拝啓、ラインハルト様   作:うささん

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【章終】薔薇の館で 

 その離宮の庭園に二人の貴婦人が佇む。

 

「まあ、何と見事な薔薇でしょう……」

 

 アンネローゼが薔薇に手を伸ばし薔薇の刺に触れぬよう花弁に触れた。

 

「グリューネワルト伯爵夫人。この庭園にある薔薇はすべてベーネミュンデ侯爵夫人のものですのよ。皇帝陛下が苗から育てた薔薇がこの小路にある花達なのです」

「そうですか」

 

 雨露残る真っ赤な薔薇を眺めるアンネローゼの隣に立つ貴婦人はヴェスパトーレ男爵夫人だ。見事なまでの赤い薔薇はいかに丹精込めて育てられているかがわかる。

 庭園の真の主人公は庭師達だが彼らを省みるものはここでは少ない。

 二人が揃って宮中の庭園を散歩をするのはそれほど珍しいことではない。

 白い小宮殿の裏手にある薔薇小路は密やかな訪問にはうってつけの玄関だといえた。

 アンネローゼが離宮の薔薇庭園をまだ見たことがないというから男爵夫人が案内を買って出たのだ。

 ところでその口実は建前である。病気だというベーネミュンデ侯爵夫人を密かに見舞おうというのが二人の真の目的だ。

 目的はお目見えであり、庭が広くて喉が渇いてしまいました。お飲み物をいただけませんか? と、ごく自然に小宮殿の主に失礼でない挨拶をするのにそんな言い訳を用意している。

 何せベーネミュンデ侯爵夫人といえば、この数年を自らを幽閉するかのようにこの宮殿に篭もらせてしまっているから、新参の宮廷人の中にはその顔を知らない者までいるくらいだ。

 アンネローゼが輿入れしてから五年あまり。侯爵夫人とははじめの頃に挨拶しただけでそれ以降はろくに顔を合わせたことがない。

 侯爵夫人は宮中の社交界から一切遠ざかって隠棲に似た生活を送っているという。

 

「わたくしのようなものが訪れても会ってくださるでしょうか?」

 

 内心の不安を口にする。無視されているわけではない。他の者に対しても侯爵夫人の態度は同じだが嫌われているのではないかという不安はここまで来てもある。

 

「あら、ここまで来て尻込みなさるの? いいことアンネ。いえ、グリューネワルト伯爵夫人。確かにあなたが来たことで皇帝陛下の寵愛は侯爵夫人から失われました。けれど、それはあなたのせいではなくてよ? 男なんて…」

 

 男爵夫人は一言分だけ言い置く。

 

「皇帝陛下失礼いたしますわ。みんな若いほどいいんです。ベーネミュンデ侯爵夫人は私が知るかぎり宮中一番の知恵者ですわ。こうして引きこもって誰にも会わないことで自分とあなたを守っているんです。口さがない連中があなたと夫人の対決を噂するのを避けているのです。バカな小雀の言うことを真に受ける人ではありませんけどね」

「私、思い違いをしていました。もう少し勇気を持つべきでした。そうならばもっと早くここに来れていたでしょう」

「あなたと侯爵夫人が争っていると何かと好都合な人間がいるのです。陰謀の影でさらりとあなたと夫人に毒を流しこむようなのがね。ああ、また雨ですわ。雨宿りという口実でよろしいわね?」

「はい」

 

 アンネローゼが頷くと二人は白い小宮殿に続く薔薇の小路を辿って歩き出す。

 

 

 ノイエ・サンスーシの南に小さな宮殿。そこは薔薇の咲き乱れる離宮であった。

 皇帝フリードリヒ四世は誰よりも薔薇を愛した。宮廷のどこにいても薔薇を見ることができるようにと自らの庭園から移してまで植え替えた花々がここにある。

 皇帝が自ら手入れをしたこの薔薇はかつては隆盛を極めて咲き誇っていた。今ではそれも寂しいものとなっている。

 近頃ではフリードリヒの姿はめっきりと見られなくなった。出入りする人の姿も身内の者だけに限られた。

 ベーネミュンデ侯爵夫人の第四子は生まれた後に間もなく亡くなった。失意に沈む夫人から遠ざかるようにその寵愛もまた失せてしまったかのようだった。

 栄光の成れの果てと哀れみの目で見る者もいる。

 今や皇帝の関心は若く美しいグリューネワルト伯爵夫人へ移っている。その事実そのものは彼女の重大な感心事ではなくなっていたのだ。

 それは狂気にも似た執着となってスザンナという名を持つ一人の女としての存在を突き動かしている。スザンナさえも知らなかったもう一人の母親という自分であった。

 

「何じゃと? まだ何もわからないと申すか!」

 

 その一室から甲高い声が響きグラスが割れる音がした。言い訳をする声ともうよいという声。

 

「し、失礼致します」

 

 慌ただしく扉を開けて一人の男が部屋を退室する。彼はベーネミュンデのかかりつけ医師であるグレーザーだ。

 元々畑違いの理不尽な命令を受けていたのでようやく開放されたといったところだ。彼とすれ違うように軍服の大男とぶつかりそうになる。

 

「失敬っ!」

「いや、どうも」

 

 それに対し、後ろも振り返らずにグレーザーは侯爵夫人の館から出ると待たせていたランドカーへ秘書と共に乗り込む。

 

「やれやれ、侯爵夫人にも困ったものだ……」

 

 開口一番にグチが口をついて出る。このところ侯爵夫人の要求は苛烈さを増してきている。

 

「母の愛は何よりも強しというではありませんか。お労しいくらいですわ。少し行きすぎという気もしますが……亡くなったお子様が生きておられるという望みは」

 

 手元の端末から顔を上げて秘書が外の景色を眺める。彼女もグレーザーが受けた密命を知る者であった。

 

「死んだ子の年を数えるのは少しばかり狂気を帯びているがね……」

 

 グレーザーが受けた密命とはベーネミュンデの四回目の懐妊で死んだとされる男児の行方を探ることだった。

 死んだ子どもが生きているというのは妄想じみた話である。事実としてベーネミュンデが身ごもった子どもは死産であったという記録が残っていた。

 その検診をしたのは皇室専門の宮廷医師だ。当時のグレーザーは関わることを許されなかった。

 しかし、調べているうちにその死には不審な点が多々見られたのだ。その赤子が確かに死んだという目撃情報がなかった。目撃者そのものもついぞ確認することはできなかった。

 埋葬されたという記録はあるがそこに亡骸があるのか疑わしいものだ。墓を掘り起こすのは倫理に劣ることだが掘り起こしてみれば中身が空っぽなどありそうなことだ。

 それだけではない。そのことを調べた次の日、グレーザーの元に脅しとも取れる文面の書状が送られてきた。

 明らかにその存在に対する警告であると言えた。経験上、触らぬ神にたたりなし。それはこの世界に生きる者の処世術である。

 皇室の触れてはならぬパンドラの箱に触れて身を滅ぼすつもりはなかった。そしてそれは一つの事実を覆い隠すこととなったのだ。

 

「あのことはやはり報告なさらなかったのですか?」

 

 それは彼らが知り得た赤子の行方を探るただ一つの情報だ。

 

「あの方の子に対する執着と取り乱しよう。もしアレを知ればどのような行動に出るかわからん。もう少し状態が落ち着いてからにした方が良かろう。我々の身の保身のためでもある」

 

 門閥貴族や権勢をほしいままにする勢力には決して知られてはならぬ情報だ。この機密は一国の運命を左右する重大なものでもある。

 

「コーネフ運輸商会。ベリョースカ号。当時の出航記録を辿ってようやく行き着いたが……」

「フェザーンの商人ですわね。今は代替わりして子息が会社を継いでいます。星系を渡り歩く運び屋。ここからさらに行方を追うには手が足りません」

 

 秘書の端末に紹介の情報が映し出される。写真は前代のものと跡を継いだというボリス・コーネフのものだ。 

 コーネフはフェザーンの商工組合に登録された実在する人物である。

 危険を承知でどうにか得た情報はひょんなところからもたらされた。この情報は三日前に知ることとなった。

 いったいどこの誰がこの情報をもたらしたのかはまったくの不明だ。

 これは自分達と同じように消えた男児の行方を知る者がいるという証左でもある。敵か味方かもわからない。

 それゆえにこの情報は慎重に扱う必要がある。下手に接触して漏らすわけにはいかなかった。

 

「もし、生きておられるのであれば銀河皇帝の嫡子……誰がどう出るか……いっそ亡くなっていた方が幸せだったのかもしれませんね」

 

 銀河帝国皇帝フリードリヒ四世に嫡子はなくベーネミュンデは四回の妊娠でも子を残すことができなかった。

 その後、グリューネワルト伯爵夫人の登場でベーネミュンデ侯爵夫人の地位は大いに揺らぐ。

 今やベーネミュンデは宮廷では腫れ物扱いである。それというのも子を亡くしてからは精神の安定を損ね妄言を周囲に漏らすようになったからだ。

 社交界からは遠ざかり館にこもっては酒に溺れ遊興に耽っているという噂であった。

 それは誤解であるとグレーザーは知っている。侯爵夫人は聡明でそのように見えるように振舞っているだけなのだ。

 真の狙いは我が子を奪還することにだけ傾けられている。それを狂気と呼ぶか愛と呼ぶかはベーネミュンデに近い者だけが知っている。自分も含めて。

 

 

「はい、ベイビィ~ お勉強はしましたかぁ?」

「はい、ママ。沢山学びました。ご飯、の補給がしたいです」

 

 室内に響くのは人の耳には少し冷たく聞こえる声だがまだ子どもの声だった。

 

「おお、ベイビーはすごいなあ。もうこんなに喋れるようになって」

 

 顔に傷のある巨漢の男がフェンス越しにベイビーを見下ろす。

 ベイビーと呼ばれる硬質の肌を持つ子どもはロボットだ。自律歩行型のアンドロイド。

 

「ほほほ、うちの子は天才ですのよ。ベイビーはもうじき大学教科の学習も終えますのよ」

「そりゃあてえしたもんだ。宇宙チェスの再戦も申し込まなくちゃなあ」

 

 そのロボットの前で語り合うのはベーネミュンデとオフレッサーだ。

 

「ベイビーはスリープモードに入ります……」

 

 そう言ってベイビーは目を閉じる。

 人間の八歳くらいの背丈で人工知能に自律型成長機能を持たせた、とても高価なロボットである。

 人間の子どもが着るような子ども服を着せられている。その姿は歳相応の子どものようにも映る。

 この少年ロボットの名付け親は造り主と同じ人物でもあった。

 

「学習機能そのものは何の問題もありませんわ。二足歩行なだけに安定性を欠くのが難点ね。それと、かなりの軽量化をしていることもあるかしら。それ以外のことなら完璧と言ってもいいくらい」

「さすがはベーネミュンデ侯爵夫人ですな。ベイビーの開発から作製までを技術局のお下がりだけで造り上げてしまうとは」

 

 技術開発局にベーネミュンデは特別なコネを持っている。科学技術総監になったシャフトが総監になれたのはベーネミュンデが知識供与をしたからだ。

 彼の功績とされる指向性ゼッフル粒子の指向性論文を書いたのは彼女自身であった。その後も粒子論の裏付けをしながらシャフトに新たな技術の開発に助言を与えている。

 まさにシャフトは彼女の手駒であった。

 

「世辞はいいの。何が欲しいのかおっしゃいなさいな?」

「はは……フェザーンに建てる工場の敷地の段取りはついたんですがね。その土地を所有していた主人がちょっとした訳ありでしてな……」

「安いと訳あり物件に行き当たるというもの。大方、売主と株主の意見が合わぬとかそういった問題であろう? わらわが口を挟む道理はないのではないか?」

 

 そのような問題はお前の裁量であろうとオフレッサーを眺める。

 

「そのとある子爵殿があなた様のご縁でしてな……」

 

 オフレッサーは恐縮するように申し出る。その名はベーネミュンデの痛いところをつくのだ。

 

「そう……とっくに縁が切れたものと思っていたけれど……金に困った挙句に娘を売り渡し、事業に失敗したとは聞いていたが……」

「もちろんナシはこっちでつけやすがね。一応、お断りしておこうと思いましてね。手荒なことはしませんがね」

「親と子の縁はもうないも同然です。わらわの投資を邪魔するとなれば排除して構いません」 

 

 眉をしかめたままそう告げるベーネミュンデにオフレッサーは頷き返す。

 

「じゃあ、そういうことで手続きをしますぜ」

「ええ、手抜かりなく。今やわらわとお前は一心同体も同じこと。裏切りは許しませんよ?」

「もちろんでさぁ、ボス」

 

 ニヤリとオフレッサーが笑う。彼の長年の夢と夫人の目的が一致した計画はまだ始まったばかりであった。そのために根回しは十分にしてある。

 後はいつ退役して事業を本格的に始めるかにあった。代理人を通しての交渉ばかりだが、事業が本格化すればオフレッサー自ら動かねばならない。

 

『お客様がお見えになっております』

「誰か?」

「これはちょうどよい時間ですな」

「オフレッサー?」

 

 訝しむベーネミュンデへオフレッサーは片目をつむってみせる。

 この後の成り行きは、渋々ながらも館の主人として顔を出したベーネミュンデ侯爵夫人とグリューネワルト伯爵夫人が顔を合わせる運びとなったのだった。

 公式に二人が顔を合わせるのはこれで二回目である。

 オフレッサーとヴェスパトーレ男爵夫人の二人が接待役とお喋り役を引き受けて場をもたせると、はじめは硬かった雰囲気は和らいでお茶の席に笑いが溢れるほどであった。

 二人のはかりごとは成功したのだといえる。

 この後、月に一回程度の頻度で小宮殿へ通うアンネローゼの姿が目撃されるようになるのである。


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