地下を出る。次に行ってみるのは、
「プール、か。……まだ、時期は早い気もするけど」
「……あたし、水着持ってないっ!」
「買えるのか?」
思い出したように愕然とする時津風に初月は首を傾げる。
「うーん? ……けど、プールがあって使用禁止って事はないと思うんだけど、…………まさか、提督が一人で使ってる、とか」
……………………なんとなく、あの達磨体型でぽかんと水面に浮かぶ提督を想像してしまった。横で時津風が噴き出したので似たようなことを考えたのかもしれない。
「……あ、あの、それはさすがに、…………ええと、寂しすぎるのでは?」
「そ、それが本当なら、どうしよう。い、一緒に行った方がいいのか? ……いや、…………それは、いやだな」
あまりにも寂しい光景を想像したらしい春風と初月は沈鬱な表情をする。瑞鳳は「ごめん」と曖昧な表情で謝った。
「あ、あとは屋内運動場もあるみたいね」
「ここは、元は学校か何かだったのかもしれないな」
深海棲艦が発生する前、この島にも人がいたときなら学校も必要だろう。プールや屋内運動場はその時の名残りなのかもしれない。
「そうかもね」
ともかく、今は初夏、時期がらか、無暗に広大なプールには誰もいないし水もない。それでもまったく使われていないという感じもしない。
それなりに落ち葉などがあるが、大きなひび割れや目立った老朽化はない。シーズン前に一度大掃除して使うのだろう。
少し、楽しみだ。水泳などした事はないが泳いだりするのは気持ちいいと思う。……もっとも、水着をどうするかはわからないが。
機会があったら阿武隈か、鹿島に聞いてみようか。
と、
「あっ、長門さんっ」
「ん、……あ、榛名か」
「はいっ、こんにちわっ」
「ああ、こんにちわ」
「長門、知り合い?」
「ああ、ここに来た初日だけだったが、同じ部屋だった」
「はいっ、第一の二艦隊、榛名ですっ!
ええと、長門さんの僚艦、ですねっ」
「うん、よろしく」
瑞鳳達とも握手を交わし、……苦笑。
「すまないな。私の都合で部屋を離れておきながら、なかなか挨拶が出来なくて」
一緒の部屋だった時も夜間警戒で部屋にはいなかった。初日で疲れもあるだろうからと早めに寝るようにと彼女に言われ、結局、あまり話も出来なかったな。
「いえ、それは仕方ありません」
榛名も困ったように微笑み頷く。けど、程なく彼女は拳を握って、
「皆さんは基地内を散策しているのですよねっ、よければ榛名、お付き合いしますっ」
「いいのか? それなら助かるが」
先輩に話を聞きながらの方がいいだろう。が、榛名は主力艦隊の一員でもある。無理はさせられない。
「はい、大丈夫ですっ」
「じゃあ、榛名にしつもーんっ」
さっそく時津風は手を挙げた。榛名は胸を張って「どんとこい、ですっ」
「このプールって使ってるの?」
というわけで示すプール。榛名は頷く。
「はいっ、時間の空いた娘達で大掃除をしてお休みの日にみんなでプール開きをします。
それ以降は、全身運動として水泳の訓練をしたり、プールが空いている時間は自由に遊んでいい事になっていますっ」
「水着はあるの?」
続く瑞鳳の問いに、榛名は、不意に不思議そうに首を傾げて、ぽんっ、と。
「そっか、皆さん、新人さんなのですね。
この基地では提督からお給料を頂けるのです。新人さんは、その、まだ多くはもらえないと思いますけど、買えない事はないと思います」
「お、お給料、……そんなものがあるのか」
愕然と呟く初月。ただ、確かにそれは驚くべき事だ。
提督によっては艦娘を道具としてしか扱っていない。そうした者もいる中でこれだけの待遇で迎えてくれるだけでなく、給料まで払ってくれるとは。
驚く私たちに榛名は胸を張って「はいっ、これも提督のご厚意ですっ、とてもありがたい事ですっ」
「そうだね」
瑞鳳も感心したように呟き、榛名は嬉しそうに、
「その時は皆で提督を太っ腹と讃えますっ」
「……………………あ、うん、そうだね」
確かに太っ腹だ。物理的にも、
「司令官様も泳がれるのですか?」
「いえっ、提督は脂っぽいので入ってほしくありませんっ」
「……あ、はい?」
胸を張って断言する。……なんというか、榛名の言葉には迷いがないから説得力があるな。それでいいのかはわからないが。
「あ、新人さんは水着とか持ってないのですよね。でしたら、機会があれば水着を買いに行きましょうっ!」
「うんっ、可愛いの探さないとねっ、あたし楽しみーっ」
「私もっ、泳ぐの楽しいかなっ」
「はいっ、とても楽しいですっ」
笑顔で断言する榛名。と、
「そうだ。榛名、みんなでスポーツをしているとか話は聞いた事はないか?
もしあれば私も参加をしたい」
「スポーツですか? 島風ちゃんとかがそこらへんを走り回ったり、みんなでツーリングに行ったり、秘書艦さんがサンドバッグでアークドライブの練習をするのとは違いますか?」
「……ええと、何でしょうか? あーくどらいぶ、……って」
恐る恐る問う春風に榛名は変わらぬ笑顔。朗らかな笑顔というよりは、笑顔のまま硬直したという感じで、答えはない。何か不吉な返答を警戒し春風は「いえ、なんでもありません」と、視線を背けた。
「あとは、ええと、体育館で、ばすけっと? でしたっけ? 何回ゴールできるかを競ったりしていた娘もいます。
それでは、次は体育館に行ってみますか?」
「よろしくーっ」
両手を上げる時津風。私たちも異論はない。頷いた。
「はい、ここは元々学校でした。
提督は中将としてここを任されたおり、榛名たち艦娘への便宜として基地としての施設、いわゆる本部の設置と同時に艦娘の居住場所として学校を改築したらしいのです。
生活は好適な環境を維持した方がいいという提督の方針で、足りないところは自分のお金を使ってまで住みよい環境を作っていただけたらしいのですっ」
「おー、しれーやるじゃんっ」
「うん、そういうの有り難いね」
拍手する時津風と感心する瑞鳳。自分のお金、か。
「わたくしも、有り難いと思いますが。
その、……司令官様にはお気遣いをしていただいてばかりで、申し訳ないですね」
「うん、僕もそう思う。艦娘として戦果で恩に報いたい。けど、実戦に出れないのは、もどかしいな」
「そうだな、だが、焦ってもいい事はない。何か恩返しする方法も考えてみよう。
プール掃除があるといっていたがまずは皆で参加してみるか? 遠回りかもしれないが、それも基地のためにはなるだろう」
主力艦隊が気分転換出来る環境を整える、というのも一つの貢献だろう。……かつての連合艦隊旗艦の栄光から見れば細やかすぎるが。それでも、出来る事はやっていきたい。
「そうですね。わたくしも、司令官様にお菓子を差し入れさせていただきますっ!」
むんっ、と拳を握る春風。榛名は、ぱあっ、と表情を明るくして、
「春風ちゃん、お菓子を作ったりするの?」
榛名の問いに春風は困ったように苦笑。
「あ、いえ、お菓子作りは、やったことありませんが、お料理は出来ます。
鹿島さんに、一緒にお菓子を作って司令官様に差し入れを、と誘われております」
「はいっ、榛名も一緒に作りますっ! 一緒に美味しいものをたくさん作りましょうっ」
「よろしくお願いしますっ」
手に手を取り合ってにっこりと笑顔の二人。……作りすぎにはならないだろうな? 前に、それで提督が吊るされたらしいのだが。
「それと、初月ちゃんと同じように思っている娘は多くて、お掃除や食堂で間宮さんたちのお手伝いをしたりしています。
最初は当番制だったのですけど、」
不意に、榛名は頬を膨らませる。
「提督はお優しい方ですが、意地悪なところもあります。
食堂のお手伝いとかお掃除とか最初は当番を決めて、あとは自主的なお手伝いだったのですが、当番制は必要ないなあ、とか言って当番表を捨てちゃったんです。
それで、最初の方はお手伝いする娘が多すぎて調理場が混雑しちゃったりで大変でした」
「ああ、そうかもな」
「手伝いも、タイミングを見計らってか、……出来る事はやりたいけど、一筋縄ではいかないな」
初月が難しい表情で呟く。
「どんなこと、お手伝いできるかも考えないとね。ドッグ掃除してたら入渠が必要な娘が来たとか困るし」
「む、それもそうだな」
ありがた迷惑になってしまう事もあるだろう。とはいえ、これだけ世話になっていながら何もしないというのも気が引ける。
「提督も意地が悪いな。当番表があればどんな手伝いが出来るか参考にしたのに」
初月が口をとがらせる。同感だ。
「そうですね。それに、資材置き場とか勝手に整理すると山風ちゃんが不機嫌になって提督がパイプでお腹を突かれたり熊野さんに蹴飛ばされたりするので、各艦隊が管理している場所は事前に相談した方がいいところもあります。
ええと、長門さんたちは第三艦隊なので、金剛姉さまにお話を聞くのがいいと思います」
「そうだな、先輩から話を聞いてみよう」
確か、提督から阿武隈とは出来るだけ言葉を交わすように命じられている。かつての連合艦隊旗艦という事で無用の遠慮をされるのもよくはないだろう。
民を護る、そんなかつて果たせなかった悲願を果たせるなら、どのような雑用でも喜んで引き受けるつもりだから。
屋内運動場、……まあ、体育館か、
そこで、
「おどりゃぁあっ!」
ハーフパンツにシャツという格好の浦風がバスケットボールを投擲。見事に決めていた。シュートではなく投擲だった。それで決められるのだから凄いな。
「いよっしゃぁあっ!」
「つっ、……外しましたか。
何か落ち度が? ……いえ、不知火のシュートは完璧だったはず。のわっち、どこか問題はありましたか?」
「なんで不知火にまでのわっち呼ばわり? もうちょっと強く投げたらどうですか? 手前側のリングに弾かれてましたし」
「おどりゃぁあっ!」
「やったでー、入ったわー、と、不知火は気にしすぎや、もーちょい気ー抜いて投げればえーんや」
「むう、……力加減の調整というのも難しいですね。というか、黒潮とのわっちのアドバイスが矛盾しています。
不知火はどう投げればいいのですか?」
「おどりゃぁあっ!」
「…………だから、気にしすぎや、あっちが調整しとるように見えんの? うちには全力投擲に見えるで」
「なぜでしょうか、不知火は悔しいです。のわっち。教授してください」
「だから、……おや?」
「おーう、時津風じゃなっ」
「みんなーっ」
陽炎型か、手を振る時津風に不知火と黒潮、浦風と野分が駆け寄ってきた。
「どうしたん? 遊びに来たんっ? ええよっ、一緒にあそぼっ」
「時津風、のわっちのアドバイスでは限界があります。
協力してください」
「不知火は負けず嫌いやねー
えーやん、遊びなんやからそんな気ーはらんでも」
「いえ、陽炎なきあと、不知火は姉として妹どもに負けるわけにはいきません」
「不知火、陽炎死んでないです。ちゃんと武内少将のところで頑張ってます。
あっちで夕雲さんと親友になって、今は冷戦状態で間に挟まれた秋雲が全力泣きしたって手紙届いたじゃないですか。あと、妹どもは止めてください。のわっちも止めてください」
「うっしっ! 次はのわっちと勝負じゃっ!」
「いやいや、そーじゃなくてっ」
際限なく盛り上がっていく姉妹を時津風は適当に制して、
「ちょっと前に新しい艦隊結成したから、みんなで見て回ってるの。
ほら、あたしも含めてみんな新人さんだからっ」
「お、新規艦隊に編入されたんねえ、ぶちめでたいけえね、今度お祝いじゃ。
のわっち、いろいろ頼むよっ」
「頑張ってなー、時津風、応援してるでー
のわっち、準備よろしゅーなー」
「ちっ」
「って、全部野分ですかっ? それと不知火、舌打ちやめてください」
「不知火より先に新規の艦隊に編入されるとは妬ましい限りです。
それはそれとして他の妹どもにも声をかけてお祝いしましょう。のわっち、出番です」
「なんで全部野分が押し付けられるんですか。それとのわっちやめろ姉ども」
「わ、わっ、ありがとうっ! のわっち、あたしお菓子一杯食べたいっ」
両手をあげて喜ぶ時津風。こうして祝ってくれる者がいるというのは、いい事だな。
「準備が整ったら連絡をします。妹がお世話になりますので、その時は、是非改めて挨拶をさせてください」
ぺこり、不知火が頭を下げる。
「わかった。楽しみにしている」
そういわれたら断る事も出来ないな。
「だ、そうですのわっち」
「長門さんは戦艦さんじゃけえ、のわっち、お菓子たくさん買わなあかんよ」
「のわっちがんばりやー」
「割り勘ですよ姉ども」
「そうと決まれば今度のおやすみにお買い物に行きましょう。
徹底的に追い詰めてやるわ」
「なにをっ? 何を追い詰めるんですかっ?」
「妹どもの財布」
「ウチもか~?」「うちもっ?」
「わっ、わっ、ありがとうみんなっ」
「時津風もです」
「あたしもっ?」
愕然と応じる時津風。不知火は不敵に笑う。
「大丈夫です時津風。不知火は時津風がまだお給料をもらってなくてお金がない事も把握しています。
不知火に落ち度はありません。ちゃんと請求書を書いておきます」
「あるよっ、かなりあるよ業突く張りっ! けち姉っ! あたし払わないからねっ」
「ふっ、そんな事で、不知火は沈まないわ。沈むのはのわっちの財布よ」
「その時は、姉妹みんなで、一緒に沈んでいきましょう」
「そうやなー、その時は皆道連れや。
時津風、後は頼んだでー」
「時津風、沈むうちらには構わんでええよ。……お菓子、美味しく食べてなあ。姉の幸せが妹の幸せじゃけん。それは、沈むときも変わらんよ」
「なんでお祝いなのにそんなお葬式みたいになってるの?」
「というわけで姉である不知火がただでお菓子を食べる幸せのために、沈め。浦風の財布」
「そうやあー、姉の幸せが妹の幸せやねー
なあ浦風、お姉ちゃん、ただでお菓子を食べられると幸せやー」
「やったーっ、あたし、ただでお菓子を食べて幸せになって浦風の幸せに貢献するねっ」
「なん、じゃと?」
「あ、野分の幸せは野分がお菓子を食べられることですので、浦風は姉の幸せに一人で貢献して一人で沈んでください」
「……この姉妹ども、……ぶち腹立つのう」
「…………あ、あの、そこまで大事にしていただかなくとも」
おろおろと春風。同感だ、頼むから祝の席で勝手に姉妹の仲を引き裂ないで欲しい。居心地悪い。
「か、陽炎型凄いな」
初月がどん引きしていた。
ふと、
「陽炎もいたのか?」
「はい、先々月前までいました。
司令の部下である武内少将の所が人手不足という事で、陽炎と秋雲はそちらに向かいました。
その時はこの基地に着任していた陽炎型のみんなで勝手に二階級特進のお祝いをしたら、喧嘩になりましたが」
「懐かしいね、浜風とのわっちが半泣きで喧嘩を止めようとしてたけん、あの場で不貞寝できる天津風は意外と図太いけえ」
「そうでしたね。浦風は谷風の飛び蹴りに対して磯風を盾にしたら盾と喧嘩を始めましたね。クロスカウンターに見応えがあったことは認めます。
秋雲は来ないし」
「秋雲だったら喧嘩の真っ最中に遅れて来て黙って回れ右しとったよ」
「…………あたし、陽炎型としてやっていけるかな?」
「いや、……というか、それはそれで大丈夫だったのか?」
「いえ、だめです。
秘書艦さんのアークドライブで沈められました。止めようとしていたのわっちたちも含め、全員まとめてアークドライブフィニッシュです。事情を聴いた司令は仲がいいと笑っていたそうです」
「私、どこに突っ込めばいいんだろ」
瑞鳳が遠い目をする。不知火は頷いて初月の肩を叩く。
「初月、大丈夫です。姉妹艦が三人なら膠着です。春風も、ここにはまだ神風しか着任していません。タイマンです」
「神風お姉様はいらっしゃるのですかっ? というか喧嘩なんてしませんっ」
「だ、大丈夫、大丈夫だ。
秋月姉さんも、照月姉さんも、……だ、大丈夫なはずだ。うん」
「初月、春風、あのね。……あたしも、…………今までそう思ってたんだ」
遠い目をする時津風に初月と春風が慄く。
「……榛名、金剛型は大丈夫か?」
「はいっ、大丈夫ですっ! 榛名たちは仲良し姉妹ですっ! …………霧島が着任したとき、この平お、……膠着状態も終わるのですね」
「大丈夫なのかそれはっ?」