いらない娘のいきつくところ   作:林屋まつり

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二話

 

「なーがーとーさーんっ?」

「はっ?」

 あんまりな光景に呆然としていた。……いや、今もちょっと信じられない光景が広がっている。

 ともかく、返り血が付いたままぱたぱたと雷が駆け寄って来た。腰からなぜかぶら下がっている錨がゆらゆら揺れ、錨に繋がった鎖が音を立てる。こちらに近寄り、ぴっ、と。私を指さして、

「長門さんっ、ちゃんと敬礼しなくちゃだめよっ!

 かつての連合艦隊旗艦さんでも、ここだとまだ新人さんなのっ! 軍人さんとしてちゃんと礼儀は守らないとだめよっ!」

「あ、……あ、ああ、す、すまない」

 言われるままに敬礼。……いや、それどころではないような気もするのだが。

 視線を横に向ける。鹿島は謹直に敬礼していた。

「秘書艦さん。鹿島秘書次艦、艦娘長門の送迎任務終了しました」

「ええ、御疲れ様っ! 鹿島さんはこの後長門さんの案内をしてあげてねっ!」

 そして、雷は血が付いたファイルから数枚の紙を取り出して、

「これ、基地内の地図よ。広いけど今日中にある程度必要な場所は確認しておいてね。

 あと、自室で足りないものとかあったら早めに申請してっ、明日からばっちり訓練に参加できるようにねっ! 明日は午前中、艤装の最終確認を直接してもらうから、0800には工廠にいてね。それまでに簡易メンテナンスは終わるように手配してあるわ」

「わ、解った」

 おずおずと紙を受け取る。雷は首を傾げて「どうしたの? 疲れてるなら、今日はお休みする? 明日、忙しくなっちゃうと思うけど、それでもいいわよ?」

「い、いや、疲労はないの、だが」

 と、のっそりと血まみれの男が顔を上げた。

「ひっ」

「ふむう、君が長門君かあ。

 初めまして、この基地の提督をしている安倍貞義だよお」

 血まみれの顔でのんびりと笑う、中年の、なんとなく丸い男性。……怖い。

「は、初めまして、その、……長門、だ」

 思わず、間抜けな言葉が出てしまった。安倍中将、いや、提督、か? 提督は首を傾げて、ぽんっ、と手を叩いた。

「うむう、驚かせてしまったようだなあ。ごめんなあ。

 雷君。顔についてる血を洗い落とした方がいいんじゃないかなあ?」

「もーっ、しれーかんっ! 長門さんは新人さんなのよっ!

 なら、しっかり挨拶しなくちゃだめじゃないっ! 雷はここの秘書艦なのよっ!」

「そうかあ、そうだなあ。雷君は真面目さんだねえ」

「とーぜんよっ!」

 むんっ、と胸を張る雷。……いや、その血に染まった顔を洗ってくれた方が落ち着くのだが。

「あ、いや、……で、ではなくてっ! て、提督、その、な、なにがあったのだ?」

 流血している。……しかも、その実行犯がどう考えても傍らで、むんっ、と胸を張る秘書艦の雷なのがさらに気になる。

「ふむう、……実はなあ。村雨君にお仕事をお願いしたときになあ。

 ほら、村雨君。ツインテールだからなあ。サイドテールにしても可愛いんじゃないかなあって言ってみたんだよお」

「はあ?」

 話がつながっていないのだが? 対して雷は血に染まったファイルを振り回して、

「もうっ、いいっ! しれーかんっ!

 女の子にとって髪型っていうのはすっごく大事なのよっ! しれーかんみたいなおでぶさんなおっさんがお口を挟むなんて、そんなの絶対にダメよっ!」

「と、いうわけなんだなあ」

「……は、あ?」

 相変わらず、話が繋がらない。

 首を傾げる私に、なぜか安倍中将と雷は首を傾げる。……ぽん、と肩を叩かれた。

「長門さん。要するにね、提督さんが村雨ちゃんの女心に触れるようなことを言ったから、秘書艦さんに怒られたのよ」

「…………は?」

「とーぜんよっ! 可愛い男の子が少し照れながら勇気を出してアドバイスするならいいけど、しれーかんはおでぶさんのおっさんなのよっ! 女の子の髪型についてアドバイスする権利なんてないのよっ!」

「ふむう、……長門君。君の新しい提督は可愛くなくてごめんなあ。

 可愛い男の子じゃなくて、おでぶさんのおっさんだが、よろしくなあ」

「……あ、ああ、…………ま、まあ、よろしく」

「鹿島君も、提督さん、見苦しくてごめんなあ」

「いえ、優秀な提督さんの所で働けて、むしろ幸いな事と思っていますよ」

 にっこりと笑顔で応じる鹿島。……優秀、か。

「そういってくれると嬉しいよお」

「それに、確かに提督さんはおでぶさんですが、達磨さんみたいで、見苦しいというよりは、なんとなく縁起物としておめでたい感じしますし」

「だ、だる、まっ」

 いかんっ、これはかなり、…………血に濡れた顔を見て笑いの衝動が引っ込んだ。

「そうかあ、じゃあ、鹿島君もサイドテールに、がっ?」

 跳躍した雷がファイルを縦にして顔面に叩き付けた。そのまま仰向けに倒れて動かなくなる。

「もうっ、見た目は達磨さんみたいでもおっさんには代わりないんだからっ、そんな事言ったらだめよっ!

 あ、長門さん。部屋の場所はその書類に書いてあるから、先にそっちに案内してもらった方がいいわねっ、鹿島さん、お願いねっ」

「ええ、解りました。秘書艦さん」

 応じる、と。内線が鳴った。雷はそれを取ってこちらを一瞥。鹿島は微笑して頷き、

「それじゃあ、行きましょう」

「あ、……ああ」

 

「ふふ、驚いた?」

「いや、驚く以前に、あれはいいのか?」

「まあ、大体いつものことよ。提督さんはちゃんと指揮をするし、問題なく機能しているわ。秘書艦さんだってそこはちゃんとわかっているわよ」

「……そ、そう、か?」

 それ以前に、艦娘が提督を攻撃するのはいいのだろうか?

「それじゃあ、まずは長門さんの部屋に行きましょう。

 それから、地図を見ながら必要なところを案内するわ」

「ああ、よろしく頼む。ついでに所属する艦娘たちに挨拶もしたい」

「そうねえ。第一の一艦隊は、出てるっけ。

 確か、第二の一艦隊は残っているから、旗艦には挨拶に行きましょうか。第三の一艦隊は、1900頃には哨戒から戻ってくると思うわ。その時に旗艦も紹介するわね。第一の一艦隊も夕食の時くらいには帰投する予定よ」

「そうだな。第一の一艦隊は挨拶をしておきたいな」

 やはり、戦艦としては主力の一翼を担いたいものだ。

 それに、単純に考えればこれだけの規模の艦娘たちの頂点に位置する実力者だ。興味がある。

「それと、部屋は二人で使う事になるわ。榛名さんと同室だけど、いい?」

「ああ、構わない。彼女はいるのか?」

「ええ、榛名さんは第一の二艦隊だから、今日は部屋にいると思うわ。長門さんが来ることも聞いているはずだし」

「そうか」

 同室の艦娘ともちゃんと話しておかなければいけない。それに、改めて出撃する艦娘から話を聞くのもいいだろう。

 

 本部と呼ばれた執務室のある建物から出て艦娘たちの暮らす寮へ。生活をするためだけの場所だが、それでも自分たちのいた泊地よりずっと規模が大きい。

「きれいに掃除もされているな」

「ええ、みんなで基地内の掃除とかもしているのよ。

 口汚い提督とかは雑用なんて言うけど、こういう好適な環境を維持するのも大切な事なのよね」

「ああ、……そうだな」

 確かに、汚れたところでは士気も下がる。細かい事だが、これだけの艦娘を擁する基地では大切な事かもしれない。

 それに、

「しっかりと指導が行き届いているのだな」

 私もそうだが、艦娘は戦闘に考えが振れやすいはずだ。こうした雑事はあまり好まないと思っている。

「そうね。提督さんが率先してその意義を説けば、……まあ、最初は不満もあったらしいけど、実際汚い場所で暮らすのも嫌だしね。

 それに、お掃除をして奇麗になると気持ちもいいから、手の空いた娘は積極的にお掃除をしているわ」

「そうか」

 いいところだな、と改めて思う。そして寮内を歩く。ざっと、第一艦隊、第二艦隊、第三艦隊で別れていて、その中で各艦隊ごとに部屋割りがなされているらしい。

「第一艦隊、か」

 私の同室は第一の二、つまり、第一艦隊を期待されているという事か。これは胸が熱いな。

「まあ、その適正は追々ね。

 ただ、長門さんは戦艦の艦娘だから、同じ艦種で、一人で部屋を使っていたから選ばれたのだと思うわ」

「む、……まあ、それもそうか」

 そうだな、自分の能力は改めて訓練で示していかなければならない。先走った考えは禁物か。

 ともかく、部屋へ。戸にかけられたネームプレートに、長門、の文字がある事を嬉しく思う。

 もう一つは榛名、か。鹿島は私を一瞥し、戸を叩く。

「榛名さん。鹿島です。

 長門さんをお連れしました」

「あ、はいっ、大丈夫ですっ! 入ってくださいっ」

「はい、失礼します」

 戸が開く。リラックスした様子で椅子に腰かけて微笑む榛名。彼女は立ち上がり敬礼。私も敬礼を返す。

「初めましてっ、伊島基地、第一の二艦隊所属、榛名ですっ!」

「ああ、新入りの長門だ。

 まだ知らぬことばかりだがよろしく頼む。いろいろ話を聞かせてくれると嬉しい」

「はいっ、榛名、いろいろ頑張りますっ」

 むんっ、と拳を握る榛名。けど、鹿島は微笑。

「榛名さん。先日は出撃でお疲れですよね? 基地の案内は私がやりますので、お話だけ、頑張ってくださいね」

「あう、……はい、榛名、お話頑張ります」

 困ったように応じる榛名。

「長門さん、少し腰を落ち着けましょう。

 私も、ちょっと居座りますね」

「ああ、そうだな」

「はいっ、ゆっくりしていってください。

 あ、長門さん。こっち側の机は榛名が使っているので、そっち側を。布団も、手前側のを使ってください」

「ああ、解った」

 ここが、私の新しい部屋か。

 広い、我慢すれば三人は入れるだろう。丁寧にたたまれた布団のある畳敷きの一角と、個人用に使っているらしい、机と書棚が三組。うち一つはいくつかの本や小物がある。

 それと、押入れか。部屋を使っていた榛名の手入れもあるだろうが、明るくて居心地は良さそうだ。

 元の僚艦たちはどうしているだろうか。叶うのならばみんなも、ここに来て欲しいな。

 布団を軽く叩いて具合を確かめていると、ひょい、と鹿島が覗き込み。

「長門さん、寝心地が悪いようでしたら早目に言ってね」

「ああ、……いや、大丈夫だ。

 それに寝心地程度で提督を煩わせる事もないだろう」

 確かに寝心地がいいに越したことはないが、そんな些事で多忙な提督の手を煩わせるわけにもいかない。

 けど、

「だめですっ!

 睡眠の質は翌日のコンディションに影響します。寝不足な状態で出撃されるくらいなら、私が本土に出向いて、枕一つでも買いなおした方がずっとましですっ!」

「む、……そ、そうか?」

「そうですっ! いいですか、長門さんっ!

 出撃とかしない私がいうのも難ですけど、艦娘の本分は民の平穏を守るために戦う事ですっ! だから、万全の状態で戦えることを最優先にしてくださいっ!」

「あ、ああ、解った」

 見た事もない剣幕で迫る鹿島。困ったように視線を逸らせば榛名は微笑み頷く。

「まあ、ええと、節度を持ってですけど。

 ただ、長門さん。精神面の充実と安定も大切なので、娯楽とか、気分転換の方法とかはちゃんと見つけておいた方がいいです。ある程度ならそのための道具も提督は融通してくれます」

「そうか」

 娯楽とか、考えた事もなかったな。

「ふふ、料理が趣味の艦娘とか、結構集まっていろいろ料理を作ったりしているわ。

 私や榛名さんも、ね」

「はいっ、榛名っ、提督に美味しいものを食べてもらえるように頑張りますっ」

「……そうねえ。前にみんなでそういってお料理を作りすぎて、提督さん。真面目に全部食べて次の日お腹壊して秘書艦さんに吊るされてたわねえ。屋上から」

「屋上から逆さ吊りにされたままゆらゆら揺れる提督。……見ていて榛名はとても不思議な気分になりました」

「こ、ここの提督は、……ええと、」

 慕われているのか? ……いや、榛名の言葉には確かに提督への好意が感じられたが。その割には扱いがぞんざいな気が。

「長門さん?」

 言葉に詰まる私に、不思議そうに視線を向ける榛名。

「ええと、……榛名にとって提督はどんな人だ?」

「はいっ、榛名は提督の事を信頼していますっ! とても優秀なお方ですっ!

 まだ、浅学な榛名は提督の指示に従ってばかりですが、もっと経験を積んで、作戦立案の面からでも提督のお手伝いが出来るよう精進しますっ!」

 むんっ、と拳を握る榛名。

「そ、そうか。……吊るされている提督は、助けなかったのか?」

「はいっ、提督はぷにょぷにょしていそうなので、榛名、触りたくありませんっ!」

「…………あ、ああ、そうかもしれない、な?」

 否定はしないが、それでいいのだろうか? 自分の言葉に疑問を感じさせない榛名の表情を見ていると、なんとなくそういうものかと思えてしまう。

「まあ、ともかく生活環境は大切なのよ。

 だから、長門さんもあまり遠慮をしないで、欲しいものがあったらとりあえず言ってみて、提督さんに言いにくかったら、私に言ってね」

「ああ、解った」

 気分転換か、そんな余裕はなかったが。……もしかしたら、そういった事を蔑ろにしていたせいで、前の泊地ではあんなことになったのかもしれないな。

「大鳳さんとか、島風ちゃんとか、よく外を走ったりしているし、時間があったら散歩をしてみるといいです。

 結構皆さん集まってわいわいやっていますから」

「トレーニングか、……提督もやった方がいいような気もするな」

 あまり見た目にこだわりはないが、健康的な面から見ても太っているのはいい事ではないだろう。

「ええと、それ、大鳳さんも同じことを思ったらしくて、提督さんとトレーニングをしたらしいんだけど、次の日に筋肉痛で動けなくなって。

 怒った秘書艦さんが提督さんの寝室の室温をむやみに上げて、脱水症状になりかけたとか。大鳳さんが半泣きで謝っていました」

「…………そ、そうか」

「脱水症状になるくらい大汗をかいても贅に、……バルジは減らないんですねっ!

 榛名、大発見ですっ!」

「…………あ、ああ、そうだな」

 それは改めていう事でもないと思う。……と。

「あら、…………長門さん、まずは食堂に行ってお昼にしましょうか。

 榛名さんも一緒に来ますか?」

「はいっ、……あ、提督は?」

「提督さんでしたら秘書艦さんがお昼を用意しているはずだし、大丈夫だと思うわ」

「……だ、大丈夫なのか?」

 とても不安なのだが。

「秘書艦さんなら大丈夫ですねっ」

「本気かっ?」

 信頼の声を上げる榛名。思わず問うたら榛名は首を傾げ、唇を尖らせて「秘書艦さん、とてもとても優秀ですっ」

「……あ、いや、そうかもしれない、な」

 


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