朝、一緒に目覚めた初月を誘って外へ。
「ん、……早朝に歩くのも気持ちいいな」
「そうだな。……やはり、もう少し早起きしてみるか」
ぽつり呟いた言葉に初月はこくこくと頷く。けど、
「だが、慣れてからだな。無理をして生活習慣を乱した挙句潰れたらそれこそ困る。……と、早起きしようかといった私に対する提督からの命令だ」
「ああ、それもそうだな。意識だけ、しておこう」
初月と笑みを交わし、運動場へ。そこにはランニングをしている艦娘と、思い思い腰を下してのんびりしている艦娘。
古鷹は足を崩して穏やかな表情で朝の空気を楽しんでいる。金剛は大の字、ぼんやりと空を見上げている。
そして、山風は、なぜか膝を抱えて転がっている。龍鳳か、彼女は水筒から暖かい飲み物を注いで、ほう、と一息。
そして、
初月となんとなく手を合わせる。ぽかん、と、突っ立っている提督が縁起よさそうに見えたから。……ふと、
提督は、なにを見ているのだろうな。
ぽかん、と。遠くを見ている。その先にあるのは民の平穏か、国を護る事か、……あるいは、天気を見据えて艦娘の指揮を考えているのかもしれない。
「おはようございます」
「オハヨー、デス」
「おは、よう」
「ああ、おはよう」「おはよう」
「二人とも早いデスネー
まあまあ、ここでぼんやりとしててくだサイ。朝はぼーっとするのが気持ちいいネ」
「日向ぼっこ、好き」
ころころと転がり落ちる山風。ぽてん、と止まった。
「また、いろいろと考えているのか?」
「考えてないヨ。天気の事を言っているなら今はぼんやりと眺めているだけネ。そこで見たところを思い出しながら艦隊業務に入るんデス。
雲の形なんていちいち深々考えても無駄デース」
「そんなものか」
「気が付いたら、雲の形、意識してみると、いい、と思う。
そのあと、どういう風に天気か、変わるか。波、風はどうなるか、とか。……意識して見て、記憶を蓄積していけば、見当もつけられるようになるから」
「要は経験ですよ」
転がったままの山風に古鷹は微笑んで告げる。
「そっか、うん、意識していなかったのは反省しないと」
「初月は防空駆逐艦ですからネ。
秋月が言ってましたヨ。足元の波と風を意識したら対空射撃の精度が上がったって、今度コツとか教えてもらってくだサイ」
「うん、そうする。……そうだな、秋月姉さんたちは僕の先輩でもあるのだし、教えてもらう事は多くあるな」
初月は頷いて、
「提督も、そういう事を考えていたのか?」
問い、提督はぽかんとした表情のまま、
「大鳳君の短パンから見える生足は不思議な色気があるなあ。ハイソックスの上から見えるのとはまた違うなあ」
大鳳は直角カーブをして跳躍。ドロップキックを提督に叩き込んだ。提督はそのまま倒れる。
「セクハラ許すまじっ!」
「それはキメゼリフか何かなのか?」
ともかくドロップキックが直撃して転がる提督。特に誰も助けようとはしない。大鳳は丁寧に一礼。
「おはよう、初月ちゃん。初めまして、長門さん。私は第一艦隊所属、大鳳です」
「ああ、初めまして、第三艦隊の予備艦の長門だ」
「はい。これからよろしくお願いします」
「おうっ、てーとくがまた転がってるっ」
一緒に走っていたらしい、島風だ。
「そうだなあ。転がるなあ。
前に、島風君に走るよりは転がった方がはっやーいっ、って言われたからなあ」
「前に転がって陸奥さんのスカート下から覗いたとかって言われて、袋叩きにされてましたよね。提督」
古鷹の嫌な思い出話に提督はゆっくりと立ち上がりながら目を細めて「懐かしいなあ」
「どう考えても懐かしむような思い出ではないと思う」
提督はのんびりとした視線を初月に向けて、
「そうかもしれないなあ。と言ってもなあ。どんな些細な事であっても、他人から見たら笑われるような事でも、部下である艦娘との思い出は大切にしたいなあ。
おでぶさんなおっさんにいつまでも覚えてもらっても面白くないかもしれないが、こればかりは仕方ないなあ」
「あ、……いや、……ええと、ごめん。提督」
結構真面目に応じる提督に初月は困ったように応じる。「ふむうう?」と、提督は首を傾げて、
「謝る事はないなあ。初月君は真面目さんだねえ。どんな娘か知る事、これは大切な事だけど、特徴が顕著に表れるのは日常の積み重ねの中だからなあ。些細な事でも判断材料になるんだよなあ。
例えば、真面目さんな初月君がすぐ後ろで見ててくれれば、前のめり気味な時津風君や、近くにいる誰かを護る事を意識しすぎて動きがぶれやすい春風君を止めてくれる、とかなあ。日常生活だとあまり遊びがない初月君の手を時津風君に引いて欲しいなあ。時津風君だけだと面倒を見るほうに行ってしまいそうだけど、春風君もいてくれれば初月君も一緒に遊んでくれるかなあ、とかなあ」
「え? ……あ、そう、なのだな。うん、そうかもしれない」
こくこくと頷く初月。彼女は、ほう、と感心したように息を漏らして、
「本当に、いろいろ考えているのだな。
艦隊運用だけでなく生活の事も気を遣ってくれて、僕は嬉しい」
初月の言葉に提督は嬉しそうに目を細める。
「そうかあ、嬉しいかあ。それはいいなあ。なら、初月君、ありがとうを言わないといけないなあ」
「あ、……と、そうだな。
うん、ちゃんと礼は言わないといけないな。ていと「違うよお」え?」
頷く初月の言葉は止められる。提督は視線を巡らせて、
「阿武隈君、ちょっとこっち来て欲しいなあ」
「はいっ? 何ですか提督?」
ランニングを終えて寮に向かっていた阿武隈が足を止める。ぱたぱたとこちらへ。
「実はなあ。初月君。
今回の編成は阿武隈君にお願いしたんだよお。阿武隈君、君が頑張って考えてくれた編成を初月君は気に入ってくれたみたいでなあ。ぜひ、お礼を言いたいそうなんだよお」
「え? え?」
きょとんとする阿武隈。初月は謹直に頷いて、
「ありがとう。阿武隈さんの考えてくれた僚艦のみんなと仲良くやっていけそうだ。
僕たちのためにいろいろ考えてくれた事は、とても嬉しい」
「え? ……あ、あはは。
けど、その、あたしもまだよくわかってないところ多くて、結構提督や金剛さんに頼っちゃったところもありますし。その、「こらこら、阿武隈君」」
照れくさそうに言葉を並べる阿武隈に、提督はわざとらしいしかめっ面で割り込む。
「ありがとう、と言われたら、どういたしまして、だよお」
「あ、……「そうデースっ」わひゃっ?」
照れたように微笑む阿武隈は後ろから金剛に抱きしめられた。彼女は笑みを見せて、
「阿武隈はこういうお仕事はまだ慣れてないデス。だから、ワタシに相談したり執務室でしばらく考えたり、とーっても頑張ってまシタっ!
ワタシは真面目さんで頑張り屋さんな部下がいて幸せデスっ!」
「そうだな。……ああ、私たちの上官でもあるわけだな。
部下の事をちゃんと考えてくれる上官を持てて幸いだ。これからよろしく頼む」
「ええっ? な、長門さんが部下っ? そん「それじゃあ、頑張り屋さんな阿武隈君をみんなで讃えようかなあ」はひっ?」
わたわたと手を振る阿武隈は提督の提案に素っ頓狂な声。なぜか足を止めてわらわらと集まってきた艦娘たちの中心、金剛は両手をあげて、
「なら、みんなで万歳デスっ! ばんざーいっ!」
「ちょ、金剛さんっ? 何ですかそ「ばっ、ばんざーいっ」山風ちゃんっ? 「ばんざーいっ」ちょ、龍鳳さんまでっ? 「「「ばんざーいっ!」」」ちょっとおっ?」
山風と龍鳳が万歳、周囲の艦娘も万歳に加わる。初月と顔を見合わせて笑みを交わす、万歳に加わった。
「あ、あ、あわ、あわわっ」
その中心、阿武隈はおろおろして、…………で、程なく、
「どういたしましてーっ!」
叫ぶように応じて走って行ってしまった。
「…………加わった身で言うのもなんだが、よかったのか?」
「いいのではないか?」
「いーんデス。部屋に戻って嬉しくてによによしているところが目に浮かびますヨっ、あれは単に恥ずかしかっただけネっ!」
「阿武隈君は照れ屋さんなんだよお。けど、初月君の言葉はちゃんと伝わったし、ありがとうと言ってもらって嬉しかったみたいだからなあ。頑張った結果を認められるのはいい事だからなあ。素直にありがとうと言える初月君もいい娘だねえ。
うむう、ただ、やっぱり長門君に少し遠慮があったのが気になったなあ。やっぱり連合艦隊旗艦の戦艦、というのは艦娘にとって軽くはないなあ。
…………そうだなあ。長門君、相談したいことがあったら出来るだけ阿武隈君と言葉を交わすようにして欲しいなあ。長門君は真面目に基地の事を考えてくれているようだし、軽巡洋艦だからって下に見る事はしないだろうからなあ。早目に言葉を交わして阿武隈君が慣れていけば問題にはならないと思うよお」
「ん、了解した」
提督の言う通り、ことさら軽巡洋艦だからと言って下に見るつもりはない。基地の事を考えれば教えを請うのはこちらだ。
「艦娘の事をよく見ているのだな。提督は」
感心したように応じる初月。提督はのんびりとしたどや顔で頷いて、
「ふむん、必要な事だからなあ。いろいろ見ておかないとなあ。
というわけで、陸奥君の下着がく「セクハラ許すまじっ!」ごふっ」
また妙な事を言い出した提督を、どこからともなく走ってきた陸奥が蹴り飛ばした。
「…………僕は、提督の事を尊敬していいのだろうか?」
「どーだろうな」
そんなやり取りを見ていた初月が呆然と呟く。私も、どう思っていのかよくわからなくなってきた。
「尊敬しても、いいと、思うんですけどねー」
最初に蹴っ飛ばした大鳳は曖昧に笑う。陸奥はぷりぷりと怒りながら「能力は高いし、いろいろ気遣ってくれることは本当にありがたいんだけど、変な事言ったりするのは何とかならないかしら」
「…………あとは、おでぶさんなおっさんじゃなければいいんですけどね。せめて。
あと、あの間延びした喋り方とか、なんとなく、縁起物みたいな雰囲気とか」
「格好いい、なんて我侭言わないから、せめて同年代くらいがよかったわ。……あ、おでぶさんじゃないのね」
深刻な表情で頷き合う大鳳と陸奥。不意に、山風は視線を向ける。
「目を開けろ 達磨が君の 提督だ」
「……その、俳句のようなものは何だ? 季語がないが」
不思議そうな初月。ちなみに、山風の俳句のようなものを聞いて、達磨のように転がる提督を直視して、陸奥と大鳳が項垂れた。
「理想の、…………ええと、格好いい提督を、妄想している娘に、言うと効果のある俳句。
秘書艦さんが、考えたの」
「そ、そうか」
現実を見ろという事だな。そうだな、それは大切だ。うちの提督は達磨体型だ。……ではなくて、
「いや、やはり女性の下着を見るのはよくないだろう」
口で言うだけなら、まあ、流せるが、実際の行動に出られたらそうも言ってられない。
初月も真面目な表情で頷く。が、
「えーと、……その、それ、ちょっと誤解があります」
「誤解?」「大鳳っ」
苦笑する大鳳に陸奥は慌てて声をかける。けど、
「ちゃんと言わないと困るでしょう? 提督に不要な不信を抱かれても」
「そう、……だけど、」
なぜか、ばつが悪そうに口籠る陸奥。「何かあったのか?」
「まあ、……ええと、前に私、提督に一緒に走らないか提案をしたんです。
見た目は、ともかくですけど、肥満って体にもよくないじゃないですか? 私も並走するのは構いませんから。それで一緒に走ってたんですけど、その時走ってた島風ちゃんが転がった方が速いんじゃない、って言いだして。
提督は転がりました」
転がるな。
「それで、転がっていった先に出撃から戻ってきて、気分転換に軽く散歩に来た陸奥さんがいたんです。
出撃直後で艤装の服装だったんですけど、それスカートが短めで、それで提督が転がってきたら、……まあ、ええと、警戒します、よね?」
「あ、当たり前よっ、ねっ!」
なんとなく必死な陸奥。というか、転がる提督というあたりを自然と二人は流しているが、これは普通な事なのだろうか?
「それで、陸奥さんが悲鳴をあげちゃって、……あとは、古鷹さんの言った通りです。
下着ですけど、足元に転がってる提督を蹴れば、陸奥さん、スカート短いですし、見えますよね。どっちが意識していなくても、あの時はスカート抑えたりする余裕もなさそうでしたし」
「「……………………」」
「し、仕方ないじゃないっ! 提督が転がってきたのよっ! スカート覗かれるって思ってもおかしくないわよっ!」
提督が転がってくるという事がすでにおかしいと思うのだが、それは私だけなのだろうか?
「ここで蒸し返した提督もあれですし、あの後陸奥さんも事情を聞いて謝ったのでいいと思うんですけどね。
まあ、そういう事です。提督、変な事はよく言いますけど実際に行動に移したことはありませんよ。……ええと、ほら、私たち、軍属で女の子じゃないですか、いろいろ特殊なところはありますけど。
それで、提督は見た通りの外見の男性で、軍人としての地位は中将で、そんな条件で私たちと気楽に話を出来る関係を手っ取り早く作ろうとしてああなったみたいなんです。一応、成功していると思います。それなりに慣れてくれば提督に遠慮する娘も少ないですから」
「そうか、まあ、……それならよかった」
言うだけなら適当に流せばいいか。誰かが蹴っ飛ばすし。…………慣れてくれば私も蹴っ飛ばすようになるのだろうか? ……それは、ここに馴染んだと喜ぶべきか、少し悩むな。
「と、そうだ。長門君」
むっくりと提督が起き上がる。回復早いな。
「ん?」
「鹿島君から聞いたよお。今日は僚艦のみんなと基地内を散策するんだってねえ」
「ああ、午前中はそうしようと思う。
午後は皆で明日の訓練について意見合わせをしたいが、何か指示があるか?」
問いに提督は首を横に振る。
「大丈夫だよお。それに僚艦といろいろやるのはいい事だからねえ。
ただ、入っては困るところもあるから、出かける前に一度執務室に来て欲しいなあ。地図を渡しておくよお」
「む、わかった。艦娘が入っては困る場所、か?」
どういう場所だろうか? 大本営の機密に関わる場所だろうか?
問いに提督は首を横に振る。
「違うよお。戦えなくなった艦娘を預かっているところだよお」
「提督」
不意に、古鷹が言葉を挟む。他の艦娘たちも、微かに咎めるような視線。
対し、提督は苦笑。
「難しい場所だっていうのはわかってるんだがなあ。
といっても、いずれは知ることになるからなあ。早目の方がいいなあ」
「戦えなく、なった?」
ふと、思い出した艦娘がいる。「鹿島?」
そういえば、会ったとき難しい事情を抱えている、と言っていた。それに彼女は出撃とかしない、とも。
単純に適材適所、と考えていた。鹿島は練習巡洋艦、訓練内容の選定などは得意だろうし、この規模の基地ならそれはそれで大仕事だろう。専任の艦娘がいても不思議ではない。
けど、もしかしたら、…………
「その、提督にら「君たちの事を、悪く言えば信用してないからなあ。こればっかりは仕方ないんだよなあ。ごめんなあ」」
恐る恐る、口を開く初月の言葉は潰される。申し訳なさそうに頭を下げる提督。
ただ、……おそらく、彼女の予想は間違えていなくて、そんな艦娘を預かる場所に安易に踏み込むには、まだ、付き合いは深くないか。
悪く言えば信用していない、つまりそういう事だろう。
「ふむん、というわけで長門君、…………ふむうう? 無理強いはしないが、出来れば僚艦のみんなと一度執務室に来て欲しいなあ。
長門君が来ればいい事だけど、せっかくだからなあ」
「ああ、わかった」
初月に視線を向ける。彼女も頷いた。
寮に戻る途中。不意に、声。
「提督がセクハラしないか、気になりますか?」
隣を歩く古鷹が不意に問いかける。頷く。
「ああ、僕たちも艦娘、女性だ。
いい気持ちは、しない」
「それもそうですよね。けど、提督に限って言えば大丈夫ですよ」
古鷹は微笑み、
「提督は、女性に興味がある。とか、そんな正常な感性はそもそも持ち合わせていません。
だって、本質的に人ではない艦娘さえ可愛く思えるほどの、極上の人でなしですから」