拝啓、ラインハルト様 作:うささん
【1話】生まれ変わりのベジータさん
一人の老人が病院のベッドに横たわっていた。先ほどまでその体を繋いでいたチューブは取り除かれ、ただ家族が寄り添うようにして立っている。
彼は老いていた。そして自らが死を迎えようとしていることもわかっていた。
人生の死。それも誰かに、家族に見守られて送られるなど考えたこともなかった。
これまでの半生はひたすら闘いの日々。大切なものとは何なのかを家族に教えられた。
今は心電図のモニタが彼を監視している。生命維持装置のすべてを取り除かれ、今は自由を感じている。
もはや延命のための処置も拒否し、自らの意思で旅立つのだと決めて医師に告げている。
「パパ……」
「お爺ちゃん」
「具合悪いの?」
白髪もかなり増えた娘。そして孫に幼いひ孫たちの声。だがもう目を開くこともできない。老衰が彼からすべての力を奪っていた。
かつては大地と宇宙すらも震わせた肉体は今や朽ちようとしている。
目を閉じたまぶたの裏に先に旅立った友らの顔が浮かんでは消えていく。彼らもまた、一人一人天寿を全うして死んでいった。
カカロット……悟空。最後まで勝ち逃げしやがった……次は絶対勝ってやるからな。
だが、俺の人生に悔いはなかった──
すべての記憶が走馬灯のように流れすぎていく。
果てることのない戦いの中で出会った妻ブルマとの思い出。その子どもらとの日々。
今こうして家族に囲まれている。生きた証がそこにあった。娘と孫とひ孫が握る手に感じる温もりが彼の生きた証明でもある。
娘達に見守られて死ぬ道を選んだことに後悔はない。
「ベジータ…お父さん……」
娘の手の温もりを感じながらベジータは最後の時を迎える。
誇り高きサイヤ人の王ベジータは愛した家族に見守られて死ぬのだ。
ブルマ、待ってろ。すぐに逝くからな──
妻の元に旅立つのだ。もう何も怖くない。
電子機器が異常音を立てる。激しく波打っていたモニタの線は一本になり、徐々に平行線となって最後に一本の線となっていた。
「ご臨終です」
立ち会った医師が告げ、遺体にすがる家族。
肉体から霊魂が抜けてベジータは自分自身を見下ろす。
そして、ベジータの意識はあの世へと繋がるのだった。
◆
「あの世か……」
ベジータは手を開いては閉じ、久方ぶりの地面を踏みしめる。
体には力が満ちている。その姿も老人ではなく若かりし頃の肉体に戻っていた。
老いて死ぬと、あの世では全盛期の体に戻る。
そしてでかい門を見上げる。ここはあの世の閻魔大王の間に通じる場所だった。
ベジータは迷うこと無く生前の罪を裁く道を選んでここまで来ていた。
「本日の死者番号39972入れ~」
門が開かれてベジータは閻魔大王の前に立つ。遥か上から大男がベジータを見下ろしている。閻魔大王である。
「久しぶりだな、閻魔大王よ」
「何度も貴様の顔は見たくなかったが、今回ばかりは甦りはなしだ。何せ寿命で死んだのだからな」
「俺は生前、ずいぶんと人を殺した。女、子どもも容赦しなかった。俺は地獄送りだろうな。閻魔大王よ?」
「ベジータよ、お前の所業はすべて閻魔手帳に記されている。お前は大炎地獄級の男に間違いない」
閻魔大王はあの世での刑罰でもかなり厳しい刑の名を挙げる。
それに対しベジータは口元に笑みを浮かべるのみだ。
「さあ、何年だ? 百年か、千年か? 地獄の刑は俺をその程度で満足させられるか?」
鬼も聞けば逃げ出す刑罰もベジータからすれば修練程度にしか聞こえていない。
「ベジータよ、貴様ほどの魂を裁くのはさすがの地獄も骨が折れるというもの。昨今は人件費もきついのだ」
「役所のような戯言はやめろっ!」
腕組みをしてベジータは閻魔大王を睨みつける。
「言ったように貴様は寿命で死んだのだ。新たな命の循環に加えた方が地獄は助かる。収監している刑罰者から苦情が来るのも面倒でな」
「ち、厄介払いか……」
「サイヤ人ベジータには円環の転生法により新たな生を与えるものとする。それでよいな?」
「では、さっさと済ませろ」
ベジータは吐き捨てると、その剣幕に護衛の鬼が震え上がるのだった。
現在、ベジータの存在感だけで地面が軽く振動している。
「そう言うな。貴様が次の生で善行を積めば家族の魂を持つ者に会いやすくなる。本来ならば、お前は地獄行きで家族にも会えぬ。少なくとも320年の刑罰だ。転生すればお前の行動次第で魂を持つ者と出会うこともあろう」
ベジータの眉が上がる。そして腕組みを解いて閻魔大王を見上げる。
「一つ聞いておきたい。ブルマやカカロット達はどうしている?」
「すでに転生を経て新たな人生を歩んでいるわ。前世のことは忘れてな」
「そうか。転生といったな? 新たな生とはどういうものだ?」
「少なくともサイヤ人とは違う生き方だ。戦いに満ちた人生ではない」
「いや、断る」
「何だと?」
閻魔大王は面食らう。
「俺には戦いが必要だ。魂が震えるくらい強烈な奴だ」
「戦闘民族サイヤ人というのは実に救いがたいな。良かろう、闘争に満ちた生を望むのであれば取り計らおう。これは特別例だぞ?」
「恩に着せたようなことをいう。良かろう。転生してやる」
「とことん上から目線だのう。まあいいか、可決!」
巨大な判子が振り下ろされ、サイヤ人ベジータの魂は次の生に向けて転送されていた。
◆
ベジータが新たな生を受けて何年かの歳月が流れる────
ここは銀河帝国の中枢である首都オーディン。新区画の市民街にある一件の家に彼は家族ともども引っ越してきたばかりだった。
前の家ほど大きい家でもないが、家族三人が住むには十分なくらいだ。
「ふんふふーん♪」
鼻歌が聞こえる。それは厨房からだ。極普通の庶民の家といった作りの家で築二十年ほどだが新居である。
高級官僚というわけでもない父親と姉との新生活は美味しい匂いから始まった。
熱く熱されたフライパンと、その上でジュージュー焼けるのは黄色い卵。
少し細いが、慣れた手つきがそれをひっくり返し、頃合いを測って用意してあった皿に鮮やかな手つきでそれを盛る。
用意してあったサラダにトマトを添え、ココアの用意も終わらせる。
「さあ! 朝ご飯の用意ができたぞ~~」
エプロン姿の金髪の少年が大きく声を上げた。
すると、扉が開いて閉まる音が聞こえた後、親娘が揃って顔を見せる。二人ともまだ寝ぼけ眼だ。
「お早う、ラインハルト……早いな。日曜なのに」
父のセバスティアンがアクビをしながら席に座る。
ボサボサの金髪は天井を向いている。パジャマ姿で冴なさは倍増だ。
フルネームはセバスティアン・フォン・ミューゼルという。冴えない風貌だがこう見えても帝国騎士ライヒリッターの名を持っている。
もっとも爵位も領地もない名ばかり貴族というやつだ。
「ウフフ、ラインハルトのオムレツ大好き~~」
ほにゃらかと笑ってスプーンを取るのはアンネローゼ。五つ上の俺の姉である。このところ、色々と仕草が母さんに似てきたようだ。
穏やかな性格で争いごとは大嫌い。
料理の腕は俺の方が上であるから食事の分担は引き受けていた。
アンネローゼのウェーブした柔らかな髪は毎日の手入れを怠らない。
女って生き物はいまだによくわからん。
昔、ブルマからは、ダメねあなたは、と何度もダメだしされたが変える気などないぞ。
「ほれ」
ラインハルトは熱々のココアに砂糖を溶かして二人に渡す。近頃は朝食は俺が作るのが日課となっている。
早寝早起きという単語が家族で通じるのは俺だけだ。
「俺が切るよ」
フォークを持ったラインハルトがオムレツの真ん中に切れ目を入れる。
「うわぁ……」
次に上がるのは感嘆の声だ。真ん中から切ったオムレツからトロリとした中身がこぼれ落ち皿の上を飾る。
絶妙な量のケチャップが卵から垂れてご飯と混ざり合う。
緩すぎず硬すぎない柔らかさを誇るそれはあったかな湯気を立てている。
まさに今すぐ食べて、すぐ食べてーっと二人の食欲を刺激して止まないのである。
要であるオムレツは蕩けるような黄金色で見る目を楽しませるのだった。
「ラインハルトのお料理教室もすごい進歩だな……」
賞賛なのか呆れなのかわからない父のつぶやきだが、家族の健康を保つのは俺の役目だ。
姉さんの料理は……母さんと比べたらかなりの修行を必要とするレベルにある。
「ラインハルト、今度作り方教えて~」
「教えてやらんこともない……」
姉に向かってこの口調。実のところちょっと恥ずかしいのだ。
そのとき玄関からチャイムが鳴り響きラインハルトは顔を向ける。
「ん? 誰だ?」
セバスティアンが顔を上げる。
「あら? 昨日のラインハルトのお友達じゃない?」
「昨日?」
「あのね、お隣の子で──」
「赤毛のキルヒアイスというやつだ。面白そうなので仲間にしてやった」
偉そうに告げ、立ち上がったラインハルトが玄関に向かうと、昨日知り合ったばかりの赤毛の少年を出迎えるのだった。
「やあ、ラインハルト。これ、うちの両親から」
「キルヒアイス、飯は食ったか?」
「僕は済ませたよ。いい匂いだねえ」
赤毛のキルヒアイスが鼻をひくひくさせる。
キルヒアイスが持ってきた見舞い品を受け取る。
「上がれよ。食後のココアを飲ませてやる」
朝の来訪者を二人も歓迎し、食後の温かいひと時を過ごした。
◆
俺の名前はラインハルト・フォン・ミューゼル。元はベジータ様だ。
見ての通り俺は転生した。この国の人間として生を受けてもう十年近くになる。
もうベジータじゃない新しい人生というやつだ。
銀河帝国という世界の片隅で貧乏貴族の息子として生まれた。
父親は貴族だが末端の貧乏貴族でしかない
俺は貴族という連中が大嫌いだ。むしずが走るくらいにな。
俺達が前住んでいたところに住めなくなったのも、親父が転勤するはめになったのもお貴族様が原因だ。
あいつらは俺達の母親を殺したんだ。
母さん、クラリベルは善良な女で良い母だった。
だが、母は車に引かれた。引いたのは貴族の車で乗っていたのも貴族だ。
場所はショッピングモール。公衆の面前でだった。
母は俺達を家に置いて昼の買い出しに出かけたんだ。公衆の面前でその車は母さんを容赦なく轢き殺した。
抗議なんか誰も聞いてくれなかった。犯人はわかっているのに訴訟すら起こすこともできなかった。
連中は圧力を親父の勤め先にかけて転勤までさせたんだ。
そのときの怒りが俺が俺であることを思い出させた。
ラインハルト・フォン・ミューゼルではなく、ベジータとしての俺の記憶をだ。
きっかけが怒りだったのは間違いない。
生まれ変わっても俺を生んだ人として彼女があった。
だから、俺は母を奪った貴族というやつが大嫌いだ。
ベジータの記憶が戻ったものの、これまでのラインハルトとしての記憶も共有している。
そして俺自身は普通の人間にすぎない。
力の使い方を憶えてはいるが、今のところ何もできない。
鍛錬すれば多少は使い物になるかもしれないが、そのためには、まずは体を鍛えることからしなければならない。
食って、早く成長するのが目下の目標だ。
そして権利だけを貪り続ける貴族どもにいつしか報いを受けさせてやるつもりだ。
◆
青い空が広がる町並み。二人は町に繰り出していた。
「よし、キルヒアイス。あの塔まで走るぞっ!」
「待ってよ、ラインハルト──」
ラインハルトは石畳の道を走る。そのすぐ後を赤毛の少年が追いかけてくる。
昨日知り合った隣の家に住む同い年の少年。名前はジークフリード・キルヒアイスだ。字面の響きが妙に気に入ったのである。
「ハハッハっ!」
緩やかな丘を駆け上がると、大きな声でラインハルトは笑うのだった。
OTRにあるものをかなり手直しして投稿