九番目の少年   作:はたけのなすび

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では。


Act-5

 

 

 

 

 

 

 

 ─────自分は今、夢を見ている。

 

 何処にでもありそうで何処にもない、換えの効かない時間の中、ただ生きている人々の夢であり、記憶である映像を漂いながら、閲覧している。

 

────■■■さん。

 

 そう呼ばれる誰かがいる。否、誰かではなくそれが記憶の持ち主の名なのだろう。

 だが、何と呼ばれているのかは、風のような異音が混ざり込んでよく聞き取れなかった。

 

─────■■■■■、どうかしたか?

 

 そう記憶の主は、答えている。自分には聞き取れない誰かの名前を呼んでいる。短い言葉の中に、楽しさと、愛しさを込めて。

 何という名前かは、変わらず雑音が重なって聞き取れない。

 この場所は、どこだろうと思う

 視界に広がるのは、そう。陽の光とざわめきに溢れた街の中だ。

 人が行き来し、鉄の車が喧しい音を立てながら脇を過ぎていく。空から石造りの塔に見下されていて、足は石畳を踏み締めている。

 ただ不自然なのは、左の視界が欠けていて、狭いことだ。

 この記憶の主は、きっと片目がないのだとすぐ気がついた。

 

─────あれ、ちょっと見てみませんか。

 

 その言葉を聞いて、視界が巡る。

 薄く透明な硝子の板に、二人の姿が映っていた。

 一人は若い、まだ少女の面影のある女だった。長い金色の髪を一つに編んで束ね、碧眼の奥に星のような明るさを湛えている。細い指で、隣の人間の上衣の袖をつまんでいた。

 袖をつままれているのは、背の高い青年である。少し癖のついた黒い髪をして、顔の半分ほどを眼帯が覆っていた。

 瞬きをすれば、手が少し動けば、硝子の中で青年も同じ仕草をした。だから、この青年が夢の主で、今己が視点を借りている者なのだ。

 一つしかない彼の目は、錆びた赤色だった。乾いて凝り固まった血の色に、似ていた。

 それでも、硝子の板に映る瞳は、優しかった。

 賑やかで明るい街の中に在ってさえ、どこか後ろに陰を背負っているような青年なのに、隣の彼女に向ける目は、あたたかみに満ちていた。

 二人ともが、持ち手のない小さな紙袋を腕に抱えていた。薄茶色の紙袋からは、紅い林檎やパンが覗いたり、はみ出したりしていた。

 硝子窓の向こうは書店なのか、書物が詰め込まれた棚が見えている。

 往来からよくわかるようにするためだろう。硝子窓のすぐ真下には机があり、書物が一冊開いたまま置かれていた。

 色のついた挿絵と、彩色された飾り文字。幼い子が喜ぶような、そんな書物だった。

 

────絵本、か。好きだな、そういうの。

────あなたもでしょう?

 

 金の髪の彼女に見上げられ、青年は紅い林檎の入った紙袋を抱えたまま、頷いた。

 

────ん、まぁな。じゃあ、寄り道してくか。

────はいっ!

 

 頷いて、応えて、笑い合う。

 彼らにとっては、これが何でもない日で、けれど何より大切なのだと、見ているだけの自分にも感じ取れた。

 ただひたすらにあたたかで穏やかな、陽だまりの光景が見えたところで、ぐにゃりと景色がぶれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「────イン───ノイン!」

 

 耳元で名を呼ばれて、一瞬だけ途切れた意識が浮上した。

 

「あ、ああ。……すまない。ちょっとぼけていた」

「しっかりしなさい。目が虚ろになっていましたよ。探索の魔術での消費がきついならば、私が一人で片付けますが?」

「いや、大丈夫。やれるさ、あなたに頼ってたら意味ないからな」

 

 やや高い位置から呆れた視線を送ってくるのは、白衣の青年、アルジュナ。

 それに、闇に沈んだ地平線と大気に混じる砂の味。

 

─────そうか、俺は北米大陸にいたんだっけ。

 

 時代も場所も、恐らく空間と世界すら飛び越してしまった果てにいるのだ。

 だから自覚させて、己に言い聞かす。

 自分が何処の誰で、これから何をしようとしているかを、何をしなければならないのかを。

 さもないと、主軸がぶれるからだ。

 それは、まずい。少なくとも、今はまだ。

 槍を顕現させて、柄をしっかりと握った。その様子を見てか、アルジュナはひとつ頷く。

 

「しかし、これほど早く見つけられるとは、思いませんでした。……貴方は優秀な狩人かなにかだったのですか?」

「ははは、そういうのだったら、もうちょっと手際良くできてたんだけどな」

 

 さらりと誤魔化して、夜の闇でも問題なく見透かせる目で、眼下の大地を眺める。アルジュナとノインがいる崖の下には、小さな村が広がっているのだが、正にそこはケルト兵たちに襲われようとしていた。

 村にすでに人の気配はない。人の血の臭いはないから、既に破棄されたのだろう。

 ケルト兵たちを率いているのは、螺旋剣を持つセイバー・フェルグスである。

 相対したときに覚えた気配を魔術でノインが辿り、見つけたのだった。丸一日費やしての追跡が早いのか遅いのかはよくわからない。

 

「じゃあ、さっきの通りで頼む」

「ええ。私が砲台、そちらが遊撃でしょう。巻き込まぬよう努力はしますが、何分敵を殲滅することを優先させますので」

「了解。それくらいなら、多分大丈夫さ。俺、脚だけは速いから」

 

 じゃあ、と槍を持ったまま、崖から身を踊らせた。

 十数メートルの自由落下の後に、足が地面を踏みしめると同時に地を蹴る。

 魔獣の類も兵士もすり抜けて、狙うのは剣士のサーヴァントだけだった。

 姿を見つけ、転身して槍を横に薙ぐ。

 金属音が響き、槍を持つ手に衝撃が走る。

 気配を消した死角からの一撃を、フェルグスは受け止めていた。

 

「お前か!」

 

 言葉とともに繰り出された蹴りを避け、後ろに跳んで距離を取る。

 

「俺を追ってきたわけか。相変わらず妙な気配のままだな。偽アーチャー」

「無論。……その呼び方も久しぶりだ。偽というより、今は代理だがな」

 

 呟きをどう取ったのか、フェルグスはカラドボルグを肩に担いだ。

 

「お前の魂胆もわかる。わかるが、悪いことは言わん。それは無謀というものだ。英霊となってから、己の死を引っくり返そうとするのか?戻って来い、()()()

 

 そちらの名を呼ばれて、ノインは片頬を吊り上げた。

 

「そういうのは、俺じゃないおれに言ってくれ。……まぁ言ったところで止まらないと思うし、止まるくらいなら俺は出てきてないんだが」

 

 さすがに喋り過ぎだと、槍を構えると同時、全身に紫電が纏わりつく。

 やむを得ずに誓約(ゲッシュ)をひとつ破ったために、低下したステータスを補うには、毎度こうするしかないのだ。

 あくまで槍を下げない少年に、フェルグスはため息を一つついてから螺旋剣を向けた。

 彼らの周辺では兵士たちが木っ端のように吹き飛び、空を飛ぶ飛竜が消滅していく。

 爆発の明かりが、螺旋剣を不吉に輝かせていた。

 しかし、轟音と爆風の激しさに反して、村の建物への被害が驚くほど少ないのは、流石のアルジュナの技量としか言えなかった。

 

「時間も無し、か。やれ、この周辺ではぐれサーヴァントが確認されたから来たというのに、こうなるとはな」

 

 彼らがわざわざ廃村に集っていたのはそういう裏があったのか、と槍を構えたまま納得した。

 やむを得んか、と深く息を吐いたフェルグスの両手が剣に添えられる。

 ぴり、とニ騎の間に触れれば切れる緊張の糸が張られたそのときだ。

 いつかのときのように、何かが飛来してくる。

 キン、と甲高い音がした。首を狙って飛んできた小さなナイフが、槍で叩き落とされた音だった。

 フェルグスも同じように、放たれたナイフを打ち落とした。

 続けて、突如として村を中心に霧が立ち込める。白く濃いその霧の中に呪詛の気配を感じ取り、眉をしかめた。

 

─────おい、待て、あの子までいるのか、ここ。

 

 霧はあっという間に村をくるみ込み、フェルグスとノインのところにまで押し寄せる。

 その靄の中でフェルグスの剣に光が収束されるのをノインは、見た。

 

「ちと面倒だが……まとめて吹き飛ばせば問題あるまい」

「ッ!」

 

 フェルグスが螺旋剣カラドボルグを振るい、三つの丘を吹き飛ばしたことがある。虹の輝きの中に、その逸話を思い出す。

 即座にフェルグスから背を向けて霧の中に飛び込んだ。

 踏み込んだ瞬間、音のない吹き矢のように迫って来た気配に向けて盾のルーンを展開した。

 ルーンの障壁にぶつかり、突進を止められたのは小さな子ども。護りに跳ね飛ばされ、地面に転がったその襟首ねっこを引っ掴んで、壁を伝って屋根に出た。

 鮭跳びの術で屋根を蹴って、高く空に跳び上がれば、眼下で村が虹の光に正に飲み込まれるところだった。

 宝具の真名開放と共に、カラドボルグは村を跡形なく吹き飛ばす。あれでは、村人たちは故郷に戻ることは叶わないだろう。

 息つく間もなく、連れ出せた子どもは、ノインを振り解こうと、メスと肉切り包丁を振り回して暴れまわった。

 頸動脈を狙ってくるメスは首を捻って避けたが、頬を掠めて、皮膚が薄く斬れた。

 

「暴れるな!()()()()()()()()()()()!俺が引っ張り出さなきゃ、あんた、あれで消されてたぞ!」

 

 真名を言い当てられてか、ノインが掴んだ銀髪の幼い少女は動きを止めた。

 小さな顔に灰色の不信をありありと浮かべ、低い声で尋ねる。

 

「なに、なんなの、あなたは?わたしたちのこと、知ってるの?」

「ここでは敵じゃないってだけだ。ほら、手は離すからどこかへ行け」

 

 着地すると同時に襟首から手を離す。

 村を舐めている炎を灯りにして照らし出された顔は、まだあどけない。十歳ほどの少女のものだった。

 氷のような薄い青の眼に、ナイフとメスを持った、幼い猟奇殺人鬼。

 ノインにとっては覚えのあるアサシン、ロンドンの切り裂きジャックは、一歩、二歩と伺うように後退ってから、あっという間に闇の中に溶けた。

 

「ッ!」

 

 直後、背後から唸りを上げて振り下ろされたのは螺旋剣。

 槍で受け止めると、足が地面に沈んだ。

 背筋を冷たいものが走る。

 今の状態で力比べに持ち込まれては、押し負けるのだ。

 

「だ、あぁぁぁっ!」

 

 ルーンで一瞬だけ筋力を引き上げ、押し返すと同時に後ろへ跳ぶ。そのまま地面を槍で叩いて雷を発生させた。

 

「『磔刑の雷樹(ブラステッド・ルイン)』ッ!!」

 

 空から紫電が降り注ぎ、フェルグスはそれを何の躊躇いなくカラドボルグを一振りして切り払った。

 電気に体を焼かれながらも、雷を雲散霧消させる姿にノインの呼吸が一瞬止まった。

 確かにあれは魔力を収束させた雷で、高い神秘で斬られたらほつけるが、それにしても躊躇いなく切り飛ばされたのは初めてだった。

 にやりとフェルグスは嗤う。

 

「いつの間にこんなものを扱えるようになった?何れかの宝具か?」

「……そんなところだ」

 

 教える義理はないし、言ったところで理解されようはずもない。彼が紛れもないケルトの英雄たればこそ。

 

「参った参った、やっぱり神話のサーヴァントは強いわなぁ」

 

 所詮自分の扱える神秘程度では、切り崩せる相手ではない。

 ではどうするのか。

 

「正面から斬るしかない、か」

 

 心臓に、全身に、紫電を宿らせて、槍を構える。

 腰を落とし体を低く沈めて、槍の切っ先を深く下げる。獲物へ飛び掛かる獣を思わせるその構えに、フェルグスの眉が跳ね上がった。

 

「それは……」

「知ってるよな」

 

 この英雄の盟友たるアルスター随一の英雄の、師匠から習い覚え込まされた技なのだから。

 

「十年以上も夢の中で教わって来たんだ。俺自身が泡だとしても、技は借り物とは言えない」

 

 殺されながら、文字通り血反吐を吐きながら叩き込まれたのだ。

 何せ、ノインという人間は非才だから、そうでもしないと、てんで使い物にならないと言うのが女王の言葉である。

 頼みもしないのに、夢の中までさんざ殺しに来て、人を殺して殺される感触を忘れるのを許さない女王には、全く以て感謝できためしはなかったが。

 

 このときばかりは、これしか頼るものがなかった。

 

「行くぞ、英雄」

 

 久方ぶりの、本物のサーヴァントとの戦いに、全身で感じ取れる殺気と闘気に、にやりと口の端を吊り上げた。

 

 

 

 

 

 

 




関西圏の皆様におかれましては、地震は大丈夫でしたか?
当方も揺れを感じました。怖かったです。

というわけで、健在報告兼ねての更新となりました。

ジャック登場。原作開始前に、フェルグスが倒したというサーヴァントの一体ということにしておいて下さい。

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