では。
全身の骨が、外れるかと思った。
げほ、と血の塊を吐くとそのまま倒れそうになる。だがほとんど気合だけで両脚に力を込めて、何とか踏み止まった。
心臓を貫いた槍を引き抜く。思ったよりも深々と刺さっていた槍を抜くのに、両手の力が必要だった。
肉の潰れる音がして、生暖かい血が頬にはねた。
「ここまでか……」
「ああ。今回のあなたの現界は、ここまでだ」
心臓のあった位置に穴が穿たれた英雄、フェルグスは薄い笑みを浮かべた。
「そこまでできるなら、そら、持って行け。使うのは骨だろうがな」
片手で投げられたカラドボルグを両手で受け止める。捻じくれた、奇妙な形の刃を持つ宝剣は、ずしりと重かった。
「終ぞ、表のお前が誰かはわからず仕舞いか。本当に名乗るつもりはないのか、コンラではない何者かよ」
「名前も、何もかも俺には不要なんだよ、フェルグス・マック・ロイ。俺はただのアーチャーさ。……狂王は必ず倒されるから」
そうか、と笑みを残して、英雄が一人消え去った。瞬間、目眩いが襲いかかってまたも倒れそうになる。
「でも……勝てた、な」
握ったカラドボルグは、巨大な円錐形という奇妙な形の剣だった。
どう見ても奇天烈な形としか言えないのに、それで斬るわ殴るわ吹き飛ばすわと、フェルグスは自由自在に戦った。
呪いの朱槍でも何でもない、無銘の槍一本で何とかできたのは奇跡だった。
「最後何か、手加減されてたような……」
そんな気がしたし、間違いないと思う。
途中まで拮抗していたのに、中途から急にこちらへ流れが傾いたからだ。
槍で心臓を穿く瞬間、フェルグスは何処か安堵したように笑っていた。思い返せば、後を託せるとでも言いたげな表情だった。
「……」
それでも、ノインの手にはカラドボルグがあって、フェルグスという英雄はたった今消滅した。
一つ目の目的を達したのだが。
「喜べは、しないなぁ」
実際のところ、スカサハに扱かれたあの時間は、ひたすら斬り殺され倒す時間だったとも言える。夢の中では死がないために、本当に無茶ができてしまうのだ。
首が飛ぼうが心臓が破裂しようが、夢の中では即座に元に戻せるのだから。
スカサハの鍛錬というのは、極東に伝わる修羅道もかくやというやり方だった。
だから、自分がどれだけ強くなっているのか全くもって、わからなかったのだ。
体感時間にすれば十年では効かない長い間、一体、何百回何千回朱槍に穿かれたか斬られたかは数えきれない。
正直、それで正気を保っていることのほうを褒めてほしいくらいである。
「いや、落ち着け俺。誰に褒めてもらうんだよ」
少なくとも、世界一面倒くさい、あのケルトの女王ではなかった。
空を見上げてみれば、既にしらじらと夜が明け始めている。何処にいようが、夜明けの空模様だけは大して変わりないらしいと思うと、懐かしさでため息が出た。
今は会えない人たちと、届かない場所を想って。
「……会いたいなぁ」
自分が誰に会いたいと願っているかは、考えるまでもなかった。
ともあれ今はどうにかなったのだと、手にした剣を確かめる。
異形の剣は、振ってみると意外に手に馴染んだ。何となく魔力が自分から剣へと注がれている感じもあって、試しにその繋がりを切ってみると剣は溶けて消え、繋ぎ直すとまた顕現した。
曲がりなりにも本来の所有者から預けられたため、使えるようになったのだろう。或いは、戦って奪うという戦士の法則が適用でもされたのだろうか。
「……ジークがライダーの剣を借りたときと同じってことにしておこう」
少なくとも、この特異点下だけなら、カラドボルグを扱えそうだった。
ともかくアルジュナの方へ戻ろうとそちらへ足を向ける。言葉通りに、彼は崖の上からフェルグス以外のケルトを根こそぎにしていた。
最初に飛び降りた崖の上にひょいと戻る。そこで、ノインは固まった。
崖の上で弓に魔力の矢を番えているのはアルジュナで、その鏃の先には腕を押さえたジャック・ザ・リッパーがいたのだ。
アルジュナの顔は厳しく、アサシンの少女を見下ろしていた。
崖の上に現れたノインを見た瞬間、アサシンが獣のように動き、その陰に隠れる。いきなり背後からしがみつかれて、ノインは驚いた。
「退きなさい、ノイン。その少女は魔のもの。悪霊でしょう」
故に滅する、とアルジュナの目が言っていた。
「いや、ちょっと待った!」
腰にしがみつかれたまま、ノインは後ろを振り返った。
「アサ……ジャック・ザ・リッパー。あんたは、この大陸に来てから
早く答えてくれ、と思いながら問い掛けると、ジャック・ザ・リッパーは首を振った。
「ほんとうか?」
「わたしたち、にんげんはまだ誰もたべてないよ。へんな竜とか怪物はおいしそうだったから解体したけど。そこの人は、たべさせてくれなかったもん」
よりによってアルジュナを喰おうとしたのか、とノインは軽く気絶したくなった。
「ジャック・ザ・リッパー。ここで死にたくなかったら、とりあえず俺の言うことを聞け。いいか、絶対に人を喰うな。喰うならケルトにしろ」
「……ん、いいよ。さっきわたしたちを助けてくれたしね。それに、あなたはあなたで、たべにくそうだもの」
「そりゃどうも」
しがみつかれたまま、ノインはアルジュナに向けてそろそろと両手を上げた。
「アルジュナ、この子、魔力さえあれば見境いなしには人を喰わないから、連れていけないか?」
「は?」
「いや、斬られかけたあなたが怒るのは無理ないんだが」
ケルト側じゃない貴重なサーヴァントなんだから、とノインは言い募った。
「この子が誰かを喰わないように、俺が見てるからさ」
アルジュナの弓は下りない。黒い瞳には硬い光が宿っていた。
「その者の行動すべてに責任を取るということは、即ちその者が人を殺めたときに、誰よりも先に、貴方が彼女を殺すということに他なりませんが?」
「わかっている。必ずそうする」
赤い目でアルジュナを見て、きっぱりとノインは頷いた。背後に背負ってしまった重みを感じながら。
一秒、二秒と息詰まる時間が流れた。
「……わかりました」
アルジュナの手からガーンディーヴァが消える。ノインも両手を下ろした。
「貴方は変わり者のようですね。アサシンの、それも悪霊の反英雄を助けようなどと……」
流石の慧眼にノインは目を見開く。
「とにかく、ありがとう。アルジュナ」
ややため息混じりに、アルジュナは答えた。
「礼には及びません。そちらの首尾は?」
「成功だよ」
カラドボルグを展開して軽く振り回すと、アルジュナは驚いたのか目を見張った。
「本当に手に入れたのですか……」
「なんだ、疑ってたのか?……まぁ、無理ないか。俺、弱いもんな」
それもこれも、破り捨てたゲッシュのせいだが。
大体何であんなもの息子に贈るんだよ若い頃の親父殿は、と届きもしない恨み言を言ってしまいそうで、口を噤んだ。
その様子をアルジュナが見て、何か言いかけたときだ。
「ねぇねぇ、あなたたちは、わたしたちが誰か、きかないの?」
ノインの陰から出てきた少女はメスをお手玉しながら尋ねる。
「悪い。……あんたの名前は?」
くるくるとメスを回しながら、少女は笑った。
「わたしたちはね、ジャック・ザ・リッパー。アサシンだよ」
「俺はノイン。アーチャーだ」
「ノイン、ノインかぁ。うん、おぼえた!槍しかつかえないみたいなのにね!」
あどけない口調で言われて、ノインが胸を押さえる。
それであなたは、とジャックのアイスブルーの目がアルジュナに向けられた。
きらきらした視線で見上げられ、やや辟易した様子でアルジュナは額を押さえつつ答えた。
「……アーチャー・アルジュナと申します」
「ふぅん。そっか。じゃあ、あなたたちふたりともアーチャーなんだ」
しげしげと、ジャックはノインの顔を覗き込む。
「ねぇ、あなたは、何処かでわたしたちに会ったことあるかな?はじめっから、わたしたちの名前をしってたよね?」
「……」
押し黙ってから、ノインは屈んでジャックと目の高さを合わせた。
「別の聖杯戦争でちょっと、な」
「ふうん、あなたはわたしたちのてきだった?それとも、みかた?」
「敵だったよ」
アルジュナが驚くのを視界の端で見ながら、ノインはジャックから目を逸らさなかった。
メスを指で弄びながら、ジャックは首を左右に傾けている。
「そっか……そうなのか。んー、でも、いまは敵じゃないから、いいや」
「いいのですか」
「だって、わたしたちはノインみたいな人、しらないからね。そういうこともあったんだなって、言うだけだよ」
メスを腰の鞘に収めてから、ジャックはノインとアルジュナを見比べた。
「それで、ふたりともアーチャーなんだ。ここにはアーチャーが多いんだね」
「待て、どういうことだ?あんたは、俺たちやフェルグス以外のサーヴァントに出会ってたのか?」
うん、とジャックはあっさり頷いた。
「ここから離れたまちだよ。みどりの弓を使うサーヴァントと、銃をもってるサーヴァント、どっちもあの怪物たちとたたかってたっけ」
近くまで寄ってみたが、特に助ける理由もなかったので、サーヴァントたちが護る街を通り過ぎて、そのまま大陸をうろついていたのだと、ジャックは淡々と語った。
「レジスタンスって名乗ってたよ、あのひとたち」
「レジスタンス……抵抗勢力か」
「となれば、ケルトに対していたのは、西部合衆国だけではなかったということになりますね」
ケルトの本拠地から一直線で必死に逃げる間には、聞けなかった名前だった。
「じゃあ、何でレジスタンスは合衆国側に合流しないんだ?」
元ケルト側のサーヴァントで、所かまわず襲撃してくる女王に追われているから、迂闊に人の群れに入れない、などという七面倒なノインとは違うだろう。
アルジュナは顎に手を添えた。
「……考えてみれば、合衆国とやらは如何様にしてケルトに勝つつもりなのでしょうか?聖杯ある限り、ケルトの物量は途切れないはずです。それなのに合衆国は、この時代の人間を強化して物量戦を挑んでいる。前線に出せるサーヴァントの数でも、恐らくはケルトに劣っている。物量で張り合おうとする限り、敗北するのは時間の問題でしょう」
「そういうとき、アルジュナならどう戦うんだ?」
「サーヴァントを揃えての電撃作戦か、或いは首魁の暗殺。そんなところでしょう。何れにしても、このまま正面から戦うようではすり潰されます」
淀みなく言って、アルジュナはノインとジャックが聞き入っているのに気づいた。
「何です、鳩が豆鉄砲を食らったように」
「えー、すごいなぁって」
「同じく」
外見だけならば、年端も行かない少年少女姿のサーヴァントたちは、揃ってぱちぱちと手を叩いた。
毒気を抜かれたように、アルジュナは首を振る。
「レジスタンスのサーヴァントが合衆国に与しないのは、物量で押そうとする合衆国の不味さに気づいているからってことか?」
「そこまでは何とも。しかし、可能性はありますし、不味いのは我々も大差ありません。状況を知るためにも、レジスタンスとやらに合流するべきでしょう。そもそも、先の戦いで消耗しているでしょう、ノイン」
「そうなの?」
「う……」
じ、とジャックに見られて、ノインは頷いた。
確かに外見だけは補修して取り繕ったが、色々と傷が増えたのも事実だった。
「でも、そこまでじゃないぞ。放っとけば魔力は補填できるから」
「ならば、何もせずに貴方を放っておく時間が必要ですね。さしずめ、貴方は心臓を基点とした魔力収集機能でも有しているのでしょう。しかし、それとて回転させすぎれば破綻するでしょうに」
「そんなとこまで、わかるのか?」
「目は良いので」
簡潔な答えにノインは目を丸くし、頭をかいた。
「……ジャック、彼らがいた街までの案内を頼めるか?」
「うん、いいよ!とちゅうで怪物にあったらわたしたちがかいたいするね!」
元気が良いんだな、と肉切り包丁を構えるジャックに、ノインは肩をすくめたのだった。
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高い空と砂塵舞う大地。時は十八世紀の北米大陸。
森の中の匂いを味わいながら、わたしは手持ちの通信機のスイッチを入れた。
「所定の場所に到着しました、ドクター」
「こちらマシュ。はい、マスターと共に到着です」
片目を髪で隠した盾の女の子、わたしの後輩、マシュ・キリエライトと一緒に答えると、空間にホログラムが浮かんだ。
映し出されたのは、優しげな雰囲気の白衣の男の人だった。
『うん、こちらでもキミたちの存在は確認できてる。状況は?』
「森の中てす。でも、どうやら近くで戦闘が始まっているようで音がしてます。偵察に出ようと思うんですけど……」
『あくまで慎重にな。マスター』
「はい、わかってます!
先生と、わたしは画面に現れたもう一人を呼んだ。長髪にスーツの、眉間に皺が寄った男性である。
サーヴァント・キャスター、真名は諸葛亮孔明。
ロード・エルメロイⅡ世という人を依り代にしているという、カルデアのサーヴァントの中でも一風変わった人である。彼が画面の向こうで更に答えようとしたとき、遠くで雄叫びが聞こえた。
獣の吠えるような、理性が明後日へかっ飛んでしまった人間のような、ゾッとする声だった。
『おい、何だ今の叫びは。ケルト戦士じゃあるまいな』
「わ、わかりません。確かめに行きます」
やたらと具体的な例えを出したエルメロイⅡ世を不思議に思いながらも、わたしはそう言って、マシュに向けて頷いたのだった。
年端も行かない少年少女の引率に見えそうなアルジュナ。
ただし片や中身二十代半ば。片や中身無垢な悪霊。
そしてカルデア勢到着。
オペレーションに混ざるエルメロイⅡ世。