では。
丘の上から弓を携えて現れた青年は、言うまでもなくサーヴァントだった。
白と青を基調にした流麗な衣を身に着け、手には身の丈ほどもある、神気の籠もった長弓を持っている。
青年の褐色の肌と黒髪、顔立ちと気配を見、アーチャーは思った。
─────この英霊は、
纏う神気に覚えがあったのだ。
アーチャーの主観からすれば、もう随分と前、軽く十年は前の話になるが。
「助太刀させて頂きました。さて、貴方はあの魔獣たちから避難民を庇っていた、ということでよろしいでしょうか?」
アーチャーのほうが無辜の民を守る為に戦っていると見て取ったために、この英霊は矢を放ったそうだ。
その言い方からするに、召喚されて間がないのだろう。彼はケルトとアメリカの対立構造も、この大陸がそもそもどういう
その上、アライメント的に善よりなのだろうと判断する。
「……そうだな。一応、礼は言っとく。助けてくれてどうも」
腰を下ろしていた地面から立ち上がり、アーチャーは改めて目の前の英霊を見た。
格の高さとでもいうのか、霊基の規模というのか、目の前の青年は纏う空気が強かった。
─────でもインドだし、なぁ。
己の感覚でいうならば、十年は前に会った忘れられないインドの英霊のことを思い描けば、妙に納得してしまう自分がいた。
それより、彼のほうが背が高いため、見上げるような格好になるほうが気になった。
元の身長ならこうまで差はないんだが、とアーチャーは今の姿を若干儚む。
「俺はアーチャーのサーヴァントだ。で、名前もアーチャーと名乗ってる。ややこしいが、真名を言えないのでこれで勘弁してくれ」
「は?貴方は弓兵のサーヴァントなのですか?」
青年の純粋に驚いた視線が、手に持つ槍に注がれるのを感じ取って、アーチャーは片手で顔を覆った。
「もう何度目だよこの流れぇ……。いいじゃないか弓がないアーチャーがいたって……!聖杯大戦でも言われたけど、俺にはどうしようもないんだ……!」
「それは失礼しました。その様子では気にしていたのですね」
あまり申し訳ないとは思っていなさそうな顔で、青年はアーチャーを見下ろした。
見た目で言うならば、アーチャーは青年の半分以下程度の年齢の、小柄な少年である。そのせいなのか、白衣の弓兵の口調や彼を見る視線はやわらかだった。
「私にとって真名は隠すものではありませんし、名乗ってしまいましょう。我が名はアルジュナ。見ての通り、弓兵のサーヴァントです」
名乗りを聞いたアーチャーの瞳が大きく見開かれ、無意識に半歩足が下がり、アルジュナが眉を微かにひそめた。
「貴方のその、脆弱な霊基の状態からして恐れるのはわかりますが、そのような態度を取らずとも良いでしょう」
「え、あ、いや、怯えたんじゃないんだ。ただ、ちょっと驚いて……」
怯えではなく純粋な好奇心から、目を何度も瞬かせて、アーチャーはサーヴァント・アルジュナを眺めた。
「そうか……。じゃ、あなたが“赤”のランサーの……カルナの宿敵の、
それを聞いた瞬間、アルジュナの目の色が変わる。黒い双眸が更に闇のように一瞬だけ濃くなったのに気づいて、アーチャーは首を傾けた。
─────これ、またなんかやらかしたっぽい。
それしか、アーチャーにはわからなかったのだった。
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伝承を紐解けば記されていることだが。
インドの大叙事詩『マハーバーラタ』は、カウラヴァとパーンダヴァという二つの家が王位を巡って争う物語である。
カウラヴァには百の王子が、パーンダヴァには神の血をひいた五人の王子がおり、彼らは血縁で言うならば従兄弟にあたる。
だが、結論から言うと彼らは王座をかけて親族で戦い、クルクシェートラの野原を血で染めた後に、カウラヴァ側は死に絶え、パーンダヴァ側が王位を継いだ。
神代の物語とあって、『マハーバーラタ』には数えきれないほどの数多の英雄や神々、精霊や悪魔が登場する。クルクシェートラの戦いすらも、人間側が神々の思惑にのったりのせられたり、巻き込まれたりして引き起こされたとも言えるのだ。
その数多の登場人物の中でも核になる数人の中に、アルジュナという英雄はいる。
叙事詩の中で、彼はパーンダヴァの第三王子であり、雷霆神インドラの息子であり、類稀な武芸者で弓の達人の、非の打ち所のない人物として伝えられている。
『
伝承によれば、バラモンと法を尊び、
─────ということに、なってるんだよなぁ。
英雄アルジュナに関するアーチャーの知識はこれだけだ。伝えられている範囲のことだけしか知らない。
だがそれ故に、彼が最後の戦いにおいてカウラヴァの将軍、施しの英雄カルナを討ち取った者だということも、アルジュナとカルナが異父兄弟ということも、当然知っていた。
─────それにしても、カルナの名前が出たときの、目の色の変わり方は妙だったような。
─────気のせいか?
気にはなったが、同時に気にしないことにした。
伝説に残る英雄が、何を見て何を考えて生き、死んだかなどわかりようもない。
アーチャーは、サーヴァントとして召喚された彼らに敵や味方として相対したことはあるし、そのうち一人は『マハーバーラタ』の英雄だった。それは、鮮烈な記憶として脳裏に刻み込まれている。
だが、英雄の一生からすれば、瞬きのようなほんの僅かな時間に過ぎない。
それにしても、カルナの名前が出た途端のアルジュナの反応は予想を超えていた。
うっかりカルナに出会って戦ったことがあると漏らした過去の自分を、殴り飛ばしてやりたかった。
なにしろ、まともに説明しようとすればこんがらがるくらいややこしい上、口下手なのだ。
既に、期せずしてとある女王の地雷を踏み抜いたがために、霊基を消耗させるはめになったという前科があり、それを思い出すと口が重くなった。
「……えと、だから、俺が昔に戦った聖杯戦争にカルナが“赤”のランサーとして現界していて、そのときは敵だったんだ。ああ、でも結果としては、俺や他の友人たちも助けられた恩人でもあるから、感謝もしているし……」
まとまった説明をできずに、言葉を拙く並べながら荒野を歩くアーチャーを、アルジュナは見下ろしたまま、同じ速度で歩んでいた。
「それで、誰があの男の相手をしたのですか?」
「俺ともうひとりと、友人の相棒だったバーサーカーだ」
再び無人の荒野を行くことになったアーチャーだが、行動を共にするのは幼い兄妹と馬ではなく、アルジュナだった。
兄妹を連れて突っ切って来たケルトの領域に、事情があるから戻るというアーチャーに、アルジュナはそのままついてきたのだ。
頼もしいと思うより、こっちに来ずに西部に行って、合衆国の助太刀でもしてくれ、というのがアーチャーの本音だった。
今からやろうとしていることは、隠れて行いたいのだ。それなのに、アルジュナのような気配の目立つ英霊がいては、やり辛いのである。
かと言って、相手が相手だけに断りもできず─────というより、断りづらい雰囲気を感じたがために、結局そのまま進んでいた。
「では、三騎でかからざるを得なかったということですね」
「まぁ、そう……だな。……ランサーは、あり得ないくらい強かった。
「当然です。ということは、貴方は鎧を纏ったあの男と戦ったのですね」
アルジュナの言葉に頷きながら、アーチャーは遥かな地平線を見る。
遠くに見えるのは山脈であり、空に鎮座するのは相変わらず輝き続ける光輪だ。
「それでこっちも聞きたいんだが、アルジュナは聖杯に喚ばれたサーヴァントでいいのか?」
「ええ。マスターがいないという召喚には戸惑いましたが、人理焼却という異常下ではそれも頷けます。そして我々は、その異常を解決するためのカウンターとして喚ばれたと解釈していますが。……貴方もそうなのですか?」
あー、と気の抜ける声を上げながら、アーチャーは地平線の彼方に聳え立つ、遥かな山に目をやった。
「なんですか、その妙な歯切れの悪さは?……そも、この大陸では、ケルトとアメリカのせめぎ合いが起きていると言っていましたが、アーチャーはどちらのサーヴァントなのですか?その気配からして、先程の剣士と同郷なのでは?」
「待った、ちょっと待ってくれ。ひとつずつ答えるから」
こほん、とアーチャーは小さく咳払いをし、指を一本立てた。
「ひとつ。俺は、この状況を解決したいとは思っている。本来の時代に属する人間を傷つける気はないし、できるなら正史の流れに戻したいし、何より俺が戻りたいと思っている」
だが、ただのサーヴァントでは、その方法がわからないのが問題なのだ。この事態を創り上げた者の手段も首謀者も、アーチャーは知っている。
知っているからこそ、自分では特異点を解決するには手が打てないのだと理解してもいた。
「ふたつ。確かに、俺を最初に喚んだのはケルト側なんだ。ケルトにいる聖杯保有者が俺を召喚した元の主さ。……だからっつって、そんな睨まないでほしいかなぁ!元って言ったろ!今は縁が切れてるんだから!」
小さい手をぶんぶんと大きく振ってアーチャーは否定する。
「切れている、ということは?」
「あいつらの命令を聞きたくなくて、契約を振り切って飛び出してきたんだ。で、そのときにちょっと色々あった」
「色々……。なるほど、その傷はそういうことですか」
アルジュナの目が、少年の額や腕に巻かれている包帯に向く。
視線に気づき、アーチャーは頷いてから、包帯を取った。
その下には傷はない。元々、治療のために巻いていたわけではなかった。外見だけなら、体を編んでいる魔力を弄ればいくらでも取り繕えるし、サーヴァントの傷に普通の手当ては効かないのだ。
なのにこんなことをしていたのは、治療の真似事だった。
何もしていないまま放ったらかしにしていると、あの兄妹が痛々しそうな顔をしたから巻いただけである。
包帯を炎で燃やし、灰を風に飛ばす。
そういえば鎧の下に着ている服も、彼らの借りものだったことを思い出したが、今更返しには行けなかった。
「だから、俺はアメリカ側にもケルト側にもついてない。ただの野良。強いて言えば、はぐれサーヴァントさ。で、俺の願いは至極単純。狂王クー・フーリンと、聖杯を持つ女王メイヴを倒すことだ」
手を払って、灰の最後のひとかけらを風に飛ばしながら、アーチャーは軽く言った。
アルジュナはしばし黙したあと口を開いた。
「……難儀な道を取るのですね、貴方は。聖杯を持つ主を裏切り、契約を切る。言うは易いが、それはサーヴァントにとって大きな枷でしょう。その損耗具合からするに、かなりの負担だったはずだ」
「……」
今度はアーチャーが渋い顔になり、アルジュナは少年サーヴァントのその様子を見て、ほんのわずかに口元を緩めた。
「貶しているわけではありません。事実と思ったことを言ったまでです。……しかし、そうまでするなら、何故アメリカ側から離れるのですか?彼らの敵がケルトと言うなら、貴方は彼らと共に戦えるはずです」
「それは……」
言いかけ、不意にアーチャーは槍を顕現させると同時に、厳しい顔で天空を見上げた。
「どうし────」
問いかけたアルジュナもまた、表情を引き締める。
そして二人は同時に、左右へ別れて飛び退いた。空いた空間に、遠方から飛来してきた朱い槍が突き刺さり、大地を丸く抉り取る。
「今のを避けられるようにはなったか。ノインの小僧。以前ならば串刺しになっていたろうな」
クレーターの中心に降り立った人影は宣う。砂埃が晴れたあとに姿を現したのは、朱い槍を持つ黒衣の女だった。
玲瓏なその声を聞き、姿を見た瞬間、心底嫌そうにアーチャーは顔をしかめた。
クレーターの底に立つ彼女と、縁に立って紫電を体に纏うアーチャーの視線が交わる。
「ほう。ようやく仲間まで見つけたか。それも半神の小僧の。予想通りではあるが────思ったよりは速い。運が悪いのか良いのか、つくづくわからんやつだな」
アーチャーの刺すような視線などどこ吹く風で、大地に降り立ったのは、貴人の風格を漂わせる女戦士である。
己めがけて放たれた矢を、彼女は朱い槍を回転させて弾き飛ばした。
「なっ!?」
自らの矢を撃ち落とされたアルジュナの、驚愕の声が上がる。
「温いな。名こそ高いが、所詮は神に愛されただけの若僧か」
「何を……!?」
「挑発に乗るな、アルジュナ!彼女は
「そのとおり、そして、お前の師匠でもある」
肌が粟立つのを感じると同時、アーチャーは勘に任せて槍を回転させ、縦に持ち替えた。
瞬間、横合いから叩き付けられるようにして振るわれたスカサハの紅い槍がぶつかり、耳障りな音が木霊する。
そのままスカサハは動きを止めることなく、片方に持った槍を振るう。串刺しになる寸手のところでアーチャーは槍から手を離し、自分の体を宙に投げ出した。
そのまま地上を転がり、立ち位置を入れ替えるようにクレーターの底へと落ち、突き立っていた槍の一本をスカサハ目掛けて投擲する。
それに合わせ、再びアルジュナの弓から一撃が放たれる。
「だから、温いと言っているだろうに」
槍と矢がぶつかり爆発する瞬間には、既にスカサハの姿はない。
一瞬で飛び退り、安全圏から涼しい顔で真紅の槍を向ける女戦士を見て、アーチャーの頬を冷たい汗が伝った。
察せられてるとは思いますが、北米編ではアルジュナとの関わりが多いです。
というわけで、表の精神の名前はノインでした。
聖杯大戦終了時(16歳)から10年以上時間が経過しているのでアラサー。つまりロマニと同じ枠。
外見は違ってますが。