では。
泥のような眠りから、わたしを引っ張り上げたのは、軽快な電子音だった。
ピピ、ピピ、という聞き慣れたアラームを感じ取って、わたしの意識はふわりと浮き上がる。
『お、起きたかい?立香ちゃん』
「……おはようございます、ドクター」
あくびが出そうになるのをこらえながら、わたしは手首についた通信機からの声に応えた。
『睡眠時間は六時間。今は朝の八時というところだね』
あれからそんなに眠っていたのか、と思った。
あれから、というのは、アメリカ西部合衆国大統王トーマス・エジソンの本拠地から、わたしたちが逃げ出せてからになる。
わたしが今いるのは、助けてくれた現地のサーヴァント、キャスター・ジェロニモたちレジスタンスの味方がいる街のひとつだ。
何故逃げ出すことになったかというと、合衆国大統王エジソンに、わたしは協力できないと告げたからだった。
彼も、聖杯を手にこの大地を蹂躙するケルトを倒したいとは言っている。けれどその後、彼はこの特異点を修正することはなく、そのままにして、アメリカだけでも人理焼却から救おうという腹だった。
わたしたちカルデアは、特異点を元の歴史の流れに直すべく、レイシフトを繰り返している。
過程は同じでも、目指すところの終着が違うのだ。
だから、わたしは協力できないといい、エジソンは邪魔をされては困るとわたしたちを囚えた。
さてどう逃げ出したものかと首をひねっているときに、現れたのがジェロニモである。彼は、特異点の解決のために動いているレジスタンスだった。
ジェロニモと、彼の仲間のひとたちに助けられて、わたしたちはエジソンたちの城から逃げ出せた。
が、どうしたって、生身のわたしはマシュやナイチンゲールのように休む間もなくは動けない。だから、街の一つに立ち寄り、休息していた。
確か、眠りに落ちる前にジェロニモは囮になった仲間と合流できてちょうど良い、とそんなことを言っていたと思う。
『バイタルサインは安定してるよ。オールグリーンだ』
「いつもありがとうございます。……あの、マシュは?」
『彼女なら外だ』
ホログラムの中に浮かんだのは、いつものドクターともう一人。眉間の皺が凄い、
「あの、孔明がいつにもまして怖……じゃない、真剣な顔なんですけど?」
『私のこの眉間の皺の理由なら外にいる。ああ、それからマスター。味方のサーヴァントを見ても、驚かないように』
なんでだろう、と思いながらも、わたしはいつものように返事をして、寝ていたベッドの横に置いていたブーツに足を入れた。
木の扉を押し開くと、そこには如何にも西部劇にでてきそうな街並みがあらわられる。
砂埃に霞む酒場と、脇に樽の積まれた、土がむき出しになっている道に、思わず目を見張った。
急に隣で、がた、と音がした。
反射的に体が反応する。
「……え」
しかし、そこにいたひとを見て、驚いた。
建物の壁に背を預けて俯き、槍を抱いたままに目を閉じて立っているのは、わたしよりもやや背の低い男の子だったのだ。
長めの黒い髪を項で束ね、あちこち汚れ破れて、元の色が定かでなくなりつつある白っぽいシャツと、膝のところが擦り切れそうになっているズボンを履いていた。
「あ、おきたんだ」
その男の子の陰から、銀髪の頭がひょこりと覗いた。姿を見せたのは、アイスブルーの瞳と、男の子よりも小柄な体躯をした、幼い女の子である。
喉が、笛のような音を立てて鳴りかけた。
「ジ、ジャック・ザ・リッパー?」
『落ち着け。彼女はロンドンのあれとは別人だ』
通信機からは、孔明の声。
ひとつ前の特異点のロンドンで、わたしたちは霧に紛れて、殺人の凶行を繰り返していたジャック・ザ・リッパーと戦った。
そのときの記憶は彼女のスキルで消えてしまっていてよく覚えていないが、辛うじて撮れた映像記録の中の彼女と、目の前の彼女は、あのときと同じ姿だった。
がた、とまた音がしたのはそのときだ。
音を立てたのは、槍を抱えている男の子。
船こぎをするひとのように、彼の頭はぐらぐらと前後ろに揺れていた。今のもさっきのも、揺れた頭が壁にぶつかった音であったのだ。
それでも目が開かない。
─────どれだけ器用に寝てるのこの子!?
わたしもよくレムレムしているなんてマシュに言われるけれど、これで起きていないっておかしいだろう。
深い、地獄の底から響くようなため息が、通信機から出たのはそのときだ。
『マスター、すまないが、そこの居眠り馬鹿の耳元に通信機を掲げてくれ』
こうかな、とわたしは孔明の言うように、通信機を男の子の耳元まで持って行く。
嫌な予感がしたのか、ジャック・ザ・リッパーは、ぱっと小さな手で、白い貝殻のような両耳を覆った。わたしも空いている片手で、片耳だけを覆う。
『いつまで居眠りをする気だノインッ!仕事を倍にされたいのかお前はァッ!!』
「だっ、ばっ!ね、寝てませんよ先生!」
変化は劇的で、男の子は文字通り三十センチばかり地面から跳び上がって、盛大に軒先に頭をぶっつけた。
ごちんと鈍い音がしたけれど、欠けたのは軒先の板のほうである。
「あ、あの大丈夫?」
ん、と脳天を押さえた男の子が、ノインが頷く。そこでようやく、彼はわたしに気づいたようだった。どこかで見たような赤い目が、すうっと剃刀の刃のように細められる。
「ああ、起きたのか。カルデアのマスター」
見た目より落ち着いた、低い声だった。
なんとなく、こういう雰囲気にも既視感がある。
ロンドンで助け合い、今はカルデアにいるサーヴァント、アンデルセンがちょうどこんな雰囲気を醸し出している。彼は少年の外見をしているが、精神は成熟した大人なのだ。
マシュやわたしより年下に見えるけれど、案外上なのかもしれなかった。
「よくねてたね、ノイン」
「……起こしてくれよ。びっくりしたじゃないか」
「だって、あんまりおもしろいねかたしてるから、放っといちゃった」
「こんの、悪戯娘っ!」
─────んん?そうでもないかな?
きゃあきゃあ笑うジャック・ザ・リッパーにじゃれかかられて、引っぺがそうとどたばたしている姿は、先程までの落ち着きとは逆に、子どもっぽかった。
しかしそれでも、槍といい、気配といい、多分彼もサーヴァントなのだろう。
ジャックと、このノインという名前らしい男の子のじゃれ合いを、止めていいのかどうなのかと迷うわたしの耳に、聞き慣れた声が届いた。
「先輩、起きられたんですね!おはようございます!」
「マシュ!おはよう!」
ととと、と道の向こうから紫の鎧のまま、走ってきたのはマシュ。いつもの笑顔を見て、こちらまで顔が綻ぶ。
「────そうか、あの子が。そうなのか」
ふと、そんな低い呟きが、聞こえた気がした。
振り返って見ると、赤い目と視線が交わる。
何故だか、彼は瞳の奥で、懐かしむような光をマシュに向けていたのだった。
「改めてよろしく。俺はノイン」
「わたしたちはジャック・ザ・リッパー」
「それから僕はビリー・ザ・キッド。よろしくね」
「はい。わたしはカルデアのマスター、藤丸立香です」
「先輩のデミ・サーヴァント、マシュ・キリエライトです」
城から逃げるときに出会わなかったサーヴァント─────こちらが逃げるときに、囮になってくれたという三騎とわたしたちは、改めて街の酒場のテーブルを囲んで座り、挨拶を交わした。
城の見張りは、ランサー・カルナだった。ドクターとマシュと孔明曰く、桁違いに強大なサーヴァントで、実際こちらも彼が軽く放ったブラフマーストラという超インドビームの余波だけで気絶してしまっている。
彼らはその彼を止めて、逃げて、ここまで戻って来たのである。
「あの、本当にありがとうございました」
マシュと二人で頭を下げる。
「こちらもこちらで、レジスタンスに信用されるためにやったことだ。きみたちのためだけというわけではないから、気にしないで良い」
アーチャーのサーヴァント、ノインはそう言った。
彼は、元はケルトの女王メイヴに召喚されたサーヴァントだった。が、召喚されて早々に彼女を裏切り、ジャックと共にレジスタンスに合流したのは、つい先日なのだという。
『外見だけが英霊コンラ、中身はノイン。ケルトならば、お前ももしや喚ばれているかとは思っていたが、そのようなややこしい事態になっているのは予想外だぞ』
「それを言うなら、こっちは先生が英霊の依り代になってサーヴァント化していることが驚きなんですが。しかも、諸葛孔明って」
ついでに言えば、彼は諸葛孔明、もといロード・エルメロイⅡ世の教え子のひとりでもあった。ちなみにノインの外見は幼いが、中身は二十代も後半らしい。
『それは私も驚いている。だが、私やお前の事情は今は些細なことだ。重要なのはこの特異点の解決だからな』
「そうですね。……ありがとうございます、先生」
と、師弟はあっさりとその話を終わらせた。わたしだったら、もっと取り乱していたと思うのだが、孔明にもノインにも特に気負ったふうもない。
それに、わたしが眠っている間に、カルデアの孔明とノインは互いに現状は伝えあっていた。
伝えあってから、寝ているわたしの護衛というのでノインとジャックはあの場にいたのだ。
その割にノインはそれはもう深く寝ていたのだが、多分魔力不足とかそういうのが祟ったのだろう、と思う。大英雄から逃げてきたところだったというのだし。
サーヴァントの中で、あそこまで居眠りを決め込むひとに出会ったことは、ないのだけれど。
そんなことをつらつら思っていると、おずおずとマシュが手を上げた。
「あの、コンラといえば、クー・フーリンの息子さんですよね。ノインさんはそのかたのデミ・サーヴァントなんですか?」
「元、だよ。昔はそうだったが、コンラは俺の中から消えてしまったから、俺の体は普通の人間だよ。その縁で今は意識だけがこうやって喚ばれてサーヴァントの代理みたいなことになっているが、な」
孔明にどやされていたり、ジャックとじゃれていたときとは違う、落ち着いた言い方だった。
優しげな目は、まるで兄が妹を見るようで、マシュより歳下に見えるのに不思議とそういう目がしっくり来た。
「マシュ。貴女が同じデミ・サーヴァントとして彼を気にかけるのはわかりますが、今は患者を優先して頂きたい。さぁ、私を必要としている患者は、どこにいるのですか?」
ぴしりと言い切ったのは、バーサーカー・ナイチンゲール。この地で知り合った英霊で、規格外の狂化スキルを持ち、ひとの話をこれっぽっちも聞かないが、ひとの治療に全身全霊であたる看護師長である。
「は、はい。失礼しました!」
マシュが背筋を正すのと同時に、テーブルの真ん中に置かれた通信機から、ドクターの柔らかい声が場に滑り込んだ。
『えーと、それではレジスタンス側の君たちに事情を聞いてもいいかい?君たちは、ラーマの治療法を探しているという話だったが』
「ああ。そこのノインは呪いの仕組みはわかるが、治療となるとやはり専門家に頼みたいのだ」
「わかりました。では、その患者のいる街に案内して下さい。今すぐに!」
「ナイチンゲール、ちょっと落ち着いて。あの、今、レジスタンスの人たちは何人いるのか、聞いてもいい?」
街の外へと突撃しそうなナイチンゲールを止めて、気になっていたことを尋ねる。
「僕らの味方のサーヴァントは、後四人だよ。まぁ、皆ばらばらに街を守ってるからここにはいないんだけど」
ビリーがいうには、ロビン・フッド、エリザベート・バートリー、ネロ・クラウディウス、アルジュナの四騎がまだいる。
オルレアンやセプテムでも共に戦ったエリちゃんとネロ皇帝がいるということに、小さくほっとする。
一方、ドクターはそれどころではない反応だった。
『アルジュナだって!?カルナの宿敵じゃないか!?そんな彼までいるのかい!!』
「あー、そういえば、スカサハ女王もこの大陸にはいるな。それから、クー・フーリンは狂化されて、とんでもなく強さに狂った暴君になっている」
『おい、影の国の女王本人がいるとは聞いていないぞ!それにクー・フーリンの狂化だと!?』
ついでとばかりに付け足したノインの一言に、通信機の向こうのカルデアがまた阿鼻叫喚になる。
クー・フーリンと聞いて、わたしとマシュは顔を見合せた。
キャスターのクー・フーリンには、最初である冬木へのレイシフトの際に、何度も助けられた。頼もしくて、彼がいなかったら絶対に、わたしたちはあそこを生き延びられなかったろう。
その彼が、ランサークラスでの召喚を望んでいたことは覚えているが、バーサーカーとして召喚されたということなのだろうか。
わたしの疑問に、ジェロニモはかぶりを振った。
「いや、恐らくは、メイヴが聖杯で霊基に手を加えている。本来なら有り得ないサーヴァントだろう」
「コンラもそれでおこっちゃってうらぎったんだよね、ノイン?」
「まぁな」
床に届かない足をぶらぶらさせて椅子に座るジャックに尋ねられ、ノインは頷いていた。
『えーと、コンラはクー・フーリンに殺されているよね。その霊基でサーヴァント化している君にとって、彼は天敵じゃあないのかい?』
「それがどうかしたのか?カルデアの司令官。足を止める理由にはならない」
通信機越しにドクターへ向けられたのは、マシュと話していたときとは全然違う、温度の感じられない声だった。
ビリーとジェロニモが、物珍しそうな顔になる。
「あ、あの!」
「ん?」
思わず声を上げてみれば、ノインは片目だけを瞑ってわたしのほうを見やった。
怒っては────いない。
「じゃあ、これからそのラーマがいる街に向かいましょう。それからもう一度、今後を話し合いたいです」
「ああ。だがカルデアのマスター、マシュと、それに君は生身の人間だろう。なんらかの魔術による移動手段は行使できるか?」
ジェロニモに言われ、わたしは頷いた。
「それなら、カルデアから車を持つサーヴァントを喚ぶよ」
召喚に良い場所を見いだせなかったのとその暇がなかったから、カルデアからのサーヴァントはまだ召喚できていない。
だけれど、カルデアには乗り物を持ったライダーがいるから、喚べさえすればなんとはなるのだ。
「そんなら、さくっと召喚して進もうか。カルナたちは追ってこないと思うけど、万が一があるし、ケルトに見つかると面倒だからね」
うん、とビリーへ向けて答えて、わたしたちは席を立った。
街で一番良い霊脈をドクターからのスキャンで教えてもらい、マシュの盾をセットする。
原理は正直よくわかっていないのだけれど、ともかくこうやればカルデアで契約してくれたサーヴァントの皆を喚べるのだ。
とはいえ、一度に出せるのはマシュを含めて三人だから、実質的に喚ぶのはふたりまでになる。
今回は特異点そのものが広大だから、『足』を持つサーヴァントを喚ぶのは、決まっていたことだ。
「カルデア式の召喚か……。俺の知っているのとは違うんだな」
しげしげマシュと盾を眺めているノインの周りでは、相変わらずジャックが跳ね回っている。
あの子はひとつ前の特異点では殺人鬼ではあったはずなのだが、今の姿は歳の近いお兄ちゃんに戯れる妹に近かった。
だが、その彼の背中に立つ赤い軍服姿があった。
「そこの貴方、隠していますが、怪我をしていますね?」
「え?や、うん、そうだが放っとけば治……」
「貴方が、そういって全く治そうとしないタイプの人間なのは目を見ればわかります。貴方は己の行動で、生命を軽くしている。─────よろしい、頭と体の治療が必要ですね」
ナイチンゲールの腰の拳銃が光る。
ノインは後ずさり、ジャックはぴょんと兎のように跳んでわたしの足元にくっついて来た。
「いやちょっと待て。婦長。それ拳銃だろう、どう見ても。何故俺に銃口が向いている?」
「ええ、殺してでも治すために必要なものです。まず動かないでいてくれないと、診察も治療もできませんから」
「いや、意味がわからないんだがっ」
叫んで跳び避けたノインの足元を、ナイチンゲールの拳銃の弾丸が容赦なく抉った。ビリーはそれを指さしてケタケタ笑い、ジェロニモは額を押さえていた。
『……マスター、あの二人は放っておけ。言ったところでナイチンゲールは止まらん。それよりも召喚だ』
「だいじょうぶだよ。ノイン、わたしたちとおなじくらいすばしこいから」
「う、うん」
さらっと弟子を見捨てる師匠とジャックだが、これはわたしも賛成だった。
─────だって、ナイチンゲール怖いんだもん。
そう言い聞かせてひとり納得していると、大地に盾を置いたマシュが、顔を上げてこちらを見た。
「マスター、設置完了です」
「うん、ありがとう、マシュ。じゃあ行くよ。ドクター、お願いします」
『オッケー。それじゃ、召喚システムを起動させるよ』
たちまち輝く盾と、カルデアから届く魔力の奔流。
二つが収まったあとには、ひとりのサーヴァントの姿が現れていた。
「はーい!お待たせしたわね、マスター」
「ううん。今回もよろしく、マリー」
くるりと回ったのは、紅く可愛らしい衣装に、二束に束ねた白く長い髪を持つ、綺麗な青い瞳の少女。
ライダー、マリー・アントワネットである。
「あら、貴方たちが今回の仲間なのね?よろしくお願いするわ。わたしはライダーのサーヴァント、マリー・アントワネットよ」
あちらで拳銃の発砲音と悲鳴が上がる中、カルデアから来てくれた仲間は、そう言って優しく微笑んだのだった。
屋根付き馬車持ちライダー、マリー・アントワネット召喚。
カルデアからのサーヴァントは、拙作SSでは普通に話す体で行きます。ご了承下さい。影の状態がよくわからず…。