる、からだな」
「あ、私たちも提督さんに言われました。
新人さんはすぐに運用に直結するような意見は出てこないから、思いついたらとりあえず言ってみて、って。自分の意見を伝える事が大切で、それは積み重ねて慣れていかないと出来ないから、まずは言ってみる事も大切な訓練だって」
「ああ、そうだな」
訓練か、それも大切だな。
と、扉が開く。入ってきたのは潮と、
「わっ、秘書艦さん可愛いかもーっ」
ぱちぱちと拍手をする秋津洲。先生の格好というらしい。
白衣に伊達眼鏡だ。……ふむ。
「秘書艦殿の先生スタイルか、これは胸が熱いな」
「そうですね。可愛いです」
自信に満ちた表情の秘書艦殿、白衣に眼鏡だ。とても素晴らしい。
「さてっ、それじゃあ皆っ、席に座ったわねっ!
じゃあ、これからお勉強を始めるわよっ」
お勉強、と。秘書艦殿は潮の背を軽く叩く。潮は頷いてパソコンを操作する、が。
「あ、あれ? ひょ、表示されないっ?」
ホワイトボードに写された画像は真っ黒なまま。
「あ、あわ、わっ」
パソコンに齧りつく潮。と、
「プロジェクター、カバー取れてないわよ」
レンズを保護していたカバーを秘書艦殿は取る。表示された。
「あ、……あ、ご、ごめんな、はわっ?」
慌てて立ち上がろうとする潮を秘書艦殿は後ろから抱きしめて、
「よくある間違いだからいいのよっ! 大丈夫、落ち着いて、ね」
「は、……はい。ありがとうございます」
ほう、と表情から力が抜ける。雷は彼女に笑いかけ、潮も、微かに頬を紅潮させて微笑み返す。
ともかくホワイトボードに表示されたのは、
「お勉強する事は、ずばりっ! 深海棲艦とは何かよっ! 敵を知ることは大切な事だから、ばっちりお勉強してねっ!」
…………結構、とんでもない事だった。
「あ、あの、……中将代行殿。よろしいでしょうか?」
おずおずと名取が挙手。
「はいっ、名取さんっ!
他の基地の娘でも、今は雷の生徒さんだから先生にはどーんと頼っていいわよっ!」
「あ、はい、ありがとうございます。
ええと、深海棲艦って正体不明っと聞いていましたが」
頷く。そう、そう聞いていた。大本営からの情報ではそうなっていたはずだ。
「ええ、そうよ。だってそれ告知して提督がいなくなったら困るもの。せっかく構築した平穏が壊れちゃうわ。
だから不明って事にしておいたの」
「え? しておいた、……って?」
名取の問いに秘書艦殿は思い出すように視線を彷徨わせて、
「ええとね。雷と漣が提案して、……あと、白雪、皐月も同意してたわね。
初霜とか朝潮、響はどっちでもよさそうだったし、五月雨と潮、霞は役立たずが消えてくれた方が楽だって言って反対。中将たちはほとんどの提督を、…………まあ、中将たちもあんまり興味なさそうだったけどね。
けど、ちゃーんと提督たちの精神も考えてあげないとだめよねっ」
「ど、どういう事? そういうのって艦娘が決めてるの?」
「ちょっと違うわよ。みんな中将の秘書艦なの。海軍の運用は基本的に、中将とその秘書艦で決めてるの。…………って事で納得してね。
もっと知りたいなら後で雷のお仕事部屋に来てね。――――大本営の中枢に触れるのなら、ちゃんと覚悟をしておかないと、だめ、なのよ」
「あ、……は、はい、了解しました。中将代行、殿」
頷き、腰を下ろす名取。けど、秘書艦殿は何か不満があるらしい、びしっ、と名取を指さし、
「もーっ! 今の雷は先生なのっ! 中将代行じゃなくて先生って呼ばないとだめよっ!」
「こだわるねー」
文月が首を傾げて、秘書艦殿は頷く。
「もちろんよっ! だって中将代行っていうと遠慮しちゃうかもしれないでしょっ! けど、先生ならたくさん頼ってくれるじゃないっ!
ねっ?」
「うんっ、頼りがいのある先生はいいよね~」
頷く文月に満足げな秘書艦殿、……いや、
「そうだな。秘書艦殿が先生か、……それは、胸が熱いな」
「…………長門さんって、発熱ポイントが不思議よね」
なぜだ?
「話を戻すけどね。
深海棲艦を発生させているのは神様なのよっ!」
「あ、はい」
神様?
「あの、秘書、……先生、神様って、いる、かも?」
手を上げながら問いかける秋津洲。同感だ。いるのだろうか?
「いるわよ。《がらくた》っていう、付喪たちが変化大明神の名前で信仰している神様ね。京都府の、……ええと、船岡山の、長坂っていうところにいるわ。
その神威は、物、器物とかね、それに宿った思いを形に出来るのよ。付喪たちもおおよそそんな感じで形を得ているのよね。それで、潮」
「はい、次行きます」
画面が切り替わる。そこには、
「深海棲艦、っていうのは、沈没した船とか、あるいは海に墜落した飛行機とか、そういうのね。
そういった海に沈んだ乗り物に乗っていた人たちの、辛い、とか、怖いとか苦しいとか、……まあ、呪詛なんて言われてるそんな思いが、《がらくた》の神威で器物の残骸に宿って形を成したのが深海棲艦。
元の感情がそういう恨みつらみなのだから、破壊衝動の塊みたいになっちゃってるの」
「あの、先生」
おずおずと春風が手を上げる。「はいっ、春風っ」
「では、……その、《がらくた》様を説得する事は出来ないのでしょうか?
国の窮状を知らせ、深海棲艦の構築を止めてもらう、とか」
「そうすれば一気に終戦になるか」
確かにそうだ。けど、先生は肩をすくめて、
「無理よ。神である《がらくた》は人にも国にも興味を持ってないのよ。国が滅びても人類全滅しても気にしないわ。
そもそもなんでこんなことを始めたのかも不明。神の意図なんて考えるだけ無駄よね」
「乱暴な話かもしれないが、打倒するという事は?」
「それも無理よ。前提として《がらくた》がいるのは彼女の神域。艦娘なら可能だけど、人では接触する事も出来ないわ」
ん? ……艦娘、なら?
「せんせー、しつもーん」
首を傾げたところで、時津風が手を上げる。
「はいっ、時津風っ」
先生の指名を受けて時津風は立ち上がる。質問、その内容は、
「なんで、艦娘なら可能なの? その、深海棲艦を作った《がらくた》って神様とあたしたち艦娘って何か関係あるの?」
そうだな、それは気になる。……そもそも、艦娘とは、
「あるわよ。さっき話した通り、《がらくた》の威は物に宿った思いを形にするの、深海棲艦は呪詛という思いが形になった存在なの。
で、艦娘も同じ、艦船に宿った民を護ってくれる、という信仰が形を成した存在が艦娘。思いが形になった、という意味なら深海棲艦と艦娘は同類ね」
「そ、……え? そうなの?」
さらり、と。艦娘は深海棲艦と同類といった先生。時津風が絶句している。…………苦笑。
「言いたい事はわかるわ。
けど、……どうでもいい事よ。同類だろうが何であろうが、民の平穏を脅かすのなら打ち砕く。それに何の変りもないわ。同類だろうが、敵国だろうが、何だろうがね」
「……まあ、それもそう、だよね」
難しい表情の時津風。先生のいう事はもっともだが、……………………深海棲艦と同類、か。
「そんな風に言われると面白くない、のでしょうけど。
ま、それで艦娘は英霊で深海棲艦は怨霊だ、とか。いろいろ分別しようとしているわ。納得いく定義を自分で考えてみるといいわね」
大して興味もなさそうに告げる先生。確かに突き詰めても言葉遊びにしかならない。成すべき事を成す、か。
「それで、《がらくた》の打倒についてだけど、いわゆる妖精さんっていうのは《がらくた》の紳使なのよ。そんな妖精さんが艦娘と《がらくた》のどっちを優先するかは、言うまでもないわね」
「艦載機飛ばしても、最悪私たちを爆撃する、って事ね」
「砲がどこを向くかもわからない。……なるほど、話にならないな」
「そういうわけで原因を砕くことは不可能なの。
そうでなくても《がらくた》は神様相応の能力を持つわ。艦娘にとっての上位存在として、やっぱり戦って何とかするのは現実的じゃないし、話し合いに乗るような相手でもないわね」
「そうでしたか」
春風は肩を落として椅子に座る。
「それで、その深海棲艦の元となる思い、……まあ、呪詛、なんて呼んでるけど。
呪詛は海に溶け込んで海域広範囲に広がってるわ。ちなみに、内海や浜辺とかで深海棲艦が構築されないのは呪詛が溶け込んでる海水の量が少ないから、って言われているわ。それなりに海域が広くて、水深のある場所じゃないと深海棲艦も構築されないのよ。
近海にいわゆる駆逐艦級の深海棲艦がいるのもこれが理由ね。呪詛の濃度が低いから、弱い深海棲艦が構築されるの、逆に遠海、水深があって海域の広いところに戦艦級とか、強い深海棲艦が多いのよ。もっとも、呪詛の発生源、沈んだ船が多くあるところとかは水量はともかく呪詛が多く集まっているから、近海でも戦艦級の深海棲艦とかが発生しちゃうのよね。これに潮の流れとかも関わってくるからなかなか統計が取れないのよ」
「ああ、だから瀬戸内海は安全なのか」
深海棲艦を構築する材料がない、という事なのだろう。先生は頷く。
「それで、最大の問題はね。
この呪詛が、どの程度残留して深海棲艦を構築するか、なの。法令上は深海棲艦が発生してからの水死者はいないわ。航海の危険性が指摘されてから、艦娘の護衛もなしに、勝手に海に出る事は禁じられてるもの。だから、呪詛はこれ以上増える事はない。……まあ、密漁とか言われたらきりがないけどね。
だから、例えば数年で呪詛は自然消滅して深海棲艦を構築しなくなる、ってのなら撲滅はそう遠くないわね。
逆に、半永久的なものだったら、……そうね。紀元前、二千年以上時間、蓄積された呪詛が形になるわけよね。撲滅には数十年のスパンじゃ足りないかもしれないわ」
「それは、確かに問題だな」
深海棲艦の艦隊規模は不明。撃破してもすぐに現れる事もある。
つまり、その材料は海水に溶け込み、神の威によりいくらでも構築されるか。
先生は肩をすくめて、
「つまり、敵艦隊規模は不明、いつまで続くか、それは誰にも解らないの。
場合によっては数十年単位で終わらない戦争、……これを客観的に告げられて意気消沈して辞められても困るのよね。提督に、……けど?」
「ああ、問われるまでもない。
たとえ終わらぬ戦争であろうと、それが民の脅威となるのならば、必ずや払おう。たとえ、何百年かかっても、だ」
それこそが、艦娘の在り方なのだから。
私の言葉に、先生は満足そうに頷いた。